トレジャーキッズ ~委ねしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2‐4】天秤(2)

再起の光

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 フィラノスのスラム街。話せば長いが、薬草を採りに行ったジェフリーは毒蛇に噛まれてしまった。ケーシスが処置をした。だが、それは百点満点ではない。ジェフリーは仮死状態になってしまった。
 それをサキが救った。
 
 優しい光がふっと消える。静かな空気、招かれる冷たい夜風。
 仮死状態。再起の可能性を秘め、深く眠るに等しい。
 サキはどん底から這い上がれる希望を与えただけである。それは医者としても、学者としても到底理解できるものではなかった。

 沈黙を破ったのは圭馬だ。耳も手足もバタバタとさせながら沈黙を破る。
「え、えぇ……リザレクションって、さっきもらったばっかりの光の大魔法だよね?! キミ、予習もしていないのに、どうして!?」
 圭馬は踏みつける形になっているジェフリーに変化が起こったのを察知した。
「あ、れ?」
 微かに上下に動いているのを感じる。
「う、そ、だろ? キミ、何をしたの?」
 圭馬は驚愕のあまりサキにしがみついた。信じられないのは無理もない。魔法で大きな治癒が望めるはずがない。
「僕は、何もしていません」
 サキは数歩下がる。今度はローズに向き合った。
「毒素とか薬の副作用とか、ジェフリーさんの体から、色々抜いていただけますか?」
「あ、うん……でもコレ、何の魔法デス?」
「人に生きたいと思わせる再起の魔法です。きっと、これで……」
 ふらっとサキが膝を崩した。
「サキ君!」
 ローズが背中を支えた。サキの帽子が床に落ちる。
 竜次も駆け寄ったが、ローズと顔を見合わせる。
「ン、寝てマス?」
「そうみたいですね。疲れちゃいましたよね、サキ君……」
 二人を背にケーシスはジェフリーの状態を確認する。ケーシスは困惑した。
「さっきより、ずっと顔色がいい……」
 魔法で人を生き返らせることはできない。それは魔導士の端くれのケーシスだって知っている。だが、今は死の淵に沈んでいたジェフリーの脈は強く、呼吸音も聞こえる。騒がしくしても気がつかない点から、意識を取り戻すまではまだかかりそうだ。
 それでもずっと、前よりも望みがある。
 ケーシスは眠りに落ちているサキを見て、首を振った。『奇跡』とやらを認めざるを得ない。
 奇跡を目にした。思うところはある。個々でもそうだった。
 特にコーディは強い刺激を受けた。
「同い年とは思えない。本当に、信じられない。何もかも覆して、何なの!? この、大魔導士って……」
 コーディは服の袖で目元を押さえた。
 忘れられがちだが、コーディとサキは同い年だ。サキはコーディよりずっと賢いし、優秀だ。種族の話も通じる。先ほどは意図を知って、庇われた。
「ずるい。こんなの、奇跡じゃん……」
 間近で見ていたからこそ口にできる、とても素直な感想だった。
 ミティアがキッドの手から離れ、脱力してぺたりと座り込む。
「たす……かった……の? ジェフリーは……」
「そうみたい。悪運強いわね、ホントに」
「う、ぅ……わぁぁぁぁっ!!」
 ミティアは絶叫した。ジェフリーは死んでしまったと思っていた。それが覆された。自分ではない力によって。それは禁忌の魔法ではない、別の魔法だった。
 よろこばしいことのはずなのに、心の闇は晴れない。自分は何もできなかった。助けられたはずなのに。自分が『普通』になってしまったがために、大切な人の危機を救えなかった。ミティアは悲しみとは別に、自身への『哀しみ』を抱いた。

