トレジャーキッズ ~委ねしもの~

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2‐4】天秤(2)

新しい気持ち

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 魔法都市フィラノス。この街に土地勘がある者は、ギルドのハンターかこの街に住んでいる者くらい。住んでいたとしても、全部を網羅するのは何年も暮らしていなければ難しい。
 この街を知っている程度なら、ジェフリーもそうだ。街中では手早く用事を済ませてしまった。
 ジェフリーはこれからどうすると自身に問いかけ、ここへ来た。大きな空と海原。時間外なので入船もないし人もいない。あるのは積み荷の残り、鉄のコンテナと山積みの木箱。
 長い石造りの船着き場にはカモメが鳴いている。人もいないし、これからを考えるならここで十分だ。
 適当な石段に座り込んで左手で顔を覆った。
 他者を傷つけることを言ってしまった後悔と、逃げてしまった後悔が重なる。
 
 情けない。情けなくて涙も出ない。
 また、ミティアにつらく当たってしまった。好きな人をまた傷つけてしまった。もう、謝っても遅いかもしれない。ミティアに秘密を作られてしまうことが、どうしても許せなかった。ミティアが許せないのではない。自分が許せないのだ。
 頼ってもらえないことが虚しい。きっと自分が未熟であるせいだ。それなのに人に当たってしまう。手に職があるわけでもない。貯蓄があるわけでもない。帰る家もない。
 気持ちのままに告白をして、将来は無計画。信用されなくても仕方がない。普通の生活をして、普通の恋愛をしていたらこの点は誰でも躓くだろう。
 特別、顔がいいわけでもない。性格がいいかと問われても、自分に不利か有利で考えて行動をしている。せめて拗ねずに正面から向き合えれば、違うかもしれない。素直になれない自分に苛立つ。
 一つ躓くとすべてが嫌になってしまう。自分は子どもだ。

 ジェフリーは落ち込んでため息を漏らす。今から修復は可能だろうか。素直に謝ることはできるだろうか。
 そんなことを考えていると、石段に影が落ちた。
「邪魔だよ、お退き」
 歯切れのいい声だ。聞き覚えのある声に反応し、ジェフリーは顔を上げる。
 帽子を被っていないが、栗毛の長い髪をポニーテールにしているアイラだ。立派な釣り竿とバケツを持っている。
 ここにアイラがいるとは想像していなかった。ジェフリーは仰け反って倒れそうになった。
「はぁっ!?」
「何、シケた面してんだい。黙ってりゃあイケメンが、台無しだねぇ」
 アイラは本気も本気で、平和に釣りをしようとしている。
「おばさん、こんなところで何をしているんだ?!」
「今日のおかずを獲りに来たんだよ。本当に邪魔だから海に突き落とすよ!?」
 アイラに急かされ、ジェフリーは立ち上がって場所を譲った。彼女は座ってすぐにバケツに海水を汲み、あぐらをかいて座った。下げたカバンからウサギが二匹……圭白と恵子だ。もう仲良くやっているらしい。
「それで、何が釣れるんだっけね?」
「アジとかセイゴ……スズキなんか大当たりだと思いますですぅ」
「デカそうだねぇ。バケツに入らなかったら、それはそれで面白いじゃないかい」
 陽気でアイラらしい会話だ。恵子と契約したら料理や掃除に関するアドバイスが長けていると聞いた。家庭的になるとと話していた気もする。
 もう楽しそうに馴染んでいた。
 気まずくなったジェフリーは思い耽る場所を別にしようと一歩引いた。
「って、お待ちよ」
 アイラは釣り竿を足で引っかけながら、今度はキセルを石淵にコンコンと叩く。
「ここ座んなさい」
 アイラの隣だ。さらにまずいことに、圭白が読心術を試みている。
 ジェフリーはせっかくの誘いを断った。
「悪いけど、そんな気分じゃないんだ」
「そうやって、また逃げるのかい?」
 アイラは逃げるのかと指摘をした。ジェフリーは引こうとした足が止まった。止まったが、それ以上の動きができない。悔しくて何も言い返せない。
 穏やかな波の音、強めの潮風、カモメの賑やかな鳴き声。騒がしいはずなのに、すべてが遠くに聞こえる。考えるのもよくわからない。
 ジェフリーは風の強さにアイラから目を背けた。視界には振り返らないアイラ。
 この頃合いでジェフリーはうしろから肩を掴まれた。振り返ると、そこには怒りの形相で拳を振り上げるサキが飛びかかっていた。
「グラビティパンチッ!!」
「なっ、おまっ……」
 ジェフリーは咄嗟の受け身を取るが、無いに等しいものだった。鼻っ面に一発、見事な圧力パンチが入り、ジェフリーはアイラの方に吹っ飛んだ。
 だが、面白かったのは、アイラはこれを避けず、ジェフリーを蹴り返して石橋に蹲らせた。打ち合わせもしていないのに、師弟による華麗なコンビネーションアタックが確立した。
 サキはジェフリーの向こうに人がいると気が付かなかったようだ。釣り竿を持ったアイラの存在に驚愕した。
「お、お師匠様……?」
「パンチはもっと脇を締めなさい。そんなんじゃ、骨もへし折れないよ?」
「うっ、は、はい……」
 ここにジェフリーがいるのは、物探しの魔法で探っていたため掴めていた。だがアイラがいるのは想定していなかった。
「ったく、釣りどころじゃないねぇ」
 サキとアイラがジェフリーを挟み撃ちにするような形になった。
「何だよ、これ……」
「あぁ、海に落ちた方が良かったかい? 水浴びは、頭を冷やせていいからねぇ」
 悪びれる様子もないアイラ。
 むしろ彼女は、ご機嫌な新生活を邪魔された側だ。
 ジェフリーにとって怖いのは、アイラよりもサキだった。大切な試験を控えているのに、彼が出て来ると申し訳ないだけでは済まない。
 鼻を押さえながらようやく立ち上がると、サキがじっと睨んでいた。
「どうしてサキが……」
 風が吹いても、サキの帽子は内側に櫛がついている。多少の風では飛んだりしないが、リボンが風に流れた。
 やけに当たりの強い潮風だ。当たりが強いのは潮風だけではない。
「僕は大魔導士候補の優秀な魔導士です。人を探すのだって朝飯前ですよ!」
「そうだったな……」
 やっとの思いでジェフリーが顔を上げた。
 サキが怒りの表情のまま、涙目で訴える。
「試験より、友だちの方が大切です。みんなに内緒で抜け出して来ました。今からでも遅くはないです。ちゃんと誤解を解いて、仲直りしてください!!」
 いい感じに決まった言葉。友情の鉄槌を繰り出した。そこまではよかった。だが、サキの頭をアイラがキセルで小突いた。
 ガンッ!! 
