23 / 56
【4】千切れそうな絆
試される信頼
しおりを挟む
幻獣の森、ティアマラントの屋敷を出発した。
恵子が見送りに顔を出したが、圭白は姿を見せなかった。何か事情がありそうだったが、結局わからずじまいだった。もちろん、ジェフリーは仲間の心配を増やさないために、余計なことを言わなかった。
今日の空は曇っている。これから雨が降りそうな天気だ。道中は空模様にも注意を払いたい。
圭馬は森を出ると、ウサギの姿になってしまった。キッドが摘まみ上げながら歩く。
「可愛いけど、ちょっと大きいわね」
長い耳はあるし、フサフサとした尻尾はあるし、立派な小動物だ。キッドが指摘するように、全体的にモフモフしているので大きく感じる。
「キッドぉ、わたしも抱っこしたい」
最初だけだろうが、かわいいマスコットの取り合いが発生していた。奪うようにミティアが圭馬を抱っこしてはにかんだ。彼女が持つと、絵になって可愛いらしい。
マスコットキャラクターの取り合いもいいが、これから北の山道に挑むのだからある程度の緊張感を持ってもらいたい。ジェフリーは圭馬に訊ねた。
「なぁ、北の山道について、何か知っていることはないか?」
「北の山道? この辺りは寒暖差が激しいから霧が出やすいって聞いたことがあるよ。ボク、あの森に引きこもりだったから、地理に詳しくないんだ。ただ、貿易都市があるのなら、沙蘭へは船より陸路の方が早いだろうね。でも、この物騒なご時世だったら行商人が利用する程度じゃない? 道のりは可もなく不可もなく……みたいな?」
狂暴化した野生動物や植物がはびこるのなら、馬車は危険だ。通っても身軽な行商人がいいところだろう。期待はしていなかったが、圭馬が持っていた情報は有益ではなかった。ただ、視界が悪いなら警戒しようと誰もが思った。
幻獣の森を抜け、平原を抜けた先に生い茂った森林が見えた。その先は緩やかな坂道が見える。
「いかにも……という感じですね」
昼間だが、竜次はランタンを取り出した。曇っている上に森に入るのなら覚悟はしなくてはいけない。
森の中は薄暗い。湿った草木に土、雨が通った後のようだ。
道は荒れてもいないが、しばらく人や馬車が通った痕跡もない。草木が道を塞がないように柵が設けられている。整備はされているが、ほとんど利用がなかったと見ていい。通る者がいなければ、地図もなくて当たり前だ。情報が少ない理由の予想がついた。
「さて、物資も限られています。気をつけて進みましょう」
フィラノス以降、物資の補給はない。竜次は無駄遣いをしないように今一度、皆に念を押した。
「そんなに広くはないでしょうけど、一泊はどこかで野営ですね。情報もないし、地形もわかりません。慎重に進みましょう」
無駄遣いをしなければ、一泊は何とかなるだろう。
草木は伸びっぱなしで自然豊かな場所だ。珍しい植物があるわけでもなく、見るものが少ない。青々とした草木も、時折見える灰色の岩肌も、湿気を帯びた地面も、見慣れてしまうと退屈な山道のはずだった。
道の隅に大きなトランクを見つけるまでは。
革製で使い込まれたものだ。どこかで見覚えがある。
「きゃあっ!!」
ミティアが抱きかかえていた圭馬を放り出して、駆け出した。彼女の先に誰かが倒れている。
「コーディちゃん!!」
ミティアが抱き上げたのは金髪の女の子、赤いチョッキにワンピース。翼を生やしたコーデリア・イーグルサントだ。
頭に怪我をしている。血を流していた。
その様子に竜次が駆け寄った。
「大丈夫です、生きていますよ」
竜次が確認をして、腰のカバンを漁り始めた。
少し離れてローズとサキが警戒をしている。
「その子。ドラグニー神族じゃ? 危険デス。何をされるかわからないデス」
