トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

文字の大きさ
上 下
37 / 56
【6】思惑

チェンジ ザ チェイン

しおりを挟む
 王都フィリップスのローズの家。
 朝から情けないすすり泣く声が響く。震える毛布、整わない金髪。
「もぅ、お医者さんが風邪をひいてどうするんですか?」
 キッドは呆れていた。ベッド脇に跨げる木の椅子を持って来て、看病をしている。
 熱を出して寝込んでいるのは、『お医者さん』の竜次だ。咳はないが鼻詰まりがひどく、こもった声をしている。王の器を持つ者だから泣けない、そう育てられたと言っていたのに、とあるきっかけにより涙腺はもろくなってしまった。
「ジェフの風邪、もらっちゃいました、ひどいです……」
「いや、泣かなくてもいいような気がしますが?」
「みんな出かけちゃったんですよね? この街にはいい思い出がありませんけど、またよくない思い出が増えちゃうじゃないですか。こんなの悲しいです……」
 キッドはローズから薬を預かり、渡した。あとは放って寝かせてもいいと思っていたが、竜次はキッドに話し相手をお願いした。
「ぐずっ……話し相手をしてもらえますか?」
 キッドは困惑し、言い訳を考える。
「話し相手なら、あの子がいいかも。ローズさんと本を見ていましたが呼びます? つか、あたしは別にいいか」
 放っておこう。地下の書庫に籠っているサキが話し相手をした方が適任だろう。キッドはそう判断をした。ところがキッドが席を立とうとすると、竜次は腕をつかんで引き止めた。
「えぇっ……」
「一人にしないでください。寂しいです……」
 弱りきった竜次が、急に子どものようなわがままを言う。
 キッドは呆れながら座り直した。
「しょうがないなぁ。先生はこの街、知っているんですか?」
 キッドは水差しからコップに水を入れて差し出した。一階以外に水道が引かれていないので、こうして持って来るしか手段がない。古い宿なのだから、不便はある。
 竜次はしょんぼりとしながら窓の外を見て言う。
「知っているも何も、この街でお医者さんになりましたので……」
「へぇ、いっぱい勉強したんでしょうね。あたしは文字を読むのも怪しいのに、すごいじゃないですか」
 竜次は上半身を起こして水を口にする。
 熱で汗をかいたせいで、髪はほつれ、ベタついた首を緩めている。
「ん? 私、この街で彼女を亡くしましたし、自分で死を選んだのもここでして……」
「……は?」
 キッドは降られた話の内容が重苦しいもので、頭の中で処理ができなかった。だがミティアのように泣くはずもなく、驚きはしているが反応は淡白だ。
「先生って寂しがり屋さんですか?」
 キッドは意外な反応をし、首の後ろを掻く。
 竜次は首を傾げる。この指摘は自分のためになるものだと察した。
「寂しがり屋……そう、かも。孤独は苦手でして……」
 孤独に弱い自覚はある。だが、指摘を受けたことはない。
 キッドはまた質問をする。
「今も精神的に病んでます?」
「い、いえ、それはないです……」
 どっちが医者だろうか。竜次は自分がカウンセリングを受けている気分に陥った。思えばキッドとこんなに話す機会はなかった。
「キッドさんは前向きなんですね」
「前向いてないと、やっていけませんよ」
 キッドはへらへらと笑う。どこかに悲しみを秘めながら、自分を憐れむようだった。
「あ、キッドさんは特殊な力をお持ちでしたよね」
「はい。そのせいで魔導士狩りが起きたらしいです。あの子のお師匠さんから聞きました。嫌な話ですよね……」
 キッドは責任を感じているだろう。その想定はすぐについた。竜次は悪いことをしたと詫びた。さすがに申し訳ない。
「すみません、無神経で……」
 自分が実際に体験したものではない。ただ、弟のジェフリーが当事者であり、人生の分岐点であったのは間違いない。何を言っても励みにならないだろう。これは話の地雷を踏んでしまったと竜次は思った。
「あの子も、あいつも、あたしは悪くないって言ってくれたんで、大丈夫です! あたしはこれから、自分ができることをやります」
 キッドは驚くほど前向きだった。彼女が言う『あの子』はサキ、『あいつ』はジェフリーを指す。当事者たちで話し合ったのだろうと予想がついた。
 文字が読めない、教養がない。明らかに竜次とは違う。
 竜次は沙蘭の国のために英才教育を受け、剣術も身につけた。キッドは自分にはないものを持っている。足りないものを自身でなくそうとしている。彼女は自分とは違って強い。差を感じた。弟のジェフリーが口には出さないが、信頼をしている理由が理解できた。
「参ったなぁ……」
 自分の存在が小さく思えた。竜次は鼻をすすりながら首を振った。
 キッドの話し相手という名の指摘は続く。
「先生って意外と抜けてますよね。あたしは平気ですけど、ほかの人だったら怒るかもしれませんよ?」
「えぇっ、しっかりしてるつもりなんだけどなぁ……」
 竜次は素が出ていることに自分で気がついた。猫を被った丁寧語が消えている。それはごくごく自然で、意識したものではない。
 キッドは空になってしまった水差しを持って腰を上げる。
「変な先生……お水と食べるもの持って来ますね」
 手を振り、キッドは階段を下りて行く。
「変な先生……か」
 竜次がしばらく待っていると、キッドは水と即席のチーズソースを混ぜたパスタを持って来た。
 なぜだろう、キッドをもっと知りたくなった。竜次は、奇しくも風邪をうつしたジェフリーに感謝をした。

