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【2‐2】見えない壁

認めるもの・認められしもの

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 サキの懐中時計の針は真夜中を指していた。
 緑の魔石を使い、地上へ戻った。前までできないと言っていたテレポートだ。
 使い慣れない魔法は一度で成功する保証などない。人間が体に入れられる知識と体力には限界があるからだ。ところがサキはどうだろうか。
 船を降り、大図書館に挑んでからいくつ魔法を唱えたのか、ジェフリーは知らない。封印された邪神龍や女の子、種の研究所へ浄化の光も放った。
   サキは瀕死のはずなのに、成功する保証のない風の上級魔法を唱え、成功させたのだ。
 普通は信じられない。
 一瞬の景色の変化、気がつけばフィラノス魔法学校の階段の前だった。
   さすがにサキには立つ気力が残っていない。
 ジェフリーには幾分か体力が残っていた。サキを背負って歩く。
「いいことがない続きなのに、地上の空気はこんなにうまかったんだな」
 そんなことはないのに、外の空気が吸えることにありがたみを感じる。ジェフリーは背中のサキを気にした。サキは空気のことには触れず、背負ってくれたことを気にしていた。やけに声が弱々しい。
「ご迷惑かけてすみません……」
「こんなモン、迷惑のうちに入らないさ」
   こんなにも軽いサキに驚かされる。この体のどこにそんな底力があるのか、本当に計り知れないとジェフリーは思った。
   大図書館の正面が綺麗に片づいており、立ち入り禁止とバリケードが張られている。うまくやってくれたようだ。
   あれほど城で騒がしくしたが、深夜のせいか街中まで静かだった。城の人ではない人にしか顔は見られていないはずだ。別にその心配はしなくても大丈夫なのだが、静かすぎて気味が悪い。
   薄暗い石畳を歩き、見慣れた噴水広場に出た。
 噴水の前で、ランタンを持った竜次とケープを羽織ったミティアが帰りを待っていた。姿を見て、疲労も眠気も飛んでしまった。
「あっ!!」
 ミティアが猛ダッシュして出迎えた。最近はずいぶんと寒くなったのに、こんな中で帰りを待ってたようだ。
「おかえりなさい!!」
 ミティアは泣かないように抑え込みながら、一生懸命に笑って出迎えた。
「ただいま……」
 笑ってくれたのだから、笑って返すしかない。疲労で苦笑いしか出て来なかったがジェフリーも挨拶をした。そして、竜次にも声をかけた。
「兄貴もずっと待っていたのか?」
「ミティアさんがどうしてもと言うのでね。真夜中に女性一人で歩かせるわけにもいかないでしょう? それより、無事でよかったです。どれだけ心配したか」
「相談せずに勝手な行動をしたのは謝る……」
 竜次に対して、何も告げずに行ってしまったのだ。それは心配したであろう。彼は兄であり、実質保護者なのだから。
 ミティアはジェフリーの顔を覗き込んだ。
「どこか怪我はしてない?」
「あぁ、こいつも大丈夫……って」
 ジェフリーはミティアの心配に答える。背中のサキは眠りこけてしまっていた。すやすやと規則正しい寝息を立てている。
「当然だよな……一人で頑張ったんだし」
 サキは薄汚れた状態で、何かがあったのだろうと予想ができる。竜次がジェフリーの疲労を悟った。
「代わりますか?」
「いや、せっかくだから最後まで運んでやるさ」
 竜次が手を貸そうとする。だが、ジェフリーは断って周辺を見渡している。
「まぁいいか……どうせどこかで見てるだろうし」
 探していたのはクディフの姿だった。どうせ、生きてどこかで小馬鹿にするように笑っているだろう。行動をともにしないむず痒さはある。案外、本人は楽しんでいるのかもしれない。あくまで一定の距離で、手を貸すだけだと。

 帰りの道中で竜次は宿の話をした。
「何となく懐かしくてあのお部屋を取りました」
 噴水広場を抜ける。この水の音が懐かしく感じられた。
 石畳を歩いて例の宿に到着する。竜次が笑顔で案内したのはそう、あの懐かしい大部屋だった。
 部屋に入るなり、眩しい明かりに視界を遮られた。
「遅かったじゃない!」
   声の主はわかっているが、ジェフリーの目が慣れない。
   真夜中にこの光は目に優しくない。徐々に慣らして目を開けると、まず仁王立ちしているキッドが目に入った。まるで、番人のようだ。いや、もしかしたらさまざまな意味で番人であるのは間違いない。
   次にテーブルに紙を広げるローズとコーディ。二人とも、ジェフリーとサキを見て安心した表情になった。
 ジェフリーは仲間の全員の顔を見て、軽く頭を下げた。
「心配をかけて、すまなかった。サキは無事だ」
   サキをベッドに下ろし、カバンや帽子を外して身軽にさせ、布団を被せた。こんなに動かしても、まだすやすやと眠っている。
「いろいろ話したいし、やりたいところなんだけど、風呂に入って早々に寝たい……」
 誰も責める者はいないが、ジェフリーも疲れている。申し訳なさそうに断りを入れると、上着を脱ぎ棄てた。今は気持ちにも余裕がない。
 ミティアはジェフリーを気遣い、タオルと部屋着を渡した。
「はいこれ。わたしと一緒に入る?」
「疲れているときに言われると、真に受けそうになるからやめてくれ……」
「うーん……?」
 ミティアは真夜中にも限らず、冗談なのか、本気なのかがわからない誘惑をする。
 ジェフリーは翻弄される前に受け取って部屋を出た。ちゃっかりショコラがついて来ている。
「ばあさん、覗きか?」
「人間規模ならまだしも、変なものついててゾンビになっても困るからのぉ?」
「言えてるな……」
 生き物と言えるような生き物に遭遇しなかったせいもあり、ショコラは自身を心配した。本当はそのまま倒れ込んで眠ってしまいたいが、静かな大浴場へ足を運ぶ。
 自分たち以外の思惑をぼんやりと思い出す。散らばった複雑なパズルのピースが何となく揃って来た気がする。
 休んで情報の整理をしたい。
 あとは何が足りないのか、自分たちに必要なものは何だろうか。

