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【8】再始動
決戦の刻
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魔鉱石は何が起こるか怖かったため、一番刺激の少なさそうなコーディのトランクに入れて持って歩く流れになった。何かの拍子に浮かれては困る。
そのうちまとめて、ローズに預けてしまいそうだが、持っている意識は大切にしたい。
ノックスの街へ戻った。依頼を引き受けたのはフィリップスなので、フィリップスを目指そうとする。
ジェフリーはサキに次の流れを提案した。
「フィリップスに報告したら、お師匠さんを助ける方法を考えよう」
「お師匠様も心配ですが、ミティアさんの居場所もまだわからないのに……」
サキは不安を募らせる。アイラも心配だが、ミティアはいいのだろうか。
思い出したように、ローズが白衣のポケットから端末を取り出している。凝視して、その足が止まった。
「あの魔法使い、今は沙蘭……デス?」
ローズの表情が固まった。沙蘭と聞いて、竜次が画面を覗き込んだ。彼女が手にしているのは液晶画面の地図のようだが、地形と発信反応から光っているのが沙蘭だ。
「えっ、本当に、沙蘭……?」
情報が混乱している。立ち止まって情報を整理しようとするも、見える限りで街の入り口が騒がしい。黒い煙が見えた。
いろんなことが舞い込んで混乱が起きる。ここで崩れるわけにはいかない。
「ジェフリーさん、どうしますか?」
サキが指示を仰いでもらおうとするが、ジェフリーも判断に迷っていた。コーディがジェフリーの顔を見上げる。
「野次馬がたくさんいるあそこ、もしかして教会じゃない?」
コーディはこの街を知っているし、一緒に情報集めの探索をした。思い出した。彼女が言っているのはおそらく当たりだ。
ジェフリーが一行の動きを指揮する。心配の種があるのも確かだ。
「これからの行動に支障がないか、騒ぎだけでも見に行こう。それから予定通り、フィリップスに向かう」
浮き足立っても仕方ない。ゆっくりでもいい。着実に、今の仲間を誰も傷つけない判断をしたいとジェフリーは思っていた。
宿の近く、足を運んだこともある建物は焼け落ち、崩れていた。全焼してしまったらしく、街中の人ではないかという規模で人が群がっている。
教会が全焼、見える範囲で砕けたステンドグラスが見え、木が焦げたひどい臭いがする。
竜次が焼け跡を見て落胆した。様子から、怪我人がいる感じではないので、これでも比較的落ち着いている方だ。
「ひどいですね、なかなかここまでは燃えませんよ?」
サキが野次馬のお姉さんに訊ねてみる。教会には誰もいなかったようだ。
「すみません、この教会のシスターさんは無事ですか?」
これから念の為、捜索依頼が出されると聞いた。
ならば自分たちの出る幕ではない。ジェフリーはそう判断した。
「どっちにしろ、俺たちにはどうすることもできない。街のことは、専門の人に任せた方がいい」
「ジェフリーさん、いいんですか? だって、シスターさんは……」
ジェフリーは言いかけたサキを威圧し、黙らせる。当然食い下がりたいだろう。
コーディも何か言いたそうだったが黙っていた。彼女は余計なことを言わない。
ノックスの街を出る。すると、一行のあとを追うバタバタと品のない足音が聞こえた。
「おっ、お待ちくださいーっ!!」
アッシュグレーの髪をうしろで結い上げ、執事のようなかっちりした服装の人が見えた。息を切らせながら走っている。その人は追いつくと、膝に手をつき、肩で息をしながらなぜか竜次を見上げている。
「り、竜次お坊ちゃん、ですよね?」
「わ、私ですか?」
男性っぽい格好をしているが、胸があるし女性である。えんじ色の燕尾服が特徴だ。腰から大きな鋏が下がっているのが気になった。
竜次の知り合いと聞き、ジェフリーは首を傾げた。
「兄貴の知り合い? 兄貴に友だちなんていたっけ?」
「ひどい言い方ですね! いませんけどっ!!」
くだらないやり取りが始まった。だが、すぐに終演した。今は冗談を交えている場合ではない。
女性はジェフリーにも目を向け、輝かせている。
「はぇぇ、じゃあ、あなたがジェフリー様?」
女性の反応に兄弟は顔を見合わせる。誰も、この女性を知らない。
呼吸が整い、女性は背筋を伸ばして一礼をした。スタイルが良く、燕尾服とブラウスのリボンタイ、革靴がよく映える。
「申し遅れました。わたくし、セーノルズご夫妻の御付きをしていた、壱子と申します。ケーシス様から伝言を預かっており、探しておりました」
「いちこさん……?」
竜次は顔をしかめた。
「あっ、もしかして、妹たちに格闘技を教えていた壱子様ですか?」
「さすがお坊ちゃん! わたくしを覚えておりましたか」
当たりのようだ。ジェフリーは壱子を知らない。そっけない態度になってしまう。
ところが、コーディが目を輝かせながら話に入った。
「あ、あの、凄腕ハンターの壱子さんですか?」
壱子はコーディをまじまじと見つめ、だらしない笑いをする。
「はぁ、幼女……最高ですね、このつるぺたフォルム……」
出会って数分だが、この人はヤバい人だとこの場の誰もが察した。要するに、幼女体系に尊さを感じているようだ。一般には伝わりにくいが、業界用語だろうか。
壱子のだらしない笑いがすぐもとに戻った。軽く咳払いをし、凛とした表情になる。
「そうです。わたくし、執事ながら情報の運び屋をしております。フィラノスでしたら、今ケーシス様が滞在中です。ご活躍されていると思いますよ」
「親父が?」
「フィラノスの種の研究所を叩く、と。心配するなと言っておりましたよ」
壱子はテキパキと仕事をするタイプのようだ。要点だけを簡略に伝える。混乱と情報の多い中では非常に助かる。
キッドは急な展開についていけず、八つ当たりのようなことを言う。
「執事がついてるなんて、お金持ちなのね……」
「姉さん、そういう言い方はちょっとどうかと」
隣でサキが注意しているが、壱子はそれを見てもだらしない笑いを浮かべている。
「いいですね、天然のショタ……おねショタ……ふふっ……」
一言で断言していいならば、この人は変態だ。間違いない。何を言っているのだろうかとなる。つまりは、姉と弟という属性に尊さを感じているようだ。
妄想を膨らませて、満足したら現実に舞戻るタイプだ。ものの数秒で再び引き締まった顔をし、背筋を伸ばした。スイッチの切り替えが早い。
ローズが自分もその毒牙にかかるのかと、寒気を感じていたがそれはなかった。
「お伝えすることは以上でございます。ノックスで騒動があり、なかなか探せなくてですね、このような場所でお引止めして、申し訳ありませんでした」
壱子が燕尾服の尾が乱れるほど、深く頭を下げた。
「わたくしはこれで……?」
去ろうとした壱子が疑問の言葉尻になり、違和感を撒き散らす。
「あっと、これはマズいですね」
壱子ではない人の気配がする。向かって進行方向から人が歩いて来る。
白衣を着た茶色で短髪、男性でかなり顔はいい。
ジェフリーはこの人を知っている。この反応と険しい表情に、サキが質問をしようとするが次々と声が上がる。
「ぁ……まさか……」
キッドの様子がおかしい。次いで、ローズも声を上げた。
「ルー!」
白衣の男性が足を止めた。
「はじめまして、が多いかな?」
「ルッシェナさんっ! 生きて……たの?」
キッドが感極まってほろほろと泣き出してしまった。彼女の顔を見て、竜次が呆然としている。まだ、彼の中では可能性の段階だが、大体はジェフリーの反応で察せる。
仲間がまたも崩れてしまうと、サキは危機感を募らせた。
「ジェフリーさん……最悪ですね」
「さすがに、冗談を言っている余裕がない……」
緊迫した空気、予想できなかった展開だ。
ルッシェナは繊維を示すこともなく、両手をぶらつかせている。友好的な姿勢を見せた。
「先輩、どうしたんですか? そんな怖い顔をして。お久しぶりですね」
ローズに向けて疑問を投げている。ローズは苦笑いをしながら、独特のやり取りをしていた。
「ルー、アナタ、何人騙しました?」
「騙す? とんでもない。死者が生き返る蘇生の術は確かに存在します。知っていますでしょう? 禁忌の魔法……」
「……ワタシはもうその夢を追ってはいません」
ジェフリーは、ローズはすでに黒幕の正体がわかっていたと、このとき把握した。父親であり、同じ研究をしていたケーシスが話を回したのかもしれない。彼女が話さなかっただけだった。うまく隠せたものだ。いや、早い段階から相談してもよかったかもしれない。
ルッシェナはローズとの会話を流し、キッドに目を向ける。そしてわざとらしく大袈裟に、驚くように言う。
「やあ、キッド、よく無事だったね」
「ルッシェナさん、あたし……あたし、心配してました……死んだなんて、信じられなくて、ずっと悲しくて……」
「キミが生きていたなんて、わたしもうれしいよ」
ルッシェナが甘い言葉をかける。上っ面だけの薄い笑顔だが、これが契りでも交わした相手なら違って見える。それこそ、すべてを捨てても求めたいと思うだろう。
「おいで……今度こそ、ずっと一緒にいよう?」
「ルッシェナさんっ……」
一同はキッドの想い人をこのときになって知った。
駆け出したキッドの手を竜次が掴んだ。この行動ですれ違っていた心が形となって見えた。理不尽の連鎖だ。
「離して、先生! あたしには……あたしにはもう……」
「行かないで。行ってはいけない……」
死んだと思っていた想い人を目の前に、キッドはずっと我慢していたものが溢れ出てしまった。
「あたしは……あたしは、ルッシェナさんが好きなんです!!」
「……っ!」
竜次は手を緩めてしまった。離してはいけない手が、すり抜けて行く。
無駄と知りながらジェフリーが呼び止めた。
「キッド! 行けば、後悔するぞ!!」
キッドは一瞬のためらいもなくなく、泣き顔のままルッシェナに抱きついた。
止められなかった。止めきれなかった。ジェフリーはミティアが話したくなかった理由をやっと理解した。おそらくキッドは愛しい人以外に、何も見えていない。たった一人のためにすべてを投げ出せる。この覚悟がキッドにはあった。
ジェフリーはこれを責めることができない。もしかしたら、自分もその立場だったのかもしれない。
事実上、キッドが仲間を見捨て、裏切った形になる。
ジェフリーは個人的に、これもルッシェナの策略のうちかもしれないと思っていた。黙ってはいるが、はらわたが煮えくり返りそうだ。
泣きしがみつくキッドの髪を撫でながら、ルッシェナは不敵な笑みを浮かべた。
「ケーシスさんなら、死にました。シフが誤って、ミティアごと始末してしまったみたいですよ」