 街中は品のある賑わいを見せていた。
 規則正しい並び、店、家もそうだ。石橋もあって景観もいい。城もあった。大きな学校らしき建物もある。
 コーディが気を遣いながら先を歩いた。うしろを歩くのがミティアとジェフリーだからだ。邪魔ではないかとそわそわしていた。
 ジェフリーはミティアと他愛のない話をする。
「その服、いいな。どうした?」
 ミティアの服が昨日までとは違う。時期的にも寒くはなった。もう半袖で過ごすのは不便ではある。長い袖と長いスカートのワンピースに長いブーツ。さわやかな水色に濃い青が何かを意識させる。
 指摘を受け、ミティアはにこやかに答えた。
「昨日、買い物に出たとき、先生に見繕ってもらったの。もうボロボロだし、寒いから変えましょうって」
「兄貴が?」
 竜次にこんなセンスがあったとは意外だ。ジェフリーは複雑な気分に陥った。なぜなら、事前に相談がなかったからだ。しかもミティアによく似合っていて可愛い。
「もしかして、おかしいかな?」
「い、いや……かわい、い……」
 いざ感想を言うのは恥ずかしい。ジェフリーは小声になり、ミティアから目を逸らした。もちろんミティアはそれを放っておかない。
「え? なぁに?」
「べ、別にいいだろ!!」
 仲のいい会話だ。前を歩くコーディは気を紛らわす手段が街か空を眺めるしかなく、居心地が悪かった。
 行く先はギルドだ。仕込みの時間なのか、ギルドの隣のチーズケーキ屋さんから甘い香りがする。
 ギルドは内装が整い、依頼書の張替えが行われていた。コーディが、カウンターに顔を出すと、顔馴染みの老人が対応した。二人はその様子をうしろで見ている。
「この前の依頼、ちゃんと済んだよ」
「あぁ、ありゃあアイラさんの依頼だったみたいだねぇ。ちょっとだが、お金が出ているよ」
 礼のつもりなのだろうか。あのあとアイラがギルドに立ち寄ったと聞いて安心した。
 コーディは手帳に受け取りのサインをしている。このサインを確認し、ギルド印を押してもらうことで、報酬の受け取りまでが完了し、一つの依頼が終わったことになる。二重のチェックが入るあたりはアナログだが、チェックが厳しいのはお金が絡むためだ。
 老人はギルドの中に人が少ないのを確認し、封筒を差し出した。
「何これ? 金印……ヒマワリ?」
 コーディは封筒を持ち、眺めている。ヒマワリの金印が目を引く。
 ギルドの老人は小声で言う。
「フィリップスのお城から、直々の手紙らしいよ。お前さんたちは英雄だし、種の研究所に行ったんだよね?」
 コーディはピクリと反応した。それからうしろの二人を振り返った。
 ギルドの老人は顎に手を添え、悩ましげだ。
「おそらく功績を称え、お招きがしたいんじゃあないかな?」
 探っているのを勘づかれた。いや、その判断はまだ早いかもしれない。コーディは小さく頷いた。
「そう、光栄ね。考えとく」
 コーディは平然を装いながら、ほかにめぼしい話題や依頼がないか目を通していた。
 相変わらず、炭鉱の街ノックスはゴールドラッシュのようだ。ギルドの賞金稼ぎがノックスに集中してしまったため、どうしてもほかの依頼が片付かずに手薄になっている。
 少し流れが変わってきたのか、行方不明者の捜索や、ノックスで発掘された魔鉱石による悪影響の話題が見えた。これから立ち寄ることはあるだろうか。
 目を引いた依頼は、フィリップスの東の森で魔法実験の手伝いだ。とりあえずいくつか行く候補は挙げてもいいかもしれない。どこに情報がどこにあるか、ここから先はほぼ手探りだ。
 依頼書と噂話の写しをもらって三人はギルドをあとにした。
 ギルドを出てすぐ、コーディは二人に言う。
「フィリップス城にお招きの話、お兄ちゃん先生に話してみるね。多分、お兄ちゃん先生とジェフリーお兄ちゃんに任せる形になると思うけど」
 竜次はともかく、ジェフリーにも話の参加を迫る。ジェフリーは考え込んだ。
「兄貴はともかく、俺はお偉いさんとは関係ない。王になるような英才教育も受けていないし、第一、俺に何の関係が……」
「でも、もし王族と会わないといけなかったら、お兄ちゃん先生だけじゃ危険だと思わない?」
 コーディの指摘は鋭い。ましてや、ジェフリーと竜次は悪名が広がったケーシスの肉親なのだから、これから危険はつきものだろう。
「どうせ夜にこれからの会議をするんでしょ? 早く帰って、お兄ちゃん先生に相談してみるね!」
 コーディはジェフリーたちの返事を聞かず、焦りながら駆けて行った。
「あぁ、コーディ!」
 ジェフリーが呼び止めるが、コーディはそそくさと飛んで行ってしまった。まるで逃げるようだ。
 
 話の雲行きが怪しい。万が一、謁見するのならば、失礼がない意味で竜次はいいかもしれない。沙蘭の親書もまだ持っているはずだ。
 だが万が一、フィリップスも敵だった場合、勇者から一転して全国指名手配だ。
 魔法無効能力者のキッドも、生贄候補のミティアも無事では済まされないだろう。
 キッドに準じるサキも、研究所の元研究員ローズも、ケーシスの肉親のジェフリーも竜次も、情報を知ったコーディも、全員が処分の対象と見られる覚悟をしなくてはいけない。ジェフリーは考え過ぎだとかぶりを振った。
 つながってしまった関係だ。今から誰かを切り捨てるなんて、見捨てるなんてしたくはない。

「ねぇ、ジェフリー? 大丈夫?」
 ジェフリーは難しく考え、表情に出てしまったようだ。ミティアは顔を覗き込み、心配している。
「いや、何でもない。何か食うか?」
 わざと違う話題を振った。ジェフリーはミティアの反応を待った。
 ミティアは首を振らなかった。いつものように食べものの話に目を光らせない。何か気になるのだろうか。
 ジェフリーはミティアの表情が暗いと感じ、思わぬ提案を持ちかける。
「俺と歩くか? 綺麗な街だし」
「えっ、それってつまりデート……」
「そうとも言うか……」
 浮かない表情だったミティアは頬を赤らめ、はにかんだ。食べるよりも、一緒にいる時間がほしかったようだ。弾ける笑顔と共に、腕を組んだ。昨日の今日で、やけに積極的だ。年頃の女の子ならこんな表情をするかもしれない。
 ないと思いたいが、仲間の誰かに目撃されないか。ジェフリーは気が気ではなかった。