 帰還を待っていた一同が寝る支度を始める。
 キッドは脱ぎ捨てられたジャケットを拾い上げ、窓を開けて埃を払った。このジャケットはいつも言い合いになりがちなジェフリーの物だ。キッドはジャケットをハンガーラックにかけた。何も言わないが、ジェフリーの世話をするのは、肉親であるサキを助けてくれたからだ。それ以上の深い意味はないし、この恩を正面から返すつもりはない。きっとジェフリーも面と向かってお礼を言われては困るだろう。
 キッドは窓を閉め、サキに向かって呆れた息をついた。
「ほんと、この子、無茶ばっかりして……」
 唯一の肉親と判明してからというもの、無茶が目立つ。もともと背伸びをしがちなサキだったが、最近はより目立ってしまって心配も尽きない。キッドは仲間から弟としての意識を強めていた。
 竜次はサキに怪我がないと確認しながら、濡れタオルで顔を拭っていた。サキは顔も髪の毛も土埃をかぶったように汚れている。
「やれやれ、命がいくつあっても足りませんね」
 竜次の言葉に対し、キッドは指摘を入れる。
「先生が言えたクチですか?」
 無茶と言ったら竜次もいい勝負かもしれない。
「私と違って、サキ君は己を高める無茶です。私なりに尊敬はしているのですけれど、もう少し子どものままでいいような気もします。一体何が、彼をこんなに高めようとするのでしょうね」
 違いを自覚している竜次の言葉が重い。
 子どものままだったら成長したいと思うだろう。大人になったら無茶をしなくなるのか。サキの場合は該当しないような気もする。
「さっ、お昼くらいまで思いっきり休みましょう。緊張続きでしたからね」
 竜次はキッドの背中を押した、パーテーションの向こうは女性の空間。
 キッドはサキをもう一度見て、規則正しい寝息を確認して頷いた。ミティアがそわそわと部屋の入り口で待っているのを見つけ、捕獲した。
「こぉら、ミティアも寝るの!」
「わぁん、ジェフリーと一緒がいい!!」
「だーめっ!! あんな奴のどこがいいんだか……」
 キッドはミティアを引っ張っていく。放っておくと、一線を越えてとんでもないことまでしそうだ。
 