ルッシェナは言葉の追い打ちをかけた。何か企みがあるのか、淡々と話す。
「生きるのは一生懸命なのに、死ぬのは一瞬ですね」
義理とはいえ、妹のミティアの死をまるで他人のように嘲笑う。
「ミティアが……?」
キッドがハッとして顔を上げる。
ルッシェナは表情を変えず、言葉の刃をジェフリーへ向けた。
「ミティアがお好きなのでしょう? ジェフリー・アーノルド・セーノルズ。手をつなぎ、楽しそうに歩いていましたものね。それとも、昔の女を望むのでしたら、生き返らせてあげますよ。あなたも、こちら側につきませんか?」
命を軽視し、弄んで来た者の言葉が安っぽい。上辺だけで中身のない人柄。どこか相手を馬鹿にしているが、心の闇に触れて巧みに揺さぶる。
「ジェフリーさん……」
サキが心配する声を上げるが、ジェフリーはこんな言葉でなびいたりはしない。
だが、他の者は違った。
「剣神、竜次さん。あなた、昔の女をまだ想っていますね。亡くしたことを後悔しているのでしょう? やり直しませんか?」
甘い言葉は止まない。誰もがこんな言葉に、一瞬はぐらつくだろう。竜次だって例外ではなかった。視線が伏せられる。悲しいものを呼び起こされる。
「先輩、本当は産めなかった双子の子、その手で抱っこしたいのでしょう?」
ローズは学者であり医者だ。人が生き返るなんて技術として無理。それくらいは承知している。だが、人ではない力ならその限りではない。
個人の過去を指摘されるのは、苦痛のほかに何ものでもない。
コーディはローズを見上げる。この男はやけにローズに執着があると感じたようだ。
ローズは苦虫を噛み潰したように表情を崩しながらも、笑みを浮かべ目を合わせた。
「ワタシ、大丈夫デス……」
一行が精神攻撃で崩されかけているのを目前にした壱子は、白い手袋を取り出し、両手にはめる。指を慣らしてルッシェナに目を向けた。
「いやぁ、ケーシス様から聞いてた以上にクズですねぇ……」
「ご婦人はまだ、ケーシスさんの御付きをしているのですか?」
面識があってもおかしくはないだろうが、親しいわけでもないようだ。
「ご婦人? 冗談を。わたくし、既腐人です」
壱子は鼻で笑い飛ばしながら、自身を『きふじん』と言い張る。何か深い意味がありそうだが、指摘したら負けな気もする。文字通りの言葉だとは思うが。
「犬は犬らしく鎖に繋がれていてください。こちらの動きをコソコソと嗅ぎまわって目障りです……」
「犬らしく主人に尻尾を振って、鳴くのも立派な仕事です。それに、犬ですので臭いモノには敏感でして」
風で燕尾服がふわりとなびいた。この人をまともに相手するのは難しい。
詳しく話していないが、竜次もコーディも知っている人だ。とりあえずは味方についてくれたのをありがたく感じた。素直に受け入れていいのかは、また別の話だが。
壱子は幻想を並べるルッシェナにいやに現実的なことを言う。
「本当に死んだ者が蘇るなら、今頃世界の人口はパンクしておりますね。そんなものは二次元だけの妄想にしてくださいませ」
壱子の言葉が揺らいだ竜次を引き戻した。
竜次の視線の先には動揺するキッド。まずは、この人質を取られた状況を打開しなくては。
サキのカバンから圭馬が顔だけ見せた。一同に注意をする。
「お兄ちゃんたち、わかっていると思うけど、あの人は何人もの命を弄んだ科学者だ。注意してね」
注意しろというのは簡単だ。具体的にはどうしようもない。警戒をするのがいいところだろう。それでも一同を気遣ってくれている気持ちだけは伝わった。
誰一人引き込めないと悟り、ルッシェナは大きく落胆した。
「せっかくあなた方にもチャンスをあげたのに、残念です。いい同志になれると思ったのですが」
仕掛けてくるのかと警戒したが、少し違う。キッドを抱き寄せ、強引に皆の方へ向かせた。
「わっ、えっ……?」
困惑するキッドはこめかみに重く冷たい感触を受ける。金属の音が鳴った。
「動いたらどうなるかわかっていますね?」
ルッシェナはキッドのこめかみにマスケットを突きつけていた。いくら命中率の低い銃でも、この至近距離ではまず外れない。もし本気なら、キッドの頭が吹っ飛んでしまう。
ここまで来ると、最低を通り越して人間のすることではない。この場で命だけではなく、心までも弄ぼうというのか。
「う、そ……ですよね?」
キッドが視線を泳がせる。泣きはらした目が、再び潤んでいる。
「どう……して? あんなに優しかったじゃないですか……」
「優しい? そうだね、愛し合ったものねぇ?」
「あ、あたし……」
「まだわからないんだ? 愚かなキッドも可愛いね……」
キッドは現実に向き合えない。どうしても甘い過去を思い返す。今の自分に見えているのは失ってから歩んでくれた仲間だ。
やっとキッドの目が覚めた。人質にされている、仲間の足を引っ張っている、と。
サキがジェフリーに小声で話す。
「ジェフリーさん……どうします?」
その声は今にも怒りで爆発しそうだ。姉を弄ばれ、人質にされているのだ。冷静でいるのが難しい。
皆に指示を出す司令塔はジェフリーの役割だと、誰もが認めていた。それでも今は、誰も傷つかない、誰も欠けない道を導けない。ルッシェナの手の内を誰も知らない。提案もできなければ、作戦を考える余裕もない。
誰がどう見ても不利な状況だ。
ジェフリーは半歩だけ前に出た。発言権を求めるためのもので、仕掛ける意志ではない。
「……狙いは何だ」
ルッシェナは警戒したが、キッドには何もしていない。
ジェフリーは、ルッシェナがそう簡単にキッドを殺すはずがないと踏んでいた。本当に殺したいなら、わざわざ人質にはしない。
「わたしの邪魔をするな。と、いうことです」
「つまり……?」
睨み合うルッシェナとジェフリー。時間を稼ぐようにじれったさを感じる話し方をするが、ジェフリーの狙いをサキが汲み取った。
焦っているのか、ルッシェナがジェフリーに銃口を向ける。
「そりゃあ、全員ここで死んでもらうのが理想ですよ。ミティアに悪影響を与えてくれましたからね」
「残念だが、俺たちはそう簡単に死なないっ!!」
銃口が動いた隙に、サキが杖を手に振り上げた。
「我が魔力、解放せんっ!!」
サキに動きがあったと知り、ルッシェナの銃口がさらに動いた。
「させませんよ、魔導士!!」
銃から放たれた弾丸が、サキの杖を弾いた。だが、サキは媒体を自分に掛けたまま、手を引きずって詠唱を続けた。
もはや、捨て身の魔力解放だ。このままだと、確実にサキが標的になる。
カバンから転げるように飛び出たショコラが、獣人の姿になり竜巻にもかまいたちにもならない不規則な風を舞い起こす。
「ワンダーミスト!」
ショコラが雄叫びにも似た鳴き声を上げる。地鳴りのような衝撃が起き、辺りに乳白色の綿のような煙が立ち込めた。
サキは膝を着き、肩で息をした。数十センチ先で地面から土と草が跳ねた。銃弾だ。
「立つんだ! 逃げないと!!」
「のぉん、ご主人……」
サキは化身の姿に戻ったショコラと圭馬に、服の裾を引っ張られている。すぐに立てないほど、魔力解放で体力を削られている。せめて杖さえ弾かれなければ、余力はもっとあったはずだ。これでは昨日と同じ。一発芸のような立ち振る舞いになってしまった。
「悔しい……」
視界は奪った。だが、次の手が打てない。
俯いて挫けそうなサキの左肩が担がれた。逞しい腕の正体はジェフリーだ。
「お前、俺が時間を稼いでいるのがよくわかったな」
「ははは、と、友だち、ですからね……」
こんなときでも、助けてくれる友だちがいる。せっかく手を貸してくれているのに、消耗が激しく、ちゃんと立てない。サキは悔しく思った。
「ごめんなさい。ジェフリーさん、どうか姉さんを助けて……」
場の攪乱という機転を利かせたサキだが、この先は戦えないと自覚していた。
それでも、ジェフリーはサキを責めはしない。何の作戦会議もせず、即席でこの攪乱を起こしてくれただけでも感謝したいからだ。
「ジェフリー坊ちゃん、このお方はわたくしがお守りします」
声を頼りにした壱子が駆け寄り、サキを軽々と持ち上げる。ジェフリーはそのシルエットだけ確認ができた。
「お任せください、ショタは貴重な妄想資源です」
ジェフリーが返事をする前に、壱子は高く飛んだ。もう少し詳しく話を聞いた方がいいかもしれないとは思ったが、この人のアサシンのような身のこなしが気になる。
「あとは、向こうから解除魔法がなければ反撃できる……」
ジェフリーは解除魔法の懸念をしたが、その確率は低いと見ていた。ディスペルを詠唱する時間もかかる上、解ける保証もない。魔力比べの対象はあの優秀なサキだ。
警戒はしつつも、ここからは一人で動かなくては。
「小賢しい。魔導士はさっさと始末すればよかったですね」
ルッシェナはたった一人で七人を相手にする自信があった。蹴散らすか、誰か引き込めればと思っていたが、完全に崩せずに撤退も視野に入れていた。
ギルドで出回っていた情報をもとに、戦略は練っておいたが、想定よりも一行は崩れてはいなかった。これは計算外だった。
シフはもっと戦力と戦意、誰かを始末したであろうと計算に含んでいた。使えない奴だ。彼の出身がどこの島だったのかは覚えていない。そんな小さな情報など、ルッシェナにとってはどうでもよかった。ただ、自我が強そうな分、使えそうな駒だとは思った。
自分だって、失ったもののためにすべてを投げ打って、ミティアを利用したかった。それなのに、何も得ていない。彼女には禁忌の力があるのに、自分の手では利用できない。義理の妹にしてまで、支配して、心を縛って、その期を待ったのに。
白狼と手を組んだのが間違いだったのか。
ルッシェナの思考は次の手を考えつつ、自身の完璧なシナリオがどこで間違えたのかを振り返った。
自分が今ここで一行を潰して、また研究を再開すればいい。何なら、研究所も再建させればいいことだ。自分には時間がいくらでもある。
どうせケーシスが身を投げてミティアを死守しているだろう。そこまでは計算済みだ。
邪魔者がいなくなれば、いくらでもミティアを……禁忌の力を手にする機会はある。今は障害を排除する。利用可能なものはすべてて利用する。ルッシェナは、自分の手の中の駒で、何ができるのかを見定めた。
抱えていたキッドに視線を向ける。彼女はこの束縛を逃れようと暴れていた。
「は、離してくださいっ!」
左腕の中にはもがくキッド。彼女にはまだ利用価値がある。ルッシェナは耳元でささやいた。
「キッドは誰が好きなんだい?」
キッドはビクッと反応した。この状況でも心のどこかでこれが冗談なのではないかと思っていた。好きな人が、自分を陥れようとしている。仲間を傷つけようとしている。