 小一時間も歩いて、軽い運動にもなった。買い物をする店の目星もついたし、困らない買い物をして帰ろうとする。
 あと一本裏通りを抜ければ商店街という手前、ミティアが足を止めた。
 必然的にジェフリーも足が止まる。ミティアは腕を解いた。
「どうした?」
「…………」
 ミティアの視線の先に男性が立っている。ジェフリーの声がミティアに届いているかは怪しい。なぜなら、彼女は凍りついたように顔を強張らせていたからだ。
 新たな刺客でも赴いたのかと警戒したが、男性は歩み寄って笑顔を見せた。
「やぁ、ミティア。無事だったんだね」
 ミティアは反射的に身を引いた。応答せず、唇を噛んでいる。
 男性は赤茶色の短髪、ガタイはしっかりとして灰色のコートを羽織っていた。年は二人よりも少し上か、笑顔のせいで若いように思える。服装も清潔感があり、爽やかな印象だ。ただ、両腕の袖口から、包帯が見受けられた。怪我をしているようだ。
 ミティアを知っている様子だが、彼女は無言を貫いた。
 ジェフリーはミティアの顔を覗き込んだが、これにも反応しない。
 男性はジェフリーに向かって言う。
「お友だちかな? 初めまして」
「どうも……」
 軽く会釈するも男性の笑顔がどうも薄い。上っ面だけの笑顔のようだ。その原因は黙っていたミティアが放った一言だった。
「兄さん……」
 ミティアの口から『兄さん』と発せられた。ただならぬ空気だ。ミティアはまるで幽霊にでも遭遇したように怯えていた。
 ジェフリーは驚いた。ミティアの事情を知ったのは、マーチンを出るときだ。住んでいた村は壊滅してしまい、彼女も怪我を負っていた。生きていたなんて思いもしなかっただろう。感激したのだろうか。義理の兄だったとしても、何年も一緒に生活していたのだから、再会を泣いて喜んでもいいはずだ。
「村を襲われた際に大怪我をしてね。移住先を探していたんだ」
「そう、なんだ……」
「いろいろあったんだろう? また一緒に暮らせるように努めるよ」
「……うん」
 ミティアはぎこちない返事だ。どうも違和感を覚える。
 ジェフリーが旅路で得た記憶と情報を掘り出そうと試みると、ルッシェナから強めの口調で質問が放たれた。
「そこのお友だち、ミティアに何もしていませんよね?」
 この質問に何の意味があるのだろうか。意図がわからない。ジェフリーは威圧を感じた。ここは上っ面の笑顔のお返しをお見舞いした。
「俺は一緒に行動しているだけだ。心配しなくてもボディガードみたいなもんさ」
 身近にいい子ぶって猫を被った兄がいる。嘘を交えて真似たが、遭遇してから笑いもしなかったミティアが微かに笑みを浮かべていた。
 いい嘘だったようだ。
 ルッシェナは眉をひそめた。不快に思わせたようだ。だが、それも一瞬、笑顔で両手を広げて大袈裟に笑った。
「はははっ、すまないね。うれしくて、どうやって感情を表現したらいいのかわからないよ。妹が世話になったね、ありがとう」
 ルッシェナは歩み寄る。ミティアは一歩下がった。驚きか、恐怖か、それとも彼女も再会がうれしいのだろうか。
「に、い、さん……」
「ちょっといいかい?」
「う、うん……」
 ルッシェナはどうやってもミティアを招き入れたいようだ。そこまで嫌がっていない、とジェフリーは彼女の背中を押した。
 死んだと思っていたのに、生きて再会した。これにはジェフリーも驚いた。ちゃんと兄妹で話をするべきだと思った。
 本当に一般人だとしたら、ミティアに害を与えないはずだ。ジェフリーはこのときは手放しで考えていた。

 義兄のルッシェナとの再会。ミティアは微塵も喜んでなどいなかった。
 ただ、心配をかけたくなかった。危害を加えてほしくなかった。
 どんな人なのかは十分すぎるほど知っている。
 コソコソと内緒話をするように、小声で会話を交わす。
「ギルドの噂で耳にしているよ。旅をしているんだって?」
「今は……ね」
 ミティアの反応にルッシェナは鼻で笑った。
「そうか、ミティアはお利口だから、わたしに会ったことを、口外したらどうなるかわかっているよね?」
「…………」
「わからないのなら、あの男に話してもいいんだよ?」
 逆らったらどうなるか知っている。ミティアの体は震えた。それでもルッシェナは罵ることをやめなかった。
「ミティアがどんな風に鳴くのか、暴露してもいいのだけれど……」
 込み上げる恐怖を抑え込もうと必死になった。

 握られた弱み。消えない汚点。知られたら嫌われてしまうと、待ってくれている好きな人に話せない苦しみが胸を締めつける。ミティアはずっと義兄であるルッシェナに『支配』されてきた。心も体も自由までも縛られていた。
 共に村で暮らし始めたころはただの優しい兄だった。生き方もわからない自分に、暮らしとはどういうものか、生き方とはどういうものか。手を引いてもらい、困らない程度に自立できるようにはなった。ただ、学校にも行き、『年頃』になると徐々に歪んだ愛情を向けられるようになった。
 自分でお金を稼ぐこともできなかった自分は、ただ従うしかなかった。狭いかごの中で鳴くことさえ許されない鳥のようだった。
 これまでの歩みのように、ミティアは村以外の世界を知らない。目に映るものは見たことのない光景ばかりだった。
 村で邪神龍による混乱が起きた。壊滅し、被害を受けた。亡くなった人には申し訳ないが、ミティアはこれを好機と思った。
 ぼんやりと覚えているのは、崩れ行く家屋から救い出してくれた黒い影。それはルッシェナの手ではなかった。温かくて大きな手だったことは覚えている。
 それからはまるで坂道を転げ落ちるように話が進み、今の旅をしている。
 やっと地獄のような日々から解放されたと思ったのに、再会してしまった。これからどんな仕打ちが待っているのかと、ミティアは恐怖に怯えた。
 
