トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【5】親と子どものカタチ

縛る言霊

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 貿易都市ノア。商人の街とも呼ばれているここは、昼間は商人の売買で賑わってごった返している。市場の売買が撤収した夕方以降は驚くほど静かな街に変貌する。
 寝静まった深夜。この時間に外を歩く者は少ない。
 ジェフリーは宿の別室で竜次の帰りを待っていた。室内には禁忌の魔法を解き放ってしまった反動で眠りにつくミティア。本当ならこの場に竜次がいるはずだった。
 足音が聞こえると耳を澄ませた。そうではないとしても、期待をしてしまう。ミティアが眠るベッド脇を背に寄りかかって、床に座った。ミティアに出会った初日に同じような状況でうたた寝をしたのを思い出した。何となくだが、体が疲れてしまった。椅子で眠りに落ちると上半身が痛むだろうとこの体勢を選んだ。
 帰らない兄を待つのは苦痛ではなかった。この旅をする前は竜次と半年、居候していたがだいたい三日に一日しか帰って来なかった。
 最初の一週間は慣れなくて、帰って来るまで起きていたが次第に慣れた。

「あぁもうこんな仕事、嫌だ!!」
「先輩がむかつくんです!!」
「定時で帰りたいのに、帰らせてくれない!! 論文なんてクソくらえ!!」
 
 竜次と顔を合わせれば、こんな愚痴ばかりだった。自殺未遂をしたと聞いて心配したのに、こんなに元気に騒いでいる。ジェフリーは竜次がうるさいうちは大丈夫だと、愚痴も聞いたし、少しはわがままを聞いて美味しいものを作った。
 その繰り返しの日々。
 悪くない日常だったかもしれない。戻りたいかと聞かれたら、もういいと答える。
 そんな日常から一転して、こんなに人の命や禁忌の魔法やら難しい旅をしているのだろうか。
 得たものは仲間、友だち、そして好きな人。崩れてほしくない、失いたくない大切なものだ。
 今まで何となくだらだらと流されて生きていた。今は将来についても考えている。この旅を通じて、過去の呪縛は振り払えたかもしれない。まだぼんやりとしか考えられないが、『本当の意味』で自立をしたいと思っていた。
 
