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【8】再始動
築きあげたもの
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温かい朝日でジェフリーは目が覚めた。上半身を起こし、ぼんやりと窓の外を見た。
今日の炭鉱の街ノックスは晴れているようだ。
気温差で宿の窓が結露し、雫が窓枠に溜まっていた。外は寒いようだ。夜に小雨が降ったらしく、地面が濡れた痕跡が雫の通った窓から見えた。
昨日は心身ともに疲れていた。
それでも寝つきが悪く、眠った気がしない。立派な寝癖にだけはなっていた。
「ジェフリーさん、おはようございます」
すでに身支度を終え、ベッドのサイドチェストをテーブルにしながらカップを持ったサキが目覚めの挨拶をする。膝もとには本があった。目覚めの読書とはいい身分だ。
部屋にコーヒーの匂いがする。眠気に効きそうだが、サキはジェフリーが見ている前でミルクを投入した。彼はブラック派ではないようだ。
「あ、飲みます?」
ジェフリーはそのコーヒーはいらないと拒否した。
「ブラックなら飲む」
聞いてサキは起立した。備えつけの、ポットのスイッチを入れる。お湯が残っていそうだが、温め直していた。
いつもなら、うるさい茶々を入れる竜次がいない。ベッドを見るも空だ。
「兄貴はどうした?」
部屋にもいない。怪我をしていたのに、出歩いているのだろうか。
「僕より早く起きていたみたいですよ。でも、荷物がそのままなので」
医者カバンも、刀もマスケット銃も置きっぱなしだ。
さして心配はしていないが、何も知らせないのも困ったものだ。
「ね、圭馬さんもショコラさんもいませんし、どうしちゃったのかな」
サキが熱々のコーヒーをジェフリーに渡す。暢気に言っているが、騒がしい二匹の使い魔もいない。
ジェフリーとサキは、静かな朝の空気を楽しむ。
「いただくよ、ありがと……」
「いえいえ」
ジェフリーは一口含む。苦さに電気が走ったよう名感覚が眠気に響いた。苦いがおいしい。
微睡みと起き抜けの余韻を味わっていると、トントンと部屋のドアがノックされた。
ノックするなんて女性陣の誰かだろうか。扉が開くと、首にタオルを巻いた竜次が立っていた。
コーヒーに混ざって石鹸の匂いがする。
「ふーっ……おはようさんです」
にっこりと笑う竜次の足元を圭馬とショコラが駆け抜け、助けを求めるようにサキに飛びついた。
「わーん、洗われた……」
「圭馬さん、ショコラさんも、びしょびしょじゃないですか……」
サキは慌てて枕からタオルを剥ぎ取り、二匹を拭いている。
朝なのに騒がしい。昨日のような緊張感がない。
ジェフリーは額を押さえた。寝起きで騒がれるのが寝不足の頭に響く。そして自分勝手で安静にしてくれない竜次にも呆れる。
「頭、怪我してただろ? 風呂なんて入ったら傷口が開くぞ」
「だって、温泉ですよ。皆さんは入ったのでしょう? それに、効能で少しは良くなるかもしれません」
「そのまま頭の手術をして天才になってくれればよかったのにな!」
朝からキレのある憎まれ口だ。
竜次はジェフリーの機嫌が悪いことを察した。竜次は口を尖らせながらジェフリーが持っていたカップを取り上げる。
「いいの飲んでますね。あなた、ブラック派でしたっけ?」
「はぁっ!?」
ブラックコーヒーは強奪され、飲み干されてしまった。
「……」
ここで怒っても大人げないのは承知だ。ジェフリーはあえて言葉にせず、舌打ちと睨みをぶちかました。
「私と一緒で、寝起きは機嫌が悪いですもんね」
竜次は勝ち誇ったかのように、ジェフリーの頬を指で突く。
「やんのか?」
「おー、怖い」
ジェフリーはおちょくる竜次を払おうとする。どうしても喧嘩腰になってしまった。
ぶつかり合う兄弟とは別に、騒がしくなる。洗われてしまったショコラが身震いをした。
「のぉん……くっしょん」
「あぁ、ショコラさん、ぶるぶるしないでぇ……」
ショコラが体を震わせ、水飛沫が散った。チェックアウトの際に怒られないか心配だ。
読書どころではない。目覚めのコーヒーを嗜むどころでもない。
嵐のような騒がしさだ。
ただでさえ騒がしいというのに、さらに増した。ノックもせず、キッドが男性部屋のドアを跳ね開ける。
「うっさいわねっ! 他のお客さんもいるのよ。朝からお祭りでもしてんの!?」
キッドの怒号がジェフリーの機嫌をさらに悪くした。
「キッドの声が一番うるさい」
カチンと来たのか、キッドがずかずかと部屋に入って竜次の間に割って入った。
「あんた起きてる?」
「キッドも起き抜けだろうが」
二人は睨み合っている。火花でも見えて来そうだ。
バチバチといがみ合っていると、部屋の外で声がした。
「キッドお姉ちゃんんんぅ……」
ホワイトブロンドの毛が爆発し、パンツが丸見えのコーディがふらついている。どうも、翼が引っかかってワンピースが着られないようだ。一同の前で転んで芋虫のようにもぞもぞと床を這った。変な誤解をされそうだ。
キッドは慌てながら、コーディに駆け寄る。体を起こすが、フラフラだ。
「あぁっ、コーディちゃん、ごめん!」
すぐ脇から、ストレートヘアでブラウスにスカートだけの女性が男性部屋を覗いた。キッドはその女性にも声をかけた。
「ローズさん、メイクして身支度を整えてください。誰かわかってもらえませんよ」
キッドによると、これがローズらしい。すっぴんで、ヘアセットもしておらず、眼鏡もかけていない。これだけでは本当に誰かわからない。
こんなに騒がしい朝は、旅が始まってからは初めてだ。
ここにミティアがいたら、何をもっと騒がしくするのだろうか。
ジェフリーはそんな想像をしても仕方ないのに、ミティアのことを考えてしまった。こんなに騒がしいのに、こんなに賑やかなのに、どこか寂しい。
今という現実から逃げるように、窓の外に目を向けた。結露した水滴が、窓を伝う。
物悲しさを代弁してくれるように見えた。
欠けていい仲間なんていない。
一同は宿の朝食を済ませ、宿をチェックアウトした。
外に出ると、夜の間に小雨が降ったせいなのか、空気が澄んでいた。岩山の地形のせいか、空は明るいが陽が射さない。動き出すには肌寒く、気が引き締まる。
「ギルドに行って新しい情報がないか、仕入れてから採掘場に行こう」