 ルッシェナはまた鼻で笑い、口角を上げた。
「キッドに話したらもっと大変だよ?」
「……っ!?」
「だって、わたしと愛し合っていたのだから」
 弱みを握られ、助けを求めることも許されない。キッドにも話せない。親友という関係も崩れてしまう。
 周囲からどんな目で蔑まれるだろうかと、想像するだけで内臓まで吐き出してしまいそうな嗚咽が込み上げた。ミティアは小さく頷くことで、自我を保っていた。
「いい子だね。今は旅を続けてもいいよ」
「えっ……?」
 聞き間違いかと思った。ミティアは顔を上げ、疑いの眼差しを向ける。
「言っただろう? 移住先を探しているって。絶対にわたしのところへ帰って来ると、約束できるなら、ね?」
 人でなしの兄が、今度は何を企んでいるのか。その答えは、ミティアを陥れるものだった。
「楽しい旅でどんな関係を築くのか楽しみじゃないか。外の世界を知らなかったのだから、あの白狼はいい機会をくれたね」
「あの人を知っているの?」
「憎たらしくて、殺してやりたいくらいには、ね……」
 白狼という呼び方は覚えがあった。アイラもケーシスもクディフを『白狼』と呼んでいた。疑惑がまたひとつ解消された。
 目的は違っていたが、クディフはミティアを助けてくれたことになる。理由はどうであれ、旅の機会と今の関係を築けるきっかけをくれた人だった。もしかしたら、村で自分を助けてくれたのはクディフだったのかもしれない。それなら、自分をジェフリーに渡したのも、進む道の選択肢をくれた理由も納得がいく。
 散らばっていた点が線となって導かれる。ミティアは魂が抜けたように、茫然としてしまった。
 ルッシェナは旅の終わりに、皆を失望させるとでもいうのだろうか。どこまでも汚いやり方だ。
「すまなかったね。妹をお返しするよ」
 ルッシェナは突然、ジェフリーに叫んだ。そして大袈裟に、ミティアの背中を押す。まるで釘を深く打つように。
 困惑しながら、作り笑いをするミティアはジェフリーに頭を下げた。恥ずかしがっているようで、誤魔化せたかもしれない。
 ルッシェナは大きく手を振って立ち去ろうとしていた。
「そうだ、一つ言い忘れていたよ」
 このまま去ってほしい。顔を見たくないミティアは、何を言われるのかと震え上がった。
 ルッシェナは嫌らしさがこもった、薄っぺらい笑みとともに踵を返していた。
「お誕生日、おめでとう……」
 ルッシェナは裏通りから表通りへ、人混みに消えて行った。
 ミティアは心底、もう会いたくないと思った。黙って見送るしか、今はできない。なぜなら、まだ自分一人で立てないからだ。
 抗う術を模索するしか、抜け出す道はない。
「顔色が悪いな。大丈夫か?」
「あっ、う、うん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫」
 ジェフリーはミティアを気遣う。
 ミティアが返したのはぎこちない作り笑いだった。ジェフリーはきっと、心の闇に気づいてはくれない。だからといって、自分から打ち明けられる勇気もない。もどかしさを抱えていた。
 ジェフリーはミティアの手を引いた。
「歩き疲れたな。座ろう」
「えっ?」
 買い物をして帰るだけだったのに、すっかり時間を食ってしまった。
 二人はいったん賑やかな繁華街から離れた。遊歩道のある小川の近くでベンチにミティアは座った。
「ちょっと待ってろ」
 座ったことを確認し、ジェフリーはジャケットのポケットに手を突っ込みながら走って行った。
 遊歩道には犬の散歩をする富裕層の人や、着飾った貴族が街の景観を楽しんでいる。ミティアは明らかに場違いだと、惨めに思っていた。先ほどの一件もあって、余計に落ち込んでしまう。
 少しして、ジェフリーが戻った。白い紙の包みを持っている。
「ほら、好きそうだったから」
 シナモンとチョコレートのいい香りがする。
 ミティアはジェフリーの顔色をうかがいながら包みを開ける。シナモンのトッピングがされたラスクが見えた。
 まだ温かいので、チョコレートがとろけておいしそうだ。
 ミティアの傷んだ心に沁みた。
「……っく……」
「なっ……!?」
 今まで堪えてしたものが、涙となって零れ落ちる。ジェフリーは驚き、席を立った。
「ご、ごめん。こういうときは飲み物の方が良かったか!? って、飲み物なしにそいつは喉が乾くよな? 何が好きだ? 紅茶か? コーヒーか? それとも……」
 少しでも元気になってくれればと、ジェフリーなりに頑張ったつもりなのに、泣き出してしまった。悪手だったのではないかと疑う。
 
 ジェフリーは記憶を頼りに、できるだけの手を打ったつもりだった。
 昔、許嫁だった彼女にどう振る舞えと言われただろうか。
 今の時期は寒い。もっと温かいものを差し入れるべきだったか。お菓子だけで、飲み物を忘れたのも悪かったかもしれない。
 不器用さなら自信はある。直そうと試みたこともあった。
 どれだけ気が利かず、不器用なのかは、兄の竜次を観察すればお察しである。弟であるジェフリーも例外ではない。
 励ましたかったのに、泣かせてしまった。最悪だ。
 せっかく両想いになれたのに、これでは嫌われても仕方がない。見える範囲の遊歩道には、散歩を嗜む人が見えた。
 暴漢にでも襲われていると誤解され、役人に通報されるかもしれない。何せ、人相が悪いのだから。
 苦悩するジェフリーはがっくりと肩を落とした。ポケットの小銭を確認する。あとは帰りに買い物をするだけの大きいお金しかない。
 キッチンカーで大きなお金を出すと、少額なので小銭が増えてあとの移動が重い。
 いや、今重いのは気持ちだ。己の気の利かなさを憐れむ。
 
「いいの。あり、がとう……」
 ミティアは声を震わせながら顔を上げた。泣き笑いをしている。
「そ、そうか……?」
 ジェフリーが遠慮がちに隣へ座った。少しでも落ち着いてくれたのならよかったのだが、わだかまりは消えていない。気になって仕方がない。
 話しづらいと思ってジェフリーから質問をした。
「死んだと思っていた家族……だよな? びっくりしたんだろう? 幽霊でも見た顔していたもんな」
 一気に確信へ迫った。焦っていないが、これこそが悪手だとジェフリーは気づいていない。気になっているが故の質問だった。
 ミティアは目もとを整えながら、小さく頷いている。
「怒られた、とか?」
 意外にも遠くない質問だ。ミティアはこれにも頷く。
 ジェフリーが具体的に気になっていたのは、二人で話し込んでいた内容だった。
「移住先を探しているって言っていたから、帰って来いってか?」
「……ぷっ」
 質問に対し、ミティアは噴き出して笑っている。くすくすと笑うものだから、ジェフリーは驚いた。
「どうして正解を当てちゃうの?」
 思ったよりもずっとジェフリーは逞しい。あまりに必死だった彼に、ミティアは深く頷いて笑みを噛み殺した。
 少しだけ一人で立てるかもしれないと、覚悟を決めて力強い声で言う。
「わたし、帰りたくない」
 ジェフリーや皆からも教えてもらった、勇気を振り絞った。
「言いつけを守らない悪い子になって、たくさん冒険して、いい景色を見たい!!」
「ぉ……おう?」
 ジェフリーはあまりにも力強いミティアに圧倒されていた。
 しかし、これで終わらない。今度は少し甘えるような声色になった。
「だ、だから、みんなには兄さんに会ったの、黙っててもらえる?」
「だ、黙ってるって……大事なことじゃないのか? それに、もしかしたらミティアの出生や、それこそ種の研究所の話が聞けたんじゃないのか?」
 普通はその考えに行き着く。ミティアは激しく首を振って、今度は悲願した。
「お願いっ!! 今は……兄さんに関わりたくないの」
 ミティアは必死で訴える。意識していないのだろうが、上目遣いになっていた。
 ジェフリーは複雑な気持ちだった。黙っていてほしい。つまりは、二人だけの秘密を作ってしまうからだ。だが、黙っているその内容もぼんやりとしたものだ。真相を話してくれないのは、自分が未熟なせいだと思った。仲間から友だち以上の関係になったばかりだ。信頼関係を築けたとは言いにくい。
 ルッシェナとも親しいと思われるキッドや、後輩と言っていたローズにも、話してはいけないのだろうか。その疑問はあったが、あまりしつこいのはよくないとジェフリーは割り切ることにした。
「そこまで言うなら、黙ってるけど。遅い反抗期か?」
「へっ!?」
 ジェフリーはなぜ黙っていないといけないのか、腑に落ちない。少しでもミティアの思っていることが知りたかった。だが、鋭い指摘をするのかと思ったら紙一重で、ちぐはぐなやり取りになった。
 ミティアが変な声を上げてしまったせいで、遊歩道の人たちがこちらを注目している。
「あ……えっと」
 本当のことを話せば嫌われてしまう。だけど、嘘はつけない。嘘をつき続ける苦しみは知っている。今も、心が痛い。黙っていても何も変わらない。本当のことを言わなければ。ミティアは深く息を吸った。
「もっと、みんなと一緒にいたい。わたしは兄さんのところに帰りたくないの」
 これだけは絶対に間違いない。決して嘘ではない。
 質問しては答え、答えれば驚く。謎の攻防だ。
 恋とは違う、不思議なやり取りが続くかと思いきや、ジェフリーは突然鼻で笑った。
「俺や兄貴が沙蘭に帰らない理由と一緒か? 今はいいかもしれないが、いずれは独り立ちしないといけないからなぁ」
 理由なんてそれで十分だ。ジェフリーはようやく納得した。
 顔色をうかがっているミティアの目の前で、ジェフリーがラスクを頬張った。やけに大きかった。
「へっ? あっ……えぇっ!!」
 手もとがやけに軽い。ミティアが怒る前に、ジェフリーは立ちあがり、シナモンのついた指を舐めていた。
「せっかく温かいのを買って来たのに、冷えるまで抱え込んでいたミティアが悪い」
 悪びれる様子もなく、嘲るように笑った。
 ミティアは手元を見て、半分に激減していたラスクを見て手を震わせた。
 冷え切って、ラスクにかかっていたチョコレートが凝固してしまっている。

