トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【4】千切れそうな絆

義理と人情と建前と本音

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 サキとアイラはギルドの扉を潜る。信じられないほどの人だかりで騒動になっていた。
 主にカウンターに群がっている。
 離れて、壁の掲示板のあたりでコーディは茫然とその様子を見ていた。だが、サキとアイラの存在に気がついた。
「あ、アイラさん、とサキお兄ちゃん」
 合流し、会話を交わす。
「何だいこりゃ?」
「私が来た時にはもうこんな感じ。なんか、だんだん人が増えてる気もするし」
 人の山を見るコーディに、今度はサキが質問をした。
「報告はしたのですか? ブラックホールとやらの件……」
「うん、一応したけど……」
 三人で固まっていると、カウンターの方から声がした。
「おぉっ!! さっきの勇者がいるぞ!!」
 その声で集まっていた街の人が一斉に振り返った。一瞬で注目の的になった。歓喜に満ちた、異様な空気だ。
 レジェンド級のハンターであるアイラでも、コーディでもない。人々はサキに群がっていた。

「間違いない、さっきの女の子、三人のうちの一人だ!!」
「おぉ!! 先ほどは我々の避難誘導ありがとうございました!!」
「あらまぁ、可愛らしい。何歳だい?」

 集まった人たちは商人がほとんどだが、一般のお客さんや街の人も混ざっているようだ。きらびやかに着飾った貴族も紛れ込んでいる。さすが貿易都市だ。
 サキの足元で圭馬が指摘を入れる。
「なーんかキミ、女の子に思われているみたいだよ?」
 聞いたサキはがっくりと肩を落とし、激しく脱力した。
「ど、どうして?」
 ため息をついて肩を落としていると、カウンターから派手なアクセサリーを身につけた女性がこちらに向かって手招きしている。例のスナックのママ風のギルド職員だ。
「ちょいと、道を開けてあけとくれ」
 アイラは脱力しているサキの手を引いて、人の波をかき分けた。
「マスターさん、こりゃどうしたってのさ?」
 アイラはカウンターの女性に話しかける。
 カウンターの女性はお手上げの状態だ。
「やぁれやれ。大通りのパニックの中、三人の女の子が助けてくれたからって、この調子だよ?」
 まだサキは女の子だと思われている。サキは精神的なダメージを重ねた。
 ギルドの女性の言葉でアイラは首を傾げている。
「ん? そうなのかい、サキ?」
「お師匠様、僕は男ですが……」
 サキは自分を男だと主張した。アイラが首を傾げた理由は違う。食い違いが発生し、場が凍りついたような空気になった。
 その空気にコーディは説明を入れた。
「あ、あの、そうじゃなくて。報酬や見返りもなしに無償で街の人を助けるなんて、そんな人はいない、って話。そりゃ不思議がって素性を知りたがると思うよ」
 サキは考え込んでしまい黙った。
 自分たちは、そんなに珍しいことをしているのだろうか。困っている人を助けたいと思い、行動をすることがそんなに不思議なことなのかと思った。
 少し食い違いはあったが、アイラもほぼ同じ意見だ。
「それにしてはちょいと大袈裟じゃないかい?」
 ここまで大ごとになるのかと呆れているようだ。
 カウンターの女性も困っている様子だ。ギルドで働くうえで困ること。それは、誰の依頼でもないことを捌かなくてはいけないことだ。善意がギルドの法則を崩す。
 街の人達も困っていた。

「もーこれじゃあ、落ち着いた話も出来やしないじゃーん」
 圭馬の主張が激しい。だが、確かにその通りだ。サキも収拾のつかない事態に困惑していた。
「本当です。この前から勇者とか言われてて、むず痒くて仕方ないのに」
 圭馬の小言に便乗する愚痴のつもりだったが、カウンターの女性が驚きの声を上げた。
「まさか、沙蘭の黒い龍やっつけたってのもそうなのかい?」
「サキや、もしかしてあんたたち、ヤバいことに首を突っ込んでるんじゃないだろうね!?」
 サキがうっかりこぼした小言はさらにこの場を混乱へ誘った。
 勇者というギルド発祥の言葉は耳障りがいい。瞬く間に広がってしまい、もう隠せない状態になってしまった。
 結局、サキは混乱終息のために街の人達から謝礼を受け取ってしまった。ほとんどが包みだ。中には薬草、傷薬や魔石、雑貨もあった。今日、買った気がする……と、サキは表情を渋める。重たい荷物を持ってギルドをあとにした。

