トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【8】再始動

おかえりなさい

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 すっかり沙蘭の街は暗くなってしまった。街中には見慣れない紙製のランタンのようなものが下がっている。竜次によると、これは提灯というものらしい。
 その沙蘭の街を、サキと竜次が歩いていた。
 サキが沙蘭の街中を歩きたいと申し出たのがきっかけだった。手が空いている竜次が付き添って案内をしてくれるようだ。
「いやぁ、サキ君が街を見たいだなんて、うれしいですねぇ」
「気が滅入ってばかりだったので、気晴らしがしたくて。忙しいのにすみません」
「いえいえ、いいのですよ。ご馳走します」
 襲撃後の安全確認が完了し、避難が解除された街中は明かりが灯るのも早かった。
 この国は何事も早くて感心する。邪神龍の襲撃からの復興も早かった。そんな沙蘭を、この目で見てみたい。サキはそんな純粋な気持ちだった。だが、どうしても気がかりは抜けない。
 気晴らしとは言ったもののサキの表情は暗い。
「サキ君……?」
 時折見せてしまう暗い表情を竜次に気づかれてしまった。サキは苦笑した。
「もしかして、具合が悪いのですか?」
「あっ、いえ、そうじゃないです……」
 思わず塞ぎ込んでしまった。せっかくの機会なのにこれでは楽しめない。
 この場にいるのはサキと竜次だけではない。それを思い出させる声がした。
「どうせさ、ジェフリーお兄ちゃんたちが気になってるんでしょ? 明らかに、見るのがつらいって顔をしていたし?」
「圭馬チャン、よく見てますねぇん?」
「う、うるさいなぁ……」
 サキのカバンの中が賑やかだ。圭馬が指摘するように、サキはジェフリーたちが心配で仕方ない。特にジェフリーは体を壊さないかまで心配である。あそこまで気が沈み、悲痛の表情だった彼を見るのがつらかった。
「サキ君だって、心配ですよね……」
 キッドも心配で付き添っているが、きっと彼女はどこかで折れる。不思議なことに、サキはキッドの心配をそこまでしていなかった。それは信頼にも等しい。
「ミティアさんも無事かわからないです。目を覚ましてくれたとしても、どんなリバウンドがあるかわかりませんし……」
 サキもつい悪い方に考えが行ってしまう。
 歩きながら竜次は自分が知っていることを話した。どうしても、今までのおさらいになってしまう。
「私がはじめに見た禁忌の魔法は、ジェフに対してだった。ミティアさんを助けようとして崖から落ちたのです。ジェフは彼女を庇って重傷を負ったんだと思います。崖下で二人を発見したとき、奇跡の光を見ました。大きな怪我がありませんでした。やっぱりそのとき、ミティアさん深く眠って……でも目が覚めたときはリバウンドなんてなかったと思います。必ずしも悪いことが起きるとは限りません」
 今は竜次の言葉を信じたかった。これ以上、ミティアに何も失ってもらいたくない。
 ようやくサキは顔を上げた。
「ねーねぇ、ボクお腹空いた……」
 いつまでも、うじうじしているな……との気遣いだろうが、圭馬が言葉と行動で引っ張ろうと試みる。その話に竜次は便乗する。
「おさかな好きですか?」
「おさかなぁ!」
 竜次も食事で牽引を試みた。ショコラの反応よくカバンから飛び出してしまった。
 しばらく石畳を歩き、大きな橋の手前に屋台が見えた。
「あれは確か……」
 賑やかな繁華街からは離れているが、川沿いでお城を背景に月が見える。今宵は少し曇っているのが残念だが、時折見える月がきれいだ。
 竜次は屋台の主を知っているようだ。サキたちを手招きした。
 こぢんまりとした、まるで隠れ家のような屋台だ。特別な主張もなくごくごく自然に、さりげなく存在するものだった。
 竜次は慣れた手つきで暖簾を払う。
「こんばんは。若竹さん」
 木箱を並べたような粗雑な椅子だ。とても座り心地がいいようには思えない。サキは躊躇していた。
 短髪で鉢巻、白っぽい甚兵衛のような作業着を身に着けているおじさんが応対した。
「あれ、竜さんじゃないか。おかえりなさい?」
 知り合いなのだろうか、親しい話し方だ。見かけよりも声が若々しい。
 竜次は座って頬杖をついている。サキは竜次の隣に座って肩を縮めた。
「おすすめのちらしをこの子に。私はカレイの煮付けと赤身を適当にください」
 手慣れた注文だ。通い慣れていないとなかなかできない。
「あっ、きゅうり巻きと小皿に赤身を刻んで別皿でいただけますか?」
 圭馬とショコラに対しての注文もした。
 注文を聞いて、若竹はうれしそうに頷くが困っているようでもあった。
「お帰りでしたの、知っていたら上物を仕入れましたのに……」
「はっはっはっ、そんなのいいんですよ」
 ほどよく温かいお茶が出された。ほうじ茶なのか、緑茶とは違った香ばしさが鼻を抜け、すっきりとした気分を味合わせてくれる。
 若竹は手を動かしながら、竜次に話を振った。
「ウチの子、最近見ましたか? 仕送りだけ来ますが、どこほっつき歩いてるのかわかりゃしねぇ。いい男でも捕まえてくれりゃあいいんですがねぇ」
「あぁ、最近、お見かけしましたよ。お元気にお仕事をしていました」
 湯飲みを両手に温まりながら、話を聞いているがやはり知り合いのようだ。サキの疑問が顔に出ていたのか、竜次が小さく頷いて紹介した。
「あぁ、若竹さんは壱子様のお父様ですよ」
