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【5】親と子どものカタチ
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ローズと圭馬は、静けさを取り戻した街道で見回りをしていた。湿った道を歩き、足を慣らす。どこへ赴くわけでもないが、周囲を警戒していた。
抱きか抱えられていた圭馬は、ローズを見上げている。
「ねぇ、ローズちゃん、そろそろ戻ってあげようよ」
異常もないし、何か襲撃があったわけでもない。青々とした綺麗な木々、そこから見える日の光のせいで真下に影が落ちた。昼を回ったくらいだろう。
ローズは木陰からサキとキッドの様子をうかがっていた。
キッドは責任を感じていた。自分のせいで魔導士狩りと呼ばれる大量虐殺が起き、たまたま居合わせた人が無差別に殺された。魔法無効能力者である自分を、何としても探し出すために。
知らなかった。だから、魔導士狩りの首謀者を憎いと感じた。家族を引き裂かれたあの出来事を、理不尽だと思った。
ジェフリーも、目の前のサキもキッドを怒らない。
いっそ怒って、罵られてほしかった。そうすれば、堕ちるところまで堕ちて何も考えられなくなって、どんなに気が楽だっただろうか。
過去は振り返らない、引きずらないように生きて来た。実際は、自分の過去を見ないようにしていた。
いつまでもこんな自分ではいけない。前に進まないと自分らしくない。キッドは『今』と向き合うことにした。
キッドはサキに質問をした。
「あんた、あたしが姉で本当に良かったと思う?」
本当は聞くのが怖かった。だけど、キッドはサキが嘘を言わないのを知っている。
サキは照れくさそうに笑い、頷いた。
「当然です。僕はこれから何て呼んだらいいですか?」
二人きりの空間。見える範囲に白衣の姿は確認できる。
おかげで、今まで失っていたものを取り戻す、心の会話ができそうだ。
「ごめん、わかんない……」
少しずつだが、いつものキッドに戻って来た。
「僕は今までと一緒でいいです。いえ、一緒がいいな? 実の姉弟だったとわかった途端、急に何かを変えるのはおかしいと思います」
今までのままでいいとサキは笑った。だが、サキはあざとい上目遣いをした。
「あ、でも、ときどき、お姉ちゃんって甘えてもいいですか?」
聞いたキッドは悩ましげに眉を下げる。
「し、しょうがないわね!」
「えへへ、やったぁ……」
あどけない顔に純粋な心。本当に弟だったらいいなとキッドは思っていた。すでに弟のように扱っていたかもしれない。意識して守ってあげたり、面倒を見たり。なぜか放っておけなくて世話を焼いていた。
サキは不便に思っていることを話した。
「でも僕、ほとんど家族のことを覚えていないんです。いつか、ちゃんと姉さんのことを思い出せるといいな……」
その言葉を聞いてキッドは立ち上がり、サキの頭を撫でた。サキの髪の毛をくしゃりとさせ、帽子が潰れてしまいそうなほどだ。
「馬鹿……そんなの、どうでもいいのよ」
姉としての意識だけはする。けれど、根本的な接し方はこれまでとは変わらない。
キッドはサキがやたらとにやけているのに気がついた。
「じゃあ僕、ミティアさんだけじゃなくて、姉さんも普通の女の子として生きられる道を探します」
「なっ、ば、馬鹿ね、あんた……」
キッドは泣き止んだはずなのに、目尻に涙を溜めた。うれしいが意地を張ってしまい、素直に喜べない。
「ど、どうしようもない、馬鹿よ、あんた……」
「姉さんに馬鹿にされるなら、いいかな」
サキは無邪気に笑っている。彼なら本当にその道を探すだろう。キッドは呆れながらため息をついた。だがその口元は笑っている。
「でも、さすがね。普通はその発想に行きつかないんじゃない?」
サキは歯を見せて自慢げに言う。
「えへへ、もっと褒めてもいいんですよ!!」
キッドは泣きながら笑っていた。久しぶりにサキのキャッチフレーズを耳にした。これから少しずつ、失った時間を取り戻していこうと思った。
キッドはサキと仲良く手を握っていた。
街中で孤児院の場所を特定するのは簡単だった。孤児院への道は看板が示していた。理解のある街で助かる。
以前、孤児院がフィラノスにあった時は、国からの圧力があった。景観を損ねる、魔法都市にふさわしくないなど、苦情もあった。もっとも、理由はそれだけではなかっただろう。詳しい事情は子どもだったジェフリーにはわからなかった。
「ねぇ、ジェフリーお兄ちゃんは平気なの?」
コーディは歩きながらジェフリーに話しかけた。
「平気って何がだ?」
「えぇっ!? 昨日ミティアお姉ちゃんとあんなに仲良くしてたじゃん……」
中身が年頃の女の子であるせいか、ジェフリーを詮索する。ジェフリーは相手をするのが面倒くさいという態度を示した。
「いいの? ミティアお姉ちゃん、お兄ちゃん先生に取られちゃうよ?」
「コーディは、いつから色恋沙汰に首を突っ込むようになったんだ」
「あー……恋愛小説も書けるかもね」
引っ掻き回すまではないのだろうが、いちいちかまうのも馬鹿馬鹿しい。ジェフリーは機嫌が悪くなり、足が速くなった。そのうしろを、コーディは文句を言いながら歩いている。
二人は孤児院に到着し、柵の鈴をガラガラと鳴らした。この柵は、子どもがむやみに外に出ないようにしているのだろう。
すぐにマリーが駆けつけた。ただの簡単な柵なのに、開ける手が震えている。
まだマリーは慌てているのかもしれない。そう思ったジェフリーは先に言った。
「兄貴は無事だった。今は戻ってゆっくりしてる」
マリーは手を止め、ジェフリーと目を合わせた。
「ほ、本当に?」
「嘘だったらここに来ない」
マリーは疑っていた。だがジェフリーが説得すると、柵の中へ招いた。この疑い症は誰かに似ている。親戚なのだから当然なのかもしれない。
マリーは眉をひそめ、怪訝な目でコーディを見ている。
「ねぇ、ジェフちゃん、その子は?」
「連れのコーディだが?」
「その……背中のそれって本物? 『普通』の子じゃないよね……?」
ジェフリーはマリーが言いたいことをすぐに汲み取った。コーディは察して出て行こうと、一歩下がった。
ジェフリーは強めに反論した。
「おばさんは、見て目が違うからって差別をするのか?」
緊張が走った。コーディはこの外見で嫌がられるのを慣れているし、そういう人がいるのも把握している。
「ジェフリーお兄ちゃん、いいよ。私、外に出てるから」
「せっかく来たんだろ」
「いや、だからさぁ……怖がられるし」
マリーはまた動揺している。見慣れないドラグニー神族を見てなのか、それともジェフリーに反発されたことに驚いているのだろうか。おそらく両方だ。
「こいつが普通と違うから、子どもたちに会わせたくないのか?」
マリーは辛辣な表情で唇を噛んだ。
「言っておくけど、こいつも親がいない。ここの子どもと変わらない。マザー・マリーの名が聞いて呆れる。おばさんがそんな人だとは思わなかった」
言ってからジェフリーはコーディの手を取った。
「戻ろう。邪魔したな……」
「え? えぇーっ!?」
ジェフリーはそのまま柵に手を掛けた。鈴がガラガラと鳴る。
