トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【7】くずれゆくもの

極限のその先

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 竜次は感覚を研ぎ澄ませた。崩れたとわかったその後、意識は亡くなった。
 音もなく、採掘場の崩れは止まったようだ。倒れ、両足は埋まっているが、すぐに引っ張り出せた。
 あたりは真っ暗で空気が悪い。大きく息を吸うと、喉に土埃が絡みつく。
 手元は不思議なほど温かく、クッションのように柔らかい。
「あ、うん? 何かな?」
「ちょっと、先生!! えぇっ……」
 竜次は嫌な予感がした。どう考えても、今の声はキッドだ。
「あ、あの、先生って、そういう趣味あります?」
「そういう、趣味……」
「野外でいやらしいことをするって意味ですよ」
「い、いえ、どちらかと言うとベッドの方が……って、い、たたっ!!」
 竜次の手首が抓られた。どうやら竜次が得た温かく柔らかい感覚は、キッドの豊満な胸によるもののようだ。
 もちろんキッドは憤慨する。
「早くどいて!」
「み、見えないんですから仕方ないでしょう⁉」
 竜次は体を引いた。だが今度はキッドの足に触れた。
「きゃあっ!! せ、先生、『あそこ』蹴りますよ!?」
 ラッキースケベの欠片もない。ひどい扱いだと竜次は思った。キッドに触れてしまったのだって、意図的ではない。事故だ。
「あの、だから、合意もなくしませんってばっ!!」
「ふーん、じゃあ、合意したらこんな場所でもするんですか?」
「はぁ……」
 こんな状況なのに、竜次は遊ばれている。からかうが正しい表現かもしれないが、そんな男に見られていたのかと思うと気が重い。
「ダメでチャラ男とか最悪な属性ですね」
「あっはっはっ……やば、想像がつかない」
 キッドは独り言もしっかりと拾った。
 スプリングフォレストでもこんな状況はあったが、今回はもっと深刻だ。
 竜次が胸ポケットからペンライトを取り出した。捻ってスイッチを入れる。
「うわぁ……」
 明かりが届かない、広がらない。土埃もそうだが、どんよりとしている。
「どれくらい埋まっているのでしょうか……まずはそこから確認しないと」
「先生、大丈夫ですか?」
「はい?」
 キッドは竜次の顔に触れる。彼女には何が見えているのだろうか。
「血、出てますよ。頭……ですか?」
 竜次はキッドに言われるまで気にしていなかったが、頭頂部が鈍く痛い。
「あ、あの、あたしのせいで……」
「言われるまで気にしていませんでした。多分大丈夫です」
 竜次は道中で頭の怪我が多い。現状で別に何ともないのだ。きっと大丈夫だろう。このときは重要視していなかった。
「て、手当て……」
「ここから出られたら、ね」
 竜次はいったんキッドの手を取らず、遮った。手当てをしている時間が惜しい。
「あなたの方が目がいい……」
 竜次はキッドにペンライトを渡した。
 歩こうにも足が重い。靴の中に大量の砂が入っていた。ひっくり返すとザラザラと音を立てて落ちる。竜次は下を向いて眩暈を感じた。視界が悪いので錯覚だと流す。
「うぅむ、まずいかな?」
 竜次は暗い中、手探りでカバンの中を漁った。水筒を引っ張り出して水を含む。どんな状況なのか、自分で把握できていない。
 気つけ薬を飲もうかと思ったが、暗がりでは危険だ。間違えて違う薬を飲みかねない。水だけにして、しまい直した。
 うっすらとペンライトの光が泳ぐ。竜次も足もとを慣らしてみるが、砂と砂利以外、特に何も落ちていないようだ。耳を澄ませるも、キッドの動き以外には人の気配も感じない。
「先生、ダメっぽいです。完全に塞がれています」
 キッドの声がする。せめて晴れていれば、日の光でも入って来たかもしれないが。
「壁際で少し休みましょう。少しずつ動かないと、また土埃が立ってしまいます」
「残念ですけど、そうですね……」
「闇雲に動き回って、体力を消耗してはいけませんし」
 二人は手探りで壁を突き止め、埃を立てないようにゆっくりと座った。
「あっ、ライト……」
「ずっと電池を交換していないから、そんなに持たないかもしれませんので」