「ん…………」
 ジェフリーの背がもぞもぞと動いた。ミティアが目を覚ましたようだ。一度立って椅子に座り直した。
 ミティアは上半身だけ起こし、ジェフリーをじっと見つめている。
 そうでもないはずなのに、久しぶりに顔を合わせた気分だ。何も言わないミティアとの空気に気まずくなり、ジェフリーは席を立った。
「何か飲むか?」
 確か、お湯がもらえたはずだ。いや、起き抜けなら果物のジュースでもいいかもしれない。ジェフリーは答えを待った。だが、ミティアは震えている。
「あ、あなたは……誰ですか?」
 ジェフリーは嫌な予感がした。認めたくない思いから、真面目に答える。
「誰って……ジェフリーだけど?」
「ジェフリー……さん?」
 ミティアはこの状況に混乱しているようだ。おかしいのは明らだ。呼び方がひと昔前の『さん』づけ。ジェフリーは違和感を覚えた。
「ここを動かないで、ちょっと待ってろ」
 ミティアは放心状態のようだ。おそらくミティア自身に何らかの問題が生じているに違いない。
 ジェフリーはいったんミティアを部屋に残し、男性部屋に向かった。確認したが竜次はやはり帰っていない。
 ジェフリーはサキの布団の上で丸くなっている圭馬を摘まみ上げ、部屋の外へ連れ出した。
「んあぁ? こんな時間に何ぃ?」
 無理に起こされ、機嫌が悪いのは当然だ。だが、ジェフリーにもやむを得ない考えがあった。
「頼むから、博士だけ起こして来てくれないか?」
「いいけど、なんかくれるよね?」
「さっきのリブサンド、食っていいから……」
 いつからこんなに現金な幻獣になったのやら。渋りながら圭馬は条件を出し、ジェフリーと交渉成立した。
 圭馬は女性部屋の扉の隙間に潜り込んだ。足と尻尾をバタバタさせるその姿は、檻からの脱走を試みる小動物を見ている気分だ。いや、実際に小動物かとジェフリーは冷静になった。
 ものの数十秒で扉が開き、ローズが顔だけ覗かせた。髪の毛が整っておらず、寝起き顔だ。
 眉間にしわを寄せ、不機嫌だった。この不機嫌は、起こされたことよりもすっぴんを見られてしまった方が大きいのかもしれないとジェフリーは猛省した。
「すまない。でも博士にしか頼めない。ミティアが目を覚ましたんだが、様子がおかしいんだ。来てもらえるか?」
 ローズは何度か頷いていったん引っ込んだ。身支度をするようだ。ジェフリーはそれを確認すると、ミティアのいる部屋に戻った。
 ミティアはカーテンの隙間から外を見ている。見慣れない場所に困っている様子だった。追々説明しよう。
 ジェフリーはうっかり手ぶらだったことを思い出した。飲み物を持って来るのを忘れてしまった。
 チェストに、片付け損ねた木製のカップとポットがある。ポットの中はやめておこう。ジェフリーはカップを持って水道から水を入れ、ミティアに渡した。
 ミティアは水を受け取って喉を潤した。
 ジェフリーはミティアが落ち着いた状態だと判断し、質問をした。
「記憶がないのか?」
「えっ?」
 ジェフリーにとっては気になって仕方がなく、真っすぐに聞いてみた。だが、記憶喪失とは少し違うようだ。ミティアは首を傾げ、じっとジェフリーを見つめる。
「ジェフリーさんって、あのジェフリーさんですよね?」
「ん? どの俺だ?」
「えっと……」
 ミティアの話し方に違和感がある。だが、まるっきり知らない様子ではない。ジェフリーはひとまず安堵の息をついた。
「ジェフリーさん、髪の毛……切ったんですか?」
「…………は?」
 それはずいぶん前の話だ。やはりおかしい。ジェフリーは焦る気持ちを抑え込んだ。焦って変な質問をし、ミティアを混乱させてはいけないと思ったからだ。
「失礼するデス」
 扉が半開きだったようだ。ローズの声がしたが、先に圭馬が入室した。
 圭馬を見るなり、ミティアが黄色い声を上げる。
「きゃあ、かわいい……」
 ミティアの反応を見て、圭馬も違和感を覚えたようだ。顔色をうかがいながら、跳ね近寄る。
 ミティアは身を乗り出し、圭馬を招いた。
「おいで!」
 違和感を覚えながら、圭馬はミティアの膝に飛び乗った。
 圭馬はぬいぐるみのように抱き上げられ、弄ばれている。
「か、かわいい!! 本物だぁ!!」
「おぉー、こりゃ確かにおかしいねぇ」
 弄ばれながら、圭馬はミティアの様子をうかがう。目の前にいるのはミティアで間違いない。だが、いつもと様子が違う。まるで初対面したような雰囲気だ。
 ブラウスにミニのキュロットだけのローズも顔を見せた。
「フーム……」
 アイメイクだけはきっちりしているが、ブラウスのボタンが一つずつずれている。寝癖は直していない。
 状況を見ながら、ルージュを引いて唇を擦っていた。
 今はそれよりも診てもらいたい。ジェフリーはローズに訴えた。
「俺に髪の毛、切ったんですか? なんて言うし、少しおかしいんだ」
「おかしいって、わたしですか?」
 ミティアが会話に割り込むように口を挟んだ。この感覚は懐かしい。ジェフリーは親しくなる前を思い出した。
「ワタシ、誰かわかりマス?」
 ローズは人差し指で自分をつんつんと指した。
 ジェフリーが見ても、寝癖と整わない格好で、知っていても別人のように感じる。
 口調でわかればいいものだが、それでもミティアは首を傾げた。
「ローズ、デス!」
 ローズはつんつんとさせている指をそのままに、親指と中指も立て、アイドルのように顔の横でサインした。アニメだったら、きらりんとでも効果音が入りそうだ。
 ミティアはこれでもピンと来ないようだ。
「おかしいデスネ」
「いや、どう見ても今のは博士がおかしい」