「ったた……お師匠様……」
 サキの目の前には、アイラが鬼のような形相で立っている。ポニーテールで釣竿を持っているのでいつにも増して迫力がある。アイラはジェフリーにも目をやった。
「あんたたち、子どものくせにいい加減におし」
「で、でも、僕はジェフリーさんが……」
 アイラは両成敗した。そのアイラの肩では、圭白が耳打ちをしている。もう、読心術で告げ口をされてしまったようだ。
「サキ、もうすぐ試験の時間じゃないのかい? このお馬鹿……」
「うっ、だ、だって……」
「みんなにいい知らせを聞かせたいんじゃないのかい? ここは任せなさい」
 アイラは強引にサキを追い払おうとする。アイラに圭白がいる以上、こちらの事情は筒抜けだ。
「渡すものさっさと渡して、お行き!」
「あっ……」
 これも圭白の読心術からの伝えだ。サキはポケットから髪留めを取り出し、ジェフリーに差し出した。
「好きな人の物、手放すなんてダメですよ……」
 ジェフリーは受け取って握り締める。悲痛な表情を浮かべていた。
 失ってはいけない大切なもの。ミティアの思っていることすべてを聞き出さなくてはならない。どこか心の底から笑ってくれない、儚い笑みの理由を聞き出し、きちんと理解して寄り添わなくてはならない。
 ジェフリーはこのままではいけないと、かぶりを振ってサキと目を合わせる。
「ありがとう……」
「おいしい晩御飯が食べられるように、僕、頑張ります。だから、ジェフリーさんも自分が本当にやらないといけないことに向き合って、大人になってください!!」
 はにかみ笑いをしながらサキは一礼した。
「パンチ、ごめんなさい……えへへ」
「いや、サンキュ。頑張って来いよ?」
 お互い笑顔で別れた。いい見送りだったのかはわからないが、怒ったままで挑ませるよりはよかったのかもしれない。
 サキと別れ、ジェフリーはがっくりと肩を落とす。
「俺は、あいつに助けられてばっかりだなぁ……」
 思えばいつも問題を起こすのは自分。周りに助けられて道を誤らずにいる。
 アイラはジェフリーの頭をぽんぽんと叩く。
「ジェフリーがいつまでも子どもだからだろうに。たまにはウチの子を助けてやっておくれよ……無茶ばっかりで、もう心配で心配で仕方ないってのに」
 ジェフリーはアイラの言い方が大袈裟だと思った。そろそろジェフリーも、大人としての意識を考えないといけない。ただ、今はこうして注意をしてくれる大人がどんなにありがたいか。身に染みていた。
 自分は親の愛情をほとんど知らない。こうして面倒を見てくれる大人の存在はジェフリーにとって貴重だ。
 アイラはジェフリーの顔を覗き込んで言う。
「ちゃんとケーシスさんに謝れるなら、その薬草採り……手伝ってあげるよ?」
「……おばさん!」
 ジェフリーはアイラからの暖かい言葉に涙腺が緩みそうになった。細かい説明をしなくても、圭白のお陰で話の展開が早く、こちらも助かる。ジェフリーは薬草採りよりも強い願いが芽生えた。 
「おばさんにもう一つお願いがあるんだ。もし嫌なら断ってくれてかまわない」
 アイラは圭白をカバンに移動させた。アイラはジェフリーが自分の口から何か言いたいのだろうと、表情から汲み取った。
「何さ? 言ってごらん。息子の友だちなんだから」
 釣り竿の先にバケツを引っかけ、アイラは仁王立ちする。いつものおしゃれな帽子で双剣を振るう彼女より、釣り竿を持ったポニーテールの今のアイラの方が迫力も威厳もある。
 ジェフリーは首を垂れながら表情を渋めた。
「俺を、本気で叱ってほしい」
「はーぁっ!?」
 金でも絡むようなすごい話でもされるのかと思ったら、自分を叱ってくれだった。これには、アイラも反応に困った。
 ガヤガヤと街の方から人が見える。夜行便の支度が始まろうというのだ。
 二人は反射的に積まれた木箱に隠れた。そうしても釣り竿が目立って仕方ない。
「よくわからないことを言うね、あんた。日常的に、サキや竜ちゃんに怒られてるんじゃないのかい?」
「そうじゃないんだ……」
 ジェフリーが求めているのは、そんな優しいものではない。
 アイラはじれったさを感じたのか、舌打ちをした。ため息をついて空を仰ぐ。
 ジェフリーは疑問を口にした。
「ってか、何で隠れてるんだ?」
「釣り禁止だからだよ。時間を狙って来ただけさ」
「手ぶらで帰らせるなんて、悪かったな」
 隠れながら、ジェフリーは頭を下げる。アイラはため息交じりにカバンから緑色の魔石を取り出した。その掴んだ拳でジェフリーの頭をノックするように軽く叩いた。
「よくわかんない子だねぇ。ほぉら、どこに行きたいんだい?」
「森……なんだけど、名前を知らないんだ」
「それじゃあ行けないじゃないかい。近くの街とか村とか建造物は?」
 森の近くの村は壊滅してしまった。田舎街の名前を出したところで知っているだろうか。アイラが使おうとしている魔法は、行ったことがある場所へ瞬間移動する魔法だ。ジェフリーは記憶の中から掘り起こした。
「水の街マーチンが近い。でも、おばさんは知らないだろ。あんな田舎街……」
 一応尋ねてみた。だが、アイラは見くびっては困ると鼻で笑う。
「あぁ、剣術学校がある街でしょ?」
「知ってるのか?」
 アイラはぶつぶつと詠唱をはじめる。彼女は釣り竿を持ったまま精神を集中させ、左手に魔石を構えた。
「あるさ。死に損なって、意識混濁のままの医者を運んだからね」
「……なっ!?」
 アイラは魔石を弾いた。

 視界がぼやける。
 そうだ。アイラはもとから兄弟を知っていた。叔母夫婦の孤児院を手伝っていたとは聞いていた。だが、兄弟を知っていたとしても、幼い頃のはず。