マリーは茫然としながら手を伸ばすが、ジェフリーはこれを無視した。
ジェフリーとコーディはそのまま街中に戻った。
しばらく歩き、マリーが追って来ないのを確認したコーディが声を荒げた。
「ねぇ、ちょっと、これじゃ人さらいじゃん。手を放してよぉ!!」
ジェフリーは手を離さなかったが、立ち止まった。
コーディは手を振り払って不満を訴える。
「ほんっと、意味がわかんないよ。孤児院に挨拶しに行ったんじゃないの?」
「挨拶ならした。近況報告なら兄貴がしてるだろうし、別にいい」
何か渡すものがあるわけではない。特別話したいこともない。それよりもジェフリーは、マリーがコーディに差別的な対応をしたのが許せなかった。
必要以上に過敏だったかもしれない。自分が負の感情を逃がすために、マリーへ八つ当たりをしてしまったかもしれない。ジェフリーは、自分は間違ったことをしていないと言い聞かせていた。
どうも昨日から気が滅入ることばかりだ。気晴らしがしたい。ジェフリーはコーディへ提案をした。
「メシでも食うか?」
「はぁ? もうおやつって時間なんだけど」
コーディは呆れつつジェフリーと食事をすることにした。
時間的に開いているお店が少ない。適当なカフェに入り、テラスの席に座った。
ジェフリーはテーブルに運んだリブサンドを頬張る。肘をついて、行儀が悪い。竜次が見たら、一発で注意が飛んで来るだろう。
向かいの席で、立派な翼まで縮こまっているコーディ。ジェフリーは気を遣って声をかけた。
「食えよ、腹減ってるだろ?」
コーディはリブサンドに目を落とした。
大判のバンズに厚切りの肉、レタスははみ出ててチーズとソースが滲み出ている。マヨネーズも入っているのだろうか、香ばしい肉の香りに混じって、まろやかながら酸味のある匂いもする。
ジェフリーは物足りなさを感じ、食べかけのサンドを置いて席を立った。
「オレンジジュースか?」
テーブルに飲み物がないと気がついた。コーディはジェフリーを睨んだ。
「子ども扱いしないで! コーヒーがいい……ミルクだけほしい」
ジェフリーはレジで追加のお金を払っていた。このお金はジェフリーのものではない。旅の資金の一部だ。
コーディは気になっていた。
なぜ、ミティアがジェフリーを好いているのかを。少しだけだが、その理由がわかった気がした。ジェフリーには壁がない。もしかしたらあったのかもしれないが、そんなものは感じない。
時々子ども扱いされるのだけが、どうにも気に障る程度だが。先ほどは、差別するのかと大人の前で疑問を投げつけた。相手は親戚だと言っていた気がする。それでも、仲間を優先した。
仲間……? 距離感から、友だちかもしれない。
戦場でも気を遣っているのか。頼りにしているのか。声をかけてくれる。こういう人もいるのだとありがたく思った。
こういった人ばかりだったら、偏見や差別やもっとなくなるだろう。種族戦争が起きなかったかもしれない。神族は滅びなかったのかもしれない。
自分は混血だ。忌み子だ。それでも今があることに感謝している。こうしていい人に出会え、一緒に行動ができるのは貴重だとコーディは思った。
ジェフリーがブラックコーヒーを二つ持って戻った。
置いてから思い出したのか、再び席を立とうとする。
「あ、コーディはミルクだったか?」
「えっ、うぅん、せ、せっかくだから、ブラック飲んでみる……」
ジェフリーは再び座り、食事を再開する。一口だけコーヒーを飲むと、謝った。
「いい思い。しなかったよな。ごめん……」
「別にいいよ、慣れてる」
コーディは気を遣われすぎて、申し訳ない気持ちがあった。わざわざ庇ってくれなくてもよかったのに、親身になってくれる。ここまでされると、少々おせっかいかもしれない。
ジェフリーはため息をついた。
「その慣れは良い慣れじゃないだろ」
「だからぁ、もういいってば……」
「同じ人なんていないだろ。少し違うだけで、コーディは差別なんてするのか?」
ジェフリーの問いかけに、コーディは首を振った。
「でも、そういう風に思える人って、少なくなったと思うよ」
コーディはブラックコーヒーを口にした。だが苦い。これが大人の味かと、苦さを堪える。鼻に抜ける香ばしい香りと酸味が涙を誘う。まだまだ舌はお子様だ。誤魔化そうとしてリブサンドを頬張った。
コーディの膨れた顔を見て、ジェフリーが大笑いする。緊張した空気が途切れた。
「む、もぐ……」
「何だ、その顔……」
コーディは頬張った顔の指摘を受ける。言い返そうとするが、パンの端からはみ出てしまったレタスをむしゃむしゃと食べていた。
「ウサギっていうか、まるでヤギだな……」
言われ放題で、コーディがむせ返している。その顔がまたおかしくて、ジェフリーは腹を抱えた。座ったままくの字に折って、テラスに笑いを撒き散らす。
「楽しそうねぇ……?」
ジェフリーの笑いがぷっつりと途切れた。ゆっくりと顔を上げると、キッドのゴキブリを見るような蔑む視線があった。
泣き叫んで己の宿命を嘆いていたキッドではない。いつもの強気な彼女だ。腕を組んで、鼻で笑う。
「いい身分ね……」
ジェフリーは背筋がぞっとした。いつものキッドに戻ってくれたのなら、うれしいことのはず。それがなぜか後ろめたくなった。黙って食事をしてしまったことかもしれないし、竜次を放っておいたことかもしれない。もっと重大なことは、ミティアが『大変なこと』になっている件だ。ジェフリーはあとあと押し寄せてくる面倒に、言い訳を考えていた。
ローズがコーディの背中をさすっている。その向こうでサキはお水をもらいに行っていた。
ジェフリーのリブサンドを圭馬が摘まんでいた。キッドに気を取られている隙に、図々しいものだ。
「つーかさ、お兄ちゃんって、ロリコン? フタマタでもかけたのぉ?」
シャリシャリとレタスを引きずり込みながらとんでもないことを言っているので、店中の客がこちらを向いた。
瞬時にジェフリーが弄り倒され、悪者に仕立て上げられた。
こういうチームワークの良さを、もっと戦いで生かしてもらいたいとジェフリーは思った。
眠り続けるミティアを前に何もできないまま、茫然と夕暮れ時になってしまった。
窓からは西日が射し込んでいる。
竜次はカーテンを閉めようとして左腕に激痛が走ったのに気がついた。意識してしないのに震えている。誰でも堅い瓶の蓋を捻り続けたらこうなるだろう。腱鞘炎や捻挫かもしれないが、繰り返しては不自由だ。
今回は何時間も手当をするのを忘れていた。手当しようにも、竜次はカバンがないことに気がついた。どこで外したか、記憶が怪しい。考えようとするも、バタバタと外が騒がしくなった。皆が帰ったのだろうか。
せっかくコーディが持って来てくれたお茶を飲まず、冷ましてしまった。新しくもらって来てもいいだろう。何もしないままで気が落ち着かず、竜次はポットを持って部屋を出た。
「竜ちゃん!!」
部屋を出るなり声をかけられた。騒がしかったのはフロントで問い合わせをしていたマリーだった。
竜次はなぜここにマリーがいるのかと首を傾げた。
「おば様、どうしてここに?」
知っている人だとわかって、フロントの人は道を譲った。マリーはそそっかしい部分が多く、肝心なことを言わない。なかなかフロントで目的が伝わらなかったようだ。