 ジェフリーは軽く指摘を入れる。この際ローズは放っておくべきかと思った。一応医者なので、期待して呼んだのだが。
 くだらないやり取りも、ミティアに恐怖を与えなくていいのだろうが、ジェフリーの顔色をずっとうかがっている。一昔前は、よく人の顔を見ていた。一昔前……ふとジェフリーは、とあることに気がついた。先ほど、髪の毛の話をされた。フィラノスの宿で、竜次に切られた。それはずいぶんと前の話だ。
「なぁ、ミティア、昨日何したか覚えてるか?」
 ミティアはビクッと過剰な反応を示した。これが正しい質問なのかはわからないが、ジェフリーはどこまで記憶があるのかを確かめたいと思った。
 しばらく沈黙したあと、ミティアは悩ましげに答えた
「え、山道を越えて温泉饅頭……あれ?」
 ミティアは違和感に気がつき、小難しい表情で唸った。
「もっと、先がある……?」
 唸り続けるのでジェフリーはしばらく待った。
「あああっ!!」
 ミティアは突然大声を上げ、ものすごい迫力でジェフリーに訴えた。
「ジェフリーさん!! あの時食べたプチトマト、返してください!!」
「……プチトマト?」
「わたし、プチトマト大好きなんです!! 食べちゃうなんてあんまりですよ!!」
「あぁ、レストの街の食堂か……」
 旅に出るようになってすぐ、夜通しで山道を抜けた。ジェフリーはその街の食堂で、ミティアの前にあったサラダからプチトマトを摘まんだ覚えがある。
 ミティアは記憶の混乱が生じているのに、食べ物の恨みは覚えているようだ。
 このやり取りを聞いていたローズは、あることに気がついた。
「ムー……これは記憶の部分欠落ですかネ?」
 ローズの言葉にジェフリーは顔をしかめた。
「部分欠落?」
「んー……推測の段階デス。記憶喪失と括るのは簡単デス。その中でも何らかの理由によって、記憶がパズルのピースみたいに欠けている状態なのではないですかネ?」
 それにしては、ずいぶんと欠けている。元に戻ってくれるのだろうかとジェフリーは心配になった。
「元に戻るのか?」
「ンー……戻る可能性が高いとしか言えませんネ」
 ローズも医者だ。確実に大丈夫とは言わない。ただ、表情から察すると、嘘はついてないようだ。
 圭馬がミティアの手を逃れ、紙袋に飛び込んだ。
「禁忌の魔法のリバウンドじゃないの?」
 このウサギ、この状況にして、リブサンドを食べるつもりだ。がさがさと雑な音にジェフリーは呆れ、深いため息をついた。ことの重要さに気がついていないのか、本当に仲間なのか、もっと協力してほしいと不満を募らせた。
 ローズは圭馬に注意をする。
「そのサンドイッチ、大丈夫デス? お腹壊しませんかネ」
「へーきへーき。ボクのお腹は丈夫だから。冷たいミルクを飲まなかったら、お腹壊さないし。それに変なニオイしてないよ。いいサンドイッチみたいだね」
「けーまくん、乳糖不耐症デス? というか、こんな時間に……」
「そーかもねぇ」
 ジェフリーはさらにため息をつき、脱力した。注意するところが予想とは違っていたからだ。もっとミティアの心配をしてくれないのだろうか、それともわざとこの会話を開いているのかともどかしく思った。
 ミティアは目を見開いた。何か思い出したようだ。
「サンドイッチ、ミルク……ホットミルク、朝、先生と一緒に……」
 何度も瞬き、頭痛を堪える表情をしている。
「わたし、孤児院に先生の手伝いに行った……?」
 言ってから、ミティアはゆっくりと首を横に振っている。
「思い出したのか?」
 ジェフリーが質問をすると、答えたのはミティアの言葉ではなかった。
 ……ぐう。
 恨めしいほどわかりやすい。ミティアのお腹が鳴っていた。目の前で食べられている肉厚のサンドに彼女は釘付けだ。
 ジェフリーは額に手をついた。圭馬はリブサンドを三割ほどかじっている。その圭馬に向かって言う。
「半分やれ」
「ほーい……」
 圭馬はミティアの膝に乗った。包み紙を引っ張り、ミティアの前に持って行く。
「ありがとう、圭馬さん」
 圭馬は不思議に思い、耳を上下に動かしている。
「さっきまで覚えてなかったのに、思い出せたの?」
「はい。思い出せてよかった……」
 思わず笑顔が綻んでいる。
 深夜だというのに、ミティアはリブサンドを美味しそうに頬張っている。彼女の表情は、とっても幸せそうだ。
 その膝の上で、圭馬がスライスされたニンジンをシャリシャリと音を立てながら口に運び込んでいる。
 小動物二匹を目の前にして、安心したのだろうか。ジェフリーはどっと疲れを感じた。体が鉛のように重い。
 ローズはジェフリーを気遣った。
「ジェフ君は少しでもお休みくださいヨ」
「大丈夫だといいんだが……」
「この様子だと、私生活に支障はないでしょうけどネ。ワタシと、けーま君で話し相手になるデス。また何か思い出すかもしれませんヨ?」
 それを聞いて安心した。ジェフリーはふらつきながら椅子を立った。
「すまない博士、お願いする……」
 ただでさえ昨日はいろいろとあった。記憶喪失による緊張も圧しかかって、心身ともに壊れそうになった。ミティアも気がついて良かったし、まるっきり記憶がないわけでもなく安心して疲れが出た。今にも倒れそうな疲労は珍しい。ジェフリーは壁伝いに部屋を出ようとする。
「ジェフリー……さん、はいらない、でしたよね」
 ミティアが呼び止めた。
 ジェフリーは振り返り、ミティアを安心させるために笑った。疲労を隠すために、ぎこちない笑いだ。
「おやすみ……」
「おやすみなさい、ありがとう……」
 ミティアもぎこちない笑顔だったが、挨拶し返した。

