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【2‐3】天秤

明日の好敵手

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 火山のふもとの街、レスト。一行はここで宿を取り、天然温泉で疲れを癒して眠りについた。
 明け方、地鳴りと地震で目が覚めた。
 カタカタと微震だった。目が覚めたのは使い魔二匹とサキだけだった。
 サキは眠い目をこすりながらもぞもぞと動く。すると、ショコラがどさくさに紛れて布団に入って来た。
「のぉん……地震ですなぁ?」
 朝方は冷え込む。圭馬はフサフサのしっぽをマフラーのように体に絡みつけ、縮こまり直した。
「なんだぁ、びっくりさせないでよね……むにゃむにゃ……」
 自分で暖められるなんて、便利な体だ。
 地震は、火山に近い場所なのだから、これくらいはあって当然かもしれない。もしかしたら、これまでも気がつかないだけであったのかもしれない。
 あまり大事に考えず、サキは二度寝に意識を投じた。実はこの二度寝がたまらない。

 サキが次に目が覚めたときは、ジェフリーも竜次も目覚めていた。どうやらこの二人は朝風呂を堪能していたようだ。サキ起きたのは、女性陣を含めても最後。かなり眠ってしまったようだ。
 朝風呂のせいか、竜次は気だるそうにしている。
「ジェフぅ……サキ君の準備が整うまで肩を揉んでくださいよ~」
「もうジジイだな……」
「ジジイって言うな! いずれジェフだってこうなるんですったら」
 今日の朝の茶番は控え目だった。ジェフリーはたまにはいいかと兄孝行をしているが、その顔は嫌そうだ。
「いやぁ、筋肉痛が一日遅れて来るようになりまして……」
「兄貴ってそんなに体が丈夫じゃないよな」
 ジェフリーは竜次の肩を肘でぐりぐりと押している。痛がらないので本当に凝っているようだ。
「ジェフがタフ過ぎるんですよ」
 その言葉にサキも同意だ。支度をしながら笑ってしまう。
 支度をしながら思い出し、朝の地震を話題に振った。
「そうだ。今朝、揺れました。火山って、あぁいった地震が頻発するのでしょうか?」
 サキの言葉を聞き、兄弟は事前情報をサキに話す。
「地震か……」
「山道、どれくらい崩れていますかね」
「あの場所はいい思い出がない」
 ジェフリーはサキにきちんと話してはいない。
「あの山道で、多分俺は死んだんだと思う。ミティアに助けられたらしいけど……」
 思い出を振り返ると、そのときに禁忌の魔法を疑った。不思議な力を。
「また来るなんて思いませんでした。変な気持ちですね」
 二人は挑む火山の山道に覚えがある。一方、サキは知らない。どれくらい話題について行けるだろうか。

 ホットサンドとミニサラダだったが、軽い朝食までついてきた。本当にコストパフォーマンスがいい。もっとこれから繁盛してもらいたい宿だ。
 食事を済ませ、心の準備を始める。
 相変わらず、竜次は引率の先生のような振る舞いをしていた。
「さぁ、頑張って行きますよ! 今夜また、気持ちのいい温泉に入りたいですね」
 レストの街を出て山道へ向かう。そこで一人一枚ずつマントを配った。ポンチョに近く、自由は利かずに通気性が悪い。
 これから先は火山だ。
 ないと怪我をするかもしれないため、皆は仕方なくマントを身につける。
 コーディのマントはやたらと可愛らしい模様が入っている。竜次のセンスだが、カラフルな水玉の模様が子どもっぽさを演出している。レインコートかと疑うくらいだ。彼女の翼は強引に通したので、少し不格好になってしまった。
 入口は入口と言うには相応しくない。以前よりも、崩れていた。風向きのせいか、熱気が流れて来る。
 キッドはバサバサとマントとスカートを動かし、空気を循環させた。生足がチラチラと見え、品がない。
「暑いわね。羽織っているもののせいかしら?」
「うーん、汗かいちゃうね」
 ミティアもそうだったが、彼女たちはスカートが短い。 チラリと見える太ももが色っぽいため、男性陣は目のやり場に困る。
 ローズは白衣の上から更に羽織っているため暑くてたまらないらしい。反応が大袈裟だった。
「アリューン神族の世界は雪と氷の世界と言われてマス。要するに灼熱はニガテさんなのデスヨ……」
 それぞれが訴えを起こすが、文句を言っても帰るという者はいない。
 
 先頭を行く一人、ジェフリーが立ち止まって地図を広げる。
「それで、どっちに行けばいいんだ?」
 竜次もコンパスも出しているが、難しい表情だ。地図は二人とも持っている。
「方角はこっち、ですが……」
「やっぱりアテにならないか」
「かなり崩れていますね。これは予想以上です」
 やはり地図はアテにならなさそうだ。だが、この地図はただの地図ではなかった。
 今回はただの地図ではないようだ。竜次は自慢げに笑う。
「レアメタルが発見されるポイントが書いてあるでしょう? 何ヶ所かありますから、焦らず怪我をしないように行きましょう」
 先に挑んだ者がしっかりとリサーチしていたらしく、地図には赤ペンでマークがついている。〇が描かれているのもあったが、×の方が多い。〇は三か所あった。
 足場の悪い道が続く。だが、一行は強引に進んだ。ときどきコーディが飛んで先回りをし、崩れ具合を偵察してくれた。これが進むのに助かった。
「さて……この辺りが一番手前の採掘ポイントですね」
 砂利道の先に聳える崖がある。ついでに、わかりやすい掘り起こした痕跡がある。
 竜次が荷物からスコップを二本取り出し、一本をジェフリーに渡した。力仕事は主にこの二人が担当する。
「コーディちゃんとサキ君は周囲に警戒してください。ローズさんは地図をお願いします。何か気が付いたことがあれば教えてください。お二人は細々とした作業を……ですかね」
 竜次がとりあえず仕切り、役割を分担させた。
 掘り起こした痕跡の周囲を探索する。
 サキはとあることを思いつき、実行した。
「魔力解放! 今回は圭馬さんにもお手伝いしてもらおうかなって」
「なぁるほど。覚えた小細工は使いこなす。幻獣使いが荒いねぇ」
 サキは圭馬を探索に参加させた。魔法に長ける彼にも補助を願いたい。狙いはそれだけではない。圭馬には地震や落石の警戒をお願いした。耳がいいぶん、警戒に長けているという判断だ。
 地味な作業の中、藤色のローブを身に纏った圭馬の姿が少し浮いて見える。彼なりの格好なのだが、ウサギの耳もフサフサとした尻尾も完全には誤魔化せていない。街中でうろつかれると、変な人がいると思われるかもしれない。
 
