トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【7】くずれゆくもの

消えない思い出

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 日は登ったのに、ケーシスは目を覚まさない。
 意外にも目覚めが早かったのはサテラだった。もぞもぞとケープの中で身震いをしている。吐く息が白いのだから、寒いのは当然だ。
「おはよう、サテラ」
 ミティアが声をかける。
 サテラは存在を忘れていたのかビクッとした。寝ぼけながらも、彼女の言葉が気になるようだ。
「お、は、よう?」
「うん。起きたらおはようって挨拶するんだよ?」
「ふぅん……」
 サテラは頷いた。昨日もそうだったが、多くのことを知らないようだ。ミティアは教えてもいいものだろうかと迷った。
 サテラは新しいことを覚えるのに興味があるようだ。
 話していたせいだろうか、ケーシスも目を覚ました。
「あぁーったく、悪ぃ、ガチ寝した……」
 ケーシスは眠気を吹き飛ばすような大声を上げ、目頭を摘まんだ。右手を腰に回す。その右手を伸ばすと、ブロンズのチェーンに見覚えのある八角形の懐中時計が見えた。
 ネジを回しながら時間を見ている。
「おはよう、お父様」
 サテラは歩み寄って笑顔を見せている。
 ケーシスはネジを回る手を止めて、サテラを見るとしかめた顔をした。
「おはよう?」
 珍しい言葉に、ミティアの存在を思い出した。挨拶を教えたのだろうと納得する。
「……まぁいいか。あんまり変な言葉を教えるなよ」
 ケーシスはあくびをして立ち上がると、時計をポケットに戻して肩を回す。自分の子どものように扱ってはいたが、礼儀は知らないままだ。何かに影響を受けるのは悪くない。だが、そうすることによって、知らないことを得てサテラは何を思うだろうか。
 直接子育てをしたのはほんの数年。サテラは、自分の子どもよりも可愛がっているかもしれない。歪んだ科学と、道を踏み外した先での出会い。皮肉なものだった。
 すぐフィラノスへ出発する。
「さっさと行かねぇとな」
 ケーシスは髪をくしゃくしゃと整えながら歩き出した。
 日が昇ってすぐの風は冷たい。ミティアはいただいたケープを手繰り寄せた。上着もなくワイシャツだけのケーシスが、寒がらないのが不思議で仕方ない。
 鬱蒼としているスプリングフォレストを背中に、魔法都市フィラノスへ歩みを進めた。
 道中でミティアがお姉さんのようにサテラと手をつなぐ。サテラはこの慣れない行動に目を丸くした。どうも、こういったコミュニケーションは慣れていないようだ。
「サテラはケーシスさんと二人だけで、寂しいと思ったりしないの?」
 ミティアは世間話を振る。サテラはケーシスに一瞬だけ振り返ったが、すぐにミティアを見上げた。
「もう一人、お世話になっている人はいます。あまり一緒に行動しません。情報屋なので今は密偵みたいな……」
「あぁ、あいつか。たまーに、サテラの面倒を見てるな。ちょっと変わっているが、事情を知っているから、頭数に入れていいか」
 ケーシスは顎を触りながら髭を摘まんでいる。ミティアはその面影をジェフリーに近いものだと感じた。他人のはずなのに、不思議なものだ。眠っていいないせいか、何の話をしているのかほとんど頭に入ってこなかった。
 サテラは世話になっている人の話を続けた。
「凄腕のギルドハンターさんなのですが、少し変わった趣向で。自分も何度か危ない目に遭いました。腕は確かなので。はい……」
「よくわからないけど、寂しくないならよかった」
 話が読めず、笑ってごまかすミティア。それでも手は離さない。
 もう一人、協力者がいるようだ。一緒に行動していない点では、支えにはなっていないのだろうが、誰もいないわけではなくて安心した。
 見慣れた街に再び足を踏み入れた。


 魔法都市フィラノス。
 変わらない街並み、噴水広場、石畳の造り。
 思い出がたくさんあるフィラノスだ。いい思い出ばかりではなく、魔導士狩りがあり、たくさんの人が亡くなった負の思い出もある。
 ミティアにとっては思い入れのある街だ。一言では言い表せられない懐かしさに、目が潤んでしまった。
「どうしましたか?」
 サテラがミティアの手を引く。心配をしているようだ。
「う、ううん、大丈夫。ごめんなさい。どこへ行こうか」
 ミティアはかぶりを振って、気を取り直した。サテラがずいぶんと懐いてくれているのがうれしい。
 ケーシスはサテラに小銭を持たせ、言う。
「俺は少し城の様子を見て来る。サテラは姉ちゃんとギルドに行ってから、メシを買って来い。いつもの場所で落ち合うか」
 ミティアはケーシスが言った『いつもの場所』というのが気になった。サテラは知っているらしく、深く頷く。
 いったんケーシスと別行動する。ミティアはサテラと繁華街の中にギルドへ向かった。ここも懐かしい。賑やかな繁華街、人通りもあってこんな場所だったと懐かしかった。