 あとのことはローズと圭馬に任せ、ジェフリーは部屋を出て扉を閉めた。そのまま扉に背中を寄り掛からせ、大きく深く深呼吸をした。
 少しだが、ミティアとの心の距離が戻ったと感じた。もしかしたら、これ以上思い出さない方がいい気がする。
 都合よく、恥ずかしく浮かれていた部分だけを忘れていてほしかった。
 ミティアを好きだと言っていた、竜次のためにも。

 ジェフリーは男性部屋に入るなり、ベッドに横になっただけで即寝してしまった。
 夢も何も見ない、真っ暗で静かな安らぎに身を任せる。
 体は重く、深い海に沈むようだった。
 
「ジェフリーさん!!」
 ジェフリーはサキの声で目が覚めた。体に何もかけないまま横になって、そのまま寝た。就寝時の記憶が怪しい呼吸の通り抜けに違和感があったが、起きて寝不足の目頭を摘まんだ。
「た、大変なんです!!」
 サキの声はこんなに大きかっただろうか。
 頭にガンガンと響いた。ジェフリーは頷きながら目頭を放して部屋を見渡すと、ただならぬ表情で皆が揃っていた。荷物もまとめて、出発する準備も整っている。
 全員? いや、一人足りない。
「兄貴は帰ってないのか?」
 ジェフリーが掠れた声を発する。起き抜けのせいだろうか、うまく声が出ない。
 サキはジェフリーの顔をまじまじと見、眉を下げた。
「ジェフリーさん、やけに鼻声ですね」
「俺はいいから」
 ジェフリーはサキが言う『大変』の意味を把握し、ベッドから立ち上がった。頭が重く、足がふらつく。
 ジェフリーは徐々に目が覚めて、皆の顔を見る。皆は心配そうだ。ジェフリーは竜次のことを、実はさほど心配に思っていなかった。
「どっかで酔い潰れてるんじゃないか?」
「血の繋がったお兄ちゃんでしょ。もう少し心配してもいいと思うけど!?」
 コーディは憤慨しながら一枚の紙を突き出した。宿の請求書だ。
「昨日稼いだお金、ほとんど消えちゃったんだけど! お兄ちゃん先生がお財布持っているんじゃないの?」
 ジェフリーは頭痛を訴えるように頭を押さえた。コーディの怒った声も、ガンガンと響く。忘れていたが、そういえば追加で部屋も借りた。皆で連泊もしているし、かなりの額だ。金額の建て替えをしたコーディが怒るのもわかる。
「このままじゃ、今日の寝床の心配もしないといけないじゃないのよ、もぉ……」
 コーディはぶつくさと文句を言いながら、請求書をポケットにしまった。
 ジェフリーは手櫛で髪を軽く整え、抜けた毛を一吹きした。立ち上がって、首と肩を鳴らす。
「これから探しに行こう。どこかで酔っぱらって、寝ているといいんだけどな」
 皆で宿を出発する。チェックアウトをし、荷物を持って街中へ出た。
 街自体はコンパクトにまとまっているが、見る場所も施設も多い。手分けして探すことにした。
 キッドとミティアは一緒に行動をするようだ。ミティアを支える意味でも、キッドがしっかりとした気質であることも知っていて、任せようとジェフリーは判断した。
「見つかっても、見つからなくても、正午に街の裏口でね!」
「チャオッ!」
 コーディはローズと組むようだ。彼女たちは、市場の方角へ歩いて行った。
 残されたジェフリーは、体調を心配してくれたサキと一緒だ。
「で、俺とお前がセットか」
「何ですか、その言い方……」
 寝起きで気分が悪いと言えばそうだが、さすがに悪く思った。どうもここ最近は、精神面が荒れつつある。ジェフリーは痛む頭を振った。
「悪い……」
「ま、ボクも一緒だから!!」
 圭馬の存在はどちらでもよかった。
 日は昇り、快晴の空が輝く。ジェフリーはサキと創作をすることになったが、実はこの街には詳しくない。
「お前、地図帳はどうしたんだ?」
 サキは見づらそうな地図をじっと見ていた。これは、コーディからもらった地図のようだ。ジェフリーの記憶が正しければ、気の利いた地図帳を買っていたようだが持っていないのだろうか。
「姉さんが持って行っちゃいました……」
 弟の権限はないらしい。どこもこんなものかと、ジェフリーは同じ弟の立場として同情した。
 この街に詳しいコーディはローズと組んでいるし、安全面を考えたら、この組み合わせは妥当かもしれない。
 サキは地図を見るのをやめ、顔を上げた。
「先生が行きそうなところ、見当はつきませんか?」
「そう言われてもなぁ……」
「ご兄弟なのに……」
 今日のサキは口調が厳しい。寝起きの不機嫌を根に持っているのだろうか。この指すような視線も、時折耳にする棘のある発言もキッドに似ている。昨日姉弟だと明かされたが、意外と違和感がないとジェフリーは思った。
 ギルドに足を運ぶのは、コーディがやりそうだ。繁華街は、読みやすそうな地図帳を持ったキッドたちの方が歩きやすいだろう。自分たちはどうしようかと、ジェフリーは考えようとする。寝不足のせいなのだろうか、まったく頭が働かない。
「人探しが出来る便利な魔法はないのか?」
 魔法に頼った。いい加減な奴だとジェフリーは自分で思った。
 サキは顎に拳を添えながら何やら難しい表情をしている。
「人探し、かぁ……」
 攻撃魔法や外の悪天候を含めた視界の悪さ、それらを補助する魔法は身についてはいる。だが、日常生活で役に立つ魔法は縁がない。
 サキは何かを思い出し、ポーチを漁った。カチャカチャと魔石がぶつかる音がする。サキが引っ張り出したのは、古びた小さい本だ。
 爆竹のような音を鳴らす魔法があるなど、変な魔法が記された本だった記憶がある。確かその本は、フィラノスの古本屋で見つけて来たものだ。ジェフリーはサキの反応を待った。
 サキは夢中でページをめくる。ぱたりと手を止め、顔を上げた。
「人ではないですが、身につけていたものを探せる魔法はありますね」
 これから名探偵が事件の解明でもしに行くのだろうか。そんな疑いを抱く、妙な魔法の話だ。
「ん? その本なぁにー?」
 圭馬が本の裏表紙を覗き見た。
「なんだぁ、ショコラババアの本か……相変わらず変な魔法を作ってるなぁ」
 著者を知っているようだ。それにしても、口が悪い。
 魔法は一部の高位術者が作るとは聞いた覚えはあるが、違うのだろうか。一応ジェフリーもフィラノスの魔法学校に在席したことがある。まだ、基礎知識はあるつもりだ。
 サキは顔をしかめ、考え込んだ。
「先生が身に付けていた特徴的なものって、何があったかなぁ……」
 サキは本を持つ手とは逆の手で、人差し指で八の字を描いている。ジェフリーは思いついたものを言う。
「医者カバン、沙蘭の名刀!」
「なるほど。それでいきましょう」
 ジェフリーは、竜次が身につけていた特徴的なものを挙げた。サキは大きく頷き、空に向かって光を弾いた。
「サガシモノ・沙蘭の名刀、お医者さんカバン」
 奇妙な魔法だ。光はどこへも行かず、シャボン玉が消えるように弾け消えた。
 サキは本を再び見る。間違いではないと確認をした。
「んー……どこにもないみたいです」
「あのババアの魔法大丈夫かぁー?」
 圭馬の疑いを気にせず、サキはまた顔をしかめる。
「これ、術者の魔力にもよりますが、半径三キロ程に効力あるみたいです。この広範囲に先生の持ち物が確認できないのはおかしいですね」
 半径三キロ、この街よりも広い。山道を戻ったくらいか、あるいはフィリップスに向かったのかもしれないが、一人で行動する理由が見あたらない。
「ほかで試してみますか?」
 サキはまた人差し指をぐるぐるとさせ、ジェフリーに再度質問をした。
「兄貴の特徴的なもの……」
 ほかに何があっただろうか。ジェフリーは考え込む。身近な人物の特徴は、意外とぱっと答えられない。
「お月様の耳飾り、髪の毛にリボンもしてたよね!」
 今度は圭馬がアクセサリーの類を口にした。
 サキが再び光を空に向かって弾く。今度は弾けなかった。
「え、もしかしてビンゴ?」
 圭馬が驚きの声を上げた。光はもう道を走り出している。
 二人と一匹は街の裏通りを抜けた。少し開けた通りに辿り着く。ここは昨日、ミティアを抱えた竜次に会った場所だ。ジェフリーは鮮明に覚えていた。
「この近くか?」
 走って行く光に追いつこうとする。だが、ここから先は道らしくない道を行かせようとしていた。フェンスや、民家に遮られる。
「うぅ……ジェフリーさん、待ってください」
 体力のないサキが、階段と坂道の連続で早くもヘトヘトになっている。
 光は雑木林を突き抜けた。運動神経のいいジェフリーが先に突き進んだ。圭馬はちゃっかり彼の肩に乗っている。
「うそぉ、まだあるの?」
 見える距離なのに、まだ階段がある。
 サキが息を切らせながら登りきり、雑木林に足を踏み入れた。
「道じゃないし、何なんですか……」
 サキは文句を言いながら追いつこうとする。根性は本当に素晴らしい。だが残念なことに、見える範囲にジェフリーはもういない。
 雑木林を抜けると、手入れのされていない広場に辿り着いた。
 ジェフリーは足を止め、動かない光の前で立ち尽くしている。
 あまり手入れがなされていないのか、小砂利が入り乱れ、草は伸びっぱなし。運動場のようにも思える広さだ。
「ジェフリーさん!」
 サキはやっとジェフリーに追いついた。
 ジェフリーの視線が地面に向けられている。
「え、これ……」
 サキも立ち尽くした。砂に埋もれた三日月の半分が見える。
「まぁ、そうだね……」
 圭馬が砂を払い、拾い上げた。ジェフリーは無言で受け取る。
 三日月のピアスだ。金具が大きく曲がっていた。銀とも金とも言いがたい不思議な色をしている。自分が見ていた色は、こんな色だっただろうか。ジェフリーは意外と気がつかないものだと不思議に思った。
 本当に竜次が身につけていたものだろうか。ジェフリーは太陽の光に当てたり、擦ってみたりと観察をする。よく見ると三日月の外側に沿うように、小さく掠れた文字が掘られている。
 針金のようなもので引っ掻いたいびつな文字だ。砂の汚れと、太陽の光で浮かび上がったように思えた。