ルッシェナは手応えを感じた。キッドの力量は知っている。その気になれば、自力でも逃げることも可能だというのに、きっと認めたくはないのだろうと感じていた。自分に未練があるに違いない。まだ好意を持っているに違いない。記憶が正しければ、キッドは過去を振り返らない主義だ。そのキッドが、過去の思いから心を縛られている。皮肉なものだ。
「かわいそうなキッド……」
「ゔっ……うぅっ……」
強靭なキッドは、実はこんなにも脆く崩れやすい。
魔導士のサキによって放たれた攪乱の魔法。ルッシェナはこれを厄介に思っていた。
一人ずつ仕留めればいい。この術も有限だ。耳を澄ませ機を待った。
状況はこちらの方が有利。最も潰さないといけないと思ったのは、魔導士だがどうせこの術で媒体を弾いた。もう多くは動けまいと考えていた。キッドも利用価値がある。
イレギュラーな執事はいるが、せめて誰か削りたい。
もくもくとした煙のような霧……なのだろうか。何が不思議かというと、弾き立てのアスファルトで見た覚えのある細かい光が乱反射し、目の錯覚を起こすのだ。
耳だけが頼りだ。場の混乱に対し、視界の混乱で返したサキのすごさに驚いた。
術が解ける前にキッドを奪還したいとジェフリーは考えていた。動いてしまったせいで、どこにルッシェナがいるのか、特定が難しい。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
コーディの声だ。やけに小声だが、その判断は正しい。下手に音を立てれば、狙い撃ちをされてしまう。
ジェフリーの少しうしろにいるようだ。ジェフリーは振り向き、耳を澄ませた。
「私、翼の音でリスクがあるから今はゆっくり動いてる。だけど、不意打ちとかっさらいなら任せて」
ジェフリーは返事をしなかったが、了解した。不意打ちや、かっさらいという単語。コーディなりの妙案だ。隙を突く行動が可能だろう。
動こう。そうしなければ変わらない。即席の奪還作戦だ。うまくいく保証はない。
自分が動けば、竜次もローズも動くだろう。ローズに関しては、戦力として考えない方がいいかもしれないが、きっと彼女も動く。ジェフリーは仲間との絆や考え、信頼が試されているように思えた。
ジェフリーは自ら剣を抜いてキッドの声がした方へ足を歩めた。
緊張する息遣い、自分以外はどう動くかわからないが、信じるしかない。
皆の指示を出す司令塔ではなく、仲間を信じる思いで動いた。
一行から動きが見られない。ルッシェナはキッドを盾にしつつ、声を上げた。
「言っておきますが、この弾は当たれば一発でキメラに変貌しますよ。いつまで小細工の話し合いをされているのですか?」
「き、キメラって……何ですか?」
キッドの声が震えた。先ほどよりも弱々しい声だ。
ルッシェナは不敵な笑みを浮かべている。
「瞬時に遺伝子の操作を起こし、理性を壊します。あとは、二度と元に戻らないくらい存在を壊すと説明すればわかるかい?」
キッドは息を飲んだ。そんな恐ろしいものが当たれば、無事では済まない。学びのないキッドでもそれくらいは理解が可能だった。ルッシェナを止めなければ。これ以上この人に罪を、咎を背負ってほしくない。
「もうやめて、ルッシェナさんッ!!」
キッドが銃を持った手に飛びかかった。勢いで空に向かって弾丸が放たれる。響く銃声。ルッシェナが持っていたのはこれだけではない。
「抵抗するならキッドも敵とみなす……」
右上を上げた直後、左の手が背後に回った。引きずる金属の音、しがみつくキッドを刃が襲った。キッドの恐怖に染まった表情を見て、ルッシェナが狂った笑みを浮かべる。
「っあぁっ……!!」
叫びにならないキッドの声。彼女の右手首から下に赤い線が走っている。
キッドは手を離した拍子に、突き飛ばされた。
ルッシェナが一思いに殺さないのは、まだ利用価値があると知っているからだ。
いち早く姿を見せたのはジェフリーだった。ルッシェナの剣を弾きに入るが、彼はまだ銃を持ったままである。
「引っかかっていただけて光栄ですよ。まずはあなたからですか、ジェフリーさん?」
銃口が向けられた。ジェフリーに避けるだけの余裕はない。
「アイシクルブリッド!!」
膝をつき座り込むキッドの背後から、白衣の女性ローズが、小さい試験管の媒体を投げ入れた。銃に当たる。だが、ルッシェナは絶対に銃を手放さないようだ。
凍りつき、鈍器と化した。この銃の中には危険な弾丸が含まれている。
ルッシェナはローズに視線を向ける。
「先輩は『そちら側』の人なのですね……」
かつての同志が敵対、これは眉もひそめたくなる。
ローズへの視線をジェフリーが遮った。
「よそ見してると寿命が早まる」
ジェフリーは自身の剣でルッシェナの剣を弾いた。勢いでルッシェナの腕も裂いた。鮮血が飛沫を上げる。
剣戟を食らっても、ルッシェナは笑っていた。ジェフリーに向かって質問をする。
「あなたはミティアを救って何を得ようとしているのですか? 礼を言ってもらいたいのですか? それとも、一生を添い遂げたいとでも思っているのですか?」
「俺が助けたいと思ったから助ける。お前みたいな悪党から!!」
「ふん……これでわたしを取ったと思うな!!」
ルッシェナは血まみれの左腕をそのままジェフリーに向け、魔法を放った。手には黄色い魔石が見えた。ジェフリーの嫌な予感は的中する。
「なっ……」
ジェフリーの剣に当たる。放たれたのは雷の魔法だ。雷撃は剣を伝い、腕を痺れさせた。この戦略は誰かと似ている。いや、ルッシェナの方が戦い慣れているし、手際がいい。そこらの人間が、短期間で身につける武術ではない。
戦いの手段を潰しても、いくつも応戦手段を持っている。人数では上でも、技量が負けていた。その表情にはまだ余裕があるように見える。
ジェフリーは退いたが、今まで機会をうかがっていた竜次が踏み込んだ。ダメージを与えたこの好機を見逃すわけにはいかない。
竜次は素早くないが、戦場を見る目はある。霧が薄くなった。目くらましは、ほとんど役に立たない。この一撃が勝負となりそうに見えた。
竜次が体勢を低く抜刀の構えをルッシェナに向けた。それを見たキッドが悲鳴を上げる。
「やめてぇぇーーー!! その人を殺さないでぇッ!!」
この場にいた誰もが動きを止めた。ルッシェナがキッドに利用価値を認めていたのはこのためだった。
竜次はぴたりと動きを止めた。キッドはコーディに引っ張られているものの、激しく抵抗している。かっさらうどころの騒ぎではない。
痛めた手を抱えながらジェフリーは叫んだ。
「兄貴ッ!!」
竜次はできないと言わんばかりに手を震わせ、歯を食いしばっている。刀はほんの数センチ引き抜かれ、停止していた。
ルッシェナは竜次と目を合わせて言う。
「剣神、あなたには覇気がない。人を斬ったことはないようですね」
「……!?」
攪乱の霧は晴れた。
ルッシェナは後退しているサキと壱子の姿を確認した。誰がどこにいて、何を目論んでいたのかが見えた。世間やギルドはこの一行に期待を寄せているのは知っている。
新しい戦略を思いついた。キッドだけではなく、一行全員に利用価値がありそうだと判断した。
「さて、どうしましょうか?」
ルッシェナは凍ったマスケットの霜を払いながら、負傷した左腕の傷をうかがっている。村の壊滅で負った怪我が癒えたばかりで、ジェフリーの一撃は重かったようだ。
「もう少し遊んでもいいのですが、ここからは余興がいいでしょう。そのチームワークとやらを存分に発揮してもらいましょうかね」
向かい合って睨み合うも、ルッシェナの血にまみれた手には緑色の魔石が見える。
「逃げる……つもりか?」
ジェフリーが逃走を警戒する。ルッシェナは薄ら笑みを浮かべながら答えた。
「この場で誰か始末できたらよかったのですが、思っていたより手強いですね。今回は『お試し』としましょう。わたしも納得しませんが、引き分けですね」
呆れているのか、納得しているのか。少なくともルッシェナは、まだ手段を持っているようだった。
銃を持っていた手の袖口にも魔石が見えた。いくら手段を持っているのかと、恐ろしい一面だ。
「あなた方がどう足掻こうと、選べる道はもう限られています」
「どういう意味だ……」
痺れた手を慣らし、ぎこちなく動かしながら、ジェフリーはまだやれると言わんばかりに睨みつける。
そんなジェフリーをルッシェナは笑い飛ばした。
「ミティアを助ける手段は、もうわたししか持っていないのです」
ジェフリーは確信した。ルッシェナは今、焦っている。戦う前、ミティアは死んだと言っていたが、ここで生きている可能性を示唆している。
「天空都市でお待ちしていますね」
薄っぺらい上辺だけの表情に、にやりと口角が上がる。気味が悪い笑い方だ。
この緊迫した空気の中で、ノックスの方がやけに騒がしい。まだ火事で騒いでいるのだろうか。
「その前に、この世界は秩序を失う。無駄な争いがなくなるかもしれないけど、意味が理解できたときはもう手遅れだろうね」
狂気を感じる目、その目が一瞬だけキッドに向けられた。
「またね、キッド……」
緑色の魔石が地面に弾かれ、音もなく、ルッシェナは消え去った。彼が流した血だけが、虚しく残っている。
ルッシェナは引き分けと言っていたが、大きな傷を残された惨敗だ。
「私の、せいです……」
竜次は誰とも視線を合わせず、吐き捨て項垂れた。悔しそうに、息を詰まらせている。
キッドも立ち上がれず、戦意を喪失している。
「もう嫌……こんなの……どうして、なの……」
両手で顔を覆って、むせび泣いている。
この二人を立ち直らせないと、この先の行動に支障が出そうだ。ジェフリーはそう思いながら、どうやって励ますべきかと考えていた。
壱子がサキを抱えたままジェフリーの元へ降り立った。サキはおぼつかない足取りでジェフリーにしがみついた。
「ジェフリーさん!! どうして、どうして決着をつけなかったのですか?」
サキはジェフリーに状況の説明を求めた。言わなくともわかるかもしれないが、場の空気が重苦しい。
「奴を、憎んださ。でも、すべてを聞き出すまでは生かしておかないといけない気がした……」
「勝てる望みはあったはずです!」
「結果から言うと、負けた。生きて捕まえるのは難しいらしい」
「まるで、『あの人』を知っていたみたいですね」
「……」
サキの鋭い指摘にジェフリーは黙った。今ここで話す必要はない。
塞ぎ込む竜次、泣き崩れるキッド。この状況を立て直す方が先だと思っていた。具体的な解決案は、今のところ思い浮かばない。
重苦しい空気を読んだのか、壱子が深々と謝罪をする。しかも、その相手はジェフリーだ。
「感覚が掴めず、だいぶ後退してしまっておりました。申し訳ありません。わたくしも援護すべきでしたか?」