 サテラと壁の張り出しを見る。目新しいものではないが、炭鉱の街ノックスの調査報告らしきものが張り出されていた。
 勇者一行、調査に失敗大打撃を受ける。
 意図的な嫌らしさを感じた。わざと目につくように、大きく書き出されている。仕方がないのかもしれないが、思わず目を逸らしてしまう。
「あぁ、そっか、この一行の中にお姉さんがいたんですよね」
 サテラはミティアの事情を多くは知らないはずだが、触り程度には知っているようだ。
「記事によると、もう一度調査に向かうみたいですね。行動がお早いかと。総崩れを食らったら、普通は撤退すると思うのですが根気強い方たちのようですね。こういった記事は、もっと大きく強調するべきではないでしょうか」
 サテラは感心しているようだ。原因不明の者に調査を邪魔されたと記されてある。
 実際はそんな簡単な理由で片づけていい出来事ではなかった。ミティアは複雑に思いながら、サテラがどれほど一行について知っていのか気になった。
「お父様から教えてもらいました。沙蘭の邪神龍も、ノアからフィリップスへ続く街道の歪みの話もすごいと思います。本当にお金のことしか頭にない金稼ぎはノックスでのゴールドラッシュに目がくらんでいました。魔鉱石が暴走して、ノックスの街が騒いだ途端に、誰もが尻尾を巻いて逃げたそうじゃないですか。自分のことしか考えられない人も多いですね」
 ミティアは黙って耳を傾けていた。特別なことをしたとは思っていない。当事者だからこそだが、困っている人を助けるのが普通だと思っていた。こう大きく取り上げられるとは思いもしなかった。
「お姉さんの周りはいい人ばかりなのでしょうね。お会いしてみたい……」
「えっ……?」
 サテラがミティアをじっと見上げている。あれだけ不愛想だったのに、笑っているように見えた。
「ま、無理でしょうけどね」
 口もとを崩し、へらへらとわざとらしく、子どものように笑って見せた。
 その無理に作った笑顔が物悲しい。
「会わせてあげる。絶対に……紹介するから」
 ミティアは力説する。だが、サテラは冷めた視線を向けていた。
「できるはずがない。どうせその前に自分は死にます」
「そんなことない。会ってみたくないの? あなたのお兄さん……」
「……」
 サテラは黙ってミティアの手を引き、ギルドを出る。
 外に出されて戸惑っているミティアに対し、サテラが嘲笑を浮かべ視線を落とした。
「できもしないことを軽々しく言うのはいい大人じゃないと思います」
 諦めている様子だ。だが、ミティアは首を振って説得をする。
「生きることを諦めないで。生きたいって思ったら、もしかしたら一日でも長く生きられるかもしれない。その一日があなたにとって、生きていてよかったって思える日になるかもしれないよ!!」
 サテラは面倒くさそうに顔をしわくちゃにしている。まずいものでも食べたような表情だ。こんな表情もするようだ。
「吐き気がします。あなたは聖女か女神ですか?」
 サテラは苦笑いをした。ミティアの心の広さを理解するのは難しい。
「自分はお父様に救ってもらっただけで、もう充実しています。外の世界をこうやって歩けるなんて思いもしなかった。見るものすべてに意味がある。外の世界はこんなにも広くて物で溢れている。少しでもお父様の役に立って、お体の負担を軽くできるならそれで本望です」
 サテラはフィラノスの街並みを見て、全身で風を受けている。この感覚と気持ちを忘れないように、『今』を噛みしめているようにも思える。
 本当にそれでいいのか、これで平気なのか、ミティアにはわからない。どうして、わがままを言わないのだろうか。どうして、どうしてと、疑問が思考を蝕んだ。
「感傷に浸っているところすみません、ご飯を買ってお父様と合流しましょう」
 サテラは淡々と流す。さっさと進んでしまい、ミティアがあとを追う形になった。
 総菜屋さんの横に雑貨屋があり、ミティアは寄ってから合流すると告げた。アクセサリーや魔石、携帯用の水やお菓子も置いてあった。万が一に備えて、少しはポーチにストックを入れておこうと言う考えだった。直近で連れ去られているのだから、それなりの考えを持ってしまう。
 軽く補充の買い物を終え、隣の総菜屋さんに入ろうとするも、ガラス越しにサテラが店員と言い合いになっているのが見えた。
 慌てて中に入ると、サテラが困った表情をしている。
「サテラ、どうしたの?」
 サテラは黙って俯いている。ミティアが店員のおばさんに話を聞くと、おかずが多いものを注文しようとして預かったお金が足りなかったようだ。
「ごめんなさい、不足分はわたしが払いますので……」
 不足分のお金を出して、お弁当を受け取った。きっと、ケーシスの体を気遣って、無茶な注文をしたのだろう。
 ミティアはサテラと外に出て、ほっと一息ついた。
 サテラはミティアに甘えるように服の裾を引っ張った。
「ごめんね、一緒に行ってあげればよかった。困ったでしょ?」
 ミティアはしゃがんで目の高さを合わせた。すると、サテラは涙目になった。