 壱子のことは詳しくは話さないよう、竜次は人差し指を口の前に立てた。サキに向けてのアイサインでもある。ここだけの秘密。若竹は壱子の仕事を知らないようだ。
 陽気な話は続いた。
「そうだ、竜さん、ウチの子どうですか? まだ独身ですよね?」
「ははは、ご冗談を。壱子様の年が上すぎますよ……」
 竜次は笑い飛ばす。何気に凄い情報が含まれていた。壱子は、自身を既腐人などと自称していた気がする。サキは苦笑いで相槌を打っていた。
 ただそこで頷いていただけなのに、サキが注目された。
「ところでこの賢そうなお坊ちゃんはどちら様で?」
 若竹はサキに笑顔を見せた。
 サキは旅をするのに適した格好だが、細身で鋭利な武器を持てる腕をしていない。そして竜次と行動をともにしている。疑問を持たれても仕方がないことだ。
 竜次はまるで自慢をするように気を大きく話した。
「ジェフの友だちです。本当にずるいですよね。こんなに賢くて、いい子が友だちだなんて……」
 竜次は嫉妬にも似たひねくれ方をしている。サキは、反応に困った。陽気に笑う一同。
 そんな空気の中で、若竹がサキの目の前に丼が置いた。
「はい、ちらし寿司お待ち!」
 サキは初めて見る料理に目を丸くした。
「えっ、これもしかして、お寿司?」
 一緒に渡された割り箸を手に、サキは丼を上から見たり、横から見たりと視点を動かしながら観察している。ちりばめられた生魚と卵焼き、薬味、少々の野菜が見る者を魅了する。まるで種類の多い色彩具を開けたような感動を覚える。
「生魚って食べたことないかも。お腹壊しませんか?」
 サキは知識の街でもあるフィラノスで育った。何となくは知っているが、実際に食べたことはない。箸の扱いは知っていた。
 竜次は自信満々に紹介する。
「ふふっ、お腹を壊す暇もなく、おいしくてぺろりと全部食べちゃいますよ。はい、お醤油。わさびは……控え目がいいかな。はい、どうぞ」
 竜次の目の前にも、赤身の握りとカレイの煮付けが置かれた。きゅうり巻き、赤身の細切れが盛られた小鉢も渡された。
 使い魔の二人にも食事を渡す。
「はい、どうぞ」
「のぉぉぉん……」
 竜次が小鉢を足元に潜らせた。無我夢中で食べだした。
「うわっ、ぱりっぱりじゃん。おいしいね……」
 圭馬が海苔の音を立てておいしそうに食べるので、サキも食欲をそそられた。
「い、いただきます!」
 赤身のお魚、卵ときゅうり、いくらとイカとサーモン、この白いのはタイだろうか。どれも本で見た記憶はある。だが実際を目にするのも、食べるのも初めてだ。
 下には白いご飯だが、ほんのりと甘酸っぱい上にまだ少し暖かい。口に含むと海鮮の味もしたが磯の香りもした。とてもおいしい。
 思わず無言になってしまう。
 人語を話す動物を引き連れているのに、若竹は何にも言及しない。客人のプライベートには介入しない。もちろん必要以上には。
 竜次は、身体の細いサキがこればかり食べてくれたら、もっと健康的に肥えてくれるかもしれないと思った。もっとも、これは贅沢な食べ物だ。
「最近は緊張続きですけれど、おいしいもの食べているときくらいは幸せでありたいですよね。さて、私もいただきます」
 竜次も食事を楽しむことにした。一同はおいしいものを食べている幸せに浸っていた。
 椅子がガクンと揺れた。
「ちょいと邪魔するよ」
 歯切れのいい女性の声、聞き覚えがあった。栗色の髪に帽子は手に持っている、ストールが暖かそうなアイラだ。解れた髪を気にしながら、座った。
 この場にアイラが到着したとなって、サキが取り乱す。
「おふぃしょふあま!!」
 口に含んだままサキが喋り出し、そのまま咳き込んで噎せた。もちろん驚いたのはサキだけではない。
「人情マダム?」
 竜次も箸を咥えたまま、目を丸くした。
 驚いている二人にかまわず、アイラは肩をほぐしながら首を回している。
「はぁっ……たく、くたくただよ。沙蘭は一回だけ船で来たきりでね。正しい覚えてなくて、着地点を間違えちまったよ」
 アイラからは疲労の色がうかがえた。この言葉はどういう意味だろうか。
「幻獣の森から歩いたのです。お疲れですよね、アイシャ様……」
 ストールの中には圭白が潜っていた。寒いのだろう。ぶるぶると震えていた。
 アイラは寒がっている圭白を撫でながら、サキに目を向けた。
「ほぉ、ちゃんとご飯食べてるなんて、珍しいねぇ」
 アイラが知る限り、自分の目が届くところでは食べていたが、姉のラーニャのところではほとんど食べないし眠っていないようだった。健康的になったものだ。
 少し贅沢な物を食べているとは思ったが、きっと竜次の奢りだろう。魔導士として、一人の人として旅に出させた。会うたびに逞しくなり、知らない子になっていくようで恐怖も抱いていた。
 世界の真相に迫ろうとしている。それは大人たちの領域に踏み込んでしまったことを意味している。止めようとした。せめて、自分の目が届くところに置こうとした。
 もう止めることは難しい。と、アイラは諦めていた。それでも今はこのひとときを楽しもうと思っていた。
「あたしもゆっくりさせてもらおうかね」
 アイラの言葉に竜次が反応した。
「ご馳走しますよ?」
「あっはは……大きくなったもんだね、竜ちゃん?」
「あれ、以前、一緒に飲もうってお約束しませんでしたか?」
 アイラは人差し指でこめかみをコツコツと突きながら、大胆に足を組んだ。そんな約束しただろうか。いや、した。フィラノスで助けたときに。
「あー……したねぇ。何、今かい?」
 唐突だったがゆえに、アイラも躊躇したがそれも一瞬だけ。