 竜次はキッドからライトを取り上げ、持ち手を捻って消した。そのまま胸ポケットにしまう。離れて座っていたはずなのに、キッドが寄って来た。前にもこういう展開はあった気がする。キッドの体温を腕に感じる。
「私とじゃお嫌でしょう?」
「こういうときくらい、いいじゃないですか」
「……」
 こういうときではないと、くっついてもらえない。頼ってはもらえない。そんな諦めにも似た息を、鼻で笑いながら吐いた。竜次はこの状況で気の利いた励ましの言葉が見つからない。前もそうだった。
 静かで暗い空間。お互いの体温だけが救いだ。だが、それが震え出した。
 キッドはすすり泣いている。竜次は何も言わずに腕を探り、手を握った。
「泣いたら顔が汚れちゃいますよ?」
「あたし、死んじゃうのかな……」
 いつも強気で、ジェフリーと口喧嘩をするし、サキにもダメ出しをする。強気で皆を引っ張っていたキッドが今、隣で泣いている。
「死……か、まだまだやりたいこと、たくさんあったのになぁ」
 竜次はちらりと隣に視線をおくる。もちろんほとんど何も見えない。
「明日死ぬなら何がしたいですか?」
 竜次は気が紛れるように、わざと変な質問を振った。この質問は、いつものセンスのない冗談に似ている。
 なぜかキッドは泣き止み、しゃっくりをするように息を乱した。
「え、明日? じゃあ、今日、今からここで……ですか?」
「ものは例えです。人間は飲まず食わずでも、三日くらいは大丈夫ですよ?」
「三日……」
 いつの間にか、キッドの声質が戻った。
「三日あったら出られるかもしれないですね、なーんだ……」
 キッドは鼻をすすっていたが、少しは元気を取り戻したようだ。竜次のカバンの中には携帯食料も水もある。飲まず食わずだったらという例えもあり、実際はもっと希望がある。
「でも、そうですね、明日死ぬなら、好きな人と過ごしたいかなぁ? なんてね」
「おや、お好きな人がいるんですか?」
 キッドも年頃の女性だ。恋愛経験くらいあるだろう。竜次も興味からの質問だった。
「あたし、ミティアのお兄さんが大好きだったんです」
「それは……悪い質問をしてしまいましたね」
 ミティアの兄は亡くなったと聞いた。無神経だったかもしれない。
「何か、すみません」
「先生だってそうじゃないですか。次に進めるのは尊敬します。今は、ミティアが好きみたいだし?」
「それはそうですが、ちょっと誤解していませんか?」
「えっ? 何が?」
 知らない間に会話が弾んでしまった。あまり話し込んだことがないせいかもしれないが、お互いの想い人の話なんてしないし、女性は好きな話だろう。
 それはそうと、誤解をされていると知り、竜次は弁解を述べる。
「ライクとラブの違いです。ミティアさんは純粋過ぎて、私には汚せません。好きですが、妹みたいに可愛がりたいし、守ってあげたくなりますけど」
 恥ずかしいが、これが本音だ。聞いたキッドはクスクスと笑っている。
「純粋過ぎてって、当たってる」
 状況は変わらない。気の利いた話ではないが、キッドは些細な話に笑っている。
 竜次はこれを好機だと思い、思い切ったことを言った。
「あなただって、強がってばかりじゃなくて、もっと誰かに甘えてください。強いあなたも素敵ですけどね」
 キッドは息を飲んだ。握っている手をビクッと動かす。
「キッドさん?」
 お互いどんな表情をしているのか、もちろんわからない。
「せ、先生、ずるい……」
「え、何が?」
「全部!」
 キッドは明らかに動揺している声だ。
「あたし、魅力なんてないと思ってた」
「それはあなたが決めることじゃない」
「だ、だって……」
 キッドは照れているのか、ぼそぼそと聞こえない独り言を言っている。その独り言がぱたりと止み、キッドは艶っぽい声で言う。
「……クレア」
「はい?」
「あたしの、本当の名前です」
 竜次は反応に困った。知って、どうしろと言うのだろうか。
「先生、鈍いなぁ……」
「えーっと……」
 キッドはため息をついた。呆れているようだ。
「先生、嫌い」
「ゔっ、な、何で……」
 竜次はキッドに冷たい言葉を投げかけられ、手を振りほどかれた。その拍子に右腰のマスケット銃に触れる。そうだ、これがあった。試し撃ちをしていないが、火力の調整、扱いやすさの改造をローズはしてくれた。もしかしたら……。