『どんなに傷ついても あなたから光が失われませんように』

「…………」
 ジェフリーは言葉を発せなかった。きっとこれは、亡くなった彼女からもらった大切なものに違いない。こんな大切な物、竜次が落とすはずがない。
 何かあった。この場所で。
 呆然とするジェフリーを見て、サキは訊ねた。
「それ、先生のもので間違いないですよね?」
 ジェフリーは竜次が亡くした彼女の名前を知らない。だが、物探しの魔法と、この三日月に刻まれた言葉で確信を持った。
「カバンも刀も反応しないなら、なぜここにこれだけあるのか、だな……」
 ジェフリーが周辺を見渡す。その声も顔も険しい。争った痕跡だらけだ。
 正確にはいつのものかはわからない。黒い染みは血の跡だろうか。かなりの広範囲に及んでいる。
「どう思う?」
 サキと圭馬にも考えを聞いた。
「手がかりが少なすぎます。これじゃ、何が何だか……」
「これ、ローズちゃんならわかりそうだけど」
「今、何時だ?」
 そろそろ待ち合わせの時間かもしれない。今から移動時間を考えればちょうどいいかもしれない。
 サキが懐中時計を見ると、頷いて顔を上げた。
「もうすぐ正午です。今から向かえばちょうどいいくらいかも?」
 聞いたジェフリーが既に小走りだ。その逞しい背中が恨めしい。
「えぇ、また走るんですか……」
 街の裏口はギルドの先だ。案内がなくても、ジェフリーは知っている。
 放っておくと小さくなる背中、サキは大きく息を吸ってその背中を追い駆けた。
 
 街中を走っているものの、呼び止められたりはしなかった。
 さすがに救世主だの勇者だの、そう続かないであろう。結局一歩も立ち止まらないまま、集合場所に辿り着いた。
 サキがむせ返しながらも呼吸を整えているが、もう既に話がはじまっていた。
 気持ちはわかるが、少しは気を遣ってくれてもいい気がする。サキはジェフリーの気質を疑った。
「おぉ、よく頑張ったね」
 息が上がっているサキに声をかけたのは、ちゃっかりとジェフリーの肩で楽をしていた圭馬だった。特に嬉しくはない。

 コーディがギルドの依頼書の写しを数枚持っていた。
「ジェフリーお兄ちゃん、これ……」
 やはりコーディはギルドに行っていた。捜索場所が二重にならずに済んだ。
 ジェフリーは受け取って書面を見る。またくだらない依頼ばかりで見るのも飽きそうだ。表情が露骨に面倒を示していた。
 ジェフリーの表情を見たコーディが急かすように言う。
「一番うしろに機密依頼があるってば」
 最初からそれだけ渡せと思ったが、貰いたてなのだろうか、紙が真新しく、指を切りそうだ。ジェフリーは一番うしろの書面に目を通した。すぐに息を飲んだ。
「この依頼、いつ来たものだ?」
「昨日の夜か、今日の朝か。街道が通れるようになったから来た情報だと思う」
 くだらない依頼の中で、最後に加えられたような変な感じもしたが、それだけ新しい情報なのだろう。コーディが示した機密依頼はこうだ。
『種の研究所に同行してくださる方を募集します』
 依頼人は空欄だった。ただ、依頼場所は王都フィリップスのギルドだ。
「いたずらにしちゃ、命知らずだな」
 ジェフリーはコーディに紙を返した。とりあえずこの件は後回しにしようと考えた。
「居酒屋さんとか、遅くまでやっていた店も探したけど見つからなかったわ」
「先生、どこに行っちゃったのかな……」
 繁華街を捜索していた親友コンビも報告をする。
 先に依頼書の話になって、出しづらくなってしまった。
「えぇ、見つかってどこかで休んでるのかと思った……」
 コーディがトランクのサイドポケットに依頼書の写しをしまい込みながら、一同を見上げている。
 そう思っていたのなら仕方ない。もったいぶると、もっと話しづらくなる。ジェフリーは右手を差し出した。手には、金具が曲がった三日月のピアスが乗っている。
 一同は息を飲んだ。
 ミティアが嫌な予感がし、声を震わせた
「これ、先生のじゃ……どうしてこれが?」
 金具が壊れたピアスだ。これを見て、何も思わないはずがない。記憶があやふやなミティアでも、誰の所有物かがわかるのだから。
 ジェフリーはあえてここで詳細を言わず、指名をした。
「博士、一緒に来てほしい。俺だけじゃ判断が難しい状況だ」
 ローズはアヒル口になり、眉を吊り上げながら首を傾げた。
「ワタシだけデス?」
 ローズだけに声をかけるのはあまりにもおかしい。キッドが不満を爆発させる。
「ねぇ、ちょっとどうしたのよ、これ? 何の説明もないの!?」
 キッドは、ジェフリーが仲間内で情報の共有を疎かにしていると判断した。さらに問い詰める。
「ねぇ、先生見つかったんでしょ? どこにいるの? 何があったの?」
「……そうじゃないんだ」
 ジェフリーは一緒に連れて行くか迷った。当然取り乱すだろう。いや、このまま隠しては良くないのかもしれない。
 コーディも察したようだ。キッドほどの勢いはないが、内緒になれることに嫌悪感を示した。
「お兄ちゃん先生に、何かあったんでしょ? どうして教えてくれないの? 私たち、仲間じゃないの?」
 コーディは目でも訴えた。ジェフリーはこれをあえて見ないようにした。
 何も言わないが、ミティアも心配そうだ。何も言わないが不安な表情で、ジェフリーに訴えかけている。
 ジェフリーはミティアに対し、罪悪感を抱いていた。一番知られたくないのは彼女だからだ。
 皆の質問がジェフリーに集中した。なぜなら、サキはそこでまだ息を切らせているからだ。
 ジェフリーは仕方がないと諦める。一息つき、一応忠告を交えた。
「正直、気持ちがいい場所じゃない。覚悟があるならついて来てくれ」
 皆は黙った。ジェフリーから深刻さを悟ったようだ。
 先頭を歩くジェフリーにローズが声をかけた。
「ピアス、見せてもらってもいいデス?」
 ジェフリーは無言で突き渡した。ローズは受け取ってすぐにそれがどんな大切なものかを把握した。歩きながら文字を見て表情を曇らせる。それからポケットに手を突っ込み、同じようなタイプのピアスを取り出して金具を見比べていた。
 ローズも赤い耳飾りをしているが、同じタイプなのだろうか。
「これ、後ろにも金具あるタイプなので、そう簡単に外れないはずデス。大きく転ぶか、殴られでもしたら外れるかもしれませんネ」
 ローズは確認が終わり、ジェフリーへ返した。
 これ自体に血はついていない。ただ、竜次が見つかっていない。
「ワタシはこんな大切なもの、意図して落としたりするとは思えませんネ……」
 ローズもジェフリーと同じ考えを持っていた。