ローズは危険だと主張した。
「翼が大きいということは、純血に近い。ドラグニー神族は、優れた身体能力を持っています。とても好戦的で危険な種族ですよ。助けてどうするのですか?」
サキも顔をこわばらせている。彼は論文で種族について触れていた経緯がある。
竜次は左手を庇いながら、救急キットを取り出した。二人に言い返すわけでもなく、睨むわけでもなく、医者としての顔をしていた。
「ごめんなさいミティアさん、これ、開けて出してもらえますか?」
竜次はガーゼ瓶のふたが開けられず。ミティアに渡していた。スプリングフォレストと沙蘭で蓄積されたダメージによって、左手をずっと故障している。
「おっもっ!!」
キッドはトランクの回収をし、ジェフリーは他に何か落ちてないか確認をしていた。普通は役割が逆だ。
「っと、まずいものを落としてるじゃないか」
ジェフリーが草の陰にメモ帳とギルドのライセンスを見つけ、拾い上げて土を払った。払っている途中でずっと距離を置いているローズとサキを気にかけた。
「どうしたんだ?」
サキもローズも警戒を解こうとしない。
ミティアの腕の中でコーディが目を覚ました。
「えっ、何してるの……?」
「コーディちゃん!! よかった……」
ミティアはコーディの頭の血を拭いながら喜んでいた。だがコーディはその手を払って体を起こした。竜次の手も払い除ける。
「怪我しているのですよ?」
「いい……ここまでで」
よろめきながら自力で立とうとして、今度はジェフリーに支えられた。
「馬鹿、無理するな!」
「やめて、そういうの……」
コーディはジェフリーを睨みつけた。どうしても手を借りたくないように見える。
「ふざけるな。怪我をしてるんだぞ」
コーディは再び気を失ってしまった。ジェフリーは抱えながら周囲を見渡した。
「どこかで休ませよう……」
十歳ほどの小さな体、翼こそあるが何でもない女の子だ。
休むことに重点を置いた探索をする。すると、伸びっぱなしの草に隠れた横穴を見つけた。焚火の跡や、汚れ錆びていた携帯用の食器が見受けられた。荷馬車でも引いたのか、地面には細く長い溝がある。古そうだが、休むにはいいだろう。皆で相談したがここで陣を取って休むことに決めた。
竜次はランタンを寄せ、コーディに再び手当てをする。頭の裂傷は、ガーゼとテープで処置を施した。
「そこに怪我をしている人がいたら、誰でも助けるのが医者だと思うのですが……」
やっと一息ついた竜次はローズに対し、棘のある言葉を投げた。だが、ローズは言い返さずに黙っていた。
「あんたもどうしたの? そんなに離れて……」
キッドがサキに質問をする。いつもの彼とは態度が違うのを不審がった。
「あの、怖くないんですか? ドラグニーですよ?」
「怖いって? 別にこの子、普通じゃない」
質問に質問で返されるも、キッドは即答している。
「まーまぁ、無理もないと思うよ」
ミティアの横からぴょんぴょん圭馬が跳ねて前に出る。そのまま話に加わった。
「ちゃんと知ってる人は、ドラグニー神族の恐ろしさを知っているからね」
「恐ろしい? こいつは自分の本を書きたいって熱弁していた、ギルド所属のハンターだぞ」
ジェフリーがコーディを擁護した。この反応は普通ではないのかと疑問のようだ。
「あの、ジェフリーさんたちは、その子のお知り合いですか?」
サキからの質問だ。彼が一番距離を置いて警戒している。
「フィラノスを目指す前に会った。数十分だけしか話していなかったけど、こいつは自分の目的をしっかりと持ったすごい奴だと思う。確かに普通じゃないって言われたが、翼があるだけで普通の女の子じゃないか」
ジェフリーに説かれたサキは、頷くもまだ不満そうだ。