 おかしいとは思った。
 また一つ、散らばっていた小さいものがここでつながった。こんな縁があったとは知らなかった。この出会いはやっぱり偶然で済むものではなかった。
 言うなれば、これは『運命』だったのかもしれない。
 ジェフリーの中で嫌な思いが燻ぶっていた。
 すべてが運命だと受け入れてしまえば楽かもしれない。
 もしそれで済んでしまうのならば、今まで味わって来たものは誰かに決められていたことなのかと……。
 自分は誰かに弄ばれているのだろうか。
 ジェフリーは瞬間移動の反動で、まどろみにのまれていた。


 もうすぐ試験の時間だ。
 サキは駆け足で魔法学校への最後の曲がり角を目にした。やじうまや情報屋がたくさん待ち構えている。これでは通れないし、時間に間に合わない。
「期待してくれる気持ちはうれしいんですけどね……」
 サキは右手と左手、それぞれで違う魔法を詠唱する。詠唱は早口、これくらいは彼の中では当たり前だ。左手は指を弾く程度。
「よっと……」
 まずは陽気に紛れさせ、強めのつむじ風を起こした。集まっていた人たちに混乱を起こす。
 サキは右手を開いて駆けていた足に一瞬の瞬足を与えた。
 集まっていた人たちを抜ける、見事なインビシブルウォークだ。これからもっと多くの魔法を放つ。だが、まずは筆記試験中に回復するだろうと踏んだ。
 サキは期待を寄せる人たちに申し訳なく思いながら、魔法学校の中へ入った。
「行って、きます……」
 晴れた空に向かって、しばしの別れを告げる。眠気など、どこかへ行ってしまった。


 そわそわと落ち着きがないキッド。石畳を踏みながら、時計を探しては目を伏せると繰り返している。
「筆記、始まってる時間だね」
 落ち着きがないのはキッドだけではなく、コーディも時間を気にしていた。
 もちろん竜次も該当する。
 もっとギリギリまで付き添ってあげたかったが、不始末のせいで話がこじれてしまった。あとでもう一度謝っておかないと。
 すずらん通りに人が少ないのが気もなった。だが、今は何よりサキが気がかりで仕方がない。
 竜次とキッドは特にそわそわとして落ち着きがない。
「サキ君、きっと大丈夫です。あの子はしっかりしていますからね」
「ま、まぁ、あの子なら大丈夫よね。うん……うん……」
 コーディの目には新鮮に映って見えた。
 三人は、本来ジェフリーと来るはずだった、キャラメルシィに足を運ぶ。
 事情を話しておかないといけない。拾った金属の鑑定と、錬金の日程を組むというものだ。金属はジェフリーが全部持っているため、謝りに来た、これが正しい。
 木箱の積まれたお店に入店すると、筋肉質でガタイのいい男性が出迎えた。
「へい、らっしゃい!!」
「いらしゃいませー」
 脇からメルシィが顔を出した。どうもこの男性は店の主人のようだ。
「あっ、勇者様ご一行!!」
 こう明るくては話がしにくいが、きちんと話さなくてはいけない。不在のジェフリーの代わりに、竜次が話をつけようとする。これにはメルシィが対応した。
「あの、その、大変申し上げにくいのですが」
「金属の中にオリハルコンありましたよ」
「……へっ?」
 申し訳ありません、と頭を下げる覚悟をしていた竜次が変な声を上げる。
 メルシィはキョトンとしていた。
「えっ、違うんですか? それじゃないなら、ウチとお付き合いでもしてくださるんですか!?」
「あぁっ!? ウチの娘とだとぉ!?」
 先ほど、いい印象を抱いたのとは違い、父親にギャップがありすぎて圧倒される。
 どちらかというと線の細い竜次は、へし折られてしまいそうだ。
「あの、その、この状況がよくわからないのですが……」
 困惑する竜次にコーディが指摘を入れる。
「お兄ちゃん先生の役立たず……」
 キレのある毒舌だ。代わってコーディが前に出た。
「間違ってたらごめんなんだけど、短い金髪のお兄ちゃんって来た?」
 コーディがメルシィに質問をした。メルシィは大きく頷いた。
「朝早くだったからびっくりしたけど、ウチがお店の前を掃除してるときに来ましたよ。金属の鑑定をお願いしたいって」
 メルシィの話に三人は顔を見合わせる。
 キッドが文句を言った。
「あいつ、ここに来て、大切なもの置いて、どこに行ったのよ……」
 コーディも竜次も、その件についてはここでは触れないでおいた。
 ジェフリーが意地を張っているだけだ。先に来ていたのは意外だったが、彼なりに最低限の用事は済ませたつもりなのだろう。そのあと、どこへ行くなどの手がかりはない。
「メルが世話になったんだ、何を作りたいのか知らないが協力させてもらおうじゃないか。金属加工なら、ドーンと任せな!!」
 店の主人は快く親指を立て、フレッシュな笑顔を見せる。ニカリと笑った歯に金属が見えた。もしかしたら、この店の壁に飾られている剣や盾の他に、歯も加工しているのかもしれない。
 竜次は悩ましげに唸る。
「自分たちだけでは判断が出来ないので、明日、また出直してもいいですか?」
「おぉ、かまわんさ。今日は早く店を閉めるつもりだからちょうどいい」
 早く店を閉めるつもりだと聞いて、三人は揃って首を傾げた。
 その理由をメルシィが言う。
「やー、先輩のお祝いしたいですからね。先輩が不合格になる理由がないでしょうし?」
 理由はこれだった。このまま店をあとにする流れになった。
 いったん店を出ようとしたが、キッドが足を止めて質問をする。
「あ、あの……このお店って金属の加工、してもらえるんですよね?」
 キッドは壁に飾ってある武器や盾などの加工金属に目を移す。