 竜次は立ち上がろうとした。だが、体の自由が利かない。強烈な睡魔。意識が落ちそうだ。冷たい地面に倒れ込んだ。柔らかくも暖かくもない。
「せ、先生……?」
 手当てを怠ったツケが回ったようだ。キッドの声が遠くに感じる。暗くて、冷たくて、落ちるような感覚。知っている。あの時と同じだ。
 死ぬ間際の何も感じない、押し寄せる闇、孤独、絶望。
「先生、しっかりして! あたしを、あたしを一人にしないで!!」
 声が遠いが泣き声だ。何か聞こえる。

 明日死ぬなら何ができたか。何がしたかったか。
 そんな想像をしたのがいけなかったのだろうか。
 せめて、誰かに認めてもらえるような人間になりたかった。たくさんの人を困らせて、好き勝手に生きて来た。ちゃんとした人間で、いい仕事をした、いい人生だったと思えるような最期がよかった。
 できもしない贅沢ばかりが、無念だ。


 コーディは小さいランタンを取り出して火を入れた。
 物静かな空間。採掘場の入口には運び出し用の一輪車、大きなスコップ、つるはし。
 路肩には山のような石炭、空気は悪いが土煙がどこかから流れている。
「生き埋めとか、エグいよね。ま、お兄ちゃん先生って普段パッとしないけど、窮地ではしっかりしようとするから、案外ちゃんと生きてるよ」
 圭馬の発言はいつも他人事だ。だが、これでも一応は励ましているつもりなのだろう。
「わしらは耳が良いので、何かお力になれればいいのぉん」
 ショコラもついてきた。二人とも頼もしい。
 竜次は、窮地に立たされるとド根性を発揮する。種の研究所がいい例だが、出来る範囲でベストを尽くそうとする。
 連れ去られたミティアが気になるが、今は二人を助けるのが先だ。ジェフリーは抱えきれない状況に苛立ちながら、それでも順を追っていこうと決意した。あれもこれもと手をつけたせいかもしれない。最近は情報が多く、優先すべきものを見失っている。
 気に食わないのはシフとの再戦で、見事なまでの敗北をした。これは挽回したい。
 的確な指示を出していれば、守れたかもしれない。ミティアを助けたくて他の仲間を疎かにしてしまった。ジェフリーはきちんと周りを見なかった責任を感じた。
 こんな経験は前にもあった。スプリングフォレストだ。次はないと思わなければ。
 次に生かすしかない。また、いずれ……。
「おーい、聞いてる?」 
 思いに耽っていたジェフリーに圭馬が声をかけた。ランタンに照らされて把握したが、青白い毛が汚れている。
「いや、ぼさっとしていた。もう一回頼む」
「向こうに空洞があるんだけど、真っ暗なんだ。明かりが遮られるくらいにね」
「ありがとう、他にはないか?」
 すぐに飛びつかず、状況を整理する。他にはなさそうだ。そもそも地図もない。
 採掘場だから、ないのは当然だろう。現場の作業員の頭になら、入っているかもしれない。
「とりあえず調べてみよう……」
「そう。じゃあ、お兄ちゃんが持って」
 しっかりするなら先を託そう。コーディは持っていたランタンをジェフリーに渡す。
 受け取ったジェフリーはコーディと圭馬とショコラの姿を確認し注意をした。
「俺から離れるなよ」
「私、そんなに馬鹿じゃないよ」
 コーディはくすりと笑う。これくらいの返しだと頼もしい。
 圭馬の案内で奥に進んだ。
「のぉん、埃っぽいですのぉん……」
 ショコラが空咳をしている。確かに澱んだ空気だ。
 生き埋めと言っていたが、きっと生きているに違いない。そんなに簡単に死ぬような二人ではないはずだ。手がかりはどこかに必ずある。
 周囲を警戒していたコーディが暗闇で人影を発見した。
「ジェフリーお兄ちゃん、人が倒れてる……」
 コーディが駆け寄ると、何人かの作業服を着た男性が倒れていた。
「炭鉱の人じゃない?」
 圭馬も不思議そうに様子をうかがっている。着崩している人もいるが、だいたい同じような服装をした人が四人も倒れている。ジェフリーがそのうちの一人に声をかけた。
「大丈夫か? 眠ってる……?」
 もしくは気を失っているか、どちらかだろう。医者ではないので詳しくはわからないが、こんな場所に?