サキを任せて正解だった。それだけは間違いない。ジェフリーは小さく頷いた。
「いや、大切な友だちをありがとう。標的にされなくてよかった」
なぜジェフリーに謝罪したのかはわからない。竜次の方が立場は上のはずだが、ジェフリーをリーダーと認識したのかもしれない。
「それより、あんたは何者なんだ? 身のこなしが普通じゃない」
本来なら仲間を気遣うべきだろうが、少し時間が必要だ。それに、壱子の素性を知っておかないと気になって仕方ない。
「わたくしですか? ご両親の御付きです。執事とも言いますね」
「いや、そうじゃなくて。暗殺稼業でもしていたのかと聞きたい」
とぼけるような仕草だ。壱子は燕尾服のポケットからカードを取り出した。ギルドのカードだ。
レジェンド級ハンターと記されている。本当に凄腕のハンターのようだ。コーディが言っていたから、間違いないとは思ったが。
「荒事の際は格闘技と暗殺バサミでお仕事させていただきますが、相応のリターンがないとわたくしは動けませんので」
やはり『そっち』の人だった。腕が立つのは納得した。詳しい話を聞きたい。
「さっきの『野郎』は親父が死んだように言っていたが、あんたはどう思う?」
「そうですねぇ……」
これに関しては、壱子が詳しいだろう。ケーシスと一緒だった時間が長そうだ。
「基本的にあの人は不死身ですし、魔導士の端くれなのでしぶといとは思います」
聞いて少し安心した。だが、そんなジェフリーにコーディが声をかけた。
「ミティアお姉ちゃんは、本当に死んじゃったの……?」
どうして平気なの? と、でも言いたそうな目線だ。他の皆も耳を傾けていた。
「ミティアは生きている。去り際に、ミティアを助ける方法は自分が持っていると言っていた。焦って最後の最後にボロを出したんだ。これが、何の意味かわかるだろう?」
聞いていたコーディとサキが顔を上げた。
「ただし、これから無事かはわからない。場所はわからないが、迎えに行かないといけないな」
まだ悔しそうだが、竜次が顔を上げた。火の点いた目が向けられる。
「ジェフ……」
落ち込んでいない珍しい竜次だ。よほど悔しかったのか、最も崩れそうな懸念すらしていたのに、深く頷いて気をしっかりと持った。
「絶対に挽回します。ミティアさんもお父様も助け出しましょう」
久しぶりに見た兄の風格だ。これを見たジェフリーは安堵の息をついた。頼りになる人がいる。それだけで気が楽になった。
「兄貴……」
「ジェフにばっかりいいカッコさせたくないし」
余計な一言を加えられたが、それでも今は頼もしい。
「これはいい妄想材料……」
壱子が雰囲気でお腹いっぱいの様子だ。この人は扱いに困っていたが、もう放っておいてもいい気がする。
竜は勢いのまま、キッドに歩み寄った。
キッドは怪我をしている。ローズが処置を施すべく向かい合っているがキッドはこれを拒んでいた。
「手当しないといけませんデス……」
「もう、あたしは放っておいて!!」
「むぅ……」
浅いとはいえ、怪我をしている。キッドの利き腕は適当に擦ってあり、変な血の滲み方をしている。まるでこの傷を隠すような仕草だ。
そこへ竜次が割って入った。
意地を張ってへそを曲げているような彼女の態度に、竜次が叱責する。
「いつまでそうしているつもりですか」
「……」
竜次はしゃがみ込んで、キッドの右の手首を掴む。やけに強引だ。
キッドは激しく抵抗した。
「離してください!! あんな思いをするなんて、あたしなんて、あたしなんて……死んじゃえばよかったのよ!!」
ジェフリーはさすがに仲裁しないとまずいと思った。そんなジェフリーをサキは服の裾を掴んで止めた。手を出すな、口を出すなとアイサインをおくっている。
パンと乾いた音がした。
見れば、竜次がキッドに平手打ちをしたあとだった。もちろん激しくはない。
この光景に、誰もが驚いた。もちろんキッドも。
「せ、せんせ……?」
見開かれた目からは、大粒の涙が零れている。
「命を粗末にしないで!!」
言われて悔しいのか、キッドは竜次を睨みつけた。
「先生にあたしの気持ちなんてわからないっ!!」
「えぇ、わかりません!! でも、好きな人が自分から離れてしまう苦しみは誰よりも理解しています!!」
「な、によ……わかったつもりのくせに……」
口喧嘩なんてものではない。
熱の入った言い合いに、ジェフリーが身を乗り出す。すると、今度はコーディが止めに入った。皆はどうやっても、ジェフリーが介入しないようにしたいようだ。
竜次はキッドに寄り添おうとしていた。主に気持ちの面で。
「私にはわからないです……どんなに歩み寄っても、向き合っていただけない人の気持ちなんて」
キッドは茫然としていた。好きだった人に利用され、いいように使われ、捨てるように扱われた。彼女にはどうすればいいのかまだわかっていない。
「なぜ、あなたはいつも、『助けて』って言ってくれないんですか……」
キッドの気持ちはわからない。彼女は自分を多く語らないし、詮索しようとすると拒む。少ない手がかりからは、理解するのが難しい。
だけど、歩み寄ってほしい。頼りにならないかもしれないけれど、ここに向き合ってあげられる人がいるのをわかってもらいたかった。
「あなたは、平気じゃない、でしょう?」
「……先生の、馬鹿。あたし、どうしたらいいのかわからなくて、八つ当たりみたいになっちゃって……」
意固地になっていたキッドは力なく竜次の胸に頭をついた。心を許してくれた。落ち着いてくれたと竜次は判断をした。
「お願いしていいですか、ローズさん」
自分の役目はここまでだ。立ち上がろうとする竜次の腕をキッドが掴んだ。
「やっぱり先生ってわかってないですね。先生が手当てをしてくださいよ……」
「……はい?」
キッドは俯きながら竜次を見上げている。極度の興奮状態を鎮められ、泣いて腫れてしまった顔は見ようによっては照れているようにも思える。
やり取りを見たローズは両手をぱたぱたとさせ、あてられたように離脱した。
「とんだ茶番デス……」
ローズは二人に聞こえない程度の小声でジェフリーにぼやいた。
この感じ方はジェフリーも同感だった。確かに茶番かもしれない。
きれいに言うのであれば、崩れたものがまたまとまっていく。これが、一緒に行動して来た者たちの絆だとは思った。
「ふむ……これは、確かに普通の人たちにはない絆。ギルドで聞いてきた噂話は間違いではないみたいですね」
少し距離を置いて壱子が妙味を噛み締め、大きく頷いて納得している。
風向きが変わった。先ほどの火事騒動のせいか、焼け焦げた臭いが流れている。こんなに激しかっただろうか。
臭いを気にしていると、今度はズシンと大きく揺れた。
ノックスの方角だ。火事どころではなくもっと大きな煙が上がっている。
街の方を見ながら、コーディが苦笑いをする。
「何、あれ……?」
猛獣とも獅子とも言い難い、赤い体の面妖な四肢を持つものがこちらに向かって来る。
ジェフリーは仲間の様子を見渡し、ため息をついた。
「この状況で、追い打ちか?」
サキも本調子ではない。少しは動けるかもしれないが、サキだけではなく、現状で動ける人間は限られる。ジェフリーもまだ手の感覚が鈍い。完全に潰されないで助かったが、このままの連戦は分が悪い。
ふと、ルッシェナの『余興』という言葉を思い出した。
危機を感じたのか、使い魔の二匹がサキのカバンに潜り込んだ。今まで黙っていたのが信じられないが、この二匹は疲れているみたいだ。
猛獣の前を駆ける人影を見つけ、サキが声を上げた。
「あれは……お師匠様?」
栗色の長い毛におしゃれな帽子、体勢が低いがお馴染みのカバンも見えた。怪我はしていないが、押されているように見える。ギルドの知らせで覚えていたが、彼女はフィラノスで拘束されたのではなかったのだろうか。
目の前の光景を疑った。
「おばさんっ!」
ジェフリーが呼んでしまったせいかもしれない。アイラがこちらに気がついた直後、鋭い突進を受けてしまった。土煙を上げ、何十メートルも飛ばされている。
「マズい……」
目の前でアイラが攻撃を受けた。駆け出そうとするジェフリーの横を、壱子が人間離れした速さで抜けた。
右手には細く長い鋏を持っている。
行動力の速さに驚いた。
皆は緊張と疲れで連戦に対応しづらい中を駆けて行ったのだ。
壱子が鋏の持ち手を回転させ、猛獣の足元を駆け抜けた。
「おや?」
思いの外ダメージが通らず、疑問の声を上げている。
反撃を仰け反ってかわし、アイラのもとへ駆けつけた。アイラは服の土を払い、壱子に向き直った。
「あんた、もしかして壱子さん?」
「指名手配されておられましたよね、アイラ様?」
同業者だ。顔を合わせるのは初めてだが、知らない仲ではない。
アイラは口にしなかったが連戦でそんなに余裕があるわけではない。
「アイシャ様、この者は味方ですが危険です……」
何事かと顔を覗かせていた圭白が、壱子の心を読んだようだ。ひどく怯えながらカバンの奥底に引っ込んだ。何かを察知したのだろうか。アイラは疑問に思った。
壱子がこの場にいるのなら話が早そうだ。アイラは同業者としての話をすることにした。
「一緒にいるなら、あの子たちに紹介しなくて済みそうさね。あんたに仕事を振らせてもらうよ。フィラノスは滅んだと言って過言じゃない。多分、王様が始末された」
「そういうお仕事は歓迎します。でしたら、指名手配など、すぐに消えることでございましょう。目ぼしい情報はそれだけでしょうか?」
この二人の間では、言葉では言い表せられない独特の信頼関係があるようだ。
「会ったのは初めてだけど、あんたの情報はいつも信頼してるよ。ご主人は生きてる。沙蘭に向かった。あとの判断は任せるよ」
淡々と伝えたい情報を述べた。
今まで文章の交換だけで、実は初対面。だが、厳しい中で生き抜いて来たギルドの戦友だ。それなりに勝手がわかる。
「そしてこれは何でしょうか?」
壱子は猛獣を尻目にアイラに質問をする。その距離は狭まっている。
「人だった。としか、わからない。もちろん、こうなった以上は、元には戻らないでしょうね」
アイラは、フィラノスの孤児院跡で見たものとおそらくは同じ原理だろうと考えていた。
壱子はため息をついた。
「ふーむ、良心が痛みますが。これもお仕事ですね」
「あの子たちに急な話があるのだけど……」
「わたくしが引き受けましょう。これは貸しにいたします」
「あいよ、ありがと」
初めて会ったのに、これまで文章だけでのやり取りだったのに、積み重ねた信頼関係がここで試された。お互い、いい関係だ。
アイラは壱子を信用し、一行のもとへ駆けた。
「さぁ、貴重な妄想資源をたんまりと仕入れた分、働きましょうか。ワンワンだかニャンニャンだかわかりませんが、お相手致しますよ」