 スラムで人が野垂れ死ぬのはよくある。誰も助けてくれない。信じられるのは自分だけ。そんな世界でなくても、見た奇跡に何も感じないわけにはいかない。

 アイラは廃人のようになり、泣けず、悲しみ過ぎてしまった。あまりに感情がうまく表せられない。圭白が声をかける。
「アイシャ様?」
 アイラの口からは独り言のようなものが吐かれた。
「なんて子なんだ。あたしら大人が束になってもできないことを、あの子はたった一人で奇跡を呼び起こすなんて」
「誰がサキ様を否定できましょうか?」
 サキは、認められたいがために努力を積み重ね、簡単には成し得ないことをしてしまった。もう弟子などではない。サキはとっくにアイラを越えている。
 アイラは立ち上がり、身を引こうとする。心境は複雑で、自分がサキを迎える権利はないと自分を責めた。おめでとうと言う権利もないかもしれない。
「迷惑をかけてすまなかった。あたしゃ、少し気持ちの整理をさせておくれ……」
 アイラは一同に言うとふらふらと退いた。そのまま立ち去る。逃げるわけではない。だが、この場で完結させるには気持ちの整理がしたいのだ。それもそうだろう。大人としての責任を感じているのだ。
 キッドはアイラの背中を見送った。
「アイラさん……」
 個人的に追いたい気持ちがあった。だが、ミティアを放置できない。禁忌の魔法を欲している彼女は危険な状態だ。しばらくは目を離してはいけない。

 室内ではケーシスが片付けようとしていた。
「念のためローズは残れ。それ以外は休め。大人数だと邪魔だ……」
「お父様……」
「別に信用してないわけじゃねぇ。竜次はもっと別にやることがあるはずだろ?」
 ケーシスは竜次を冷たくあしらう。これはわざとではなく、彼の性格だ。ローズに心のケアは難しい。知っていて、ローズを指名した。
 これを竜次が汲み取れるかは別の話だが。
 ケーシスの提案に真っ向から逆らおうとしている人物がいた。ジェフリーに思いを寄せるミティアだ。
「わたし、残りたい。ジェフリーと一緒にいたい」
 ミティアは身を乗り出す。キッドは抑止させるが、言葉で止めたのはコーディだった。
「お姉ちゃん、邪魔しちゃいけないよ。一緒にいたいのはみんな一緒だからさ」
 自分にできることはない。コーディがベッドから離れ、玄関のミティアへ歩み寄る。
「それにさ、ここから先はお医者さんの仕事だよ」
「でも、わたしはジェフリーの傍にいたい」
 それでもミティアは聞かない。今度はキッドが止めに入った。
「あいつが元気になったら、思いっきり怒ってやりなさい。そのときのためにミティアは休んで元気にならないと。このままだと倒れちゃうかもしれないでしょ?」
「そう、か、そう、だよね……」
 ミティアは悔しそうだが、自分で自分を無理矢理納得させている。抑え込まないと、皆も迷惑をかけてしまう。ジェフリーも、きっとそうしろと言うはずだ。ミティアはわがままを抑え、この場を専門家に任せることにした。
 扉の陰でサテラがじっとミティアを見上げていた。空気を読んでいたのだろうか。控えめに声をかける。
「あの、また明日も会えますか?」
 寂しそうな表情だ。せっかく動けるようになったのに、あまり相手をしてあげられなかった。
「ごめんね、サテラ。せっかく元気になったのに……」
 ミティアはサテラの頭を撫でた。屈んで目線を合わせる。サテラはミティアに抱きついた。
「よくなったのは体だけです。自分にはもうこの人格だけしか残っていません。好戦的で身体能力に長けたドラグニー。魔法に長けたソフォイエル。もう頭に押し込まれていた魔法も使えなくなってしまった、自分はもうただの子どもです。お父様が作った壊す薬と、あの方が採りに行った仙草のお陰で、『普通』の子どもになれました。自分はこれから生きることを学びます。もう、大きなものを学んだかもしれませんけれど」
 大きな一歩だった。サテラは自分が実験体であったことを認め、生きることを諦めていた。それが、サテラは『普通』になったことでよろこび、自身の足でこれからを歩むと言う。ミティアは自分と大きく違う『普通』に驚愕した。
 だが、今はサテラをぎゅっと抱き寄せる。
「また明日ね。みんなをちゃんと紹介したい」
「はい。お待ちしています。絶対ですよ?」
 サテラは頷き、手を離した。ミティアは立ち上がって笑う。
 見上げたサテラが見たのは、ミティアの儚い笑顔。今にも壊れてしまいそうに脆く、だが美しい笑顔だ。この違和感に疑問を抱きながら別れを告げた。

 竜次がサキを背負って部屋を出ようとする。すると、ケーシスは小声で言う。
「しばらく姉ちゃんに目を光らせておけ」
 竜次は何度か瞬き、深く頷いた。言われなくてもそのつもりなのだが、この場ではあまり深く考えていなかった。
 すれ違ったサテラが物悲しい表情を浮かべている。これも気になったが、あまり多くかまえないのを悪く思いながら仲間を優先した。
 この子も何を思い、何を考えているのかわかりづらい。
 崩れかけた仲間をつなぎ止め、修復しなくてはいけない。誰かがではなく、自分がしなくては。
 竜次は唇を噛み、気を引き締めた。

