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【7】くずれゆくもの
もうひとつのはじまり
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目を覚ますと白い部屋だった。何もない空間で眠っていたようだ。白い床は底冷えするように思える。
けだるさを引きずりながら、息をするとカビのような埃と異臭を感じた。
炭鉱の街ノックスで、シフについて行った。
思い出して寒気を感じた。そうだ。自分は今、独りぼっちだ。
誰もいない。仲間も、ジェフリーも。引き離されてしまった。
辺りを見渡すにも、何もあるはずがない。
腰には剣が下がったまま、ポーチもある。自分が何をされたのかわからないが、襲いかかる孤独に押し潰されそうになる。
広がる虚無感。あの場では皆を守るために強気でいたが、時間が経過してから底知れない恐怖に襲われた。泣いても無駄だろう。何とかしてここがどこなのかを把握し、脱出を試みなくては。
しかし、捕まえたのならば、もっと束縛をされて自由を奪われるものだと思っていたのだが、なぜこんなに自由が利くのだろうか。
試されているのだろうか。もしくは束縛をする余裕がなかった。
どちらにしろ、この好機を見逃すわけにはいかない。
壁伝いに何かないか確認する。ここは明るい。天井には蛍光灯が見えた。
何かの施設だろうか。どこかで見た記憶があるが、今は思い出せない。
探索を試みるも、辺り一面真っ白で方向感覚が狂う。壁のつなぎ目を探っていると目の前に光が射した。
一歩下がって様子をうかがうと、頭にターバンのようなものを巻いた人影が見えた。
光が射したのも一瞬、正体は扉だったようだ。光が落ち着くと、鬼のような形相をしたシフを目にした。
「真っ白な空間だ。目覚めも爽やかだっただろうに」
「…………」
ミティアは呼びかけに答えず、顔を伏せた。きっと、嫌な思いをさせられる。みだらなことをされてしまうのだろう。皆を守れたのなら、安い犠牲かもしれない。
思考はマイナスに直下した。
「生贄ちゃんを取って食ってもいいんだが、俺にも目的がある」
シフの声がずいぶんと低い。ミティアは何を要求されるのだろうかと警戒していた。
「さらっておいてナンだが、俺がする質問の答え次第では、ここから出るチャンスをやってもいい」
ミティアは聞き間違いかと思い、目をぱちぱちとさせ、ゆっくりと顔を上げた。シフは白い床に雑に座ってあぐらをかいている。どういうつもりだろうか。
「座らねぇと、スカートの中覗いちまうぞ」
「……っ!!」
ミティアは煽りを食らって、丁寧に膝を折って座った。これは油断させるためのものではないかと、警戒を解かない。
「いやらしいことでもされると思ったのか? 何かの見過ぎだ。一時の快楽のために引き出せる情報が闇の中じゃ、俺も困るんだよ」
「情報……?」
ミティアは眉をひそめながらシフを凝視する。すると、とある『変化』に気がついた。シフが話す前に、ポーチからハンカチを取り出す。ハンカチを握ったまま、シフの頬に触れた。シフは当然、この手を払い除ける。
「何をしやがった!!」
ミティアの握っているハンカチに血が滲んでいる。
「怪我をしていたから……」
警戒は解かない。だが、敵意がないのならこれくらいの『情』はあってもいい。ミティアなりの心遣いだった。
シフは舌打ちをし、渋りながら質問をする。
「あんた、本当に世界の生贄なのか?」
「……」
「あんたが犠牲になれば、邪神龍はもう暴れないのか?」
この質問には答えたくても答えられない。本当にそうなのかはわからない。ただ、邪神龍を二度も倒している。ミティアがどう答えようか迷っていると、シフが質問を変えた。
「じゃあ本当に『禁忌の魔法』は使えるのか?」
「えっ……?」
「って、使えるなら、魔導士とドラグニーを瀕死にした時点で使うな?」
質問をしていたはずなのに、シフは一人で納得していた。路上の商人のように大きく膝を叩き、額に手をついて項垂れる。
そのまま肩で笑った。独特の仕草で、見慣れない。
「ククク……そうか、そうだよなぁ」
シフは何がおかしいのか、狂ったように笑う。下品で、とても不気味だ。ミティアは怪訝な表情をし、顔色をうかがっていた。
「クソが!! 俺はまんまと騙されたな……」
「騙された?」
「そうさ、てめぇも騙されたんだろうな!!」
ミティアはシフが言っている意味がわからず、困惑した。
シフは立ち上がって拳を壁に叩きつけた。ミティアには、彼が悔しそうに見えた。
「あなたは一体……」
「身の上話が聞きたいなら話してやるよ」
シフは笑みを浮かべた。口角が上がることで、口の端に血が滲んでいるのが明らかになった。誰かに殴られでもしたのだろうか。ミティアのハンカチもそうだったが、ノックスで怪我をしていたのなら、そのときに気がつくはずだ。
「俺はシフ・クロイツァー。一年前、邪神龍に沈められた南の島の少数民族の長だ」
ミティアは呆然とシフを見上げている。本当に身の上話をするとは思わなかったからだ。
「言わなくとも、あんたの素性は知っている。閉ざされた村、閉ざされたコミュニティの中で生活していた世間知らずだろう? 知らなくとも、無理はねぇ」
ミティアは馬鹿にされていると理解し、表情を渋めた。これだけに終わらない。
「そうやって縛っていたのは、他ならぬあんたの兄貴だ。血の、つながらない……」
「どうしてそれを……?」
話が急展開を迎えた。嫌な予感を胸に、ミティアも立ち上がる。
「あの野郎はお前さんを学校に通わせて教養を身につけさせ、社会的なルールを学ばせた」
ミティアは固唾を飲んで話に耳を傾ける。何を言っているのか、今ならわかる。
「禁忌の魔法を宿した義理の妹を思いのままにしたいがため、性的虐待で恐怖を与え、絶対服従をさせた。離れたら、一人でやっていけないと……」
「どう、して……」
「楽しそうに打ち明けてくれたぜ。俺の『雇い主』がな」
点が線になった。疑惑が確信へ変わった。ミティアはせっかく立ち上がったのに、膝から崩れ、床に手をつき肩を震わせた。
シフは容赦なく続ける。
「要らねぇ個人情報をべらべらと喋ってくれたぜ。いくら絶望を与えても、禁忌の魔法は意のままに操れなかった。だから一か八か、村に邪神龍を招いたんだとよ。それでもダメだったから、技術を考案したケーシスって野郎なら引き出せるかもしれないってな」
「兄さんは、わたしを研究所から連れ出して、ただ仕方なく一緒に暮らしていたのだと思っていた。生きていくためには、逆らえないと我慢していたのに……!!」
ミティアは歯を食いしばりながら、大粒の涙を零した。いくら零れ落ちても、白い床だ。量などわからない。
「くや、しい……」
「北の山道で奇襲を仕掛けた理由は、知ったからだ。いくら調教しても使うことのなかった禁忌の魔法を、ジェフリーに使ったんだろう? ぶっ殺して、差し出せばあんたはまた使うかもしれない。竜次って奴はケーシスをゆする保険だ」
襲った理由も明確になった。だからといって、今が変わるわけではない。悔しかった。今までずっと騙されて生きていた。本当の敵はずっと側にいた。
知ったからには、この情報を持って帰らなくては。
ミティアはかぶりを振って、顔を上げた。このまま黙っているわけにはいかない。
「兄さんは、今どこに……」
立ち上がって涙を拭った。シフなら居場所を知っている。ミティアとシフは熱い視線がぶつかった。
「あの野郎なら、俺の不始末を拭いに行った」
ミティアはせっかく涙を拭ったのに、しゃくりあげた。シフの不始末、つまり……
「まさか、みんなを……」
「その前に国を一つ手中に収めるとか何とか、ぶっ飛んだこと言っていたけどな。用が済めばそっちに向くだろう。ま、そんな時間は誤差だろうけど」
ミティアは嫌な予感に手が震えた。皆は今、立て直しに必死のはずだ。追い打ちをかけることをされては、ひとたまりもないはず。
意味を理解したミティアは、シフに縋りついた。ここに兄のルッシェナがいないのなら、やることは決まっている。
「お願い、ここから出して!!」
シフはあまりの必死さに、驚倒しそうになった。彼はお願いなどされなくとも、とっくにそのつもりのようだ。
「その怪我、兄さんにやられたんでしょう? その気になれば、あなたは誰か殺せたはず。わたしに乱暴もできたはず。本当はあなた、悪い人じゃない……」
シフは縋りつく手を払って、ニタニタと品のない笑いを浮かべた。
「へっ、一度悪の道に染まった奴はずっと悪のままだ」
彼は諦めるように息をつき、懐から袋を取り出した。中は魔石だった。ポケットや袖口に忍ばせている。
「あいつが狩猟を得意としていたのは知っているな? ここから出ても、お仲間さんが無事とは限らねぇぞ。あんただって、狩られるかもしれねぇ」
「そうならないために……」
「悪いがここは深層だ。外に出るまでには時間がかかる。ここには『ヤバい薬』や実験サンプルがたんまりだ。俺は、あんたのためを思って言うが、抜け出したら、お仲間さんのこたぁ綺麗さっぱり忘れて、クソ野郎から逃げまくった方がいいんじゃないのか?」
シフが言う『クソ野郎』とは、ミティアの義兄であるルッシェナを指す。ミティアがここから出たところで、一人で何ができるだろうかと心配をしていた。
ミティアはこれで「うん」と頷くわけにはいかない。
「わたしは、みんなを信じてる! 帰る場所だもの……!!」
揺るがない覚悟を決めている瞳。シフには、何よりも強く、どこか気高いミティアが輝いて見えた。闇の世界に堕ちて、『悪』となった自分が恥ずかしい。
シフはミティアを連れ出した。
白い廊下と壁が続く。方向感覚が狂いそうだ。
深層と言っていたが、どれだけ広い場所なのだろうか。
「ここはどこなの?」
白い空間を小走りになりながらミティアは質問をする。
先ほどの会話で、『ヤバい薬』や『実験サンプル』と言っていたのだから、ある程度の想像はついたが、これは念のためだ。
シフは足を止め、警戒をしながら答えた。
「ここか? ここは種の研究所だ。悪趣味だろ?」
ミティアも足を止めてしばし考え込んだ。
「怖気づいたわけじゃねぇよな?」
シフはミティアが小難しい表情で考え込んでいるのを不思議がった。
「それとも、懐かしい……か?」
「えっ?」
「あんたはここに幽閉されて、散々弄ばれて、悲劇のヒロインだ」
「そうは思っていないです……」
ミティアは考えていた内容と異なり、悩ましげな反応を見せた。
「場所を気にしていました。ここはフィリップスの地下……なのかなって」
ミティアの疑問は『場所』だった。種の研究所という点は正解だったかもしれないが、それなら仲間を助けに行ける希望がある。
ところが、シフはしかめた表情で気の抜けた声を上げる。
「あぁ? ここぁ、フィラノスの地下研究所だぞ? ここ以外にもあんのか?」
「えぇっ!! フィラノス?」
驚きの声が響いた。
ミティアは場所が見当違いだったのに対し、肩を落とす。目指したいのは炭鉱の街ノックスだ。陸路では二日以上かかる。何か手はないかと考えていた。
ミティアはシフがどうやって自分を連れて来たのかを思い出した。
「魔法で連れて行ってはくれないのですか?」
普通に考えたらかなり図々しい。それでもミティアはシフに食い下がった。
「魔導士と一緒だったなら、勝手は知っているだろうけど、魔法は無限に使えるモノじゃねぇんだぞ」
さらっておいて、情報の交換をして、逃がしてやるまで言っておいて、一体何だったのだろう。情報の交換がなかったら、完全に茶番だ。ミティアは不満を胸に、困惑した。
「どうしよう……」
シフが背筋を伸ばし、ミティアの手を引いた。
「な、何?」
「しっ!! 黙ってろ……」
耳を澄ませて警戒していると、真上の蛍光灯がパンと砕けた。
上を向く前にミティアの視界が覆われる。直後にシフの低い声がした。汗と埃の臭いを感じた。きっと抱きかかえられたのだとミティアは思った。
「あ、あの……ありが、とう?」
ミティアは悪いと思いながら、突き放すように両手を上げた。開けた視界にキラキラと光るものが見えた。大きなものもあるが、蛍光灯の破片だ。
シフはミティアを庇った。
「大丈夫だったか?」
ミティアはシフの呼びかけに頷いた。その直後に別の音がした。床に散った蛍光灯の破片の上にクシャッと嫌な音を立て、異物が落ちた。嫌な音だ。しかも一つではない。
「ひっ!!」
恐怖に震え上がったミティアの口を、シフが手で覆う。騒ぐなというサインだが、やり方がいちいち悪党のようだ。
シフがミティアの視線を追うと、落ちた衝撃で胴体から真っ二つに千切れた虫がひっくり返り、足だけ動いている。その足は何本か折れてしまっているのに動いているし、飛んで行った頭も牙が動いていた。クワガタムシに近いが、大きいし、牙もいくつか生えている。これはまだいい方で、落ちた衝撃で潰れたものも見受けられた。悲鳴を上げても仕方がない。
「クソがっ!!」
シフはミティアを解放してすぐ、虫の残骸を踏み潰した。これがまた嫌な音を立てる。