「こりゃあ、あんまり外を歩かない方がいいかもね。ご飯は買って帰りなさい」
 アイラに促され、サキはこれには賛成した。
 大荷物を持ったサキ、騒動に呆れているアイラ、気まずそうなコーディの三人は、人通りが少ない道で立ち話をする。ギルドで話していたら、次から次へと街の人が来て落ち着かない。
 アイラは圭馬に説明を求めた。
「で、なんつったっけ、あのブラックホール」
「特に名前はないけど、魔界と人間界の歪みだね。瘴気の霊が出てきているってことは、このままだともっと数が増えて、人間でも体力が落ちている人とか、子どもとかお年寄りは生気を吸われて命を落とすかもしれない」
「それだけで済むとは思えないね?」
「さっすが、鋭いねぇ……」
 圭馬は耳をピンと立て、アイラを見上げる。アイラは腕を組み、圭馬の言葉を待っていた。
 圭馬の言葉を待っていたのはサキも同じだ。何かいい案でも聞けるのだろうかと思っていた。
「厄介だけど、このままだともっと大きくなるね。これ以上大きくなったら、魔界の『悪魔』や『魔人』が人間界をめちゃめちゃにしちゃうかもしれないよ。そうなる前に穴を塞ごう。キミとお師匠さんは『時計持ち』なんでしょ? 強力な魔法で強制的に閉じれば何とかなるかもしれないよぉ?」
 独特な言い回しである『時計持ち』にコーディが反応した。
「時計持ち? あぁ、成績優秀さんかぁ」
 時計を持っているということは、魔法学校で最終成績が優秀だったことを示す一種のステータスだ。サキもアイラも金色の懐中時計を持っている。
「あたしゃ、大魔導士。勲章も持ってるよ?」
 アイラは人情カバンから革紐が繋がれた勲章を取り出した。真ん中にはフィラノスのシンボルフラワーである鈴蘭が描かれており、裏にはアイラの名前がある。
 サキがほしくてやまない大魔導士の証だ。年齢という壁が邪魔をして、試験を受けられないのがもどかしい。だが、年齢だけではなく、サキに足りないものは経験もある。外の世界では、力不足を体感することも多い。サキは同じ『時計持ち』でも劣等感を抱いていた。比較対象が、師匠でもあるアイラであることがいけないのかもしれないが。
 アイラが頼もしい存在だと見込んだ圭馬は、ある提案を持ちかけた。
「じゃあ、大丈夫かもしれないね。今から塞ぎに行こうか? 日が暮れないうちに」
「えっ、今からですか?」
 サキは荷物を持っているのもそうだが、実はへとへとだった。買い物や街の騒動に一役買ったのもあり、体力の消耗が激しい。それを把握していても、圭馬は厳しめに言った。
「今夜安心して寝たくない? みんなを巻き込みたい? やっぱり誰かに助けてもらいたいの?」
 圭馬に迫られ、サキは荷物と残りのお金をコーディに託した。
 再び森に赴くのは、アイラも気が進まないようだ。
「ノアに戻る途中、これ以上広がらないようにおまじないはかけておいたよ。一晩くらいなら、魔除けの結界を街中に仕掛けておけばいいんじゃないのかね?」
「お師匠さん、のんきだね。明日は歪み自体が大きくなって、魔界から変なのが出て来ちゃうかもしれないよ?」
「んんっ? 変なのって?」
「悪魔とは限らない。死神とか、怪獣とか、裏ボスクラスの魔物だよ」
 アイラの質問に、圭馬は常識を逸脱した答えをする。そしていつになく楽しそうだ。
「そんなの野放しにしてたら、無差別に人を殺しちゃうだろうし、邪神龍の温床になっちゃうよ?」
 圭馬の言葉で、サキは覚悟を決めた。主に『邪神龍』と耳にしたせいだ。
「そ、それは困ります! 僕は平気です。行きましょう、お師匠様!!」
 サキに促されるも、アイラは渋い表情だった。本当に渋々と頷いた。すでに手に負えないほど、大きかった気がするからだ。
「ほかに魔法を使う子はいないのかい?」
 一応の心配しての質問だ。だが、サキもコーディも表情は暗い。
「あとはさっきのミティアさんが見習い程度に……」
 自己紹介も何もなかったが『さっきの』と言われ、アイラは察しがついた。無理に呼び寄せても、騒動を見てしまったのだから酷だろうとアイラは気を回した。
「まぁ、報酬ももらったあとだし、働くか……」
 アイラとサキはここから別行動だ。コーディに荷物を託して出発する。
「またね、アイラさん」
「あいよ!」
 同業者なのだから、顔や名前を見る機会はいくらでもある。
 だが、サキはそのドライな付き合い方がどうしてもできない。

 キッドは宿に戻った。だが、どうしても落ち着かない。暴漢に襲われてしまった親友の傍に自分がいた方が良かったかもしれないと後悔した。ジェフリーと一線を越えないかと心配になった。すぐに部屋に戻ってもいいのだが、気になってロビーをウロウロとしてしまう。
 キッドは今から戻って、ジェフリーをしばき倒そうかとも考えた。やはり自分がミティアのケアをするべきだったのではないか。悶々と考え込むキッドに声がかかった。
「キッドちゃん?」
 ローズだ。彼女の手元には、湯気が残るおしぼりが広げられている。どうやら目元を整えていたようだ。三角フレームの眼鏡が頭の上にあった。
 キッドはぎこちなく反応した。
「あ、あぁ、ローズさん。孤児院から帰ってたんですか? よかった。あ、あの、大変なんです、ミティアが……」
「ミティアさんがどうかしたんですか!?」
 キッドはどこから湧いて出て来たのかと思った。カバンや上着も脱いだ、ラフな格好の竜次が階段の上から降り立った。よく見ると髪の毛の変な所が中途半端な三つ編みにされており、整っていない。
 竜次はミティアの話に血相を変えてキッドに迫った。
「ああぁ、いや、先生じゃなくて、出来たらローズさんにお願いしたくて……」
 キッドはローズに相談をしたかった。だが、竜次が遮る。あまりにも迫るものだから、キッドは観念した。
「そ、その、ミティアが暴漢に襲われちゃって……」
「な、なんですって!!」
 竜次はショックを受け、髪の毛をくしゃくしゃと搔きむしって発狂している。
「ムムム、状況はどうでした……?」
 ローズは深刻に受け止めていた。
「いや、その……あたしも全部は見てないんですが、どうも大男二人組に……」
「どんな奴でしたか!? き、去勢してやる……!!」
 竜次はあまりの怒りに、痛めているはずの左手まで握り拳を震わせていた。知らない竜次だ。ガンギレとでも言うべきか。キッドもローズも初めて見た。
「先生サン、落ち着くデス。イケメン台無し、キャラが崩壊してますネ……」
 ローズは辛辣な指摘を入れる。竜次はそれでも落ち着かないようだ。
「ムム、キッドちゃんも埃っぽいデス。まだ明るいのに街中は静かだし、何かあったのデス?」
 ローズは洗面器のお湯を用意しながら訊ねた。
 キッドは言葉を詰まらせながらも、自分たち買い物組の行動と騒動の詳細を話した。大体のことは伝わったし、理解もしてくれた。だが、暴漢はやはり許せない。