 やっと静かになったが、ここでどっと疲れが出た。ケーシスは大きなあくびをして、息を吐かずに途中で噛み殺した。表情をしかめている。
 一行のやり取りに邪魔をせず、ただ点滴を持っていただけの壱子は気遣う。
「ケーシス様、少し、お休みになられてはいかがでしょうか?」
 せっかくの気遣いだが、ケーシスは首を横に振った。
「いや、この際だから、こいつに言いたいことがある。目が覚めるまでこのまま待つ。なぁに、二徹くらいどうってこたぁない」
 軽口を叩くも、ケーシスは眠そうだ。目頭を摘んでいる。ジェフリーに言いたいことがあると言った。
 壱子は親子として進展してくれるのならよろこばしいと思った。
 ローズはベッド縁に腰かけ、考え込んでいた。腕を組み、小さく唸る。これを見たケーシスは、声をかけた。
「シケたツラ、してんな……」
 否定はしない。ローズも頭はいいのだ。唸っていた理由を言う。
「サキ君の洞察力には驚いてばかりデス。医学書はワタシの家の地下くらいしか、彼の目には入っていないハズ」
「案外、医者に向いているんじゃねぇのか?」
「何もなかったらスカウトしたいデス。もう、サキ君は天才や秀才という言葉では足りませんネ」
 ローズの『何もなかったら』と言い方が妙だ。サキは史上最年少の大魔導士。これから、未来の可能性がいくらでもある。
「ケーシスはサキ君を知っているのデス?」
 親切にする理由が知りたい。ローズの興味本位だった。
 ケーシスの理由は、そんなに単純ではなかった。
「あのサキって子は俺の親友と、魔法学校のライバルの息子だ。二人とも、逆立ちしても勝てねぇようなヤツだったのに、息子もあんなじゃ反則だ。落ちぶれた俺が言っても仕方ねぇけどよ……」
 数奇な巡り合わせだ。自分の運命を呪いたくなる。ケーシスは悔しいがうれしい。思うところがあるが、出会ってしまった。自分だけではなく、息子のジェフリーも。
 きっと同じ気持ちなのではないだろうか。自分にないものを持っている諦めだったり、嫉妬だったりと、ぶつかりもあったのではなかろうか。ケーシスは想像した。
 ローズはケーシスの顔をまじまじと見る。
「サキ君に言わなくてよかったのデス?」
「言ったら面白くも何ともねぇ」
「あの手帳、特別なものだったのではないのデス? 何が書かれていたのかは見ていないケド、微力ながらそのおかげで大魔導士になれたのでは、ネ?」
「知らねぇよ。最大限に生かしたのはあの魔導士だ。俺がどうのこうの言うつもりはない。俺の息子だったら話は別だ。そういう分別はしておいた方がいいぞ」
 ケーシスは立ち上がって水を飲みに行った。
 ローズはケーシスが表舞台に立とうとしない性分に疑問を抱いた。

 立ちっぱなしで疲れたのだろうか、壱子がローズに声をかけた。
「あとどれくらいで意識が戻りそうでしょうか?」
 ローズは白衣から聴診器を取り出し、耳に引っかけている。
「そのうち、としか今は。使った薬が多すぎて、今は負担がかかっている状態なので、もう少しかかるとは思いマス。肝機能障害が残らなければいいけどネ」
 ジェフリーに異常はないらしい。ローズは点滴の持ち手を代わった。
「恐縮です」
「休める人は休むのがいいデス」
 ローズは、自分が技術面でしかサポートが向いていないのを自負している。客観的な意見を述べ、どうにもならないところだけはわかりやすく人に頼み込む。