 お昼まで思いっきり休みましょうとはなった。
 だが、コーディの目覚めは早かった。
 彼女は十六歳、違う世界で言うと女子高生だろう。だらしなく眠るにもお腹が空いて起きてしまう。ミティアほどではないが、彼女の体系は十歳かそこら。背中に翼こそあるが外見と中身が一致しない。難しい素性はさておいて、お腹が空いた。
 コーディはトランクを持ち、こっそりと外出をする。
「はぇぇ、ふぇぇ!!」
「あっ、ごめん。起こしちゃった」
 恵子だ。トランクの小袋に入ったまま眠っていたらしく、突然外に出たので驚いていた。驚いた拍子に、コーディは大声を上げてしまったので周辺を見た。
 晴れた空にも気がついたが、街に少し活気が戻ったように感じる。道行く人に笑われているのに気が付き、コーディは身を縮めた。
 恵子も変化に気がついたようだ。
「あのぉ、昨日よりも賑やかで、開いているお店が増えていませんかぁ?」
 噴水広場には、昨日はなかった屋台が出ている。軽食だ、ちょうどいい。コーディは屋台のお兄さんに声をかけた。
「ハムレタスと照り焼きチキン卵、あとハッシュポテト二つ、くださーい」
 少し多い注文だが、恵子にもあげるつもりでいた。
「あっ、あと、ミルクも……」
 テトラパックの牛ミルクを目にして、慌てて会計を追加する。
 屋台のお兄さんいわく、今日の朝、入荷したばかりらしい。
 コーディはぎこちなく世間話をする。
「昨日はこのお店、なかったよね?」
「そうだよ。街と外に境目ができてから、何も入って来ていないらしいからね。少しは安心してお店が出せるかもしれないと思ったら、今日は繁盛だよ」
「ふ、ふぅん、よかったね」
 あえて自分や仲間が関わったとは言わず、適当に流す。コーディは会計をして、紙袋を受け取った。
 朝ご飯のつもりでいたのだが、このまま持ち帰ってしまうと、微妙な空気になりかねない。どこかで食べてしまおうと休める場所を探す。
 今日は噴水の前に人がいる。屋根にでも上ろうかと、少し裏路地に入って軽く羽ばたいた。普段は皆に紛れているので気にならないが、一人の行動はあまり目立たないようにしている。
 コスプレで、ぎりぎり誤魔化せるのだが、人の目を気にしてしまう。普通の外見ではないため、ドラグニーとしては生きにくい。背中の翼で飛び、よじよじと紙袋を潰さないように上がる。屋根の上には意外な先客がいた。
 コーディが声をかける。
「あれ、おじさん?」
 数軒先の煙突のある屋根にクディフの姿を見つけた。彼も気がついたのか、一瞬身構えたがすぐに警戒を解いた。
「文豪が取材か?」
「ち、違うよ。こっそりご飯を食べる場所を探していたの」
 コーディは軽快に屋根を跨ぎ、クディフの隣に立った。晴れた空、活気が戻りつつある街並み、動き出す人々。魔法学校、城、フィラノスを一望できる最高の場所だ。
「うっわ、ここ綺麗だね」
 全身で風を受ける。ホワイトブロンドの髪が朝の風に乗った。
 恵子も思わず声を上げた。
「わーっ、全体が見渡せますねぇ!! それに、気持ちいい風です。風から太陽の温かみを感じますぅ~」
 クディフがトランクの巾着袋を凝視する。恵子の存在に気が付いた。
 コーディは慌てて説明をする。敵意を向けられては困るからだ。
「あっ、この子、わけあって連れてる幻獣の末っ子さんなの。変な子じゃないから」
「け、恵子と申しますぅ」
 クディフは恵子に手を伸ばし、風で捲れた恵子のバンダナを直して頭を撫でた。
 コーディは意外な一面を見たとでも言いたそうに唖然としている。
「へ、へー……」
 そんな視線に気付いたのか、クディフはコーディをじっと睨んだ。
「それで、何用だ?」
「べ、別に用はないよ? 私は散歩だったの。ジェフリーお兄ちゃんや、ミティアお姉ちゃんの方がおじさんに用がありそうだよね」
 コーディは勝手に座り、紙袋の中から買ったものを取り出した。
「あっ、おじさんも食べる?」
 クディフが威圧しても、コーディは動じない。
 コーディはハムレタスサンドを差し出した。クディフが受け取るような人間ではないと思っていたが、意外にも手に取って隣に腰かけた。
 コーディがおいしそうに食べているのを確認して、クディフも口に含んだ。職業柄、毒でも警戒したのかもしれない。
 コーディはもぐもぐさせているサンドイッチを飲み込み、ミルクを口にして流し込んだ。一気に補給する姿がどうも背伸びをする子どものように見える。
 クディフに聞きたいことがあったのを思い出した。
「そうだ、用はないって言ったけど、質問があるの」
 コーディは身を乗り出し、ずいすいとクディフに迫った。
「おじさんの言ってた種族戦争の話、生々しいんだけどちゃんと原稿に記したよ。でもさ、お姫様……王女様の妹さんって最後はどうなったの? 王女様の代わりに業を背負ったっておじさんは言っていた。でもそれだけじゃわからないよ。先が書けないんだけど、どうしよう?」
 クディフの仕草がぴたりと止まり、眉をひそめている。
 コーディは実話をもとに執筆は進めている。取材らしい躓きもあるようだ。筆が進まないと言われ、クディフは難色を示した。
「この仕組まれた旅路の最後に待ちかまえるものは、フィラノスに地下にあると言っていい。きっと、蘇らせるためにたくさんの犠牲を払ったのだろうが、それも無駄になるだろう……」
「もう少し、ヒントがほしい……」
 今回はコーディのわからない情報ばかりだ。さすがに理解が追い付かない。種族戦争を含めた情報の追求をして、明らかにしたいのがコーディの目的だ。それらを開示して、二度と埋もれさせないようにしたい。
「あの者たちは城の地下から帰って来たのだろう? 聞いてみるがいい」
 クディフは立ち上がってコーディを見下ろした。
「ご馳走になった礼にいい話を教えてやろう。昼から繁華街が解放されると、関係者の話を聞いた」
「わっ、ギルドが使えるかもしれないんだね!!」
 言ってから早々に去ろうとしているクディフのマントを、コーディは摘まんで引き止めた。クディフはムッとした表情になる。
「何のつもりだ?」
 コーディは照り焼きチキン卵のサンドイッチを口に押し込んだ。頬に卵ペーストをつけながら、さらに質問をする。
「個人的な質問なんだけど、昨日大図書館で埋もれた歴史の一部を読んで来たの」
「それが何だ?」
 質問に至った過程を話され、クディフは怪訝な表情をしている。マントを摘ままれている時点で、この行動が不思議に思えて仕方がない。
「おじさん、『英雄』だったの? 名を馳せた剣豪だったんでしょ? お姫様の護衛してたんだよね? 今まで邪神龍と戦おうとしなかったの?」
 急な質問攻めに、クディフは一気に機嫌を悪くした。マントを引き、吐き捨てるように言う。
「あるさ、とある大魔導士とな……」
「そんな話、知らない……」
「埋もれた歴史には存在しないかもしれないな。コーデリア・イーグルサント」
 クディフは屋根を走って行った。早くて追いつける気がしない。
 がっくりと肩を落とし、ため息をつくコーディ。クディフに残される言葉が気になって仕方がない。
「どういう意味なんだろう? そもそも大魔導士って何? 誰? まず、おじさんの秘密が多すぎだよ」
 コーディは落としそうになった紙袋をつかみ、大きなため息をつく。話を聞いていた恵子が詳しく話した。
「大魔導士は、魔法学校の就学を終えた者が魔導士になり、その試験を受ける資格を得られますよぉ。一般的には二十歳を迎えた方が対象ですぅ。圭馬様がそうなのですが、限界を越える大魔法が使えたり、独自で魔法をアレンジしたり、魔法が作れたり一般の人を大きく越えると思いますぅ」
 魔法をかじり始めたコーディにはイマイチわからない。
 知っている限りだと、魔法学校は入学金だけで数百万がかかり、年間の学費もかなりと聞いている。それに加え、学生寮を利用することになったらさらに……と、何かとお金がかかるのがフィラノス魔法学校の特徴だと有名だ。
 加えて勉強は難しく、ローズのように中退する者も多い。
 昔は学生自体が少なく、ある程度煮詰まった世代で成績を競り合っていた。
 今は学生も多く、魔法学校というブランドにこだわって成績ギリギリでも卒業を志す者が多い。そんな中で、飛び級をして首席で卒業したという者が身近にいる。
 この情報だけですでに一般の人を越えている気がするが、まだ上がいるのか? 想像がつかない。
 恵子が街中の時計指して言う。
「あのぉ、お昼になっちゃいます。戻らなくてよろしいのでしょうかぁ?」
「えっ、あ、本当だ、やばい……」
 慌ててハッシュポテトを頬張った。買ったものはこれで全部だ。コーディはトランクを持って、人のいない道に降りた。
 周りを気にしながら、なるべく目立たないように表通りに出る。
 猛ダッシュで宿に向かって走り出した。そのコーディの口は、まだ少しもぐもぐとさせている。宿の入り口にある屑籠に紙袋をシュートし、ばたばたと部屋に戻った。