『冷えるまで抱え込んでいたミティアが悪い』

 違うものを説かれた気分になり、ミティアも渋々立ち上がった。彼女の物悲しい表情に気がつくと、途端にジェフリーの態度が変わる。
「わ、悪かった!! そんな顔するな」
 ジェフリーは必死に落ち込ませまいと、とある提案をする。
「詫びるにはおかしいけど、その……お祝いしないか?」
「お、お祝い?」
 いつの間にかいつものミティアに戻っていた。キョトンとしながら首を傾げる。お馴染みの小動物の仕草だ。
「ミティアの兄貴、誕生日って言ってなかったか?」
 別れ際に言っていたのをやっと思い出した。ミティアにとっては、誕生日など些細なものだった。兄が生きていたことが重大だったのだから。
「そうだ、俺がケーキを焼こう」
「えっ、ケーキ!?」
 食べ物と聞いて、ミティアの目が輝いた。しかもケーキだ。
 だが、すぐに疑問が浮かんだ。
「や、焼くってどういうこと?」
「へっ? だから俺が作るんだけど、嫌か?」
「ええぇっ!!」
 
 ジェフリーはミティアの手を引く。再び繁華街へ足を運んだ。
「ど、どこに行くの?」
 ミティアの質問に、ジェフリーは答えない。
 明日もバタバタする可能性がある。よって、今から祝いをするつもりだ。
「何がほしい?」
「えっ、そんな、いいよぉ……みんなもいるのに」
 ジェフリーがほしいものはないかと聞いた。ただそれだけなのに、ミティアは顔を真っ赤にしている。皆の目が気になって、表立ったプレゼントは困るようだ。
 だが、何もやらないのもジェフリーが満足しない。秋の風、彼女の髪を撫でて吹き抜けた。その髪を見て、咄嗟に思いついた。
「ちょっと待ってろ……」
 繁華街の人通りの多さを安心して、ジェフリーが見える範囲に駆けて行った。
 もうすぐ冬の足音が聞こえて来るだろう。
 風が少し冷たく感じるようになった。

 誕生日、一応今日だが、本当なのかはわからない。
 幼い時の記憶がなく、ルッシェナから聞いている範囲だ。
 自分の本当の名前も記憶もわからない。その答えは生きていた義兄に聞けばすべては明らかになるだろう。そのためには何を失うのか想像したくなかった。
 いつかは知らないといけない。でも、自分たちでその答えは知りたい。

「待たせた……」
 少ししてジェフリーが戻った。可愛らしい紙袋を持っている。そのままミティアの背後に回った。
「じっとしてろよ……」
「うん?」
 ミティアは自分の髪の毛を触られているのに気がついた。こそばゆくて、何度も肩を揺らした。
『パチン』
 金具を閉じた音がした。
 ほぼ同時に、ジェフリーがミティアの顔を覗く。
「似合ってる、良かった……」
「え、見えないぃ……」
 バレッタのようだ。後ろに手を回すと、長いリボンが触れた。
「これ、もらっていいか?」
 ジェフリーが摘んで持っているのは、ミティアが結っていた短いリボンの髪飾りだ。
「い、いいけど……そんなの、ほしい?」
「お守りにしたい」
 ミティアは渋い反応だ。
 ジェフリーは自分で言って、女々しいとは思った。だが大切なお守りを持った竜次が、ずっと羨ましかった。何となくだが、持っていたいと思った。
「お守りなんかにならないよ、そんなの……」
 頷いたものの、恥ずかしいようだ。ミティアはお礼を言った。
「あ、ありがとう……」
 お金に関してはあとで竜次に話そう。勝手にあげたとなると、後々ややこしくなりそうだし、妬かれても面倒だとジェフリーは思った。
 プレゼントはこれでいいとして、買い物をどうしようか。照れながら百面相しているミティアを尻目に、街中を見る。
 青果店、食材店が見えた。
「えーと、七人と一匹だよな……」
 言ってから空を見たが、まだ明るい。
「たっぷり買い物して帰ろう」
「えっ、うん……?」
 張り切っているジェフリー。何をたくさん買うのだろうかと、ミティアに不思議な顔をされながらも食品の目利きをする。
 もちろんだが、これもジェフリーのお金ではない。
 竜次から預かっているお金だ。今回は大きいお金を崩している。
 何を買ったのか、きちんと帳簿をつけるか、領収書を取っておかなくてはならない。
 ミティアは荷物を持つのを手伝った。