 ケーシスは飲み遅れた薬を飲もうとしていた。すると、サテラがケーシスのシャツの裾を引っ張った。サテラの存在を蔑ろにしてしまった。
「ん、あぁ、あんまり相手にしてやれなくてすまねぇな」
「いえ、自分にはこれからがあります。でもあの人にはこれからがなかったかもしれない。正しいのかわかりませんが、あの方を羨ましく思いました。自分が死ぬとき、あんなに泣いてくれる人がいるのか。そんな関係が築けたらどんなにいいでしょうか」
 無垢なサテラが見た感想だろう。刺激が強すぎたかもしれない。ケーシスはサテラを見ると、赤い目が見上げている。これからサテラは何を築けるだろうか。
 ケーシスは、サテラがどこか火の点いたような目をしているのに気が付いた。
「お父様、自分、一から魔法を学びたいです」
「はぁっ!?」
 これも目にしたままに刺激を受けたのだろうか。
「大魔導士ってかっこいい」
 サテラはよりによってこの道に目覚めてしまった。
 ケーシスは苦笑しながら首を垂れている。
「もう負け戦は、したくねぇってのに……」
 ケーシスにとってはひどい連鎖が起きた。生き長らえたら、本人がやりたいことを尊重してやりたいが、これは茨の道だ。古傷まで抉られてしまう。ケーシスは額に手をつき、深く息を吐いた。
 

 宿に戻り、サキを横にならせた。寝息も規則正しく、どこか悪い様子もない。
「はぁ、色々あって目まぐるしい一日でしたね」
 サキをここまで背負った竜次。髪を解いて上着もカバンも外し、自分のベッドに腰かけた。このまま横になって泥のように寝てしまいたいくらいだ。
 そんな竜次のもとに使い魔たちが駆け寄った。
「お兄ちゃん先生、今日はお疲れ様だったね。ちゃんとお仕事してて、偉いじゃん」
 圭馬へ竜次の膝へちょこんと乗った。いつもそうだが生意気に加え、上から目線の物言いで竜次が口を尖らせる。
「お仕事ねぇ」
 褒められている気はしない。むしろ、この言葉によって、抑えていた劣等感がずっしりと圧しかかって来たようにも思える。
「お仕事どころか、サキ君には驚かされてばかりです。彼はどこまで強くなろうとするのでしょうね」
 ため息交じりに吐かれた小言に、ショコラが反応する。
「悪用されんように見守るのも、立派なお仕事じゃのぉん?」
 ショコラの意見に、圭馬も同意する。
「確かに、悪い人に捕まったら悪用されちゃうよね。いくら優れた大魔導士でも、肉弾戦とか接近戦は相変わらずへなちょこパンチしか繰り出せないし」
「まだまだ若いから騙されんか心配だのぉん」
 肩を落とすショコラ。人間だったら立派な保護者だ。
 竜次には気がかりなことがある。心配で思い出すことがもう一つ。一応忠告をかけておこうかと立ち上がった。だが、その頃合いで扉がノックされた。
「竜次さん、ちょっといい?」
 キッドの声だ。
 竜次が扉を開けると、キッドとコーディが思い詰めた表情で立っていた。二人だけというところを見ると、ミティアは先に休んでいるのだろう。泣き疲れてしまったかもしれない。
 竜次は二人を部屋に招き入れ、スタンドに明かりを灯す。
 向き直る前に、キッドが訴えた。
「竜次さん、ミティアが危ないかも」
「あの、体がじゃなくてね?」
 一応コーディが補足した。
 竜次は深く頷く。だいたい想像の通りだ。なぜなら、竜次もその話をしておこうとは思っていたからだ。
 キッドは涙目になりながら言う。
「ミティアがまた禁忌の魔法をほしがるなんて、思いもしなかった。あの場で言わなかったけど、ミティアの力がすごく強かった。あたしを振りほどこうとしていたわ」
 キッドの言葉に、竜次も頷いた。
「大切な人を失うなんて信じられない。もし助けられるなら、自分はどうなってもいい。あらゆる手段を尽くしたいというその気持ちは、わからなくはありません」
 自身で乗り越えた過去をそのまま口にしている。複雑だった。
「またもう一度、その力に甘えてしまったら、今まで築いて来たものが無駄になってしまいます。その行為自体が禁忌。それを、ミティアさんにもわかってもらわないと。これは私だけではなく、お二人にも目を光らせてもらいたいです」
 絶対に縋ってはいけないもの。もっと早くその力を知っていたら、自分はとっくに溺れていた。だが、誰かの犠牲で助かる命などあってはならない。
 その意味を、コーディも理解していた。
 竜次は立派にも説教をする。
「ドラゴンブラッド、でしたっけ?」
「あ……」
「コーディちゃんはドラグニー神族の末裔かもしれませんが、神族がどうの以前に大切な仲間です。だから、ダメですよ? 命を粗末にされたら、私も悲しい」
「ごめんなさい。もうしない」
 しゅんと俯くコーディ。だが、内心とてもうれしかった。自分が仲間に恵まれていると、あらためて噛みしめる。
 竜次の中で、コーディは大丈夫だろうと確信した。
 キッドは目元を整え、竜次に視線をおくる。
「ちょっと見直しました。ちゃんと仲間も考えてくれて、頼ってくれたし」
「んー、ちょっとか。手厳しい。でも、うれしいかも」
「そうやってデレデレしなければ、もっといいのに」
「むっ、そ、そうですか?」
 竜次はキッドに評価してもらえたと惚気ていた。
 キッドがここまで言うのには理由がある。実際に竜次の立ち回りが安定して来たのは本当に評価したい。ここでだらけなければ完璧なのに、竜次はニヤニヤを抑え込んだ変な笑みを浮かべている。これがどうしても気味が悪い。
 そんな竜次をコーディがじっと見上げている。もちろん呆れ顔で。
「な、何かな? コーディちゃん」
「別に……」
 否定したくはないが、このポンコツも竜次の特徴だ。
 話し終えたところで竜次がまとめる。
「さ、さぁ、休める人は休まないと、ですよ。いろいろあって疲れましたものね。明日も明日で忙しくなりますから」
 厄日の消化は疲れるが、約束された明日だ。いいことは必ずあると。
 つかの間の休息に身を沈めた。
 燻ぶる闇を感じながら、今はただ、明るい未来を信じて。