 しんみりとした空気の中、ミティアとジェフリーが宿に戻った。ミティアはジェフリーの後ろを歩き、手を引かれていた。
「ミティアさんっ!」
 心配でたまらなかった竜次は一目散に駆け寄った。
「心配したんですよ。大丈夫ですか?」
 ミティアは気を遣われていることに不満なのか、竜次と目を合わせようとしない。まるで人見知りの激しい子どものようだ。
 やけに心配性な竜次を尻目に、ジェフリーはキッドに詫びる。
「時間をかけた、すまない……」
 キッドは、お湯で絞ったタオルをジェフリーとミティアに差し出した。
「ん? 何で俺のも?」
「自分の顔、見てみなさいよ」
 ジェフリーは言われて柱の小さい鏡を見たが、それでも把握出来るほど、左の頬が濡れた跡が見えた。しかも土埃で泣いたのがまるわかりだ。
 ジェフリーはまたキッドに弱みを握られた気分になった。おとなしくタオルを受け取り、顔を蒸らした。じんと染みて血行が良くなり、気持ちいい。走り回ったせいか、顔からタオルを離すと泥がついた。
 ローズがミティアに声をかけた。
「ミティアちゃん、ちょっとこっちへ……」
 ミティアは無言でジェフリーの後ろに隠れた。
 ジェフリーはキッドが何か話したのだろうと予想し、ミティアを庇った。
「何もされてないから心配しないでやってくれ」
 ローズも竜次も首を傾げた。
「襲われはしたが、何かされる前に追い払った。だから、変に腫れ物に触るようなことはしないで、いつもみたいに接してくれ」
 気を遣ったわけではない。ジェフリーなりのお願いだった。
 キッドからの軽蔑の眼差しが、いつもよりも厳しいとジェフリーは思った。キッドは何か察したのか、不機嫌そうにタオルを回収し奥に下がった。
 ジェフリーがうしろに目を向けると、まだミティアは手にしがみついている。
「いつまでそうしているつもりだ?」
 ジェフリーは離れるように促した。ミティアは名残惜しそうに手を放した。
「ごめんなさい、心配かけ……ふっ……」
 ミティアはやっと顔を上げた。だが、竜次を見て笑いを堪えている。
「ど、どうしました?」
「兄貴、その頭どうしたんだ?」
 ジェフリーはすぐに指摘を入れた。竜次は思い出したように髪に指を通し、自分の状況を思い出した。
「こ、これは孤児院の子どもたちに……」
「先生、おかしっ……ふふっ……」
 ミティアの気が沈んでいないか心配だったが、奇しくもこれが笑いのツボに入ったようだ。笑ってくれてよかった。少しずつ自然に笑顔が戻ってくれるのを願いたいと一同は思った。
 髪の毛を弄られてしまった話で、竜次は別のことも思い出した。
「そ、そうだ、ジェフもおば様に挨拶しに行きなさいよ?」
 ジェフリーはすっかり忘れていた。そんな場合でもなかったが。窓から見える空は茜色を帯びていた。正直なところ、今日はもう面倒だ。
「明日でもいいか?」
 ジェフリーは早々に話題の切り替えに乗った。内心では、ミティアをこのままにして大丈夫なのか、まだまだ心配だった。
「あ、明日があるんですか?」
 ジェフリーは竜次の反応に違和感を覚えた。口うるさい竜次なら、今からでも行きなさいと言うだろう。ローズが発言権を求めるために小さく挙手している。遠慮をする仲でもないはずだが、独特のアピール方法だ。
「実は子どもたちの健康診断を依頼されたらしく……先生サン、明日もこの街に滞在するかわからないから、一度は断ったデス……」
 ローズの言葉に、ジェフリーは驚いた。
「兄貴は一応、医者って思われてるのか? いい仕事じゃないか」
「そ、そう思います……?」
 医者らしい仕事をしたことがないのも同然の竜次が、医者らしい仕事を頼まれている。しかも、肉親からだ。こんなありがたい話があるだろうか。ジェフリーはこれをいい話だと思った。
 竜次にもありがたいのだが、気が引けるようだ。
「んー……明日の滞在が可能でしたら引き受けようと思いますが、みんな揃ったらお話しましょう。サキ君とコーディちゃんは?」
 タイミングを見計らったように、玄関から声がした。大荷物のコーディが帰って来た。
「わぁん、手伝ってよ……」
 いつものトランクに加え、大きな紙袋や手提げ袋も持っている。正直、荷物に埋もれているようにも見えるくらいだ。
 竜次とジェフリーが駆け寄って、荷物を受け取った。
「おかえりなさい、コーディちゃん。どうしたんですか? この荷物……」
「すごい量だし、色々入ってるな? 食べ物まで。こりゃしばらく買い物しなくていいんじゃないか? というか、コーディは買い物担当じゃないよな?」
 買い物の担当はキッドたちだ。サキは別件で不在だが買い物は済んでいるだろうと思っていた。ジェフリーは普段使いのタオルやちょっといい服やお菓子も入っているのを不思議に思った。
「うん。あのね、ギルドに戻ったら、街の人が助けてくれてありがとうって……」
 コーディが説明すると、キッドが戻った。やはり、荷物の多さに驚いている。
「キッドお姉ちゃんたち、救世主とか勇者とかなんか、凄い崇められ方されて、それはお礼だって。ギルドでもそうだけど、役人も頼まれないと報酬とか見返りなしに人の避難や厄介者退治なんてしないから」
「それは人間としてどうなんだ? それこそ、どっかのおばさんじゃないが、義理も人情もない。まぁでも、人の心にゆとりがないと、そういうのは変だと思うかもしれないな……」
 ジェフリーは見返りもなしに人を助けるのはおかしいという意見に、ある程度の理解を示した。自分に得がないと重い腰を上げようとは思わない。自分から動こうなどとは思わない。その代表格と言っていいほど、ジェフリーは思慮深い。以前、キッドにその指摘を受けたほどだ。
 竜次も同じだが、持論を持っていた。
「まぁ、世の中には色んな人がいますよね。私は職業柄、そういう人がいるのはもちろん承知していますが、危険を顧みずに人を助ける行為はなかなかできませんよ? 今は見え方によって自分が悪者にされてしまうかもしれませんからね……」
 コーディは聞いて不思議に思っていた。そんなコーディを察してか、ローズはコーディの背中に手を添えた。
「この方たちはイマドキっぽくはないデス。それがいい所……ネ?」
 言われてコーディはほんのりと笑った。そういえば、最初に会った時、こんな人たちばかりだったら、種族戦争なんて起きなかっただろうと思った。
 本に書きたいと思った。
 この世界には、まだまだいい人が存在する。
 袋の中身を覗きながらキッドは口を尖らせた。
「しっかし、あの子ったら女の子にこんな荷物を押しつけてどこに行ったの?」
 あれから時間が経ったのに、サキを見ない。アイラもそうだがまだ一緒だろうか。
「サキお兄ちゃんなら、アイラさんと街道に向かったよ? ブラックホールを閉じるって言ってた。魔法使いじゃないとだめみたいだったし」
「それってまずい仕事じゃないのか?」
「私に言われてもわからないよ。アイラさん一緒だし、それにあんまり邪魔しちゃ悪いかなって……」
 師弟関係の前に血縁関係こそないが親子だ。ジェフリーは止めなかったのかと怒ろうとも思ったが、二人の仲の良さは知っている。旅に出てからの積もる話もあるだろうと想像した。
「まぁ、確かにそうか……」
 アイラも一緒なのだから、必要以上に心配しても仕方ない。
 コーディがキッドとミティアに注意した。
「お姉ちゃんたちは、さっきの件もあるから、あんまり街中を出歩かない方がいいかも?」
「あっちゃー……そっか、騒がれちゃうわよね」
 キッドは額に手をつき、深いため息をついた。確かに騒がれては困るし、宿に押しかけられても困る。これから動きづらくなるのは最も避けたい。
 サキもまだ帰って来ない。勝手に話を進められないので、やれることは限られる。
 竜次が荷物の山を見ながら提案した。
「荷物の整理でもしますか。リストの買い物もしてくださったんですよね?」
 謝礼の山も、一応中を確認しておこう。
 さすがに貿易都市で変な物が紛れていることは、考えたくはない。