ミティアは思わず目を瞑って身を縮ませた。
「……ったく、さっきは何ともなかったのによぉ」
ずいぶんと駆除に慣れている。ミティアは疑問に思って質問をする。
「今のって……」
「研究所の薬で変異した虫だろうな」
「薬? 変異?」
この先を聞いていいのだろうか。ミティアは嫌な予感がした。
シフは身に降りかかった破片を払いながら答えた。
「クソ野郎が作ったトチ狂った薬だ。あんたも……俺も、もしかしたらあぁなるかもしれねぇ、かもな」
自分が踏み込んでいいのかはわからない。それでも、知る権利はあるはず。ミティアは勇気を振り絞った。
「兄さんは、ここで何をしていたの?」
「主に薬の開発だと言っていたな。先天性の病気にならない薬だとか、遺伝子の配列を変える薬だとか立派なものだ。聞こえはいいが、引き取り切れなかった孤児や、身寄りのない人間に投薬して開発された恐ろしい薬だ……」
「治せない病気の人には、いい薬かもしれないですね……」
「ま、ちゃんと開発なんてされるはずがなかったわけだが」
義兄のルッシェナが何を間違ってしまったのだろうか。先を聞くのが怖かった。
「実際は、科学の力を使って世界征服を目論んでいたのかもしれねぇな」
「世界征服……?」
込んだ話から一転し、ずいぶんと漠然なスケールだ。どんなおとぎ話においても、世界征服という話は現実的ではない。ミティアもそう思っていた。
シフは警戒しながら先へ進んだ。ミティアも歩きながら話を続ける。
「世界征服なんて、できるはずがない。何だか、馬鹿みたい……」
「いや、あいつならやるんじゃねぇか?」
「……?」
「あれだけの戦術を身につければ、国の小隊くらいは簡単に潰せるだろう。ま、あいつの武器は戦術だけじゃねぇけど……」
「兄さんが強いのは知っています。でも、それだけじゃないって?」
狩猟に長けているのは知っている。剣もキッドに教えていた。魔法でも使うのだろうか。ミティアは聞いた覚えはない。
「言っただろ、遺伝子の配列を変える薬って。奴は、人間を化け物にしちまう薬を持っている」
「……!!」
ミティアは息を飲み、あまりの恐怖に足がすくんだ。頭では理解している。それでも、人間に……生き物に使うなんて。人道を外れている。もしかしたら、人間ではなく悪魔かもしれないと小刻みに震えた。
想像すると恐ろしい。
シフは曲がり角と天井を見やり、何もないことを確認してからまた話す。
「案外、そういう薬は、薄めて自然に撒かれていたりするのかもしれねぇな。心当たりはあるんじゃないか?」
これまでの旅の道中で何に遭遇しただろうか。狂暴化した野生の動物に行き着いた。
「ま、あいつがやったのか、どっか流したのか、流通させたのか、どっかから漏れたのかは知らねぇけど」
あくまでも可能性であり、シフの推測の話だ。確たる証拠もないまま、こんな話をしても仕方がない。完全に違うとも否定できないが、今は頭の片隅に置いておくしなかった。ここまで聞いて、ミティアはシフに疑いを持った。眉をひそめ、警戒する。
「あの、どうしてわたしにそこまで話してくれるのですか?」
知ってはいけない情報。今まで知らなかった情報。真相に迫れたが、知った以上、身の危険を感じた。ミティアが質問をしたのがいけなかったのかもしれないが、情報量が多い。連れ出す口実で、実はここから出すつもりはなく、話だって冥途の土産だったのかもしれないと警戒した。もっと早くから疑問を抱けばよかった。
やけにべらべらと話すものだから、この人が迂闊なだけかもしれない。
警戒されていると知って、シフは両手を広げる。呆れているようにも見えた。
「言うつもりはなかったけど、俺はそう長くねぇだろからな」
「……?」
ミティアは首を傾げる。シフの表情は険しかった。
「そろそろ俺は消されると思ってる」
「あっ……」
ミティアは俯きながら小さく首を振って、悲痛な表情を浮かべる。ただ一言、「そんなことなない」と励ませるかと思ったが、その補償などどこにもない。気休めにもならない。
義兄が正しい道を歩んでいたら、もっと同志がいるはずだ。
そろそろ驚くばかりで言葉が発せない。ミティアは考えてばかりで疲れてしまった。
「と、まぁお喋りもいいが、ここらで潮時だな」
シフは十字路でどこにも進まず、袖口から魔石を取り出した。何をするつもりなのだろうか。
ミティアが顔を上げて凝視していると、ズシンとした揺れを感じた。
「えっ、今度は何?」
天井に亀裂が走る。亀裂は真上から直進方向へ走った。当然のように崩れる。
「クソが……」
二人は大きく後退する。
ただ瓦礫が落ちて来るだけならどんなによかっただろうか。瓦礫と土埃が視界を奪った。
「な、何……」
「へっ、そうかよ。でかい『ヤツ』だな……」
ミティアは疑問に思った。シフはこの視界でも先が見えている。不思議な人だ。霧のかかった北の山道も、ノックスでの土煙の中でも怯まず動けていた。南の島の部族……機会があったら調べてみようと思いながら、今は目の前にことに集中する。
シフの左手には短剣が見えた。魔石も持っているのに、警戒に警戒を重ねている。
「ここから出ようとするとこうなる。新しい恐怖と絶望でも植えつけさせるつもりなのか。それとも、『誰か』が暴れているか……」
シフの表情に余裕はない。どちらも憶測にすぎないが、この場に確実なんてものはない。視界が回復しかけ、身構えていた。
突然ミティアの視界が揺らいだ。
「えっ、わっ……」
「はぁっ!? お前……!!」
ミティアの周囲だけ床が崩れた。崩れる連鎖は想定していなかった。
無情にも、ミティアの視界は真っ白になった。天井が遠い。緊張続きで疲弊していたのだから、叫ぶ元気などなかった。
シフはミティアを助ける余裕もなく、狭まった足場から移動を試みていた。が、背後の崩れた瓦礫の中で影が正体をあらわした。
「俺だけ仕留めるつもりか、あぁっ!?」
瓦礫の中の影は『人』だった。シフが影の正体を言わなかったのは、このせいである。結果、ミティアが知ることはなかった。話したくても、『これ』を見せたら卒倒するかもしれない。
頭が半分潰れてしまっている『人』だった。しかも体液か血液か、何かを引きずっている。背中からは得体の知れない動きをする触手が見えた。
「冗談キツイな……」
足場が最悪の中、目の前の『人』から逃げる選択肢もシフの中にはあった。だが、逃せば無事かもしれないミティアのもとに行く可能性がある。
「ははは、これでよかったのかもしれねぇ……」
渡したい情報のほとんどはミティアに話した。今のシフにできることは、ミティアの無事を祈るくらいだ。遠くでまた崩れる音がした。
崩れてしまったせいなのか、それとも変異してしまったせいなのか。目の前の『人』は衣服がぼろぼろの状態だった。その中で首からネームプレートらしきものを下げているのが見えた。
研究所でネームプレートを身につけるならば、研究者なのだろう。都合が悪くなれば、処分だってたやすい。
シフにとって、死ぬのは怖くなかった。
誘われたきっかけは『大切な人が生き返る』と、巧みな言葉だったのを覚えている。小さい部族だったのに、黒い龍によって壊滅させられ、津波で島ごと流された。
小さい田舎の村に漂着したときは驚いたが、そこでシフは拾われた。自分から詳しい事情は話さなかったが、部族の生き残りと聞いて目の色を変えられた。邪神龍の持ち主と知らずに手を組んだ。
結局、騙された。ルッシェナは最初から駒がほしかったのだ。
悪事を暴露し、ミティアに託す。彼女は生贄ではなかった。
シフが見たミティアは、誰かの太陽だった。一度、悪に染まった自分にとっては眩しすぎた存在。
どこで道を誤ったのだろうか。どこかで引き返せたはずなのに。
ズルズルと……楽なほうへ。流されているのは、楽だった。
シフにも生き返らせたい人はいた。奇しくも、それは『妹』だった。
もっと早く、違う立場でミティアに出会えていたら、身に降りかかった理不尽から立ち直れたかもしれない。
もう、何もかも遅いが……
ミティアは床が崩れたせいで落ちてしまった。剣が引っかかって直下は防がれた。尻もちを着いたがこれが痛くてたまらない。腰の紐が千切れ、明かりを頼りに体勢を整える。かなりの高さを落ちたのかもしれないが、意識を失うまではなかった。それよりも、お尻が痛い。ほかはどこも怪我をしていないようだ。
ぱらぱらと天井から破片が落ちる。階層が下がったと考えていいが、先ほどよりも明かりが少ない。相変わらず辺りは白い。明かりも少ないが土埃のせいで視界はぼんやりしている。
シフの姿はない。彼はどうなったのか気になるが、また天井が崩れては困る。ミティアは渋りながら、移動を開始した。
誰かを待っている自分から変わらなくては。
生きてさえいれば、きっとまた会えるはずだ。階層を進めば合流できるかもしれないし。と、今は前向きに考える。
壁を伝って警戒しながら通路らしきところを進む。
耳を澄ますと争う音がするが、よく聞こえない。
だが、どんどん大きくなっている気がする。
どこからだろうかとキョロキョロするも、前後左右、方向感覚が狂うほどに真っ白な造りだ。
大きく壁が崩れる音がした。これは近くだ。音の方へミティアは走った。もしかしたら、シフかもしれないという期待もあった。
「この向こう……?」
ミティアは壁に耳を当てる。子どもの声がした。
「邪魔をするなーっ!!」
中性的な声で男女どちらかはわからない。だが、人の声だ。どこかに抜けられる場所はないものか。ミティアはどうしようかと考えていると、目の前の壁が崩れた。
土埃が立ち、子どもが壁と共に床に叩き付けられる。
やはり男女どちらなのかわからないが、緑色の綺麗な髪の毛を左側だけ結ってある子だ。ケープマント、半ズボンにブーツ。両膝を大きく擦りむいている。
遅れてガランガランと金属の杖が床を跳ねた。この杖はサキも持っていたものだ。
「く、くっそぉ……」
「た、大変……」
子どもはミティアの存在に気づき、目を丸くした。
「えっ、どうしてここに人が!?」
ミティアが駆け寄ろうとすると、崩れた壁から見たことのない紫の魔物が出て来た。思わず足が竦んだ。自分の二倍はある体長、大きく爪の見える手、猛獣のような牙にギロリと光る大きな目、唸りを上げている。
「な、何……これ……」
狂暴化した動物どころではない。敵意のある魔物だ。二足歩行だが、その姿はイノシシがブタか。何の動物とも例えづらい。こんな見たこともない魔物と戦えるのかと、ミティアは震え上がった。
子どもがミティアに向かって叫んだ。
「死にたくなかったら、戦うんだ!!」
その声に反応し、ミティアは剣を抜いた。
その間に子どもは杖を拾い、詠唱を始める。
ミティアは魔物が振り上げた手を素早くかわし、足を斬り崩しにかかった。太くて筋肉質な足首をざっくりと斬りつけるが、大きなダメージにつながらない。だが、これだけではない。抜けた後に、横に跳ねながら両腕を斬りつける。
赤くはない黒っぽい血が飛ぶ。魔物が体勢を崩したところを、ミティアが様子を見るべく大きく退いた。ミティアの剣は細く、腕力があるわけではない。大きな敵には致命傷を与えづらい。
絶妙なタイミングで子どもの放った疾風の魔法が斬り抜けた。
「ソニックブレイド!!」
バッスリと上半身を真っ二つにした。魔物は断末魔もなく、崩れて絶命した。
この巨体なのだから、もっとしぶといものだとミティアは思った。
この子が優秀なのだろうか。詠唱時間も短く、鮮やかな魔法だった。魔物を倒した割には不満そうだ。
「まったく、魔石を買ってもらえないんだから、勘弁してよもぉ……」
ミティアは剣を収め、魔法使いの子どもに歩み寄った。
「大丈夫?」
「つか、誰? ここ何だかわかっています? もしかしてモルモット?」
ミティアは質問攻めに遭った。何から答えていいか、わからない。
見た目は子どもなのだが、剣を振り回していたミティアに対して物怖じしないし、魔法も使っていた。とりあえず自己紹介をしようとミティアは目線を合わせる。
「わたしの名前は、ミティア。膝、大丈夫?」
ミティアはポーチからの大判の絆創膏を取り出した。擦りむいているだけで大きな出血はない。杖を握ったままの子の膝を払ってぺたりと貼りつける。
「自分はサテラ。時間稼ぎをしていました」
魔法使いの子どもはサテラと名乗った。ミティアは頷いて顔を覗き込んだ。
「膝は痛くない?」
「これくらい、人間の子どもならしょっちゅうですよね? 痛さはわかりません。千切れてはいないようですが?」
不愛想で可愛げがない。それに、まるで痛覚がないような言い方がミティアには気になった。
「それより、あなたはここで何をしているのです?」
サテラの問いに、ミティアは首を振った。
「何って……わたし、連れて来られたみたいなんだけど」
「あー、やっぱりモルモットじゃん。ごめんだけど、助けてあげられません」
サテラが両手を合わせて去ろうとする。不愛想で可愛げがないのは把握していたが、それだけではなく、やけに薄情な子だ。