「ご主人、熱燗と何か小鉢をおくれ……軽めで頼むよ」
 小鉢……つまり、酒のつまみだ。
 アイラが熱燗を頼みそうなのを予想していたようだ。若竹はお猪口と一緒に手早く熱燗を出した。続いて、タケノコとカツオを煮た小鉢が出した。
 アイラはあまりに手際がよくて驚いている。うれしい気遣いだ。
「竜ちゃんは飲まないのかい?」
「えっ、えぇ!?」
 竜次にそんなつもりはなかった。だが、若竹からお猪口が差し出された。
「い、一杯だけですよ。ジェフに申し訳ない……」
 サキを挟んで盃が交わされた。
 話したいことはあるが、今は酒の席。何でもない話がしたい。
「あ、若竹さん、すみません。助六を二人前、お土産にお願いします」
 飲み交わしている間に、竜次が追加で注文をする。
 ジェフリーたちに持って行くためだ。根を詰めすぎて、食べないかもしれない。
 アイラはお猪口を傾けながら、愛弟子であり、息子同然のサキに目を細めた。
「サキや、ちょいとは肥えたみたいだね。面倒を見てくれる人でもいるのかい?」
「おいしそうに食べる方がいるので、自然と。もう少し体力があれば、足を引っ張らずに済むんですが、それはこれからの課題です。もっと僕は成長して、誰かを助けられる力をつけたいです!」
「……やっぱり止めても無駄か」
 タケノコを圭白に咥えさせながら、アイラはため息をついた。
「もう、旅なんてやめて、静かに暮らすのはどうだい? 弟子でも取って、魔法の先生でもやりなよ。あんたがこんな旅をする理由なんてないはずだろう?」
 アイラは母親としての顔をした。酔っている勢いではなさそうだ。
 サキは竜次の顔色をうかがう。反対するかと思ったが、そういう表情ではない。
「サキ君がそうしたいなら、私は止めません。サキ君は深い目的があって同行しているわけではないですからね……」
 前にも話したし、アイラとはこの話で衝突している。
 サキの意思は揺るがないものだった。
「僕はこの旅が終わっても、自分が本当にやりたいことを見つけるために旅をします。それではいけませんか? お師匠様……」
 サキは空の丼に箸を置いた。ごちそうさまと手を合わせ、そのままアイラに向き直る。
「いつか、お母さんに楽をさせたいから……」
 サキが言う『お母さん』はアイラを指していた。
 実の子どもではない。師弟関係だが、それ以上に強い親子関係。アイラにも考えがあった。
「もう少ししたらフィラノスに家を買うよ。もう場所は決めてあるんだ。そしたらあたしゃ本当に隠居するかもね。たまに小遣い稼ぎをしてさ?」
 話している内容とはうって変わり、割と気軽だった。もしかしたら、お酒に助けられていたのかもしれない。
 アイラはサキの頭をぽんぽんと叩き、愛おしそうに撫でた。
「わかった。もううるさく言うのはやめるよ。でも、いつでも帰って来ていいんだからね?」
「はい、わかりました!」
 今回はこれでまとまった。後味の悪いものにならなくて良かった。
「ごちそうさまでした」
 三人して席を立った。竜次がお弁当の包みを貰いながら、財布を取り出している。
 黒革のきちんとしたお財布だ。いつも乱雑に袋の中から小銭を渡しているイメージがあったため、ちゃんとお財布を見られたのは貴重かもしれない。サキは竜次の意外な一面を見たような気がした。
 会計を受け取った若竹は竜次に突き返そうとする。
「竜さんから金なんていただけませんて……」
「また帰ったときに、若竹さんの料理が食べられないのは困ります。多めに払いますので、今度来たときはもっと飛びっきりのものを振る舞ってください。もしかしたら、お城に呼ぶかもしれませんし?」
「へ、へぇ? 城にですか? 誰かのおめでたい席で……?」
「さぁ?」
 そのつもりはないが、意味深に聞こえたかもしれない。外部から城に料理人を招くなど、そんなにあることではない。口だけの約束というか、期待を持たせるためというか、ただ、また帰って来る理由かもしれない。
 精算し、静かな道を三人で歩いた。小川のせせらぎ音が程よい。
「さぁて、どうしたもんかね……ちょいとマズイ情勢になったんだよ」
 アイラは部外者の前で仕事の話はしない主義だ。歩いてすぐに話がはじまった。
「壱子さんにも広めるようにお願いはしたけど、ノックスにゾンビみたいなのが蔓延っているんだよ」
 竜次とサキの足がぴたりと止まった。思わず耳を疑った。そんなものは架空の存在であって、実在なんてするはずがない。
「あまりに現実離れしています。何かの間違いでは?」
「お師匠様、酔ってます?」
 やはり簡単には信じられない。アイラは相手を試す発言もする。それでなくても、今はほろ酔いだ。
 アイラは疑われているのを知り、人情カバンを前に回した。
「白ちゃんに代弁してもらうかい? 読心術だって使うからねえ?」
 アイラは丸まって眠たそうな圭白を引っ張り出した。お腹いっぱいで眠たげだ。
 圭馬がわかっていて嫌そうに耳を伏せた。
「うわぁ、兵器より怖いのが来た……」
 圭白はノックスの現状について話す。その内容は、アイラの話を膨らませてひどくしたようなものだった。しかも、賢人である圭白が淡々と話すものだから、信憑性のあるものだった。
 サキは話の内容を理解したようだ。
「じゃあノックスの街は、事実上壊滅なのですか?」
 圭白は深く、深く頷いた。
 状況は思ったよりも悪そうだ。竜次は腕を組んで考え込んだ。
「フィリップスのクレスト様も行方不明ですし、王はお亡くなりになったとお聞きしました。あの辺り一帯が、空白地帯になってしまっています。指示を出せるだけの人間がいない今は、フィリップスも危険です」