マリーは竜次に駆け寄り、白衣を渡した。きっと何軒か宿を回ったのだろう。髪の毛がひどく解れていた。
「こ、これぇ、忘れ物……」
白衣など、また買えばいいと思っていたが、わざわざ届けてくれたようだ。竜次は受け取ったが、一応確認の質問をする。
「わざわざどうも。あの、私のカバンはありませんでしたか?」
「えっ、なかったよ。出て行く時に持っていたじゃないの。それより、竜ちゃんが無事でよかっ……ど、どうしたの?」
竜次はのんびりと話すマリーを跳ね退けた。戦った場所にあるに違いない。アイラに逃げるよう言われ、ミティアを抱えて逃げた。剣は回収したが、カバンは回収していない。あの中には、ライセンスも入っている。
マリーを跳ね退けてしまったが、竜次は向き直った。
「すみません、少しお留守をお願いしてもいいですか? もうすぐ連れの人が戻るとは思いますし、ジェフもきっと一緒でしょう」
「あ、あのね、私ったらジェフちゃんに……」
「おば様すみません、すぐ戻るつもりではいますので!!」
竜次はマリーにポットと白衣を押しつけた。
「ち、ちょっと、竜ちゃん!!」
カバンだけは絶対に落としてはまずいものだ。身支度はぼうっとしていたので幸いにもそのままだが、もちろんこれ以上戦うつもりはない。
竜次は街中を走った。あの開けた場所は孤児院を抜けた先、入り組んだ道だが体は覚えていた。行儀悪く孤児院の柵を跨ぎ、無理矢理入った。
マリーが外出しているせいで、子どもたちは中でおとなしくしているのだろう。外に出て遮る様子はなかった。裏庭を抜ける。争う音はしない。竜次は警戒しながら、開けた向こう側へ出た。
砂利を踏む足が止まった。
「な、何ですか、これ……」
竜次は惨状と化した光景を目の当たりにした。広範囲に争った跡と血の跡がある。地面なのでこの赤黒さはいずれ消えるだろう。位置を確認するも、これはミティアが切りつけられた時のものではない。
アイラも、クディフもここにはいない。離脱したあとに、どんな死闘が繰り広げられたのだろうか。竜次は想像し、身震いを起こした。あの二人は強さが段違いだ。
「誰かと思ったら……」
身震いが増した。この場所に人がいる。竜次は声の主を探した。
茂った木の陰に誰かがいる。あぐらをかいて座っていた。
金髪で襟足のあるウルフカット、ワイシャツに緑と白のストライプ柄をしたネクタイをしている男性だ。四角い眼鏡をかけており、無精髭が見えた。男性は立ち上がって、右手でカバンを見せつけた。
「お探しのものはこいつか?」
ただの親切な人なら、わざわざここで人を待たないだろう。まるで、竜次がここに来るのをわかっていた。そんな態度だ。
竜次は黙って様子をうかがう。男性の両腰に小太刀のような柄が見える。武術に長けているようだ。
「そんなに警戒すんなよ」
男性は歩み寄った。竜次は何もしていないのに、足が震えた。この男性から、とてつもないプレッシャーを感じる。
「それ……か、返していただけますか?」
男性の四角い眼鏡が一瞬光った。
「何だ? その態度」
竜次は怯むように顎を引いた。だが、男性は続ける。
「人にものをお願いするときは、お願いしますって頭を下げるモンだろう? 礼儀がなってねぇガキになっちまったな?」
男性は竜次を『ガキ』と呼び、説教をした。ずいずいと歩み寄り、竜次に迫った。
「でっけぇピアスだな。いっちょ前に色気づきやがって……」
竜次は眉をひそめた。右手で刀の柄を握る。
「あなたは、誰ですか……?」
男性は左手でネクタイの結び目を摘まみ、首を左右に動かしながら緩めた。呆れるように息をつき、カバンを放った。
「誰に向かって抜こうとしてる、クソ息子がっ!!」
カバンの影からもう仕掛けられていた。
竜次はカバンを手にし、視界を取り戻したときは遅かった。男性から顎を突かれ、左からもう一撃、豪速の蹴りが入った。鼻を突く血の臭いがする。
竜次が大きく土煙を立てて飛ばされ、地に伏せた。
腹に入っていないはずなのに口の中が血でいっぱいだ。歯でも抜けたのか、口の中を切ったのか。
顎に入ったせいで、呼吸がままならない。体を起こそうとするが、脳震盪を起こしているのか頭がくらくらする。
今、竜次を殴ったのは、父親のケーシスだ。せっかく理解したのに、意識が遠のいた。
何も言葉を発せない。竜次は再び立つことができないまま、気を失ってしまった。
金髪の男性の名はケーシス。竜次とジェフリーの父親だ。
ケーシスは渋い顔をしながらネクタイを直し、竜次に歩み寄った。
「ったく、とりあえずお前でいいか……」
竜次の首元を掴んで顔を見る。竜次の意識がないと確認した。ケーシスの口元はかすかに笑っていた。
「ケーシス様!!」
ケーシスの背後に影が下りた。えんじ色の燕尾服の女性だ。アッシュグレーの変わった毛色を上げ、腰からは大きな鋏を下げている。
女性は目の前の光景にため息をついた。
「ケーシス様、少々やり過ぎではありませんか? ものすごい音でしたよ」
女性の言う『やり過ぎ』は目の前の光景だけを指さない。女性の存在に気がついたケーシスは、竜次を放る。何とも雑な扱いだ。
「てめぇの躾が悪かったのか、礼儀がなってねぇ。腕がよくても、中身はクソガキのままだな」
「ここでわたくしの教育の話をされましても……」
従者か、仲間か、手を組んでいる仲なのか。いや、もっと深い、切っても切れない関係だ。女性の名前は壱子。セーノルズ家に仕えている従者であり、教育係でもある。ずっとケーシスに付き従っていたが、教育係でもあったため子どもたちとも面識がある。
ケーシスは気を失っている竜次の左腕が気になった。剥がれかけだが、テーピングが巻かれている。痛めていたのを見破った。
確かにやり過ぎたかもしれないと、ケーシスは思った。
「いかがいたします? まさか、坊ちゃんを放置は……」
「釣り針にしては小さい。あくまで、『保険』だな」
「は? はぁ……」
意味深な会話を交わす。落ち着いているケーシスと違い、壱子はずいぶんと翻弄されている。
「海老で鯛を釣る、か……」
ケーシスは悪巧みを始める。砂利を蹴って踵を返した。
宿に集結したときは、すでに夜が訪れていた。
色々あった一日だった。それぞれ部屋に戻って寛いだ。
久しぶりに壊れるほど笑ったジェフリーの手には、お土産のリブサンドが入った紙袋があった。竜次への差し入れのつもりだった。
ジェフリーは事情を、カフェで皆に話した。
まとまった意見は、今夜くらい竜次をそっとしておこうとなった。だが、追加で借りたはずの部屋にいたのはマリーだった。
「おばさん?」
「ジ、ジェフちゃん!!」
ベッドではミティアが寝息を立てている。肝心の竜次の姿はなかった。
「あぁぁのね……」
そそっかしいマリーだが、今度は言葉まで怪しくなっていた。
ジェフリーは困惑した。
「兄貴はどうしたんだ?」
マリーの手には白衣が握られている。これはおそらく竜次のものだ。だが、もう片方の手にはポットを持っていた。これがジェフリーの困惑する理由だ。
「頼むから落ち着いてくれ、これじゃわからない」
ジェフリーはマリーをなだめる。いったん白衣もポットも置かせ、落ち着かせた。
「ごめん。まずどうして、おばさんがここにいるんだ?」