「どうしてあれだけ見つかったの? サキの魔法?」
 ミティアはサキに質問をしていた。サキは話しかけられて嬉しそうだ。
「物探しの魔法で見つかったんです。生活便利魔法ってヤツですよ」
 こういう話をさせておくのもいいだろう。ジェフリーは口も挟まず、特に止めもしなかった。悪い話ばかりしていても気持ちが明るくはならないからだ。
「生活便利魔法ってほかにどんなものがあるんですか?」
 深く聞かれると思っておらず、サキはポーチから本を取り出して確認をした。

「靴の中や布団を乾燥させる魔法とか」
 乾燥剤か乾燥機。
「背中が痒くて仕方ない時に掻いてもらう猫の手魔法」
 孫の手でいい。猫って何だ。
「地下水脈を探す魔法」
 ダウジングではなかろうか。
「さっきまで持っていて、うっかり落としてしまったお菓子やお薬を探す魔法」
 いや、自分で探せ。つか、落とすな。
「あなたはわたしの親ですか、子どもですか魔法」
 生き別れでも探すのだろうか。
「この人と相思相愛ですか、チェック魔法」
 使ったら負けだ。

 サキのうれしそうな説明を耳に、ジェフリーは心の中で指摘を入れ続けた。夢のない人間だと思われるかもしれない。ゆえに、口に出せなかった。

 くだらない魔法の話を聞いているだけで雑木林の前まで来てしまった。
 キッドが不満の声を上げる。
「えっ、ここ通るの!?」
 かまわずジェフリーは前進した。人が通る場所ではない。生い茂って葉が散った。
 開けた場所に出た。手入れがなっていない広場だ。
 突然ミティアが震え出した。
「ぁ……わたし……」
「おい、どうした?」
 ミティアは膝を着いて腕を抱え、寒さを訴えるように震えている。
 ジェフリーが手を差し出そうとして、ローズが割って入った。
「ほい」
 ローズはミティアの口元に、棒つきのポップキャンディを突き出している。
 ミティアはじっとキャンディを見つめていた。
 ローズは包装紙をクシャッと剥がす。
「ミティアちゃん、あーん」
「あーん…………むぐっ」
 ミティアは抵抗もなく、素直に食べた。カチャカチャと歯にぶつかる音がする。飴の棒は不規則ながら上下した。
 確認したローズは、同じものをポケットから取り出して口に含んだ。
「緊張状態に飴ちゃんを食べるとリラックスするデス……」
 飴の棒を摘まみながらジェフリーに振り返った。ミティアを不安に陥らせないように、工夫したようだ。一時的かもしれないが、これは助かる。
 ローズの行動に、ジェフリーは深く感心した。
「さすが、学者さんだな」
「こういうときは、医者として褒めてもらいたいところデス。ところで、落ちていた場所はどこデス?」
 ローズがジェフリーと歩き出した。
 その背中を見て、コーディが翼を広げた。
「私は上から見てみるね」
 コーディはジャンプして翼を羽ばたかせ、高く飛んだ。上から見れば、何かほかにも見つけられるかもしれないという思いだ。
 空からも捜索が加わり、皆で手がかりはないかと探しにかかった。
 探す過程で、圭馬はミティアの変化に気づいた。
「その顔は何か思い出したって顔だよね?」
 ミティアは深く頷いた。ローズの気遣いのおかげか、過度なパニックにならないで済んだ。
 本来記憶喪失とは厄介なもの。周りの理解と、ほどよい距離間でのケアが必要だ。
 幸いにも仲間に恵まれ、勝手のわかる医者もついている。まだ部分的に記憶の欠落が見られるが、徐々に戻っているようだ。
 
 サキが伸びっぱなしの草に目をやった。
「ん?」
 異物を発見し、拾い上げた。小さい緑の魔石だ。草の保護色だから、瞬時にはわからなかった。
「どうして魔石が?」
 周囲を見渡したが、これ以外は見あたらない。
 埃も被っていないし、色もくすんでいない。まだ新しい。緑ということは、風の魔法に使いたかったのだろう。
 魔石が大きいなら、攻撃魔法の補助にする。小さくても使う場合はあるが、補助には気持ち程度となる。
 そもそも魔石は魔法の媒体にもなり、使用者は多い。これだけで誰の所有物だったのかは割り出せない。だが、少なくとも竜次ではないだろう。彼は魔法を使わない。
 余程弱っていたら、どんな魔石でもかまわず弾くかもしれないが、これだけでは何の参考にもならない。
 サキは不思議に思いながら、とりあえずポケットに入れた。