 うっかりフィリップスの情勢を漏らしてしまったが、情報が出回るのも時間の問題だろう。だが動揺したのはサキだけで、アイラは驚かなかった。
「あたしの推測に過ぎないから信じなくていい。火事のあった教会のシスターは別の所で監禁されて無事だった。フィリップスの王子が監禁したらしいんだけど、この壊滅騒動から間接的に助けたとは思えないかい?」
 アイラの推測を耳にし、竜次も引っ掛かりを感じた。
「沙蘭の襲撃も、王子が手紙で示唆していたようです。事前に受け取っていた姫子がほとんどの住民に避難の指示をしていたので、大きな被害はなかった」
 クレスト王子とは謁見したが、自分が利用されたと早い段階で気づき、できるだけ助けようと知らせたのだろうか。本人に話を聞く機会がないと、あくまでも予想にすぎない。
「フィリップスのヘッドは腐りきってなかったのかもね」
 アイラの解釈が一番しっくりきた。
 サキは別の懸念事項があった。当然、教会のシスターだ。今後彼女の存在が、鍵になる可能性もある。
 サキ以外は話が断片的で把握しきれていない。その間にも、話はどんどん進む。圭白が一行を導こうとしている。
「先読みをして申し訳ないのですが、ミティアさんが目を覚ましたら、幻獣の森に来るように皆様にお伝えしてください」
 まさか幻獣の森が目的地に挙がるとは思わず、一同揃って驚いた。
 圭白はゆっくりと語り出した。
「失礼と知りながら、お二人のお心をお読みして、情報をつなぎました。ミティア様から禁忌の魔法が失われたら、彼女の半分以上がなくなった状態です。無事に目が覚めたとしても、彼女の衰退は今よりも早く進みます。ではどうすればいいか。幻獣の森から魔界へ行き、彼女の魂の半分を取り戻すしかないのかと……」
「白兄ちゃん、そんな無茶をして、自分がどうなるかわかってるの? 一般人にそんな情報を漏らして、タダで済むとでも思ってるの!?」
「もちろん、お助けしたければ……ですけれど」
 同じティアマラントの兄弟でも、兄の圭白が言うことには迫力がある。だが、圭白がその情報を『こちら側』に流すのは、協力者になりたいのかもしれない。
 圭馬には圭白の持つ読心術の能力はない。だが、協力者として、魔導士の契約者として、仲間としてともに歩んで来た。答えなど決まっている。
「答えなんて決まってるじゃん。罰ならボクも受けるよ」
 魔界に行く流れになるだろう。圭白や圭馬にどんな影響が及ぶのか、それは人間にはわからない。
 話について行けず、竜次はひねくれるような素振りを見せた。
「はぁ、私には難しい話ですね……」
 こういうところさえなければ、もう少しみんなのお兄さんとして見られそうなのだが。
「あとでサキ君から詳しく教えてもらいます。ミティアさんを助けたい気持ちには変わりありませんので」
 竜次は納得していないようだが、この場ではとりあえず流しておいた。ここで話し込むと、仲間に情報の共有ができない。
 圭白が一行に肩入れするものだから、アイラも考えをあらためる。
「白ちゃんがそういう考えなら、しばらくは一緒に行動してもいいんだけどねぇ……」
「えっ、お師匠様、本当に……?」
 アイラからの案に、表情を明るくするサキ。だが、その歓喜は一瞬だった。圭白が余計な一言を読み取った。
「アイシャ様、御一行は白狼と手を組んだようですが?」
 アイラが表情を渋める。めまいなのだろうが、酒が回ったように気分が悪そうだ。
 竜次にも心当たりがある。貿易都市でクディフと対峙の際、助けに入ったのがアイラだ。意味深なやりとりもしていたし、怪我を負わせる激しい死闘もしている。
「そういえば、小競り合いと言うか、喧嘩と言うか、殺し合いと言うか……あまり親しい仲でもありませんでしたよね」
 サキはクディフと意見を交わし、敵意がないことを確信した。アイラとは仲が悪そうだ。これはサキも心得ている。
「お師匠様、仲良く……は、できないのですよね?」
 遭遇しただけで死闘に発展した。よほどの因縁があったに違いない。
 アイラは検年するように首を垂れた。
「そうさねぇ。あいつはアリューン神族のハーフだって知っているね? 腕を買われて女王だったあたしの妹についてたはずなんだけどね。妹の恋人でもあったのさ。それが、アリューン神族の考えに背き、全然違う国に寝返った。まぁ、それもあってアリューン界は外部からの接触を断ったんだけどね」
 アイラは因縁のほかにも重要な情報を零していた気もする。が、竜次もサキも深くは触れない。ここで得た情報はまた別途で整理が必要だ。
 せっかくだが、条件が悪い。それでも、愛弟子の願いには沿ってやりたい。アイラは前向きな答えを出した。
「協力はしよう。でも、少し距離を置かせてもらおうか。近くにいるようにはするさ。また大人の喧嘩なんて、見せたかぁないからね」
「お師匠様、ありがとう!!」
 条件付きで一緒に行動してくれる返事だった。それでも、サキにとってはうれしくて仕方がない。
 一緒に行動をすることで、アイラは一つ思い出した。振り返って竜次に質問する。
「そうだ、ケーシスさん、大怪我をしていたけど無事だったのかい?」
「えっ、お父様が?」
 知らない話をしてしまった。アイラはそんな顔をしながら、圭白をじっと見た。都合のいい読心術だ。
「ご一緒ではないようですよ……」
「マズったね。言わなきゃよかった」
 せっかくいい雰囲気でまたね、というわけにはいかないようだ。
 口走ってしまったのは、ほろ酔い状態のせいだろうか。