 コーディが戻った頃、全員が起床していた。サキなんて風呂上りなのか、キッドにドライヤーをかけてもらっている。微笑ましい光景だ。
 真っ先に迎えたのはミティアだった。
「あっ、コーディちゃんおかえりなさい? お風呂って感じじゃないよね」
 皆も最低限の身支度をしているが、ラフな格好でのんびりとしている。
 黒い下シャツにズボンだけのジェフリーにも注目された。
「どこに行ってたんだ?」
「んーと、情報収集ってところ」
「情報収集ねぇ……」
 ジェフリーはコーディの顔をまじまじと見た。その次に、頬を指で突く。思わずコーディが変な声を上げる。
「うえっ、ななな、ジェフリーお兄ちゃんホントに変態にでもなったの?」
 ジェフリーは呆れ顔で指を見せる。
「卵のマヨネーズ和えだな? うまそうなモン食いやがって……」
 指先にさっき食べたサンドイッチの痕跡がすくわれている。コーディは苦笑いをしながらぎこちなく答える。
「や、やー……早く起きちゃってお腹空いたもんだから」
 コーディは観念し首を垂れた。何となく予想はしていたが、皆もお腹を空かせているらしい。
 圭馬が恵子をじっと見て指摘をした。鼻をぴくりとさせている。
「恵ちゃん、おいしそうな匂いがするんだけど?」
 恵子はしらを切るつもりなのか、首を傾げて何も答えない。
 コーディが何となく『そんな空気なのか』と切り出した。
「あれ? もしかして、今日は出かけないの?」
 答えたのはなかなかくせ毛が直らず、背中に手を回している竜次だった。
「保存食でも消費しながら、明日からの動き方を話し合おうとしていましたよ?」
「そうなの? もう街中は安全だってお店も開いてたし、繁華街が解放されるらしいよ。ギルドとか買い物とか、ちゃんとしたご飯とか食べに行かないの?」
「おっと……?」
 コーディは先ほどクディフから入手した、耳寄りな情報を話した。彼から聞いたとは伏せている。コーディの話を聞き、皆の顔色が変わった。
 特に反応がよかったのは竜次だ。
「それはいい情報ですね。せっかくですから、ギルドからも世界の情報を仕入れに行きますか」
 外出の流れになりそうだ。街中を歩くと聞いて、サキも買い物がしたいと申し出た。
「僕、買い物がしたいです。魔石がほとんどないので」
 一同は手早く外出の準備を始めた。大きな荷物だけ置いて行く。念のため、武器を下げて外出した。

 コーディが言うように、街中は少し活気が戻ったように見える。昨日よりも歩いている人が多い。散歩をしているお年寄りも見受けられた。
 噴水広場の軽食屋台も捨てがたいが、皆で一緒に食卓を囲みたい。
 コーディが言ったように、昨日は封鎖されていた繁華街が解放されていた。開店は半分程度だろうか。他の国へ船で逃げた者もいると、メルシィは言っていた。
 ざっと見た感じだが、買い物にも困らずに済みそうだ。高望みはせず、少し割高であっても、ドカンとしたものを胃袋に落としたい。
 開いていた大きめの食堂に入った。細々したものが品切れになっていた。魚や珍しい野菜を使った小鉢料理なんかはどうしても仕入れに限界がある。
 店の中は賑わっていて、腕っぷしのいい人が目立った。昨日、境界線を作る作業現場で見かけた顔もいた。皆、考えることは一緒のようだ。

 この人数、入るのが難しいかと思ったが、大きなテーブルが空いていて助かった。
「魚はないけど、肉はあるな」
 ジェフリーがメニューを配って肘を着いた。何となくだが皆が何を頼むのか、こういうところで好みを判別したい。
「あたし、マカロニグラタンにしよっかな」
 パスタやチーズが大好きなのはキッド。気がついたらその系統のものばかりを食べている気がするが、彼女はいつも、ミティアとサラダをシェアするので栄養バランスは取れている。
 その流れは正しく、ミティアは主食とは別に、大きなサラダを頼もうとしていた。
「わたしはビーフシチューかな。ねぇキッド、トマトサラダ一緒に食べない?」
「わ、私もサラダ食べたい」
 ミティアの話にコーディも乗った。女性陣は仲がいい。だが、ローズはいつも少し離れて微笑ましく見ている。年齢的には彼女は保護者に近い。
 面白いやり取りをしていると思ったのが、竜次とサキだ。たかだか食事というのに、小難しい会話が交わされている。
「やっぱりスタミナをつける意味ではお肉がいいんでしょうか?」
「肉類でもレバーとか赤身のお肉がいいですよ。青魚もいいのでしょうけれど、お魚は品薄みたいなので。あぁでも、サキ君にならお肉だけではなく、もう少しプラスをしたいですね」
「じゃあ、このメニューからだと、チーズのかかったハラミステーキ?」
「ひじきと卯の花のサラダ。もしくは、卵と明太のペーストをジャガイモに……」
 いつから竜次は医者の他に、栄養の話もできるようになったのだろうか。栄養の話で察しがつくのは、亡くなった彼女のために勉強したか。こればかりは本人に聞くのもまずい気がしたので黙っておいた。
 視線に気がついた竜次が、ジェフリーに声をかけた。
「どうしました? 決まったのならお店の人を呼んで下さい」
 端に座っていたジェフリーが店員を呼び、注文をした。