あらためてジェフリーは質問をする。どうも、マリーは過度な情報に触れるとパニックに陥るようだ。
「私は竜ちゃんの忘れ物を届けたくて、宿を探し回っていたんだよ」
ジェフリーはいったん頷いた。少しずつなら話が進められそうだ。
「兄貴には会ったのか?」
「そうよぉ。だけど、カバンをどこかに忘れたって言っていたのよ」
「カバン? 兄貴の医者カバンか?」
「た、た、ぶん……孤児院に置き忘れてないか聞かれたけど、物が少ない孤児院にそんなのあったらわかるし」
カバンを探しに外出とは、どういうことだろうか。ジェフリーは疑問に思った。
マリーは落ち着きを取り戻したのか、申し訳なさそうに縮こまった。
「す、すぐ戻るって、留守を頼まれたのよ……」
ジェフリーは寝息を立てているミティアに視線をおくる。一応ミティアを一人にさせないようにしたのは理解したが、人使いの荒い兄だ。
「わかった。おばさんは帰っていい。子どもたちも心配していると思う。ごめんな、兄貴が勝手なことをして……」
竜次が戻ると言ったのだから、それを信じよう。ジェフリーはとりあえずマリーを送り出そうとした。だが、マリーはジェフリーにしがみつく。
「あ、あのね、ジェフちゃん、さっきはすまなかったよ」
マリーはコーディを差別的な目で見てしまったことや、扱ってしまったことを詫びた。
「その話はもういいよ」
ジェフリーはさらりと流した。簡単に解決する問題ではない。マリーにその気があるならば、これから改善するだろう。ひどく言ったが、親戚はマリーしかいない。応援したかった。
ジェフリーは宿の前でマリーを見送った。孤児院の子どもたちがお腹を空かせているだろう。夜になってしまったし、悪いことをした。
ジェフリーは宿に戻る。ミティアが気になって仕方がない。足早にロビーを抜けようとすると、お風呂セットを持った女性三人組に遭遇した。
タオルを持ったキッド。着替えを持ったコーディ。石鹸やシャンプーを持ったローズ。本来なら、ここにミティアがいるはずだ。この光景にジェフリーは寂しく思った。
ローズが陽気に挨拶をする。
「ジェフ君、上がったら交代するデス」
「あぁ、ゆっくりして来るといい。大活躍だったしな」
ジェフリーは女性陣を見送った。そのあとで男性部屋に顔を出し、サキと圭馬を呼んだ何となくだが、話し相手になってもらいたい。
追加で取った部屋で椅子を並べ、サキとジェフリーは話し込む。
サキは話題にしようと地図帳を持って来た。ぱらぱらとめくって、とあるページを見せる。サキが指をさしたページには、遺跡が書かれてあった。
「ここ、行ってみたいのですが、ダメですか?」
「アリューン神族の遺跡? 思いっきり胡散臭いな……」
サキは遺跡探検を提案した。ジェフリーはどうしてもこの話に乗りたくなかった。
「遺跡探検なんて、大ボスが眠ってるとか、探検に入った奴が罠にかかって死ぬとか、呪われるとか、いい話がないだろう?」
「ジェフリーさん、発想が豊かですね……」
サキはそこまで深く考えていなかったようだ。悩ましげに首を傾げている。
力試しにはいいのかもしれない。だが、この人数で寄り道をするのは、正直どうなのかとジェフリーは思った。ここはひとつ、リーダーらしくびしっと言い聞かせようとする。
「こういうのもあるって話だけにしておけ。だいたい、採掘され尽くされているって書いてあるじゃないか。今は寄り道をしている場合か? 行って観光で済まなかった場合はどうする? これ以上問題を抱えられないぞ」
「む、むぅ……」
サキは本を閉じた。話すだけ話してみようとは思った。今の状況からほかの用事を抱えるのは現実的ではない。
「この先行き詰ったら、行ってみてもいい、ただし、事前にその遺跡に関して調べてから挑むべきだと思う。あとは、みんなとも要相談だな」
ジェフリーはこの話題を収めた。まとまったところで、圭馬が言う。
「今は遺跡探索よりも、お姉ちゃんの禁忌の魔法について、心配した方がいいんじゃない? やっと色々見えてきたからね」
圭馬は遺跡の話に興味がないのか、話題を変えた。現実に引き戻された。
そのミティアは、規則正しい寝息を立てている。これだけ騒いでも目を覚ます様子はない。
サキはミティアに視線を落とした。
「禁忌の魔法、使ってしまったんですよね?」
「兄貴はそう言っていた。使い続けると、ミティアが反転するとか、壊れるって言っていた気がする」
ジェフリーは竜次から聞いた話を思い出した。一応サキにも詳しく話そうとするが、圭馬が大袈裟な反応をした。
「反転だって!?」
圭馬は激しく年度も跳ねた。慌てているようにも思える。
「やっぱり禁忌の魔法なんだ。じゃあそのお姉ちゃんは、人為的に創られたんだね。しかも反転ってハイブリッド!? もしくはイチからのホムンクルス? 合成キメラじゃないよねぇ?」
あまりにも情報量が多い。圭馬の言葉にジェフリーは頭を抱える。
「待て待て、難しい言葉を一気に使うな」
「いやだって、おかしいじゃん。世界の生贄に、そんな能力を付与する意味ってあるのかな? 何もない方が都合いいじゃん。始末するの、厄介じゃないか」
圭馬は相変わらず、敵なのか味方なのかわからない発言をする。この考察は納得がいくが、言い方をどうにかできなのだろうか。ジェフリーは呆気にとられてしまった。
「うーん、確かにそうですね……」
圭馬の言い方はともかく、サキも腑に落ちないようだ。首を傾げながら、難しい顔をしている。ジェフリーは考えることに疲弊していた。
「お前まで、どうしたんだ?」
「いえ、おかしくないですか。禁忌の魔法を使えるだけでも、普通ではないのに」
サキの『普通ではない』という言葉に、ジェフリーは心を痛めた。
整理するまでもなく、不可解な点が多い。邪神龍を抱えるための器に過ぎないのなら、禁忌の魔法が使えるのはおかしい。どうでもいい命なら、不安定ですぐに器にならない。気持ちの悪い話だが、確かに効率が悪い。
本当に自分たちの邪魔をしたいのがクディフという剣士なら、もっといい方法を考えるだろう。ましてや、彼は腕が立つ。回りくどいことをしているのはわかる。
邪魔をしたい者がいる。答えが見えそうで見えないのがもどかしい。まだ誰かいるのか、それとも、もう会っているのか。
竜次はクディフに遭遇したと説明していた。ミティアを守れなかった、禁忌の魔法を使わせてしまったと嘆いていた。ではなぜ竜次は、ミティアを連れて帰れたのだろう。見たところ、竜次は大きく怪我をしていなかった。返り血らしきものはミティアのものと言っていたし。誰かに逃がされた、助けられた。だとしたら、その人がきっと何らかの情報を持っている。
ジェフリーはひとつの可能性を挙げた。
「兄貴が、知っているかもしれない……」
聞き出さなくてはいけない。きっと、竜次もその重大さに気づいている。
サキがカーテンをめくって外を見た。
「うーん、でも先生、遅いですね」
もう外は真っ暗だ。街の明かりも寂しく、少ない。マリーによると、竜次はすぐ戻ると言っていたがその気配はない。
圭馬はあまり心配していないようだった。
「お腹空いたんじゃない? ヤなことあったら、きっついの飲んでたりしてね」
ジェフリーとしては、その線はあるかもしれないと思っていた。