 ローズの家に帰った。
 台所で洗い物をするキッドが、カウンター越しに振り返る。
「あぁ、お帰り。どうしたの、その荷物」
 帰って来た二人とも、大きな紙袋を抱え込んでいるのにキッドは笑っていた。
「先生なら上でコーディちゃんと深刻な話をしてたわよ。あの子とローズさんは地下書庫。昼御飯も食べずに引きこもってるんだもの。よくもまぁ、それだけの集中力があると思って」
 キッドはテーブルの置かれた紙袋を見ながら、タオルを叩いて水を払う。ある程度中身を確認したキッドは、ジェフリーのジャケットを引っ張った。
「縫っておくからよこしなさい」
「そんなに派手にやってないと思うんだが?」
「全員の見て直すから、ついでよ」
 キッドは言ってから場所を譲るように、トントンと階段を上がって行った。彼女がよこしなさいと言ったのは、服装の話だ。定期的に皆の身につけているものを修復している。ほとんどが裁縫だが、カバンの金具やポーチの傷みも直してくれる。荷物を置いてミティアも動き出した。
「わたしもキッドを手伝うよ。サキとローズさんにも声をかけておかないと」
 キッドとミティアは一行を陰から支える役割をしている。ミティアは手先が器用ではないが、手伝いを担当している。
 ジェフリーはベルトを外してジャケットを脱ぐ。もう寒いかもしれないと感じた。
 まだ次の行き先こそ決まっていないが、北に行くなら考えよう。

 もう何時間、書庫の本を読み漁っていたかなどわからない。
 換気も忘れて、ミティアが上着を回収するまで閉めっぱなしだった。
 酸欠になっても気がつかないかもしれない。サキもローズも、それほど熱中した。
「キミ、学者さんにでもなったら? 魔法使いの先生より向いているかもしれないよ」
 圭馬が話しかけても、サキの耳には入っていない。
 眼鏡をかけ、革のケースを顎にトントンとさせながら、書物を読み進めている。
 サキの脇には興味を引き、完読した書物が積まれていた。サキは読み進めている書物にしおりを挟み、一息ついた。
「オニーチャンがいたら、もう少しコレクションがあると思うのですケド」
 軽い掃除をしながら、ローズは悩ましげに首を傾げた。この書庫にある本は、半分ほどがローズのものだ。それは医学と科学の道を歩む際に購入したものがほとんどだ。
 圭馬も興味を抱いた。
「ローズちゃんのお兄さんって剣術学校の先生だっけ?」
「そデス。どこかにアトリエがあるとかないとか言っていた気がしますヨ。ここに本を溜め込んで、出て行きましたケド」
 ローズは本の整理を延々としていた。無造作に積まれてばかりで、本棚に収まりきらない。地下室全体が本棚でぎっしり。机もない、明かりも遮るほどだ。
「そのお兄さん、今どこにいるの? まだ先生やってるなら、話が聞けるんじゃない?」
 圭馬の質問に、ローズは深めに唸った。
「辞めたって聞いたデス。かなり前な気がしますヨ」
「学者さんじゃないよね? でも、本の並びを見ると、学者さんに近いか」
「そんなに仲良しではなかったのでネ……」
 ローズが異色な性格のせいか、クディフもそうだが、あまり家族の仲は良くなかったのかもしれない。
 サキは本棚を眺めた。
「ふぅ、この棚はおしまいかな……」
 サキが本を戻そうとする。ローズが声をかけた。
「そんなにここの本は面白いデス?」
 この先の棚が医学書や人体のものと把握して、休憩を入れた。
「そうですね。魔法とはまた違う面白い知識があります。こんな難しい本、大図書館でもあまり見ないですよ」
 サキはまだ、知識を得る熱が冷めていない。ブレーキをかけてやらないと、何日も居座ってしまいそうだ。喚起すら忘れていたのだから、飲まず食わずでミイラにでもなってしまうのではなかろうか。
「さっき難しい歴史の仮設書を読みました。中でも興味を持ったのは、この世界は三つに分かれている仮説……論文ですね」
「あー、この世界とアリューン界と天空都市でしたっけネ」
「増えすぎてしまった人口を減らすために邪神龍の存在がある仮設は納得がいきませんが、理にかなっている部分はありますね」
「んんっ!?」
 ローズは顔をしかめた。やけに具体的な指摘だ。
「その論文、誰のデス?」
「えっと、確か……」
 サキが棚を戻って、上の方を指した。
「この百年ほど前に発表されている『猫森ショコラ』さんのものだったと思います」
「はぁ!? ちょっと待って!! その作者知ってる」
 圭馬の大きな声で、天井の埃が舞った。
 物探しの魔法をはじめ、日常生活で微妙に便利な魔法の考案と監修の本を出していた気がするが、こんな論文まで出していたなんて思いもしなかった。
「ずっと疑問に思っていたのですが、圭馬さんのお知り合い?」
「知り合いも何も、人間界に干渉しすぎて魔界を追放された幻獣だよ」
 魔法に関しては素人同然だが、ローズも興味を引いた。
「幻獣ってけーま君たちご兄弟しかこの世界にはいないんじゃなかったデス?」
「言ったでしょ。追放されたって。ノーカン!」
 幻獣かどうかはさておいても、この論文や人間の生活を支援するような本もそうだが、過度に干渉している気がする。
 サキは会って話を聞いてみたいと興味を持った。
 何を根拠にこの論文を記したのか、真意が気になる。