「お姉さんは悪くないのに、どうして謝るのですか?」
「えっ?」
 ミティアは当然のことをしたと思っていた。なぜと言われても、逆にこちらが困ってしまう。
「嫌な気分になりましたよね」
「どうして?」
「だって自分、さっきお姉さんにひどいことを言ったじゃないですか。そんな自分をどうして庇うのかわかりません」
 ミティアは眉をひそめ、考え込んだ。サテラは先ほど、ギルドの前で話していた一件を気にしているようだ。
 ミティアは接していて、サテラの傾向が読めて来た。
 控えめなのかと思ったが、物事は素直に言うし、父親のケーシスを気遣っている心優しさもある。だが、自分を大切にしていない。粗末にしているのは、見ていて心苦しい。以前の自分を見ているようだ。もしかしたら自分はもっと、わかりにくくて厄介に思われていたかもしれない。
 ミティアはサテラの頭を撫でた。今は少しでもサテラの力になりたい。この子を理解したいという思いだ。
「次はどこに行ったらいいか、わたしにはわからない。どっちかな?」
 ミティアはサテラと手をつないだ。小さいが温かい手だ。
「外れの孤児院跡です。えっと、こっち……」
 サテラが先導して歩いた。
 ミティアはその後姿を見る。自分に弟か妹ができたようでうれしかった。
 孤児院跡と言っていたが、その道中がまた懐かしかった。

 思い出がよみがえる。
 この裏通りでサキと正面衝突して小言を言われたんだっけ。
 ジェフリーにも注意され、怒られた。彼の昔に触れてしまったことが原因で、ジェフリーは竜次とも口論になって……
 ミティアは思い耽ってしまった。

「あの、どうしました?」
「あっ、ううん……」
 感慨深い。色褪せない思い出を振り返るも、自分は今を生きている。どうしてもこの街には思い出がいっぱいで、足を止めてしまいがちだ。
 それでも、サテラの案内で街外れに行き着いた。
 廃れた建物なのだろうが、人の立ち入りを拒むように錆びた柵で囲ってある。
「こっちです」
 ミティアはどこから入ればいいのかわからず、周辺を見ている。
 サテラは手招きをした。
 柵の一部が壊されており、中に入れた。確かにここなら身を隠すのにちょうどよさそうだ。
 太陽の光で、崩れた天井や壁に光が抜けている。
「お父様?」
 サテラが呼んでも返事はない。だが、耳を澄ませば掠れた音はする。
 音のする方へ行くと、ケーシスがうずくまって口を押さえ、咳き込んでいた。
「ケーシスさん!!」
 ミティアは慌てて駆け寄り、ケーシスの体を起こす。
 サテラはこの様子に見覚えがあるようだ。指摘を入れた。
「お父様、今朝、お薬飲んでなかったのですね?」
 ケーシスは息苦しそうにしており、額から発汗している。
 ミティアはポーチからハンカチを取り出そうとした。ケーシスがその手を掴んだ。
「悪い、水……持ってないか?」
 汗ばんだ手に力が入る。
「わたし、お水持ってます。でも先に何か口にしないと……」
 息苦しそうだ。震える指先はミティアのポーチの中を指している。
「それでいい、もらっていいか?」
 ゼーゼーと息をしながら、ミティアのポーチから覗いているクッキーを指していた。
「えっと、これでいいですか?」
 先ほど、総菜屋さんの隣で買ったチョコチップのクッキーだ。ミティアが開けて差し出すと、ケーシスは大判にも限らず一口で口に運んだ。だが、すぐ噎せて、再び咳き込んだ。慌てすぎだ。
「お水、お水……」
 ミティアがすぐにボトルも開けて、水を含ませた。
 万が一に備えてとは思ったが、使いどきがすぐだったことに、備えた意味がまったくなくて驚いた。ポーチの中が一気に軽くなった。
 サテラはケーシスの腰の巾着袋から薬を引っ張り出し、水と一緒に飲ませている。
「ちゃんと一日三回飲んでください」
「今日は体調がいいから大丈夫だと思ったんだよ」
 典型的な飲みサボりだ。
 一般的には、薬の量を減らしたり、飲まなかったりするといつまでもよくならないと言われている。ケーシスは医者のはずだが、自分の体の管理を疎かにしているようだ。
「姉ちゃん、悪いな。貸しを作った」
「いえ、そんな……大丈夫ですか?」
 ケーシスは落ちた眼鏡を直し、深呼吸をしている。まだ少し苦しそうだが、薬が効くまで待った方がいい。
 サテラは深々と頭を下げた。
「お姉さん、すいません。自分だけじゃなく、お父様まで助けてくださるなんて」
 そんなサテラの頭を、ケーシスがぽんぽんと軽く叩いた。
「そーか、サテラも助けてもらったのか。こりゃ困ったな」
 肩で息をしている。あまり話さないでもらいたいが、そうはいかないのだろう。
「だがなサテラ、こういうときはありがとうって言うんだよ」
「ありがとう……ですか?」
 頷きながら、ミティアを見上げている。
「お父様、この方は異常です。どうしてこんなに我々に、親切になさるのでしょうか?」
 サテラから見たミティアは、不思議でしょうがないかもしれない。その質問にケーシスは深呼吸をして答えた。
「この姉ちゃんにとって、こんなのは親切でも何でもない自然で当たり前だと思うぞ」