 若干大きい女性部屋で整理する流れになり、竜次とジェフリーは先に置いたと言われた買い物の荷物を取りに行った。ついでに竜次のカバンや、持ち運び用の袋も確認し、きちんとした補充をしたい。
 男性部屋の机の上に本が置いてある。サキが買った本のようだ。
「入門書と、世界地図か。へぇ……気が利くな」
 ジェフリーはぱらぱらとページをめくって閲覧する。すると、竜次が肩に手を回して抱え込んだ。絞め技でもするかのような勢いだ。
「なっ、何だよ?」
「何だ、じゃないでしょ?」
 気を遣っているのか、竜次は小声だ。
 だが、見える範囲でにやりと口角が上がっている。悪巧みでもするかのような笑いだ。ジェフリーは嫌な予感がし、見て見ぬふりをした。それでも竜次はしつこくジェフリーを問い詰める。
「あなた、ミティアさんに何をしたんですか?」
 ジェフリーは反射的に手を止めた。
「な、何って?」
 なぜとぼけたのか、ジェフリー自身にもわからなかった。竜次の反応を警戒したのか、それとも、後ろめたさを感じたのか。
「では当てましょう。キスしたんでしょ?」
「してないっ!」
 これは事故だ。話がややこしくなりそうだとジェフリーは思った。早々にこの部屋から出たいが、竜次は逃がしてくれなさそうだ。
「じゃあ、告白した」
「……っ!?」
「はい。その顔は正解ですね」
「う、うるさいなぁ……」
 ジェフリーの肩に体重がかかった。竜次の顔が近く、本当に締め技を食らいそうだ。
「ふぅん、とぼけますか。でも否定はしない、と……」
 竜次の笑顔の威圧だ。出来たらこれ以上は避けたい。ジェフリーはあまりに恥ずかしい話なので俯いて目を合わせないようにした。もうこの行動で答えを言ってしまっているようなものだ。
「ミティアさん、恋する女の子の顔でしたよ? あなたが助けてあげたのでしょう? 白馬に乗った王子様じゃないですか」
「そんなつもりは……」
 なかった。ただ、目の前で起きていたことが許せなかった。先ほどの話ではないが、自分の危険は考えてなかった。手加減をするようにアイラに注意をされたが、自分だってミティアを助けたいと夢中だった。アイラが一緒でなかったら、何をしていたかわからない。ミティアを傷つける輩がどうしても許せなかった。

 過去を思い返すと、虫酸が走る。これも罪滅ぼしだったのかもしれないとジェフリーは思った。だが、本当にそれだけだったのだろうか。
 自分の意志で動き、自分の意志で助けた。自分の足で立てたのかもしれない。

 表情から何かを察したのか、竜次はジェフリーを解放した。
「私たちの旅は遊びじゃないんですよ? それはわかっていますね?」
「そうだな……ごめん」
 竜次は目を見開いた。そして、鼻で笑った。
「ジェフ、変わりましたね。いい表情になりました。もう大丈夫ですね?」
 何が大丈夫なのか、詳細は伏せられていた。竜次がジェフリーの心の心配をしているのは、前から口にしていた。ジェフリーは、竜次に自分の足で立っていると見られていることがうれしかった。これで過去は乗り越えられたかもしれない。だが、今は別の心配を抱えている。責任に押し潰されないか、不安でいっぱいだ。
「私たちはミティアさんに何度も心を救われました。今度は私たちが彼女を助けないと、ね?」
「……そうだな」
「彼女が普通の女の子として生きられる道を探しましょう」
「一度決めたんだ。絶対に途中で逃げたりしない……」
 ジェフリーは拳を握った。これは自分に対する誓いでもある。途中で放棄するつもりはない。これだけは、自分で決めた目標だ。
 竜次はジェフリーの背中を優しくポンっと叩いた。
 
 兄であり、良き理解者。時に母親のようにお節介を焼き、父親のように叱りもする。
 心強かった。支えるために寄り添っていたのに、知らない間に自分も甘えていたのかもしれない。この人が自分の兄で良かった。ジェフリーは竜次を誇らしく思った。