「つーかさぁ、ローズちゃんだってアリューン神族の混血でしょ? 同じようなものじゃないのぉ?」
圭馬に指摘をされ、ローズは不満そうにしている。
「ま、別にいいけど。人間ってちょっと違う人を見るといじめたり仲間外れにしたりするんでしょ? ボクには直接関係ないけど、醜いよね」
いじめたり仲間外れにしたり、という部分に過敏になったのか、サキがむきになって言い返した。
「そ、そういうつもりではないです!! まだ、何も知らないですし、確かに見た目で判断したのはすみませんでした」
サキはようやく歩み寄りを見せた。それでもまだ怖がっている。
不穏な空気になりつつある中、圭馬はさらに煽るような言い方をする。
「あーあ、だから種族戦争なんて起きちゃったんだよ。人間って汚いよね、ホントに」
ジェフリーは圭馬に対して疑念を抱いた。どうも彼の発言は棘が多い。
「すまないが、あんたはどっちの味方だ?」
「ボクぅ? 誰の味方でもない、第三者だよ。この世界には存在しないはずの幻獣だよ。ま、今はウサギさんだけどねぇ」
客観的な意見だ。確かに人間の汚い部分を指摘している。鬼畜とは謳われていたが、案外言い方が悪いだけで足りない部分を指摘してくれるのかもしれない。
「助ける命に、種族なんて関係ない……」
「先生……?」
ミティアに呼ばれて竜次は顔を上げる。むきになっているのはこの医者も同じだ。
「すみません、何でもないです……」
竜次がいつになく感情を露にするものだから、ミティアも怖くなった。
しかしなぜ、コーディが怪我を負ってこの山道にいたのだろう。彼女は飛べるはずだ。襲われたのかもしれない。これから先へ行くには、警戒しなければいけないとジェフリーは思っていた。だが、意外にもそう思っていたのは彼だけではない。
「あたし、ちょっと外を見て来るわ」
キッドが手袋を取り出して弓を背負った。
「俺も行こう」
ジェフリーも寄りかかっていた石壁から身を乗り出した。
キッドは一瞬足を止めたが、この場の様子を見て妥協した。すぐに動けそうな人が限られている。
二人は陣を離れ、横穴から外に出た。
キッドは偵察に行くつもりだった。まさかジェフリーがついて来るとは思わず、不機嫌であった。
「どうしてついて来たの?」
キッドはずいずいと歩きながら質問をする。ジェフリーが何を考えているのか知りたい気持ちがあったからだ。
「コーディは空を飛べるんだぞ。どうしてあんな怪我をしたのか、おかしいと思った」
ジェフリーの返答に、キッドは上を指さした。
「あんたは高い木を注視してもらえる? 断言はできないけど、コーディちゃんのあの様子だと、襲って来たのは『人』かもしれないわ」
「俺たちの顔を見ても、強引に振り払おうとした。もしかしたら、俺たちの誰かが怪我をさせたと勘違いをしているのかもしれない……」
キッドの考えに、ジェフリーも心当たりがあると話す。誤解をされている可能性があると不安な要素を挙げる。
キッドは足を止め、振り返った。眉間にしわが寄っている。
「誤解なら、ミティアや先生が解いてくれるわ。もっと『仲間』を信じたら?」
周囲を警戒していたはずだが、重い話になって二人は目を合わせた。
「し、信じているさ!! もちろん、キッドのことだって!!」
ジェフリーから信頼を寄せられていると知り、キッドは目を丸くした。口をへの字にして、呆れているようにも見える。
「意見をはっきり言ってくれる人は大切だと思う。俺は自分に何が足りていないか、よくわかっていないから、キッドの存在は助かっている」
「ど、どうしたのよ。突然……」
「いや、単に助かっていると言っただけだけど」