「自分は街の人にも良くしてもらった覚えがないです。転んで怪我をしたって、誰も助けてくれない。種の研究所だってそうです。もとを辿れば、見ず知らずの人にここまでする人間を知りません。なにか企んでいるとしか思えないです!」
 サテラはミティアに何か裏があるのではないかと警戒しているようだ。
 ケーシスはサテラの頭を撫でながら説明している。
「この姉ちゃんはサテラから見たら確かに異常だろうが、人間の中にはこういう奴もいるって覚えておけ。それと、この姉ちゃんは何も企んじゃいねぇ。だが、強いて言うなら、サテラを助ける方法でも企んでいるかもな?」
 ケーシスは鼻で笑ってミティアに話を振った。
「それはケーシスさんだって同じですよ」
 ミティアは恥ずかしそうに頬を赤くし、両手の拳をぶんぶんと上下に振っている。
 サテラは卑屈になり、ミティアを邪険にした。
「もうすぐ壊れてしまう自分なんかに、そんな希望を持たせるのですか?」
 己の運命を知っても尚、親切にされるのがずっと不思議に思って仕方ないようだ。
「ま、それもそのうちわかるだろうさ。俺がこの姉ちゃんを引き入れた理由も」
 話し込んでいて、呼吸が楽になったようだ。ケーシスは座ってあぐらをかいた。報告もする。
「城の情勢を見たが、どうもおかしい」
 その話にミティアも食らいつく。
「アイラさんは無事だったんですか?」
「いない。そういう警備じゃない。だからって、昨日ぶっ壊した種の研究所にいるとは思えない。可能性として挙げられるのは……」
 ケーシスの手が動いた。腰の剣の柄に手が行っている。
 向かい合っているサテラとミティアの背後から、歯切れのいい女性の声がした。
「そいつは誤報、攪乱、騙し討ち……ってところかねぇ」
 太陽の光でシルエットになっているが、ミティアはこの人を知っている。
 女性が中に入って来た。栗色の長い髪におしゃれな帽子、ストール、腰には大きいカバン。ミティアは名前を呼んだ。
「アイラさん……!!」
 旧・種の研究所で見たのが最後のアイラだ。間違いない。あの後、きちんとした手当てを受けていたようだ。
「久しいね、ケーシスさん」
「ま、そうなるよな。ここはあんたの隠れ家だったし」
 サテラがケーシスとアイラを交互に見て最後に首を傾げた。この因縁関係を知るにはあまりにも言葉が足りない。
 ケーシスとアイラはどうやら臨戦態勢のようだ。
「その右手を下げておくれよ、ケーシスさん」
「お前が敵じゃないとわかればな?」
 ケーシスは右手を戻そうとしない。アイラも、いつでも双剣を抜けるように手を下げている。
 ひりついた静けさの中、慌てて声を上げる者がいた。
「主……この方たちは、あちら側の人間ではありません」
 アイラのカバンから籠った声がした。圭白だ。
 圭白の言葉に、アイラから両手を上げた。続けてケーシスも手を離した。
「なるほど、会話要らずの読心術か。怖い、怖い……」
 ケーシスはとぼけるように、総菜の入った袋を手にした。
 アイラのカバンから圭白が顔を出した。苦しかったのか、耳をぱたぱたと上下に振って呼吸を整えているが、その間にも読心術を試みているようだ。
「ミティア様は情報を信じて、主を助け出そうとしていたようです。危なかったですね……」
 つまり、フィラノスがおびき寄せようとしていた。ギルドにそんな情報が流せるとなると、もしかしたらこの先ギルドも信用できないかもしれない。
「あの、お父様、この人は……?」
 サテラは弁当のおかずを摘み出しているケーシスに質問をする。
「姉ちゃんが助けたかった人だ。無事だったから、一件落着だろ」
 確かにアイラは無事だ。しかしそれではギルドの情報が嘘になる。もちろんアイラ自身もその嘘情報を知っていた。
「だけど、姉さんが殺されたのは誤報ではなかった」
 アイラの呟きに、ケーシスが一瞬手を止めた。
「最初だけ事実。その後は芋蔓式に引っ張り込もうとしていたってことになるか」
 ブロッコリーとエビのマヨネーズサラダを素手で摘まんでいる。行儀が悪い。
 アイラはケーシスを不審に思った。
「ケーシスさん、あんた、何をしようとしているんだい?」
「さぁな?」
 ぼりぼりとブロッコリーがいい音を立てている。わざわざケーシスが答えなくても代弁してくれる者が向こうにはいる。
 その圭白は耳を下げ、小さく唸った。読心術で何でもお見通しではあるが、それは知らなくてもいいことを知る恐れもある。
「これはちょっと言う場所を選んでしまいます……」
 言いづらいのは余ほどの事情と察したのか、アイラも顔をしかめた。
 ケーシスはアイラを邪険にする。因縁関係があるのだろうか、やけに態度が冷たい。
「めんどくせぇなぁ。余生くらい、静かに過ごさせろよ」
 ケーシスは手を払って、今度は唐揚げを摘まんでいる。コレステロールが心配になるようなものばかり食べている気がするが、大丈夫なのだろうか。総菜箱に蓋をして立ち上がった。そのまま紙袋に戻して、サテラに持たせる。