はいそうですか、というわけにもいかない。ミティアはサテラのケープを摘まんで、無理矢理足を止めさせる。
「ま、待って、ここから出たいの!!」
「自分にも目的があるのですが……」
「手伝うから、お願い……」
せっかくのチャンスを逃すほど、ミティアも鈍くさくはない。相手が子どものせいだろうか、仲間以上に図々しく食い下がった。
「わたし、魔石、持ってるから、少しあげる!! 途中まででもいいの!!」
「うーん、お父様に怒られちゃうよ。犬じゃないんだからって……」
「お父様? 誰かと一緒なのね。あなたの……サテラ君の邪魔はしないから!」
サテラは名前を呼ばれ、ため息をついた。
「サテラ君、ねぇ……」
「サテラちゃんがよかった?」
「自分、両性体だから、どっちでもいいです」
両性体という聞き慣れない単語に、ミティアは首を傾げた。どういう意味だろうか。ただの子どもに見えるが。
サテラは崩れた壁を跨ぎ、歩き出した。
「サテラ君はここで何をしているの?」
「言ってもわかっていただけないと思うけど、下克上みたいなものです」
「げこくじょう?」
いちいち説明しないといけないのが面倒なようだ。サテラはかまわず先を歩いて行く。
「さっきの魔物みたいなのは何だったんだろう……」
「お姉さん、なーんにも知らないの? お姉さんもあぁなるかもしれなかったんだよ」
サテラが脅すように言い、うっすらと笑みを浮かべる。
「えっ、それってどういう……」
怯えるミティアをよそに、サテラは天井に向かって魔法を解き放った。
「イラプション!」
杖から炎が走った。蛍光灯が弾け、壁と天井を焼いた。そのまま先に進んで壁に向かってもう一つ、魔法を放つ。
時間稼ぎというのは、攪乱のようだ。サテラは魔法を放ちながら逃げるように走って行くのをミティアも追った。
「まっ、こんなもんかな……」
走って来た道に、適度な感覚で壁を壊し、天井を焼いた。手伝うと言ったが、ミティアは何もできない。本当にただついて行くだけだった。
サテラの手際がいいのでさくさく進む。階段だけの場所へ辿り着き、一気に駆け上がる。何かの入り口のような開けた場所に出られた。サテラはこの場所の構造が頭に入っているようだ。
「無事か、サテラ!!」
どこかで聞いた覚えのある声だ。声の方へ振り返り、ミティアは息を飲んだ。金髪でウルフカット、四角い眼鏡にワイシャツ、ネクタイの男性だ。
「お父様、目的は!?」
サテラが呼ぶ『お父様』は、ケーシスだ。ミティアはどういうことだろうかと疑問に思った。
ケーシスはミティアの存在に気がつき、声をかける。
「あんたは……」
「こ、こんにちは?」
「久しいと思ったが、ふぅん……」
ケーシスはネクタイを整えながら、ミティアの顔をまじまじと見つめる。話したいことはお互い山のようにある。
サテラはミティアを連れて来てしまったことを悪く思った。
「すいませんお父様、どうしてもと言うので……」
ケーシスは渋い顔をしながら無精髭の生えた顎を撫でる。
「なるほど。そういうわけか」
ケーシスは眼鏡を上げ、腕を組んだ。
「助ける義理はない、と言いたいが……」
今度はサテラの膝をまじまじと見て大きく頷いた。素足にロングブーツなので、絆創膏が目立つ。
「ちゃんと礼は言ったかサテラ?」
「えっ、いえ、だって……」
ケーシスの問いに対し、サテラが戸惑う。ケーシスからげんこつが下された。
「いぎぎぎぎぅ……」
「しゃーねぇな、今回は助けてやる」
鉄槌に頭を沈めながら、サテラがミティアを見上げる。
助けてくれると言う言葉に、ミティアの表情が明るくなった。誤解を招かないようにケーシスは言う。
「だが、一つ条件がある」
「は、はい……」
ケーシスは人差し指を立て、ずいずいとミティアに迫った。
「俺が裏から引っ掻き回そうとしていたのは知っているな? あんたはしばらく俺と一緒に行動してもらうがいいな?」
「あ、あの……わたし、ここにつれて来られて……みんながいるノックスへ帰りたいです」
ミティアが首を振って拒否した。だが、ケーシスは続けた。
「ここはフィラノスの近く……いわゆる敵地だ。どうしてもあいつらに会いたいのなら、野放しにしてやってもいいぞ。一人でできるならな?」
「そ、そんな……」
聞いたミティアは震え出す。本当に野放しにされるなら、危険だ。ここは黙って条件をのむべきかもしれない。
「お父様、このお方とお知り合いなのですか?」
サテラは気が進まないままだ。根本的な部分ではケーシスに逆らえないようだ。それは『お父様』として慕っているせいなのかもしれない。
ケーシスはいやらしくにやりと笑う。
「息子の将来の嫁、かもしれない姉ちゃんだ」
ケーシスの言葉に、サテラは首を傾げ、そのまま深く項垂れた。
「わかり……ました。お父様が言うなら絶対です。しばらくお世話になります」
サテラは渋々了承した。
ミティアは人質にでもなるのだろうかと怖かった。少なくとも、シフと一緒に行動するよりはいい。シフも悪い人ではなかったが、ケーシスと一緒にいた方が危険は少ないかもしれないとミティアは判断した。
「少し落ち着いたら沙蘭にでも引き渡すつもりだ。俺も時限爆弾を抱えて動けるほど、身軽じゃないからな」
ケーシスはミティアに対し、時限爆弾という表現をした。ミティアは黙っていたが、いい気分ではなかった。
近い場所で爆発音がした。警報が鳴っている。
サテラの魔法がじわりじわりと効いているようだ。
音を聞き、ケーシスが合図をした。
「サテラ!」
「はいっと、テレポート!!」
サテラは杖を掲げた。
ミティアは一瞬体が浮くような感覚に襲われた。
テレポートとは、ここではない場所に強制移動させる上位魔法だ。感覚がおかしくなるのは当然。人によっては立ち眩みや一時的に意識がなくなることもある。
ミティアの目に映ったのは夜の平原だった。サテラとケーシスの姿も確認した。遠くに街の明かりが見える。冷たい風、空気も冷たい。だが、外の空気はこんなにおいしかっただろうかと、あらためて思うこともあった。
「あれは、フィラノス……?」
ミティアは街には行かないのかという遠回しな言葉をかけた。だが、ミティアの言葉は届いていないようだ。
ケーシスはサテラに小銭を持たせている。
「メシと、こいつに羽織るもの買って来い」
「はーい……」
ケーシスにお使いを頼まれ、サテラが再び魔法で姿を消した。ケーシスの人使いが荒い。サテラは何度も魔法を使っているが疲れは見えなかったし、どういうカラクリなのかわからない。少なくとも、ミティアの頭では情報の整理でいっぱいだ。隣にジェフリーや竜次の父親がいるのも、わけがわからない。全部夢で、醒めたら仲間と一緒だったらよかったのに。ミティアは寂しさを覚えた。
「心配しなくても、ガキを抱いたりしないから安心しろ」
話の意図がわからず、ミティアは首を傾げた。ケーシスは、一応気遣っているようだ。
「生憎、俺は指名手配犯だ。今は野宿しかできねぇ。昼間は人が多いから、街中を歩いていても意外とバレないけどな」
現在地は、スプリングフォレストに近い場所。要するに、ここで野宿をするようだ。
ミティアは気が進まないが、仕方ないと割り切る。適当に座るがお尻が痛んだ。両腕を抱えて縮こまる。体は疲れているし、鬱蒼とした森を背後に野宿なんて、落ち着かない。
ケーシスは折り畳みの小さいランタンを組み立て、マッチで火を入れた。
「んで、名前何だっけ?」
「ミティアです。ミティア・アミリト・セミリシア……」
「あぁ、そっち。まぁいいか」
せっかくミティアは名乗ったのに、ケーシスに残念がられてしまった。本名など自分でも知らない。自分の生い立ちもわかっていないのだから。
「ウチの馬鹿息子に加え、サテラも世話になったな」
「いえ、そんな、特別なことはしていません」
「どうだかな……」
ケーシスは待っている時間が気まずくなったのか、腰の巾着袋から平たい板のようなものを取り出し、紙を剥いだ。紙の下からは銀紙が見える。更に銀紙の下からは茶色くてほのかに香るカカオの香り、チョコレートだ。
ケーシスが丸かじりしようとして、ミティアの物欲しげな視線に気がついた。
「すんごい顔するな……」
ミティアは何も言葉にしなかったのだが、ケーシスにはそう見えたようだ。ケーシスは半分に割って渡す。
ミティアは目を輝かせ、子どものような無邪気な笑顔を見せた。
「ありがとうございます!!」
緊張続きで恵まれた甘いもの。パキパキ音を立て、おいしそうに頬張ってもぐもぐと食べている。その何でもない光景に、ケーシスは食べることを忘れ、手を止めて呆れていた。
「うまそうに食うな……全部やるよ」
ケーシスは舌打ちをしながら、残りの半分もミティアに渡した。
そのときのミティアはやっと食べ物を与えられて、必死に食らいつく小動物のようだった。
「モルモットって言うか、ハムスターじゃねぇか。そりゃあ、あいつらが甘やかすだろうな……」
ケーシスは膝に肘をつき、さらに顎を乗せている。こんなに幸せいっぱいに食べる人間を知らない。まるで天然記念物でも発見したように、ケーシスはまじまじと観察していた。
ミティアはわざとらしい演技をしているのではない。文字通り、今を噛み締めて、幸せを感じている。そこに邪念はない。ただただ幸せなだけである。
ケーシスはそんなミティアにかまおうとする。
「どうせもうウチの家庭の事情は知ってるだろうからあえて聞くが、変わった家族だと思っただろう?」
ミティアは頬張ったまま口を窄め、首を傾げている。
その仕草を見て、ケーシスはため息が漏れた。
「こりゃあいつらイチコロだな……」
この小動物みたいな仕草といい、おいしそうに食べる動作といい、要素が多い。変に着飾らなくても、美人だし目も大きくて可愛い。
「別にいいんだが、お前、どうして種の研究所に連れ去られたんだ?」
「わからないです……」
「俺が荒らしに入ることを想定してなのか、それとも、白狼が動くと思ったかってところか……?」
ケーシスはぶつぶつと独り言をぼやきながら、顎の無精髭を撫でた。
「ま、サテラが研究所を叩いてくれたおかげで、俺がシステムを落とせた。しばらくはでかく動かねぇだろう」
「ケーシスさんは何をしていたのですか?」
ミティアは指の舐めながら質問をする。行儀が悪い。だが、ケーシスは注意しようにも可愛い仕草で言う気も失せてしまう。
「気に入らねぇから、ぶっ叩きに入ったんだよ。挨拶しねえとな?」
「本当に種の研究所だったんだ……」
「そうじゃなかったら、変態にでも襲われる場所か?」
質の悪い冗談だ。ミティアはせっかくカロリーを摂取したが、寒気を覚えた。
「民族衣装っぽい格好の……シフって名前の人にさらわれました。もしかして、わたしはあの人に何かされたのでしょうか」
「さっき調べたシフの野郎か。あいつもいつまで踊らされているんだろうな。尽くしたところで死んだ人は生き返らないのに」
「やっぱりあの人もそうなんだ……」
ミティアはようやくシフを信頼した。と、言っても別離してしまった。彼は騙されたとは自分で気づいていたが、引き返せないところまで踏み込んでしまったと悔いていた。
本当は打ち明けて、懺悔することで助けてほしかったのかもしれない。
今から戻ることもできないし、ミティア一人では助けるのも叶わない。思い詰めてもどうしようもないが、ミティアまで後悔してしまった。
ケーシスはそわそわと辺りを見渡す。遅いサテラを心配しているようだが、話を続けた。
「少なくとも、あんたは何もされないだろう。されたとしても、もう一人の王女様を抽出される程度だろうが、移すに適する空っぽの器がない。そんな技術は今さっきぶっ壊して来たがな?」
話していて疑問に思った。確かにミティアの中の、もう一人の存在が鍵となっている。それはクディフが話した限りだが、よく考えれば、その確証はない。
何の根拠もなく、あそこまで言い切るだろうか。あの人も何か知っているはずだ。問題は会う機会はあるか。ミティアは深く考え込んだ。
「兄さんは、わたしが本当に禁忌の魔法を自由自在に使うのを望んでいたの……かな?」
「黒幕の正体まで辿り着いたのに、主目的は知らないんだな?」
ケーシスはミティアをじっと見た。ケーシスの目は、呆れを通り越して哀れを感じる。
「まぁ、知ったら何も信じられなくなる。世の中には知らない方がいいものだってあるから。そういう面倒なのは、ウチの馬鹿息子が片づけてくれるかもしれない」
ケーシスの口からは、教えてくれないようだ。
横顔をよく見たら、ジェフリーにも竜次にも似ている。父親だからそうかもしれな。知らない人と一緒のはずなのに、ミティアは妙な安心感を抱いた。
「サテラさん……君? は、ケーシスさんをお父様とお呼びですが?」
「種の研究所から連れ出してそのまま引き取ったが、『あいつら』には非公開だ。悪いがそう長く持つ体じゃない。『あいつ』もハイブリッド人間だからな」
ケーシスは悲痛な表情を浮かべる。『あいつ』も、とはどういう意味なのか。もしかして、長く持たないというのは自分もそうなのではなかろうか。ミティアは嫌な予感を胸に、質問をする。