圭馬が紙袋を漁っている。ジェフリーはその動作を中止させ、摘まみ上げた。圭馬はマヨネーズの付いたレタス一枚をかじっていた。器用な小動物だ。悪びれる様子もなく、シャクシャクと音を立てて食べている。
ミティアはよく食べ物を美味しそうに食べるし、小動物のようにお菓子をカリカリと食べる。だが、実際の小動物はこんなに愛らしくない。
「帰って来ないならちょうだいよ」
「よく食うな……」
「レタスだけでもいいからさぁ……」
化身と言っていたのにしっかり飯は食うし、人の飲み物も知らないうちに飲んでいる。
じたばたする圭馬を眺めていると、扉がノックされ、ローズが入って来た。
抱きか抱えられていた圭馬は、ローズを見上げている。
「ねぇ、ローズちゃん、そろそろ戻ってあげようよ」
異常もないし、何か襲撃があったわけでもない。青々とした綺麗な木々、そこから見える日の光のせいで真下に影が落ちた。昼を回ったくらいだろう。
ローズは木陰からサキとキッドの様子をうかがっていた。
キッドは責任を感じていた。自分のせいで魔導士狩りと呼ばれる大量虐殺が起き、たまたま居合わせた人が無差別に殺された。魔法無効能力者である自分を、何としても探し出すために。
知らなかった。だから、魔導士狩りの首謀者を憎いと感じた。家族を引き裂かれたあの出来事を、理不尽だと思った。
ジェフリーも、目の前のサキもキッドを怒らない。
いっそ怒って、罵られてほしかった。そうすれば、堕ちるところまで堕ちて何も考えられなくなって、どんなに気が楽だっただろうか。
過去は振り返らない、引きずらないように生きて来た。実際は、自分の過去を見ないようにしていた。
いつまでもこんな自分ではいけない。前に進まないと自分らしくない。キッドは『今』と向き合うことにした。
キッドはサキに質問をした。
「あんた、あたしが姉で本当に良かったと思う?」
本当は聞くのが怖かった。だけど、キッドはサキが嘘を言わないのを知っている。
サキは照れくさそうに笑い、頷いた。
「当然です。僕はこれから何て呼んだらいいですか?」
二人きりの空間。見える範囲に白衣の姿は確認できる。
おかげで、今まで失っていたものを取り戻す、心の会話ができそうだ。
「ごめん、わかんない……」
少しずつだが、いつものキッドに戻って来た。
「僕は今までと一緒でいいです。いえ、一緒がいいな? 実の姉弟だったとわかった途端、急に何かを変えるのはおかしいと思います」
今までのままでいいとサキは笑った。だが、サキはあざとい上目遣いをした。
「あ、でも、ときどき、お姉ちゃんって甘えてもいいですか?」
聞いたキッドは悩ましげに眉を下げる。
「し、しょうがないわね!」
「えへへ、やったぁ……」
あどけない顔に純粋な心。本当に弟だったらいいなとキッドは思っていた。すでに弟のように扱っていたかもしれない。意識して守ってあげたり、面倒を見たり。なぜか放っておけなくて世話を焼いていた。
サキは不便に思っていることを話した。
「でも僕、ほとんど家族のことを覚えていないんです。いつか、ちゃんと姉さんのことを思い出せるといいな……」
その言葉を聞いてキッドは立ち上がり、サキの頭を撫でた。サキの髪の毛をくしゃりとさせ、帽子が潰れてしまいそうなほどだ。
「馬鹿……そんなの、どうでもいいのよ」
姉としての意識だけはする。けれど、根本的な接し方はこれまでとは変わらない。
キッドはサキがやたらとにやけているのに気がついた。
「じゃあ僕、ミティアさんだけじゃなくて、姉さんも普通の女の子として生きられる道を探します」
「なっ、ば、馬鹿ね、あんた……」
キッドは泣き止んだはずなのに、目尻に涙を溜めた。うれしいが意地を張ってしまい、素直に喜べない。
「ど、どうしようもない、馬鹿よ、あんた……」
「姉さんに馬鹿にされるなら、いいかな」
サキは無邪気に笑っている。彼なら本当にその道を探すだろう。キッドは呆れながらため息をついた。だがその口元は笑っている。
「でも、さすがね。普通はその発想に行きつかないんじゃない?」
サキは歯を見せて自慢げに言う。
「えへへ、もっと褒めてもいいんですよ!!」
キッドは泣きながら笑っていた。久しぶりにサキのキャッチフレーズを耳にした。これから少しずつ、失った時間を取り戻していこうと思った。
キッドはサキと仲良く手を握っていた。
街中で孤児院の場所を特定するのは簡単だった。孤児院への道は看板が示していた。理解のある街で助かる。
以前、孤児院がフィラノスにあった時は、国からの圧力があった。景観を損ねる、魔法都市にふさわしくないなど、苦情もあった。もっとも、理由はそれだけではなかっただろう。詳しい事情は子どもだったジェフリーにはわからなかった。
「ねぇ、ジェフリーお兄ちゃんは平気なの?」
コーディは歩きながらジェフリーに話しかけた。
「平気って何がだ?」
「えぇっ!? 昨日ミティアお姉ちゃんとあんなに仲良くしてたじゃん……」
中身が年頃の女の子であるせいか、ジェフリーを詮索する。ジェフリーは相手をするのが面倒くさいという態度を示した。
「いいの? ミティアお姉ちゃん、お兄ちゃん先生に取られちゃうよ?」
「コーディは、いつから色恋沙汰に首を突っ込むようになったんだ」
「あー……恋愛小説も書けるかもね」
引っ掻き回すまではないのだろうが、いちいちかまうのも馬鹿馬鹿しい。ジェフリーは機嫌が悪くなり、足が速くなった。そのうしろを、コーディは文句を言いながら歩いている。
二人は孤児院に到着し、柵の鈴をガラガラと鳴らした。この柵は、子どもがむやみに外に出ないようにしているのだろう。
すぐにマリーが駆けつけた。ただの簡単な柵なのに、開ける手が震えている。
まだマリーは慌てているのかもしれない。そう思ったジェフリーは先に言った。
「兄貴は無事だった。今は戻ってゆっくりしてる」
マリーは手を止め、ジェフリーと目を合わせた。
「ほ、本当に?」
「嘘だったらここに来ない」
マリーは疑っていた。だがジェフリーが説得すると、柵の中へ招いた。この疑い症は誰かに似ている。親戚なのだから当然なのかもしれない。
マリーは眉をひそめ、怪訝な目でコーディを見ている。
「ねぇ、ジェフちゃん、その子は?」
「連れのコーディだが?」
「その……背中のそれって本物? 『普通』の子じゃないよね……?」
ジェフリーはマリーが言いたいことをすぐに汲み取った。コーディは察して出て行こうと、一歩下がった。
ジェフリーは強めに反論した。
「おばさんは、見て目が違うからって差別をするのか?」
緊張が走った。コーディはこの外見で嫌がられるのを慣れているし、そういう人がいるのも把握している。
「ジェフリーお兄ちゃん、いいよ。私、外に出てるから」
「せっかく来たんだろ」
「いや、だからさぁ……怖がられるし」
マリーはまた動揺している。見慣れないドラグニー神族を見てなのか、それともジェフリーに反発されたことに驚いているのだろうか。おそらく両方だ。
「こいつが普通と違うから、子どもたちに会わせたくないのか?」
マリーは辛辣な表情で唇を噛んだ。
「言っておくけど、こいつも親がいない。ここの子どもと変わらない。マザー・マリーの名が聞いて呆れる。おばさんがそんな人だとは思わなかった」
言ってからジェフリーはコーディの手を取った。