「サテラ、このまま姉ちゃんと沙蘭に行け」
「お父様、どうしてですか?」
 サテラも起立する。すると足元に違和感を覚えた。床と壁が軋む音を耳にする。
「ヤッベェのが来たな」
 ケーシスが舌打ちをする。ただ感じたプレッシャー。どこから仕掛けられるか読めない。
「ケーシス様、真うしろです!!」
 圭白が大声を上げる。だが、振り返る間もなくケーシスの真うしろの壁が崩れた。
「おとうさ……!!」
 アイラはサテラを引っ張って走った。ギリギリを擦り抜けたところで孤児院跡が無情にも崩れ、土煙が舞う。
「ちくしょうめ……何だってんだい!」
 土煙の上がったあの中にミティアとケーシスがいるはずだ。
 軽そうだったサテラだけ引っ張り上げられたが、大人を連れては厳しかった。
 崩れた瓦礫を前に、サテラは茫然とし、総菜の入った紙袋を地面に落とした。
「お、と……?」
 ようやく把握したのか、震えながら、サテラは近寄ろうとする。
 だが、アイラが手を掴んでゆく手を遮った。
「およし……」
「お父様ぁぁぁっ!!」
 風向きが変わる。冷たい風が、土埃を巻き上げて流れる。
 煙の向こうに二人の人影が見えた。明らかにケーシスとミティアではない。
 幸いにも晴れていたおかげでよく見えた。
 見間違うはずがない。アイラが憎しみを込めて睨みつけた。
 煙の向こうに見えたのは頭にターバンを巻いた民族衣装の男性、この人は間違いなくシフだ。隣に、白衣を着た赤茶色で短髪の男性がいる。
「やりすぎです。ケーシスさんだけ狙えと言いましたよね」
 白衣の男性がシフに文句を言っている。物腰柔らかそうな声をしているが、どこか冷酷さがにじみ出ている。同士、仲間ではないのだろうか。
 シフは納得していない表情だが、従っている。内心では、『自分でやったらどうだ』と思っているのかもしれない。
「申し訳、ありません……」
「まったく、一行の誰も処分出来ず、連れて来たミティアまで逃がすのですから……」
「……」
 厳しい言い方だが、シフは言い訳をしない。
 白衣の男性はシフに小瓶を渡す。
「血清です。研究所で怪我をしましたね? このままあなたは沙蘭を落としなさい」
 シフは受け取って、渋りながら頷いた。研究所で怪我をしたのは生き物を相手にしたせいだ。嫌な予感はするが、捨てる駒ならとっくに捨てているだろうと、シフは浅く考えていた。この場にいるのは奇跡と言ってもいい。
 種の研究所での混乱は鎮圧した。この白衣の男によって鎮圧された。シフは命拾いしたが、顎で使うこの男に疑念を抱いていた。
「わかり、ました……」
 嫌な顔をしながらも、シフは逆らえないようだ。引きつった表情のまま、緑の魔石を弾いてシフの姿は消えた。移動魔法のテレポートだ。
 白衣の男一人だけになった。アイラをじっと見ている。
 アイラは双剣の柄に手をかけた。サテラを庇うように前に出る。
「あんた……」
「アイシャ王女ではありませんか。餌に引っかかっていただけなくて残念です」
「ルッシェナ・エミルト・セミリシア……」
 憎しみを込めて呼ぶその名は、ミティアの義兄だ。野望のためにはどんな手段も厭わない。血も涙もない悪魔とアイラは認識していた。
「この悲しい世界は全部あんたが作ったんだぁぁぁ!!」
「主、いけませんっ!! 彼の銃は……」
 アイラは地を蹴った。向かう先のルッシェナが、微笑と共に白衣の内側からマスケットを握り、銃口を向ける。
「あなたのような賢人を蹂躙するのは難しい。ですが、駒にしたいですね」
 狂った笑み、この銃の弾は危険だと圭白は言いたかったが、その声はアイラに届かない。
 サテラは杖を手に、ルッシェナに向かって魔法を放った。
「アイシクルブラストッ!!」
 ルッシェナの銃に当たり、凍りついている。
「兵器の子どもが小癪なことを……」
 凍ったマスケット銃でアイラの剣劇を受け止めた。ルッシェナにとって接近戦は不利のように見えたが、銃を握っている手とは逆の手がすでに背後に回っている。
 シャッっと金属の音がしたと思ったら、アイラが弾かれている。
 短い剣だがナイフよりも長い。狩猟用の剣のようだ。
「わたしだって、戦えますよ?」
 アイラは肩で息をしている。かなりの興奮状態だ。
「よくわからないけど、お前さんは戦うことはないんだよ。お逃げ!」
 アイラにとってサテラの援護は嬉しかったし、圭白が警戒していた弾は食らわずに済んだのはこの子のお陰だ。だが、逃げる様子がない。戦う理由はないはずだ。
「自分は頭が悪いので、お父様以外に誰を頼ったらいいのかわからないです。だから、この人をやっつけてお父様を助け出します」
 分が悪いことには変わりがない。アイラは勝てる手段を考えていた。即席でこの子どもと組んで戦うには無理がありすぎるからだ。そもそもこの子どもが誰なのかも、ケーシスから聞いていない。
 ルッシェナは腕時計を見て表情を変えた。
「楽しみたいでしょうが、わたしも忙しいので失礼しますね。代わりにいいものを置いて行ってあげましょう」