 雲行きが怪しいのかと思ったが、どうも違う。街道の上空に、禍々しい瘴気が広がっていた。瘴気の切れ目から茜色の空が覗いている。夜が近い。
「話が違うんじゃないかい?」
 サキとアイラは街の裏口から街道に入ろうとした。だが、その手前で木々に阻まれた。アイラがカバンの影に手を回し、双剣を構える。
 道はある。よく整備された道だ。それは間違いない。
 アイラと一緒だが、サキは慌てていた。
「こ、こんなの、僕たちだけで何とかなる問題じゃないです!」
 何が同問題なのかというと、草木が意志を持って動いている。二人を阻むように蔦や枝を伸ばし、攻撃を仕掛けて来るのだ。この状況でも、圭馬だけは目的に執着を見せる。
「やるしかないよ! さっさと進んで歪みを塞ごう!」
「騙された気分だよ!」
 アイラは疾走し、慣れた捌きで草木を切り裂く。彼女はサキの師匠だが、ギルドの凄腕ハンターでもある。道が開けたと思えたが、一瞬だけだった。草木の蔦や枝が再び襲いかかる。アイラはきりがないと思った。
「お前さんだけでも戻りなさい」
 明らかに厳しい情勢だ。それでもアイラはあえてサキに選択肢を与えた。
 サキは声を張り上げる。
「お師匠様を置いて行けません!」
 確かにアイラは強いかもしれない。サキは自分で足手まといかもしれないと思っていた。それでも、アイラを置いて逃げるような真似は絶対にしたくなかった。気持ちだけは常に強気でありたい。
 サキはポーチの中を確認している。すると、圭馬から注意が入った。
「止まってないで! 相手は動いているんだよ」
 サキが顔を上げた時、すでに右足が蔦に引っ張られていた。
「ひあっ!」
 情けない声を上げながらサキは地に伏せた。
「サキ!」
 アイラは双剣をクロスさせ、塞がった道に向かい短く詠唱した。
「お師匠さん、何するつもりだ!」
「決まってるだろう。逃げるんだよ!」
 双剣から赤い光が放たれた。光は螺旋を描き、街道全体に広がるように散った。
「とりあえずはこれで……サキや、立てるかい?」
 アイラは蔦を切り、サキを引っ張った。
 周りの意志を持った草木の動きが鈍くなった。不審に思った圭馬がアイラに問う。
「何をしたの?」
「超結界さ。あたしやサキでは手に負えない。だからいったん動きを鈍らせて、街に来ないようにこの場に留めているのさ」
 圭馬が耳を伏せた。ガッカリなのか、もしくは何か考えているのかもしれない。
 アイラはサキの手を引いて撤退した。
「お、お師匠様?」
「命が大事!」
 アイラはサキの肩を持ち、圭馬の言及を防ぐように街まで走った。
 街に入る前に足を止める。アイラは街の柵に札を張りつけ、ため息をつきながら首を振った。それを見た圭馬はアイラに意味深な質問をする。
「それは一般流通していない呪術や降魔術の札じゃない?」
 アイラは答えなかった。圭馬は不満そうだ。
「お師匠さん、手の内が見えないなぁ……何者なんだい?」
 アイラはこれにも答えない。ずっとサキを気にしていた。
「お師匠様、僕が足を引っ張ったせいですよね……」
 サキは責任を感じていた。アイラの了承を得て旅に出たというのに、何も成長していない。確かに多忙によって体力は消耗していたかもしれない。それでも無力だと感じた。それが師匠であり、育ての親のアイラに知られてしまったからだ。
 アイラはサキの両肩に手を置き、笑って見せた。
「お前さんを守れる自信がなかったから退いたのさ。あたしが弱っちいからいけないんだよ。長らくサボってたからねぇ」
 アイラはわざとらしく陽気に笑う。師弟ではなく、母親の顔をしていた。
「でも、そろそろ潮時かもしれないねぇ……」
 余裕の笑みとは違う、何か理由を含んでいるようだ。サキにはこの意味がわからなかった。
「結界や呪符は使ったが、抑えても朝まで持つか怪しい。できたらお前さんたち、みんなの力を借りたい」
 アイラはことの深刻さを訴えた。サキはいい案だと思い、小さく頷いた。アイラと協力するのは大歓迎だ。
 圭馬もその意見には理解を示す。
「そうだね……さっきは急かせてごめんよ。ボクはもっと小さいのだと思っていたし、もうその場に来ちゃったから、早急な解決を優先した。正直、危険やリスクは考えてなかった。それに、結界を張れるほどの技術を持ってるなんて、知らなかったよ」
 圭馬は謝った。これでやっとアイラは圭馬と口を利いた。
「あたしゃこの子の師匠である前に母親だ。血の繋がりこそはないが、大切な子どもが命にかかわるような危険な目に遭うのはごめんだよ。そこんとこ、わかっておくれ」
 アイラの言葉を聞き、サキは目を見開いた。
「あ……」
 サキは泣きそうになった。心が温かい。アイラがこんなにも自分のことを思ってくれている。それが何よりもうれしかった。
 圭馬が空を眺めながら、尻尾を振っている。空が暗い。夜が訪れる。
「いいね、ママがいるって……」
 サキはアイラの服を握ってしがみつく。アイラはサキの頭を優しく撫でた。
「あたしゃ、いつかお前さんに大魔導士になる試験も受けさせたいし、静かに暮らせるだけの家をどこかに構えたい。そのために、うんと稼がないといけないから。好きだった煙草もやめたんだぞ?」
 そういえば、アイラは頻繁に吸っていたキセルを持っていない。
 アイラはサキを、授業料の高い魔法学校に入れるための資金を工面していた。もともとこの仕事をしていた。それが、孤児院を手伝う縁があった。だが、アイラがサキを引き取ったのは、深い理由があったからだ。それをまだ打ち明けていない。
「さぁ、サキや。みんなはどこに泊まってるんだい? 連れて行っておくれ。ジェフリーたちにも話そう」
 サキはアイラが以前より柔らかい性格になったように思った。責任を負っているのかもしれない。親としての。
 女手一つでは無理がある。サキはまだ働くには若いし、体力もない。手がかかるのは承知だが、それだからこそ我が子は可愛い。
 これ以上一行に深く関わるのもどうかと思ったが、アイラは宿に赴いた。