 ジェフリーと竜次が周辺を掘り起こす。すると、土に混ざってキラキラしたものが見えた。ローズが磁石を近づける作業と、青いライトをかざす作業を交互にしている。
「くっつかないとは、少なくともありふれた金属ではないデスネ」
 ふるいにかけてかき集める形になった。回数を重ねる毎に少なくなっていく。
 ローズいわく、これが何の金属なのかはまた別途で調べないとわからないらしい。収穫はあったものの、まだまだ成果は少ない。竜次が持っていたガーゼの空き瓶に金属らしき粒上の砂をまとめたが、残り少ない調味料を見ている気分だった。数グラムというところだろう。こんな作業を繰り返すようでは気が遠い。
 竜次がローズから地図を受け取った。瓶を厚手のタオルに包み、カバンにしまい込む。
「さぁて、次のポイントに行きましょうか。ここは比較的入り口に近かったのですからこんなものでしょう。本番はここからです」
 最初の採掘場所から移動を試みる。ローズが地図から得た情報で次の行き先を指さした。
「あと二か所ってありますネ。ここから近いデス。崩れ具合にもよりますが、地形が平らなので障害は少ないかと思うデス」
 竜次も地図を見ながら小さく唸る。
「本当はもう少しあったみたいなのですが、整備されないまま埋もれてしまった場所もあるそうです。ふもとの街が一度廃れてしまっていましたものね」
 これから火山に近づくのかと思うと気が重い。
 竜次はジェフリーにも地図を渡した。
「ここから先はジェフに指揮を任せます。もしかしたら、邪魔が入るかもしれませんので、私はそちらに備えます」
「急にどうしたんだ?」
 ジェフリーは顔をしかめた。その理由はコーディが詳しかった。
「この山には、サラマンダーって火トカゲと、大きな火食い鳥がいるはず……」
 やけに詳しいと感じるだろうが、その理由を竜次は指摘した。
「コーディちゃんは以前、調査に来ていますよね?」
 サキとローズ以外はその途中に遭遇している。
 コーディはギルドの依頼として訪れていた経験から、もう少し踏み込んだ情報まで所持していた。
「火食い鳥は臆病だから害は少ないはず。サラマンダーは襲って来るから注意した方がいいね。ここだけにしか生息区域がない希少生物だから、退治できないんだよ。だけど火を噴いて来るし、本当に危ない……」
 道も足場も悪いがさらに進む。地震や落石にも注意し、襲って来る動物を退治してはいけないと来た。これは難しい。
 キッドは苛立っていた。
「対人じゃないと思ったら、難しい条件ばかりね」
 いっそ力押しで解決するなら、どんなに楽だろうか。キッドの言葉は、皆が言いたいことを代弁するかのようだった。
 指揮を任されたはずのジェフリーは、サキを頼る発言をする。
「ま、優秀な魔導士がきっと何とかしてくれる」
 そのサキは唸りながら考えている。
「もちろん、言われるより前から考えていますよ? 僕を誰だと思っているんですか?」
 唸りながらだが、人差し指を立てながら自慢の返しをする。だが、実はまだ考えている途中だ。仲間の安全を考えると、どんな魔法で補助すればベストだろうか。
 行き詰まったときに、究極の助言をくれるのはショコラだ。
「ほむぅ、既存の魔法だけで凌ぐのは難しいのぉ?」
 違う魔法の可能性を考え込んだ。このヒントがいつもありがたい。サキは何かをつかんだのか、小さく頷いた。

 さらに移動を試みるが、歩調が合わない者がいた。ミティアだ。上の空というか、ぼうっとしている。ジェフリーは気が気ではなかった。
「ミティア、どうかしたか?」
「ん? なぁに?」
「いや、ぼうっとしてないか?」
「そ、そうかな? 何でもないよ」
 ミティアはここではないどこかへ意識が行っていたように思えた。だが、それも一瞬だった。すぐにいつものミティアに戻る。
 この反応に、ジェフリーは疑問を持った。昨日の夜に真意を話さなかったことと、何か関係があるのだろうか。何となくだが気分が悪い。ジェフリーは眉間にしわを寄せるが、それ以上何も言わなかった。
 そんなジェフリーを見て、サキはもどかしく思った。ミティアと交わした『秘密』が話せて、皆の理解を得られたらどんなにいいだろうか。
 それぞれの思惑が交差する。