「その金属とは別に、作ってほしいものがあるの。武器を作ってほしいんですが、いくらくらいかかりますか?」
 キッドは財布を摘まんで取り出し、両手で持って握り直した。
 そのキッドを逃さぬまいと、竜次が肩に手を置く。
「そ、その話、私にも乗らせてくださいっ!!」
「もしかして、竜次さんも同じことを考えています?」
「きっと考えていることは同じですよ」
 キッドと竜次だけで和やかな空気になってしまった。だが、ここで乗り遅れるわけにはいかない。コーディは二人のやり取りにようやく何の話なのか察した。
「ねぇ、待って、私もその話に混ぜて!」
 コーディはトランクから財布を引っ張り出し、話に加わった。

 まどろみ感覚から抜け出した先に見えたのは、水の街マーチンだった。ジェフリーにとって、懐かしい景色だった。ここは近くの火山のせいか、日当たりは限られる。ずっと肌寒く感じた。
 街中を流れる小川が綺麗になっている。
 一度は壊滅したと聞いたが、そこまでとは思えない。人が溢れ、診療所はビニールのシートや継ぎ接ぎだらけだが営業していた。感慨深い。
 沙蘭の王としての責任を放棄した竜次と、その弟のジェフリー。この街での生活は歓迎されていなかった。学校に通っていたジェフリーはともかく、竜次は街に馴染むこともなく、社会の歯車として働くしかなかった。
 ジェフリーはこの街で働いていたわけではない。学校での思い出は多かったが、街での生活に思い入れはなかった。
 街を見渡すジェフリーをアイラは気遣った。
「少しくらい、街を見て行くかい?」
「いや、捨てた日常だから」
 ジェフリーは首を振った。生きている中で一番過ごしていた年が長い街だ。それは間違いない。だが、その日常は捨てたものだ。だから『現在』がある。
 アイラは街を見て、設備の少なさを気にしていた。比較対象がフィラノスなら、田舎町と比べても知れている。
「相変わらず、味気のない街だね」
「おばさんがこの街を知っていたなんて……」
「まぁ、フィラノスでやっていくには、軽い仕事もしてたから。その話はたまたまだったんだがねぇ」
「兄貴を助けてくれたこと、今さらだけど感謝する」
「あんなに金のいい話だったのに、誰も請けなかった。竜ちゃんは相当嫌われていたんだね。やれやれ……」
 歩きながら例の話をした。アイラは本当に報酬の額だけで引き受けたのだろうか。ジェフリーは疑問に思ったが、これは過ぎた話。今さら掘り下げる話でもないだろうと思っていた。
 街の外に出ようと街外れへ歩いた。剣術学校の前でジェフリーが足を止める。見覚えのある人が生徒を先導し、学校の修復をしていた。
「……そっか」
 ジェフリーの視線の先にいるのは、青いぼさぼさの髪を束ね、茶色いコートに身を包んだ人だ。
 アイラはジェフリーの視線を追い、気になっていた。
「ん? 知り合いかい?」
「世話になった強い先生だ。でも、今はいいかな……」
 この街で知っている人を見つけられるとは思いもしなかった。ジェフリーは一時的な懐かしみに浸ってしまうと、戻れなくなる気がして怖かった。
 街を出る頃には、緊張感を持ったジェフリーに戻っていた。
 道中、不自然に張られた柵や、罠、鈴の下がった紐が見受けられた。人間が回避するのは容易いだろうが、野生動物のものだと思わしき足跡が散っている。
 アイラは悩ましげに言う。
「ここも被害が出たんだろうねぇ」
 離れの畑は食い荒らされ、放置されていた。圭白が荒れた道を見てぽつりと呟いた。思うところがあるようだ。
「狂暴化したトリガーはあると思いますが、もとは野生動物。人間とうまく住み分けができていたはずです。それが、今やこんなことになってしまうとは、困りますね」
 思うところがあるのは圭白だけではない。恵子も気になるようだ。
「人の手による自然の破壊は、とうの昔に歯止めをかけたと聞いておりますよぉ。だからそれが原因ではないはずですぅ」
「恵子はそういう事情も詳しいのですか?」
「わわっ、わたくしはお兄様たちと違って魔法が使えるわけではないですから、知識だけでもと思いまして、ですよぉ!? 雑学、お役立ち情報はお任せください、ですぅ」
 圭白と恵子の会話に少しほっこりとした。張り詰めっぱなしはよくない。
 ものの十分そこら歩いて大きな森に辿り着いた。恵子が再び声を上げた。
「このご時世にこんなに立派な森があるなんて、驚きですよぉ!!」
 この森にも名前があるのかもしれないが、ジェフリーもアイラも知らない。地図には森の表記ぐらいはされるだろうが、あえて入ろうと思うだろうか。
 森の入り口付近で不自然に倒された木々が見えた。木々の他に、地面にも大きな力が加わった痕跡がある。
 ジェフリーはため息をついた。その様子に圭白が指摘を入れる。
「ずいぶんと心が乱されておりますね」
 ジェフリーは黙ったまま俯いた。アイラも心配する。
「ジェフリー、顔色が悪くないかい?」
 ジェフリーの心が乱れるのは、この森に旅の始まりがあったからだ。
「俺はここでミティアに出会った。あのクディフって剣士に預けられた場所なんだ」
 回帰する気持ち、忘れていた大切なものが思い出される。自分が何をして来たのか思い出すと、本当に今が情けない。
 感傷にも浸る。
「俺は剣術や戦術に関しては成長したかもしれない。でも、心は成長していないんじゃないかと思う」
「あんたも竜ちゃんと一緒だね。少しは学びな?」
 アイラはジェフリーの独り言を拾う。自分で学び、心がけろとの導きだ。
 わかっていても今からどうしたらいいのかわからない。ここで立ち止まっていても何も収穫は得られない。