 満面の笑みで指を弾いた。銃と剣を下げ、代わりに緑色の魔石を手にしている。この人までテレポートを使うのか。
「アイシャ王女、恨みの分、あなたには屈辱を味わっていただきたいですね。今急ぐこともないでしょう。またの機会に、たっぷりとあなたに復讐します。代わりにお弟子さんで遊んであげますね」
 アイラの背筋に寒気を感じた。ルッシェナはノックスに行くつもりだ。
「お待ちっ!! そんな、今のあの子たちは……!!」
 アイラもギルドを経由して知っている。ジェフリーたちは総崩れを食らっているはずだ。今、向こうが叩かれては危険だ。
 アイラはルッシェナが魔石を弾く手を阻止しようと試みた。だが、サテラの悲鳴が聞こえた。振り返る間もなく、サテラがアイラのもとは弾き飛ばされた。
 もつれ、二人は倒れる。その様子を見てルッシェナは笑みを浮かべた。
 そのルッシェナが魔石を弾いて消えた。完全にやられた。
「ちくしょう……」
 起き上がって間もなくして、サテラを弾いた者の正体を知った。
 体長は四メートルか、もう少しあるかもしれない。見た事のない面妖、角も生えている。猛獣のような牙が口から見え、燃えるような赤い全身。剛腕に大きな手。
 人の服のようなものが千切れながらも身に纏われている。
「な、何だい。こんなの、見たことがないよ」
 思わずアイラの足が竦んだ。脇のサテラが、立ち上がって声を上げる。
「また性懲りもなく、キメラ……」
「キメラ? 一体何だい、そいつは」
 知っている素振りのサテラに、アイラが質問をする。
「人間ですよ。もともとは、ね……」
 サテラは種の研究所で戦っているから知っている。ただ、それだけだ。
 圭白がカバンから顔を出した。
「サテラさんの説明は本当です。種の研究所、人間の改良、遺伝子の改良、病を治す薬、全てを諦めたあの者が作った負の遺産です」
 サテラという名前を知った。圭白が読み取ったのだろう。圭白がキメラを凝視する。
 何か読めるのだろうか。
「こ……ろしてくれ……?」
 圭白は言いながら耳を伏せた。この反応は、いい反応ではない。
 この反応に、アイラもキメラを凝視する。角に突起のある金属の輪が引っ掛かっているのが見える。加えて胸元の布に、銀のブローチが見える。もしやと思って、手元の金の懐中時計と照らし合わせる。
 フィラノスのシンボルフラワー、鈴蘭のマークだ。
「まさか……」
 目の前のキメラはフィラノスの王族の可能性を感じた。
「何てむごいことするんだい……」
 アイラはぎしりと奥歯まで軋ませる。割れてしまいそうに、強く噛み締めた。
 命を弄ぶまで堕ちてしまった人間が、技術を人に向かって放つなど、あってはならない。悲観しているのもそうだが、逃がしたのが悔しい。
「キメラになってしまった者は、元には戻せない。自分はお父様を助け出すためにこの者と戦います」
 サテラは言い切って先に地面を蹴った。
 アイラはサテラの背中を見て、心を痛める。ここから先は金にはならない戦いだ。それでも、後戻りが効かないところまで踏み込んでしまった。
「アイシャ様……」
「白ちゃん、この展開、急すぎやしないかい?」
「ケーシス様とミティアさんはまだ生きています。急ぎましょう」
 アイラは状況の理解が追いついていない。
 読心術を使う圭白のみ、理解が追いついているようだ。彼が言うその内容はにわかには信じがたいものばかりだ。特に、サテラに関しては、背負っているものは大きく重いものだ。
 圭白が言うのならば、ケーシスとミティアは生きているのだろう。彼は嘘も気休めも言わない。
 自分の話を信じてくれる。圭白はアイラに言う。
「あの子どもを戦わせるのは、寿命を縮めてしまいます……」
「は、はぁ? 白ちゃん、そこまで言うのかい?」
 圭白は兎にも角にも、急がせたいようだ。アイラは渋りながら了承し、魔石を確認しながら詠唱に入った。
「ディレイ!」
 アイラがキメラに向かって、鈍行鈍足の魔法をかけた。キメラと言っていたのだから、攻撃を受ければ何が起きるかわからない。
 キメラが振り上げた腕に向かって、サテラが杖を両手で振り上げる。
「ソニックブレイバー!」
 勢い良く振り下ろした杖が風の刃を発する。バッサリと縦に切り裂き、赤黒い血が飛沫を上げる。
 アイラはサテラの魔法に違和感を抱いた。使う魔法が身の丈に合っていない。
 間髪を入れず、続けて詠唱するのもそうだ。先ほど、ルッシェナはサテラを『兵器』と呼んでいた。
 アイラの抱く疑問は圭白が解決する。
「アイシャ様、この子はあらゆる負荷をかけられた被験者です。しかもそのせいで、もうあと少ししか生きることができません……」
「そう重要なものは、もっと早く言うんだよ!」
 無茶を承知でアイラが双剣を引き抜き、サテラの詠唱を終える前に切り抜けた。ノックスの種の研究所から引きずったままの左肩が、ズキズキと痛む。切り抜けながら詠唱していたが、サテラの方が早かった。
「インシネレーション!」
 タッチの差でアイラの詠唱が負け、軽く舌打ちをした。
 炎獄がキメラを覆い、黒々と焼き尽くした。