「どうする、ジェフリーお兄ちゃん」
 コーディは判断指示を急かせた。だが、ジェフリーはいったん冷静にならなければと焦る気持ちを静める。指示を考えていると、ショコラが首を傾げた。
「この方たちぃ、幻影魔術がかかっておりますのぉん」
 状況が一変し、ジェフリーは手を考える。
 圭馬が案を述べた。
「一、人を呼んで来る。二、いったんここに放置」
 少し離れた意見はありがたいが、少し様子が違う。
 聞いたジェフリーは渋い表情をしている。圭馬は追加で提案をした。
「三、ジェフリーお兄ちゃんが今ここで頑張って、ディスペルを身につける。んで、幻影魔術を解除する」
 圭馬が人間の姿なら間違いなく、にやりと笑っている。やけに具体的な案が出て、コーディとショコラも注目している。
「ボクはお兄ちゃんと契約しているわけじゃない。この魔術だってほっといても半日くらいで解けるだろうから、別に無理はしなくても……」
「いや、やる……」
 雷の魔法は光の魔法に似ている。暗闇を切り開く光、浄化までは辿りつけるかはわからないが、圭馬だって何も考えずに提案しているわけではないだろう。ジェフリーは圭馬の発言は策だと思った。魔術は待てば解除されるかもしれないが、今は一刻も早く救出をしたい。その手掛かりを得るべく、魔術を解きたいと思っていた。
 ジェフリーの意思とは反して、ショコラは悲観的だ。
「でもぉ、ディスペルは力比べですよぉ。主ならまだしも……」
 ショコラが言う『力比べ』とは術主との魔力比べを指す。術主はシフで間違いない。だとしたら、ジェフリーは彼よりも魔力があるだろうか? その疑問に辿りつく。
 圭馬はジェフリーを見上げた。
「お兄ちゃん基礎は身についているんだよね? でも極めてないらしいから、解けるかわからないよ?」
 期待されているようで実はそうでもない。悔しいが、自信もない。きちんと真面目にやっていたわけでもないので、疑いがかかってもジェフリーは文句が言えない。
 コーディも風の魔法が少し使えるが、彼女もきちんと習っていない。普通に考えれば、時間はかかるが、人を呼んで来るのが最善だ。だが、呼びに戻ったとしても、ギルドのハンターは手薄でいなくなっている。助けてくれる人がいない。時間は過ぎる。生き埋めにされたのなら、生存率が下がる。
「一か八かだ、それでも俺にもやらせてくれ」
 成功する保証はない。それでもジェフリーは何もできないのが嫌だった。ただ、それだけだ。
 ジェフリーの決意は圭馬に届いた。協力の姿勢を示す。
「へぇ、覚悟を決めたねぇ。んーじゃあ、今からやるよ。魔石はあるかい?」
「あぁ。全部使ってもいいくらいだ」
 ジェフリーはフィリップスで竜次と買い物をしていた際、一緒に購入した魔石の詰め合わせを見せた。麻の巾着袋に入った魔石を広げて見せる。
「これでいいよ。こんなの持ってるなんて、初心者じゃないね」
 圭馬が指したのは、真っ黒でキラキラした魔石……のようなもの。
「王都でセット購入したから、これが何か知らない。魔石なのか?」
「それ、通称ブースターじゃない?」
 コーディが覗き込んで目を丸くしている。圭馬が黒い石をジェフリーに持たせる。
「そ、魔石の一種だけど。単純に威力を倍にしてくれるお助け道具だよ。あの子が使ったら、山一つ村一つ簡単に消し飛んじゃうと思うよ。魔力解放でボクにあれだけの魔力が供給出来るんだから!!」
 自慢気に言っているが、かなり物騒な物言いだ。サキに持たせるのが怖い。
「さて、精神集中、まずはイメージを描いて……」
 補助が入った。ジェフリーは言われるがまま、目を瞑って精神集中を試みる。さすがに邪念が多い。
 ミティアがさらわれた責任、竜次とキッドが危険な目に遭っている責任、ローズが怪我をした責任、サキが魔力を使い果たして体を壊した責任。
 失ったわけではない。まだ、希望はある。変えてみせる。絶対に……。
 微かだが、足元に風が起きる。不規則ながら、髪が揺れた。
「いい調子だね、僕に続いて詠唱して! 長いから噛まないようにしてね」
 詠唱補助だ。