「サテラさんは、種の研究所で作られた存在。だけど、先生やジェフリーの義理の弟さん……妹さんですか?」
「まぁ、そうなるな。せめて、名前だけはきちんとさせた。魔力負荷、神族をガキに宿らせているから。長く生きられないのは本人も知っている。あえて息子と変わらない接し方をしているが、それが気に入っているらしい」
ミティアは状況も心情ものみ込めない。どうしてケーシスは平気なのだろうか。
ケーシスは一方的なお願いをする。
「しばらくの間だけでいい。よかったらサテラの面倒を見てやってほしい。俺以外の人と、まともにコミュニケーションがとれねぇ。もしかしたら、買い物だってうまくやれていないかもしれねぇ……」
ミティアはもしかしたら、これがノックスに返してくれない理由かもしれないと思った。サテラが子どもだと思っていたが、そんな理不尽を背負っているとは。知ってしまった以上、放ってはおけない。
「わたしにお手伝いができるのでしたら……」
「助かる。あんたを悪いようにはしない。向こうの動き次第で、こっちも出すモン出して応戦はするし、攪乱も起こすつもりだ。そしたら、沙蘭で安全に迎えを待てるだろう?」
何だろう、話すうちにどんどん気になってしまう。それでも、ここは頷いておこうとミティアは思った。せっかくの厚意だ。ありがたくその言葉をいただいた。
「戻りました」
少し離れた場所に紙袋を持ったサテラが降り立った。
「遅かったな、心配したぞ」
「ごめんなさい、お父様。暖かいものを作ってくれると言っていたので、甘えさせていただきました」
サテラは釣銭と、紙袋をケーシスに渡す。だが、紙袋は突き返された。
「そいつにやれ」
明らかに食べものが入っている袋はミティアにやれと、ケーシスは指示を出す。だが、サテラは反発した。
「お父様! 少しでも食べないと、悪化しますよ?」
「いいからっ!」
軽く口論になっているところ、ミティアが割り込んだ。
「みんなで食べましょうよ。一人で食べているより、きっとおいしいです」
ミティアはサテラから紙袋を取り上げた。
「おかえりなさい、サテラさん」
ミティアはそっと頭を撫でた。サテラは一瞬だけビクッとしたが、頭を撫でられるのがくすぐったいようだ。
「や、やめてよ、お姉さん……」
サテラはケープを乱し、ミティアの手を遮った。
ミティアはその手におこわのおにぎりを持たせる。
「な、何ですか?」
サテラはじっとミティアを見上げる。そのあたりにいる子どもと大差はない。
ミティアはずいずいとケーシスにももの申す。
「ケーシスさんも、ですよ!」
ケーシスと、サテラを引き寄せた。
「いただきます!」
ミティアがにっこりと笑いながらおこわを頬張った。本当においしそうに食べている。
あまりにおいしそうに食べるものだから、サテラが目を丸くしてじっと見ている。
「諦めろ、サテラ。この姉ちゃん、クソおいしそうに食うぞ」
「は、はぁ……」
サテラは呆気に取られている。ケーシスと二人なら、無言で頬張り食べて、おいしいと感想も述べず、会話も交わさない。
食べ終わるとミティアはご馳走様でした、と手を合わせる。
これも、サテラはまねて続いた。先に食べることに気を取られてしまい、サテラはおつかいを思い出した。
「忘れていました。こちらどうぞ。あぁそうだ、お父様にはこれをもらって来ました」
魔法使いのケープを紙袋から取り出し、ミティアに渡す。そのまま羽織った。裏地もついて、暖かい。
ケーシスには紙を渡す。
ギルドの最近の記事だ。今はコーディと一緒ではないため所属していない。ミティアも気になって覗き込んだが、すぐに硬直した。
「えっ……?」
その反応に、ケーシスも納得する記事が書いてある。
『アイラ・ローレンシアを拘束した』
ケーシスは顎の無精髭を弄びながらしかめた顔をし、舌打ちもした。
「サテラ、これいつの記事だ?」
「夕方ですよ。確かこの人、手配書にありましたね。誰が通報したのか、生け捕りにしたのか知りませんが、賞金、がっぽりじゃないですか」
「昨日だったか処刑されちまった奴の妹だ。フィラノスの城で捕まったと書いてあるぞ。ま、助ける義理はねぇんだが……」
「お父様はこの人が嫌いでしたよね」
アイラは怪我が癒えないまま、真相を確かめにでも行ったのだろうか。
「助けなきゃ……」
ミティアが呆然としながら、独り言のように言葉を漏らした。
ケーシスは眉を吊り上げ、ため息をついた。
「正気か? こっちに得なんてねぇぞ」
「この人はサキのお師匠さんなんです。ジェフリーの友だちの……大切な人です!!」
ミティアはどうしてもと悲願する。いくらダメと言われても、これだけは譲れない。
「わたしを野放しにしてもかまいません。一人でも助け出します!!」
「……っくそ、この姉ちゃんは本当に意味がわかんねぇな」
ケーシスは邪険にするが、この熱意に折れそうになっている。ただ折れるわけではなく、考えがあるようだ。
「わーった、どうせしばらく相手の様子見でフィラノスには滞在はするんだ。ついでに手を貸してやってもいい。ただし、姉ちゃんが帰るのに時間がかかっちまうぞ。それでもいいのか?」
ケーシスは条件付きで手を貸すと提案した。今のミティアにとって、これほどの話はない。
「ありがとうございます、ケーシスさん!!」
「一人で突っ込ませるわけにはいかねぇだろうが」
やり取りを見て、サテラが嫌そうな顔をしている。当然の反応だ。
「お父様? こちらに利のない人助けはどうかと思います」
「そうなんだが、この姉ちゃんはお前にとっちゃ儲けどころの話じゃないと思うぞ?」
ケーシスは水を口に含んだ。続いて手の平を口に当て、上を向いた。薬を飲んでいるようだ。
「お父様が言うなら従いますが、仲良くはできないかもしれません」
サテラがミティアを見上げる。彼女は笑み返すが、サテラはため息をつき、呆れているようだ。
ケーシスはサテラに説教じみた言いつけをする。
「お前と同じハイブリッド人間だから、そう言わずに喧嘩はするな。わかったな?」
「お姉さんが、自分と同じ……?」
サテラは渋りながら頷いた。
「はい、それでは、自分は呼び捨てにしてくれてかまいませんので」
諦めているのか、睨み付けているのだろうか、イマイチ表情がわかりにくい。これでも違う反応なのだから。サテラは少しだけ心を開いてくれた。そうなのだと、ミティアは解釈した。両手を合わせ、ニッコリと微笑んだ。
「よろしくね! サテラ」
「は、はぁ……」
ひとまとまりしたところで、ケーシスが手を払った。
「さっさと休め。日が登ったら早いうちから情報収集に行くからな」
サテラは抵抗なく、すぐに横になった。ケーシスはズボンのうしろポケットから手帳を取り出し、ランタンを寄せた。
休めと言われても、この状況で寝るのは難しい。ミティアのお尻はまだ痛むし、草原なのだから虫や動物も気になる。この展開をまだのみ込み切れていない自分がいる。
静けさの中、ミティアは書き物をしているケーシスを凝視していた。
「だからガキは襲ったりしねぇよ。少しでも休んでおけ」
ミティアはその心配をしていなかった。おそらく、この人はそういう人ではない。
見た目は怖いが、聞いていたよりもずっといい人だと、ミティアは個人的に思っていた。こう簡単に信じていいのかわからないが。
サテラはすぐに寝ついてしまった。普段からこんな生活をしているのだろうか。
ミティアは寝息を立てるサテラを横目にしながら、ケーシスに話しかけた。
「あの、どうしてわたしの話をちゃんと聞いてくれるのですか?」
「お願いされたら話くらいは聞く。あんたは教会の子だからなのか、それともあいつの教育が良かったせいなのか、礼儀がちゃんとなってる。そのすっとぼけたのさえなければ、とっくに誰かの嫁になってるだろうな」
話し方はジェフリーに近い。ゆえに、話しやすさを感じた。
サテラの寝返りを見て、ミティアは質問をした。
「わたしも、死ぬんですか……?」
サテラは長くないと先に聞いていた。ならば、自分もそうだろう。
ケーシスは手帳に何か書き込んでいたが、閉じて答えた。
「知らなかったって顔してんな。残念だが俺は気休めなんて言わねぇ。負荷がかかった人間は存在が不安定だからな」
「やっぱりそうなんですね……」
ストレートに言ってくれてありがたい。変に隠されるとつらい。ミティアは隠し事をしないケーシスに好印象を抱いた。
「姉ちゃんのベースは人間だ。年寄りと同じで、徐々に衰退していくパターンだから死期がわかる。サテラは中に何人突っ込まれたかわからねぇから、判断が難しいだろうな。いきなり寝たきりになるかもしれねぇ」
「サテラは助からないんですか?」
「まぁ、その方法も探してはいるけど」
ケーシスが閉じた手帳を煽った。今日は何をしたのか、メモをしたのかもしれない。
自分にも限られた時間がある。だが、横で眠るサテラの方がずっと理不尽でもっと重いものを背負っているのを知った。ミティアはいけないと知りながら、この『親子』を放っておけなくなってしまった。
「ケーシスさん、優しいですね……」
「俺に言わせたら、姉ちゃんの方がよっぽど優しいけどな」
風の冷たさに、ケープを寄せて縮こまった。何で、自分はこんな話をしているのだろう。黙っていればよかったのに、こんなの放っておけない。ミティアは自分にできることで何か助けにならないかと考えていた。食事をとったことで元気になり、考えることに対する意欲が増した。
普通は事情を聞いても自分の目的を優先する。仲間の心配をしていないわけではない。ただ、知ってしまった以上、自分が皆の元に戻れば迷惑をかけてしまうかもしれない考えもあった。長くない命、これを知ったら仲間は何を思うだろう。ジェフリーは何を思うだろうか。
ケーシスは、難しい顔で考え込むミティアにちょっかいを出した。
「姉ちゃん、『どっち』が好きなんだ?」
「えっ?」
「とぼけんなよ。馬鹿息子と長い間、一緒だっただろ? そういうのはないのか?」
強い口調だ。ミティアは両親を知らないからわからないが、親とはこんなものだろうかと疑問に思った。やけにお節介のような気もする。
ミティアが答えないでいると、ケーシスから無言の威圧がかかった。このやり方は誰かに似ている。
「ま、繊細な竜次には汚せねぇだろうからな。いい加減なジェフリーってところか?」
「ジェフリーはいい加減じゃないですっ!!」
ミティアは思わずむきになって、大声を上げて立った。
「あっ……」
恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。寒いのに、顔から煙が出そうだ。ましてやジェフリーの父親であるケーシスだから、恥ずかしさは尋常ではない。
「やめときゃいいのに、あんな奴……」
ケーシスはニタニタと笑う。完全にミティアを弄んでいる。
「悪いが、ジェフリーに期待しない方がいいぞ。理由は性格じゃねぇけど……」
ミティアは座り直すが、その顔は涙目だ。ぐすんと鼻をすすった。
「別にいいだろうが、俺もどうせ長くないんだし」
ミティアの座り直す仕草が止まった。先ほど、ケーシスは薬を飲むような動作をしていた。サテラがケーシスの体調を気遣っていたのも思い出した。
「ケーシスさん……」
「下手したらサテラより早く死ぬかもしれねぇ」
「どこか悪いのですか? このこと、ジェフリーや先生は……」
「迷惑かけたくねぇ。悪いがこれはあいつらに内緒だ。これでわかったな? 俺には時間が限られている」
記憶が正しければケーシスも医者だったはずだ。きっと嘘じゃない。指名手配、お尋ね者、影の世界に生きる人、下手をしたら誰にも知られないまま朽ちる命。
自分とは違う、この人もまた、シフと同じ。誰にも助けてもらえない人だ。
考えたら、苦しくなった。ミティアは縮こまったまま、声を殺して泣いてしまった。
「知らねぇ人間のために泣けるなんて、女神サマだな。自分の心配をした方がいいと思うぞ」
ケーシスは馬鹿にするように鼻で笑う。その次には、腕を組んで俯き、目を瞑っていた。そのままじっと動かなくなった。これで転寝をしているつもりなのだろう。
ミティアは俯きながら考えていた。
「わたしは、どうしたら……」
助けられたのに喜べないし、どうしてこんなに苦しいのだろう。
世界の生贄、禁忌の魔法、背負ったものの大きさ、重さに何度も心を砕かれそうになった。だけど、自分には恵まれた親友や仲間がいた。だが、ケーシスやサテラには誰もいない。こんなにも理不尽なことがあるのだろうかと、心が痛い。
聞いた話を整理すると、自分はまだ時間がある。何とか機会を待って皆と合流したい。そして、得た情報を知らせなければいけない。
ケーシスは迷惑をかけたくないと言っていた。だが、知らないまま死別なんて、ジェフリーたちはきっと後悔する。
助けを求めないといけない。それまで、自分がこの人たちを支えてあげなくては。
いつも、誰かに支えてもらってばかりだった自分が、今度は他の人を支えたいとこんなにも強く思った。
結局、一睡もできなかった。