ジェフリーの提案に、コーディが先導した。
皆で揃ってギルドを訪れるのは珍しい。もしかしたら、これが初かもしれない。分担して効率を重視していたのだから、大人数での行動が珍しい。
ギルドに入り、ジェフリーとコーディがカウンターの人に話を聞いていた。
他の者は壁の掲示物を眺めているが、一同揃ってその表情は固まった。
中でも、サキは目を見開いたまま、小刻みに肩を震わせている。何か、込み上げて来るものを堪えるように。
「そんな……」
フィラノスがアイラを拘束したという、知らせだ。
身形を変えたとはいえ、自分だって指名手配をされている。取り乱しては不審に思われるだろう。ここは平然を装わないと。
サキはわざと壁の張り出しを見ないように身を引いた。今すべきことは他にある。心を落ち着かせるために、見ない選択をした。
目ぼしい情報はなかったが、カウンターのおじさんに紙を渡された。何かの地図らしいが、手書きだ。新しいのか、触るとインクが滲んでいる。
「あれ、おじさん、昨日の……?」
コーディがカウンターのおじさんに声をかけた。昨日、会った人たちの一人だ。
「夜通しで作ったからあんまり触らないでくれ。インクが乾いていないところがある」
採掘場と坑道の地図だ。おじさんが仕事上がりだと、汚れた軍手を振って引き下がろうとする。
ジェフリーが引き止めようとする。
「待ってくれ。どうしてこれを……」
おじさんは何も言わずに親指を立て、ニッと歯を見せて笑い去って行った。
「ありがとう!!」
ジェフリーの言葉が聞こえたのかはわからない。大きい声では言ったのだが、どうだろうか。
入れ替わりに、やる気がなさそうなおばさんが出て来た。一同に頭を下げる。
「ウチの人を助けてくれてありがと。勇者さんご一行、頑張ってちょうだいね」
不愛想だが、礼を言う。こんなつながりがあったとは驚いた。
ジェフリーは深く頷き、受け取った髪を握る。
「世話になった、恩に着る……」
勢いでもらった地図を崩しそうになった。
壁の記事を読んでいた港も合流し、考えと意見を交わす。仲間のうちで、一番身軽なのはローズだ。
ジェフリーはローズに地図を渡した。
「博士、まだインクが乾いていないらしいが、博士が持っていてほしい」
ジェフリーはただ身軽という理由で渡したわけではない。ローズは目をぱちぱちとさせる。
「ワタシ、地理の教員免許を持っていたの、覚えていたのデス?」
「きっといい読み方をしてくれると思うから渡した」
大半のイメージは考古学者と医者、多少の機械整備士くらいで他のライセンスなど忘れているだろう。
ローズは深く頷いて笑み返した。
ジェフリーは皆に指示を出す。
「コーディと兄貴がランタンを持ってくれ。サキも念のため、魔法の明かりを頼む。キッドは俺と前を歩け。目がいいから頼りにしてる」
まだギルドだと言うのに、ここで割り振りをした。
「コーディと博士はセットで歩いてくれ」
ジェフリーは異論がないか求めるが、皆がそれぞれ目を合わせて頷いた。
竜次がジェフリーを小馬鹿にする。
「急に、らしくなりましたね。これくらい頼もしくないと困ります」
ジェフリーは不思議にも、悪い気はしなかった。むしろ、今までしっかりしていれば、とっさの判断でも誰も傷つけず、仲間が欠けるなんてなかったに違いない。必要以上の責任を感じていた。
採掘路の周辺が綺麗に整備されていた。昨日は荒れていたと思ったが、あのあと作業員が整備をしてくれたのかもしれない。その過程で地図を作ってくれたのだろう。
行動を進みながらキッドがジェフリーに確認を取る。
「その魔鉱石って言うのは奥で見つかったのよね?」
「そういう話かどうかはわからない。ただ、浮くって言うのは事実らしい。でなかったら騒がれたりしないだろう」
何かが出て来るわけではないだろうが、警戒はしてしまう。蝙蝠や虫は見たが、大きい動物はいないようだ。そもそも、そんなものが出ようものならば採掘どころではないだろう。
昨日埋まった場所は、地図に×が書かれてあった。進むのは危険だと判断した。
「こっちが迂回路デス」
ローズがすぐ指さして道を提示する。
キッドが目を凝らしながら姿勢を低めた。何かに警戒をしているようだ。一緒に歩いていたジェフリーは気になった。
「どうした?」
「や、青っぽく反射したなって……」
進行方向を指しているようだ。だが、肉眼で確認するには限界がある。
警戒しながら進むと、キッドが言った光の正体は岩肌から見えている小さな粒上の石だった。見覚えがあるのか、キッドがため息をついた。
「あぁ、これね。昨日も見ましたよね」
竜次から話が振られ、岩肌を擦ってランタンで石を見ている。
「うーん、ですが、昨日見たものより純度が高いですね。見てください。こんなにキラキラしてます。濁っていません」
少し引っ掻けば先程の小粒な石が剥がれ落ちた。竜次が手に取って皆に見せる。
「ほーむ……?」
ローズが眼鏡を上げながら覗き込むが、彼女の眼鏡は伊達眼鏡だ。
「魔石……デス?」
「あ、僕もそう思いました。似てるかも?」
サキも同じことを思っていたようだ。同調している。
魔法を使うときに媒体として使う魔石は、人工的に作られた調合品だ。天然のものもあるが、高値で買えたものではない。もっとも、天然の魔法石など使えば、魔法の効力は何倍にもなるのだが、その機会はあるだろうか。
「ちょっと見せてよ」
サキのカバンから、圭馬とショコラが顔だけ見せている。竜次がランタンとともに、手を差し出して見せた。
「ほえーっ、宝石の原石にしては綺麗すぎない?」
「そうですねぇ。案外、ゴールが近かったりして、なんてぇ?」
ショコラもそんな期待をしているようだ。ローズも石の観察に加わった。まるでトレジャーハンターにでもなったような気分にさせる。
コーディが呆れながら地図を受け取り、凝視する。何かに気がついたようだ。
「ねぇ、ローズ、この地図、×はいっぱいついてるけど、〇ってないの?」
ランタンに透かしながら、みんなが見やすいように地図を見せる。コーディが指摘するように、〇は一つも記されていない。
ジェフリーも疑問に思った。
「どういう意味だ? もしかして読みが違うのか?」
地図の読み解きの話になり、ローズは反応した。読み方は人によって解釈が違う。特にこの地図は印だけで、何を示すのかの補助はない。