 ジェフリーは歩き出し、奥まった道を進んだ。あれから何日も経過したが、体は覚えているものだ。道を進むと、森ならではの小動物が飛び出してくることはあった。具体的には、タヌキやキツネ、オオカミもいたがそこまで敵意があるようではなかった。大自然の加護があるのだから、わざわざ人を襲う理由がないのかもしれない。
 恵子が大自然の驚異に感激している。
「わわっ、あれは天然の毒消し草ではありませんかぁ!! なかなか大きく育たないから、激レアでございますぅ!!」
 恵子はさらにはしゃぎ出した。
「あっちは天然のアロエですぅ!! 別名イシャイラズとも呼ばれていますが、根拠はありませんですぅ。こんなになるまで育つなんてすごいですぅ!!」
「へぇ、よくわからないけど、この森、すごいのね」
 森の中で釣り竿を持った不釣り合いな外見だが、アイラは深い関心を示す。
 さらに奥に進む。ジェフリーは心当たりの場所を探した。もうかなりの奥地だ。
「わああああああっ!!」
 恵子が一段と大きな声を上げる。カバンから飛び出し、とある木の前でぴょんぴょんと何度も跳ねた。場所を示しているようだ。
「たたたたた大変でございますぅ!! 本物が見られるなんて感激っ!!」
「あっ……」
 ジェフリーは木の根元に生えている草を摘まみ上げた。
「よく採って帰ったやつ……」
「これはアムリタと言う仙草ですよぉ!! 万病に効く本当のイシャイラズですぅ!!」
「せんそう……?」
 典型的なおとぼけのように、ジェフリーが首を傾げる。アイラも覗き込んだ。
「あたしにゃあ、区別がつかないよ」
 アイラにはどれも同じに見えるようだ。特別な興味がない限りは、どれも一緒に見えてしまう典型的な例だ。
 恵子はジェフリーに向けて説明を施す。
「薬草と似ていますが、よーく見ると、茎にチクチクした細かい棘が生えていませんかぁ?」
「うーん、言われてみればそうだな。そこまで注視していなかったし、いつも面倒で適当だったからなぁ」
 外見は薬草と変わらないらしい。ジェフリーは悩まし気に足元の薬草も眺める。
「ん……?」
 薬草と変わらないとなら、普通の薬草も採っていた可能性がある。たまたま仙草が紛れていただけ。だとすると、これは本当に偶然だ。
 ジェフリーはしゃがみ込み、別の薬草を指さした。
「森の浅いところではほとんど採り尽くされていたから、よく奥まで来たんだが、ちなみに、こっちが普通の薬草か?」
 仙草が採れた付近の、同じような外見の草を摘まんで恵子に見せた。
 恵子は耳を下げ、しょんぼりとしている。
「んー……葉先が病気にかかっているので、毒草になっている薬草かもしれませんですねぇ」
 病気と言われてもジェフリーにはわからない。食用キノコを見分けるよりも難しいかもしれない。
 圭白が野草に詳しくないが推測を口にした。
「お近くに大きな火山があるせいでしょうけれど、この辺りは日照時間が短いのではないですか?」
 恵子いわく、だいたいあっているらしい。ジェフリーもこの環境には疑問に思った。
「前はそんな風に思わなかったけど、そうなのか……」
 アイラは薬草に興味を示さないが、辺りを気にしている。
「噴火が頻繁にでもなったのかねぇ」
 何か襲って来ないか心配になったが、蝙蝠や大きな鳥がいた。だが、これだけ騒がしい上に、釣り竿など大きな物を持っていると襲って来なかった。
 しばらくジェフリーは仙草を探していた。作業は難航した。どれも似たような見た目。四葉のクローバーを探すのはこんな気持ちなのかもしれない。
「結局これだけか……」
 アイラが警戒してくれていたお陰で、何となくの採取はできた。恵子に助けを借りながら採れたのはたったの三枚だ。しかも一枚は小さめ。
 ジェフリーはアイラが腕を組みながらそわそわとしているのを確認した。
「まさかもっと奥に行くなんて言わないだろうね?」
 アイラはカバンから懐中時計を引っ張り出し、時間を確認した。
 ジェフリー本人は気が付いていなかった。実際はかなりの時間を探索と採取にかけてしまっていた。
「そ、そんなに長居していたか……」
 夢中になっていると時間を忘れるとは言ったものだが、まさか本当にこうなるとは思わなかった。
 上を向けば、茂った木々の合間からもうすぐ西日になろうと、影が長くなっていた。
 アイラは背を向けて踏み荒らしてしまった地面を眺める。滞在時間が長かったことがうかがえる。
「成果がなかったわけじゃないんだろう?」
 ジェフリーは申し訳なく思いながら時間を気にしていた。
「あ、あいつの試験までは!?」
「まだ一時間くらいあるよ」
 サキの実技試験を見に行くまでには、まだ時間があると安心した。急げば間に合いそうだ。
「きゃああっ!!」
 突然恵子の悲鳴が聞こえ、アイラは振り返った。目の前を斑模様の黄色い蛇が横切る。
 蛇はウサギなどの小動物を好む。特に恵子は小さい。標的になり得る意識を忘れていた。
 アイラが釣り竿を持ち直す頃、ジェフリーは恵子を庇いに入っていた。蛇はジェフリーの左の手の平に噛みつき、うねうねと動いている。血を吸うヒルのようだ。
 恵子はジェフリーの右手に抱えられている。仙草が握られており、本当に身を投げて守った
「ジェフリーさま、ありがとうございますぅ……」
「いや、付き合わせた俺が悪い。怪我はないか?」
「は、はい!!」
 恵子の無事を確認した。アイラは、ジェフリーの手から蛇が離れないのが気になっていた。
「じっとしてなさい」
 ジェフリーは立ち上がって、アイラに左手を差し出した。アイラは蛇の顎を掴み、口を開かせて外した。