空が徐々に明るくなるのを眺めている。
今日がはじまる。明日を迎えられなくなるかもしれない二人を両脇に、ミティアは白い息を吐いた。
けだるさを引きずりながら、息をするとカビのような埃と異臭を感じた。
炭鉱の街ノックスで、シフについて行った。
思い出して寒気を感じた。そうだ。自分は今、独りぼっちだ。
誰もいない。仲間も、ジェフリーも。引き離されてしまった。
辺りを見渡すにも、何もあるはずがない。
腰には剣が下がったまま、ポーチもある。自分が何をされたのかわからないが、襲いかかる孤独に押し潰されそうになる。
広がる虚無感。あの場では皆を守るために強気でいたが、時間が経過してから底知れない恐怖に襲われた。泣いても無駄だろう。何とかしてここがどこなのかを把握し、脱出を試みなくては。
しかし、捕まえたのならば、もっと束縛をされて自由を奪われるものだと思っていたのだが、なぜこんなに自由が利くのだろうか。
試されているのだろうか。もしくは束縛をする余裕がなかった。
どちらにしろ、この好機を見逃すわけにはいかない。
壁伝いに何かないか確認する。ここは明るい。天井には蛍光灯が見えた。
何かの施設だろうか。どこかで見た記憶があるが、今は思い出せない。
探索を試みるも、辺り一面真っ白で方向感覚が狂う。壁のつなぎ目を探っていると目の前に光が射した。
一歩下がって様子をうかがうと、頭にターバンのようなものを巻いた人影が見えた。
光が射したのも一瞬、正体は扉だったようだ。光が落ち着くと、鬼のような形相をしたシフを目にした。
「真っ白な空間だ。目覚めも爽やかだっただろうに」
「…………」
ミティアは呼びかけに答えず、顔を伏せた。きっと、嫌な思いをさせられる。みだらなことをされてしまうのだろう。皆を守れたのなら、安い犠牲かもしれない。
思考はマイナスに直下した。
「生贄ちゃんを取って食ってもいいんだが、俺にも目的がある」
シフの声がずいぶんと低い。ミティアは何を要求されるのだろうかと警戒していた。
「さらっておいてナンだが、俺がする質問の答え次第では、ここから出るチャンスをやってもいい」
ミティアは聞き間違いかと思い、目をぱちぱちとさせ、ゆっくりと顔を上げた。シフは白い床に雑に座ってあぐらをかいている。どういうつもりだろうか。
「座らねぇと、スカートの中覗いちまうぞ」
「……っ!!」
ミティアは煽りを食らって、丁寧に膝を折って座った。これは油断させるためのものではないかと、警戒を解かない。
「いやらしいことでもされると思ったのか? 何かの見過ぎだ。一時の快楽のために引き出せる情報が闇の中じゃ、俺も困るんだよ」
「情報……?」
ミティアは眉をひそめながらシフを凝視する。すると、とある『変化』に気がついた。シフが話す前に、ポーチからハンカチを取り出す。ハンカチを握ったまま、シフの頬に触れた。シフは当然、この手を払い除ける。
「何をしやがった!!」
ミティアの握っているハンカチに血が滲んでいる。
「怪我をしていたから……」
警戒は解かない。だが、敵意がないのならこれくらいの『情』はあってもいい。ミティアなりの心遣いだった。
シフは舌打ちをし、渋りながら質問をする。
「あんた、本当に世界の生贄なのか?」
「……」
「あんたが犠牲になれば、邪神龍はもう暴れないのか?」
この質問には答えたくても答えられない。本当にそうなのかはわからない。ただ、邪神龍を二度も倒している。ミティアがどう答えようか迷っていると、シフが質問を変えた。
「じゃあ本当に『禁忌の魔法』は使えるのか?」
「えっ……?」
「って、使えるなら、魔導士とドラグニーを瀕死にした時点で使うな?」
質問をしていたはずなのに、シフは一人で納得していた。路上の商人のように大きく膝を叩き、額に手をついて項垂れる。
そのまま肩で笑った。独特の仕草で、見慣れない。
「ククク……そうか、そうだよなぁ」
シフは何がおかしいのか、狂ったように笑う。下品で、とても不気味だ。ミティアは怪訝な表情をし、顔色をうかがっていた。
「クソが!! 俺はまんまと騙されたな……」
「騙された?」
「そうさ、てめぇも騙されたんだろうな!!」
ミティアはシフが言っている意味がわからず、困惑した。
シフは立ち上がって拳を壁に叩きつけた。ミティアには、彼が悔しそうに見えた。
「あなたは一体……」
「身の上話が聞きたいなら話してやるよ」
シフは笑みを浮かべた。口角が上がることで、口の端に血が滲んでいるのが明らかになった。誰かに殴られでもしたのだろうか。ミティアのハンカチもそうだったが、ノックスで怪我をしていたのなら、そのときに気がつくはずだ。
「俺はシフ・クロイツァー。一年前、邪神龍に沈められた南の島の少数民族の長だ」
ミティアは呆然とシフを見上げている。本当に身の上話をするとは思わなかったからだ。
「言わなくとも、あんたの素性は知っている。閉ざされた村、閉ざされたコミュニティの中で生活していた世間知らずだろう? 知らなくとも、無理はねぇ」
ミティアは馬鹿にされていると理解し、表情を渋めた。これだけに終わらない。
「そうやって縛っていたのは、他ならぬあんたの兄貴だ。血の、つながらない……」
「どうしてそれを……?」
話が急展開を迎えた。嫌な予感を胸に、ミティアも立ち上がる。
「あの野郎はお前さんを学校に通わせて教養を身につけさせ、社会的なルールを学ばせた」
ミティアは固唾を飲んで話に耳を傾ける。何を言っているのか、今ならわかる。
「禁忌の魔法を宿した義理の妹を思いのままにしたいがため、性的虐待で恐怖を与え、絶対服従をさせた。離れたら、一人でやっていけないと……」
「どう、して……」
「楽しそうに打ち明けてくれたぜ。俺の『雇い主』がな」
点が線になった。疑惑が確信へ変わった。ミティアはせっかく立ち上がったのに、膝から崩れ、床に手をつき肩を震わせた。
シフは容赦なく続ける。
「要らねぇ個人情報をべらべらと喋ってくれたぜ。いくら絶望を与えても、禁忌の魔法は意のままに操れなかった。だから一か八か、村に邪神龍を招いたんだとよ。それでもダメだったから、技術を考案したケーシスって野郎なら引き出せるかもしれないってな」
「兄さんは、わたしを研究所から連れ出して、ただ仕方なく一緒に暮らしていたのだと思っていた。生きていくためには、逆らえないと我慢していたのに……!!」
ミティアは歯を食いしばりながら、大粒の涙を零した。いくら零れ落ちても、白い床だ。量などわからない。
「くや、しい……」
「北の山道で奇襲を仕掛けた理由は、知ったからだ。いくら調教しても使うことのなかった禁忌の魔法を、ジェフリーに使ったんだろう? ぶっ殺して、差し出せばあんたはまた使うかもしれない。竜次って奴はケーシスをゆする保険だ」
襲った理由も明確になった。だからといって、今が変わるわけではない。悔しかった。今までずっと騙されて生きていた。本当の敵はずっと側にいた。
知ったからには、この情報を持って帰らなくては。
ミティアはかぶりを振って、顔を上げた。このまま黙っているわけにはいかない。
「兄さんは、今どこに……」
立ち上がって涙を拭った。シフなら居場所を知っている。ミティアとシフは熱い視線がぶつかった。
「あの野郎なら、俺の不始末を拭いに行った」
ミティアはせっかく涙を拭ったのに、しゃくりあげた。シフの不始末、つまり……
「まさか、みんなを……」
「その前に国を一つ手中に収めるとか何とか、ぶっ飛んだこと言っていたけどな。用が済めばそっちに向くだろう。ま、そんな時間は誤差だろうけど」
ミティアは嫌な予感に手が震えた。皆は今、立て直しに必死のはずだ。追い打ちをかけることをされては、ひとたまりもないはず。
意味を理解したミティアは、シフに縋りついた。ここに兄のルッシェナがいないのなら、やることは決まっている。
「お願い、ここから出して!!」
シフはあまりの必死さに、驚倒しそうになった。彼はお願いなどされなくとも、とっくにそのつもりのようだ。
「その怪我、兄さんにやられたんでしょう? その気になれば、あなたは誰か殺せたはず。わたしに乱暴もできたはず。本当はあなた、悪い人じゃない……」
シフは縋りつく手を払って、ニタニタと品のない笑いを浮かべた。
「へっ、一度悪の道に染まった奴はずっと悪のままだ」
彼は諦めるように息をつき、懐から袋を取り出した。中は魔石だった。ポケットや袖口に忍ばせている。
「あいつが狩猟を得意としていたのは知っているな? ここから出ても、お仲間さんが無事とは限らねぇぞ。あんただって、狩られるかもしれねぇ」
「そうならないために……」
「悪いがここは深層だ。外に出るまでには時間がかかる。ここには『ヤバい薬』や実験サンプルがたんまりだ。俺は、あんたのためを思って言うが、抜け出したら、お仲間さんのこたぁ綺麗さっぱり忘れて、クソ野郎から逃げまくった方がいいんじゃないのか?」
シフが言う『クソ野郎』とは、ミティアの義兄であるルッシェナを指す。ミティアがここから出たところで、一人で何ができるだろうかと心配をしていた。
ミティアはこれで「うん」と頷くわけにはいかない。
「わたしは、みんなを信じてる! 帰る場所だもの……!!」
揺るがない覚悟を決めている瞳。シフには、何よりも強く、どこか気高いミティアが輝いて見えた。闇の世界に堕ちて、『悪』となった自分が恥ずかしい。
シフはミティアを連れ出した。
白い廊下と壁が続く。方向感覚が狂いそうだ。
深層と言っていたが、どれだけ広い場所なのだろうか。
「ここはどこなの?」
白い空間を小走りになりながらミティアは質問をする。
先ほどの会話で、『ヤバい薬』や『実験サンプル』と言っていたのだから、ある程度の想像はついたが、これは念のためだ。
シフは足を止め、警戒をしながら答えた。
「ここか? ここは種の研究所だ。悪趣味だろ?」
ミティアも足を止めてしばし考え込んだ。
「怖気づいたわけじゃねぇよな?」
シフはミティアが小難しい表情で考え込んでいるのを不思議がった。
「それとも、懐かしい……か?」
「えっ?」
「あんたはここに幽閉されて、散々弄ばれて、悲劇のヒロインだ」
「そうは思っていないです……」
ミティアは考えていた内容と異なり、悩ましげな反応を見せた。
「場所を気にしていました。ここはフィリップスの地下……なのかなって」
ミティアの疑問は『場所』だった。種の研究所という点は正解だったかもしれないが、それなら仲間を助けに行ける希望がある。
ところが、シフはしかめた表情で気の抜けた声を上げる。
「あぁ? ここぁ、フィラノスの地下研究所だぞ? ここ以外にもあんのか?」
「えぇっ!! フィラノス?」
驚きの声が響いた。
ミティアは場所が見当違いだったのに対し、肩を落とす。目指したいのは炭鉱の街ノックスだ。陸路では二日以上かかる。何か手はないかと考えていた。
ミティアはシフがどうやって自分を連れて来たのかを思い出した。
「魔法で連れて行ってはくれないのですか?」
普通に考えたらかなり図々しい。それでもミティアはシフに食い下がった。
「魔導士と一緒だったなら、勝手は知っているだろうけど、魔法は無限に使えるモノじゃねぇんだぞ」
さらっておいて、情報の交換をして、逃がしてやるまで言っておいて、一体何だったのだろう。情報の交換がなかったら、完全に茶番だ。ミティアは不満を胸に、困惑した。
「どうしよう……」
シフが背筋を伸ばし、ミティアの手を引いた。
「な、何?」
「しっ!! 黙ってろ……」
耳を澄ませて警戒していると、真上の蛍光灯がパンと砕けた。
上を向く前にミティアの視界が覆われる。直後にシフの低い声がした。汗と埃の臭いを感じた。きっと抱きかかえられたのだとミティアは思った。
「あ、あの……ありが、とう?」
ミティアは悪いと思いながら、突き放すように両手を上げた。開けた視界にキラキラと光るものが見えた。大きなものもあるが、蛍光灯の破片だ。
シフはミティアを庇った。
「大丈夫だったか?」
ミティアはシフの呼びかけに頷いた。その直後に別の音がした。床に散った蛍光灯の破片の上にクシャッと嫌な音を立て、異物が落ちた。嫌な音だ。しかも一つではない。
「ひっ!!」
恐怖に震え上がったミティアの口を、シフが手で覆う。騒ぐなというサインだが、やり方がいちいち悪党のようだ。
シフがミティアの視線を追うと、落ちた衝撃で胴体から真っ二つに千切れた虫がひっくり返り、足だけ動いている。その足は何本か折れてしまっているのに動いているし、飛んで行った頭も牙が動いていた。クワガタムシに近いが、大きいし、牙もいくつか生えている。これはまだいい方で、落ちた衝撃で潰れたものも見受けられた。悲鳴を上げても仕方がない。
「クソがっ!!」
シフはミティアを解放してすぐ、虫の残骸を踏み潰した。これがまた嫌な音を立てる。
ミティアは思わず目を瞑って身を縮ませた。
「……ったく、さっきは何ともなかったのによぉ」
ずいぶんと駆除に慣れている。ミティアは疑問に思って質問をする。
「今のって……」
「研究所の薬で変異した虫だろうな」