 待ち時間で軽い話を始める。
 目立たないようにコソコソとテーブルの隙間から顔を出したのは、恵子だった。何となくこれだけで察しがつく。
「あのぉ、ちょっとよろしいでしょうか」
 何とも申し訳なさそうに話すその様子が可愛らしい。
「急がないのですけれど、この中にわたくしと契約をしていただける方はいませんか?」
 突然、『契約』の話を持ちかけている。その話に圭馬も頷いた。
「あー、そっか。恵ちゃんこのままだと、弱って話せなくなっちゃうね」
 圭馬はサキのカバンから飛び出して来た。だが、サキは抱えながら慌てて机の下に引っ込めた。大丈夫だろうが、一応化身は動物。目立たないようにしなくては。
「僕はこれ以上カバンを重くするのはどうかと……」
「キミ以外でいいから、何とかなったりしない?」
「まず、魔法が使える人が限られますよ?」
 先に運ばれて来るサラダから、レタスを摘まんで圭馬に与える。すると、圭馬は身を乗り出すのをやめた。つまりはこういう面倒も見なくてはいけなくなる。
 ジェフリーがツナサラダのツナだけを小皿に取って、サキに差し出す。圭馬だけでなく、ショコラもお腹を空かせているのだ。
 食べなくてもいいのかもしれないが、あげないというのもかわいそうだ。
 ツナをもらってご機嫌のショコラが、ジェフリーに向かって首を傾げる。
「ジェフリーさぁん、契約なさらないのですか?」 
「言われると思ったけど、俺は魔法の専門じゃないぞ」
「のぉん……恵子チャンは生前、邪神龍に記憶と魔力を食べられてしまっているのですよねぇん? 契約して、どんな補助と加護が得られるのですかぁ?」
 補助と聞いて、契約すると何かあるのかと思った。ジェフリーは同行した経験があるからわかるが、魔法を道中でアシストしてくれるのは助かる。
 圭馬もショコラも魔法を教えてくれる。アイラが連れている圭白は読心術というチート能力が使えた。
 圭馬はジェフリーを見上げながら言う。
「本当ならミティアお姉ちゃんが適任なのかもしれないけど」
「ちなみに契約すると、魔法でも教えてくれるのか?」
「恵ちゃんにそんな能力はないよ」
 あまりに淡々としていたため、ジェフリーは拍子抜けた。
 コーディに抱えられながら、恵子がチラッとテーブルの下から顔を出す。パタパタと耳を上下に振ってアピールをしている。
「わ、わたくし、家事全般が得意なのでお料理とかお掃除が教えられますよ? お、お得なペットとしてどうですかぁ?」
 これまでの道中でそうだったが、ミティアは洗濯も料理も最低限しかできない。しわしわのハンカチを見せられたこともある。味つけがおかしな料理を並べられたこともある。どうもミティアには生活のスキルが足りていない。本人も自覚をしている。
「た、確かにミティアが適任かも……」
「えーん、キッドが言うと何か悪意を感じるよ」
 親友のキッドにまで言われる始末。ミティアはしゅんとおとなしくなり、がっくりと肩を落とした。だが、それも一瞬で切り替わる。料理が運ばれて来た。
 まずは食事だとジェフリーは切り替えを提案した。
「その話は保留だな。プライベートが潰れるかもしれないなら、いくらペットといっても慎重にならないと」
 ジェフリーが懸念するように、今のサキにプライベートはないに等しい。圭馬もショコラも同行しているのが当たり前になっている。一人の時間や、ましてやミティアとの時間だってほしいくらいだ。監視の目があるようになるのは少し考えたい。自分の都合だが、ジェフリーはそう考えていた。
 お腹を空かせた一同が賑やかな食卓を囲む。食事をしているときは、暗い話をしないのがこの一行の暗幕のルールになっていた。
 誰かが設けたわけではない。提案したわけでもない。
 おいしそうに食べるミティアがいるから、自然とそうなった。一行の中心、皆の心のオアシス。もっとも守りたい人だ。
 ビーフシチューを頬張っているミティアの口端から、肉汁が垂れそうになっていた。
「おいふぃ……」
「お姉ちゃん、零れてる、零れてるよ……」
 コーディがナフキンを差し出している。ところがミティアは、指で引っかけて子どもの用に指をしゃぶった。行儀が悪い。
 ジェフリーはぼんやりとその光景を見ていた。微笑ましい。可愛らしい。そんなミティアがどうして理不尽な運命を辿らないといけないのか。ただ何となく流されて生きて来た自分が自発的に守りたいと動く理由。
 黙って見ていたジェフリーに、すかさずキッドが攻撃を仕掛ける。
「あんた、何ガン見してんの? 気色悪いわね……」
 これもいつもの流れ。
「まぁまぁ、惚れたら何でも愛でたくなるのデスヨ」
 フォローではなく、むしろ悪化を狙っているのではないかと疑うようなローズの言葉にジェフリーも呆れる。
 キッドはジェフリーに向けている嫌悪感を増す。あえて口にしないが、顔でわかる。
 顔でわかりやすい人物がもう一人、竜次だ。とても笑顔で客観的な意見を言う。なぜか、ジェフリーに。
「あまり喧嘩をしていると、かえって仲がいいのかと疑りたくなってしまいますねぇ」
 この顔は嫉妬している。ジェフリーは呆れて何も言えなかった。
 隣でサキが水を噎せ返している。
 こういうとき、誰にどんな思いが向いているのかわかって面白い。

 お腹を満たし、次は外で済ませておきたい用事だ。
 街中は少し人が増えた程度で大きくは変わらない。だが、買い物と情報の仕入れをしなくてはならない。その目的で外出したのだから。
 目的が複数ある場合は役割分担をする。仲間の中でグループ分けだ。
 ギルドへは竜次が行くと申し出た。
「私とコーディちゃんでギルドに行きます。買い物、先に見ていてください。後で合流しましょう」
 竜次が財布からお金を出し、ジェフリーに渡した。「無駄遣いしないように!」と、釘を刺した。ジェフリーの無駄遣いは今に始まったことではない。
 いったん竜次とコーディが離脱した。ギルドと道具屋は近いので、問題ないだろう。
 