ジェフリーの相手をすると調子が狂う。今までキッドは、わざと会話を避けていた。これからもそのつもりだったのに、気持ちの面で歩み寄られると、どう対処していいのかわからない。返しに困りながら視線を向けると、ジェフリーは立ち止まって耳を澄ませていた。
「何よ?」
キッドが訊ねると、ジェフリーは右手人差し指を立て、静かにするようにサインした。何かに気がついたのか、キッドに駆け寄った。
「えっ、だから何なの!?」
ジェフリーがキッドを後退させる。直後に目の前に閃光が瞬いた。
今まで立っていた地面が抉れ、燻ぶっている。土と焦げた草の臭いが鼻を刺激する。
「ま、魔法!?」
キッドが声を荒げた。
周囲を警戒するが、その正体はすぐに姿を現した。
「残念、ネーチャンには当たらなかったか」
コーディのトランクが落ちていた近くの木から男が姿を現した。
年は二人と同じくらいだ。くすんだ水色の髪に頭にはターバンのようなものを巻いており、耳にはじゃらじゃらとピアスがたくさんついている。どこかの民族衣装だろうか、見慣れない服装だ。短剣を左手に握っている。右手には指輪が光っていた。魔力媒体だろう。先ほどの閃光は魔法だ。向かい合っただけなのに、圧を感じた。
「何、あんた」
キッドは右脚に手をかけた。いつでも剣が引き抜けるように警戒する。
男は下品な笑いを浮かべ、答えた。
「俺はこっちの野郎に用があるんでね? ネーチャンは邪魔ってワケ」
にたにたと品がない笑いだ。
ジェフリーがキッドを庇うように前に出た。ここでキッドは彼の様子がおかしいと気がついた。小声で男に悟られないように声をかける。
「(あ、あんた、まさかさっき……)」
「気にするな。それよりも、キッドはまだ動けるよな」
微かに震える声、やせ我慢をしているジェフリーの様子をキッドは見逃さない。
「どうして……」
状況を遡ると、ジェフリーは庇って魔法をかすめたのだろう。左腕に赤く腫れた線が見えた。それでも引く気はないようだ。キッドは自分を庇ってジェフリーが負傷したことに対し、罪悪感を抱いた。
「コーディはお前がやったのか?」
「コーディ? あぁ、さっき飛んでいた奴か。邪魔だったから落としてやった。お前たち兄弟が来るのを知っていたからな?」
わかりやすい回答だった。男はジェフリーに刃先を向ける。
「踏み込みすぎたな、ジェフリー・アーノルド・セーノルズ。ここで死んでもらおう」
ジェフリーがキッドに逃げるように言う前に答えが返って来た。
「あたし、逃げないから」
「言うと思ったが、あれは厄介そうな奴だぞ」
「あんたよりは、まともに見えるわ」
ここで退いたら、怪我をしているコーディや皆のところに行ってしまう。混乱するだろう。主力の竜次は左腕を痛めている。ここで阻止したい。
単純に考えて、一人対二人だ。しかも、ジェフリーとキッド。相性は悪いだろうが、個々は強い。
「名前と目的を言え」
ジェフリーは剣の柄に手をかけながら威圧した。
男はニタニタと下品な笑みを浮かべている。このねっとりとした下品な笑い方がどうしても目に焼きついてしまう。
「俺の名前はシフ。お前たちを始末してケーシスの前に突き出してやる。生贄を手土産にしてな。それが俺の目的だ」
疑惑が確信になった。この男は敵だ。これだけは間違いない。
「今は感情的にならないでもらえる?」
ジェフリーの乱れそうな気持ちをキッドが一掃した。普通は逆撫でをされてイラつく言葉だ。だが、戦場で常に冷静であろうとする彼女の言葉は的確だった。
「指示をお願いしようかしら?」
「絶対みんなのところには行かせるな! こいつに親父の場所へ案内させる!!」
「りょーかい!」
キッドは弓ではなく、足の剣を抜いて地面を蹴った。彼女は速い、切込みも。
一撃目はかわされたが、追撃でシフの刃をとらえた。