「薬? 変異?」
この先を聞いていいのだろうか。ミティアは嫌な予感がした。
シフは身に降りかかった破片を払いながら答えた。
「クソ野郎が作ったトチ狂った薬だ。あんたも……俺も、もしかしたらあぁなるかもしれねぇ、かもな」
自分が踏み込んでいいのかはわからない。それでも、知る権利はあるはず。ミティアは勇気を振り絞った。
「兄さんは、ここで何をしていたの?」
「主に薬の開発だと言っていたな。先天性の病気にならない薬だとか、遺伝子の配列を変える薬だとか立派なものだ。聞こえはいいが、引き取り切れなかった孤児や、身寄りのない人間に投薬して開発された恐ろしい薬だ……」
「治せない病気の人には、いい薬かもしれないですね……」
「ま、ちゃんと開発なんてされるはずがなかったわけだが」
義兄のルッシェナが何を間違ってしまったのだろうか。先を聞くのが怖かった。
「実際は、科学の力を使って世界征服を目論んでいたのかもしれねぇな」
「世界征服……?」
込んだ話から一転し、ずいぶんと漠然なスケールだ。どんなおとぎ話においても、世界征服という話は現実的ではない。ミティアもそう思っていた。
シフは警戒しながら先へ進んだ。ミティアも歩きながら話を続ける。
「世界征服なんて、できるはずがない。何だか、馬鹿みたい……」
「いや、あいつならやるんじゃねぇか?」
「……?」
「あれだけの戦術を身につければ、国の小隊くらいは簡単に潰せるだろう。ま、あいつの武器は戦術だけじゃねぇけど……」
「兄さんが強いのは知っています。でも、それだけじゃないって?」
狩猟に長けているのは知っている。剣もキッドに教えていた。魔法でも使うのだろうか。ミティアは聞いた覚えはない。
「言っただろ、遺伝子の配列を変える薬って。奴は、人間を化け物にしちまう薬を持っている」
「……!!」
ミティアは息を飲み、あまりの恐怖に足がすくんだ。頭では理解している。それでも、人間に……生き物に使うなんて。人道を外れている。もしかしたら、人間ではなく悪魔かもしれないと小刻みに震えた。
想像すると恐ろしい。
シフは曲がり角と天井を見やり、何もないことを確認してからまた話す。
「案外、そういう薬は、薄めて自然に撒かれていたりするのかもしれねぇな。心当たりはあるんじゃないか?」
これまでの旅の道中で何に遭遇しただろうか。狂暴化した野生の動物に行き着いた。
「ま、あいつがやったのか、どっか流したのか、流通させたのか、どっかから漏れたのかは知らねぇけど」
あくまでも可能性であり、シフの推測の話だ。確たる証拠もないまま、こんな話をしても仕方がない。完全に違うとも否定できないが、今は頭の片隅に置いておくしなかった。ここまで聞いて、ミティアはシフに疑いを持った。眉をひそめ、警戒する。
「あの、どうしてわたしにそこまで話してくれるのですか?」
知ってはいけない情報。今まで知らなかった情報。真相に迫れたが、知った以上、身の危険を感じた。ミティアが質問をしたのがいけなかったのかもしれないが、情報量が多い。連れ出す口実で、実はここから出すつもりはなく、話だって冥途の土産だったのかもしれないと警戒した。もっと早くから疑問を抱けばよかった。
やけにべらべらと話すものだから、この人が迂闊なだけかもしれない。
警戒されていると知って、シフは両手を広げる。呆れているようにも見えた。
「言うつもりはなかったけど、俺はそう長くねぇだろからな」
「……?」
ミティアは首を傾げる。シフの表情は険しかった。
「そろそろ俺は消されると思ってる」
「あっ……」
ミティアは俯きながら小さく首を振って、悲痛な表情を浮かべる。ただ一言、「そんなことなない」と励ませるかと思ったが、その補償などどこにもない。気休めにもならない。
義兄が正しい道を歩んでいたら、もっと同志がいるはずだ。
そろそろ驚くばかりで言葉が発せない。ミティアは考えてばかりで疲れてしまった。
「と、まぁお喋りもいいが、ここらで潮時だな」
シフは十字路でどこにも進まず、袖口から魔石を取り出した。何をするつもりなのだろうか。
ミティアが顔を上げて凝視していると、ズシンとした揺れを感じた。
「えっ、今度は何?」
天井に亀裂が走る。亀裂は真上から直進方向へ走った。当然のように崩れる。
「クソが……」
二人は大きく後退する。
ただ瓦礫が落ちて来るだけならどんなによかっただろうか。瓦礫と土埃が視界を奪った。
「な、何……」
「へっ、そうかよ。でかい『ヤツ』だな……」
ミティアは疑問に思った。シフはこの視界でも先が見えている。不思議な人だ。霧のかかった北の山道も、ノックスでの土煙の中でも怯まず動けていた。南の島の部族……機会があったら調べてみようと思いながら、今は目の前にことに集中する。
シフの左手には短剣が見えた。魔石も持っているのに、警戒に警戒を重ねている。
「ここから出ようとするとこうなる。新しい恐怖と絶望でも植えつけさせるつもりなのか。それとも、『誰か』が暴れているか……」
シフの表情に余裕はない。どちらも憶測にすぎないが、この場に確実なんてものはない。視界が回復しかけ、身構えていた。
突然ミティアの視界が揺らいだ。
「えっ、わっ……」
「はぁっ!? お前……!!」
ミティアの周囲だけ床が崩れた。崩れる連鎖は想定していなかった。
無情にも、ミティアの視界は真っ白になった。天井が遠い。緊張続きで疲弊していたのだから、叫ぶ元気などなかった。
シフはミティアを助ける余裕もなく、狭まった足場から移動を試みていた。が、背後の崩れた瓦礫の中で影が正体をあらわした。
「俺だけ仕留めるつもりか、あぁっ!?」
瓦礫の中の影は『人』だった。シフが影の正体を言わなかったのは、このせいである。結果、ミティアが知ることはなかった。話したくても、『これ』を見せたら卒倒するかもしれない。
頭が半分潰れてしまっている『人』だった。しかも体液か血液か、何かを引きずっている。背中からは得体の知れない動きをする触手が見えた。
「冗談キツイな……」
足場が最悪の中、目の前の『人』から逃げる選択肢もシフの中にはあった。だが、逃せば無事かもしれないミティアのもとに行く可能性がある。
「ははは、これでよかったのかもしれねぇ……」
渡したい情報のほとんどはミティアに話した。今のシフにできることは、ミティアの無事を祈るくらいだ。遠くでまた崩れる音がした。
崩れてしまったせいなのか、それとも変異してしまったせいなのか。目の前の『人』は衣服がぼろぼろの状態だった。その中で首からネームプレートらしきものを下げているのが見えた。
研究所でネームプレートを身につけるならば、研究者なのだろう。都合が悪くなれば、処分だってたやすい。
シフにとって、死ぬのは怖くなかった。
誘われたきっかけは『大切な人が生き返る』と、巧みな言葉だったのを覚えている。小さい部族だったのに、黒い龍によって壊滅させられ、津波で島ごと流された。
小さい田舎の村に漂着したときは驚いたが、そこでシフは拾われた。自分から詳しい事情は話さなかったが、部族の生き残りと聞いて目の色を変えられた。邪神龍の持ち主と知らずに手を組んだ。
結局、騙された。ルッシェナは最初から駒がほしかったのだ。
悪事を暴露し、ミティアに託す。彼女は生贄ではなかった。
シフが見たミティアは、誰かの太陽だった。一度、悪に染まった自分にとっては眩しすぎた存在。
どこで道を誤ったのだろうか。どこかで引き返せたはずなのに。
ズルズルと……楽なほうへ。流されているのは、楽だった。
シフにも生き返らせたい人はいた。奇しくも、それは『妹』だった。
もっと早く、違う立場でミティアに出会えていたら、身に降りかかった理不尽から立ち直れたかもしれない。
もう、何もかも遅いが……
ミティアは床が崩れたせいで落ちてしまった。剣が引っかかって直下は防がれた。尻もちを着いたがこれが痛くてたまらない。腰の紐が千切れ、明かりを頼りに体勢を整える。かなりの高さを落ちたのかもしれないが、意識を失うまではなかった。それよりも、お尻が痛い。ほかはどこも怪我をしていないようだ。
ぱらぱらと天井から破片が落ちる。階層が下がったと考えていいが、先ほどよりも明かりが少ない。相変わらず辺りは白い。明かりも少ないが土埃のせいで視界はぼんやりしている。
シフの姿はない。彼はどうなったのか気になるが、また天井が崩れては困る。ミティアは渋りながら、移動を開始した。
誰かを待っている自分から変わらなくては。
生きてさえいれば、きっとまた会えるはずだ。階層を進めば合流できるかもしれないし。と、今は前向きに考える。
壁を伝って警戒しながら通路らしきところを進む。
耳を澄ますと争う音がするが、よく聞こえない。
だが、どんどん大きくなっている気がする。
どこからだろうかとキョロキョロするも、前後左右、方向感覚が狂うほどに真っ白な造りだ。
大きく壁が崩れる音がした。これは近くだ。音の方へミティアは走った。もしかしたら、シフかもしれないという期待もあった。
「この向こう……?」
ミティアは壁に耳を当てる。子どもの声がした。
「邪魔をするなーっ!!」
中性的な声で男女どちらかはわからない。だが、人の声だ。どこかに抜けられる場所はないものか。ミティアはどうしようかと考えていると、目の前の壁が崩れた。
土埃が立ち、子どもが壁と共に床に叩き付けられる。
やはり男女どちらなのかわからないが、緑色の綺麗な髪の毛を左側だけ結ってある子だ。ケープマント、半ズボンにブーツ。両膝を大きく擦りむいている。
遅れてガランガランと金属の杖が床を跳ねた。この杖はサキも持っていたものだ。
「く、くっそぉ……」
「た、大変……」
子どもはミティアの存在に気づき、目を丸くした。
「えっ、どうしてここに人が!?」
ミティアが駆け寄ろうとすると、崩れた壁から見たことのない紫の魔物が出て来た。思わず足が竦んだ。自分の二倍はある体長、大きく爪の見える手、猛獣のような牙にギロリと光る大きな目、唸りを上げている。
「な、何……これ……」
狂暴化した動物どころではない。敵意のある魔物だ。二足歩行だが、その姿はイノシシがブタか。何の動物とも例えづらい。こんな見たこともない魔物と戦えるのかと、ミティアは震え上がった。
子どもがミティアに向かって叫んだ。
「死にたくなかったら、戦うんだ!!」
その声に反応し、ミティアは剣を抜いた。
その間に子どもは杖を拾い、詠唱を始める。
ミティアは魔物が振り上げた手を素早くかわし、足を斬り崩しにかかった。太くて筋肉質な足首をざっくりと斬りつけるが、大きなダメージにつながらない。だが、これだけではない。抜けた後に、横に跳ねながら両腕を斬りつける。
赤くはない黒っぽい血が飛ぶ。魔物が体勢を崩したところを、ミティアが様子を見るべく大きく退いた。ミティアの剣は細く、腕力があるわけではない。大きな敵には致命傷を与えづらい。
絶妙なタイミングで子どもの放った疾風の魔法が斬り抜けた。
「ソニックブレイド!!」
バッスリと上半身を真っ二つにした。魔物は断末魔もなく、崩れて絶命した。
この巨体なのだから、もっとしぶといものだとミティアは思った。
この子が優秀なのだろうか。詠唱時間も短く、鮮やかな魔法だった。魔物を倒した割には不満そうだ。
「まったく、魔石を買ってもらえないんだから、勘弁してよもぉ……」
ミティアは剣を収め、魔法使いの子どもに歩み寄った。
「大丈夫?」
「つか、誰? ここ何だかわかっています? もしかしてモルモット?」
ミティアは質問攻めに遭った。何から答えていいか、わからない。
見た目は子どもなのだが、剣を振り回していたミティアに対して物怖じしないし、魔法も使っていた。とりあえず自己紹介をしようとミティアは目線を合わせる。
「わたしの名前は、ミティア。膝、大丈夫?」
ミティアはポーチからの大判の絆創膏を取り出した。擦りむいているだけで大きな出血はない。杖を握ったままの子の膝を払ってぺたりと貼りつける。
「自分はサテラ。時間稼ぎをしていました」
魔法使いの子どもはサテラと名乗った。ミティアは頷いて顔を覗き込んだ。
「膝は痛くない?」
「これくらい、人間の子どもならしょっちゅうですよね? 痛さはわかりません。千切れてはいないようですが?」
不愛想で可愛げがない。それに、まるで痛覚がないような言い方がミティアには気になった。
「それより、あなたはここで何をしているのです?」
サテラの問いに、ミティアは首を振った。
「何って……わたし、連れて来られたみたいなんだけど」
「あー、やっぱりモルモットじゃん。ごめんだけど、助けてあげられません」
サテラが両手を合わせて去ろうとする。不愛想で可愛げがないのは把握していたが、それだけではなく、やけに薄情な子だ。
はいそうですか、というわけにもいかない。ミティアはサテラのケープを摘まんで、無理矢理足を止めさせる。
「ま、待って、ここから出たいの!!」
「自分にも目的があるのですが……」
「手伝うから、お願い……」