 蛇には鋭い牙が生えている。立派な大人だ。牙の先からは透明な液体が見えた。
 蛇を見て、圭白がカバンから落ちそうになるほど身を乗り出した。
「アイシャ様、まずいですっ!!」
 アイラには、圭白の言葉がすぐには理解できなかった。カバンを見る頃にはジェフリーが膝を着いていた。
「うっ……あ、ぁ……」
「ジェフリー、しっかりしなさい!!」
 蛇の牙の透明な液体は毒だ。アイラは蛇を投げ、逃げたことを確認して恵子をカバンに入れた。入れ違いで緑の魔石を取り出す。
 ジェフリーの体は寒さを訴えるように震えていた。視界は歪み、体は鉛のように重たい。そして強烈な眠気が襲った。
「お、ばさん……これだけは、絶対に……」
「何、言ってんだいっ!!」
 ジェフリーはアイラにしがみつき、仙草を渡す。アイラが肩を貸す頃、ジェフリーの意識は落ちていた。
「ちょっと、ジェフリー!! 目を覚ましなさい!!」
 アイラの呼びかけに応答しない。ジェフリーは全身が脱力し、額に汗をかいている。その割に体は震えていた。気を失っているようだ。
 アイラは困惑し、恵子に助けを求めた。
「毒って、さっきの毒消し草……」
「あんなもので治せるのは、食あたりや二日酔いですぅっ!!」
 恵子はパタパタと耳を上下させ、毒消し草の定義を述べる。
 アイラはひどく混乱し取り乱す。ぐったりとしているジェフリーの指先が冷たい。
「誰に……誰に助けてもらえば……」
 困惑するアイラに恵子が急かせる。
「お医者様ですよぉ!!」
「医者って……」
 何人か心当たりがある。だが、技量からして竜次に頼るのは心許ない。
 ジェフリーはケーシスに謝りたいと言っていた。圭白から耳打ちされて把握はしている。だとすれば、彼に頼るのが一番いい。
「スラムは行ったことがないんだ。直行は難しいから、孤児院跡から走るしかない」
 アイラは体勢を整え、詠唱をする。
 圭白は悔しさを滲ませる。魔人としての視点で言う。
「死んで英雄になるにはまだ早いです。どれだけの人が悲しみ、泣くでしょう……」
 自分にはその力がない。妹の恵子を助けてもらったのに何もできない。
 申し訳なさそうに耳を下げている恵子。ひどく落ち込んでいた。


 フィラノスのスラム街、アパートの一室でケーシスは機材を広げていた。
 狭い台所では足りず、玄関にまで広げてしまった。もう足の踏み場もない。
「しかし、現役の博士はやることもそうだが、機材までいいものが揃って驚くな」
 自分の家だと言うのに、部屋の隅でサテラを前に小さく作業をしているケーシス。
 壱子にお使いを頼んだものの、ローズが持って来た機材や薬剤の方が良質で調合に向いている。
 壱子はベッド脇に腰かけ、出番がないので暇そうにしている。
 部屋の隅で真剣なケーシスをただ見ているサテラ、そのサテラを支えるミティア。
 ミティアはローズとケーシスがしている作業をこう例えた。
「なんか、お祭りみたいですね」
 あまりにも不意を突かれ、ケーシスは鼻で笑った。
「ま、ある意味、祭りで間違いねぇな……」
 無精ひげを撫でながら何枚もの紙を広げては試薬を混ぜている。ケーシスは手際が悪そうだ。慣れていないというのが正しいのかもしれない。
 ローズは手慣れた様子で作業を進めている。
「ほーい、ケーシス、とりあえず三本できましたヨ」
「仕事はえーなぁ……さすがに薬学は強いな。変わってなくて安心した」
「臨床実験をしている暇がないのが困りますネ」
「誰にするんだよ。心配しなくてもお前の作る薬は信頼してる」
 試験管立てを持ったローズが、顔を真っ赤にしている。三本の試験管に透明な液体が入って栓がされていた。こんな感じでケーシスとローズは恋仲になったのだろう。
 兄弟に見られたら誤解を招きそうだ。
「研究所だったらパパっと遺伝子の配列とかも見れんのによぉ。クソ地味な作業でイライラするな」
 ケーシスはまた試薬を混ぜ、試験管を振った。それからベルトのくたびれた腕時計を取り出す。時間を見て、声をひっくり返した。
「あぁっ!? お前ら、試験を見に行かねぇのか?」
「んンっ!?」
 ケーシスの言葉に、ローズも胸ポケットから金属の腕時計を取り出して仰天した。
「もうこんな時間!? ミティアちゃん!!」
「わわっ、大変……でもどうしよう」
 ミティアは慌てて立ち上がる。だが、このままだと試薬や機材を踏み倒しそうだ。
 ケーシスは軽く注意をした。
「姉ちゃん気を付けろよ、一撃でコロッと逝ける薬だって世の中にはあるんだからな」
「す、すみません。あと何分ですか?」
「十五分、ま、ここからなら走れば間に合うだろうな。行ってやんな」
「は、はいっ!! で、でも、結局ジェフリーは戻って来なかった……」
 こんなときでも誰かの心配をしている。実にミティアらしいが、あまり悠長にはなっていられない。玄関は機材を広げてしまったので、ここから出るのは難しい。
 ある意味、ここは惨状だ。ミティアはスカートを上げ、機材に引っ掛けないように心がけた。その太ももがちらりと見えるのが、何とも目のやり場に困る。
 ケーシスは意識をして見ないようにしながら言う。
「壱子、手ぇ貸してやれ」
「承知しました」
 ケーシスの声に俊敏な反応をする壱子。窓を開け、ミティアの手を取ると、そのまま腕で担いだ。
「ひゃっ!?」
 そのままベッドを跨いで飛び抜けた。まるで映画のワンシーンのようだ。
「わわわっ……」
 壱子は華麗な着地をした。どんな身のこなしなのだろうか。ミティアを置いてすぐ、壱子は窓から侵入し、今度はローズを担いで舞い降りた。
 ローズは情けない声を上げる。