「なるほど、この×は採掘ポイントを指しているのデスネ? ほら、この近くにも×がついているデス」
「兄貴とキッドが昨日埋まった場所の近くも採掘ポイントだったか」
崩れやすいのも、崩されやすいのも納得した。
だが、何が正解なのかがまだわかっていない。こんな場所で知恵試しをするなんて、思いもしなかった。
「なぁ、博士、場所によって掘れるものが違ったりするんだよな?」
「デスヨ? だからこの街には温泉があるのデス。やりようによっては、本当に宝石や
貴重な化石が掘れるかもしれませんネ」
サキはジェフリーとローズのやり取りを耳にして考え込んでいた。竜次が期待の声をかける。
「サキ君、何か閃きました?」
サキはゆっくりと、自信がなさそうに頷いた。コーディが持っている地図に指を置いて言う。
「法則性がないなら、まだ着手していない場所にある可能性があります。つまり、この地図の中で不自然に×がない空間……」
そこは、昨日キッドと竜次が生き埋めに遭った場所からさらに先だった。
「でも、あくまでも、可能性なので……」
言ってからサキは顔を上げる。すると、皆が揃ってサキを注目していた。
「えっと……」
サキは苦笑いで頬を掻くが、流れは完全に決まった。
キッドはサキの背中を軽く叩く。
「あんた、やっぱり天才なんじゃない?」
「えっ、えぇっ……?」
一同はサキの意見に感動している。正確な情報ではないかもしれないが、一つの可能性を示した。サキは困惑したまま、皆の顔色を窺っていた。まだ可能性なのに、こんなに目を輝かせる仲間。これを見た圭馬が呆れている。
「いいねぇ、こんな些細なものでも希望が持てる人たちってのはさ?」
もしかしたら馬鹿にしているのかもしれないが、そうではないのかもしれない。人間に対し、嫉妬するような発言だってする。圭馬はいつも第三の視点で物事を言うし、そのせいで他人事のように聞こえる。だが、もしかしたら羨ましいのかもしれないし、その延長で嫉妬をしているのかもしれない。
欲しくても、簡単には得られないもの。
一緒に笑って、一緒に泣いて。
一緒に悔しい思いもして、一緒に立ち上がってくれる。
欠けていい仲間なんていない。
圭馬はカバンに潜り込んだ。その隣でショコラがサキを見上げる。圭馬の言動に疑問を持っているようだ。
サキは圭馬の勝手を知りつつ、ショコラに言う。
「圭馬さんやショコラさんだって、『仲間』ですよ」
ショコラは、まだ日が浅いのに、こんなにいい人たちに囲まれている。項垂れるように身を潜らせた。圭馬の気持ちを汲み取ったのだ。照れ臭い。
昨日崩れた場所は、痕跡こそあったが、綺麗に慣らされていた。
一晩でこれだけの大仕事をしてくれたのだ。炭鉱に関わっていた人たちには、感謝しかない。
問題はその先だった。
岩肌に穴が開いている。来た道から、ほぼ真っすぐに伸びていた。
キッドはジェフリーを見ながら前方を指さした。
「これって、昨日あんたがやったやつじゃない?」
ジェフリーがショコラにアシストをもらって唱えた魔法の痕跡だ。鋭くも綺麗に、大砲でも打ったかのような見事な穴だ。
これを魔法でやったと聞き、サキは眉をひそめた。
「えっ、ジェフリーさんがこれを? 恐ろしい魔力……ですね」
魔法学校に在籍した過去があるとは聞いた。その程度で使えたとしても、こんな穴を開けるのは不可能だ。しかも柔らかい素材ではなく、ほとんど岩肌である。
怪訝な表情を浮かべるサキだが、コーディも口を挟んだ。
「ジェフリーお兄ちゃん、ディスペルも使ってたよ。ブースターを使ってたけどね」
術者との魔力、力比べのディスペルが使える点も違和感があった。
初心者や腕に自信があったとしても、ブースター石による効果はせいぜい二倍。
もしかしたら、ジェフリーには本当はその才能があったのではないのかと、サキは可能性を感じた。
機会があったら話してみようと、いったんこの話をしまい込む。
「あれ何だろう?」
キッドが穴を覗き込んでいた。穴とは言ったものの、大人が入るには無理がある大きさだ。例えるならば、土管くらいとでも言うべきか。入り込んだとしても、這って進む程度。問題は、何かあったときに逃げられない。
竜次がランタンではなく、ペンライトを捻って照らした。
オレンジ色のキラキラしたものが反射している。大きいかもしれない。確認できたが、ペンライトがか細くなって消えた。電池が切れたようだ。
「ここで寿命ですか、やれやれ……」
生き埋めのときではなく、今なって切れてよかった。
竜次はペンライトを胸ポケットに収め、ランタンを持って向き直った。
「中途半端ですが、何か光っていたのが見えました。どうしましょうか? 誰か潜ります?」
一番体が小さいのはコーディだが、翼が邪魔で怪我をしそうだ。
ここぞとばかりに圭馬がカバンから飛び跳ねた。
「おっ、ボクの出番かな?」
つられてなのか、自然とショコラも地面に降り立った。
「ババァはいらなくね?」
「ひどいですわぁ、圭馬チャン!」
圭馬は一人で『オイシイ』思いをするつもりだったようだ。だがショコラに阻害されて耳をぱたぱたとさせている。
この仲違いにジェフリーが仲裁に入る。
「くだらない喧嘩はするなよ」
「それは日頃からキッドお姉ちゃんと言い争いしている点から、ブーメランって言わないかい?」
なぜか圭馬はキッドとのやり取りに触れた。
キッドはここでは何も食べていないが、不味いものでもを食べて吐きそうな顔をしている。このリアクションは、知らない人が見たら、ショックを受けるだろう。
冗談もこれくらいにして、コーディがトランクを開ける。圭馬とショコラの体に紐を結びつけた。命綱の代わりのようだ。
圭馬は不満な声を上げる。
「こんなのなくても大丈夫なのに」
「念のためだよ、行った先がもしかしたら落とし穴かもしれないよ?」
ぶつぶつと言う圭馬に、コーディはハンカチも巻きつけた。念のためと言いながら、ペットのような扱いをしている。
コーディがトランクを広げているのを見て、ジェフリーは声をかけた。
「便利な物が入ってるよな、そのトランク」
「うん?」
「だが、下着は巾着にでも入れて隠した方がいいぞ」
ジェフリーはコーディの荷物に注意した。異性としてではなく、家族を注意するような視点だった。ところが竜次とキッドは激しく誤解をした。