 肉の焼ける臭い、巨体は焼け落ち、燻っている。こんな魔法、子どもが使うには負担が大きい。
 討伐をしたがサテラはキメラに目もくれず、すぐに瓦礫に向かって走り出した。
 アイラは燻っている肉片に紛れて、角に引っ掛かっていた輪を見付ける。持ち上げるまでもなく王冠だ。フィラノス王は子どもが居なかったはずだ。王妃を病気で亡くした……と思い出して、引っかかりを覚えた。
 この材料だけで、何をどう利用され、悪名の耐えない人に成り下がったのかまで、見事に組み立てられた。王もまた、利用された一人に過ぎないのだろう。
 悪事も悪名もすべてをなすりつけられ、用済みになり、キメラにされて処分された。
 立派過ぎるシナリオだ。アイラが真っ黒になった肉片から目を逸らし、瓦礫に向かって歩き出した。
「この世界には、理不尽が多すぎるんだよ……」
「おおむね正解だと思われます。アイシャ様……」
 こんな悲しい連鎖を止めなくては。
 サテラは瓦礫を退かしながら、ときどき耳を済ませている。
「お父様、お父様!」
 サテラは隙間に杖を潜らせ、持ち上げては声をかけている。
 闇雲に探していては時間がかかるし、命が危ないかもしれない。
 アイラは圭白を見やる。何が言いたいのか、圭白はしっかりと把握していた。
「さすがに場所までは……申し訳ありません。ただ、このあたりに気配は残っています」
 圭白は詳細はわからないと謝った。だが、彼を咎めるつもりはない。生きているとわかればそれでいいくらいだ。
 アイラは必死に探すサテラを見ながら考えていた。人探しの魔法という都合のいい魔法があったはずだ。フィラノスを出る前に売った本の中に、記されていた本にあったかもしれないと思い出した。
 ここまで出ているのに思い出せない。
 間借りしていた孤児院の跡地を出るときに、本を古本屋に売って資金にしたのを思い出す。その中に日常生活に便利な魔法がたくさんあった本が……。
「ふむ、八の字を描く、ショコラ様のサガシモノの魔法ですか?」
 圭白がもしかしてと口にする。彼は読心術のせいで、多くの会話を必要としない。時間短縮になっていいが、周囲から何の話をしているのかの把握は難しく、誤解も多い。
「そうだ、それだよ!」
「アイシャ様が再契約をされる前のことは存じませんが、それは幸いです」
 アイラは人差し指を立て、八の字に回しながら、確かこんな魔法だったとうろ覚えながら短い詠唱を口ずさむ。指先に蛍のような小さい光が生まれた。
「こんな魔法だった気がするんだが、どうかね?」
「ショコラ様の魔法は特殊な魔法が多いので……」
 瓦礫を必死に捜索するサテラを視界の隅に、アイラは指を弾いた。
「サガシモノ・あたしとユッカちゃんに負けたブロンズの懐中時計!!」
 アイラが放った光は数メートル先を行き、蝶が舞うようにひらひらと特定の範囲を彷徨いはじめた。だいたいの位置を指しているようだ。
「信憑性がないけど、探すよ……」
 崩れた瓦礫に手をかけた。
「ケーシスさん、どこだい?」
 アイラも怪我を引きずっている。重たいものを持ち上げることはできない。隙間に声をかけ、耳を澄ました。
 圭白が耳をピンと立てている。
「アイシャ様、この真下です!!」
「えぇっ!?」
 真下かもしれないと言われ、アイラは片足をどかした。
「重い!! どけっ、クソババァが……」
 威勢のいい声が隙間から漏れる。アイラは飛び上がるように退き、声をかける。
「ケーシスさんっ!!」
 サテラも駆けつけた。
「お父様っ!!」
 瓦礫の隙間をカラカラと音が駆け抜ける。
「ちょっとでいい。早くどかしてくれ」
 ケーシスからの声が弱くなった、威勢がいいのは最初だけ。つまり、彼は瀕死だ。
 アイラがサテラと協力し、二人で瓦礫を持ち上げて退かした。
 すると、瓦礫の山が内部から弾かれ、革靴を履いた足が飛び出した。そののち、勢いよく壁板が弾かれ、血に染まった背中が見えた。
「くそったれが、ガキは抱かない主義なのに……」
 自らを奮い立たせるような物言いだ。背中だけではなく、頭からも血を流しているケーシスが瓦礫の山から沸き立つように這い出た。
 その腕の中にはミティアが抱えられている。
 アイラがミティアを引き取った。顔や腕にかすり傷こそあるが、どこからも出血していない。アイラが起こそうとすると、ケーシスが止めた。
「気絶してるなら都合がいい。間違えて禁忌の魔法を使ったら、その姉ちゃんの方が死んじまうからな」
 ケーシスは割れた眼鏡を弾き、サテラを呼びつける。
「ヤバそうに見えない程度に手当てをしてくれ」
「で、ですが……」
「そしたら、姉ちゃんを起こして手を借りる」
 サテラは手当ての道具を持っていない。
 ケーシスは言うだけ言って、予備の眼鏡を取り出してかけた。どうでもいいところだが、用意がいい。
 手当てと聞いて、アイラも手を貸す。だが、アイラのカバンには、非常食と水。あとは、魔石と圭白が入っているだけだ。
 手当の道具が要る。圭白が打開案を口にした。