 吐いてしまったものは耳にしっかり入ってしまったので、竜次は取り乱していた。
「ミティアさんに大怪我をした痕跡があったのですが、お父様は一緒ではありませんでした。彼女はお父様の懐中時計を持ってはいましたが、マダムはご存じないですか?」
 食ってかかりそうな口調だ。まるでジェフリーを相手に話しているような感覚になっていた。アイラは観念するように答えた。
「ケーシスさん、子どもも連れていたよ。そんなに長く生きられない感じの。一緒に死んでなければいいんだけど……」
「そんなっ!!」
 認めない。竜次は激しく首を振って拳を作った。ここでアイラにぶつかっても何もならないのは承知で感情をぶちまけている。
 収拾がつかなくなる前に、圭白が詳細を話した。
「申し上げにくいのですが、ケーシス様はご病気をお持ちのようです。連れ子は種の研究所から連れ出したハイブリッド人間、フィラノスが所有していた人間兵器でした。長くない命をともに歩まれるつもりのようです。そこで、ミティア様に遭遇したまでは、読みましたが……」
 圭白が淡々と読み取った情報を述べると、竜次は硬直してしまった。
 黙って聞いていたサキが自分の考えを述べた。
「憶測でものを言っても仕方ないのですが、ミティアさんはとっても優しい人です。これだけは間違いない。助けたんじゃないですか? そのお父様と連れていた子どもを。多分、先に行けって……押し退けて……」
 憶測と言っているが、ほぼ答えのような気もする。先ほどまで父親のことで落ち込んでいたというのに、竜次も調子を合わせている。
「困ったなぁ、ミティアさんには。元気になってもらわないと……」
「彼女から直接聞かないとわからないですけれどね」
 一緒にいた時間が長い分、二人はミティアがどんな人なのか理解している。だからこそ、この考えに至った。
 和やかな雰囲気だ。アイラは軽く手を振って脇道に入った。

 二人の姿が見えなくなってすぐ、民家の外壁に寄りかかって空を見上げた。
「羨ましいね、ケーシスさん。いい子どもじゃないか……」
 雲間から見えた月が、ぼんやりと滲んで見えた。
 アイラは大きく息をついて鼻をすすった。
 自分にはお腹を痛めて産んだ子どもはいない。確かにサキの育ての親かもしれない。サキに何かしてやれただろうか。自分なんかが母親でよかったのか、年度も苦悩した。
 実際に血のつながりのある親子はどうなのだろうか。身近な人と比べてしまう。
 アイラはサキとの親子関係が解けて消えてしまいそうで焦りを感じていた。
 それは、ずっと。ずっと……

 
 竜次とサキは東殿に戻った。
 居間でコーディとローズがテーブルに紙を広げ、したためていた。
 コーディが顔を上げる。
「あ、お兄ちゃん先生たち、おかえりなさい」
 竜次はご機嫌に挨拶を交わす。
「はい、ただいま。書き物ですか?」
 コーディの表情がいつになく明るい。隣にいるローズが誤字をチェックしているようだ。
 サキがクディフの姿がないことを気になっていた。
「シルバーリデンスさんはどちらに?」
 サキの質問に、コーディはペン先を整えながら答えた。
「おじさんなら、協力はするが行動をともにするつもりはないって」
「お、おじさん……?」
「そ。おじさん」
 サキは苦笑いをし、竜次とローズは笑いを堪えているようだ。
 一同はクディフがアリューン神族の混血だと知っている。あまり老いを感じないようにも思えた。コーディは何も気遣いなく、クディフをおじさんと呼んでいるのに驚いた。
 だが、驚いたのはそれだけではない。
 竜次は眉をひそめた。
「行動をともにするつもりはない、とは……」
「お兄ちゃん先生、かっこいい言い回しなんてしないで、そこはちゃーんと、はっきりさせればよかったんじゃなーい?」
 もう一人、いや、一匹かもしれないが竜次を『お兄ちゃん先生』と呼ぶ者がいる。その圭馬に痛い指摘をされた。とんだダメ出しだ、これを受け、竜次は激しく凹む。
「くっ、悔しい……」
 クディフと和解してから、竜次はこんな反応ばかりで起伏が激しい。お互い公認のライバルになったかのようだ。
 笑いを誘う複雑な関係。一緒に行動をともにしている仲間とは違う関係。それは、大人と子どもの関係かもしれない。
 和やかな空気だが、足音がした。一番近くにいたサキが反射的に声を上げた。
「あ、姉さん?」
 キッドが壁に手をつきながらゆっくりと階段を下りている。徐々に顔もはっきりしてきたところで、サキが駆け寄った。
「姉さん、大丈夫? ひどい顔してるよ……」
 嫌な考えでも膨らませてしまったのだろうか。泣き腫らした顔には、いつもの元気がない。サキの手を振り払う威勢もないようだ。キッドの目尻が真っ赤に腫れている。何度も擦ってしまったのだろう。
 キッドはサキに支えられながら弱々しく言う。
「もうあいつ、見てらんない……」
 キッドが指す『あいつ』とはジェフリーだ。そう言う彼女も憔悴している。今日は走り回った。物探しもした。そして親友への気遣い。
「食欲もないし、寝るわ……」
「ふらふらじゃないですか、僕も付き添います」
 サキに支えられ、キッドは場を離脱した。先に折れるとは予想していたが、ジェフリーは大丈夫だろうか。
 キッドも心配だが、サキが一緒なのだ。ここは彼に任せよう。竜次はジェフリーが気がかりだった。
「お二人も、休めるときに休んでくださいね」
 竜次はコーディとローズにも声をかけ、階段を上がる。寝室に足を運んだ。
「ジェフ、入りますよ?」
 引き戸を叩くも返事もない。
 入ると、ジェフリーはミティアの眠る脇で目を覚まさないかと待っていた。