 硫黄の匂いが充満し、水蒸気が沸き立つ岩場に辿り着いた。蓄積した砂利、凹凸の激しい岩肌、足場が悪い状態が続く。もう少しで第二の採掘ポイントだ。距離八階が回り道をしなくてはならない。主に火山の壁に阻まれていた。
 辛うじて、人の手が加わった痕跡が残っていた。『この先天然温泉』と書かれた観光案内の看板があった。看板は半壊し、脱衣所らしき小屋はほぼ全壊している。
 きちんと残っていたら、もしかしたらここらで破廉恥でお色気な展開があったかもしれない。『この先火山入口』と書かれた掠れた木札が見えた。その近くをかなり大きな落石と、凹んだ道が見える。
 そろそろ嫌な予感がする。
 ジェフリーは立ち止まって足元の石に注目した。
「何だ、これ?」
 野球ボールくらいの大きさだ。拾い上げると、キラキラした金属のような物が見え隠れしている。先ほどは砕いた石や砂と化した土から探していたが、こちらの金属粒は明らかに大きい。だが、気になったのはこれだけではない。ジェフリーは周辺を見渡す。
「どこから……」
 この岩肌と石の質が違う。別の場所から運ばれてきたのだろうかと想像する。
 ローズがその点について指摘を入れる。
「上だと思うデス。ほらあそこ……小さく凹んでマス。こういったものは小規模の噴火で出たものだと思いマス。周りと質が違うでショ?」
 ローズは細かく説明する。どうも、山の途中で小規模な噴火が起き、その勢いで噴出したもののようだ。
「金属に限りませんヨ。ノックスがいい例デス。地層の深く、ワタシたちが目にしない場所にレアメタルや宝石の原石が存在しますヨ。海底が有名デス。人間の住む世界ではあまり海底採掘はメジャーではないデスネ」
 難しい話だ。ノックスよりこの火山の方が人間の手が入っていないのだから、期待は大きい。
 火山という危険がつきまとう探索で、空振りは避けたいところだ。

 探索のために火山の中に入るなど、誰が想像しただろうか。
 火山の内部は多少の崩れはあったが、山の中を切り崩した面白い造りになっていた。昔の人は相当この観光に力を注いでいたのだろう。緩やかなドーム状になっており、天然の石壁は金属などの不純物がほのかな光に反射して綺麗だ。
 当然だが中は暑い。間欠泉も見られたが、むっとする空気にほんのりと混ざる硫黄の臭い。一般的には温泉の臭いかもしれないが、実は体にはよくない。それだけガスが充満しているとでも解釈すべきだ。
 人の姿をしたままの圭馬は噴き出しているガスについて触れた。
「ガスは体には悪いし、当然熱いからそれで焼け死ぬ人もいるよ。くれぐれも注意してね? 死なれたら悲しいし」
 この中で最も暑苦しい格好と言ってもいいかもしれない。圭馬はマントもケープもコートもないが、そもそも身に纏っている藤色のローブがかなりの厚手だ。何の対策もしなくて大丈夫らしい。
 幻獣だから根本的に違うのかもしれないが、それを言ったらバテバテのショコラはどうなってしまうのだろうか。ちなみに恵子はコーディのトランクで探索を楽しんでいた。これも体質というか、個性というか……。
 ドーム状になっているのが上は抜けている。ある程度の循環はするようだ。

 ここは散策用の遊歩道としていたのか、天然の階段や案内木札、簡易な柵もあった。やけに親切な設計だ。足場が悪い以外は歩きやすかった。
 ほぼ一本道を奥まで進む。すると、案内木札に『これより先立ち入り禁止』とあり、鎖が引かれていた。この先は突然真っ暗になっている。洞窟道のようだ。
 ジェフリーが地図を確認する。思っていた地形をしていないのが気になった。
「兄貴、こっちであってるのか?」
「他に道はなかったのでそうでしょうね……」
 しかし進もうにも、鎖の向こうからはサウナよりも強い熱気を感じた。加えて、道は狭い。ジェフリーは仲間へ振り返った。
「この人数が進むにはリスクが高いんじゃないのか?」
 ジェフリーの言葉に、ミティアが過敏な反応を示した。
「お、お留守番……?」
 情けない声を出している。マントでわからないが、もぞもぞと何か訴えるような仕草をしている。
 ここで別行動は生存率が低くなりそうだ。サキは一つの提案をする。
「僕がずっと障壁でガードを張ろうと思います。なので、圭馬さんはウサギさんに戻ってもらえますか?」
「なるほど、障壁の原理を利用した、セーフティゾーンの展開か。途中で集中力が切れたら、灼熱地獄だけど大丈夫なの?」
「手ぶらで帰りたくないです……」
 圭馬は同意してウサギの姿に戻り、カバンに潜り込んだ。
 それを確認し、サキはミティアに笑顔を見せる。これで一人分の余裕ができたことにもなる。
「ここが安全とは言い切れません。なので、みんなで行って、みんなで帰って来るんです。そのために、僕は頑張りますからね!!」
「サキ……すごいね」
「もっと褒めてもいいんですよ、ミティアさんっ!!」
 サキも大きく出たものだ。自信満々にしているのは、実は建前だけ。本心は緊張が高まって不安も滲む。
 ジェフリーは陣形と指示出しをした。
「サキは俺のうしろ、ミティアはサキの補助をしてほしい。キッドとコーディは何か出て来たら追い払ってくれ。博士はその援護。兄貴はおとなしく見張り……って感じかな」
 意図はない。私的な感情も。
 狭い道が予想される。それで陣形を組むのは皆賛成だ。だが、竜次は顔をしかめる。
「私だけおとなしくですか……と、不満を申したいですが剣も長いですし、銃も当たり所によっては崩落を招きますからね。もう生き埋めにはなりたくないですし」
「言っておくけど、兄貴も暇じゃない」
 ここは少し誤解がある。ジェフリーはきちんと説明を施した。
「正直、兄貴はうしろを任せるのが最適だと思う。兄貴は声が大きいし、みんながまとまるような動き方をしてくれる。おそらく、俺よりも殿は向いているはずだ」
 ジェフリーの目論見に賛同する者がいた。ローズだ。
「ワタシもそう思いマス。先生サンは強いですからネ。前に出たら、いくらでも前に進んでしまうデス。それはさくさく進みますが、同時に警戒心が薄れてしまうので、油断にもつながると思いますヨ?」
 ローズは『戦術アドバイザイー』として、きちんとした内容で補助した。
「で、ジェフ君はサキ君とミティアちゃんを守る最後の砦デス。使える手が限られますからネ。仕事させないようにワタシたちで頑張りませんと……デス」
 振られて、キッドは矢の本数を数えていた。数十本はあるようだが、いつもより慎重になるようだ。
「その火トカゲは殺さないようにしないといけないんでしょ? あくまでもあたしは気を逸らすくらいしかできないわよ」
「そこは私もうまくやるよ。飛べるから、任せて」
「コーディちゃんやローズさんと組むなんて何だか新鮮かも?」
 意識も役割もまとまった。
 ミティアはサキに声をかける。手伝おうとしていた。
「よかったらサキの荷物を持たせて? 重いよね?」
「ミティアさんが動きにくくなければお願いしたいです」
「話し相手になっていいかもしれないし、ね?」
 サキは腰から下げているカバンをミティアに渡した。ミティアは受け取って両手で抱える。これも立派な補助だ。
「ん、いい匂いがする……ってお姉ちゃんか」
「うん、よろしくね」
 圭馬がひょっこり顔を見せた。香りでだれなのか判断できるくらいにミティアはいい匂いをまとっている。ショコラまで顔を見せた。
「暑いのぉん……」
 ミティアが扇いだり少しカバンに余裕を持たせて閉め直したりと、少しでも余裕を持たせようと気を遣っている。
 このようにバタバタしていれば、上の空にならなくていいかもしれない。