「コーディちゃんの下着……ジェフって、ろりこんですか?」
「うっわ、キッショ……」
この場にミティアがいたら、『そういうのが好きなの?』などと話がややこしくも、騒がしくなりそうだ。
ジェフリーは、この、あっという間に悪者にされる流れも慣れてしまった。このチームワークをもっと別の機会でも生かしてほしい。
注意されたコーディ本人はすでに話を聞いていない。手綱を持ってランタンを入れ込んでいる。
ローズも穴から様子を窺っている。彼女はこういったくだらない喧嘩にはあまり介入しない。少し距離を置いて楽しんでいるようだ。
ジェフリーは仲間のやり取りを見て、物足りなさを感じた。
くだらない喧嘩も、一致団結も、いつからこれが当たり前になったのだろうか。
これでミティアさえいれば、何も要らない。何かと彼女の存在がちらつく。
険悪になっても和ませてくれて、誰かが頑張っていると応援してくれる。だらだらと目標もなく生きていたのに、ミティアに出会ったから毎日が充実していた。
いなくなって知る大きな存在。早く会いたいと思った。
穴の先にある空間の探索は続く。
「圭馬チャン、圭馬チャン、これ、どうするんですのぉん?」
猫とウサギの戯れにも見えるが、行き着いた空間で、大きいオレンジの石を見つけるも運搬方法に困っていた。
「これが魔鉱石っぽいよね……」
なぜか圭馬が上を向いている。と、言うのは、かなりの高さで煙突のように上が抜けていて、空が見えるのだ。深すぎてほとんど光は届かないが、その淵にもオレンジ色をした綺麗な光が見える。
「つまり、刺激を与えたら、この石は浮くみたいだね。直に触ったらマズそうじゃん?」
「のぉん?」
「よぉっし、さっき巻いてもらったハンカチに包もう」
「ほむっ……?」
「聞いてんのかババァ?」
圭馬がショコラに振り返る。ショコラは猫背を解き、何かを見据えるような態度だ。
圭馬がショコラの視線の先を見ると、そこには丸々とした蛇がいた。まだ襲っては来ないが、舌がピロピロと踊っている。
「ヒッ……!!」
蛇にとって、ウサギは栄養素たっぷりの捕食対象だ。
一方猫のショコラの方が体は大きいし、爪や牙がある。
確かに暗く、狭く、湿ったこの環境、蛇がいてもおかしくはない。
「こっち来るなぁッ!! ボクはティアマラントなんだぞ。魔界の魔人なんだ。お前なんか、お前なんか!」
壁際に追い込まれ、頭をゆらゆらとさせていた蛇が大きく仰け反った。
ショコラが尻尾に噛みついた。
「圭馬チャン、早くずらかるのぉん」
「くっそぉ……このボクがこんな目に遭うなんて信じられない!!」
圭馬は首のハンカチを解き、鈍く光る石を覆った。ところが、今度は重くて持ち上がらない。
「圭馬チャン、圭馬チャン、尻尾!!」
ショコラが注意する。圭馬はハンカチを引っ張ろうと試みるも、尻尾が噛みつかれていた。毛量が多いせいか、本体までは行き着かないものの、変な感触に圭馬が叫び声を上げた。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ねこぱんちっ!!」
ショコラが応戦すると蛇も怯むようだが、どうしても圭馬をおいしくいただきたいようだ。この奥地で次に食事にあるつけるかはわからない。生き物としては必死だ。
圭馬はハンカチを摘まみながら、力いっぱい叫んだ。
「助けて‼ 引っ張ってぇっ!!」
こんなに余裕のない圭馬は、覚えがない。
「圭馬さーーん!」
遠くでサキの暢気な声がする。もしかしたら伝わっていないのかもしれない。
「のぉぉぉん、引っ張ってぇん!!」
ショコラが向こう側に向かって叫ぶと、体の綱がグイッと引っ張られた。
離すまいと、ハンカチの四隅を掴み、引きずられるがまま身を任せた。
「もうヤダ!! 人間のためにこんな目に遭うなんて、あり得ないッ!!」
「圭馬チャン……?」
二匹は尻尾に蛇が噛みついたまま、皆の元に戻された。
「おぉぅッ‼ ハプニング‼」
ローズがハイヒールのバランスを崩して尻もちを着いた。
「ちょっ、これはナシでしょ‼」
コーディも手綱を離して逃げた。
「わっ、圭馬さんって蛇……⁉」
拾い上げようとするサキも、さすがに蛇には驚いているようだ。
そんな中、ジェフリーが蛇の首と頭を摘まんで圭馬を解放させる。
そのまま誰もいない場所に放り投げると、蛇はそそくさと岩陰に隠れていなくなった。
「わー……ジェフリーさん、凄いですね」
いなくなったのを確認して、サキがようやく圭馬を抱き上げた。
やたらとジェフリーの手際がいいので、竜次は感心した。
「ジェフはよく森で私のお使いをしていたので、こういう手荒なのは得意かと」
竜次は圭馬の尻尾に異常がないかを触って診ている。圭馬は縮こまったまま小刻みに震えていた。
「大丈夫ですよ。噛まれたのは毛だけでよかったですね」
フサフサの尻尾に助けられたようだ。安心するように撫でるも、びくびくしている。
「くそっ、ひどいじゃないか。あんなのがいるなんて知ってたら、ボクは行くなんて言わなかったよ!!」
泣いているような物言いだ。自分から行くと言っていた気がするが、都合がいい。
離れてキッドが土埃にまみれたショコラを抱き上げている。
ローズが這ったまま、ハンカチの中の石を見て興奮している。
「おぉう、魔鉱石、これ、オニーチャンの本で見たのにそっくりデス!! けーま君、お手柄デスネ!!」
安全と知ってコーディが圭馬の紐を解いた。
「えっと、お疲れ様?」
「……だな、ありがとう」
ジェフリーも労いの言葉をかける。縮こまっていた圭馬が顔を上げ、ショコラの姿を探した。
「ババァが、協力してくれた……」
「のぉん……?」
キッドの腕の中で、ショコラが尻尾を振っている。
サキは圭馬が無事と聞き安心した。危機は去ったのに、圭馬は震えている。
「ボクが、人間に……」
「圭馬さんが無事でよかったです。ショコラさんもありがとうございました」
「くそぅ……」
再びサキの腕の中で震え出したが、今度は頭を下げている。人間だったら、本当に泣いているのかもしれない。
人によっては使い魔を、奴隷のように扱う人もいる。この人たちはそんな扱いをしない。
協力しなければよかったと思ったが、こんなにも暖かい人たちだ。
心配してくれて、大丈夫かと声をかけてくれて、怖がって震えている自分を受け入れてくれるこんな人たち。