 アイラの訪問によって、一行がこの街で過ごす『明日』が存在することになった。
 もちろん、その明日はいい意味でも悪い意味でもある。
 一行はさらっと自己紹介を兼ねて席を設けた。
 情報の交換と大体の状況を把握した上で、明日の動きを考える会議が行われた。
 ジェフリーが役割の配分を仕切った。
「兄貴はおばさんの所だな。これはちゃんと受けた方がいい」
 街道の騒動を鎮圧しに行く話だが、竜次は強制的に外された。負傷した左腕の心配も考慮されている。
 竜次はジェフリーの判断を不満に思っているようだ。だが、叔母のお願いを拒否するわけにもいかない。
 ジェフリーは割り振りを続けた。
「俺が判断していいのかわからないけど、博士は歪みの鎮圧に加わってもらいたい」
 ローズはおどおどとしながら確認を取った。健康診断を手伝うつもりだったようだ。
「ワタシ、戦うのは苦手なんですケド……」
「今回はイレギュラーだから、俺だけで全員を見られるかはわからない。博士は状況の判断と補助に長けているはずだ。だから歪み本体をどうのじゃなくて、みんなを助けてほしい」
「お仕事以外で命を預かるなど、気が重いですが……確かにイレギュラーですよネ」
 ローズは渋りながら納得した。
 あえて言わなかったが、ジェフリーがこの判断をしたのはもうひとつ理由がある。ローズは戦いの邪魔をしない能力にもっとも長けている。下手に足を引っ張ることはせず、自分の身を守る行動をとっさに取ることができる。これが簡単に思えて、難しいものだ。邪魔にならないように下がっていながら、怪我をした仲間の手当てや、離れた視点で重要なヒントをくれる動きには期待できる。
 ジェフリーはアイラの意見も耳に入れたいと思った。
「おばさんとしてはどうだ?」
「あたしゃ集団行動は得意じゃないから、個人で動いちまうかもしれない。それは了解しておくれ?」
「本当に手を組むとは思わなかった。おばさんは場慣れしてそうだな」
「まぁ……でも、そうさなぁ」
 アイラはジェフリーに了解を得た。その直後、ミティアに視線をおくっている。
「この子は、連れて行っちゃいけないと思うよ」
 ミティアの除外を提案した。アイラは彼女の何を知っているのだろうか。
 アイラの意見に圭馬が即決した。
「あぁそっか、そこまで考えてなかったよ。もしこのお姉ちゃんが本当に世界の生贄なら、あんな大きな瘴気、取り込んですぐにでも魔女になっちゃうかもしれないよね」
 圭馬はうっかり『世界の生贄』と言ってしまったがアイラは動じていない。むしろ、アイラからこの提案があったのだから、知っている可能性がある。
 ジェフリーは話の脱線と面倒を防ぐため、圭馬に注意をした。
「簡単に言うけど、そういう重要なことはどうしていつも後出しなんだ? 一応利害の一致で行動してるじゃないか。もう少し味方っぽくなれないのか?」
 圭馬が言うものはアドバイスのつもりなのだろうが、なぜかいつも後出しなのは不満に思っている。これはジェフリーだけではなく、仲間の全員が思っていて口にはしなかった。
 圭馬本人はまったく悪気がない。もしかしたら、根本的な考え方が違うのかもしれない。種族の壁と考えの違いを感じた。だが、ためになることも助言してくれる。今すぐの改善は難しいかもしれないが、言えるいい機会だった。
 それよりも、気を落として悲しい顔をしているミティアをどうフォローしようか。ジェフリーはこれ以上彼女が落ち込まないように、言葉を考えていた。
「じゃあ、私のお手伝いでもしますか? 子どもがお嫌いでなければですが……」
 ミティアに声をかけたのは竜次だった。
 孤児院に行かせて大丈夫なものなのか。また妙なことに巻き込まれないかと、ジェフリーは心配した。だが、明日ミティアを一人にする方が心苦しかった。
 ミティア顔を上げ、ジェフリーを見て判断を委ねた。
「あー……嫌だったら、無理にでも一緒に連れて行くしかないけど……」
「う、ううん。余計な心配はかけたくないから、先生と一緒にいようと思う」
 ミティアの本音は一緒にいたいのだろう。彼女のぐっと抑え込んだ表情が、ジェフリーにもつらかった。
「先生、また子どもたちに遊ばれちゃうかもしれないし、きっと一人だと大変ですよね」
 ミティアは『手伝います』と加え、竜次に笑った。その笑顔は、明らかに作られたものだとわかる。ジェフリーは気持ちを伝えてしまったがゆえに、この些細な違いも気になるようになってしまった。
 別行動にはなったが、別れではない。