 自分は本当にこのままでいいのだろうか。
 今回はお医者さんにも囲まれ、サキの魔法で回復も見込めた。
 あのままジェフリーを失ってしまったら、自分はどうやって生きて行けばいいのか。
 一人になることを恐れていた。実現してしまいそうだった。自分だって倒れてしまいそうなのに。たくさん心配をかけているのに。体が動かなくなってしまったら、サテラにケーシスが付きっ切りで面倒を見てくれたように、ジェフリーも一緒にいてくれるのだろうか。
 わからない。

 ひとり。
 孤独……

 もし、一人になってしまったら、どうすればいいのだろう。
 なってしまったら?

「ん?」
 焼きたてパンのいい匂いで闇に落ちそうな心が晴れた。
 ミティアはもぞもぞと起き上がる。すると、目に入ったのは、キッドとコーディだった。二人は、厚切りのトーストにバターとベーコン卵とじが乗ったものを持っていた。
 ミティアは不満に口を尖らせた。
「いい匂い。ずるい!」
 目覚めの挨拶がこんなことになるなんて、この旅が始まって、前代未聞だ。
 ミティアは起き上がって早々、倦怠感より、心配より、食欲。欲望に忠実とは言ったものだが、ここまで来ると見事だ。
 キッドもコーディもぎこちなく挨拶をする。
「お、おはよう、ミティア」
「ま、窓開けておいたのに匂いでわかるなんて」
「もっと寝ててもいいのに。体調は大丈夫?」
 二人とも、変な気遣いをしている。
 ミティアにとって、恐れていた事態が起きた。『休んでいていいよ』と、言いたいのはわかる。だが、共有したいのに、抜け駆けされるといい気はしない。きっと、自分が動けなくなったら、こうやって心を濁らせていくのだろう。
 こんなものは序の口だと考えておこう。ミティアは一人で納得した。
 ミティアの不満そうな顔を見て、キッドは行動を起こす。
「ほ、ほら、ゴメンってば!!」
 キッドは先端にケチャップを絡ませたポテトフライを差し出した。ミティアは蔑むようにキッドを見た。これだけのものを食べておいて、隠せるとでも思っていたのだろうか。疑問に思う。
 ミティアは膨れっ面をしながら、カリカリと口に含んだ。何本かお腹に入れたところで食欲が抑え込まれた。そのせいで、別の不満が浮上する。
「頭痛い。目も痛い。体も重いよ」
「そりゃ、あんなに泣いて叫んでしてたらそうなるわよ」
 キッドがお茶の入ったカップを差し出す。何だかんだ言いながらも、結局ミティアは受け取って口にしている。口にして、やっと大切なことを思い出した。
「そうだ、ジェフリーは気が付いたかな」
 食欲が最優先、体調と来てやっとジェフリーの話になった。もう大丈夫だと知っていたせいもあるが、心配しないわけにもいかない。
 コーディはもっともな推測を言う。
「もしこれ以上、ジェフリーお兄ちゃんが危なくなったら、壱子さんが飛んで来ると思うよ?」
 壱子なら、とんでもない身のこなしでノックもせずに不法侵入するに違いない。
 キッドも悩まし気に腕を組んだ。
「逆に進展なしなんでしょうね」
「わたし、ジェフリーに会いに行きたい」
「気持ちはわかるけど、行っても邪魔にしかならないわよ?」
 あまり広くない家だと知っている。大人数が押し寄せても邪魔だろう。
 好きな人に会いに行きたい気持ちはわかるが、ケーシスやローズの邪魔をするのもどうだろうか。キッドは前向きな提案ができずにもどかしかった。
 再び気分が沈んでしまったミティアに、餌付けをするようにキッドがパンの耳のラスクを差し出す。そしてミティアはカリカリと食べている。