 この寝室は妹の正姫のものだ。怪我人を置くには贅沢な場所。もしくはそれ相応の対応をさせたのかもしれない。
 竜次はこの部屋に残る消毒液の臭いを気にしながら、ジェフリーの背中を見た。肉厚の座布団だが、正座を崩さない。この小さな背中を見て、半年ほど前の自分を思い出した。
 無言になってしまうが何か声をかけてやりたい。竜次は余計なお世話と知りつつ、ジェフリーの体を気遣った。
「体、壊しますよ……」
 光介が持って来たであろうお茶にも手がついていない。ジェフリーは、何も口にしないまま待ち続けていたようだ。これは、キッドが「見てらんない」と言ったのも頷ける。
「これ、少しでもいいから食べなさい」
「いらない」
 やっとジェフリーが口を開いたと思ったらこれだ。手がつけられない。
 今は何を言っても無駄だ。やはりそっとしておくべきだったかもしれない。そう判断した竜次は、助六の入った土産箱を冷めたお茶の隣に置いて立った。
「ごめん、兄貴……」
 ジェフリーが声をかけた。
 竜次は開こうとしていた扉から手を引き、黙って隣に座った。
 ジェフリーは今にも泣きそうに声を震わせた。
「兄貴や親父の気持ちがやっとわかった」
 竜次が見たジェフリーは深く俯いて目を瞑っている。気が滅入っているようだ。
「きっと兄貴は、こんな気持ちで好きな人の隣にずっといたんだよな」
 この小さな背中が震えている。
「俺はたくさんの理不尽を味わった。学校だって、同僚や先輩、カサハだって亡くした。自分が一番恵まれていないと思っていた。俺が味わった傷はミティアのおかげで乗り越えられた。それなのに……俺はこれ以上、何を失って生きて行けばいいんだ……」
「ジェフ……」
 竜次は悲痛に目頭が熱くなった。弟の気持ちがこれほどわかるのも珍しい。
「そりゃ騙されるよな。禁忌の魔法でもいい。世界から悪人と扱われてもいい。どんなことをしても助けたい。もう一度笑ってもらいたい。自分で治せるかもしれないなら、医者にでも何でもなってやるって思うよな……」
 ジェフリーは見えないように、見せないように顔を逸らしているのに、膝に雫が零れている。涙声が部屋に響いた。
「最初は兄貴を見損なっていた。全部投げ出して、身勝手で、大切な人と一緒に生きる道なんて馬鹿だと思ってた」
「もういいんです。誰かにわかってもらおうとは思っていないので」
 竜次が首を振って鼻をぐずらせながら笑った。
「ミティアさんは生きています。失っていません」
「目が覚めたら、全部忘れてるかもしれない。ここにいるのは、本当はミティアじゃないかもしれない」
「悪い考えはよしなさい」
 竜次は口にしなかったが、先ほどアイラの使い魔である圭白からよくない話も聞いている。
 目が覚めたところで、ミティアは半分以上がない存在。いや、今はやめておこう。今話したら、ジェフリーが本当に潰れてしまう。目が覚めたあとは、自分たちも彼女を支える心構えを持ってさえいれば、今はそれだけでいい。竜次は余計なことを言わないようにする自衛も込め、休むことを決断した。どうせ自分にできることはない。
「ジェフ、気持ちはわかりますが、少しは休みなさい。あなたが体を壊したら、ミティアさんだって悲しみますよ?」
「……わかった」
 竜次は起立して部屋を見渡す。沙蘭は攪乱のためにいくつか殿を設けてあるが、ここは比較的しっかりした設備のようだ。沙蘭で寝室に大きな電気が通っているのは、なかなかいい暮らしだ。ここは正殿のつもりなのかもしれない。
 きっと朝までジェフリーはここにいるつもりだろう。竜次は天井にある暖房の電源を入れた。せめて温かい部屋にしてやりたい思いからだった。
「兄貴……」
「はい?」
 部屋を出ようとした竜次に、ジェフリーは再び声をかけた。今度は顔を上げ、目を合わせている。
「ありがとう……」
「何ですか、くすぐったい……お礼を言うのは、私だけではないはずですよ?」
 面と向かってお礼を言われると恥ずかしい。そんなにかしこまったりする仲でもない気がする。実の兄弟なのだから。

 竜次は寝室を出て、居間を覗く。コーディとローズはテーブルに伏していた。
 すやすやと寝息を立てている。疲れていたのだろう。
「インクが乾いちゃいますよ。勿体ない……」
 竜次はコーディの万年筆を取り上げ、インクのキャップを閉めた。大判の毛布を二人にかけて、汚さないように紙をまとめる。
 明かりを消して、自分も休もうと部屋を移動する。
 居間の隣では、キッドとサキが布団を並べて寝ていた。男女だが姉弟なのだから、いいのかと疑問にも思ったが、今日くらいは大目に見よう。
 皆疲弊している。竜次は走ったくらいだが、精神面で疲れたのは確かだ。心のケアは難しい。特に自分には、足りない分野だと思う。
 竜次は適当に押し入れを漁って、布団を引っ張り出した。ここを慣れ親しんでいる訳ではないが、何となくの勝手は知っている。横になるのもまだ頭が痛むので、肉厚の布団に包まって壁に寄りかかった。
 目まぐるしい一日だった。
 ぼんやりと微睡みに身を任せ、眠気を待った。
 きっと、起きたらいい一日であると信じて。

 ジェフリーは竜次と話して、いくぶんか気が紛れた。だがそれも一時的なもの。また気が滅入ってしまった。
 それよりも、気遣ってくれた暖房のせいで暑い。ベルトを外し、ジャケットも脱いでしまった。どうやって暖房を止めるのだろうか。きちんと見ていなかったので、スイッチがどこにあるのかもわからない。とんだ置き土産に換気を試みたが、窓ははめ殺しになっていて開けられない。