 調査をしていたジェフリーは立ち止まった。
「ここに落ちてた」
 砂の地面には圭馬の小さい足跡がある。
 ローズは飴の棒を摘まみながらしゃがみ込んだ。それから引きずった跡を追って行った。
「ジェフ君、こっち歩いたデス?」
「いや?」
 足跡を見ているようだ。足跡を追うとは考えていなかった。
 ローズは地面を見ながら時々しゃがんでは指で擦って確認している。ぐるりと見てからジェフリーの足に戻った。
 それから大きく頷いて立ち上がる。飴の棒を指示棒のようにさせ、わかりやすく示しながら説明をする。
「少し離れたあそこに大人が倒れたような跡がありました。この痕跡だと誘拐か、拉致ですかネ……」
 嫌な言葉だ。それでも死んだと言われるよりマシだった。ジェフリーは説明を聞きながら、心配を募らせた。昨夜のうちに探しに来れば、違っていただろうか。今さら後悔をした。
「これ、長くて綺麗な金髪です」
 ローズが痕跡の先を指しながら、その指先で髪の毛を摘まんでいた。
「彼が怪我をしていたなら、足跡がこんなに綺麗じゃないはず。それに、この近隣に血の跡がなかった点から見ても……」
 ジェフリーは、ローズが探偵に向いているのではないかと疑った。
 ローズは離れた場所を指さした。
「向こうにも争った跡はありますが、足跡が何種類も入り乱れているようですね」
「兄貴は……無事なのか?」
「ここからいなくなる段階ではその可能性が高いと、今のところは……」
 ローズは断言をしない。だが大体の流れも推測し、説明もしてくれた。
 ジェフリーは聞いて安心をした。あとは手掛かりを探さなくては。
 コーディが話をするため急降下した。飛んだまま指をさしている。
「あの裏って孤児院なんだね」
 引きずった跡に続いていた。茂みに人が通った跡が見受けられる。葉が散っていた。
 コーディはぱたりと着地した。
「手がかり、あった?」
 ジェフリーの辛辣な表情から何かを汲み取ったのか、コーディも心配している。
「まぁな。これからの動き方を考えないと……」
 話の整理もしないといけないが、これからの動きも考えないといけない。ジェフリーは仲間を集合させた。
「まずは場所を移そう。居心地がいい場所じゃないだろ」
 血の臭いもするし、荒れた場所だ。ジェフリーは移動を提案した。
「待って……」
 意外にもミティアが反対した。記憶を辿り、自分へ確かめるように言葉を刻む。
「わたし、昨日ここで、クディフって人と剣を交えました。子どもたちと先生を守りたくて……」
 一同は、ミティアの記憶の回復が早いのを驚いた。そしてきちんと自分で出来事を語るのにも驚いた。
 ローズは特に驚いている様子だ。飴の棒を口から引っ張り出しポケットにしまった。まるで聞き耳でも立てるように俯いて黙っている。
 ミティアは争った痕跡がひどい場所を指さし、声を震わせた。
「わたし、あそこで切りつけられて、そこから記憶がありません。禁忌の魔法を使ったんだと思います」
 何となくの事情は竜次から聞いてはいたし、ジェフリーも皆に話してはいる。ミティアの口から詳細が語られるのは意外だった。
 戦った相手はクディフ。ミティアが戦って勝てる相手ではない。
「わたしのせいで、先生の心は傷ついたと思います。今、こうしてみんなと一緒にいる事自体があの人に仕組まれていた。仲良くなって、信頼を築いて、誰かが傷ついて、わたしが禁忌の魔法を使うのをずっと待っていた」
 キッドがミティアを抱きしめた。
「そんなのどうでもいいじゃない」
「でも、わたし……」
「仕組まれたから今こうしているの? あたしは違うわ。あたしは、ミティアの親友だから一緒なの。それに、みんなだって違うと思う。そんな安っぽい関係じゃないわ」
 キッドらしい、力強い発言だ。ミティアを支え、励ましていた。仲間との信頼が築けたのはキッドも同じだ。この事実は揺るがない。
 誰かに指示されたから、仕組まれたから、仕方なく一緒にいる。そんな仲間はここにはいない。
 同行する理由はこれで十分かもしれない。だが、ミティアは違う点を心配した。
「でも、わたしのせいで、先生はいなくなった……」
「それは違う!」
 咄嗟にジェフリーが口を挟んだ。大声が出てしまったので、驚かせたかもしれない。
「コーディも見ていたが、倒れたミティアを助けたのは兄貴だ。それは間違いない」
 ジェフリーは強い口調で言うも、内心は竜次の話をするのがつらい。
「兄貴は……兄貴は、ミティアが好きだから、あんなに必死になって傷ついても平気なんだ。いなくなった理由は違う!!」
 ジェフリーはミティアと目を合わせない。やけくそになって、吐き捨てているように見える。
「俺が一緒にいる理由は、単に護衛と言ったからで、それ以上はない。これから兄貴を探そう」
 聞くには十分な声量だった。
 誰も何も返さない。ミティアだけは目を見開き、ジェフリーの言葉に困惑している様子だ。
「メシでも食って元気を出せ。みんなは先にどこかで食事をしていてくれ。俺は人探しの依頼をギルドに出してから行く」
 ジェフリーは雑木林を抜けて行った。
 ミティアは魂が抜けたように呆然としている。
「え、ぇ……?」
 呆然から肩を揺らし、何度も瞬いて大粒の涙を零した。ジェフリーが何を言ったのかをやっと理解したようだ。
「先生が、わたしを……? じゃあ、わたしは……」
 ミティアの心の中ではいくつもの感情が入り乱れ、嵐が起きていた。
 ジェフリーの言葉をきっかけに、欠けていた記憶が蘇る。それが涙の理由だ。

 去ったジェフリーをコーディが羽ばたきながら追う。
「ち、ちょっとジェフリーお兄ちゃん!!」
 コーディは怒っているようだ。
 ジェフリーのことはいったんコーディに任せる空気になる。なぜなら、コーディは移動速度が速いからだ。
 この場に残った一人、キッドがひどく憤慨した。
「あいつ、何なの!? 有り得ないんだけど」
 サキも同調した。彼は個人的な怒りもあるようだ。
「ジェフリーさん、最低です。どうしてミティアさんにわざわざあんなことを……」
 ジェフリーの発言は、自分からミティアを遠ざけようとしているのではないか。サキは個人的に思った。
 嫌悪感をむき出しにしているキッドとサキ。それ見て、圭馬は独特の楽しみ方をしていた。
「昼下がりの泥沼ドラマじゃん。人間臭くていいねぇ! ボクこういうの、大好き」
 敵なのか味方なのかわからない発言だ。
 圭馬の発言を耳にしたローズも複雑な心境だった。
 ミティアの記憶喪失に乗じて、気持ちを遠ざけようとしている。ローズはそんなジェフリーに愚かさを感じていた。
 人の気持ちを簡単にねじ伏せるなど、できるはずがない。普通の人間ではない長寿だからこそ、儚さを感じた。どうして己の気持ちに素直になれないのか。それが人間の魅力なのかもしれない。