 なぜ竜次がギルドに執着があったのか、世界情勢を知りたいからである。
 以前はキッドの名前で仮ライセンスを発行してもらい、大した利用はしていない。その際に、フィラノスの情報操作で沙蘭が孤立して陥れられていた。また情報が意図的に動かされていなければいいのだが。
 ギルドの中は改装されたのか、大きなホワイトボードまで設置されていた。忙しいのか、文字が殴り書きである。解放されて間もないせいか、情報の張り出しが追いついていない。
 おばあさんがカウンターの前で張り出し物を切り替えていた。
 まだここが解放されたのは知れ渡っていないのか、利用者はほとんどいない。
 コーディがギルドの中を見渡す。
「空いているね。よかった」
 竜次はさっそく壁の張り出しを眺めている。
「そうですね。こちらとしては助かります。でも、従業員さんは忙しそうですけど」
 入り口に大きく『臨時! 兵士募集』とあって目を疑った。フィラノスの城で働きませんかと求人が張りつけられている。給料がいいのは予想できるが、日雇い可能とまで書いてある。城に何があったのだろうか。ギルドのおばあさんはその件に触れた。
「あぁ、それ、いい話だと思うけどねぇ。退職の申し出が多数出ちまったらしいよ」
 聞いたコーディは、竜次の服の袖を引っ張った。手を添えてひそひそと話す。
「昨日、ミティアお姉ちゃんがおじさんに会ったって言ってたけど、何かしたのかな?」
「そんなこと、言っていましたね。ジェフに加勢したのかもしれません」
「もしかして、バッスバスに切り伏せて、怖いことしちゃったのかな?」
 竜次は少し考えてから腕を組んだ。
「個人的な見解ですけれど、そんな派手な行動をしていたら、今日はどこも開放されないと思います。それに基本的に沙蘭の剣士は無益な殺生をしません。あの方は確かに強いですが、強いならば、加減もできるはずなので……」
 クディフが何をしたのかは想像がつかない。これ以上考えていても仕方がない。
 情報収集に取りかかった。竜次が壁の張り出しを眺めている間に、コーディがカウンターでカードを見せて何か来ていないか確認してもらっている。
 見た情報だと、沙蘭の安泰はニュースになっていた。手を打つのが早かった分、被害も少なかったし、見習うべきだとまで書いてあった。
 朗報として、壊滅したと聞いていたマーチンの一部が剣術学校の手によって一部復旧したとの知らせがあった。誰か強者でもいたのだろうか。多少の謎はあったが、これはジェフリーに知らせてあげたい。
 朗報はもう一つあり、かつて立ち寄った火山のふもと、レストの街でついに温泉が掘り出されたらしい。いいことがあってもらいたいとは思っていた街だ。どうせここへは行かなくてはならない。火山の探索という意味もあってだ。
 近隣の情報しか、今のところは見受けられない。貿易都市ノアや王都フィリップス、壊滅状態のノックスの情報はなかった。
 ギルドは再開したばかりなのだ。これから徐々に増えては来るだろう。
 コーディは、カウンターのおじさんとやり取りをしながら、呆れ声を上げている。
「嘘でしょ、また出たの!?」
 異常な反応に竜次は興味を引いた。
「何かありましたか?」
「お兄ちゃん先生、ちょっとこれ……」
 顔を覗かせた竜次に、コーディが請け負いのバインダーを見せる。
 近くの川沿いでフィラノスを出て行った者が複数人、襲われたらしく退治依頼が出ていた。
 退治の対象は……
「あぁ、あのお行儀の悪い爬虫類ですか」
 竜次は小さく笑った。
 コーディと初めて出会った頃が懐かしい。彼女はこの依頼の調査に出ていたところを出会ったのだ。
「どうする?」
「ついでと思ってお受けしたらどうですか? 近頃、物騒になる一方ですからね」
 コーディには話していないが、以前ワニに遭遇したときは竜次がほとんど片づけてしまっていた。あの頃のミティアやジェフリーの剣の振り方は、不慣れで初々しかったものだ。あれからどれくらい成長したのか、興味深い。
 手帳にギルドのサインをもらって出た。
 出てすぐ、目の前のお店に人だかりができていた。
 騒がしいのは苦手だ。コーディも竜次も見流そうとしていた。ところが、人だかりの中心にサキの存在に気がついた。
 走る緊張。竜次とコーディが駆け寄った。だが、少し距離を置いて様子を見守る皆も確認した。どういうことだろうか。
 竜次がジェフリーを捕まえ、説明を求めた。
「ジェフ、これは?」
 ジェフリーは答えず目でサキを指した。皆も注目している。
 サキの目の前にはメルシィと魔法学校の教師らしき人たち、真ん中には少し着飾って長いマントを羽織った老人が見える。魔法学校の偉い人だろうか。
「サキ君がどうかしたのですか?」
「スカウト……みたいなモンかな」
「はえっ?」
 ジェフリーが何となく答える。竜次は変な声で驚いた。
 サキは着飾った老人から何枚かの紙と封筒を渡され、小声で話している。彼の表情はとても暗い。
 話し終わると、何度か頷いた。それを確認した魔法学校の関係者が立ち去る。
 メルシィだけ残ってご機嫌の様子だ。どうも彼女が関係しているようだ。
 徐々に注目していたやじうまも散った。
 そのタイミングでサキがメルシィを睨みつけた。
「どうして僕の名前を出したりしたの?」
「どうしてって、先輩いいことしてるのに、すごいのに、偉いのに……」
「僕はこの街でどんな風に思われているか、メルは知っているよね」
 何も事情を聞いていないが、やり取りで大まかな把握にはつながった。メルシィはきっと、大図書館や街の防衛や働きかけに、サキや一行が関わっていたと強く推したのだろう。
 ところがサキは、この厚意に甘えたくない。意地になっているのか、それともプライドなのだろうか。
 メルシィはサキが微塵も喜んでいないことに申し訳なさを感じていた。
「先輩……」
「あんまり僕に関わらないで。この街にいられなくなっちゃう」
 メルシィは涙目になりながらあとずさる。
「よ、余計なお世話でしたよね。す、すみません、でした……」
 言ってからメルシィは深く頭を下げ、猛ダッシュで立ち去った。
 サキはメルシィを追わない。声もかけなかった。渡された紙を見つめ、深いため息をついた。
 ジェフリーは紙を覗き込みながら、サキに声をかけた。
「お前、あの子に冷たいよな。慕ってくれている後輩じゃないのか?」
「突き放すしかないです。メルはまだ在学しているので、僕と親しいと知れ渡ったら、周りからよく思われないし、いじめられちゃう……」
 サキは深めのため息をついて、紙と一緒に渡された封筒を竜次に渡した。
「多分お金なので、資金にでもしてください」
「んー……何をもらったのですか?」
 封筒はともかくとして、何枚も紙を渡されたのは気になる。そのうちの一枚は厚紙で箔押しも入っていた。他の紙はこれからの魔法学校の方針や、大図書館のリニューアルを検討しますなどの説明だった。求めていた内容ではないが、また本が読みに行ける環境に戻るのは望ましい。
「感謝状ですか? 魔法学校からですけれど……」
 竜次は首を傾げる。もっと注目すべき点を指摘した。
「宛名が、サキ君の本名……?」
 竜次の視線はキッドにも向けられた。皆はサキの本名を知らない。知っているのはキッドのみだ。サキ自身も知らない。
 サキと呼ぶことが普通になっていた。
 キッドも仲間から弟としての意識を強めていた。ただ、打ち明けるタイミングがなかっただけで教えてもいいとは思っていた。
 サキとキッドが感謝状を見る。名前はソエル・ハーテスとなっていた。
 キッドは呆気に取られていた。
「誰にも話してないのに……」
「これが僕の本当の名前、なんだ? でも、どうして?」
 サキは疑うように仲間を見た。キッドは誰にも話していないと言っていた。それに、サキを売る人などいないはずだ。ましてや、魔法無効能力者であるキッドの存在が知られてしまう。いや、もしかしたら、魔法学校の関係者には知られてしまっているかもしれない。
 出回ったとすればギルドからかもしれない。一番可能性が高いとすれば、アイラからだろう。フィラノスが身辺調査でもしたのかもしれない。
 それはそうと、この流れは妙だ。なぜ、サキの本名を出す必要があるのだろう。
 賞状をもらうまでのことはしていないはずだ。本名が学校に筒抜けだったというのも気になる。サキはその点から、いい気分ではなかった。
 ローズは賞状よりも封筒が気になっているようだ。竜次の肩をトントンと叩き、発言権を求めるように小さく挙手をする。
「先生サン、その封筒、ちょっとおかしいデス……」
 竜次は指摘を受け、小さめの茶封筒を凝視して裏返しにする。すると、竜次も気がついた。
「おや、お金でしたら封をしますね」
「フム、中身は何でしょうネ?」
 別行動をしてさほど経過しないうちに捕まったらしく、何も買い物をしていない様子だった。封筒に興味がない者は、どこのお店に行こうかなどと話をしている。
 ローズが言うように、中にはお金ではなく折りたたまれた一枚の綺麗な紙が入っていた。少し黄ばんでいて、いい紙のようだ。
 目を通した竜次が苦笑した。
「サキ君は少し旅をお休みした方がいいのでは?」
 突然竜次に突き放すようなことを言われ、サキが縋るように迫った。
「なっ、突然、何ですか?! 僕、みんなと一緒がいいです!! 確かに足を引っ張っている自覚はあります。でも、これからもっと頑張りますからっ!!」
「いえいえ、そうではありません。言い方が悪かったですね、すみません。でもよく読んでください」
 竜次は勘違いをさせてしまったと詫びて、紙を両手で上下を押さえ、サキに見せた。
「へっ……?」
 サキは目を見開いて茫然としている。
 コーディとジェフリーも覗き、読んだ。
「特例として、ソエル・ハーテスに大魔導士昇格試験を受ける権利を与える……?」
「申し込み有効期限……明後日までじゃないか。ケチくせーな」
 ケチ臭いとジェフリーは悪く言う。
 ローズはこの文章がどれだけすごい意味なのかを、拳を震わせながら力説した。
「大魔導士昇格試験、まず魔法学校を上位十番以内で卒業し、二十歳にならないと受けさせてもらえない試験デス!!」
 条件は二つしか言っていないが、この時点でサキがどれだけ不遇なのかがわかる。成績はまだしも、年齢という壁があり、受けたくてもずっとその期を待つだけだった。
「受験する者の、実力を保証する保証者の名前も必要デス。ちなみに試験に落ちたら、その保証人も同額のお金を払いマス! 受験料は百五十万リースデス」
 条件もそうだが、かかるお金も高かった。さすが、フィラノスというブランドだ。
 ここでサキは深いため息をついた。
「受かったら、大魔導士の称号がもらえます。大魔法も授与される。でも、筆記九百点以上と、実技三分で二百個の魔法は自信がないです。魔石や杖の媒体を使っちゃいけません。今の僕に、そんな体力はありません」
 サキは首を振って、切り替えようとする。その表情は、諦めているようだった。
「特例なんて、こんなものです。そもそもそんな大金、用意がないですし、ミティアさんを助ける足止めなんてくだらないと思います。さ、買い物して残りの計画を……」
 サキは皆に包囲される。妙な威圧を感じ、戸惑った。
「……?」
 ずいずいと迫ったのはキッドからだ。
「受けなさい!!」
 次いでジェフリーも追撃した。
「こんなチャンス、滅多にないんだぞ!!」
「えっ、えぇっ……」
 サキは何を言っているのかと嫌悪感を露にする。
 今度は違う人から圧がかかった。
「ワタシ、出資するデス」
「私も印税から出すよ」
 お金の話だ。ローズはともかく、コーディから印税という言葉が出るとは思いもしなかった。ギルドのハンターならそれなりに稼ぎがあるだろうが、彼女が文句を言いながら大金を払うのを見ている。お金で困っているのを見た記憶がない。
 お金の話なら、竜次も加わる。
「私も沙蘭の自室に細々した物があるので、少しはお金が出せそうです」
 国のお金でなければいいのだが、竜次が言うと迫力がある。愛用品でも売ろうというのだろうか。
 今まで黙っていたミティアが力強く挙手をした。
「あ、あの、わたしも、前に先生が言ってた体で稼ぎます!!」
 誤解を生みそうな発言だ。なぜかキッドも同調した。
「あ、あたしもやりますっ!!」
 二人が言う『体で稼ぐ』とは、竜次が宿などで間借りをして診療所をやることだ。旅が軌道に乗る前は、資金の心配をよくしたものだ。それもギルドを利用するまでだった。
 変な誤解が生まれてしまったあとだが、竜次は二人を説得した。
「今は、ギルドで仕事を受けた方が稼げると思います。金額もそうですが、短時間で」
 そんな和やかな空気の中でも、サキは首を縦には振らなかった。
「いいんです。僕は特別扱いされたいわけじゃない。今は、みんなと一緒にいる方が大切なので」
 サキは皆の間をすり抜けて、勝手に道具屋と書かれたお店に入ってしまった。