 この先は暗い。先頭を行くジェフリーはランタンではなく、魔法を放った。
「こうだっけ、フェアリーライト!」
 ジェフリーは以前もこの魔法を試みたことがあるが何度か失敗した。今回は難なくできたことに安心した。
 魔法が達者になったことで、キッドが興味を引いた。
「へー、あんたも使えるの? あの子と同じ魔法」
「最初は平気でやってるサキが信じられないくらい失敗したけどな」
「やっぱり難しいのね、魔法って……」
 キッドに茶々を入れられたが、どちらかというと悪い印象は抱かれていないようだ。ジェフリーはサキに振り返って合図をした。
 サキは深呼吸をして気を引き締めた。両手を前にかざし、意識を集中させる。
「いきます……」
 微かな風が足元で起こる。それぞれの髪やコートがなびく。
 一瞬だけ白っぽく視界が曇ったように思えたが、その後すぐ、感じていた熱気が軽減された。サキは両手を拒否反応のように、胸の前で可愛らしくかまえたままだ。
 あまりに不思議なので、ミティアは質問をした。
「あれ、さっきより暑くないかも。具体的にどんな魔法なの?」
 サキは目線だけ向けて苦笑いしている。魔法に意識をしているため、凝った回答ができないようだ。
 代わりに、ミティアの手元の圭馬が説明を施した。
「魔法なのに、詠唱してないでしょ? 既存の魔法じゃないんだ。彼のオリジナルの魔法だよ。慣れない試みをしてるから、落ち着くまで話しかけない方がいいかもしれない」
 圭馬はジェフリーに催促する。
「さ、この子がバテないうちに、進もう。そのための魔法なんだから」
 ジェフリーが迂闊にも封鎖されている鎖に触れて火傷しそうになった。それだけこの先は熱気が満ちていると示している。剣の鞘を引っかけて皆を通し、洞窟を進んだ。
 どうも明かりが乏しい。多分ジェフリーの魔法が心許ないせいだ。ガスの充満があったのだから、ランタンを焚くわけにはいかない。
 しばらく真っ暗だったが、徐々に明るくなった。明かりに照らされる景色がゆらゆらとぼやける。
 開けた場所に出た。あくまでも洞窟は通路。
 開けた場所だが場がほのかに明かるい。なぜ明るいのか、その理由をコーディが言う。
「うーん、本格的な火山って場所だね。この下はマグマだよ」
 コーディは下を覗き込んだ。
 釣られて、キッドも覗き込もうとする。そのキッドを竜次が手を引いて止めさせた。だが、チラッと見て竜次に飛びついている。
「えええええ、高い高い高い、無理無理無理……下、光ってる!!」
「落ち着きなさい。落ちなければいいだけの話です」
「うぅっ……」
 キッドが怯えるのも無理はない。かなり下だが、マグマが滾っているのが見える。明るいのはこのせいだ。かなり下と言うこともあって、光はここまで届かない。よって、ほんのりとしか明るくない。
 先頭のジェフリーが生唾を飲んで振り返った。
「落ちたら一発であの世行きだな……その気はないが」
 出遅れた人はいないのを確認し、道を進んだ。一応ここも人の手が入った痕跡がある。錆びたつるはしが脇にあった。金属の部分以外は腐食している。もう少しで採取ポイントだ。
 ミティアは進みながら、サキを気遣う。
「何か出そうか?」
「お水がほしいです……」
 サキがやっと話した。喉が渇いているようだ。ミティアは歩きながらカバンを覗こうとするが、これが危なっかしい。
 見かねたローズが気を利かせる。
「ほいっ、どうぞデス」
 ローズがボトルを差し出した。ミティアは受け取ると、ゴム栓に気がつく。よく見たらボトルではなくフラスコだ。
 この状況で何をしているのかとコーディが指摘を入れる。
「ローズ、ふざけてる場合じゃないよ?」
 ローズは大真面目のようだ。口を尖らせ、進みながら腕を組んでいる。
 ミティアは中の液体を振って色を見ている。濁った濃い緑色をしている。沈殿物があるのか、あるいは成分が分解しているのか、白いものが浮遊している。
 ローズはやっと説明を施した。
「特製のマナドリンク、デス。サキ君の魔力回復にお役立ちしたいと思って作ったのですが、イラナイ?」
 まだ道幅がそれなりにあるので、今のうちに体制を整えるのも悪くないと思った。
「せっかくだから、飲んでみようかな? これ、どんな味ですか?」
 サキは普段、ローズと絡みがない。だからこそ、彼女からの厚意を受け取ろうと質問する。正直喉に通せるなら何でもいい。
「少し酸っぱいと思うデス。アセロラとレモンが入ってて、モロヘイヤと……」
 これだけ聞くと、青汁のようにも思える。だが、ローズは断固として違うと言い張った。
 ミティアは無言でゴム栓を開け、フラスコを傾けた。サキが魔法を解かないように目線を向けると、ミティアは一口飲んでいた。
「うん、大丈夫みたい。はいどうぞ」
 どうぞと言いながら、その手はフラスコを摘まんだままサキの口へ……。
「へっ!? む、ん?」
 サキはのけ反りつつ、ごくごくと飲んでいる。
 うしろを歩いていたキッドがその光景に口をあんぐりとさせ、呆気に取られていた。
 竜次も気が気ではなかった。
「おやおや、これは……」
 ミティア本人は、この意味と反応がよくわかっていないようだ。
 サキは困惑した。なぜなら、ミティアと間接キスをしたことになるからだ。
 圭馬が余計なことを口走った。
「あー……ボク、何も見てないから」
 あまりにうしろが騒がしいので、ジェフリーは足を止めて振り返る。
「何かあったのか?」
 彼からの視点だと、ミティアが手を添え、サキにローズお手製のドリンクを飲ませている。ここまでだ。何が起きたか見ていないため、詳しく知らない。
 一部始終を見てしまった皆は黙っている。
「あ、えっと……もがふが……」
 コーディが何か言いかけたところを、ローズが露骨なまでに口を塞ぎに入った。
「さ、さてさて、見えているあそこが二カ所目ネ?」
 ジェフリーはローズの苦笑いに違和感を抱く。だが、採掘ポイントを見つけた。