 圭馬の言葉を追いながら、ジェフリーは思った。記憶が確かなら、サキもフィラノスの大図書館で唱えていた。これを何も見ないで、ましてやすべての魔法を覚えるなんて、頭の容量を疑う。知らない間に額にも背中にも汗が滲んでいる。緊張と、責任と、うまくいくのかと不安が蝕んでいる。こんなものに、何度も耐えられる彼を見直した。
 圭馬の詠唱が止まる。追っていたジェフリーも詠唱を終えた。魔石を握る手が熱い。
「放って!!」
 ジェフリーは大きく息を吸った。魔石が手汗でくっついてしまいそうな勢いだが、前に向かって投げる。
 カンカンと闇の中で乾いた音がする。
「ディスペルッ!!」
 パンッ!! と、大きく弾ける音がした。一瞬辺りが眩しく光ったが、すぐ鎮まった。
 ランタンの光が広がる。先ほどまで、ランタンの明かりが広がらず、埃っぽさもあったが成功した。
 圭馬が飛び跳ねて歓喜する。
「成功だよ、お兄ちゃん!! 初見なのに、すっごいじゃん!」
 コーディの驚く表情がよく見えた。本当に信じられないと言った顔をしている。
「ホ、ホントにやっちゃった……嘘みたい」
 保証もなかったのに、よく信用してくれたものだ。
「俺、成功したんだよな?」
 ジェフリーは額の汗を腕で拭いながら、一息ついた。拭えない汗が肘からも顎からも落ちる。
 視界だけではなく、空気の濁りも消え去った。詰まりそうな呼吸も楽になった。
 倒れていた男性たちが次々と覚醒した。
 お決まりのようにお礼を言われ、ここはどこだと話がはじまる。
「兄貴……金髪のそこそこの顔をした奴と、短い髪の女性は知らないか?」
 詳しく言おうにも、ジェフリーはむず痒くて仕方ない。自分の兄を褒めるようで、鳥肌が立つ。
 作業着の炭鉱マンと、着崩した炭鉱マンが顔を見合わせて言う。
「金髪……酒場でスカウトしたような?」
「この辺りまで、一緒にいましたね」
 抵抗なく答えてくれた。ジェフリーは確信を持った。間違いない。
「この先、か……」
 進行方向に崩れた跡がある。宝石のような青っぽい石が散らばっている。この採掘場の鉱石だろうか。炭鉱マンたちが状況を確認する。
「崩れていやがりますね」
「広範囲だな、ありゃあ……」
「確かぁ、この先でしたよね。浮いちまった場所……」
 視界と空気は晴らせた。だが、障害物は残っている。悔しい。この先に二人がいるかもしれないのに。
 まただ、目の前に、そこにあるかもしれないものに手が届かない。何度このもどかしさを味わえばいいのだろうか。
「何か……何か手はないのか」
 苛立ちが空気を悪くする。ジェフリーが崩れた土砂を睨みつける。
「掘る? 向こうに道具があったけど……」
 コーディも顔色をうかがいながら提案するが、この人数で闇雲にやっても、とは思っているようだ。言いたいことはわかる。
「のぉん……? こっち、風が吹いておりますねぇ」
 ショコラは岩が多い場所に爪を立て、カリカリとさせている。圭馬が一緒になって隙間に顔を入れている。
「あっれー? 火薬の臭いがする?」
「そうですねぇ、鼻がおかしくなりそうですわぁ」
 バンッ!
 二匹が飛びついている穴から大きな音がし、二匹とも揃って飛ばされた。
 大人の腕が通るほどの穴が開いている。
 中から声がした。
「……い、しっかりして!!」
 途切れ途切れだが、間違いなくキッドの声だ。生き埋めになっているのなら、声が通らないのも想像がつく。だが、先に無事を確認したい。
 ジェフリーは大声で呼びかけた。
「キッド!! そこにいるのか!?」
 キッドの声だ。少し遠いが、必死な声が聞こえる。向こう側からは見えていないようだ。
「お願い、早くここから出して! 先生が……先生が死んじゃう!!」
 向こう側から聞こえて来たのは悲痛な声だ。声が伝わる場所が特定できたのか、キッドからの声が聞き取りやすくなった。そのぶん、危機感が伝わった。
「先生! もう立っちゃダメ……やめて、やめて……」
 ただならない状況だ。ジェフリーはコーディに指示を出した。
「コーディ、悪いが博士を引っ張ってでも連れて来てくれ!!」
「オッケー!! トランク、置いて行く。中から必要な物、使っていいから」
 コーディは投げるようにトランクを置き、身軽な状態で地面を蹴り飛んで行った。
 ジェフリーは魔石を手にしたまま、トランクを開ける。