「ミティア様の腰に。勝手に拝借するのはどうかと思いますが、今は……」
 話し合うまでもなく、サテラがミティアのポーチを勝手に探る。
 緑色のペースト状のものが入った小瓶、ガーゼ、脱脂綿、包帯、湿布も入っていた。
 お菓子や手帳型の携帯魔導書、魔石など、小さいのに良く整頓されて綺麗に入っている。ポーチの中で優しい匂いがする。不織布に入った小袋、ポプリのせいで、包帯からいい香りがする。
「悪いが、ちっと拝借するか」
 ケーシスの背中に血が滲んでいるが、頭のもののようだ。白いワイシャツだから目立つ。今は小細工をしている余裕がまったくない。
 ふと、緑色のペースト状のものが入った小瓶を手に、ケーシスが目を細めた。
「こんな形で息子の世話になるなんてな……」
 手書きのラベルで加工日や名前が書かれている。これは傷薬だ。
 竜次が作ったお手製のもの。ミティアがレストの街で分けてもらったものだ。まだ使わずに持っていた。それがケーシスの手に渡る。
 感慨深いものだ。自分の息子にこんな形で助けられるとは思いもしなかった。
「お父様の、子ども……ですか?」
「嫁に似て口うるさいんだが憎めねぇ」
 ケーシスは傷薬を指ですくって前髪を上げる。鉄筋でも当たったのか、鋭い切り傷に青いあざができている。傷薬では治るはずがない。応急処置にもならないだろう。それでも、ケーシスは自分の息子にあやかりたかった。
 雑な手当てにアイラが苦言を呈す。
「ケーシスさん、そんなんじゃ手当てにならないよ……」
「どうせ無駄なんだから、これでいい」
 手当てらしくない処置を施しながら、ケーシスはアイラに問いかけた。
「それで、俺をぶっ潰し損ねた野郎は誰だ、どこへ行った?」
 ケーシスは反撃を試みようという意思を示した。
「一緒にいた民族衣装みたいな男は沙蘭へ。ルッシェナは、おそらくノックスへ行ったと思う……」
 名前を聞いてケーシスは眉間にしわを寄せる。
「頭がおかしいとは思っていたが、遂にヤケを起こしたか。見ず、言葉も交わさず、姉ちゃんが気絶してくれてホントによかったな」
 この悲しい理不尽にまみれた世界にし、ミティアの命も邪神龍も弄んでいた張本人が攻撃を仕掛けたなど、心の準備がないだろう。
 アイラは立ちあがって服の埃を叩いた。
「あたしゃ、このままノックスに向かうよ。あの子たちは今、総崩れを食らっているだろうし、今回ばかりは相手が悪い」
「相手……ねぇ……」
 ケーシスは後頭部の陥没を気にしていた。体はもうボロボロだ。触れて指先が血まみれなのに舌打ちをしながら苦く笑う。
「俺はここでフィラノスの出方をうかがっていたかったんだが、沙蘭に顔を出した方がよさそうだな」
 ケーシスは諦めるように、深いため息をついた。
 アイラは燻ぶり焼けた肉片を目で指した。
「フィラノスはもう終わりだよ。いいように使われて、フィラノス王はあぁなった。多分だけどね」
「クソ事案ばかり起こるな。ノックスに行くなら、この姉ちゃんを返してもいいんだが、『野郎』が何を投入して来るかわかりゃしねぇ。最悪、姉ちゃんがやめてくれって入って、またさらわれるかもな……」
「あたしから、ミティアちゃんの無事くらいは伝えるよ」
 アイラは腕を組み、首を垂れた。ミティアが小さく唸っているところ、間もなく目を覚ましそうだ。
 ケーシスはアイラに言う。
「沙蘭の凄腕がノックスに到着していると思う。ギルドの情報工作員だ。気は進まねぇが、お前が行くなら、そいつにも声をかけてくれ」
 アイラは鳩が豆鉄砲を食らった反応をする。ケーシスのこの態度は珍しい。アイラの知っているケーシスは、もっとつんけんして人と関わらないようにしていたはずだ。
 沙蘭の凄腕と聞いて、アイラが顔をしかめる。
「もしかして、壱子さん?」
 アイラのギルドの関係者だ。同業者の名前くらいは知っている。特に、凄腕と言われるのは本当に一握りだからだ。
「ド変態だが、困ったら手を貸してくれる。あいつらにも紹介してやってくれ。もしかしたら、竜次は覚えているかもしれねぇけど」
 話は容赦なく進んだ。サテラは手当てをすることで手一杯だし、事情に介入する意思も強くはない。もっとも、そんな余計なことをしている時間はサテラにはない。
「あたしゃ動くよ。ケーシスさん、死なないでね」
「けっ。俺はお前なんてどーでもいいけど」
「まだ恨んでいるのかい。もう学生時代の話じゃないかい?」
「優等生が、負け組の気持ちなんて知るわけがねぇだろ。さっさと消えちまえ」
 ケーシスはアイラを手で払い、さっさと行けと邪険にした。
 愛想がない懐かしさにため息をつき、圭白から緑色の魔石を受け取る。
 ミティアの顔が歪んだ、目を覚まそうとしている、
 アイラは名残惜しそうに魔石を弾き、姿を消した。

 次なんてないかもしれない。

 死なない保証なんてない。

 親は子どもに何かを残したくて、懸命になる。
 どんなに傷ついても、命が尽きようとも。
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