 竜次とミティアは孤児院に行き、ほかの者は歪みを鎮圧するのにあたる。大まかな流れは組んだ。野営の準備や道の確認など、特別な準備がいらないのがまだ救いだ。ただ、このままでは不安もある。作戦くらいは考えておいてもいいだろう。ジェフリーは賢人に質問をする。
「それで、何か策はあるよな?」
 圭馬は小さくぴょんと跳ねた。言われるまで何も言わないつもりだったようだ。
「あぁ、そうだね。根本的な閉じ方は、魔封じだよ。魔界と人間界の歪みだからね。あれだけ大きかったら、時間がかかるだろうし。その時間を稼ぐのがお兄ちゃんたちだね」
 圭馬はあっさりと説明し、キッドを見上げた。
「お姉ちゃん、ノイズでしょ? 魔封じならお姉ちゃんが主力じゃないか」
「えっ、あたし!?」
 キッドは声をひっくり返し、何度も瞬いて驚いた。
 圭馬の発言によって、キッドの素性が知られてしまった。
「あぁ、そうさねぇ……」
 キッドの素性に、アイラは知っている素振りを見せていた。本当に手の内がわからない。どれほどの情報が、彼女の中にあるのだろうか。ジェフリーはこの反応に違和感を抱いたが黙った。
「それなら、あたしとサキはあくまでもサポート程度にしかならない。まぁ、時間を稼いでくれるのなら、きっとうまくいくでしょ……」
 会議の大体は終わったと見たアイラが、さっさと帰ろうとする。
「ま、待ってください!!」
 遮るように竜次が引き止めた。睨むまでいかないが、探るような眼光で質問をした。
「人情マダム、あなたがこの街に立ち寄ったのは、孤児院に関係があってだと思うのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
 竜次は人情マダムと呼んだが、大半はカバンのせいだ。
 意外にも、アイラはすんなりと答えた。
「まぁね。でも、今のあそこはシロだよ」
「そう……ですよね」
 竜次の反応を見たアイラは、今度こそ足を引いた。
「夜明け前に出発だから、みんな、今日は早く休んでおきなよ」
 アイラはこの場から逃げるように宿を出て行った。
 竜次はすぐにあとを追った。納得をしていいないのか、それともまだ聞きたいことがあるのだろうか。
 誰もあとを追わない、呆気にとられた異様な空気だ。この空気をミティアが崩した。
「ねぇ、コーディちゃん」
 コーディに向かって何か質問があるようだ。この場の一同も注目する。
「アイラさんって、凄腕のハンターさんだよね?」
「ん? そうだよ?」
「アイラさんはこの先も一緒にいてくれたりしないのかな?」
「うーん……」
 ミティアの何気ない言葉に、それぞれが複雑な心境だった。
 コーディはアイラがどういう人なのかを知っている。自分よりも格上の賞金稼ぎだ。お金を稼ぐ目的が強いのならば、同行をよくは思わないだろう。
 ミティアは個人的にアイラを気にしていた。自分の秘密を何か握っている可能性があるからだ。圭馬が『世界の生贄』を会話に乗せても、話を止めなかった。
「おばさんは、そういう人じゃないと思う」
 横槍を入れて雰囲気が悪くなる悪役を、あえてジェフリーが引き受けた。
 コーディはジェフリーを渋い顔で、しかも睨むように見ている。
「気になってたんだけど、アイラさんと親しいの? おばさんって呼んでたから」
「世話になったことはある」
 ジェフリーの視線がサキへ行った。何も間違えてはいない。サキは小さく頷いた。
「実は、僕のためにお金稼いでいるみたいなんです」
 つまり、金にならないことには必要以上に踏み込まない。言わなくても答えは出ているようなものだった。
 コーディも同業者なのだから、ある程度の理解があって当然。だが、ジェフリーが妙に親しいのは腑に落ちなかった。
 皆の足元で、圭馬は疑念を抱いていた。
「ボクは、お師匠さんの手の内がまるで見えないから気味が悪く思ったよ。『世界の生贄』に動じなかった。『ノイズ』の話をしてもそうだよ。お師匠さんはもしかして全貌を知っているんじゃないかな? 知っていて手を貸してくれないなら、ボクより悪者だと思うよ?」
 圭馬の意見は混乱を招いた。当然、サキは黙っていない。
「お師匠様が悪者だと言うのですか!? いくら圭馬さんでも、言っていいことと悪いことがあると思います!!」
「キミが信頼しているのはわかるけど、どうして何も言ってくれないんだろうね」
「それは……きっと、何か理由があるに違いないです」
「そうだといいね」
 圭馬とぶつかり合うようになり、サキはこれ以上反論せずに押し黙った。疑いを持って当然だと思うフシはある。アイラは孤児院を探り、世界の生贄を知り、ノイズを知っている様子だった。それに、見慣れない術を使う。
 意外にも、疑いを持っているのは圭馬だけではなかった。
 ミティアと部屋に戻ろうとするキッドは、今のやり取りに聞き耳を立てていた。その表情は暗い。自分を知っている様子だったのだから、心中穏やかではない。


 アイラが思ったより足早で、大通りの手前でやっと追いついた。
「マダム、お待ちください!!」
 竜次は声を張り上げ、アイラを呼び止めた。アイラは足を止め、振り返った。
 遅れて竜次が足を止めるが、息が上がっている。
「人情マダム……足、早すぎませんか!?」
「んんっ? 竜ちゃん、どしたん?」
「ど、どうしても、言いたいことがありまして……」
 面倒な態度を示すアイラ。本心は、さっさと宿で休みたいようだ。
「手短に頼むよ?」
「フィラノスでの件、ありがとうございました」
「あいよ! んじゃね」
「あああ……そうじゃなくて!!」
 まるで逃げるようだ。竜次は嫌われているのではないかと勘繰りしてしまった。
 アイラは腕を組んでため息をついた。
「ずっとお聞きしたかった。あの時、どうして私を助けたのですか?」
「はー……」
 アイラはくだらないとでも言いそうな表情だ。やけに前の話を、今さらするのはどうだろうか。
「竜ちゃん、やっぱり王様になったら?」
「い、今、その話はいいので!!」
 面倒に思ったアイラは、この場をごまかそうとした。
 どうしても知りたい。この人は、何かを握っている。だが多くは求めない。凝った質問は、きっと答えてはくれないと竜次もわかっての質問だ。
 アイラは竜次の熱意に負け、質問に答えた。
「あの時点では、こんなに大事になっているなんて思いもしなかったよ。結果、助けてよかったのかもしれないけど。そうさね、理由を言うなら……」
 アイラはニッと歯を見せて笑った。
「酒がまずかったから……だね」
 この答えは本当かもしれない。確か、騎士団も酒気帯びだったはずだ。その騎士団と言い合いになっていた。竜次は小さく唸った。納得がいくような、いかないような煮え切らなさが後味を悪くする。
 アイラは口角を上げ、陽気に笑った。
「今度一緒に飲もうじゃないか。たくさん話してみたいもんだね。王族同士で……」
 心理戦をするかとも思ったが、アイラにその気はないようだ。竜次はどう返そうかと考えたが、思いついた答えは笑って返すしかなかった。
「そういうことですか。困りました。でも、悪くないお話ですね……」
「あい、決まった。んじゃね」
 アイラは今度こそ去ってしまった。歩く速度もあるのか、竜次の目が疲れているのか、瞬く間に姿は遠くなっていた。
 はぐらかされたのに、嫌な気分にはならなかった。前向きな思考だ。この期待のさせ方は、ただ者ではない。今度一緒に飲もうというのは建前だけの約束かもしれない。
 今度……と言われた。それは自分たちとは同じ道を歩めない示しでもあった。
「困りました。女性に逃げられてばかりです……」
 竜次の口から、物悲しい独り言が零れた。アイラと交わす言葉は意味深なものが多い。その言葉にどれほどのヒントが隠されているのか、見抜けるテストをされているかのようだった。もちろん竜次は『王族同士』を頭の片隅に留めておくことにした。
 今度があるのなら、この話をゆっくりとしたい。