「戻ろう。邪魔したな……」
「え? えぇーっ!?」
ジェフリーはそのまま柵に手を掛けた。鈴がガラガラと鳴る。
マリーは茫然としながら手を伸ばすが、ジェフリーはこれを無視した。
ジェフリーとコーディはそのまま街中に戻った。
しばらく歩き、マリーが追って来ないのを確認したコーディが声を荒げた。
「ねぇ、ちょっと、これじゃ人さらいじゃん。手を放してよぉ!!」
ジェフリーは手を離さなかったが、立ち止まった。
コーディは手を振り払って不満を訴える。
「ほんっと、意味がわかんないよ。孤児院に挨拶しに行ったんじゃないの?」
「挨拶ならした。近況報告なら兄貴がしてるだろうし、別にいい」
何か渡すものがあるわけではない。特別話したいこともない。それよりもジェフリーは、マリーがコーディに差別的な対応をしたのが許せなかった。
必要以上に過敏だったかもしれない。自分が負の感情を逃がすために、マリーへ八つ当たりをしてしまったかもしれない。ジェフリーは、自分は間違ったことをしていないと言い聞かせていた。
どうも昨日から気が滅入ることばかりだ。気晴らしがしたい。ジェフリーはコーディへ提案をした。
「メシでも食うか?」
「はぁ? もうおやつって時間なんだけど」
コーディは呆れつつジェフリーと食事をすることにした。
時間的に開いているお店が少ない。適当なカフェに入り、テラスの席に座った。
ジェフリーはテーブルに運んだリブサンドを頬張る。肘をついて、行儀が悪い。竜次が見たら、一発で注意が飛んで来るだろう。
向かいの席で、立派な翼まで縮こまっているコーディ。ジェフリーは気を遣って声をかけた。
「食えよ、腹減ってるだろ?」
コーディはリブサンドに目を落とした。
大判のバンズに厚切りの肉、レタスははみ出ててチーズとソースが滲み出ている。マヨネーズも入っているのだろうか、香ばしい肉の香りに混じって、まろやかながら酸味のある匂いもする。
ジェフリーは物足りなさを感じ、食べかけのサンドを置いて席を立った。
「オレンジジュースか?」
テーブルに飲み物がないと気がついた。コーディはジェフリーを睨んだ。
「子ども扱いしないで! コーヒーがいい……ミルクだけほしい」
ジェフリーはレジで追加のお金を払っていた。このお金はジェフリーのものではない。旅の資金の一部だ。
コーディは気になっていた。
なぜ、ミティアがジェフリーを好いているのかを。少しだけだが、その理由がわかった気がした。ジェフリーには壁がない。もしかしたらあったのかもしれないが、そんなものは感じない。
時々子ども扱いされるのだけが、どうにも気に障る程度だが。先ほどは、差別するのかと大人の前で疑問を投げつけた。相手は親戚だと言っていた気がする。それでも、仲間を優先した。
仲間……? 距離感から、友だちかもしれない。
戦場でも気を遣っているのか。頼りにしているのか。声をかけてくれる。こういう人もいるのだとありがたく思った。
こういった人ばかりだったら、偏見や差別やもっとなくなるだろう。種族戦争が起きなかったかもしれない。神族は滅びなかったのかもしれない。
自分は混血だ。忌み子だ。それでも今があることに感謝している。こうしていい人に出会え、一緒に行動ができるのは貴重だとコーディは思った。
ジェフリーがブラックコーヒーを二つ持って戻った。
置いてから思い出したのか、再び席を立とうとする。
「あ、コーディはミルクだったか?」
「えっ、うぅん、せ、せっかくだから、ブラック飲んでみる……」
ジェフリーは再び座り、食事を再開する。一口だけコーヒーを飲むと、謝った。
「いい思い。しなかったよな。ごめん……」
「別にいいよ、慣れてる」
コーディは気を遣われすぎて、申し訳ない気持ちがあった。わざわざ庇ってくれなくてもよかったのに、親身になってくれる。ここまでされると、少々おせっかいかもしれない。
ジェフリーはため息をついた。
「その慣れは良い慣れじゃないだろ」
「だからぁ、もういいってば……」
「同じ人なんていないだろ。少し違うだけで、コーディは差別なんてするのか?」
ジェフリーの問いかけに、コーディは首を振った。
「でも、そういう風に思える人って、少なくなったと思うよ」
コーディはブラックコーヒーを口にした。だが苦い。これが大人の味かと、苦さを堪える。鼻に抜ける香ばしい香りと酸味が涙を誘う。まだまだ舌はお子様だ。誤魔化そうとしてリブサンドを頬張った。
コーディの膨れた顔を見て、ジェフリーが大笑いする。緊張した空気が途切れた。
「む、もぐ……」
「何だ、その顔……」
コーディは頬張った顔の指摘を受ける。言い返そうとするが、パンの端からはみ出てしまったレタスをむしゃむしゃと食べていた。
「ウサギっていうか、まるでヤギだな……」
言われ放題で、コーディがむせ返している。その顔がまたおかしくて、ジェフリーは腹を抱えた。座ったままくの字に折って、テラスに笑いを撒き散らす。
「楽しそうねぇ……?」
ジェフリーの笑いがぷっつりと途切れた。ゆっくりと顔を上げると、キッドのゴキブリを見るような蔑む視線があった。
泣き叫んで己の宿命を嘆いていたキッドではない。いつもの強気な彼女だ。腕を組んで、鼻で笑う。
「いい身分ね……」
ジェフリーは背筋がぞっとした。いつものキッドに戻ってくれたのなら、うれしいことのはず。それがなぜか後ろめたくなった。黙って食事をしてしまったことかもしれないし、竜次を放っておいたことかもしれない。もっと重大なことは、ミティアが『大変なこと』になっている件だ。ジェフリーはあとあと押し寄せてくる面倒に、言い訳を考えていた。
ローズがコーディの背中をさすっている。その向こうでサキはお水をもらいに行っていた。
ジェフリーのリブサンドを圭馬が摘まんでいた。キッドに気を取られている隙に、図々しいものだ。
「つーかさ、お兄ちゃんって、ロリコン? フタマタでもかけたのぉ?」
シャリシャリとレタスを引きずり込みながらとんでもないことを言っているので、店中の客がこちらを向いた。
瞬時にジェフリーが弄り倒され、悪者に仕立て上げられた。
こういうチームワークの良さを、もっと戦いで生かしてもらいたいとジェフリーは思った。
眠り続けるミティアを前に何もできないまま、茫然と夕暮れ時になってしまった。
窓からは西日が射し込んでいる。
竜次はカーテンを閉めようとして左腕に激痛が走ったのに気がついた。意識してしないのに震えている。誰でも堅い瓶の蓋を捻り続けたらこうなるだろう。腱鞘炎や捻挫かもしれないが、繰り返しては不自由だ。
今回は何時間も手当をするのを忘れていた。手当しようにも、竜次はカバンがないことに気がついた。どこで外したか、記憶が怪しい。考えようとするも、バタバタと外が騒がしくなった。皆が帰ったのだろうか。
せっかくコーディが持って来てくれたお茶を飲まず、冷ましてしまった。新しくもらって来てもいいだろう。何もしないままで気が落ち着かず、竜次はポットを持って部屋を出た。
「竜ちゃん!!」
部屋を出るなり声をかけられた。騒がしかったのはフロントで問い合わせをしていたマリーだった。
竜次はなぜここにマリーがいるのかと首を傾げた。
「おば様、どうしてここに?」