「待ってろ、キッド。今、助ける手段を……」
「先生! 先生ぇッ!!」
 叫ぶ様な大声だ。もはや悲鳴に近い。
 炭鉱マンたちは道具を取りに行った。その遠ざかる足音に耳を傾ける。道具は入り口の付近にあった。悪いが、応援を待っている時間はない。
 さぁ、どうする、自分。
 ジェフリーは手持ちの魔石を触りながら、使い魔二匹を見やった。

 空気が抜け、酸素の心配をしなくていいものになった。
 今まで視界が悪く、澱んでいたものが晴れた。理由はわからなかったが、いきなり視界がよくなった。何か魔法でも解けたかのようだ。
 いったんは倒れた竜次がキッドの声で気力を振り絞り、マスケット銃を岩に向かって放っていた。三発撃って、がっくりと膝を崩した。
 視界が晴れてわかったのが、竜次は顔の左半分ほどを血に染めていた。
 竜次はキッドの静止を振り切り、自身がゾンビにでもなった様な底力を振り絞っていた。その行為は無駄ではなかった。
 信頼している弟、ジェフリーの声がした。安心した。これで、キッドは助かる。安心した竜次は気が抜けてしまった。
「イヤ、先生……先生!」
 叫ぶ声、泣く声、キッドの力強い腕が竜次を受け止める。
 明日死ぬどころではなかった。指先が冷たい。ぼんやりとする。マスケット銃が零れ落ちた。竜次の虚ろな目が捉えたのは、空から射し込むかすかな光と泣き崩れるキッド。
 キッドは竜次の手を掴む。
 背中も頭も暖かい。膝枕だろうか、なんと贅沢な最期だと竜次は勝手に思っていた。
「あたし、あたしはどう、したら……」
「……クレア」
「せん……」
 竜次はキッドの本当の名前を呼び、目を閉じて脱力した。
「う、そ、こんな……こんなっ」
 取り乱しそうだ。いや、もうとっくに取り乱している。キッドは今ここで、自分を庇ってくれた竜次に、何ができるだろうかと考えていた。
 何かしなくてはならない。自分のせいで誰かが死ぬのが耐えられなかった。
「お姉ちゃん! カバンだ、お兄ちゃん先生を助けたかったら、キミも頑張らないと!」
 小さい穴から、圭馬が通り抜けた。転がり込んで、泥だらけだがキッドに走り寄って指示を出す。
「せ、先生のカバン……!」
 キッドは竜次の腰ベルトを外し、カバンを横に置いた。
「えっと、ライト、さっき確か……」
 竜次の胸ポケットからペンライトを引っ張り出し、捻って明かりにした。空から微かな明かりは射すが、薬のラベルが見えないからだ。
「まず、止血! 頭、もう少し上げて。お兄ちゃん先生、タオルとかガーゼを持って歩いてるはずだから絶対にあるよ」
「あった……押さえるわよ」
 キッドが傷を照らす。頭の皮膚が割れている。タオルで押さえつけると、みるみる血を吸って真っ赤になった。圭馬が止血を確認し、カバンの中を覗く。
「ごめん、見るよ。明かりをちょうだい」
 キッドは止血の手を緩めず、ペンライトをカバンに照らす。圭馬は中を見て、水筒と薬包紙に包まれた薬を取り出した。
「ここは埃が多いから手当ては無理だね。これ、きつい臭いがするから気つけ薬だと思う。意識をつなぐ程度だから、治せるわけじゃないけど、意識を這い上がらせる苦い薬のはずだよ。飲ませるんだ!」 
 キッドは包みを受け取り、圭馬に止血の手を渡した。
 キッドは震える手で薬包紙を開く。すると、ムッと鼻を突く臭いがする粉が入っていた。薬草や漢方の類だろう、まともな臭いをしていない。この臭いから、効力がありそうだ。 
 キッドは竜次の唇に触れる。だが、反応はない。先に水を運んでみるも、飲む様子はない。キッドは竜次から何も反応がないのに焦りを感じていた。
 圭馬はキッドを見上げ、アドバイスを試みようとする。
「粉だけでも口に……」
 圭馬が言いかけて、キッドが薬包紙の粉と水を口に含んだ。上を向き、目を瞑って竜次に唇を重ねる。
 これには圭馬も驚いている。
 キッドのやけくそにも思える口移し。それに応えるように、竜次の喉がごくりと鳴った。刺激の強い味なのか、彼の両腕は電気が走ったようにビクッと動いた。
 圭馬は唖然とする。
「あー……ボク、もしかしてすっごいの、見ちゃったかも」
 竜次が目を覚ます。なぜか目に映ったキッドは、口を擦っていた。なぜ気がついたかを把握した。あまりの出来事に、目を逸らした。