 まだ少し早い時間だ。サキと竜次はまだ寝ているだろう。親友同士が食べ合いっこしている空気を眺めていてもいいのだが、コーディも喉が渇いた。
 自販機で何か調達しよう。コーディは女性部屋から外に出た。
 早い時間のせいか、客室の廊下も静かで落ち着きがあっていい。
 ぱたぱたと小走りに自販機に到着し、何を買おうかと眺めながら上着のポケットの小銭を漁る。すると、うしろから声をかけられた。
「あれ? おはようございます」
 白く紙製の小箱を持ったサキだ。帽子を被っていないが、この時間で一通りの身支度を済ませているのはさすがである。しかも一人だ、使い魔を連れていない。
 コーディは首を傾げながら挨拶をする。
「あ、おはよう。何、それ?」
 サキは少し困った顔で小箱の中身を見せる。
「あまりにお腹が空いてしまって、サンドイッチを買いに売店に行ったら、おばさんにいただいてしまいました。おめでとうございますって……」
 箱の中身はプリンやカップケーキが入っていた。コーディは目を丸くする。
「うわぁ、もう人気者だね」
「さすがに僕一人では悪いので、飲み物でも買ってみんなで食べたいなぁって」
 一人占めしないのがサキらしい。しかも皆の飲み物を買おうとしている。
 これでもう少し大人な柔軟性があれば、絶対にモテるのに、その気配はない。さらに言うと、人懐っこいし特に女性に好かれやすい。知らず知らずのうちに女性を泣かせるタイプだ。コーディは呆れてしまった。
 サキは箱を持ったまま訊ねた。
「コーディちゃん、何、飲みますか?」
「昨日と違ってもう『ちゃん』付けなんだね」
「うん? 何がいいですか?」
 コーディが棘のある発言をする。それは小声だったせいもあり、さらりと流されてしまった。
 サキは財布を取り出し、小銭を摘まみ上げる。
 コーディはあることを指摘した。
「箱持つよ。その状態で人数分買うつもり?」
「あ、そうだ、このままじゃ飲み物が持てないか。ありがとうございます」
 コーディは呆れていた。サキは箱を持って、人数分の飲み物を持つまでは考えていなかったようだ。時々やらかす、こういう簡単な見落としが狙っているとしか思えない。
 サキは何事もなかったように自販機のラインナップを見ていた。
「先生はコーヒーかな、寝起き悪いから」
「あっはは、そうだね。お姉ちゃんたちは紅茶かな?」
 談笑をしながら買い進めていく。ジェフリーやローズのぶんまで買うというのだから、仲間意識が高い。
「さて、次はコーディちゃんのです。どれがいいですか?」
 残るはコーディとサキのぶんだ。コーディはあえて先を譲る。
「先に買いなよ」
「じゃ、僕はブルーベリーとブドウのジュースにしよっと」
「同じのにする」
 以前、メルシィのお店のパンを食べたときもブルーベリーを口にしていた。コーディは、なるほどと小さく頷いた。コーディなりにサキを理解しようとしている。それが彼女の企みである。
 種族の壁こそあるが、コーディはいつかサキを振り向かせてみようかと思っていた。絶対に興味がないだろうと思っている。
 そんなコーディの企みは知らず、サキは同じ飲み物を買ってにこにこと笑っている。
 同い年なのに、未だに呼び捨てでない時点で相当な立ち位置だ。
 いつかこのすごい大魔導士に、一泡吹かせてやりたい。

 もちろんそれは、いい意味で。 
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