 唸りながら首を傾げる竜次。その向かいにはチョッキとワンピースをキッドに持って行かれてしまい、パンツ一枚で平然としているコーディ。
「あの、困るんで、これ、よろしければ」
「困る? 私、平気だけど」
 竜次は白衣を手渡したが、着る気がないようだ。
 コーディは驚くほど堂々としている。寸胴で肉薄な幼女ボディを恥ずかしがる様子もなかった。
「えっと、私そういう趣味は……」
 何も知らない人が見たら、ロリコンとでも誤解されそうだ。コーディまで風邪をひかれては困ると、竜次が無理矢理に白衣を羽織らせて本題に入る。
「えっと、この手紙って本物ですよね?」
「印も箔押しもあるよ。ギルドからだし、本物だと思う」
「フィリップスは沙蘭とも非常に友好的な関係なので、お会いするのはかまいませんけれど。相手はフィリップスの王ではないのですね」
「うん? そうなの?」
 封を切らないで渡したせいもあり、読んだのは竜次が最初だった。
「フィリップスの王は長らく病床に伏せています。王子のクレスト様が代行をしていると聞きました。同い年か少し上だったような? 文面からすると、その王子様がお会いしたいそうですね?」
 コーディも手紙に目を通し、納得した。
「お兄ちゃん先生、知ってる人?」
「えぇ、何度かお会いしていますが、何せ、妹に惚れ込んでいるようでして」
 竜次は苦笑している。面識はあるが、世の中の風評と個人的にはあまり好かれていない可能性を匂わせた。妹の正姫に友好的な関係。確かにそうかもしれない。
「まぁ、どう思われているのか、再認識したいので会うのには賛成です。ただ、ボディガードくらいは同行させたいですねぇ」
「私も行くけど?」
「そうですね、加えてジェフも用心棒として連れて行きたいかな。大人数で行っても不審でしょうから、私たちだけで行くべきでしょうね」
 竜次がわざわざジェフリーを指名したのには理由がある。それを加えた。
「あの子は人を見る目があります。良し悪しが読めると思うので」
 この理由にはコーディも納得した。
 話し終わったところで、ミティアが上がって来た。服を持っている。
「コーディちゃん、はいどうぞ」
 ミティアがワンピースを被らせている。まるでお姉さんのようだ。
 ミティアの髪に見慣れないリボンが見えた。竜次は質問をしようと身を乗り出す。すると、ミティアはうしろを向いた。綺麗なビジューからリボンの伸びたバレッタをしている。彼女は渡すものの確認をし、竜次に折りたたまれた服を差し出した。
「これ、先生のです。風邪はもう大丈夫ですか?」
 竜次は頷いて返事をしているが、見惚れていた。いつになく可愛さを増している。イメージチェンジだろうか。
 竜次の膝元に服が置かれた。その上に、壊れて胸ポケットに入れた三日月のピアスが添えてある。
「あれ? 金具……」
 持ち上げてみると、歪みまで直されていた。
「それ、キッドが直してましたよ」
「えっ……?」
 服だけでもありがたいのに。ピアスまで直されているなんて驚いた。
「えっと、キッドさんは?」
 竜次はキッドの姿を探した。ミティアがシーツを直しながら振り返る。
「ちょっと街に出るって言ってました。あ、先生?」
 風邪はどこへ行ったのやら。竜次は跳ね起きて吹き抜けの階段を覗き込んだ。身を乗り出し、落ちてしまいそうな勢いだ。
 キッドは二階から一階へ降りようとしている。目撃した竜次は声をかけた。
「ちょっと待って!!」
「えぇっ、先生、落ちますよ!?」
 見上げるキッドに注意されるも、竜次は素早く着替え、手櫛で髪の毛を整えながら駆け下りた。
「わ、私も外を歩きたいです」
「は? はぁ……」
 竜次にしては下品な足音を立てている。あまりに騒々しいので、ジェフリーが包丁を持ったまま台所から覗き見ていた。
「何してんだ? ケーキなら今から焼くけど……」
 ジェフリーは、街中に出ると言っていたキッドに、ケーキは買って来るなと先制した。合流したての竜次はまだ全容がわかっていない。
 ジェフリーはキッドが出かけるのは把握していた。てっきり、キッドから聞いて、それから竜次も行くのだと思い込んでいた。ジェフリーが竜次に質問をした。
「もう体調いいのか?」
「えぇ、歩かないと訛ってしまいます」
 竜次は安っぽい理由を吐いた。
 キッドはジェフリーに対し、知ってたのかと言わんばかりの憎い視線を送る。
「おいしいもの作りなさいよ?」
「善処する。暗くならないうちに帰って来いよ?」
「はいはい……」
 キッドは軽く手を振って玄関の戸を開いた。

 キッドはギルドに行ったことがあるため、繁華街の方角はわかっていた。どんどん先に進んでしまうため、竜次まで速足になってしまう。
「先生、寝込んでいた時、この街にはいい思い出がないって言っていたじゃないですか。一緒に行きたいだなんて、今日はどうしたんですか? 何かおかしいですよ?」
 キッドは雑貨屋を探しながら、うしろの竜次に質問をする。
 竜次がどんな顔でどんな状況をしていようが関係ないと言わんばかりに、キッドは足を進ませている。
「いい思い出はないですけど、そうじゃなくて」
 放っておくと、どんどん先に行ってしまう。竜次はキッドを追うのに必死だ。
「あ、わかった。先生もプレゼント、探してます?」
 キッドはやっと振り返った。ところが、竜次は言葉の意味をわかっていない。
「プレゼント、ですか?」
「ミティアの誕生日って今日じゃないですか。だから先生も何か考えているんじゃ?」
「えっ、ちょ……えぇっ!?」
 竜次の反応に、キッドが苦笑いをする。
「ち、違うんですか?」
 違う。キッドにお礼が言いたくて。彼女のことを知りたくて、興味本位でついて来たなんて言えない状況になってしまった。竜次は慌てふためきながら、歩調を合わせようと試みる。
「あ、えっと、その、さ、探しましょうか。うん、それは大切です!」
 己を落ち着かせるために、両手を合わせるも、その間にどんどんキッドは進んでしまう。本当に追ってばかりだ。
「あぁ、キッドさん!!」
「もう、何ですか先生。言いたいことがあるなら、はっきり言ってください! はっきりしない人は見ててむかつきます」
「ゔっ……」
 いつもジェフリーと言い争っているのは知っていたが、慣れない竜次は精神的にめげてしまいそうだ。だがここで引き下がるのは、竜次のプライドが許さなかった。
 せめて大切なことだけでも伝えたい。竜次は声を張った。
「耳飾り、直してくれてありがとう!!」
 キッドが振り返った。西日を背景ににっこりと笑う。
「どういたしまして」
 トントンとステップを軽く踏み、再び方向転換する。

 竜次は自分の存在が小さいく感じた。知らなかった。視野が狭かった。愛する人を失った悲しい思い出の街で、こんなにいいものが見られるなんて、思わなかった。
 西日が目に染みる。目頭が熱い。