知っている人だとわかって、フロントの人は道を譲った。マリーはそそっかしい部分が多く、肝心なことを言わない。なかなかフロントで目的が伝わらなかったようだ。
マリーは竜次に駆け寄り、白衣を渡した。きっと何軒か宿を回ったのだろう。髪の毛がひどく解れていた。
「こ、これぇ、忘れ物……」
白衣など、また買えばいいと思っていたが、わざわざ届けてくれたようだ。竜次は受け取ったが、一応確認の質問をする。
「わざわざどうも。あの、私のカバンはありませんでしたか?」
「えっ、なかったよ。出て行く時に持っていたじゃないの。それより、竜ちゃんが無事でよかっ……ど、どうしたの?」
竜次はのんびりと話すマリーを跳ね退けた。戦った場所にあるに違いない。アイラに逃げるよう言われ、ミティアを抱えて逃げた。剣は回収したが、カバンは回収していない。あの中には、ライセンスも入っている。
マリーを跳ね退けてしまったが、竜次は向き直った。
「すみません、少しお留守をお願いしてもいいですか? もうすぐ連れの人が戻るとは思いますし、ジェフもきっと一緒でしょう」
「あ、あのね、私ったらジェフちゃんに……」
「おば様すみません、すぐ戻るつもりではいますので!!」
竜次はマリーにポットと白衣を押しつけた。
「ち、ちょっと、竜ちゃん!!」
カバンだけは絶対に落としてはまずいものだ。身支度はぼうっとしていたので幸いにもそのままだが、もちろんこれ以上戦うつもりはない。
竜次は街中を走った。あの開けた場所は孤児院を抜けた先、入り組んだ道だが体は覚えていた。行儀悪く孤児院の柵を跨ぎ、無理矢理入った。
マリーが外出しているせいで、子どもたちは中でおとなしくしているのだろう。外に出て遮る様子はなかった。裏庭を抜ける。争う音はしない。竜次は警戒しながら、開けた向こう側へ出た。
砂利を踏む足が止まった。
「な、何ですか、これ……」
竜次は惨状と化した光景を目の当たりにした。広範囲に争った跡と血の跡がある。地面なのでこの赤黒さはいずれ消えるだろう。位置を確認するも、これはミティアが切りつけられた時のものではない。
アイラも、クディフもここにはいない。離脱したあとに、どんな死闘が繰り広げられたのだろうか。竜次は想像し、身震いを起こした。あの二人は強さが段違いだ。
「誰かと思ったら……」
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「お探しのものはこいつか?」
ただの親切な人なら、わざわざここで人を待たないだろう。まるで、竜次がここに来るのをわかっていた。そんな態度だ。
竜次は黙って様子をうかがう。男性の両腰に小太刀のような柄が見える。武術に長けているようだ。
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「あなたは、誰ですか……?」
男性は左手でネクタイの結び目を摘まみ、首を左右に動かしながら緩めた。呆れるように息をつき、カバンを放った。
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カバンの影からもう仕掛けられていた。
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「ケーシス様、少々やり過ぎではありませんか? ものすごい音でしたよ」
女性の言う『やり過ぎ』は目の前の光景だけを指さない。女性の存在に気がついたケーシスは、竜次を放る。何とも雑な扱いだ。
「てめぇの躾が悪かったのか、礼儀がなってねぇ。腕がよくても、中身はクソガキのままだな」
「ここでわたくしの教育の話をされましても……」
従者か、仲間か、手を組んでいる仲なのか。いや、もっと深い、切っても切れない関係だ。女性の名前は壱子。セーノルズ家に仕えている従者であり、教育係でもある。ずっとケーシスに付き従っていたが、教育係でもあったため子どもたちとも面識がある。
ケーシスは気を失っている竜次の左腕が気になった。剥がれかけだが、テーピングが巻かれている。痛めていたのを見破った。
確かにやり過ぎたかもしれないと、ケーシスは思った。
「いかがいたします? まさか、坊ちゃんを放置は……」
「釣り針にしては小さい。あくまで、『保険』だな」
「は? はぁ……」
意味深な会話を交わす。落ち着いているケーシスと違い、壱子はずいぶんと翻弄されている。
「海老で鯛を釣る、か……」
ケーシスは悪巧みを始める。砂利を蹴って踵を返した。
宿に集結したときは、すでに夜が訪れていた。
色々あった一日だった。それぞれ部屋に戻って寛いだ。
久しぶりに壊れるほど笑ったジェフリーの手には、お土産のリブサンドが入った紙袋があった。竜次への差し入れのつもりだった。
ジェフリーは事情を、カフェで皆に話した。
まとまった意見は、今夜くらい竜次をそっとしておこうとなった。だが、追加で借りたはずの部屋にいたのはマリーだった。
「おばさん?」
「ジ、ジェフちゃん!!」
ベッドではミティアが寝息を立てている。肝心の竜次の姿はなかった。
「あぁぁのね……」
そそっかしいマリーだが、今度は言葉まで怪しくなっていた。
ジェフリーは困惑した。
「兄貴はどうしたんだ?」
マリーの手には白衣が握られている。これはおそらく竜次のものだ。だが、もう片方の手にはポットを持っていた。これがジェフリーの困惑する理由だ。
「頼むから落ち着いてくれ、これじゃわからない」
ジェフリーはマリーをなだめる。いったん白衣もポットも置かせ、落ち着かせた。
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ジェフリーはいったん頷いた。少しずつなら話が進められそうだ。
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「そうよぉ。だけど、カバンをどこかに忘れたって言っていたのよ」
「カバン? 兄貴の医者カバンか?」
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マリーは落ち着きを取り戻したのか、申し訳なさそうに縮こまった。
「す、すぐ戻るって、留守を頼まれたのよ……」
ジェフリーは寝息を立てているミティアに視線をおくる。一応ミティアを一人にさせないようにしたのは理解したが、人使いの荒い兄だ。
「わかった。おばさんは帰っていい。子どもたちも心配していると思う。ごめんな、兄貴が勝手なことをして……」
竜次が戻ると言ったのだから、それを信じよう。ジェフリーはとりあえずマリーを送り出そうとした。だが、マリーはジェフリーにしがみつく。
「あ、あのね、ジェフちゃん、さっきはすまなかったよ」
マリーはコーディを差別的な目で見てしまったことや、扱ってしまったことを詫びた。
「その話はもういいよ」
ジェフリーはさらりと流した。簡単に解決する問題ではない。マリーにその気があるならば、これから改善するだろう。ひどく言ったが、親戚はマリーしかいない。応援したかった。
ジェフリーは宿の前でマリーを見送った。孤児院の子どもたちがお腹を空かせているだろう。夜になってしまったし、悪いことをした。