「ぶわわわわ……」
 綺麗な仕事ぶりだ。人間離れをしているので、夢のようだ。
 壱子は営業スマイルのような無難な笑みを浮かべ、二人を送り出した。
「はい、行ってらっしゃいませ。このまままっすぐ行くとスラムを抜けて大通りに出られます。あとはわかりますよね?」
 ミティアとローズは頷いて会釈する。案内があった方へ走って行った。
 うしろ姿が見えなくなり、壱子は窓から部屋に戻る。
 スラムの空気が部屋に入り込み、カーテンを揺らす。ケーシスは軽く咳き込んだ。
 壱子は窓を閉めながらケーシスに言う。
「本当はケーシス様も見に行きたいのではございませんか?」
 ケーシスはこれにすぐ答えなかった。
 無精髭の生えた顎を撫でながら、天井を仰いでいる。
「気にはなる。そりゃ、親友とライバルの忘れ形見だ」
 思うところはある。だが、サキ本人には告げず、黙ったままだ。このまま胸の中にしまっておく方がいい。
 手が止まってしまった。今はそんな場合ではない。ケーシスはローズから受け取った試験管を持ち、栓を外した。手元の試薬と混ぜ、振っている。状態を見ながら、今度はパウチされた注射器を取り出した。
 その様子を見ながらサテラは言う。
「大魔導士……いいなぁ。自分で得た地位ならうれしいだろうなぁ。自分も一から魔法を習ってみたいです」
 サテラからの純粋な言葉だ。ケーシスはうっすらと笑う。
「金も世話もかかる息子だ。でも、そうしてやりたいな」
 聞いたサテラもつられてうっすらと笑う。この笑顔が絶えないでもらいたい。
 同じ過ちを繰り返さないために、道を外れずに、禁忌の魔法にも惑わされずに自分の手でサテラを救いたい。
 話が急に現実を帯びた。壱子が目を輝かせる。
「ケーシス様、お金でしたらいつでもご相談くださいませ」
「作家でも学者でもギルドハンターでもいくらでも……もう汚れた世界で生きるのは狭い。足を洗うつもりだ」
「奥様、喜びますよ」
「……そうだといいな」
 闇の世界に身を置いていたケーシスは、サテラを拾ってから変わった。ミティアに向き合ってからもっと変わった。考え方も生き方も。
 自分にはまだ大切なものがある。気付いた頃には、自分の体はボロボロになって、それでも生きたいと思った。いつ死んでもいいと、罪の意識に苛まれていたのに。
 勇者一行と呼ばれるまでに成長した子どもたちに、未来を託して死ぬのは悪くないと思った。それで自分はいいと思っていたのに。
 ケーシスは再び手を止める。その様子を見て、壱子は顔を覗き込んだ。
「ケーシス様、たまには違うお茶でも買って来ましょうか?」
「いや……まぁ、そうだな」
 一度は断ろうとしたが、ケーシスは言い直した。止めてしまった作業、注射器に薬を入れる。

 ダンダンッ!!

 鉄の扉が強くノックされた。
 ケーシスと壱子は居留守を決め込もうとする。だが、ノックはしつこく続いた。
「家賃は口止め料込みで半年先まで払ってあるが、何の取り立てだ? カネならいくらでもあるが、月々のカード上限ってのがだなぁ」
 現実的なのか、そうではないのか絶妙な言い回しだ。ケーシスは面倒らしいので、壱子が代わりに出ようとする。
「あぁ、わたくしが……」
 さすがに機材を広げたままでは都合が悪い。見られたら誤解を招きそうなものは布を被せ、動かせるものは手早く見えない場所に移動した。
 その間にも、乱暴なノックは鳴り止まない。
 ケーシスが物をどかし、隠している間に壱子が通る。
「はい。どちらさ……」
 壱子は半分だけ扉を開けた状態を保とうとした。だが、扉の向こうの者に全開にされた。再びスラムの空気が入り込む。
 あまりに礼儀のなっていないノックと扉の開け方に、ケーシスも顔を覗かせた。
「何だァ?」
 外で栗毛のポニーテールの女性が、見覚えのある男の肩を持っている。
「ケーシスさん、この子を助けておくれ!!」
 走って来たのか、引きずって来たのか、乱れていた。だが、女性の容姿に壱子は気が付く。同時に、肩を持っている男性が誰なのかも気が付いた。
「アイラ様、と……ジェフリー坊ちゃんでしょうか?」
「壱子さん、手を貸しておくれ」
 アイラが手を貸して欲しいと頼むなど、珍しい。
 壱子はジェフリーの異変を察知した。
「意識が……ない!? 坊ちゃん!!」
 ケーシスは状況から判断した。まず、わざわざアイラが赴くなんて妙だ。そして、なぜかジェフリーを担いでいる。そのジェフリーの意識がない。何事も冷静な壱子が声を乱している。
「揺さぶるな! 中に入れろ!!」 
 壱子はジェフリーを担いでベッドに寝かせた。身のこなしもそうだが、腕っぷしもいい。
 ケーシスはすぐに脈を取った。だが、手首では確認できない。顔をしかめて、首で確認した。
「指先が冷たい割に、体が熱いな、何があったんだ」
 ケーシスはアイラに質問した直後、ジェフリーの左手に痣のようなものを見つけた。
「生き物の毒だな。噛まれてから何分経った」
「わからない。三十分は経っていると思う。こ、これでも急いだんだよ!!」
 意識を失ったジェフリーが重たかった。アイラだけではこれが限界だったのだろう。
 ケーシスは険しい表情で説明を求めた。
「どんなのに噛まれた?」
「蛇……黄色くて、斑模様の」
 聞いたケーシスは息をつき考え込む。壱子はメモ帳と万年筆を差し出した。ケーシスが次に何がしたいのか、理解が深い。息の合った主従関係だ。
 早速ケーシスは万年筆を走らせた。
「手段は問わねぇ。奪ってでも持って来い」
「はっ。承知……」
 壱子はメモを受け取り、一瞬で窓から出て行った。ケーシスが『奪ってでも』と言うくらいだ。きっと簡単に手に入る物ではない。