こんな人間がまだいるなんて、自分が巡り合えるなんて思わなかった。
また、頑張りたくなるじゃないか。
今日の炭鉱の街ノックスは晴れているようだ。
気温差で宿の窓が結露し、雫が窓枠に溜まっていた。外は寒いようだ。夜に小雨が降ったらしく、地面が濡れた痕跡が雫の通った窓から見えた。
昨日は心身ともに疲れていた。
それでも寝つきが悪く、眠った気がしない。立派な寝癖にだけはなっていた。
「ジェフリーさん、おはようございます」
すでに身支度を終え、ベッドのサイドチェストをテーブルにしながらカップを持ったサキが目覚めの挨拶をする。膝もとには本があった。目覚めの読書とはいい身分だ。
部屋にコーヒーの匂いがする。眠気に効きそうだが、サキはジェフリーが見ている前でミルクを投入した。彼はブラック派ではないようだ。
「あ、飲みます?」
ジェフリーはそのコーヒーはいらないと拒否した。
「ブラックなら飲む」
聞いてサキは起立した。備えつけの、ポットのスイッチを入れる。お湯が残っていそうだが、温め直していた。
いつもなら、うるさい茶々を入れる竜次がいない。ベッドを見るも空だ。
「兄貴はどうした?」
部屋にもいない。怪我をしていたのに、出歩いているのだろうか。
「僕より早く起きていたみたいですよ。でも、荷物がそのままなので」
医者カバンも、刀もマスケット銃も置きっぱなしだ。
さして心配はしていないが、何も知らせないのも困ったものだ。
「ね、圭馬さんもショコラさんもいませんし、どうしちゃったのかな」
サキが熱々のコーヒーをジェフリーに渡す。暢気に言っているが、騒がしい二匹の使い魔もいない。
ジェフリーとサキは、静かな朝の空気を楽しむ。
「いただくよ、ありがと……」
「いえいえ」
ジェフリーは一口含む。苦さに電気が走ったよう名感覚が眠気に響いた。苦いがおいしい。
微睡みと起き抜けの余韻を味わっていると、トントンと部屋のドアがノックされた。
ノックするなんて女性陣の誰かだろうか。扉が開くと、首にタオルを巻いた竜次が立っていた。
コーヒーに混ざって石鹸の匂いがする。
「ふーっ……おはようさんです」
にっこりと笑う竜次の足元を圭馬とショコラが駆け抜け、助けを求めるようにサキに飛びついた。
「わーん、洗われた……」
「圭馬さん、ショコラさんも、びしょびしょじゃないですか……」
サキは慌てて枕からタオルを剥ぎ取り、二匹を拭いている。
朝なのに騒がしい。昨日のような緊張感がない。
ジェフリーは額を押さえた。寝起きで騒がれるのが寝不足の頭に響く。そして自分勝手で安静にしてくれない竜次にも呆れる。
「頭、怪我してただろ? 風呂なんて入ったら傷口が開くぞ」
「だって、温泉ですよ。皆さんは入ったのでしょう? それに、効能で少しは良くなるかもしれません」
「そのまま頭の手術をして天才になってくれればよかったのにな!」
朝からキレのある憎まれ口だ。
竜次はジェフリーの機嫌が悪いことを察した。竜次は口を尖らせながらジェフリーが持っていたカップを取り上げる。
「いいの飲んでますね。あなた、ブラック派でしたっけ?」
「はぁっ!?」
ブラックコーヒーは強奪され、飲み干されてしまった。
「……」
ここで怒っても大人げないのは承知だ。ジェフリーはあえて言葉にせず、舌打ちと睨みをぶちかました。
「私と一緒で、寝起きは機嫌が悪いですもんね」
竜次は勝ち誇ったかのように、ジェフリーの頬を指で突く。
「やんのか?」
「おー、怖い」
ジェフリーはおちょくる竜次を払おうとする。どうしても喧嘩腰になってしまった。
ぶつかり合う兄弟とは別に、騒がしくなる。洗われてしまったショコラが身震いをした。
「のぉん……くっしょん」
「あぁ、ショコラさん、ぶるぶるしないでぇ……」
ショコラが体を震わせ、水飛沫が散った。チェックアウトの際に怒られないか心配だ。
読書どころではない。目覚めのコーヒーを嗜むどころでもない。
嵐のような騒がしさだ。
ただでさえ騒がしいというのに、さらに増した。ノックもせず、キッドが男性部屋のドアを跳ね開ける。
「うっさいわねっ! 他のお客さんもいるのよ。朝からお祭りでもしてんの!?」
キッドの怒号がジェフリーの機嫌をさらに悪くした。
「キッドの声が一番うるさい」
カチンと来たのか、キッドがずかずかと部屋に入って竜次の間に割って入った。
「あんた起きてる?」
「キッドも起き抜けだろうが」
二人は睨み合っている。火花でも見えて来そうだ。
バチバチといがみ合っていると、部屋の外で声がした。
「キッドお姉ちゃんんんぅ……」
ホワイトブロンドの毛が爆発し、パンツが丸見えのコーディがふらついている。どうも、翼が引っかかってワンピースが着られないようだ。一同の前で転んで芋虫のようにもぞもぞと床を這った。変な誤解をされそうだ。
キッドは慌てながら、コーディに駆け寄る。体を起こすが、フラフラだ。
「あぁっ、コーディちゃん、ごめん!」
すぐ脇から、ストレートヘアでブラウスにスカートだけの女性が男性部屋を覗いた。キッドはその女性にも声をかけた。
「ローズさん、メイクして身支度を整えてください。誰かわかってもらえませんよ」
キッドによると、これがローズらしい。すっぴんで、ヘアセットもしておらず、眼鏡もかけていない。これだけでは本当に誰かわからない。
こんなに騒がしい朝は、旅が始まってからは初めてだ。
ここにミティアがいたら、何をもっと騒がしくするのだろうか。
ジェフリーはそんな想像をしても仕方ないのに、ミティアのことを考えてしまった。こんなに騒がしいのに、こんなに賑やかなのに、どこか寂しい。
今という現実から逃げるように、窓の外に目を向けた。結露した水滴が、窓を伝う。
物悲しさを代弁してくれるように見えた。
欠けていい仲間なんていない。
一同は宿の朝食を済ませ、宿をチェックアウトした。
外に出ると、夜の間に小雨が降ったせいなのか、空気が澄んでいた。岩山の地形のせいか、空は明るいが陽が射さない。動き出すには肌寒く、気が引き締まる。
「ギルドに行って新しい情報がないか、仕入れてから採掘場に行こう」
ジェフリーの提案に、コーディが先導した。
皆で揃ってギルドを訪れるのは珍しい。もしかしたら、これが初かもしれない。分担して効率を重視していたのだから、大人数での行動が珍しい。