 戸を少し開けて空気を入れ替えたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。真夜中だというのに、バタバタと部屋の中を歩き回って室温の調整を試行錯誤してみる。だがこれといった進展がない。
 何も食べていないせいか、妙にイライラする。
「ん……暑いよぅ……」
「ごめん、暑いよな、今…………」
 自然に会話してしまったが、自分は今、艶っぽい声に応えた。まさかと思ったが、肉厚でフカフカの布団がもぞもぞと動いている。ジェフリーは息が詰まりそうだった。
「ミティア……?」
 思わず身を乗り出してしまったが、足元の悪い布団だ。ジェフリーはそのまま上乗りで倒れ込んでしまった。布団越しとはいえ、誤解が生じそうな体勢だ。
 それよりミティアは大丈夫なのだろうかと這い上がった。だが、今度は暑さに堪りかねたミティアが勢いよく上半身を起こし、ジェフリーと顔面衝突する。
 がつんと脳を揺らす勢いだ。
「わぶぁ!! いったぃ……」
「――……ってぇ」
 鼻と口を両手で押さえ、ミティアは涙声で訴える。
「な、何するの、ジェフリー……ひどいよぉ……」
 パチンと金具が弾ける音がした。ぶつかった衝撃で髪のバレッタが外れ、髪が解ける。
 ジェフリーはミティアの声に感極まり肩を揺らした。溢れ出るものを押さえていた手を離して自分の手が真っ赤だと気付いた。
「……はっ!?」
「わわっ、ジェフリー、血がいっぱい……」
 ミティアは脇にあったタオルを差し出す。ジェフリーは鼻を強く打ったのか鼻血が止まらない。あっという間にタオルが血にまみれてしまった。止血するべく強く押さえた。何とか止まったものの、すっかり雰囲気が台無しになってしまった。
 ミティアは疑問がいっぱいで落ち着かない様子だ。
「ここ、どこ?」
「沙蘭の、姫姉の仕事場のひとつ……」
「どうして、ジェフリーがここに?」
 ジェフリーはミティアのとぼけにガックリする。だが、懐かしくて笑ってしまう。
「心配したからに決まってるだろ……」
「心配? そうだ、わたし、どうして生きてるの?」
 多少、記憶の混乱は起きているみたいだが、誰かを忘れるような大きな混乱はないようだ。ジェフリーはひとまず安心した。
 ミティアも徐々に現実に引き戻されていた。
「わたし、確か、死んじゃったはず。手も足も動かなくなって、冷たくなって」
「死んでたら、痛いなんて感じないだろ。生きてる」
 ミティアは物悲しい表情を浮かべながら、膝に置いた両手を見つめている。自分が気を失う前の記憶を徐々に思い出していた。
「わたし……わっ、ふっ!?」
 ジェフリーはミティアをぎゅっと抱きしめた。華奢だが暖かいし、甘っぽいいい香りがする。感じるものはすべて、変わらないミティアである証だった。
「えっ、えっ?」
「おかえり……」
「う、うん?」
 ミティアは起き抜けのせいか、部屋が暖かいせいなのか、ぼーっとしてしまう。とりあえず今、自分はジェフリーに抱きしめられている。この温かさに身を委ねたくなった。
 だが、背中に回された手も、肩に沿った頭も小刻みに震えているのに気が付いた。
「ジェフリー、泣いてる……?」
 ジェフリーの腕はミティアをさらに強く抱いた。
「痛いほど理解した。こんなに寂しいものなんだって。ずっと一緒が当たり前だと思っていた。だから、今まで気がつけなくてごめん……」
 力を緩め、ミティアは解放された。ジェフリーの泣き顔にミティアは驚いた。
 ミティアの目尻に、自然と涙が浮かんだ。こんなに大切に想ってくれる人がいるなんて、何も感じないわけにはいかない。
 自分に向けられた真っすぐな気持ち。ミティアはその気持ちに応えたかった。だが、それは難しいものになってしまった。
「わたし、あのシフって人を止めたかった。助けたかった。まだ引き返せたはずなのにわたしは誤った道から強く導けなかった。その結果、彼は魔物に変えられてしまった。わたしは殺されても仕方がないと思った」
「ミティアのせいじゃない。悪いのは……」
「その様子だとジェフリーは、『本当の敵』を知っているんだね……」
「……」
 ジェフリーは涙を拭って深く頷いた。本当は、今だけでも感動の再会に浸りたいと思っていた。
「次は絶対に守る。だから、俺の前からいなくならないでくれ……こんな思いは耐えられない」
 絞り出すような言葉だった。ジェフリーは自分が頼りないせいでミティアが危ない目に遭っているのではないかと心を痛めた。
 心を痛めているのはミティアも一緒だった。
「わたしはジェフリーとした約束にずっと応えたいと思っていた。でもね、わたし、もうすぐ死んじゃうかもしれないんだよ。負担がかかって命が傷んでしまった。少しずつ弱って行くんだって。どうしようもないよね……」
 何て残酷なんだろう。こんな自分にどうして生きろというのだろうか。ミティアの目尻の涙が瞬きとともに零れた。
「どうして諦めるんだ」
「だって、どうしようもないから」
「頑張って道を切り開く。だから、諦めないで俺と一緒に生きてほしい」
 涙で滲んで何も見えない。自分にはこんなにも暖かく励ましてくれる人がいるのに、ケーシスやサテラには誰も寄り添ってはくれない。自分だけ生きていいのだろうかと、罪悪感がミティア襲う。ジェフリーを裏切るのもつらい。
「ケーシスさんとサテラを、理不尽から防げるかもしれない。助けたいの。私が生きていていいのなら、助けてあげたい」