   この街で、サキ・ローレンシアとして一人で生きて行くには肩身が狭い。
   師匠のアイラはフィラノスに家を買うつもりだと言っていたが、もし本当に実現するなら静かに暮らすのも悪くないだろう。
 サキは自分の中で目標がある。今は立ち止まれないが、いずれはその旅路に終わりは訪れる。周りに認められようと必死にはなった。けれど、特別扱いされたかったわけではない。
 道具屋に入ったタイミングで圭馬がカバンの中から言う。
「キミもキッドお姉ちゃんと一緒だね。誰かに甘えないんだ?」
   圭馬に厳しい指摘を受けた。キッドに似ている、そんな言い回しに、サキは苛ついた。
   確かに、キッドもそれで怒られていた。姉弟なのだから、似て当然だがこう指摘されると、素直になれない。
「主の努力が実ろうとしているのですよぉ? せっかくの機会なのにぃ……」
 ショコラにまで説得された。ここでサキは言い返した。
「僕は、認めてもらいたいわけで、特別扱いされたいわけじゃないんです。きっと、これは誰にもわかってもらえない……」
「のぉん……」
 自分は何のために今を頑張っているのか。人の役に立ちたいという強い思いから、サキの存在が成り立っている。
 努力で積み重ねたものを、誰かに認めてもらいたいがために。
 ほしい魔石を手に取って会計カゴに詰めた。この魔石を使わないで二百個の魔法なんて唱えられるはずがない。
 本当なら、せっかく舞い込んだチャンスだ。正面からぶつかりたい気持ちもある。だが、自分から踏み込む勇気は持ち合わせていない。
 