ギルドに入り、ジェフリーとコーディがカウンターの人に話を聞いていた。
他の者は壁の掲示物を眺めているが、一同揃ってその表情は固まった。
中でも、サキは目を見開いたまま、小刻みに肩を震わせている。何か、込み上げて来るものを堪えるように。
「そんな……」
フィラノスがアイラを拘束したという、知らせだ。
身形を変えたとはいえ、自分だって指名手配をされている。取り乱しては不審に思われるだろう。ここは平然を装わないと。
サキはわざと壁の張り出しを見ないように身を引いた。今すべきことは他にある。心を落ち着かせるために、見ない選択をした。
目ぼしい情報はなかったが、カウンターのおじさんに紙を渡された。何かの地図らしいが、手書きだ。新しいのか、触るとインクが滲んでいる。
「あれ、おじさん、昨日の……?」
コーディがカウンターのおじさんに声をかけた。昨日、会った人たちの一人だ。
「夜通しで作ったからあんまり触らないでくれ。インクが乾いていないところがある」
採掘場と坑道の地図だ。おじさんが仕事上がりだと、汚れた軍手を振って引き下がろうとする。
ジェフリーが引き止めようとする。
「待ってくれ。どうしてこれを……」
おじさんは何も言わずに親指を立て、ニッと歯を見せて笑い去って行った。
「ありがとう!!」
ジェフリーの言葉が聞こえたのかはわからない。大きい声では言ったのだが、どうだろうか。
入れ替わりに、やる気がなさそうなおばさんが出て来た。一同に頭を下げる。
「ウチの人を助けてくれてありがと。勇者さんご一行、頑張ってちょうだいね」
不愛想だが、礼を言う。こんなつながりがあったとは驚いた。
ジェフリーは深く頷き、受け取った髪を握る。
「世話になった、恩に着る……」
勢いでもらった地図を崩しそうになった。
壁の記事を読んでいた港も合流し、考えと意見を交わす。仲間のうちで、一番身軽なのはローズだ。
ジェフリーはローズに地図を渡した。
「博士、まだインクが乾いていないらしいが、博士が持っていてほしい」
ジェフリーはただ身軽という理由で渡したわけではない。ローズは目をぱちぱちとさせる。
「ワタシ、地理の教員免許を持っていたの、覚えていたのデス?」
「きっといい読み方をしてくれると思うから渡した」
大半のイメージは考古学者と医者、多少の機械整備士くらいで他のライセンスなど忘れているだろう。
ローズは深く頷いて笑み返した。
ジェフリーは皆に指示を出す。
「コーディと兄貴がランタンを持ってくれ。サキも念のため、魔法の明かりを頼む。キッドは俺と前を歩け。目がいいから頼りにしてる」
まだギルドだと言うのに、ここで割り振りをした。
「コーディと博士はセットで歩いてくれ」
ジェフリーは異論がないか求めるが、皆がそれぞれ目を合わせて頷いた。
竜次がジェフリーを小馬鹿にする。
「急に、らしくなりましたね。これくらい頼もしくないと困ります」
ジェフリーは不思議にも、悪い気はしなかった。むしろ、今までしっかりしていれば、とっさの判断でも誰も傷つけず、仲間が欠けるなんてなかったに違いない。必要以上の責任を感じていた。
採掘路の周辺が綺麗に整備されていた。昨日は荒れていたと思ったが、あのあと作業員が整備をしてくれたのかもしれない。その過程で地図を作ってくれたのだろう。
行動を進みながらキッドがジェフリーに確認を取る。
「その魔鉱石って言うのは奥で見つかったのよね?」
「そういう話かどうかはわからない。ただ、浮くって言うのは事実らしい。でなかったら騒がれたりしないだろう」
何かが出て来るわけではないだろうが、警戒はしてしまう。蝙蝠や虫は見たが、大きい動物はいないようだ。そもそも、そんなものが出ようものならば採掘どころではないだろう。
昨日埋まった場所は、地図に×が書かれてあった。進むのは危険だと判断した。
「こっちが迂回路デス」
ローズがすぐ指さして道を提示する。
キッドが目を凝らしながら姿勢を低めた。何かに警戒をしているようだ。一緒に歩いていたジェフリーは気になった。
「どうした?」
「や、青っぽく反射したなって……」
進行方向を指しているようだ。だが、肉眼で確認するには限界がある。
警戒しながら進むと、キッドが言った光の正体は岩肌から見えている小さな粒上の石だった。見覚えがあるのか、キッドがため息をついた。
「あぁ、これね。昨日も見ましたよね」
竜次から話が振られ、岩肌を擦ってランタンで石を見ている。
「うーん、ですが、昨日見たものより純度が高いですね。見てください。こんなにキラキラしてます。濁っていません」
少し引っ掻けば先程の小粒な石が剥がれ落ちた。竜次が手に取って皆に見せる。
「ほーむ……?」
ローズが眼鏡を上げながら覗き込むが、彼女の眼鏡は伊達眼鏡だ。
「魔石……デス?」
「あ、僕もそう思いました。似てるかも?」
サキも同じことを思っていたようだ。同調している。
魔法を使うときに媒体として使う魔石は、人工的に作られた調合品だ。天然のものもあるが、高値で買えたものではない。もっとも、天然の魔法石など使えば、魔法の効力は何倍にもなるのだが、その機会はあるだろうか。
「ちょっと見せてよ」
サキのカバンから、圭馬とショコラが顔だけ見せている。竜次がランタンとともに、手を差し出して見せた。
「ほえーっ、宝石の原石にしては綺麗すぎない?」
「そうですねぇ。案外、ゴールが近かったりして、なんてぇ?」
ショコラもそんな期待をしているようだ。ローズも石の観察に加わった。まるでトレジャーハンターにでもなったような気分にさせる。
コーディが呆れながら地図を受け取り、凝視する。何かに気がついたようだ。
「ねぇ、ローズ、この地図、×はいっぱいついてるけど、〇ってないの?」
ランタンに透かしながら、みんなが見やすいように地図を見せる。コーディが指摘するように、〇は一つも記されていない。
ジェフリーも疑問に思った。
「どういう意味だ? もしかして読みが違うのか?」
地図の読み解きの話になり、ローズは反応した。読み方は人によって解釈が違う。特にこの地図は印だけで、何を示すのかの補助はない。
「なるほど、この×は採掘ポイントを指しているのデスネ? ほら、この近くにも×がついているデス」
「兄貴とキッドが昨日埋まった場所の近くも採掘ポイントだったか」
崩れやすいのも、崩されやすいのも納得した。