 サキは顔を真っ赤にして少し苦しそうにしている。
 ミティアがごくごく自然にしているのが気まずい。彼女は間接キスなど気にしないのだろうか。キッドにするのはわかる。女性同士でも仲がよかったらあまり気にしないが、サキは異性だ。友だちにするのと同様なのだろうか。サキは思いっきり意識をしてしまっている。ミティア本人はサキのカバンを持ったまま平然としているので、余計に気にしてしまう。もちろん集中していないと灼熱の空間に皆を曝してしまう。気が気でなかった。
 ただ、ローズお手製のドリンクの効果は抜群のようだ。魔法自体には集中できている。
 最初は酸味が鋭く、ムッとした臭気を感じたのだが、ミティアと間接キスをした意識で他はうろ覚え。
 ミティアが毒見している。毒見と間接キスがまたつながって、サキは何度もかぶりを振っている。急に年頃の男の子として目覚めてしまったかのようだ。

 採掘ポイントはあったものの、採り尽くされていた。かなり掘り起こされた痕跡だ。手の平ほどの大きさで、くすんだ色の金属が一枚だけ出て来た。溶解か、変質しているのか不明だが、不規則な形をしている。
「何でしょうネ、不純物はありそうですが、金属デス。一応回収しておきまショ」
 人の手が入った痕跡がある。採り尽くされているような感じで残りも期待は薄い。
 
 レストの街は廃れてもまだあれだけの住民がいて、商売も完全には畳まれていない。それどころか、温泉を掘っていた。その温泉が実現した。それまでは、よほどレアメタルなどの金属と観光で栄えていたのだろうと予想がつく。