壱子が怪しげな笑みを浮かべながら、鋏を持ち直した。
妄想こそが活力の源なのだ。
そのうちまとめて、ローズに預けてしまいそうだが、持っている意識は大切にしたい。
ノックスの街へ戻った。依頼を引き受けたのはフィリップスなので、フィリップスを目指そうとする。
ジェフリーはサキに次の流れを提案した。
「フィリップスに報告したら、お師匠さんを助ける方法を考えよう」
「お師匠様も心配ですが、ミティアさんの居場所もまだわからないのに……」
サキは不安を募らせる。アイラも心配だが、ミティアはいいのだろうか。
思い出したように、ローズが白衣のポケットから端末を取り出している。凝視して、その足が止まった。
「あの魔法使い、今は沙蘭……デス?」
ローズの表情が固まった。沙蘭と聞いて、竜次が画面を覗き込んだ。彼女が手にしているのは液晶画面の地図のようだが、地形と発信反応から光っているのが沙蘭だ。
「えっ、本当に、沙蘭……?」
情報が混乱している。立ち止まって情報を整理しようとするも、見える限りで街の入り口が騒がしい。黒い煙が見えた。
いろんなことが舞い込んで混乱が起きる。ここで崩れるわけにはいかない。
「ジェフリーさん、どうしますか?」
サキが指示を仰いでもらおうとするが、ジェフリーも判断に迷っていた。コーディがジェフリーの顔を見上げる。
「野次馬がたくさんいるあそこ、もしかして教会じゃない?」
コーディはこの街を知っているし、一緒に情報集めの探索をした。思い出した。彼女が言っているのはおそらく当たりだ。
ジェフリーが一行の動きを指揮する。心配の種があるのも確かだ。
「これからの行動に支障がないか、騒ぎだけでも見に行こう。それから予定通り、フィリップスに向かう」
浮き足立っても仕方ない。ゆっくりでもいい。着実に、今の仲間を誰も傷つけない判断をしたいとジェフリーは思っていた。
宿の近く、足を運んだこともある建物は焼け落ち、崩れていた。全焼してしまったらしく、街中の人ではないかという規模で人が群がっている。
教会が全焼、見える範囲で砕けたステンドグラスが見え、木が焦げたひどい臭いがする。
竜次が焼け跡を見て落胆した。様子から、怪我人がいる感じではないので、これでも比較的落ち着いている方だ。
「ひどいですね、なかなかここまでは燃えませんよ?」
サキが野次馬のお姉さんに訊ねてみる。教会には誰もいなかったようだ。
「すみません、この教会のシスターさんは無事ですか?」
これから念の為、捜索依頼が出されると聞いた。
ならば自分たちの出る幕ではない。ジェフリーはそう判断した。
「どっちにしろ、俺たちにはどうすることもできない。街のことは、専門の人に任せた方がいい」
「ジェフリーさん、いいんですか? だって、シスターさんは……」
ジェフリーは言いかけたサキを威圧し、黙らせる。当然食い下がりたいだろう。
コーディも何か言いたそうだったが黙っていた。彼女は余計なことを言わない。
ノックスの街を出る。すると、一行のあとを追うバタバタと品のない足音が聞こえた。
「おっ、お待ちくださいーっ!!」
アッシュグレーの髪をうしろで結い上げ、執事のようなかっちりした服装の人が見えた。息を切らせながら走っている。その人は追いつくと、膝に手をつき、肩で息をしながらなぜか竜次を見上げている。
「り、竜次お坊ちゃん、ですよね?」
「わ、私ですか?」
男性っぽい格好をしているが、胸があるし女性である。えんじ色の燕尾服が特徴だ。腰から大きな鋏が下がっているのが気になった。
竜次の知り合いと聞き、ジェフリーは首を傾げた。
「兄貴の知り合い? 兄貴に友だちなんていたっけ?」
「ひどい言い方ですね! いませんけどっ!!」
くだらないやり取りが始まった。だが、すぐに終演した。今は冗談を交えている場合ではない。
女性はジェフリーにも目を向け、輝かせている。
「はぇぇ、じゃあ、あなたがジェフリー様?」
女性の反応に兄弟は顔を見合わせる。誰も、この女性を知らない。
呼吸が整い、女性は背筋を伸ばして一礼をした。スタイルが良く、燕尾服とブラウスのリボンタイ、革靴がよく映える。
「申し遅れました。わたくし、セーノルズご夫妻の御付きをしていた、壱子と申します。ケーシス様から伝言を預かっており、探しておりました」
「いちこさん……?」
竜次は顔をしかめた。
「あっ、もしかして、妹たちに格闘技を教えていた壱子様ですか?」
「さすがお坊ちゃん! わたくしを覚えておりましたか」
当たりのようだ。ジェフリーは壱子を知らない。そっけない態度になってしまう。
ところが、コーディが目を輝かせながら話に入った。
「あ、あの、凄腕ハンターの壱子さんですか?」
壱子はコーディをまじまじと見つめ、だらしない笑いをする。
「はぁ、幼女……最高ですね、このつるぺたフォルム……」
出会って数分だが、この人はヤバい人だとこの場の誰もが察した。要するに、幼女体系に尊さを感じているようだ。一般には伝わりにくいが、業界用語だろうか。
壱子のだらしない笑いがすぐもとに戻った。軽く咳払いをし、凛とした表情になる。
「そうです。わたくし、執事ながら情報の運び屋をしております。フィラノスでしたら、今ケーシス様が滞在中です。ご活躍されていると思いますよ」
「親父が?」
「フィラノスの種の研究所を叩く、と。心配するなと言っておりましたよ」
壱子はテキパキと仕事をするタイプのようだ。要点だけを簡略に伝える。混乱と情報の多い中では非常に助かる。
キッドは急な展開についていけず、八つ当たりのようなことを言う。
「執事がついてるなんて、お金持ちなのね……」
「姉さん、そういう言い方はちょっとどうかと」
隣でサキが注意しているが、壱子はそれを見てもだらしない笑いを浮かべている。
「いいですね、天然のショタ……おねショタ……ふふっ……」
一言で断言していいならば、この人は変態だ。間違いない。何を言っているのだろうかとなる。つまりは、姉と弟という属性に尊さを感じているようだ。
妄想を膨らませて、満足したら現実に舞戻るタイプだ。ものの数秒で再び引き締まった顔をし、背筋を伸ばした。スイッチの切り替えが早い。
ローズが自分もその毒牙にかかるのかと、寒気を感じていたがそれはなかった。
「お伝えすることは以上でございます。ノックスで騒動があり、なかなか探せなくてですね、このような場所でお引止めして、申し訳ありませんでした」
壱子が燕尾服の尾が乱れるほど、深く頭を下げた。
「わたくしはこれで……?」
去ろうとした壱子が疑問の言葉尻になり、違和感を撒き散らす。
「あっと、これはマズいですね」
壱子ではない人の気配がする。向かって進行方向から人が歩いて来る。
白衣を着た茶色で短髪、男性でかなり顔はいい。
ジェフリーはこの人を知っている。この反応と険しい表情に、サキが質問をしようとするが次々と声が上がる。
「ぁ……まさか……」
キッドの様子がおかしい。次いで、ローズも声を上げた。
「ルー!」
白衣の男性が足を止めた。
「はじめまして、が多いかな?」
「ルッシェナさんっ! 生きて……たの?」
キッドが感極まってほろほろと泣き出してしまった。彼女の顔を見て、竜次が呆然としている。まだ、彼の中では可能性の段階だが、大体はジェフリーの反応で察せる。
仲間がまたも崩れてしまうと、サキは危機感を募らせた。
「ジェフリーさん……最悪ですね」
「さすがに、冗談を言っている余裕がない……」
緊迫した空気、予想できなかった展開だ。
ルッシェナは繊維を示すこともなく、両手をぶらつかせている。友好的な姿勢を見せた。
「先輩、どうしたんですか? そんな怖い顔をして。お久しぶりですね」
ローズに向けて疑問を投げている。ローズは苦笑いをしながら、独特のやり取りをしていた。
「ルー、アナタ、何人騙しました?」
「騙す? とんでもない。死者が生き返る蘇生の術は確かに存在します。知っていますでしょう? 禁忌の魔法……」
「……ワタシはもうその夢を追ってはいません」
ジェフリーは、ローズはすでに黒幕の正体がわかっていたと、このとき把握した。父親であり、同じ研究をしていたケーシスが話を回したのかもしれない。彼女が話さなかっただけだった。うまく隠せたものだ。いや、早い段階から相談してもよかったかもしれない。
ルッシェナはローズとの会話を流し、キッドに目を向ける。そしてわざとらしく大袈裟に、驚くように言う。
「やあ、キッド、よく無事だったね」
「ルッシェナさん、あたし……あたし、心配してました……死んだなんて、信じられなくて、ずっと悲しくて……」
「キミが生きていたなんて、わたしもうれしいよ」
ルッシェナが甘い言葉をかける。上っ面だけの薄い笑顔だが、これが契りでも交わした相手なら違って見える。それこそ、すべてを捨てても求めたいと思うだろう。
「おいで……今度こそ、ずっと一緒にいよう?」
「ルッシェナさんっ……」
一同はキッドの想い人をこのときになって知った。
駆け出したキッドの手を竜次が掴んだ。この行動ですれ違っていた心が形となって見えた。理不尽の連鎖だ。
「離して、先生! あたしには……あたしにはもう……」
「行かないで。行ってはいけない……」
死んだと思っていた想い人を目の前に、キッドはずっと我慢していたものが溢れ出てしまった。
「あたしは……あたしは、ルッシェナさんが好きなんです!!」
「……っ!」
竜次は手を緩めてしまった。離してはいけない手が、すり抜けて行く。
無駄と知りながらジェフリーが呼び止めた。
「キッド! 行けば、後悔するぞ!!」
キッドは一瞬のためらいもなくなく、泣き顔のままルッシェナに抱きついた。
止められなかった。止めきれなかった。ジェフリーはミティアが話したくなかった理由をやっと理解した。おそらくキッドは愛しい人以外に、何も見えていない。たった一人のためにすべてを投げ出せる。この覚悟がキッドにはあった。
ジェフリーはこれを責めることができない。もしかしたら、自分もその立場だったのかもしれない。
事実上、キッドが仲間を見捨て、裏切った形になる。
ジェフリーは個人的に、これもルッシェナの策略のうちかもしれないと思っていた。黙ってはいるが、はらわたが煮えくり返りそうだ。
泣きしがみつくキッドの髪を撫でながら、ルッシェナは不敵な笑みを浮かべた。
「ケーシスさんなら、死にました。シフが誤って、ミティアごと始末してしまったみたいですよ」
ルッシェナは言葉の追い打ちをかけた。何か企みがあるのか、淡々と話す。
「生きるのは一生懸命なのに、死ぬのは一瞬ですね」
義理とはいえ、妹のミティアの死をまるで他人のように嘲笑う。
「ミティアが……?」
キッドがハッとして顔を上げる。