だが、何が正解なのかがまだわかっていない。こんな場所で知恵試しをするなんて、思いもしなかった。
「なぁ、博士、場所によって掘れるものが違ったりするんだよな?」
「デスヨ? だからこの街には温泉があるのデス。やりようによっては、本当に宝石や
貴重な化石が掘れるかもしれませんネ」
サキはジェフリーとローズのやり取りを耳にして考え込んでいた。竜次が期待の声をかける。
「サキ君、何か閃きました?」
サキはゆっくりと、自信がなさそうに頷いた。コーディが持っている地図に指を置いて言う。
「法則性がないなら、まだ着手していない場所にある可能性があります。つまり、この地図の中で不自然に×がない空間……」
そこは、昨日キッドと竜次が生き埋めに遭った場所からさらに先だった。
「でも、あくまでも、可能性なので……」
言ってからサキは顔を上げる。すると、皆が揃ってサキを注目していた。
「えっと……」
サキは苦笑いで頬を掻くが、流れは完全に決まった。
キッドはサキの背中を軽く叩く。
「あんた、やっぱり天才なんじゃない?」
「えっ、えぇっ……?」
一同はサキの意見に感動している。正確な情報ではないかもしれないが、一つの可能性を示した。サキは困惑したまま、皆の顔色を窺っていた。まだ可能性なのに、こんなに目を輝かせる仲間。これを見た圭馬が呆れている。
「いいねぇ、こんな些細なものでも希望が持てる人たちってのはさ?」
もしかしたら馬鹿にしているのかもしれないが、そうではないのかもしれない。人間に対し、嫉妬するような発言だってする。圭馬はいつも第三の視点で物事を言うし、そのせいで他人事のように聞こえる。だが、もしかしたら羨ましいのかもしれないし、その延長で嫉妬をしているのかもしれない。
欲しくても、簡単には得られないもの。
一緒に笑って、一緒に泣いて。
一緒に悔しい思いもして、一緒に立ち上がってくれる。
欠けていい仲間なんていない。
圭馬はカバンに潜り込んだ。その隣でショコラがサキを見上げる。圭馬の言動に疑問を持っているようだ。
サキは圭馬の勝手を知りつつ、ショコラに言う。
「圭馬さんやショコラさんだって、『仲間』ですよ」
ショコラは、まだ日が浅いのに、こんなにいい人たちに囲まれている。項垂れるように身を潜らせた。圭馬の気持ちを汲み取ったのだ。照れ臭い。
昨日崩れた場所は、痕跡こそあったが、綺麗に慣らされていた。
一晩でこれだけの大仕事をしてくれたのだ。炭鉱に関わっていた人たちには、感謝しかない。
問題はその先だった。
岩肌に穴が開いている。来た道から、ほぼ真っすぐに伸びていた。
キッドはジェフリーを見ながら前方を指さした。
「これって、昨日あんたがやったやつじゃない?」
ジェフリーがショコラにアシストをもらって唱えた魔法の痕跡だ。鋭くも綺麗に、大砲でも打ったかのような見事な穴だ。
これを魔法でやったと聞き、サキは眉をひそめた。
「えっ、ジェフリーさんがこれを? 恐ろしい魔力……ですね」
魔法学校に在籍した過去があるとは聞いた。その程度で使えたとしても、こんな穴を開けるのは不可能だ。しかも柔らかい素材ではなく、ほとんど岩肌である。
怪訝な表情を浮かべるサキだが、コーディも口を挟んだ。
「ジェフリーお兄ちゃん、ディスペルも使ってたよ。ブースターを使ってたけどね」
術者との魔力、力比べのディスペルが使える点も違和感があった。
初心者や腕に自信があったとしても、ブースター石による効果はせいぜい二倍。
もしかしたら、ジェフリーには本当はその才能があったのではないのかと、サキは可能性を感じた。
機会があったら話してみようと、いったんこの話をしまい込む。
「あれ何だろう?」
キッドが穴を覗き込んでいた。穴とは言ったものの、大人が入るには無理がある大きさだ。例えるならば、土管くらいとでも言うべきか。入り込んだとしても、這って進む程度。問題は、何かあったときに逃げられない。
竜次がランタンではなく、ペンライトを捻って照らした。
オレンジ色のキラキラしたものが反射している。大きいかもしれない。確認できたが、ペンライトがか細くなって消えた。電池が切れたようだ。
「ここで寿命ですか、やれやれ……」
生き埋めのときではなく、今なって切れてよかった。
竜次はペンライトを胸ポケットに収め、ランタンを持って向き直った。
「中途半端ですが、何か光っていたのが見えました。どうしましょうか? 誰か潜ります?」
一番体が小さいのはコーディだが、翼が邪魔で怪我をしそうだ。
ここぞとばかりに圭馬がカバンから飛び跳ねた。
「おっ、ボクの出番かな?」
つられてなのか、自然とショコラも地面に降り立った。
「ババァはいらなくね?」
「ひどいですわぁ、圭馬チャン!」
圭馬は一人で『オイシイ』思いをするつもりだったようだ。だがショコラに阻害されて耳をぱたぱたとさせている。
この仲違いにジェフリーが仲裁に入る。
「くだらない喧嘩はするなよ」
「それは日頃からキッドお姉ちゃんと言い争いしている点から、ブーメランって言わないかい?」
なぜか圭馬はキッドとのやり取りに触れた。
キッドはここでは何も食べていないが、不味いものでもを食べて吐きそうな顔をしている。このリアクションは、知らない人が見たら、ショックを受けるだろう。
冗談もこれくらいにして、コーディがトランクを開ける。圭馬とショコラの体に紐を結びつけた。命綱の代わりのようだ。
圭馬は不満な声を上げる。
「こんなのなくても大丈夫なのに」
「念のためだよ、行った先がもしかしたら落とし穴かもしれないよ?」
ぶつぶつと言う圭馬に、コーディはハンカチも巻きつけた。念のためと言いながら、ペットのような扱いをしている。
コーディがトランクを広げているのを見て、ジェフリーは声をかけた。
「便利な物が入ってるよな、そのトランク」
「うん?」
「だが、下着は巾着にでも入れて隠した方がいいぞ」
ジェフリーはコーディの荷物に注意した。異性としてではなく、家族を注意するような視点だった。ところが竜次とキッドは激しく誤解をした。
「コーディちゃんの下着……ジェフって、ろりこんですか?」
「うっわ、キッショ……」
この場にミティアがいたら、『そういうのが好きなの?』などと話がややこしくも、騒がしくなりそうだ。