せっかくのチャンスを逃すほど、ミティアも鈍くさくはない。相手が子どものせいだろうか、仲間以上に図々しく食い下がった。
「わたし、魔石、持ってるから、少しあげる!! 途中まででもいいの!!」
「うーん、お父様に怒られちゃうよ。犬じゃないんだからって……」
「お父様? 誰かと一緒なのね。あなたの……サテラ君の邪魔はしないから!」
サテラは名前を呼ばれ、ため息をついた。
「サテラ君、ねぇ……」
「サテラちゃんがよかった?」
「自分、両性体だから、どっちでもいいです」
両性体という聞き慣れない単語に、ミティアは首を傾げた。どういう意味だろうか。ただの子どもに見えるが。
サテラは崩れた壁を跨ぎ、歩き出した。
「サテラ君はここで何をしているの?」
「言ってもわかっていただけないと思うけど、下克上みたいなものです」
「げこくじょう?」
いちいち説明しないといけないのが面倒なようだ。サテラはかまわず先を歩いて行く。
「さっきの魔物みたいなのは何だったんだろう……」
「お姉さん、なーんにも知らないの? お姉さんもあぁなるかもしれなかったんだよ」
サテラが脅すように言い、うっすらと笑みを浮かべる。
「えっ、それってどういう……」
怯えるミティアをよそに、サテラは天井に向かって魔法を解き放った。
「イラプション!」
杖から炎が走った。蛍光灯が弾け、壁と天井を焼いた。そのまま先に進んで壁に向かってもう一つ、魔法を放つ。
時間稼ぎというのは、攪乱のようだ。サテラは魔法を放ちながら逃げるように走って行くのをミティアも追った。
「まっ、こんなもんかな……」
走って来た道に、適度な感覚で壁を壊し、天井を焼いた。手伝うと言ったが、ミティアは何もできない。本当にただついて行くだけだった。
サテラの手際がいいのでさくさく進む。階段だけの場所へ辿り着き、一気に駆け上がる。何かの入り口のような開けた場所に出られた。サテラはこの場所の構造が頭に入っているようだ。
「無事か、サテラ!!」
どこかで聞いた覚えのある声だ。声の方へ振り返り、ミティアは息を飲んだ。金髪でウルフカット、四角い眼鏡にワイシャツ、ネクタイの男性だ。
「お父様、目的は!?」
サテラが呼ぶ『お父様』は、ケーシスだ。ミティアはどういうことだろうかと疑問に思った。
ケーシスはミティアの存在に気がつき、声をかける。
「あんたは……」
「こ、こんにちは?」
「久しいと思ったが、ふぅん……」
ケーシスはネクタイを整えながら、ミティアの顔をまじまじと見つめる。話したいことはお互い山のようにある。
サテラはミティアを連れて来てしまったことを悪く思った。
「すいませんお父様、どうしてもと言うので……」
ケーシスは渋い顔をしながら無精髭の生えた顎を撫でる。
「なるほど。そういうわけか」
ケーシスは眼鏡を上げ、腕を組んだ。
「助ける義理はない、と言いたいが……」
今度はサテラの膝をまじまじと見て大きく頷いた。素足にロングブーツなので、絆創膏が目立つ。
「ちゃんと礼は言ったかサテラ?」
「えっ、いえ、だって……」
ケーシスの問いに対し、サテラが戸惑う。ケーシスからげんこつが下された。
「いぎぎぎぎぅ……」
「しゃーねぇな、今回は助けてやる」
鉄槌に頭を沈めながら、サテラがミティアを見上げる。
助けてくれると言う言葉に、ミティアの表情が明るくなった。誤解を招かないようにケーシスは言う。
「だが、一つ条件がある」
「は、はい……」
ケーシスは人差し指を立て、ずいずいとミティアに迫った。
「俺が裏から引っ掻き回そうとしていたのは知っているな? あんたはしばらく俺と一緒に行動してもらうがいいな?」
「あ、あの……わたし、ここにつれて来られて……みんながいるノックスへ帰りたいです」
ミティアが首を振って拒否した。だが、ケーシスは続けた。
「ここはフィラノスの近く……いわゆる敵地だ。どうしてもあいつらに会いたいのなら、野放しにしてやってもいいぞ。一人でできるならな?」
「そ、そんな……」
聞いたミティアは震え出す。本当に野放しにされるなら、危険だ。ここは黙って条件をのむべきかもしれない。
「お父様、このお方とお知り合いなのですか?」
サテラは気が進まないままだ。根本的な部分ではケーシスに逆らえないようだ。それは『お父様』として慕っているせいなのかもしれない。
ケーシスはいやらしくにやりと笑う。
「息子の将来の嫁、かもしれない姉ちゃんだ」
ケーシスの言葉に、サテラは首を傾げ、そのまま深く項垂れた。
「わかり……ました。お父様が言うなら絶対です。しばらくお世話になります」
サテラは渋々了承した。
ミティアは人質にでもなるのだろうかと怖かった。少なくとも、シフと一緒に行動するよりはいい。シフも悪い人ではなかったが、ケーシスと一緒にいた方が危険は少ないかもしれないとミティアは判断した。
「少し落ち着いたら沙蘭にでも引き渡すつもりだ。俺も時限爆弾を抱えて動けるほど、身軽じゃないからな」
ケーシスはミティアに対し、時限爆弾という表現をした。ミティアは黙っていたが、いい気分ではなかった。
近い場所で爆発音がした。警報が鳴っている。
サテラの魔法がじわりじわりと効いているようだ。
音を聞き、ケーシスが合図をした。
「サテラ!」
「はいっと、テレポート!!」
サテラは杖を掲げた。
ミティアは一瞬体が浮くような感覚に襲われた。
テレポートとは、ここではない場所に強制移動させる上位魔法だ。感覚がおかしくなるのは当然。人によっては立ち眩みや一時的に意識がなくなることもある。
ミティアの目に映ったのは夜の平原だった。サテラとケーシスの姿も確認した。遠くに街の明かりが見える。冷たい風、空気も冷たい。だが、外の空気はこんなにおいしかっただろうかと、あらためて思うこともあった。
「あれは、フィラノス……?」
ミティアは街には行かないのかという遠回しな言葉をかけた。だが、ミティアの言葉は届いていないようだ。
ケーシスはサテラに小銭を持たせている。
「メシと、こいつに羽織るもの買って来い」
「はーい……」
ケーシスにお使いを頼まれ、サテラが再び魔法で姿を消した。ケーシスの人使いが荒い。サテラは何度も魔法を使っているが疲れは見えなかったし、どういうカラクリなのかわからない。少なくとも、ミティアの頭では情報の整理でいっぱいだ。隣にジェフリーや竜次の父親がいるのも、わけがわからない。全部夢で、醒めたら仲間と一緒だったらよかったのに。ミティアは寂しさを覚えた。
「心配しなくても、ガキを抱いたりしないから安心しろ」
話の意図がわからず、ミティアは首を傾げた。ケーシスは、一応気遣っているようだ。
「生憎、俺は指名手配犯だ。今は野宿しかできねぇ。昼間は人が多いから、街中を歩いていても意外とバレないけどな」
現在地は、スプリングフォレストに近い場所。要するに、ここで野宿をするようだ。
ミティアは気が進まないが、仕方ないと割り切る。適当に座るがお尻が痛んだ。両腕を抱えて縮こまる。体は疲れているし、鬱蒼とした森を背後に野宿なんて、落ち着かない。
ケーシスは折り畳みの小さいランタンを組み立て、マッチで火を入れた。
「んで、名前何だっけ?」
「ミティアです。ミティア・アミリト・セミリシア……」
「あぁ、そっち。まぁいいか」
せっかくミティアは名乗ったのに、ケーシスに残念がられてしまった。本名など自分でも知らない。自分の生い立ちもわかっていないのだから。
「ウチの馬鹿息子に加え、サテラも世話になったな」
「いえ、そんな、特別なことはしていません」
「どうだかな……」
ケーシスは待っている時間が気まずくなったのか、腰の巾着袋から平たい板のようなものを取り出し、紙を剥いだ。紙の下からは銀紙が見える。更に銀紙の下からは茶色くてほのかに香るカカオの香り、チョコレートだ。
ケーシスが丸かじりしようとして、ミティアの物欲しげな視線に気がついた。
「すんごい顔するな……」
ミティアは何も言葉にしなかったのだが、ケーシスにはそう見えたようだ。ケーシスは半分に割って渡す。
ミティアは目を輝かせ、子どものような無邪気な笑顔を見せた。
「ありがとうございます!!」
緊張続きで恵まれた甘いもの。パキパキ音を立て、おいしそうに頬張ってもぐもぐと食べている。その何でもない光景に、ケーシスは食べることを忘れ、手を止めて呆れていた。
「うまそうに食うな……全部やるよ」
ケーシスは舌打ちをしながら、残りの半分もミティアに渡した。
そのときのミティアはやっと食べ物を与えられて、必死に食らいつく小動物のようだった。
「モルモットって言うか、ハムスターじゃねぇか。そりゃあ、あいつらが甘やかすだろうな……」
ケーシスは膝に肘をつき、さらに顎を乗せている。こんなに幸せいっぱいに食べる人間を知らない。まるで天然記念物でも発見したように、ケーシスはまじまじと観察していた。
ミティアはわざとらしい演技をしているのではない。文字通り、今を噛み締めて、幸せを感じている。そこに邪念はない。ただただ幸せなだけである。
ケーシスはそんなミティアにかまおうとする。
「どうせもうウチの家庭の事情は知ってるだろうからあえて聞くが、変わった家族だと思っただろう?」
ミティアは頬張ったまま口を窄め、首を傾げている。
その仕草を見て、ケーシスはため息が漏れた。
「こりゃあいつらイチコロだな……」
この小動物みたいな仕草といい、おいしそうに食べる動作といい、要素が多い。変に着飾らなくても、美人だし目も大きくて可愛い。
「別にいいんだが、お前、どうして種の研究所に連れ去られたんだ?」
「わからないです……」
「俺が荒らしに入ることを想定してなのか、それとも、白狼が動くと思ったかってところか……?」
ケーシスはぶつぶつと独り言をぼやきながら、顎の無精髭を撫でた。
「ま、サテラが研究所を叩いてくれたおかげで、俺がシステムを落とせた。しばらくはでかく動かねぇだろう」
「ケーシスさんは何をしていたのですか?」
ミティアは指の舐めながら質問をする。行儀が悪い。だが、ケーシスは注意しようにも可愛い仕草で言う気も失せてしまう。
「気に入らねぇから、ぶっ叩きに入ったんだよ。挨拶しねえとな?」
「本当に種の研究所だったんだ……」
「そうじゃなかったら、変態にでも襲われる場所か?」
質の悪い冗談だ。ミティアはせっかくカロリーを摂取したが、寒気を覚えた。
「民族衣装っぽい格好の……シフって名前の人にさらわれました。もしかして、わたしはあの人に何かされたのでしょうか」
「さっき調べたシフの野郎か。あいつもいつまで踊らされているんだろうな。尽くしたところで死んだ人は生き返らないのに」
「やっぱりあの人もそうなんだ……」
ミティアはようやくシフを信頼した。と、言っても別離してしまった。彼は騙されたとは自分で気づいていたが、引き返せないところまで踏み込んでしまったと悔いていた。
本当は打ち明けて、懺悔することで助けてほしかったのかもしれない。
今から戻ることもできないし、ミティア一人では助けるのも叶わない。思い詰めてもどうしようもないが、ミティアまで後悔してしまった。
ケーシスはそわそわと辺りを見渡す。遅いサテラを心配しているようだが、話を続けた。
「少なくとも、あんたは何もされないだろう。されたとしても、もう一人の王女様を抽出される程度だろうが、移すに適する空っぽの器がない。そんな技術は今さっきぶっ壊して来たがな?」
話していて疑問に思った。確かにミティアの中の、もう一人の存在が鍵となっている。それはクディフが話した限りだが、よく考えれば、その確証はない。
何の根拠もなく、あそこまで言い切るだろうか。あの人も何か知っているはずだ。問題は会う機会はあるか。ミティアは深く考え込んだ。
「兄さんは、わたしが本当に禁忌の魔法を自由自在に使うのを望んでいたの……かな?」
「黒幕の正体まで辿り着いたのに、主目的は知らないんだな?」
ケーシスはミティアをじっと見た。ケーシスの目は、呆れを通り越して哀れを感じる。
「まぁ、知ったら何も信じられなくなる。世の中には知らない方がいいものだってあるから。そういう面倒なのは、ウチの馬鹿息子が片づけてくれるかもしれない」
ケーシスの口からは、教えてくれないようだ。
横顔をよく見たら、ジェフリーにも竜次にも似ている。父親だからそうかもしれな。知らない人と一緒のはずなのに、ミティアは妙な安心感を抱いた。
「サテラさん……君? は、ケーシスさんをお父様とお呼びですが?」
「種の研究所から連れ出してそのまま引き取ったが、『あいつら』には非公開だ。悪いがそう長く持つ体じゃない。『あいつ』もハイブリッド人間だからな」
ケーシスは悲痛な表情を浮かべる。『あいつ』も、とはどういう意味なのか。もしかして、長く持たないというのは自分もそうなのではなかろうか。ミティアは嫌な予感を胸に、質問をする。
「サテラさんは、種の研究所で作られた存在。だけど、先生やジェフリーの義理の弟さん……妹さんですか?」