 ジェフリーと竜次はここでも発掘をした。だが、得たのは先ほどの金属と疲労だった。
「しかし、こんなに頑張っても『これだ』という成果がないですね」
 スコップの柄に両手を添え、だるそうに顎を乗せる竜次。猫背で、もうおじさんの姿である。ヘルメットと手拭いがあったら似合いそうだ。
 ジェフリーとローズは今まで得た金属の塊をまとめている。瓶も合わせると、本当に大した量ではない。あまりに収穫が少なく、ジェフリーは不安に思っていた。
「なあ、博士、この中にオリハルコンはあるのか?」
 ローズの表情は渋い。化粧のせいか、表情の変化が大袈裟に見える。
「それはわからないデス……」
 気が遠くなる作業だ。ため息も出てしまう。
 後方にいたキッドが弓矢を構えた。弦を引く軋む音を発し、すぐに放たれた。
「何かいるわよ!! そのトカゲさんかしら?」
 矢は放たれたが、何も音沙汰がなく暗闇に消えた。あまりに虚しい。
 これは妙だ。コーディはそう感じて、探索に出ようと飛ぼうとする。だが、サキから少し離れた瞬間にコートと翼をばたつかせながら戻って来た。
「なっ、ななな、何これ。熱すぎて燃えちゃうよ……」
 少し離れただけなのに、額に汗をかいている。これによってサキの防御魔法がどれだけ強力なのか、身をもって知った。
 一部始終を見ていたジェフリーは驚きの声を上げる。
「サキから離れたら灼熱地獄か。そうだろうとは思ってたけど、本当に優秀なんだな」
 奇しくも、この火山の探索では、あらためてサキが優秀であることを知る機会にもなった。サキ自身が足手まといだと感じていたのはとんでもない。仲間の命を握っているのも同然だ。
 ローズが念のため確認を取った。
「ジェフ君、残りのポイントはほとんど火口デス。それでも行くのデス?」
「いや、行かないと本当に手ぶら同然なんだよな」
 ジェフリーは行く気満々だ。いや、ここまで来たのなら、何としても『これだ!!』という収穫がほしい。
 キッドも警戒しながら急かすように言う。
「行くならさっさと行きましょ。この子だって、無限に頑張らせるわけにはいかないでしょ? それに、さっきの一匹じゃなさそうなのよね」
 キッドが言うように、サキも無限ではない。ドーピンはしたかもしれないが、それもいつまで継続が効くだろうか。
 まだ行きの道、帰りもあるのだ。
 ここから先は螺旋状になり段々になっていた。道幅が急に狭くなる。地図には高低差がない。だが、明らかにここを下りるようだ。
 赤々としたマグマ、水蒸気が煮沸している。サキの防御魔法があるのに、熱気もそうだが視界が蜃気楼のように歪む。
 ジェフリーは岩肌からマグマ以外の異物を発見する。
「何だ、あれ……」
 振り返って、ローズを呼んだ。彼女も驚きの声を上げる。
「あれは、液体金属ッ!!」
 湧き出るのは細く途切れかけているが、地面を滑るように流れ、マグマに流れ込んでいる。鈍色で不思議な反射光だ。これは期待が高まった。
 暑さとはまた違う意味で汗ばんだ。ジェフリーはローズに質問をする。
「博士、どうやってあれを回収したらいい?」
「冷やして回収か、耐熱の入れ物があれば何とかなるハズ。想定してない物デス。当たりの可能性が高いデス!!」
 未知の遭遇にローズも焦っていた。架空の物語でよく見る、見たことがないものを発見すると、学者はこんな反応を示すが、彼女もそれ似たような反応だ。
 目的の達成が見え、機運も高まっていた。だが、その空気が乱される。
「ジェフ! 前と上から来ます!!」
 竜次が声を荒げる。狭い場所で話し合っている場合ではなさそうだ。どうしても、すぐの行動が難しい。前方には岩肌を這う金の目が見える。
 瞬時に動いたのはコーディだった。
「ソニックブレイド!」
 コーディの魔法攻撃だ。加減をしているわけではないが、専門ではないので威力は自然と弱い。風起こしの程度だ。
 金色の目が素早く引き返した。
 上から落ちるようにもう一匹が襲った。サキの防御魔法に弾かれ、こちらも逃走して行った。
 弾いた衝撃により、サキはつらそうにし、手を落しかけて持ち直した。
「崩しちゃいけない……」
 あくまでも防御魔法、外部から一定以上の衝撃があれば、それだけ負担も増す。
 ミティアは手を添えた。
「サキ!」
「ま、まだ、大丈夫です」
 今日はミティアの存在が近く、サキの心が乱される。
 金の目の正体はわからない。だが、敵意があるのは確かだ。一同、警戒心が高まる。
 一段と感覚の鋭いキッドは気配を感じ取ったようだ。
「まだいるわ……」
 キッドが耳も目も研ぎ澄ましているが、相手はおそらくトカゲだ。だとしたら、それなりに素早い。
 キッドの様子を見て、竜次は弓矢を構える彼女を庇うように手で遮った。
「よしなさい。矢が無駄になります」
「あっ、そうか。だからさっき……」
 先ほど警戒していた際に放った矢が、音沙汰もなかった理由をやっと把握した。あまりの熱気で燃えてしまうのだ。
 視界が歪む熱気のはず。矢が無駄というのは正しい。
 仕方なく竜次がマスケットを抜いた。それを見たローズが、白衣を探りながらアドバイスする。ローズは液体金属の回収容器を探している様子だった。
「はっ! 先生サン、手前のチャームを回してダイヤルを一番少ない溝に回せばシングルショット、弱ショットが撃てるデス!」
「そ、そういう便利な機能、もっと早く言ってください!」
「手を加え過ぎて、忘れてたデス……」
 竜次が言われた通り、持ち手のダイヤルを回して調整した。こんな機能、買った当初はなかった。かなり手を加えたのだろう。軽くなったのもそうだが、改良が加えられて、扱いやすくなっている。
 ただ、手を加えすぎて説明がされていない。把握が追い付いていない。それは、手を加えたローズ本人もだった。
 ローズは軽く説明を施す。扱いは難しくはなかった。威力を最小にして応戦できれば、この場で動きやすくなる。ただ、この不安定な足場と暗い視界、竜次では生かすことはできない。
 威嚇射撃をしようとする竜次は、小声でキッドにお願いをした。
「クレア、あなたの目をお借りしたい……」
 キッドは『本当の名前』で呼ばれ、はっとした。自分が必要とされている。そんな些細な思いが彼女を奮い立たせる。
「了解です」
 寄り添うように肩を並べた。
 