 自分だけ生きようとしない、誰かを助けたいだなんて、ミティアらしい。ミティアが助けたいと願うのは、自分の父親だ。ジェフリーはその気持ちを尊重しつつ、条件を出した。
「もっと自分を大切にしてくれれば、何をしてもかまわない。自分が死ねばどうにかなるみたいな考えだけは起こさないと約束してくれ」
「わ、わかった……そうするね」
「ミティアが死んだら、どれだけの人が心の底から泣くか想像してみてほしい。自然と命を投げるなんてできないだろうから」
 想像するまでもないが、もしそうなったら、今度こそジェフリーは再起不能に陥ってしまう。言うだけではなく、行動で示さないといけない。
 ひとしきり感傷に浸った。ミティアは我に返ったように、現状的な質問をする。
「そういえば、今は夜なの?」
「あぁ、そうだ。もうすぐ夜が明けるだろうけど」
「みんなは?」
「ごたごたがあったから、みんな疲れて休んでいるはずだ」
「……」
 つまり、起きているのも二人だけ。意識してしまい、ミティアは頬を赤らめながらそわそわとした。
 室温のせいで汗ばんだ体、ミティアは手当てを受けたせいで薄手の白装束だ。裾も緩んでいる。厚手の布団は起き上がる際に蹴ってしまい、素足だ。
 ジェフリーも薄着で暑そうに手を扇いでいる。
 ミティアの様子がおかしいと気付き、ジェフリーは視線を逸らした。
「あ、その……」
 ジェフリーは逃げ腰になり、立ち上がろうとする。だが、ミティアはジェフリーの服を掴み、引き止めた。
「お、お願い。行かないで」
「……!?」
 ミティアは上目遣いで訴えかける。ジェフリーはこの目に弱い。振り払おうにも、まともに相手をする元気がなかった。
「せ、せめて、この暖房を調整させてくれ」
「どこにも行かないで」
「わかった。わかったから……」
 やけにミティアの束縛が強い。再会したのだから、こうなって当然ではある。だが、今は室温を何とかしたい。ジェフリーは竜次が去り際に何かをいじっていたのを思い出した。
 灯台下暗しだ。戸の横にスイッチを発見し、室温を調節した。少なくとも暑くてどうしようもない状況は回避できそうだ。
 ジェフリーはかしこまって、布団の脇に座り直した。
 ミティアは着ているものの裾を整え、下半身に布団をかけ直して待っていた。
 今度会ったら話すことはたくさん考えていたはずなのに、黙って見つめ合ってしまった。気まずい、異様な空気が流れる。
「わたしの気持ちを話してもいいかな?」
 ミティアは言わないと後悔すると自分の中で焦っていた。
 ジェフリーはすぐにでも逃げ出したかった。どうしても、距離が縮まると現実から目を背けたくなる。いつまでも逃げていてはいけないのは自分で理解しているが、どうしても向き合えない。今は眠気と疲労で軽減されている。
 ミティアは膝の上に拳を作りゆっくりと話した。
「わたしね、みんなと旅をしているのが楽しかった。目的はわたしが普通の女の子として生きられる道を探す。そうだったかもしれない。でもね、途中から普通の女の子になりたくないって思ったの。旅が終わっちゃうんじゃないかなって、怖かった……」
 思いのほかしっかりとしたミティアの気持ちだ。ジェフリーは黙って聞いていたが、自分の考えに通じるものがあると思っていた。だが、妙だとも思っていた。あらたまって話すには恥ずかしい内容だ。これをはっきりと言えるミティアが大人びているような印象を受ける。
「ジェフリーに好きって言われたとき、本当にうれしかった。だから普通の女の子になれたらちゃんと返事をする。わたしも自分の気持ちを伝えるつもりだった。だけど途中から、私はどっちを望んでいるのかわからなくなっちゃった」
 ミティアは笑いながら眉を下げた。自分の胸の内を話すのは、やはり恥ずかしがっているようだ。これを見て、ジェフリーは素直に頭を下げた。
「すまなかった。その約束が、こんなにミティアの心を縛り付けるものだとは思ってもいなかった。苦しかったよな……」
「嘘をつかないで言うと、苦しかったよ。だけど、わたしはジェフリーが好きだから、理解しようとした。ジェフリーも苦しんでいたんじゃないかなって思った」
 ジェフリーはミティアの言葉を聞いて顔を上げた。聞き間違いではない。ミティアは今、自分のことを『好き』だと言った。
 疲れている幻聴か、聞き間違いだったのかもしれない。ジェフリーは真に受けながら、ぼうっとしてしまった。
「子どもだね、わたしたち。目の前のことに一生懸命で、目標に真っすぐだった。まだ『本当にやりたいこと』も見つかっていなかった。それで、旅が終わる心配なんて、おかしいよね」
 ミティアは自身を嘆くように小さく首を振った。
 ジェフリーはおかしな感覚に襲われていた。なぜか、どうしてか、目の前のミティアがとてつもなく大人に見えてしまった。これは前に見た、誰よりも強く見えてしまったのに似ている。本当に自分が知っているミティアなのだろうか。それとも、これは疲労が招いた幻覚か夢なのだろうか。考え込んでしまった。
 この音を聞くまでは。

 ……ぐぅ。

 ジェフリーは耳を疑った。自分の腹ではない。と、なるとこの音の正体はミティアだ。
 ミティアは先ほどまでの力強さや大人っぽさは消え失せ、情けない表情をしている。まるで電池が切れてしまったように脱力していた。
「あ、えへへ。はは……」
「ぷっ、はは……」
 二人は緊張が切れ、笑い合った。

 何気ない日常の一部が戻った。積もる話はとりあえず置いておき、今はこのひと時を噛み締めることにした。
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