「……かった……」
 掠れる声、落ちる暖かい涙。視界に見えた自分の医者カバン。何も変に気を遣うことはない。キッドがしたのは応急処置だ。それ以上でも、それ以下でもない。勘違いをした。照れる必要もないし、目を逸らす必要もなかった。竜次は、自身の勘違いを皮肉に思いながら笑った。
「ははは、あり、がとう……」
 竜次は燻る淡い気持ちを抑え込んだ。それでも気持ちが暖かい。起き上がるのはまだつらい。血が足りてないだけだと想定した。
 目元を整えるキッドは竜次に質問をする。
「あの、あとは何を処置……しますか?」
 竜次は頭に白い羽毛を確認する。これは圭馬だと確信を持った。正直、もう少しこのままでいたいが誤解を生みそうなので指示を出す。
「別の場所に怪我をしていないか、確認していただけますか?」
 ないと思うが、一応確認をお願いした。怖いのは骨折だが、自身で動けたのだからこれ以上の怪我はないと思っている。あくまでも、竜次が把握している怪我の話だ。
 静かな時が流れる。怪我さえなければ、どんなによかっただろうか。

 一方、壁の向こうでジェフリーは助ける手段を考えていた。まだ炭鉱の人たちは戻らない。時間が惜しい。
 コーディが置いて行ったトランクを開けてみると、中は雑多に物が入っている。執筆のネタ帳らしき物が数十冊はある。見はしないが、そっと中を漁った。下着や着替えが無造作に入っているのが気になった。今度、注意しておこうとジェフリーは思った。
「ん?」
 明らかにネタ帳ではない本がある。魔導書のようだ。真新しいビニールのブックカバーがついた深緑の本だ。初心者から中級者向けと補助書きがある。
「風の魔導書?」
 ショコラがぴくりと反応した。ジェフリーが覚えている限りだが、コーディは風の魔法に手をつけたと話していた。だとしたら、ここにあるのは納得する。
「のぉん? もしかして、合成魔法ですのぉん? 圧縮した風を起こすもの、確かに難しいですがありますよぉ……?」
「それは危険じゃないか?」
「ダイナマイトとか、爆弾による発破よりはリスクは少ないと思いますがぁ?」
「具体的には何をやらせたいんだ? 俺はそんなにハイスペックじゃないぞ?」
 今度はショコラに導かれた。魔導書のとあるページを指した。
「やけにうしろのページだな……」
「風と雷の力でどぉんとでっかく抜ける魔法ですのぉん。だから、向こう側は避難しないといけませんねぇ?」
「イメージが浮かばないんだが?」
「即席のトンネルを掘ることが可能なのぉん。圧縮した雷の弾丸を強力な風でぇ……」
「トンネルだと!? やる!! 教えてくれるか?」
 やけにうしろのページ、それは難しいと示す。教科書や参考書もそうだ。
 ジェフリーはショコラにポーチの中を見せる。数ある中から、緑と黄色の中くらいの大きさの魔石を指定した。
「キッド、聞こえるか!?」
「なぁーにぃお兄ちゃん、この昼ドラ、めっちゃいいとこなんだけど?」
 呼んだのはキッドだが、圭馬が応答した。
 圭馬の舐め腐った声に、ジェフリーは助けようか悩むほど揺らいだ。絶対に悪巧みだろう。だが、これはいけない判断だ。すぐにかぶりを振って切り替える。
「ぶっ飛ばしてもいいんだが?」
「聞いていたよ。もう、八つ当たりしないでよぉ、どけってことね、ハイハイ……」
 圭馬はウサギの幻獣だ。耳がいい。そして、賢人ならではの判断で、話が早いのは助かる。
 焦っても仕方ないはわかっているが、あれからキッドがおとなしいのも気になった。それでも今は魔法に集中しなくてはいけない。ジェフリーは気持ちを切り替えることにした。
 ショコラが補助に入る。サキもこういった魔法を使うのだろうか。二色の魔石を使用するのは見た記憶がない。ジェフリーはショコラに従いながら、実はとんでもないことをしようとしているのではないかと疑った。
「いいですかぁ、思い描いてくださいのぉん。風魔法は使いやすいですからね、そこに雷の閃光と速さ、それから爆発の原理をですねぇ……」
 圭馬より難しい説明だ。同時に二つのものを描けと言うのだろうか。当然だが、先ほどよりも難しい。だが、風魔法は扱いやすいと、在学時代に習った覚えがあるする。風と水は人間の生活で触れる機会が多いため、思い描きやすいと……。