ルッシェナは表情を変えず、言葉の刃をジェフリーへ向けた。
「ミティアがお好きなのでしょう? ジェフリー・アーノルド・セーノルズ。手をつなぎ、楽しそうに歩いていましたものね。それとも、昔の女を望むのでしたら、生き返らせてあげますよ。あなたも、こちら側につきませんか?」
命を軽視し、弄んで来た者の言葉が安っぽい。上辺だけで中身のない人柄。どこか相手を馬鹿にしているが、心の闇に触れて巧みに揺さぶる。
「ジェフリーさん……」
サキが心配する声を上げるが、ジェフリーはこんな言葉でなびいたりはしない。
だが、他の者は違った。
「剣神、竜次さん。あなた、昔の女をまだ想っていますね。亡くしたことを後悔しているのでしょう? やり直しませんか?」
甘い言葉は止まない。誰もがこんな言葉に、一瞬はぐらつくだろう。竜次だって例外ではなかった。視線が伏せられる。悲しいものを呼び起こされる。
「先輩、本当は産めなかった双子の子、その手で抱っこしたいのでしょう?」
ローズは学者であり医者だ。人が生き返るなんて技術として無理。それくらいは承知している。だが、人ではない力ならその限りではない。
個人の過去を指摘されるのは、苦痛のほかに何ものでもない。
コーディはローズを見上げる。この男はやけにローズに執着があると感じたようだ。
ローズは苦虫を噛み潰したように表情を崩しながらも、笑みを浮かべ目を合わせた。
「ワタシ、大丈夫デス……」
一行が精神攻撃で崩されかけているのを目前にした壱子は、白い手袋を取り出し、両手にはめる。指を慣らしてルッシェナに目を向けた。
「いやぁ、ケーシス様から聞いてた以上にクズですねぇ……」
「ご婦人はまだ、ケーシスさんの御付きをしているのですか?」
面識があってもおかしくはないだろうが、親しいわけでもないようだ。
「ご婦人? 冗談を。わたくし、既腐人です」
壱子は鼻で笑い飛ばしながら、自身を『きふじん』と言い張る。何か深い意味がありそうだが、指摘したら負けな気もする。文字通りの言葉だとは思うが。
「犬は犬らしく鎖に繋がれていてください。こちらの動きをコソコソと嗅ぎまわって目障りです……」
「犬らしく主人に尻尾を振って、鳴くのも立派な仕事です。それに、犬ですので臭いモノには敏感でして」
風で燕尾服がふわりとなびいた。この人をまともに相手するのは難しい。
詳しく話していないが、竜次もコーディも知っている人だ。とりあえずは味方についてくれたのをありがたく感じた。素直に受け入れていいのかは、また別の話だが。
壱子は幻想を並べるルッシェナにいやに現実的なことを言う。
「本当に死んだ者が蘇るなら、今頃世界の人口はパンクしておりますね。そんなものは二次元だけの妄想にしてくださいませ」
壱子の言葉が揺らいだ竜次を引き戻した。
竜次の視線の先には動揺するキッド。まずは、この人質を取られた状況を打開しなくては。
サキのカバンから圭馬が顔だけ見せた。一同に注意をする。
「お兄ちゃんたち、わかっていると思うけど、あの人は何人もの命を弄んだ科学者だ。注意してね」
注意しろというのは簡単だ。具体的にはどうしようもない。警戒をするのがいいところだろう。それでも一同を気遣ってくれている気持ちだけは伝わった。
誰一人引き込めないと悟り、ルッシェナは大きく落胆した。
「せっかくあなた方にもチャンスをあげたのに、残念です。いい同志になれると思ったのですが」
仕掛けてくるのかと警戒したが、少し違う。キッドを抱き寄せ、強引に皆の方へ向かせた。
「わっ、えっ……?」
困惑するキッドはこめかみに重く冷たい感触を受ける。金属の音が鳴った。
「動いたらどうなるかわかっていますね?」
ルッシェナはキッドのこめかみにマスケットを突きつけていた。いくら命中率の低い銃でも、この至近距離ではまず外れない。もし本気なら、キッドの頭が吹っ飛んでしまう。
ここまで来ると、最低を通り越して人間のすることではない。この場で命だけではなく、心までも弄ぼうというのか。
「う、そ……ですよね?」
キッドが視線を泳がせる。泣きはらした目が、再び潤んでいる。
「どう……して? あんなに優しかったじゃないですか……」
「優しい? そうだね、愛し合ったものねぇ?」
「あ、あたし……」
「まだわからないんだ? 愚かなキッドも可愛いね……」
キッドは現実に向き合えない。どうしても甘い過去を思い返す。今の自分に見えているのは失ってから歩んでくれた仲間だ。
やっとキッドの目が覚めた。人質にされている、仲間の足を引っ張っている、と。
サキがジェフリーに小声で話す。
「ジェフリーさん……どうします?」
その声は今にも怒りで爆発しそうだ。姉を弄ばれ、人質にされているのだ。冷静でいるのが難しい。
皆に指示を出す司令塔はジェフリーの役割だと、誰もが認めていた。それでも今は、誰も傷つかない、誰も欠けない道を導けない。ルッシェナの手の内を誰も知らない。提案もできなければ、作戦を考える余裕もない。
誰がどう見ても不利な状況だ。
ジェフリーは半歩だけ前に出た。発言権を求めるためのもので、仕掛ける意志ではない。
「……狙いは何だ」
ルッシェナは警戒したが、キッドには何もしていない。
ジェフリーは、ルッシェナがそう簡単にキッドを殺すはずがないと踏んでいた。本当に殺したいなら、わざわざ人質にはしない。
「わたしの邪魔をするな。と、いうことです」
「つまり……?」
睨み合うルッシェナとジェフリー。時間を稼ぐようにじれったさを感じる話し方をするが、ジェフリーの狙いをサキが汲み取った。
焦っているのか、ルッシェナがジェフリーに銃口を向ける。
「そりゃあ、全員ここで死んでもらうのが理想ですよ。ミティアに悪影響を与えてくれましたからね」
「残念だが、俺たちはそう簡単に死なないっ!!」
銃口が動いた隙に、サキが杖を手に振り上げた。
「我が魔力、解放せんっ!!」
サキに動きがあったと知り、ルッシェナの銃口がさらに動いた。
「させませんよ、魔導士!!」
銃から放たれた弾丸が、サキの杖を弾いた。だが、サキは媒体を自分に掛けたまま、手を引きずって詠唱を続けた。
もはや、捨て身の魔力解放だ。このままだと、確実にサキが標的になる。
カバンから転げるように飛び出たショコラが、獣人の姿になり竜巻にもかまいたちにもならない不規則な風を舞い起こす。
「ワンダーミスト!」
ショコラが雄叫びにも似た鳴き声を上げる。地鳴りのような衝撃が起き、辺りに乳白色の綿のような煙が立ち込めた。
サキは膝を着き、肩で息をした。数十センチ先で地面から土と草が跳ねた。銃弾だ。
「立つんだ! 逃げないと!!」
「のぉん、ご主人……」
サキは化身の姿に戻ったショコラと圭馬に、服の裾を引っ張られている。すぐに立てないほど、魔力解放で体力を削られている。せめて杖さえ弾かれなければ、余力はもっとあったはずだ。これでは昨日と同じ。一発芸のような立ち振る舞いになってしまった。
「悔しい……」
視界は奪った。だが、次の手が打てない。
俯いて挫けそうなサキの左肩が担がれた。逞しい腕の正体はジェフリーだ。
「お前、俺が時間を稼いでいるのがよくわかったな」
「ははは、と、友だち、ですからね……」
こんなときでも、助けてくれる友だちがいる。せっかく手を貸してくれているのに、消耗が激しく、ちゃんと立てない。サキは悔しく思った。
「ごめんなさい。ジェフリーさん、どうか姉さんを助けて……」
場の攪乱という機転を利かせたサキだが、この先は戦えないと自覚していた。
それでも、ジェフリーはサキを責めはしない。何の作戦会議もせず、即席でこの攪乱を起こしてくれただけでも感謝したいからだ。
「ジェフリー坊ちゃん、このお方はわたくしがお守りします」
声を頼りにした壱子が駆け寄り、サキを軽々と持ち上げる。ジェフリーはそのシルエットだけ確認ができた。
「お任せください、ショタは貴重な妄想資源です」
ジェフリーが返事をする前に、壱子は高く飛んだ。もう少し詳しく話を聞いた方がいいかもしれないとは思ったが、この人のアサシンのような身のこなしが気になる。
「あとは、向こうから解除魔法がなければ反撃できる……」
ジェフリーは解除魔法の懸念をしたが、その確率は低いと見ていた。ディスペルを詠唱する時間もかかる上、解ける保証もない。魔力比べの対象はあの優秀なサキだ。
警戒はしつつも、ここからは一人で動かなくては。
「小賢しい。魔導士はさっさと始末すればよかったですね」
ルッシェナはたった一人で七人を相手にする自信があった。蹴散らすか、誰か引き込めればと思っていたが、完全に崩せずに撤退も視野に入れていた。
ギルドで出回っていた情報をもとに、戦略は練っておいたが、想定よりも一行は崩れてはいなかった。これは計算外だった。
シフはもっと戦力と戦意、誰かを始末したであろうと計算に含んでいた。使えない奴だ。彼の出身がどこの島だったのかは覚えていない。そんな小さな情報など、ルッシェナにとってはどうでもよかった。ただ、自我が強そうな分、使えそうな駒だとは思った。
自分だって、失ったもののためにすべてを投げ打って、ミティアを利用したかった。それなのに、何も得ていない。彼女には禁忌の力があるのに、自分の手では利用できない。義理の妹にしてまで、支配して、心を縛って、その期を待ったのに。
白狼と手を組んだのが間違いだったのか。
ルッシェナの思考は次の手を考えつつ、自身の完璧なシナリオがどこで間違えたのかを振り返った。
自分が今ここで一行を潰して、また研究を再開すればいい。何なら、研究所も再建させればいいことだ。自分には時間がいくらでもある。
どうせケーシスが身を投げてミティアを死守しているだろう。そこまでは計算済みだ。
邪魔者がいなくなれば、いくらでもミティアを……禁忌の力を手にする機会はある。今は障害を排除する。利用可能なものはすべてて利用する。ルッシェナは、自分の手の中の駒で、何ができるのかを見定めた。
抱えていたキッドに視線を向ける。彼女はこの束縛を逃れようと暴れていた。
「は、離してくださいっ!」
左腕の中にはもがくキッド。彼女にはまだ利用価値がある。ルッシェナは耳元でささやいた。
「キッドは誰が好きなんだい?」
キッドはビクッと反応した。この状況でも心のどこかでこれが冗談なのではないかと思っていた。好きな人が、自分を陥れようとしている。仲間を傷つけようとしている。
ルッシェナは手応えを感じた。キッドの力量は知っている。その気になれば、自力でも逃げることも可能だというのに、きっと認めたくはないのだろうと感じていた。自分に未練があるに違いない。まだ好意を持っているに違いない。記憶が正しければ、キッドは過去を振り返らない主義だ。そのキッドが、過去の思いから心を縛られている。皮肉なものだ。