「チッ、ネーチャン、強いな……」
「もっと褒めてもいいんですよ、だったかしら」
力押ししたかったが、右手が向けられたためいったん退いた。
「させない!!」
入れ違いでジェフリーが間合いを詰めた。
今まで距離を置いていたローズが、歩み寄ってコーディを診察している。
ローズは言いにくそうにしながら、竜次に指摘をした。
「あの、この子、首の後ろが赤いデス……」
ミティアが覗き込み、起こさないようにゆっくりと髪を寄せる。
「あっ、本当だ……打ったのかな?」
赤く腫れた部分は熱を持っていた。これではいつまでも苦しいはずだ。
頭を怪我していたのだから、もっとよく見ればよかったと、竜次は肩を落とした。
すぐにタオルを水で湿らせて首の後ろに回した。はじめは痛がったが、ひんやりするのが気持ちいのか、コーディの表情が和らいだ。
「私、未熟ですね……」
竜次は嘆くように呟いた。大きな怪我に目が行って、ほかを疎かにしてしまった。落ち度を認め、落胆する。
「お医者さんにミスは許されないデス。でも、出しゃばって申し訳ない……」
ローズは余計なことをしたと謝った。
そのやり取りに、圭馬が思いもしなかったことを言い出した。
「お医者さんって所詮は、自己再生力を助けるだけだもんね。あーあ、醜いプライドのぶつかりだ」
圭馬が煽ったせいで、ミティアが俯いた。
「わたしが禁忌な魔法を使ったら、仲良くしてくれますか?」
勢いに飲まれて、ミティアまで突拍子もないことを言い始めた。
「ミティアさん! それをしちゃったら、僕たちはここにいる意味がないです」
勢いに流されてしまいそうなミティアに、サキは厳しい注意をする。
竜次とローズが頭を下げ合った。
「つまらない意地を張ってすみませんでした」
「そ、そんな先生サン、ワタシこそ……」
「ミティアさん、私たち、喧嘩をしているつもりではないのです。そんな顔をしないください」
お互いに譲れない正義を持っている。ただ、ぶつかり方が汚く見えたかもしれない。
ミティアは物悲しい表情を浮かべていた。
「みんなに仲良くしてほしいだけなのに……」
こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。ミティアはやるせなくなって、塞ぎ込んだ。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
圭馬がミティアを呼び出した。
膝枕をそのままローズに渡し、呼び出しに応じたミティアはその場を離れた。ローズがここまで抵抗を無くしたのは、大進歩だ。
圭馬はぴょんぴょんと跳ねて誘導する。そのまま横穴から出て外に出た。ここなら話しても皆には筒抜けにならない。
「あのね、お姉ちゃん。自分を粗末にするのはやめなよ」
圭馬は向かい合ってすっぱりと言う。お得意の説教だ。だが、ただの説教ではない。
ミティアにも譲れない正義がある。真っ向からぶつかる形になった。
「みんなが仲良くしてくれるなら、わたしはそれでいい……それだけなのに」
「お姉ちゃんは人の汚い部分を知らなさすぎるんじゃない?」
圭馬に指摘を受け、ミティアは黙り込んだ。
「キミ、人間として未熟なままだね。誰も憎めない性格みたいだし。でも、このまま知らないと後悔をすると思うよ」
圭馬は顔色をうかがいながら続けた。
「それがお姉ちゃんのいいところなのかもしれないけど、その抱え込んだものはどこで発散するの? いつか壊れちゃうよ? その反動、ちょっと怖いよね。少しずつでもいいから、人の悪いところも理解しないと」
「でも、わたしは誰も争ってほしくないです」
「だからって、自分が犠牲になれば済む考えは、それこそ生贄だよね?」