ジェフリーは宿に戻る。ミティアが気になって仕方がない。足早にロビーを抜けようとすると、お風呂セットを持った女性三人組に遭遇した。
タオルを持ったキッド。着替えを持ったコーディ。石鹸やシャンプーを持ったローズ。本来なら、ここにミティアがいるはずだ。この光景にジェフリーは寂しく思った。
ローズが陽気に挨拶をする。
「ジェフ君、上がったら交代するデス」
「あぁ、ゆっくりして来るといい。大活躍だったしな」
ジェフリーは女性陣を見送った。そのあとで男性部屋に顔を出し、サキと圭馬を呼んだ何となくだが、話し相手になってもらいたい。
追加で取った部屋で椅子を並べ、サキとジェフリーは話し込む。
サキは話題にしようと地図帳を持って来た。ぱらぱらとめくって、とあるページを見せる。サキが指をさしたページには、遺跡が書かれてあった。
「ここ、行ってみたいのですが、ダメですか?」
「アリューン神族の遺跡? 思いっきり胡散臭いな……」
サキは遺跡探検を提案した。ジェフリーはどうしてもこの話に乗りたくなかった。
「遺跡探検なんて、大ボスが眠ってるとか、探検に入った奴が罠にかかって死ぬとか、呪われるとか、いい話がないだろう?」
「ジェフリーさん、発想が豊かですね……」
サキはそこまで深く考えていなかったようだ。悩ましげに首を傾げている。
力試しにはいいのかもしれない。だが、この人数で寄り道をするのは、正直どうなのかとジェフリーは思った。ここはひとつ、リーダーらしくびしっと言い聞かせようとする。
「こういうのもあるって話だけにしておけ。だいたい、採掘され尽くされているって書いてあるじゃないか。今は寄り道をしている場合か? 行って観光で済まなかった場合はどうする? これ以上問題を抱えられないぞ」
「む、むぅ……」
サキは本を閉じた。話すだけ話してみようとは思った。今の状況からほかの用事を抱えるのは現実的ではない。
「この先行き詰ったら、行ってみてもいい、ただし、事前にその遺跡に関して調べてから挑むべきだと思う。あとは、みんなとも要相談だな」
ジェフリーはこの話題を収めた。まとまったところで、圭馬が言う。
「今は遺跡探索よりも、お姉ちゃんの禁忌の魔法について、心配した方がいいんじゃない? やっと色々見えてきたからね」
圭馬は遺跡の話に興味がないのか、話題を変えた。現実に引き戻された。
そのミティアは、規則正しい寝息を立てている。これだけ騒いでも目を覚ます様子はない。
サキはミティアに視線を落とした。
「禁忌の魔法、使ってしまったんですよね?」
「兄貴はそう言っていた。使い続けると、ミティアが反転するとか、壊れるって言っていた気がする」
ジェフリーは竜次から聞いた話を思い出した。一応サキにも詳しく話そうとするが、圭馬が大袈裟な反応をした。
「反転だって!?」
圭馬は激しく年度も跳ねた。慌てているようにも思える。
「やっぱり禁忌の魔法なんだ。じゃあそのお姉ちゃんは、人為的に創られたんだね。しかも反転ってハイブリッド!? もしくはイチからのホムンクルス? 合成キメラじゃないよねぇ?」
あまりにも情報量が多い。圭馬の言葉にジェフリーは頭を抱える。
「待て待て、難しい言葉を一気に使うな」
「いやだって、おかしいじゃん。世界の生贄に、そんな能力を付与する意味ってあるのかな? 何もない方が都合いいじゃん。始末するの、厄介じゃないか」
圭馬は相変わらず、敵なのか味方なのかわからない発言をする。この考察は納得がいくが、言い方をどうにかできなのだろうか。ジェフリーは呆気にとられてしまった。
「うーん、確かにそうですね……」
圭馬の言い方はともかく、サキも腑に落ちないようだ。首を傾げながら、難しい顔をしている。ジェフリーは考えることに疲弊していた。
「お前まで、どうしたんだ?」
「いえ、おかしくないですか。禁忌の魔法を使えるだけでも、普通ではないのに」
サキの『普通ではない』という言葉に、ジェフリーは心を痛めた。
整理するまでもなく、不可解な点が多い。邪神龍を抱えるための器に過ぎないのなら、禁忌の魔法が使えるのはおかしい。どうでもいい命なら、不安定ですぐに器にならない。気持ちの悪い話だが、確かに効率が悪い。
本当に自分たちの邪魔をしたいのがクディフという剣士なら、もっといい方法を考えるだろう。ましてや、彼は腕が立つ。回りくどいことをしているのはわかる。
邪魔をしたい者がいる。答えが見えそうで見えないのがもどかしい。まだ誰かいるのか、それとも、もう会っているのか。
竜次はクディフに遭遇したと説明していた。ミティアを守れなかった、禁忌の魔法を使わせてしまったと嘆いていた。ではなぜ竜次は、ミティアを連れて帰れたのだろう。見たところ、竜次は大きく怪我をしていなかった。返り血らしきものはミティアのものと言っていたし。誰かに逃がされた、助けられた。だとしたら、その人がきっと何らかの情報を持っている。
ジェフリーはひとつの可能性を挙げた。
「兄貴が、知っているかもしれない……」
聞き出さなくてはいけない。きっと、竜次もその重大さに気づいている。
サキがカーテンをめくって外を見た。
「うーん、でも先生、遅いですね」
もう外は真っ暗だ。街の明かりも寂しく、少ない。マリーによると、竜次はすぐ戻ると言っていたがその気配はない。
圭馬はあまり心配していないようだった。
「お腹空いたんじゃない? ヤなことあったら、きっついの飲んでたりしてね」
ジェフリーとしては、その線はあるかもしれないと思っていた。
圭馬が紙袋を漁っている。ジェフリーはその動作を中止させ、摘まみ上げた。圭馬はマヨネーズの付いたレタス一枚をかじっていた。器用な小動物だ。悪びれる様子もなく、シャクシャクと音を立てて食べている。
ミティアはよく食べ物を美味しそうに食べるし、小動物のようにお菓子をカリカリと食べる。だが、実際の小動物はこんなに愛らしくない。
「帰って来ないならちょうだいよ」
「よく食うな……」
「レタスだけでもいいからさぁ……」
化身と言っていたのにしっかり飯は食うし、人の飲み物も知らないうちに飲んでいる。
じたばたする圭馬を眺めていると、扉がノックされ、ローズが入って来た。
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※エブリスタでも同時連載。2021/6/5よりカクヨムでも後追い連載しています。
※2021/9/15けっこう前に追いついて、カクヨムでも現在は同時掲載です。
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貧弱の英雄
カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。
貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。
自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる――
※修正要請のコメントは対処後に削除します。
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