「かわいそうなキッド……」
「ゔっ……うぅっ……」
強靭なキッドは、実はこんなにも脆く崩れやすい。
魔導士のサキによって放たれた攪乱の魔法。ルッシェナはこれを厄介に思っていた。
一人ずつ仕留めればいい。この術も有限だ。耳を澄ませ機を待った。
状況はこちらの方が有利。最も潰さないといけないと思ったのは、魔導士だがどうせこの術で媒体を弾いた。もう多くは動けまいと考えていた。キッドも利用価値がある。
イレギュラーな執事はいるが、せめて誰か削りたい。
もくもくとした煙のような霧……なのだろうか。何が不思議かというと、弾き立てのアスファルトで見た覚えのある細かい光が乱反射し、目の錯覚を起こすのだ。
耳だけが頼りだ。場の混乱に対し、視界の混乱で返したサキのすごさに驚いた。
術が解ける前にキッドを奪還したいとジェフリーは考えていた。動いてしまったせいで、どこにルッシェナがいるのか、特定が難しい。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」
コーディの声だ。やけに小声だが、その判断は正しい。下手に音を立てれば、狙い撃ちをされてしまう。
ジェフリーの少しうしろにいるようだ。ジェフリーは振り向き、耳を澄ませた。
「私、翼の音でリスクがあるから今はゆっくり動いてる。だけど、不意打ちとかっさらいなら任せて」
ジェフリーは返事をしなかったが、了解した。不意打ちや、かっさらいという単語。コーディなりの妙案だ。隙を突く行動が可能だろう。
動こう。そうしなければ変わらない。即席の奪還作戦だ。うまくいく保証はない。
自分が動けば、竜次もローズも動くだろう。ローズに関しては、戦力として考えない方がいいかもしれないが、きっと彼女も動く。ジェフリーは仲間との絆や考え、信頼が試されているように思えた。
ジェフリーは自ら剣を抜いてキッドの声がした方へ足を歩めた。
緊張する息遣い、自分以外はどう動くかわからないが、信じるしかない。
皆の指示を出す司令塔ではなく、仲間を信じる思いで動いた。
一行から動きが見られない。ルッシェナはキッドを盾にしつつ、声を上げた。
「言っておきますが、この弾は当たれば一発でキメラに変貌しますよ。いつまで小細工の話し合いをされているのですか?」
「き、キメラって……何ですか?」
キッドの声が震えた。先ほどよりも弱々しい声だ。
ルッシェナは不敵な笑みを浮かべている。
「瞬時に遺伝子の操作を起こし、理性を壊します。あとは、二度と元に戻らないくらい存在を壊すと説明すればわかるかい?」
キッドは息を飲んだ。そんな恐ろしいものが当たれば、無事では済まない。学びのないキッドでもそれくらいは理解が可能だった。ルッシェナを止めなければ。これ以上この人に罪を、咎を背負ってほしくない。
「もうやめて、ルッシェナさんッ!!」
キッドが銃を持った手に飛びかかった。勢いで空に向かって弾丸が放たれる。響く銃声。ルッシェナが持っていたのはこれだけではない。
「抵抗するならキッドも敵とみなす……」
右上を上げた直後、左の手が背後に回った。引きずる金属の音、しがみつくキッドを刃が襲った。キッドの恐怖に染まった表情を見て、ルッシェナが狂った笑みを浮かべる。
「っあぁっ……!!」
叫びにならないキッドの声。彼女の右手首から下に赤い線が走っている。
キッドは手を離した拍子に、突き飛ばされた。
ルッシェナが一思いに殺さないのは、まだ利用価値があると知っているからだ。
いち早く姿を見せたのはジェフリーだった。ルッシェナの剣を弾きに入るが、彼はまだ銃を持ったままである。
「引っかかっていただけて光栄ですよ。まずはあなたからですか、ジェフリーさん?」
銃口が向けられた。ジェフリーに避けるだけの余裕はない。
「アイシクルブリッド!!」
膝をつき座り込むキッドの背後から、白衣の女性ローズが、小さい試験管の媒体を投げ入れた。銃に当たる。だが、ルッシェナは絶対に銃を手放さないようだ。
凍りつき、鈍器と化した。この銃の中には危険な弾丸が含まれている。
ルッシェナはローズに視線を向ける。
「先輩は『そちら側』の人なのですね……」
かつての同志が敵対、これは眉もひそめたくなる。
ローズへの視線をジェフリーが遮った。
「よそ見してると寿命が早まる」
ジェフリーは自身の剣でルッシェナの剣を弾いた。勢いでルッシェナの腕も裂いた。鮮血が飛沫を上げる。
剣戟を食らっても、ルッシェナは笑っていた。ジェフリーに向かって質問をする。
「あなたはミティアを救って何を得ようとしているのですか? 礼を言ってもらいたいのですか? それとも、一生を添い遂げたいとでも思っているのですか?」
「俺が助けたいと思ったから助ける。お前みたいな悪党から!!」
「ふん……これでわたしを取ったと思うな!!」
ルッシェナは血まみれの左腕をそのままジェフリーに向け、魔法を放った。手には黄色い魔石が見えた。ジェフリーの嫌な予感は的中する。
「なっ……」
ジェフリーの剣に当たる。放たれたのは雷の魔法だ。雷撃は剣を伝い、腕を痺れさせた。この戦略は誰かと似ている。いや、ルッシェナの方が戦い慣れているし、手際がいい。そこらの人間が、短期間で身につける武術ではない。
戦いの手段を潰しても、いくつも応戦手段を持っている。人数では上でも、技量が負けていた。その表情にはまだ余裕があるように見える。
ジェフリーは退いたが、今まで機会をうかがっていた竜次が踏み込んだ。ダメージを与えたこの好機を見逃すわけにはいかない。
竜次は素早くないが、戦場を見る目はある。霧が薄くなった。目くらましは、ほとんど役に立たない。この一撃が勝負となりそうに見えた。
竜次が体勢を低く抜刀の構えをルッシェナに向けた。それを見たキッドが悲鳴を上げる。
「やめてぇぇーーー!! その人を殺さないでぇッ!!」
この場にいた誰もが動きを止めた。ルッシェナがキッドに利用価値を認めていたのはこのためだった。
竜次はぴたりと動きを止めた。キッドはコーディに引っ張られているものの、激しく抵抗している。かっさらうどころの騒ぎではない。
痛めた手を抱えながらジェフリーは叫んだ。
「兄貴ッ!!」
竜次はできないと言わんばかりに手を震わせ、歯を食いしばっている。刀はほんの数センチ引き抜かれ、停止していた。
ルッシェナは竜次と目を合わせて言う。
「剣神、あなたには覇気がない。人を斬ったことはないようですね」
「……!?」
攪乱の霧は晴れた。
ルッシェナは後退しているサキと壱子の姿を確認した。誰がどこにいて、何を目論んでいたのかが見えた。世間やギルドはこの一行に期待を寄せているのは知っている。
新しい戦略を思いついた。キッドだけではなく、一行全員に利用価値がありそうだと判断した。
「さて、どうしましょうか?」
ルッシェナは凍ったマスケットの霜を払いながら、負傷した左腕の傷をうかがっている。村の壊滅で負った怪我が癒えたばかりで、ジェフリーの一撃は重かったようだ。
「もう少し遊んでもいいのですが、ここからは余興がいいでしょう。そのチームワークとやらを存分に発揮してもらいましょうかね」
向かい合って睨み合うも、ルッシェナの血にまみれた手には緑色の魔石が見える。
「逃げる……つもりか?」
ジェフリーが逃走を警戒する。ルッシェナは薄ら笑みを浮かべながら答えた。
「この場で誰か始末できたらよかったのですが、思っていたより手強いですね。今回は『お試し』としましょう。わたしも納得しませんが、引き分けですね」
呆れているのか、納得しているのか。少なくともルッシェナは、まだ手段を持っているようだった。
銃を持っていた手の袖口にも魔石が見えた。いくら手段を持っているのかと、恐ろしい一面だ。
「あなた方がどう足掻こうと、選べる道はもう限られています」
「どういう意味だ……」
痺れた手を慣らし、ぎこちなく動かしながら、ジェフリーはまだやれると言わんばかりに睨みつける。
そんなジェフリーをルッシェナは笑い飛ばした。
「ミティアを助ける手段は、もうわたししか持っていないのです」
ジェフリーは確信した。ルッシェナは今、焦っている。戦う前、ミティアは死んだと言っていたが、ここで生きている可能性を示唆している。
「天空都市でお待ちしていますね」
薄っぺらい上辺だけの表情に、にやりと口角が上がる。気味が悪い笑い方だ。
この緊迫した空気の中で、ノックスの方がやけに騒がしい。まだ火事で騒いでいるのだろうか。
「その前に、この世界は秩序を失う。無駄な争いがなくなるかもしれないけど、意味が理解できたときはもう手遅れだろうね」
狂気を感じる目、その目が一瞬だけキッドに向けられた。
「またね、キッド……」
緑色の魔石が地面に弾かれ、音もなく、ルッシェナは消え去った。彼が流した血だけが、虚しく残っている。
ルッシェナは引き分けと言っていたが、大きな傷を残された惨敗だ。
「私の、せいです……」
竜次は誰とも視線を合わせず、吐き捨て項垂れた。悔しそうに、息を詰まらせている。
キッドも立ち上がれず、戦意を喪失している。
「もう嫌……こんなの……どうして、なの……」
両手で顔を覆って、むせび泣いている。
この二人を立ち直らせないと、この先の行動に支障が出そうだ。ジェフリーはそう思いながら、どうやって励ますべきかと考えていた。
壱子がサキを抱えたままジェフリーの元へ降り立った。サキはおぼつかない足取りでジェフリーにしがみついた。
「ジェフリーさん!! どうして、どうして決着をつけなかったのですか?」
サキはジェフリーに状況の説明を求めた。言わなくともわかるかもしれないが、場の空気が重苦しい。
「奴を、憎んださ。でも、すべてを聞き出すまでは生かしておかないといけない気がした……」
「勝てる望みはあったはずです!」
「結果から言うと、負けた。生きて捕まえるのは難しいらしい」
「まるで、『あの人』を知っていたみたいですね」
「……」
サキの鋭い指摘にジェフリーは黙った。今ここで話す必要はない。
塞ぎ込む竜次、泣き崩れるキッド。この状況を立て直す方が先だと思っていた。具体的な解決案は、今のところ思い浮かばない。
重苦しい空気を読んだのか、壱子が深々と謝罪をする。しかも、その相手はジェフリーだ。
「感覚が掴めず、だいぶ後退してしまっておりました。申し訳ありません。わたくしも援護すべきでしたか?」
サキを任せて正解だった。それだけは間違いない。ジェフリーは小さく頷いた。
「いや、大切な友だちをありがとう。標的にされなくてよかった」
なぜジェフリーに謝罪したのかはわからない。竜次の方が立場は上のはずだが、ジェフリーをリーダーと認識したのかもしれない。