言っていることが中立なのはわかる。だが、どちらなのだろう。考えようによっては中立ではない。ミティアはもどかしくなって質問をした。
「圭馬さんは、わたしに生贄になってほしいですか?」
今一度、仲間なのかを確かめるような質問だ。圭馬は呆れながら答えた。
「キミで最後の生贄ならそれを望む。だけど、それで済むはずがない。足掻きたいのなら、人を知る努力をしないといけないと思うよ。ましてや、普通の女の子になりたいならね?」
遠回しだが、圭馬はミティアのためを思っている。
ミティアはその優しさに、涙が出そうになった。
「圭馬さん、優しいですね……」
「そう? ボクは毒舌だと思うよ。醜い争いなんて、見るのだけは大好きだし」
圭馬は一言も、『仲間』を悪く言っていない。あくまでも、人の汚い部分を理解しろと言っている。ミティアにとって、今までで一番ためになる説教だった。
納得して戻ろうとしたが、圭馬が耳を立てている。その仕草が少し可愛い。だが、何か聞こえるようだ。
そういえば、偵察に行ったキッドとジェフリーがまだ戻らない。
もうすぐ空が暗くなる。ミティアは今にも泣き出しそうな空を見上げた。
霧による湿気が、入り乱れた足場を悪くする。
ジェフリーとキッドは対峙したシフと戦っていた。シフは左利き。二人にとっては戦い慣れない。ましてや対人など、これまでにはなかった。
長期戦に慣れないキッドが小休止を挟んでいる間、ジェフリーがシフと刃を交える。
「へぇ……」
刃の向こうのシフは、焦っているようだ。あれだけの大きな口を叩いておいて、これは油断させるためのものだろうか。一瞬押し切れるかもしれないとジェフリーは思った。だが、その期待はすぐに砕かれた。
シフがにやりと笑うと、剣に向けって魔法を放った。
「一回は耐えたが、今度はどうだろうなぁ? ライトニングキャノン!!」
眩い視界、持っていた剣を通じて痛みが走った。名前のとおり、強烈な雷が走ったようだ。両腕が痺れ、感覚がない。ジェフリーはたまらなくなって剣を落とした。こんな失態、剣士にあってはならない。
シフが容赦なく追撃を仕掛けるが、キッドが割って入った。
軋む金属の音。割って入ったために足の踏ん張りが利かず、キッドは足元が崩れそうになっている。
キッドはジェフリーに言った。
「足が動くなら、あんたは逃げなさいよ」
キッドは押されているのになぜか笑っている。このままジェフリーを庇って戦い続けると、勝機は遠ざかる。先を見越した提案でもあった。キッドはさらに強く剣を振った。彼女が持つ剣は狩猟用の鉈に近いものだ。対人には有効ではない。限られた手の中でベストを尽くそうとする。だが、キッドの息が乱れた。それだけシフが手強い。
ジェフリーが潰されたのが、手こずらせる要因だった。本当は足の一本もかすめ取りたいが、体力の消耗戦になっている。
「ネーチャン、俺と組まないか? 強い女は歓迎するぜ」
キッドは間合いを取って息を整えた。
「残念だけど、気色悪い人は嫌いなの」
シフも息を乱している。独特の不快を感じる笑みは相変わらずだが、余裕はなくなっていた。
キッドがやや劣勢の状態だ。向かい合って緊張が続く空気の中、草を踏む足音を耳にした。
脇道から、圭馬を抱えたミティアが姿を現した。
ジェフリーもキッドも声を荒げた。
「来るなッ!」
「ミティア、来ちゃダメ!!」
武器を持った二人に静止され、ミティアは足を止める。ミティアは理解が追いつかずに驚いた。
「えっ、な……に?」
シフのくすんだ青い目がミティアを捉えた。
「見つけた」
シフが剣に力を込めた。手が早いキッドに先制する。
「邪魔だ!」
「な、なんっ……」