ジェフリーは、この、あっという間に悪者にされる流れも慣れてしまった。このチームワークをもっと別の機会でも生かしてほしい。
注意されたコーディ本人はすでに話を聞いていない。手綱を持ってランタンを入れ込んでいる。
ローズも穴から様子を窺っている。彼女はこういったくだらない喧嘩にはあまり介入しない。少し距離を置いて楽しんでいるようだ。
ジェフリーは仲間のやり取りを見て、物足りなさを感じた。
くだらない喧嘩も、一致団結も、いつからこれが当たり前になったのだろうか。
これでミティアさえいれば、何も要らない。何かと彼女の存在がちらつく。
険悪になっても和ませてくれて、誰かが頑張っていると応援してくれる。だらだらと目標もなく生きていたのに、ミティアに出会ったから毎日が充実していた。
いなくなって知る大きな存在。早く会いたいと思った。
穴の先にある空間の探索は続く。
「圭馬チャン、圭馬チャン、これ、どうするんですのぉん?」
猫とウサギの戯れにも見えるが、行き着いた空間で、大きいオレンジの石を見つけるも運搬方法に困っていた。
「これが魔鉱石っぽいよね……」
なぜか圭馬が上を向いている。と、言うのは、かなりの高さで煙突のように上が抜けていて、空が見えるのだ。深すぎてほとんど光は届かないが、その淵にもオレンジ色をした綺麗な光が見える。
「つまり、刺激を与えたら、この石は浮くみたいだね。直に触ったらマズそうじゃん?」
「のぉん?」
「よぉっし、さっき巻いてもらったハンカチに包もう」
「ほむっ……?」
「聞いてんのかババァ?」
圭馬がショコラに振り返る。ショコラは猫背を解き、何かを見据えるような態度だ。
圭馬がショコラの視線の先を見ると、そこには丸々とした蛇がいた。まだ襲っては来ないが、舌がピロピロと踊っている。
「ヒッ……!!」
蛇にとって、ウサギは栄養素たっぷりの捕食対象だ。
一方猫のショコラの方が体は大きいし、爪や牙がある。
確かに暗く、狭く、湿ったこの環境、蛇がいてもおかしくはない。
「こっち来るなぁッ!! ボクはティアマラントなんだぞ。魔界の魔人なんだ。お前なんか、お前なんか!」
壁際に追い込まれ、頭をゆらゆらとさせていた蛇が大きく仰け反った。
ショコラが尻尾に噛みついた。
「圭馬チャン、早くずらかるのぉん」
「くっそぉ……このボクがこんな目に遭うなんて信じられない!!」
圭馬は首のハンカチを解き、鈍く光る石を覆った。ところが、今度は重くて持ち上がらない。
「圭馬チャン、圭馬チャン、尻尾!!」
ショコラが注意する。圭馬はハンカチを引っ張ろうと試みるも、尻尾が噛みつかれていた。毛量が多いせいか、本体までは行き着かないものの、変な感触に圭馬が叫び声を上げた。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ねこぱんちっ!!」
ショコラが応戦すると蛇も怯むようだが、どうしても圭馬をおいしくいただきたいようだ。この奥地で次に食事にあるつけるかはわからない。生き物としては必死だ。
圭馬はハンカチを摘まみながら、力いっぱい叫んだ。
「助けて‼ 引っ張ってぇっ!!」
こんなに余裕のない圭馬は、覚えがない。
「圭馬さーーん!」
遠くでサキの暢気な声がする。もしかしたら伝わっていないのかもしれない。
「のぉぉぉん、引っ張ってぇん!!」
ショコラが向こう側に向かって叫ぶと、体の綱がグイッと引っ張られた。
離すまいと、ハンカチの四隅を掴み、引きずられるがまま身を任せた。
「もうヤダ!! 人間のためにこんな目に遭うなんて、あり得ないッ!!」
「圭馬チャン……?」
二匹は尻尾に蛇が噛みついたまま、皆の元に戻された。
「おぉぅッ‼ ハプニング‼」
ローズがハイヒールのバランスを崩して尻もちを着いた。
「ちょっ、これはナシでしょ‼」
コーディも手綱を離して逃げた。
「わっ、圭馬さんって蛇……⁉」
拾い上げようとするサキも、さすがに蛇には驚いているようだ。
そんな中、ジェフリーが蛇の首と頭を摘まんで圭馬を解放させる。
そのまま誰もいない場所に放り投げると、蛇はそそくさと岩陰に隠れていなくなった。
「わー……ジェフリーさん、凄いですね」
いなくなったのを確認して、サキがようやく圭馬を抱き上げた。
やたらとジェフリーの手際がいいので、竜次は感心した。
「ジェフはよく森で私のお使いをしていたので、こういう手荒なのは得意かと」
竜次は圭馬の尻尾に異常がないかを触って診ている。圭馬は縮こまったまま小刻みに震えていた。
「大丈夫ですよ。噛まれたのは毛だけでよかったですね」
フサフサの尻尾に助けられたようだ。安心するように撫でるも、びくびくしている。
「くそっ、ひどいじゃないか。あんなのがいるなんて知ってたら、ボクは行くなんて言わなかったよ!!」
泣いているような物言いだ。自分から行くと言っていた気がするが、都合がいい。
離れてキッドが土埃にまみれたショコラを抱き上げている。
ローズが這ったまま、ハンカチの中の石を見て興奮している。
「おぉう、魔鉱石、これ、オニーチャンの本で見たのにそっくりデス!! けーま君、お手柄デスネ!!」
安全と知ってコーディが圭馬の紐を解いた。
「えっと、お疲れ様?」
「……だな、ありがとう」
ジェフリーも労いの言葉をかける。縮こまっていた圭馬が顔を上げ、ショコラの姿を探した。
「ババァが、協力してくれた……」
「のぉん……?」
キッドの腕の中で、ショコラが尻尾を振っている。
サキは圭馬が無事と聞き安心した。危機は去ったのに、圭馬は震えている。
「ボクが、人間に……」
「圭馬さんが無事でよかったです。ショコラさんもありがとうございました」
「くそぅ……」
再びサキの腕の中で震え出したが、今度は頭を下げている。人間だったら、本当に泣いているのかもしれない。
人によっては使い魔を、奴隷のように扱う人もいる。この人たちはそんな扱いをしない。
協力しなければよかったと思ったが、こんなにも暖かい人たちだ。
心配してくれて、大丈夫かと声をかけてくれて、怖がって震えている自分を受け入れてくれるこんな人たち。
こんな人間がまだいるなんて、自分が巡り合えるなんて思わなかった。
また、頑張りたくなるじゃないか。
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