 また精神を集中する。こんなことを何回も出来るサキを本当に尊敬する。
 素質はあると言われたことがある。だが、どうせ母親の影響だろう。もしくは、置かれていた境遇のせいで、周囲からのお世辞だと思っていた。
 魔石を握る手がぼんやりと光った。惰性でできることではないはずだ。
「わぁ、圭馬チャンの言う通り、基礎はばっちりですのぉん。それでは詠唱しましょう」
 できるとは思っていなかった。ショコラの様子はいい。
 詠唱はディスペルよりも短いものだった。
「行きましょう、エアプレスなのぉん!!」
 ショコラの合図で、二つの魔石を辛うじて開いている小さい穴に向けて投げる。
「いっけぇっ!! エアプレス!!」
 放つ手から雷をまとった突風が吹き貫いた。足もとが揺らぐ、突風というよりは、無差別に貫く大砲のようだ。ジェフリーの基礎魔力はそんなに高くはない。ましてや、不安定な雷の属性がベース。そして、何といってもブランクがある。
 遠くで爆発音がしたが、小さかった。どこまで貫通したのだろうか。
 大人が通れるくらいの大穴が開いた。ランタン光がさらに広がった。絶妙なタイミングで炭鉱の人たちが戻って来たが、すでに遅い。
 ひと仕事終えたジェフリーの額から汗が滴る。もう一発やれと言われたら、無理と言い張っていい。
 圭馬が声をひっくり返しながら、耳をぱたぱたとさせている。
「うっそぉ、ジェフリーお兄ちゃん……?」
 圭馬のうしろでは、キッドが竜次を抱えている。
 なるほど。圭馬が『昼ドラ』と表現したのはこれか。ジェフリーは納得した。
「悪い、邪魔したな……?」
 だいたいの想像はついたが、キッドは顔も手も真っ黒にしている。竜次にいたっては、顔の左半分が真っ赤だ。ある程度の手当てを受けているようだった。
 ジェフリーは少し遠慮がちに歩み寄った。竜次が安堵の息を漏らしながらジェフリーを見上げている。
「また死に損なった……」
「死にたいなんて、思っていないくせに」
「ジェフ……」
 力なく笑う竜次。少し眠そうな表情だ。
 安心したのか、キッドは泣きながら肩を揺らした。
「おにーーーちゃーーん!」
 コーディの声だ、バタバタと足音がする。少しうしろを、左脇を抱えながらローズが走って来る。白衣はほんのり赤いままだ。
「コーディ、博士も……」
 走ってくるなり、ローズが竜次に駆け寄った。
「な、何てひどい怪我……処置は?」
 ローズは息を切らせている、整えもせずにキッドに質問をした。
「キッドちゃん、怪我はないですか?」
「あたしは平気です。先生が、守ってくれました。止血と、ひどい味がする薬を飲ませただけなので……」
 キッドの言葉に、ローズとジェフリーが眉間にシワを作った。

 ひどい味がする薬を飲ませた。
 ひどい味がする……。

 なぜキッドが味の話をしたのか、脇のカバンと水筒。だいたいの察しがついて、眉間にシワを作った二人が顔を見合わせた。
 楽しそうな圭馬の様子がさらに確信の色を増した。
「……痛み止め注射しますネ?」
 ローズはさらりと流し、胸ポケットから注射器と瓶を取り出した。
 その後、動かして大丈夫な処置をし、ジェフリーが宿まで手を貸した。 
 炭鉱の人たちは、ジェフリーが吹っ飛ばした現場を慣らす作業にかかるようだ。
 戻る際中、キッドはこの場にいない人を気にしていた。
「あの子は? ミティアも……」
 ジェフリーはどう答えようか迷っていた。
 竜次が力なく言う。ジェフリーの顔を見て、何かを感じたようだった。
「サキ君なしでこの子たちがいるのです。ローズさんもお怪我をされている。つまり、何かあった。そうですね?」
「……あとで、話す」
 竜次はショコラと圭馬しかいない時点で、ある程度のことを察したようだ。
 ジェフリーは気持ちを汲み取ってくれた竜次に感謝をした。あとで話すことを約束し、この話をいったん伏せた。
 
 話しづらい。だが、これは絶対に逃げてはいけない。
 諦めない。

 欠けていい人なんていないのだから。
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