 隣にミティアがいるだけでも頑張れるのに、彼女は自分のハンカチを取り出してサキの額の汗を拭っている。
「サキ、頑張って……」
 ポプリの甘い匂いが、照れくささを倍増させる。なぜなら、彼女のまとっている香りだからだ。
 友だちの大切な人に対して抱く想い。ライバルと言いながら応援していたつもりが、心の奥底で淡い恋心を抱かせる。まるで、この場に滾る、マグマのように。

 コーディは上を気にしていた。先ほどから、煤のように細かい粒子が降って来る。
「煤かな……細かいのが落ちて来るね」
 コーディが気がかりを口にするが、皆それどころではない。
 ジェフリーとローズはやっと液体金属の採取に取りかかった。せっかく立てた作戦も、陣形もあったものではない。ここは火口付近で狭く足場も悪い。
 後方ではキッドが目のよさを生かし、竜次が威嚇射撃でサラマンダーを退かせていた。サラマンダーは大小かなり出て来る。ほぼ、いたちごっこのようなものだったが、逃げてくれるものもいる。
 一番心配なのは、サキの表情が徐々につらくなっていくことだ。隣のミティアから細やかなサポートを受けているが、それでも彼に限界はある。
 
 つらい耐久戦も終わりを告げた。火口近くからジェフリーが声を上げる。
「よし、回収した!! さっさとここから出よう!!」
 ローズが水筒に似た丈夫な入れ物に採取したようだ。
 ジェフリーが撤退を言った頃、コーディがさらに注意を喚起した。
「待って! 今、動かない方がいいかも……何か大きいのがいる」
 コーディが上空を指さした。
「あそこ……」
 キッドが目を凝らし、補助に入る。彼女は狩猟の経験から、目も耳も人一倍利く。
「鳥……?」
 キッドの声で警戒が強まった。周辺にも煤のようなものが目立つ。これは羽根かもしれない。
 残弾を確認しながら竜次も辺りを見渡す。
「サラマンダーというトカゲに加えて火食い鳥でしょうか? でも鳥は臆病だと、コーディちゃんが言っていたような?」
 サラマンダーの影が岩肌を這っているのが気になるが、追い払うしかできない。こんなに気を遣う戦略があっただろうか。
 コーディはできるだけ声を抑えて怒っていた。
「臆病だからこそ、コッチがむやみに動いたら火食い鳥は驚くよ。火の粉でもばら撒かれたら困るの!!」
 撤退にも気を遣う。威嚇射撃もできなくなった。だとしたら……
「じゃあ、その鳥に気づかれないように、こっそり物音を立てないように帰るのはダメなの?」
 警戒に口を挟んだのは、意外にもミティアだった。彼女も急ぐ意識からこの発言のようだ。もちろん、隣で地味に頑張り続けているサキを気遣っていた。
 即席だが、ミティアの提案が採用された。
 一同の司令塔であるジェフリーは指示を出した。
「今はその手で行こう。いつまでもこうしていては、サキの体力が持たない。俺が先頭を歩くから他を頼む!」
 気がつけば、ジェフリーの手元からフェアリーライトが消えていた。もう一度唱え直す。魔法を継続させる難しさは、こういったときにあらためて実感する。サキはこれをずっとしているのだ。
 来た螺旋の道を戻り、火口から離れた。道幅が少し広くなると安心感を抱く。
 歩く地面には黒い粉が微かに舞う。注意は火食い鳥に傾いていた。
 暗い洞窟道に差しかかる手前、ジェフリーが立ち止まる。
「げっ……」
 あまりに驚いたのか、フェアリーライトが消えそうになった。だが、何とか踏み止まる。その光がとらえた。前方に元気なサラマンダーが居座っている。
「頼むからあっち行ってくれ」
 金色のギョロっとした目が合って、さすがのジェフリーも少し怯んだ。手でしっしと払おうとするが、そんなもので動くはずもなく、むしろあんぐりと口を開けている。嫌な予感がした。
 ジェフリーは叫んだ。
「みんな、下がれ!!」
 急に言われて後退できるはずもなく、火が吐かれた。火炎放射器でも向けられているように勢いのある炎がサキの防御魔法を削っていく。
 サキは前屈みになり、防御を崩しそうになる。
 見兼ねたショコラが補助に入った。その言葉はジェフリーへ向かれている。
「ジェフリーさぁん、白い魔石を手にしてくださいのぉ!」
「ばあさん、成功するとは限らないぞ」
 じりじりと炎を向けられ、集中できるかは怪しい。だが、うしろではもっと頑張っているサキがいる。
 ジェフリーは言われるがまま従う。詠唱し、魔石を弾いた。
「スリープ!!」
 炎の中に投げ込む形で魔法を放ったが、成功したらしい。吐かれていた炎がぴたりと止んだ。目の前のサラマンダーが目を閉じておとなしくなっている。
 サキの手がふさがれている以上、ジェフリーに魔法の補助をさせるのは賢明な判断だ。その瞬時の判断をしたショコラ、補助魔法を成功させたジェフリー、耐えきったサキ。すべてが噛み合った結果だ。
 