「それより、あんたは何者なんだ? 身のこなしが普通じゃない」
本来なら仲間を気遣うべきだろうが、少し時間が必要だ。それに、壱子の素性を知っておかないと気になって仕方ない。
「わたくしですか? ご両親の御付きです。執事とも言いますね」
「いや、そうじゃなくて。暗殺稼業でもしていたのかと聞きたい」
とぼけるような仕草だ。壱子は燕尾服のポケットからカードを取り出した。ギルドのカードだ。
レジェンド級ハンターと記されている。本当に凄腕のハンターのようだ。コーディが言っていたから、間違いないとは思ったが。
「荒事の際は格闘技と暗殺バサミでお仕事させていただきますが、相応のリターンがないとわたくしは動けませんので」
やはり『そっち』の人だった。腕が立つのは納得した。詳しい話を聞きたい。
「さっきの『野郎』は親父が死んだように言っていたが、あんたはどう思う?」
「そうですねぇ……」
これに関しては、壱子が詳しいだろう。ケーシスと一緒だった時間が長そうだ。
「基本的にあの人は不死身ですし、魔導士の端くれなのでしぶといとは思います」
聞いて少し安心した。だが、そんなジェフリーにコーディが声をかけた。
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どうして平気なの? と、でも言いたそうな目線だ。他の皆も耳を傾けていた。
「ミティアは生きている。去り際に、ミティアを助ける方法は自分が持っていると言っていた。焦って最後の最後にボロを出したんだ。これが、何の意味かわかるだろう?」
聞いていたコーディとサキが顔を上げた。
「ただし、これから無事かはわからない。場所はわからないが、迎えに行かないといけないな」
まだ悔しそうだが、竜次が顔を上げた。火の点いた目が向けられる。
「ジェフ……」
落ち込んでいない珍しい竜次だ。よほど悔しかったのか、最も崩れそうな懸念すらしていたのに、深く頷いて気をしっかりと持った。
「絶対に挽回します。ミティアさんもお父様も助け出しましょう」
久しぶりに見た兄の風格だ。これを見たジェフリーは安堵の息をついた。頼りになる人がいる。それだけで気が楽になった。
「兄貴……」
「ジェフにばっかりいいカッコさせたくないし」
余計な一言を加えられたが、それでも今は頼もしい。
「これはいい妄想材料……」
壱子が雰囲気でお腹いっぱいの様子だ。この人は扱いに困っていたが、もう放っておいてもいい気がする。
竜は勢いのまま、キッドに歩み寄った。
キッドは怪我をしている。ローズが処置を施すべく向かい合っているがキッドはこれを拒んでいた。
「手当しないといけませんデス……」
「もう、あたしは放っておいて!!」
「むぅ……」
浅いとはいえ、怪我をしている。キッドの利き腕は適当に擦ってあり、変な血の滲み方をしている。まるでこの傷を隠すような仕草だ。
そこへ竜次が割って入った。
意地を張ってへそを曲げているような彼女の態度に、竜次が叱責する。
「いつまでそうしているつもりですか」
「……」
竜次はしゃがみ込んで、キッドの右の手首を掴む。やけに強引だ。
キッドは激しく抵抗した。
「離してください!! あんな思いをするなんて、あたしなんて、あたしなんて……死んじゃえばよかったのよ!!」
ジェフリーはさすがに仲裁しないとまずいと思った。そんなジェフリーをサキは服の裾を掴んで止めた。手を出すな、口を出すなとアイサインをおくっている。
パンと乾いた音がした。
見れば、竜次がキッドに平手打ちをしたあとだった。もちろん激しくはない。
この光景に、誰もが驚いた。もちろんキッドも。
「せ、せんせ……?」
見開かれた目からは、大粒の涙が零れている。
「命を粗末にしないで!!」
言われて悔しいのか、キッドは竜次を睨みつけた。
「先生にあたしの気持ちなんてわからないっ!!」
「えぇ、わかりません!! でも、好きな人が自分から離れてしまう苦しみは誰よりも理解しています!!」
「な、によ……わかったつもりのくせに……」
口喧嘩なんてものではない。
熱の入った言い合いに、ジェフリーが身を乗り出す。すると、今度はコーディが止めに入った。皆はどうやっても、ジェフリーが介入しないようにしたいようだ。
竜次はキッドに寄り添おうとしていた。主に気持ちの面で。
「私にはわからないです……どんなに歩み寄っても、向き合っていただけない人の気持ちなんて」
キッドは茫然としていた。好きだった人に利用され、いいように使われ、捨てるように扱われた。彼女にはどうすればいいのかまだわかっていない。
「なぜ、あなたはいつも、『助けて』って言ってくれないんですか……」
キッドの気持ちはわからない。彼女は自分を多く語らないし、詮索しようとすると拒む。少ない手がかりからは、理解するのが難しい。
だけど、歩み寄ってほしい。頼りにならないかもしれないけれど、ここに向き合ってあげられる人がいるのをわかってもらいたかった。
「あなたは、平気じゃない、でしょう?」
「……先生の、馬鹿。あたし、どうしたらいいのかわからなくて、八つ当たりみたいになっちゃって……」
意固地になっていたキッドは力なく竜次の胸に頭をついた。心を許してくれた。落ち着いてくれたと竜次は判断をした。
「お願いしていいですか、ローズさん」
自分の役目はここまでだ。立ち上がろうとする竜次の腕をキッドが掴んだ。
「やっぱり先生ってわかってないですね。先生が手当てをしてくださいよ……」
「……はい?」
キッドは俯きながら竜次を見上げている。極度の興奮状態を鎮められ、泣いて腫れてしまった顔は見ようによっては照れているようにも思える。
やり取りを見たローズは両手をぱたぱたとさせ、あてられたように離脱した。
「とんだ茶番デス……」
ローズは二人に聞こえない程度の小声でジェフリーにぼやいた。
この感じ方はジェフリーも同感だった。確かに茶番かもしれない。
きれいに言うのであれば、崩れたものがまたまとまっていく。これが、一緒に行動して来た者たちの絆だとは思った。
「ふむ……これは、確かに普通の人たちにはない絆。ギルドで聞いてきた噂話は間違いではないみたいですね」
少し距離を置いて壱子が妙味を噛み締め、大きく頷いて納得している。
風向きが変わった。先ほどの火事騒動のせいか、焼け焦げた臭いが流れている。こんなに激しかっただろうか。
臭いを気にしていると、今度はズシンと大きく揺れた。
ノックスの方角だ。火事どころではなくもっと大きな煙が上がっている。
街の方を見ながら、コーディが苦笑いをする。
「何、あれ……?」
猛獣とも獅子とも言い難い、赤い体の面妖な四肢を持つものがこちらに向かって来る。
ジェフリーは仲間の様子を見渡し、ため息をついた。
「この状況で、追い打ちか?」
サキも本調子ではない。少しは動けるかもしれないが、サキだけではなく、現状で動ける人間は限られる。ジェフリーもまだ手の感覚が鈍い。完全に潰されないで助かったが、このままの連戦は分が悪い。
ふと、ルッシェナの『余興』という言葉を思い出した。
危機を感じたのか、使い魔の二匹がサキのカバンに潜り込んだ。今まで黙っていたのが信じられないが、この二匹は疲れているみたいだ。
猛獣の前を駆ける人影を見つけ、サキが声を上げた。
「あれは……お師匠様?」
栗色の長い毛におしゃれな帽子、体勢が低いがお馴染みのカバンも見えた。怪我はしていないが、押されているように見える。ギルドの知らせで覚えていたが、彼女はフィラノスで拘束されたのではなかったのだろうか。
目の前の光景を疑った。
「おばさんっ!」
ジェフリーが呼んでしまったせいかもしれない。アイラがこちらに気がついた直後、鋭い突進を受けてしまった。土煙を上げ、何十メートルも飛ばされている。
「マズい……」
目の前でアイラが攻撃を受けた。駆け出そうとするジェフリーの横を、壱子が人間離れした速さで抜けた。
右手には細く長い鋏を持っている。
行動力の速さに驚いた。
皆は緊張と疲れで連戦に対応しづらい中を駆けて行ったのだ。
壱子が鋏の持ち手を回転させ、猛獣の足元を駆け抜けた。
「おや?」
思いの外ダメージが通らず、疑問の声を上げている。
反撃を仰け反ってかわし、アイラのもとへ駆けつけた。アイラは服の土を払い、壱子に向き直った。
「あんた、もしかして壱子さん?」
「指名手配されておられましたよね、アイラ様?」
同業者だ。顔を合わせるのは初めてだが、知らない仲ではない。
アイラは口にしなかったが連戦でそんなに余裕があるわけではない。
「アイシャ様、この者は味方ですが危険です……」
何事かと顔を覗かせていた圭白が、壱子の心を読んだようだ。ひどく怯えながらカバンの奥底に引っ込んだ。何かを察知したのだろうか。アイラは疑問に思った。
壱子がこの場にいるのなら話が早そうだ。アイラは同業者としての話をすることにした。
「一緒にいるなら、あの子たちに紹介しなくて済みそうさね。あんたに仕事を振らせてもらうよ。フィラノスは滅んだと言って過言じゃない。多分、王様が始末された」
「そういうお仕事は歓迎します。でしたら、指名手配など、すぐに消えることでございましょう。目ぼしい情報はそれだけでしょうか?」
この二人の間では、言葉では言い表せられない独特の信頼関係があるようだ。
「会ったのは初めてだけど、あんたの情報はいつも信頼してるよ。ご主人は生きてる。沙蘭に向かった。あとの判断は任せるよ」
淡々と伝えたい情報を述べた。
今まで文章の交換だけで、実は初対面。だが、厳しい中で生き抜いて来たギルドの戦友だ。それなりに勝手がわかる。
「そしてこれは何でしょうか?」
壱子は猛獣を尻目にアイラに質問をする。その距離は狭まっている。
「人だった。としか、わからない。もちろん、こうなった以上は、元には戻らないでしょうね」
アイラは、フィラノスの孤児院跡で見たものとおそらくは同じ原理だろうと考えていた。
壱子はため息をついた。
「ふーむ、良心が痛みますが。これもお仕事ですね」
「あの子たちに急な話があるのだけど……」
「わたくしが引き受けましょう。これは貸しにいたします」
「あいよ、ありがと」
初めて会ったのに、これまで文章だけでのやり取りだったのに、積み重ねた信頼関係がここで試された。お互い、いい関係だ。
アイラは壱子を信用し、一行のもとへ駆けた。
「さぁ、貴重な妄想資源をたんまりと仕入れた分、働きましょうか。ワンワンだかニャンニャンだかわかりませんが、お相手致しますよ」
壱子が怪しげな笑みを浮かべながら、鋏を持ち直した。
妄想こそが活力の源なのだ。
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