 女性には嬉しいお風呂の時間だ。汗と泥が洗い流せる。キッドだけは、どうもゆっくりできなかったようだ。その理由は、これから夜通しで勉強するため。サキと、宿のロビーで勉強すると約束していた。
 髪の毛にタオルを絡ませながら、キッドはミティアに言う。
「ほぉら、コーディちゃんもローズさんも、もう寝ちゃうわよ?」
 キッドはミティアに休むよう促す。そのミティアは、おやすみと別れるのが名残惜しいようだ。その理由を口にした。
「キッド、どんどん先に行っちゃうね……」
「そんなことないわよ。できないから勉強するんだから」
 魔法使いでもないキッドだが、猛勉強をして今度は何か身につくのだろうか。もともとキッドは強い。だからこそ、ミティアには遠い存在に感じていた。
「わたしも、強くなりたい……」
 ミティアは、キッドに置いて行かれてしまうと思っているようだ。
「誰もミティアを置いて行かないわよ。急にどうしたの?」
 ミティアの心境や考えに変化が見られた。いつもマイペースで、仲間の調子をいい意味でも悪い意味でも乱すくらいの存在だ。それが、どこか強さを秘めているように思えた。キッドはこの理由の心当たりを指摘する。
「『あいつ』に変なことされた? 何か言われたの?」
 仲間を疑るのもどうかと思うが、キッドの中ではそれしか心当たりがない。『あいつ』とはジェフリーのことを指す。
 ミティアは縮こまって頬を赤くした。
「されてない。お願い、キッド。ジェフリーを悪く言わないで」
「まだ、何も言ってないわよ?」
 キッドは鼻で笑い、ミティアの顔をじっと見る。
「そんな顔してむきになって……好きって、言っちゃえば?」
 ミティアは頬だけではなく、顔全体を真っ赤にしている。縮こまっているせいで、やけに可愛らしいとキッドは思った。
「普通の女の子になったら、ちゃんと言う。そういう約束したから……」
「えっ? 約束? どうしてそんな中途半端な?」
「今は、そのために頑張ってるんだよ。だから、わたしは大丈夫」
 ミティアは気持ちを抑え込んでいる。キッドにはすぐにわかった。
「あたしには、ミティアの方が遠い存在よ。一時的な気持ちだけで動かず、周りのことも考えているなんて、大人だと思うわ」
「あぅっ、キッドぉ……」
「急に乙女になっちゃって。いいから寝なさい!」
 キッドはミティアの背中を押して、部屋に入れた。
 その頃合いで、本を持ったサキがキッドのもとに赴いた。足元には圭馬もいる。
 
 宿のロビーの端を使う。そのためにスタンドライトを借りた。サキは愛用の眼鏡をかけ、ふりがなをふりに万年筆を走らせている。
 キッドは簡単な文字なら読めるようだ。サキの手元を見て小さく頷くこともあった。
 圭馬は思うところがあり、キッドに質問をする。
「ねぇ、あのお姉ちゃんの様子はどう?」
 夜ということもあり、さすがに少し声は小さめだ。圭馬はミティアのその後を気にしているようだ。
「どうって言われてもねぇ……」
 キッドは椅子に深くかけ、呆れたようにため息をついた。
「なんか、急に大人になったみたいな感じがするわ……」
 少なくともキッドはそう思った。ミティアの印象が変わったとは思うが、今までと変わりなく接するつもりでいる。それこそ、腫れ物に触るようなことはしたくない。
 圭馬もミティアに対する印象が変わったようだ。
「襲われて、いい方に転ぶなんて思いもしなかったよ。人間の汚い部分を知っただろうし、少しは自分で考えて強い意志を持てるかもしれないね」
 黙って聞いていたサキは手を止め、顔を上げる。その顔は怒っていた。
「ミティアさんが襲われたのを、都合がいいと思うのはちょっとどうかと……」
 言ってから再び万年筆を走らせる。どうもサキは、圭馬の発言が突っかかるようだ。
 ミティアが襲われたことは許せない。だが、キッドはもっと許せないことがあった。
「あたしはあいつの方が許せないかなぁ……」
 キッドが言う『あいつ』とは、ジェフリーを指す。親友を取られた気分もそうだが、もちろんそれだけではない。
「ほんと……泣かせたら、許さない……」
 キッドは心苦しかった。なぜなら、自分が踏み込んではならないからだ。誰かを好きになるのをダメと言うのは簡単だ。だが、それでミティアは幸せだろうか。
 キッドはずっと一緒だ。もちろん、ミティアの幸せを願っている。ミティアがこれからどうやって乗り越えるのかが気がかりだった。キッドは個人的にジェフリーをよく思っていない。利己的な考えがどうしても気に入らなかった。ただ、仲間としては頼りがいがあると思っている。だからこそ、親友と仲間の板挟みに葛藤を抱いていた。
 サキはペンを止めた。終わったのか、姿勢を正す。キッドの前に本が流された。
「ここから読んでください。難しかったら解説しますので……」
 サキは指をさし、指示を出した。年下なのに、先生のような風格だ。
 キッドはごくりと唾を飲み、身構えた。
「こ、これって読むだけでいいの?」
「まずは魔法に関する理屈です。だから、頭に入ってさえくれれば大丈夫です。まだまだ基礎ですから」
 サキは万年筆のキャップをはめ込み、顎でトントンとしながらキッドの様子を見ている。
 基礎と言われても、大半はこの世界にどうして火が存在するのかなど、哲学的な掘り下げばかりだ。深く考えたこともなかったと驚愕する。
 キッドはまともに勉強をしたことがなかった。だが、実際に目を通すだけで意外と面白いかもしれないと思い、熱中した。もちろん、遊びで勉強しているわけではない。
「僕、お茶を持ってきますね」
 サキが万年筆と眼鏡を置いて、サキは席を立った。

 明日、また大きく動くのであろう。

 知らないことを徐々に知って――
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