 残ったケーシスは、アイラに質問をする。
「処置、何かしたか?」 
「いや、咄嗟で何も……」
「だろうな、傷口が変色して来た。しかも左。心臓側だ。巡りが早い。現状では体温を下げるくらいだ」
 窓を開けた。気休めにしかならないが換気をさせる。ケーシスは刺激を与えると凍り付くパックを二つ取り出し、窓の縁を叩いて冷たくさせると、ジェフリーの両脇の下に挟んだ。枕を高めに調整する。
 意識の戻らないジェフリーに苛立ちを見せる。置いてしまった注射器と試薬に目をやるが、これを使うわけにはいかない。
「生憎そっちの専門は試験を見に行ってる。お前も行ってやれ」
 ケーシスはわざとらしく言葉で突き放す。
 アイラは緑色の魔石を握っている。何か力になりたいようだ。
「もうちょっといてあげられる。何かあたしにできることがあるなら手伝いを……」
「今の俺にできねえことが、お前なんかにできるかよ!!」
 ケーシスはアイラの言葉を遮り、怒鳴りつけた。
「昔っからそうだよな。お前って、いい気になって人をコケにする言葉を当たり前のように吐きやがる……」
「そ、そんなつもりじゃ……」
 明らかに八つ当たりだ。昔の恨み節を言われ、アイラも気分が悪い。だが、ケーシスはすぐに詫びた。
「当たってすまねぇ」
 何も出来ないが、濡らしたタオルでジェフリーの顔を拭う。
 アイラは何もできないと知り、せめて邪魔をしないように立ち去ろうとした。
 それを引き止めたのは圭白だ。カバンの中から服の裾を引いている。
「アイシャ様、渡すものが」
「あぁ、そうだったね」
 アイラはジェフリーから預かった仙草を取り出す。
「この子、あんたに謝りたいって言ってた。なんか、薬草を探していたけど……」
 ケーシスが受け取ってぼんやりとしている。
 ふと視線に気が付いたアイラが、部屋の隅で動くこともできないサテラを目にする。
「あぁ、そうだったのかい……」
 限界の状況、煮詰まった薬品の臭いに吐き気がする。アイラは薬草を探していた理由はサテラにあると察した。圭白からの話では、薬草をほしがっているケーシスに、薬草を渡して謝る、親子としての話をする。そこまでだ。てっきり、ケーシスの体に関わる話かと思っていた。実際に自分の目で見たわけではない。百聞は一見に如かずだ。
 恵子はその薬草について言う。
「その方はわたくしを庇ってこんなことになってしまいました。申し訳ありません」
 恵子は耳を下げ、ケーシスに謝っている。だがその声は届いているか怪しい。それでも恵子は続けた。
「あ、あのぉ、最悪その仙草を煎じて飲ませたら、ある程度の回復は見込めると思いますぅ……」
 フォローなのか、そうではないのかわからないが、恵子の耳がぱたぱたと上下する。
 時間が迫る。言葉を理解したのか、ケーシスがもう一度言う。
「行けよ。お前は死ぬほど嫌いだったけど、行ってやらないと後悔するぞ」
「どうあっても、あたしが連れ回したせいだ。罰はあとで受ける……」
「……死なせねぇ。運んでくれてありがとよ」
 悔いが残るが、アイラもサキを見守りたかった。ジェフリーのぶんまで応援すると誓い、魔石を弾く。
 去ったアイラと入れ違いになるように、壱子が帰って来た。急いで駆け抜けて来た彼女の燕尾服が解れている。
 壱子は金属のトランクケースを持って来た。
「承った血清です。合っているか、ご確認を……」
 言い終える前にケーシスが奪い取る。確認を終えると、何も言わずに点滴針を開け始めた。地味な作業音だけが部屋に響く。
 冷静さを欠いているのは、ケーシスの貧乏ゆすりで把握できる。
 部屋の片隅でサテラはぼうっとその作業を見ていた。
「その人が死んだら、あのお姉さんはすごく悲しみますね」
 サテラの放つ言葉がケーシスに冷静さを取り戻させる。
「そうしたら、あのお姉さんは自分のお母様になってもらえるかもしれない」
 サテラも死を前に狂っているのかもしれない。うっすらを笑みを浮かべ、少しうれしそうに見える。
 壱子はケーシスに視線を向ける。
「ケーシス様?」
 ケーシスは不意に処置の手を休め、サテラの前でしゃがんだ。
「仮にも自分の兄貴だ。こいつが死んで、あの姉ちゃんを俺がもらう。それでお前は本当に幸せか? 誰かの犠牲で得た幸せなんて、そんなのは偽りでしかない。世の中は理不尽もある。だがそのせいで幸せの価値は大きい。自分に都合のいいことばかりしてると俺みたいに後悔ばかりの人生をおくるぞ」
 戒めにも聞こえる重い言葉だ。ケーシスは作業に戻った。
 サテラは天井を仰いだ。
「もっと生きたい。お父様のような立派な人になりたい」
 掠れた声で息を吐くサテラ、泣けないのだろう。何度も息を吐いて瞬いた。
 壱子はケーシスを気遣った。焦っているのは把握している。
「他に必要なものがございましたら申しつけください」
「外れたボタンでも縫ってろ」
 厚意で声をかけたつもりが、返り討ちにされた。壱子の燕尾服の尻尾の飾りボタンが片方取れていた。
「おや……」
 見ていないようで、人をよく見ている。ケーシスの気遣える一面を覗けた。

 ケーシスは処置をしながら目を細める。
 自分はジェフリーに親らしいことを何もしてあげられていない。妻であるシルビナが抱っこしたくてもできなかった子どもだ。
 ただの子どもではない。大切な子どもだ。
 悔しさに手が震える。

 また、お前を助けられないなんて、あってはならない――。 
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