「まぁ、そうなるな。せめて、名前だけはきちんとさせた。魔力負荷、神族をガキに宿らせているから。長く生きられないのは本人も知っている。あえて息子と変わらない接し方をしているが、それが気に入っているらしい」
ミティアは状況も心情ものみ込めない。どうしてケーシスは平気なのだろうか。
ケーシスは一方的なお願いをする。
「しばらくの間だけでいい。よかったらサテラの面倒を見てやってほしい。俺以外の人と、まともにコミュニケーションがとれねぇ。もしかしたら、買い物だってうまくやれていないかもしれねぇ……」
ミティアはもしかしたら、これがノックスに返してくれない理由かもしれないと思った。サテラが子どもだと思っていたが、そんな理不尽を背負っているとは。知ってしまった以上、放ってはおけない。
「わたしにお手伝いができるのでしたら……」
「助かる。あんたを悪いようにはしない。向こうの動き次第で、こっちも出すモン出して応戦はするし、攪乱も起こすつもりだ。そしたら、沙蘭で安全に迎えを待てるだろう?」
何だろう、話すうちにどんどん気になってしまう。それでも、ここは頷いておこうとミティアは思った。せっかくの厚意だ。ありがたくその言葉をいただいた。
「戻りました」
少し離れた場所に紙袋を持ったサテラが降り立った。
「遅かったな、心配したぞ」
「ごめんなさい、お父様。暖かいものを作ってくれると言っていたので、甘えさせていただきました」
サテラは釣銭と、紙袋をケーシスに渡す。だが、紙袋は突き返された。
「そいつにやれ」
明らかに食べものが入っている袋はミティアにやれと、ケーシスは指示を出す。だが、サテラは反発した。
「お父様! 少しでも食べないと、悪化しますよ?」
「いいからっ!」
軽く口論になっているところ、ミティアが割り込んだ。
「みんなで食べましょうよ。一人で食べているより、きっとおいしいです」
ミティアはサテラから紙袋を取り上げた。
「おかえりなさい、サテラさん」
ミティアはそっと頭を撫でた。サテラは一瞬だけビクッとしたが、頭を撫でられるのがくすぐったいようだ。
「や、やめてよ、お姉さん……」
サテラはケープを乱し、ミティアの手を遮った。
ミティアはその手におこわのおにぎりを持たせる。
「な、何ですか?」
サテラはじっとミティアを見上げる。そのあたりにいる子どもと大差はない。
ミティアはずいずいとケーシスにももの申す。
「ケーシスさんも、ですよ!」
ケーシスと、サテラを引き寄せた。
「いただきます!」
ミティアがにっこりと笑いながらおこわを頬張った。本当においしそうに食べている。
あまりにおいしそうに食べるものだから、サテラが目を丸くしてじっと見ている。
「諦めろ、サテラ。この姉ちゃん、クソおいしそうに食うぞ」
「は、はぁ……」
サテラは呆気に取られている。ケーシスと二人なら、無言で頬張り食べて、おいしいと感想も述べず、会話も交わさない。
食べ終わるとミティアはご馳走様でした、と手を合わせる。
これも、サテラはまねて続いた。先に食べることに気を取られてしまい、サテラはおつかいを思い出した。
「忘れていました。こちらどうぞ。あぁそうだ、お父様にはこれをもらって来ました」
魔法使いのケープを紙袋から取り出し、ミティアに渡す。そのまま羽織った。裏地もついて、暖かい。
ケーシスには紙を渡す。
ギルドの最近の記事だ。今はコーディと一緒ではないため所属していない。ミティアも気になって覗き込んだが、すぐに硬直した。
「えっ……?」
その反応に、ケーシスも納得する記事が書いてある。
『アイラ・ローレンシアを拘束した』
ケーシスは顎の無精髭を弄びながらしかめた顔をし、舌打ちもした。
「サテラ、これいつの記事だ?」
「夕方ですよ。確かこの人、手配書にありましたね。誰が通報したのか、生け捕りにしたのか知りませんが、賞金、がっぽりじゃないですか」
「昨日だったか処刑されちまった奴の妹だ。フィラノスの城で捕まったと書いてあるぞ。ま、助ける義理はねぇんだが……」
「お父様はこの人が嫌いでしたよね」
アイラは怪我が癒えないまま、真相を確かめにでも行ったのだろうか。
「助けなきゃ……」
ミティアが呆然としながら、独り言のように言葉を漏らした。
ケーシスは眉を吊り上げ、ため息をついた。
「正気か? こっちに得なんてねぇぞ」
「この人はサキのお師匠さんなんです。ジェフリーの友だちの……大切な人です!!」
ミティアはどうしてもと悲願する。いくらダメと言われても、これだけは譲れない。
「わたしを野放しにしてもかまいません。一人でも助け出します!!」
「……っくそ、この姉ちゃんは本当に意味がわかんねぇな」
ケーシスは邪険にするが、この熱意に折れそうになっている。ただ折れるわけではなく、考えがあるようだ。
「わーった、どうせしばらく相手の様子見でフィラノスには滞在はするんだ。ついでに手を貸してやってもいい。ただし、姉ちゃんが帰るのに時間がかかっちまうぞ。それでもいいのか?」
ケーシスは条件付きで手を貸すと提案した。今のミティアにとって、これほどの話はない。
「ありがとうございます、ケーシスさん!!」
「一人で突っ込ませるわけにはいかねぇだろうが」
やり取りを見て、サテラが嫌そうな顔をしている。当然の反応だ。
「お父様? こちらに利のない人助けはどうかと思います」
「そうなんだが、この姉ちゃんはお前にとっちゃ儲けどころの話じゃないと思うぞ?」
ケーシスは水を口に含んだ。続いて手の平を口に当て、上を向いた。薬を飲んでいるようだ。
「お父様が言うなら従いますが、仲良くはできないかもしれません」
サテラがミティアを見上げる。彼女は笑み返すが、サテラはため息をつき、呆れているようだ。
ケーシスはサテラに説教じみた言いつけをする。
「お前と同じハイブリッド人間だから、そう言わずに喧嘩はするな。わかったな?」
「お姉さんが、自分と同じ……?」
サテラは渋りながら頷いた。
「はい、それでは、自分は呼び捨てにしてくれてかまいませんので」
諦めているのか、睨み付けているのだろうか、イマイチ表情がわかりにくい。これでも違う反応なのだから。サテラは少しだけ心を開いてくれた。そうなのだと、ミティアは解釈した。両手を合わせ、ニッコリと微笑んだ。
「よろしくね! サテラ」
「は、はぁ……」
ひとまとまりしたところで、ケーシスが手を払った。
「さっさと休め。日が登ったら早いうちから情報収集に行くからな」
サテラは抵抗なく、すぐに横になった。ケーシスはズボンのうしろポケットから手帳を取り出し、ランタンを寄せた。
休めと言われても、この状況で寝るのは難しい。ミティアのお尻はまだ痛むし、草原なのだから虫や動物も気になる。この展開をまだのみ込み切れていない自分がいる。
静けさの中、ミティアは書き物をしているケーシスを凝視していた。
「だからガキは襲ったりしねぇよ。少しでも休んでおけ」
ミティアはその心配をしていなかった。おそらく、この人はそういう人ではない。
見た目は怖いが、聞いていたよりもずっといい人だと、ミティアは個人的に思っていた。こう簡単に信じていいのかわからないが。
サテラはすぐに寝ついてしまった。普段からこんな生活をしているのだろうか。
ミティアは寝息を立てるサテラを横目にしながら、ケーシスに話しかけた。
「あの、どうしてわたしの話をちゃんと聞いてくれるのですか?」
「お願いされたら話くらいは聞く。あんたは教会の子だからなのか、それともあいつの教育が良かったせいなのか、礼儀がちゃんとなってる。そのすっとぼけたのさえなければ、とっくに誰かの嫁になってるだろうな」
話し方はジェフリーに近い。ゆえに、話しやすさを感じた。
サテラの寝返りを見て、ミティアは質問をした。
「わたしも、死ぬんですか……?」
サテラは長くないと先に聞いていた。ならば、自分もそうだろう。
ケーシスは手帳に何か書き込んでいたが、閉じて答えた。
「知らなかったって顔してんな。残念だが俺は気休めなんて言わねぇ。負荷がかかった人間は存在が不安定だからな」
「やっぱりそうなんですね……」
ストレートに言ってくれてありがたい。変に隠されるとつらい。ミティアは隠し事をしないケーシスに好印象を抱いた。
「姉ちゃんのベースは人間だ。年寄りと同じで、徐々に衰退していくパターンだから死期がわかる。サテラは中に何人突っ込まれたかわからねぇから、判断が難しいだろうな。いきなり寝たきりになるかもしれねぇ」
「サテラは助からないんですか?」
「まぁ、その方法も探してはいるけど」
ケーシスが閉じた手帳を煽った。今日は何をしたのか、メモをしたのかもしれない。
自分にも限られた時間がある。だが、横で眠るサテラの方がずっと理不尽でもっと重いものを背負っているのを知った。ミティアはいけないと知りながら、この『親子』を放っておけなくなってしまった。
「ケーシスさん、優しいですね……」
「俺に言わせたら、姉ちゃんの方がよっぽど優しいけどな」
風の冷たさに、ケープを寄せて縮こまった。何で、自分はこんな話をしているのだろう。黙っていればよかったのに、こんなの放っておけない。ミティアは自分にできることで何か助けにならないかと考えていた。食事をとったことで元気になり、考えることに対する意欲が増した。
普通は事情を聞いても自分の目的を優先する。仲間の心配をしていないわけではない。ただ、知ってしまった以上、自分が皆の元に戻れば迷惑をかけてしまうかもしれない考えもあった。長くない命、これを知ったら仲間は何を思うだろう。ジェフリーは何を思うだろうか。
ケーシスは、難しい顔で考え込むミティアにちょっかいを出した。
「姉ちゃん、『どっち』が好きなんだ?」
「えっ?」
「とぼけんなよ。馬鹿息子と長い間、一緒だっただろ? そういうのはないのか?」
強い口調だ。ミティアは両親を知らないからわからないが、親とはこんなものだろうかと疑問に思った。やけにお節介のような気もする。
ミティアが答えないでいると、ケーシスから無言の威圧がかかった。このやり方は誰かに似ている。
「ま、繊細な竜次には汚せねぇだろうからな。いい加減なジェフリーってところか?」
「ジェフリーはいい加減じゃないですっ!!」
ミティアは思わずむきになって、大声を上げて立った。
「あっ……」
恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。寒いのに、顔から煙が出そうだ。ましてやジェフリーの父親であるケーシスだから、恥ずかしさは尋常ではない。
「やめときゃいいのに、あんな奴……」
ケーシスはニタニタと笑う。完全にミティアを弄んでいる。
「悪いが、ジェフリーに期待しない方がいいぞ。理由は性格じゃねぇけど……」
ミティアは座り直すが、その顔は涙目だ。ぐすんと鼻をすすった。
「別にいいだろうが、俺もどうせ長くないんだし」
ミティアの座り直す仕草が止まった。先ほど、ケーシスは薬を飲むような動作をしていた。サテラがケーシスの体調を気遣っていたのも思い出した。
「ケーシスさん……」
「下手したらサテラより早く死ぬかもしれねぇ」
「どこか悪いのですか? このこと、ジェフリーや先生は……」
「迷惑かけたくねぇ。悪いがこれはあいつらに内緒だ。これでわかったな? 俺には時間が限られている」
記憶が正しければケーシスも医者だったはずだ。きっと嘘じゃない。指名手配、お尋ね者、影の世界に生きる人、下手をしたら誰にも知られないまま朽ちる命。
自分とは違う、この人もまた、シフと同じ。誰にも助けてもらえない人だ。
考えたら、苦しくなった。ミティアは縮こまったまま、声を殺して泣いてしまった。
「知らねぇ人間のために泣けるなんて、女神サマだな。自分の心配をした方がいいと思うぞ」
ケーシスは馬鹿にするように鼻で笑う。その次には、腕を組んで俯き、目を瞑っていた。そのままじっと動かなくなった。これで転寝をしているつもりなのだろう。
ミティアは俯きながら考えていた。
「わたしは、どうしたら……」
助けられたのに喜べないし、どうしてこんなに苦しいのだろう。
世界の生贄、禁忌の魔法、背負ったものの大きさ、重さに何度も心を砕かれそうになった。だけど、自分には恵まれた親友や仲間がいた。だが、ケーシスやサテラには誰もいない。こんなにも理不尽なことがあるのだろうかと、心が痛い。
聞いた話を整理すると、自分はまだ時間がある。何とか機会を待って皆と合流したい。そして、得た情報を知らせなければいけない。
ケーシスは迷惑をかけたくないと言っていた。だが、知らないまま死別なんて、ジェフリーたちはきっと後悔する。
助けを求めないといけない。それまで、自分がこの人たちを支えてあげなくては。
いつも、誰かに支えてもらってばかりだった自分が、今度は他の人を支えたいとこんなにも強く思った。
結局、一睡もできなかった。
空が徐々に明るくなるのを眺めている。
今日がはじまる。明日を迎えられなくなるかもしれない二人を両脇に、ミティアは白い息を吐いた。
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