「先生、早く来てください。一緒に選んでくださいよ」
 キッドは傷心に浸る竜次を引っ張るように促す。
 二人は雑貨屋に入り、アクセサリーを見る。ミティアも可愛らしい耳飾りをしていた。
「こういうの、可愛いかなぁ? でも、動くと取れちゃわないかなぁ? うーん……」
「意外とシンプルなのがいいかも……」
 あぁでもない、こうでもないと会話が弾んでしまう。
 結局シンプルなものになった。
「キッドさんにも何か買ってあげますよ?」
 竜次はアクセサリーを入れる小箱を手にしている。キッドが耳飾りを買うのなら、持ち運びを考えて、ピルケースにもなる手のひらサイズのものを買うつもりだ。
 キッドはアクセサリーを身につけていない。ゆえに、自分のなど考えていなかった。
「あたし、こういうのはいいかな」
 贅沢の少ない子だ。こういう時は甘えるのではないだろうかと、竜次は疑問に思った。
 会計を済ませ、再び街中に出た。
 もう少し街中を歩きたい気持ちもあったが、足は帰路に向かっている。
「先生からプレゼントなんて、うれしいと思いますよ」
「そうですかねぇ……」
「だって、先生ってミティアを好きじゃないですか」
 他愛のない会話だったのに、竜次は足を止めた。キッドからもそう見えていたのかと蟠りを感じた。
 一度染みついてしまったら、きっと簡単には消えてもらえない。キッドが言うように、ミティアは好きだ。剣を振る理由の一つ。
 可愛がってはいるし、からかったりもするが、その感情は妹に近い。保護者みたいな愛で方をするかもしれないが、今のところ愛はない。この先もそれは芽生えないと思っていた。ミティアの気持ちなど、とうにわかっている。慕ってはくれるが、愛など期待してはいけない。
 寂しかった。亡くしたことによる孤独を埋めたかった。
 物悲しい顔を察してか、キッドは竜次の顔を覗き込んだ。
「思い出に浸っているのですか? 先生はどう思ってるか知りませんけど、あたし、先生の彼女さんはすごく幸せだったんじゃないかって思いますよ?」
「えっ……?」
 意外な言葉に竜次は驚いた。キッドの意見はいつも真っすぐだ。
「その人のためにお医者さんになったのに、助けられなかったんです。どこが幸せなのか、思い返してみてもわからないです」
「好きな人と最期を一緒に過ごせるって、簡単なようで難しいと思いますよ」
「あ……」
 見えている視点が違う。ただただ、罪悪感しかなかった。亡くした彼女の気持ちなど考えていなかった。
 孤児院でも、ミティアに気づかされたはずだ。ジェフリーの立場になりもしないで、心配しているから立ち直れと言った。いつもそうだ。自分は思いやりが足りない。相手の視点に立って考えられない。竜次は気を落とし、ひどく項垂れた。
 足りないものを思い知らされた。
 落ち込んでいる竜次を察してなのか、キッドはあえて続けた。
「誰かのために頑張れるのは素敵だと思います。だけど、その人が本当に求めているものを見つけるのも大切なんじゃないですかね」
 竜次は何も言い返せなかった。その医者になる時間をもっと寄り添えたかもしれない。自分がしたすべては自己満足にすぎなかった。たくさんのものを犠牲にしたのに。
「偉そうなこと言ってすみません。あたし、馬鹿なんで……」
「そんなこと、ない……」
 これだけは言いたかった。徐々に猫をかぶった上辺だけの自分から解放される。竜次は、キッドを頼もしく思った。
「これからもっと前を向けます。また私を叱ってください」
 プライドなんて捨ててしまいたかった。
 キッドを信頼する意味を込めて、竜次はそっと頭を下げた。
 
 お願いします、と……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ジミート チート神を探して神々の森へ 追放されし三人の勇者故郷を救え!

二廻歩
ファンタジー
冒険・旅・RPG・レトロ・ただの女・好きな人集まれ! 火遊びで村を追い出されたカンはチートを授かろうと当てもなくさまよう。 道中二人の仲間と出会い行動を共にする。 神が住まいし地、神々の森を目指し三人は旅を開始する。 少女プラスティ―の不気味な予言。 三人は強大な敵の恐ろしい陰謀に巻き込まれてしまう。 果たして村は世界はどうなってしまうのか? 終わりなきサイクルの果てに訪れる世界の秘密に迫る新たな夜明け。 村に残してきた幼馴染のアル―とちょっぴり嫉妬深いヒロインのプラスティ―。 絶望の中で迷いに迷いついに答えを出すカン。どちらの愛が勝つのか? 物語は最終目的地である伝説の地イスラへ。 イスラ・オブ・ドリーム

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

スライムすら倒せない底辺冒険者の俺、レベルアップしてハーレムを築く(予定)〜ユニークスキル[レベルアップ]を手に入れた俺は最弱魔法で無双する

カツラノエース
ファンタジー
ろくでもない人生を送っていた俺、海乃 哲也は、 23歳にして交通事故で死に、異世界転生をする。 急に異世界に飛ばされた俺、もちろん金は無い。何とか超初級クエストで金を集め武器を買ったが、俺に戦いの才能は無かったらしく、スライムすら倒せずに返り討ちにあってしまう。 完全に戦うということを諦めた俺は危険の無い薬草集めで、何とか金を稼ぎ、ひもじい思いをしながらも生き繋いでいた。 そんな日々を過ごしていると、突然ユニークスキル[レベルアップ]とやらを獲得する。 最初はこの胡散臭過ぎるユニークスキルを疑ったが、薬草集めでレベルが2に上がった俺は、好奇心に負け、ダメ元で再びスライムと戦う。 すると、前までは歯が立たなかったスライムをすんなり倒せてしまう。 どうやら本当にレベルアップしている模様。 「ちょっと待てよ?これなら最強になれるんじゃね?」 最弱魔法しか使う事の出来ない底辺冒険者である俺が、レベルアップで高みを目指す物語。 他サイトにも掲載しています。

転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

ぽっちゃりおっさん異世界ひとり旅〜目指せSランク冒険者〜

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
酒好きなぽっちゃりおっさん。 魔物が跋扈する異世界で転生する。 頭で思い浮かべた事を具現化する魔法《創造魔法》の加護を貰う。 《創造魔法》を駆使して異世界でSランク冒険者を目指す物語。 ※以前完結した作品を修正、加筆しております。 完結した内容を変更して、続編を連載する予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その狂犬戦士はお義兄様ですが、何か?

行枝ローザ
ファンタジー
美しき侯爵令嬢の側には、強面・高背・剛腕と揃った『狂犬戦士』と恐れられる偉丈夫がいる。 貧乏男爵家の五人兄弟末子が養子に入った魔力を誇る伯爵家で彼を待ち受けていたのは、五歳下の義妹と二歳上の義兄、そして王都随一の魔術後方支援警護兵たち。 元・家族の誰からも愛されなかった少年は、新しい家族から愛されることと癒されることを知って強くなる。 これは不遇な微魔力持ち魔剣士が凄惨な乳幼児期から幸福な少年期を経て、成長していく物語。 ※見切り発車で書いていきます(通常運転。笑) ※エブリスタでも同時連載。2021/6/5よりカクヨムでも後追い連載しています。 ※2021/9/15けっこう前に追いついて、カクヨムでも現在は同時掲載です。

異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。

Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。 現世で惨めなサラリーマンをしていた…… そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。 その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。 それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。 目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて…… 現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に…… 特殊な能力が当然のように存在するその世界で…… 自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。 俺は俺の出来ること…… 彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。 だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。 ※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※ ※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※

処理中です...