 店の外では軽く言い合いになっていた。
「わたしのせいで、サキがせっかくの機会を逃すなんて絶対に嫌です」
 何の責任を感じてなのか、ミティアが涙目になりながら皆にも訴えている。
「ミティアのせいじゃないんだけど、あいつは何を頑固になっているんだ?」
 ジェフリーも渋い反応だ。だが、友だちとして応援したい気持ちは強い。何か力になれないかともどかしい思いをしていた。
 意外にも、サキの心情に添えると思っていたのは竜次だ。一つの提案をする。
「あえて、先に進んでから考えてもらうのはどうでしょうか」
 竜次の提案にローズが深く頷いた。
「フム……確かに何かがきっかけで、ガラッと気が変わるかもしれませんデス」
 キッドは諦めているようだ。『受けなさい』と一度は迫ったが、冷静になって考えてみると、慎重にならなくてはならない。
「期日、明後日まで有効でも、もういくらも勉強できないわ。こんなの無理よ。やっぱり、二十歳から受けられる決まりには、卒業して働いて、お金も勉強する時間もある意味でよくできた仕組みなのね」
 学校に行っていないが、お金を稼ぐのも苦労するのを知った。キッドが指摘をするように、社会的にもよくできた仕組みだ。
 竜次には、サキが頑なに拒否する理由に心当たりがあるらしい。この場の入り乱れた感情を鎮めようとする。
「今は、普通に接してあげるべきかもしれません」
「どうしてですか?」
 ミティアがお得意の首を傾げ、理由をうかがう。
 竜次は人差し指を立て、自慢げに言う。
「私がサキ君の立場だったら、『特別』扱いは嫌だと思います」
 ジェフリーが、サキの賢さや魔法の能力を高く買っているのは知っている。だが、それは竜次も一緒だった。さらに加えると、竜次は遥かに年上なのに、尊敬しているとまで称賛している。
「私で持ち直せるかはわかりませんが、意識した接し方をしてみます。皆さんはどうか脱線しないように。あ、お金の心配をしましょう。せめて無駄遣いしないように!!」
 皆さんは、と言いながら竜次の指は無駄遣いの常習犯のジェフリーに向いていた。
 言ってから、竜次はウキウキで道具屋に入店して行く。
 今のところは竜次に任せよう。いつもの空回りから始まる予感がするが、心情はわかってあげられる可能性がある。

 とんだチャンスが舞い込んだが、これからどうするつもりなのだろうか。

 宿に戻ったら情報の整理をして、これからの進み方を話し合う。
 手元には、いい情報ばかりなのだ。
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