 サキは今のせいで両手を震わせている。顔に余裕の色はない。
 眠っているサラマンダーを確認し、洞窟の通路まで戻って来れた。
 ここを戻り切れば、サキは多少楽になるだろう。
 ジェフリーはフェアリーライトをかざしながら先導する。背後から、心配しながら励ますミティアの声が聞こえる。
「サキ、もうちょっとだよ。もうちょっと、だから……」
 もう冗談を言っている余裕すらない。
 進むと、立ち入り禁止の鎖が見えた。ジェフリーは剣の鞘で鎖を上げ、皆を通した。
 いったん安心だ。サキは手を下ろして膝を着いて座り込んだ。熱気こそ流れ込むが、コーディが慌てていたような灼熱ではない。
 ここの問題は少しガスが充満している点だ。緊張続きで心身ともに参ってしまう。
 サキが苦しそうに肩を上下させ、汗を拭いながら、何度も深呼吸をしている。安心はまだできない。
 少しだけ休んだらまた移動だ。
 ミティアはカバンの中から何かを探ろうと開く。圭馬が顔を覗かせた。少し呆れているようにも思える。
「あんなに長時間、防御魔法を使える人なんて、ボクは知らないんだけど」
「き、恐縮、です」
 鼻に突く言葉もキャッチフレーズも口にする元気がない。
 ミティアは世話を焼こうと試みている。
「お水飲む? お菓子食べる? チョコあるよ……って、チョコも飴も溶けてる!?」
 サキは首を振って苦笑している。今は、ミティアの存在が何よりもありがたい。補助という名目で、独り占めができている優越感がたまらなかった。
「お気持ちだけで……」
 サキは手を伸ばし、自分でカバンの中から水筒を取り出した。水筒の水をぐいっと飲む。今の彼が飲むと喉が鳴って、おいしそうに見えてしまう。
 サキが一息入れているところ、その安全を維持しているのが後方の竜次とキッドだ。サラマンダーをやり過ごしたが、火食い鳥が気になる。
「ゆっくりしたいですけど、さっきの鳥が気になりますね」
「先生もそう思います?」
「残念ながら私たち、かなり騒いでしまった気がしますからね」
 竜次が鎖の向こうを気にしている。キッドも同じだった。
 状況を察したサキは立ち上がって顔を上げた。
「ここ、空気が悪いので、外に出てしまいたいです」
 無理をしているのではないか。ローズは心配をした。
「大丈夫デス?」
「と、とりあえずは……」
 ローズがまた忌まわしいフラスコをチラつかせる。今回は遠慮した。一日の間に、そう何回もドーピングしては体に悪い。それに、『変なこと』を思い出してしまいそうだ。
 サキはミティアを気にしている。適度な緊張感を持っていたせいか、火口付近でミティアがぼうっとする機会がなくて安心した。
 無事に帰ったら、どんなに食べ物がおいしくて温泉が気持ちいいだろうか。

 進む流れになったが、ジェフリーはなかなか一歩が踏み出せない状態だった。
 何も言わずにじっとサキを見ている。コーディはそれに気が付き、声をかけた。
「ジェフリーお兄ちゃん、どしたの?」
「ん、いや……?」
 ジェフリーはかぶりを振って、やっと歩き出した。彼は自身の中で嫌な気持ちを抱いていた。違和感というか、妬いているが正しいかもしれない。サキが頑張っているのは知っているし、仲間を守る柱として難しい魔法を持続させていた。ミティアにはその補助をお願いしたが、その距離が近い気がしたのだ。
 抱く不思議な気持ち。好きな人が自分から離れていくのではないかという、嫉妬。
 かつて兄の竜次にも抱いたが、この気持ちはいいものではない。
 ジェフリーはこの気持ちを抑え込んだ。今は脱出が先だ。
 
 帰るだけの道はなぜか歩きやすかった。ただ、微震が足を止めさせる。崩れを警戒してしまった。
 やっと山から外に出られたが、小雨が降っていた。火の粉や熱い石にやられると思って買ったマントが、雨除けとして役に立つとは予想外だ。
 雨で気温が下がったのか、今度は霧が出て視界が悪い。ただでさえ蒸気で視界を遮られたのに、帰りもコンディションの悪さに苦しめられる。
 インドアなお医者さんが、目まぐるしい変化に疲労を訴えた。
「熱の次は霧ですか。本当に自然は何が起きるかわからないですね。今日はよく眠れそうです」
 驚異にも思える自然の現象だ。人間には予測できない。天気予報だって当たらないのだから。
 だが、ある程度の備えは正解だった。
 ここから先に危険は少ない。ジェフリーは休憩の提案をしようとする。
「少し休んでもいいんだが……」
 皆の様子を伺いながら言う。だが、キッドが指摘をした。
「早くここから離れた方がいいかもしれないわよ?」
 キッドは山の上を見て注意する。ぼんやりとだが赤い炎が見えた。山頂付近には雲がかかっているが、雨雲のはずだ。それなのに何かが燃えている。
 コーディも目を凝らして山頂を見ていた。
「あれ、もしかして火食い鳥じゃない?」
 コーディの横では、ローズが最もポピュラーな双眼鏡を手にしている。
「火食い鳥みたいネ。もしかして、この雨で水浴びデス?」
 ローズの言葉に危機感を持ったのはキッドだ。
「ちょっと、ゆっくりしてる場合じゃないわ!」
 キッドが焦る理由がジェフリーにはわかっていなかった。
 キッドが走ってサキとミティアにも準備をさせる。ミティアなんてほっとしたのか、シリアルバーをもぐもぐと食べているところだった。
 双眼鏡を覗き込んだままのローズは、表情を引きつらせている。
「あっ、まずいデス……」
 
『バサッ! バサバサバサ……』
 大きな羽音が聞こえた。
 
 次に聞こえたのは怪鳥に似た鳴き声だ。大きな鳥なのだから、実際は怪鳥と大差はないかもしれない。
 これのどこがまずいのか。その理由は文字通り、すぐに降りかかった。
 小雨に混じって火の粉が舞っている。正確には火の点いた羽根だ。小雨のせいで消火されていない。
 半ば強引に下山を開始した。 
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