 誰かを好きになったら、簡単に気持ちは冷めないだろう。自分でも振り切ろうとしていた。キッドはミティアの親友だから一緒にいる。ジェフリーはそれに便乗する勢いだけの形で嘘を言った。
 兄、竜次の気持ちも言った。余計な情報だと知りながら。
 兄の竜次を優先に考えた。
 ジェフリーはつかつかと足早になり、ギルドに向かう。
「ねぇちょっとぉ!!」
 コーディだ。ジェフリーを気遣っているのか、それとも怒っているのか飛びながらついて来ている。
「いくらなんでも、あれってひどいよ!!」
 どうやら後者だったようだ。追いながら小言をぶつけている。
 ジェフリーは黙って受けた。
「お姉ちゃん泣いてたよ!! それに、みんな怒ってる!!」
 足を止めないジェフリーに対し、コーディは怒りをぶつけ続けた。
「あんなひどいこと言って、何とも思わないの!? 大人として、言うだけ言って逃げるようなことはどうかと思うよ!?」
 ジェフリーの足がぴたりと止まった。
「これが、ミティアと兄貴のためだから……」
 言い返さないつもりだったのに、これだけはどうしても言いたかった。ジェフリーも本当はこんなことをしたくなかった。どうして自分はことをややこしくするのだろうか。自分の気持ちに素直になれないもどかしさと、周りに気を遣っている葛藤に自暴自棄になった。どうしても自分が思っていることと、実際にやっていることが一致しない。
 
 ジェフリーは再び歩き出したが、足が重かった。先ほどまでは速足だったが、今度はゆっくり引きずるように歩いた。体が重い。不規則な生活と、寝不足のせいだろうと予想はついた。
「何してんだろうな、俺……」
 誰かに言ったつもりはない。だが、コーディはきっちりと拾った。
「お姉ちゃんの記憶、部分的に欠けてるから。覚えてないのを利用したんだよね? お姉ちゃんを遠ざけようとしてる。お兄ちゃん先生のためって言ってるけど、本当は好きなんでしょ? これであってない?」
 さすが年頃の女の子、コーディだ。拍手して、鋭い指摘を称賛してやりたい。感心にも近かった。ジェフリーはそんなくだらないことを思っていると、階段を踏み外した。
 数段だったが、派手に転んで腰を打った。
「えっ、ジェフリーお兄ちゃん、どうしたの?」
 コーディは降下して、支え起こした。コーディは異変を感じた。
「あ、あれ? 何か熱くない?」
 コーディが起こそうとするが、ジェフリーはそのままコーディに倒れ掛かるように体重を乗せる。
「ちょっと、重いってば、ふざけないで……?」
 ジェフリーの様子がおかしい。コーディは足で踏ん張って体を起こし、彼の顔を見る。
「うっそ、顔が赤い……」
 今日起きた時は鼻声だったし、何もかけて寝てなかった。コーディは嫌な予感がし、ジェフリーの額に触れる。異常な熱さを感じた。汗もかいている。
「えぇ、ちょっ、マジ? どうしたの?」
 ここのところ無理な行動をしていたが、ついにそのツケが回って来たのだろう。
 コーディは一緒に行動するようになっても間もないが、野営もしている。度重なる心労もあって、体に異常をきたしたに違いない。
 場所は目立たないところだ。市場が盛んな時間のせいか、人通りがない。とにかく人を呼びたいとコーディは場所を確認する。
 もう少し行けば、繁華街だ。とりあえず誰でもいいから捕まえたい。
「ちょっとここにいて。すぐに人を呼んで来るから」
 コーディはジェフリーを座らせたまま石壁に寄り掛からせた。意識はあるが、朦朧としている。

「よぉ、そいつ具合でも悪いのか?」
 階段の上段から男性の声がした。コーディは自分が飛べるのにも限らず、男に駆け寄った。必死に訴える。
「あの、助けて! このお兄ちゃん、ものすごい熱なの!!」
 眼鏡、ワイシャツに緑のストライプ柄のネクタイを身につけている。金髪で中年を越えた『おじさん』だった。両脇に鞘が見える。腕利きのように思えた。ギルドの関係者かもしれない。
 コーディは特別腕力があるわけではない。大人のジェフリーを担ぐには無理があった。
 男性はコーディと目を合わせたが、見下すような視線だった。鼻で笑うような息をし、階段を降りた。ヤンキーのような、みっともないしゃがみ方をし、ジェフリーの顔を覗き見た。
 コーディが緊急を訴えるのに、男性の行動は気だるそうにゆっくりだ。
「遂に寿命かと思ったが、タダのビョーキじゃねぇか……」
「あの、おじさん、近場の宿でいいから運んでほしいの!」
 男性は人差し指を左右に揺らしながら、ゆっくりと舌打ちを三回した。
「礼儀がなってねぇな……」
「……えっ?」
 男性はコーディの前で仁王立ちをする。
「挨拶もしないだけじゃなく、礼儀もなってねぇな? 人に何かお願いする時は、お願いしますって言うんだよ!」
「え、え、あぐふっ……」
 コーディの視界が一瞬で激しく上下した。腹部に激痛が走る。息が苦しい。横隔膜に入ったのか、呼吸が出来ない。
 よほどの力なのか、そのまま飛ばされるように後退した。コーディは階段の中腹で、背中から倒れた。
 
「ったく、竜次もそうだが、最近のガキはちゃんとした教育を受けてねぇのかぁ?」
 男性は吐き捨て、踵を返した。
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