まだそんな力が残っていたのかと思う怪力だった。キッドの剣が弾かれ、宙を舞った。手段を奪われたキッドは、肩から弓を滑らせ、矢を抜いて構えた。だが、遅かった。
「ひゃあぁぁッ!」
ミティアがシフに引っ張られ、首筋に剣が向けられた。典型的な人質の立ち位置だ。
「おっと、動くなよ」
ミティアは圭馬を抱えたまま恐怖に震えた。
キッドが弓を引いて構える。その様子を見て、シフは嘲笑った。
「撃てるか? 俺がちょっと動けば生贄ちゃんが死ぬかもしれないぞ?」
「キッド、よせ……」
ジェフリーはキッドにやめるように声をかけた。キッドは不本意に思いながら、構えを緩めた。
ミティアはキッドとジェフリーを見て、それから首の剣を見た。やっと状況を把握した。ジェフリーは剣を落としたまま握っていない。苦しそうな表情から、何らかの理由で負傷をしているのだろう。この男が誰なのかはわからないが、『生贄』と呼んだ。自分を狙っている敵に違いない。
この最悪な状況を招いたのは自分のせいだと、ミティアは自己嫌悪に陥った。
「さーて、どうすっか。先に野郎をぶっ殺すか。ネーチャンを潰すか……」
自己嫌悪の中で殺意の言葉を耳にする。自分が人質になったせいで、これ以上ジェフリーとキッドに危害が及ぶのはどうしても回避したい。ミティアは、自分が『生贄』という立場で人質になっていることに違和感を覚えた。
ミティアは落ち着かせるように息を吸って、覚悟を決める。
「わたしが死んだら……困りますよね」
ミティアは抱えていた圭馬を放した。
「わっ、お姉ちゃんやめなよ!」
ミティアはあえてシフの腕につかみかかった。剣の刃が首に触れる。
「な、何しやがる! おとなしく……」
シフの体勢が崩れた。ミティアの頬と首筋に血が流れる。ミティアなりに考えがあっての行動だが、無茶が過ぎる。これではただのやけくそだ。
今のシフは隙が多い。捕らえたはずのミティアが暴れるのは想定外だ。
「クソアマが!!」
しがみつかれては身動きが取れない。キッドをいたぶり、ジェフリーを殺すという目的は、さらうつもりだったミティアによって崩された。シフはミティアを振り払った。
「手足の一本もへし折ってやらぁ‼」
シフも一度は手放したが、ミティアを捕らえようとする。そのためには傷つけるのをためらわなくなったようだ。剣を振り上げ、襲い掛かった。
解放されたミティアは振り返り、短い詠唱と共に両手を突き出した。
「イグニッション!!」
へっぴり腰だったが爆風波を放った。覚えたての火の魔法だ。乱したシフを爆風が大きく突き放した。
「こ、こんなの、聞いてねぇぞ……」
燻る炎と煙を払っているシフに、キッドは攻撃を仕掛けた。
シフの左肩に矢が貫通し、右腕にも突き刺さった。キッドはもう一撃と構えたが、シフは大きく後退した。
「やってらんねぇ……」
シフは右手を引きずりながら白い魔石を弾いた。大きな爆発音とともに、大きな光が広がった。目をくらませる魔法だ。
「わぶっ!! まぶしっ……」
ミティアが声を上げた。声を頼りに、ジェフリーは彼女を抱え込む。この隙に連れて行かれては困るからだ。
白い視界がようやく晴れ、目を開けられるようになった。追撃を覚悟していたが、シフの姿はなかった。ただ、一定の距離を保った血跡が点々と見受けられた。痕跡は遠ざかっていた。
キッドが弓を担いで二人に駆け寄った。
「逃がしたわね……」
生け捕りに失敗したキッドは悔しそうだった。ただ、目の前の光景も気になる。
「あんたたち、いつまでくっついてんのよ」
キッドは鼻で笑う。ミティアはその言葉の意味を知って驚いた。
「わわっ、ごめんなさい!」
目の前にジェフリーの顔があった。ミティアは慌てながら離れた。だが、彼女の慌てはここで終わらなかった。
「ち、血が……ごめんなさい!!」
ジェフリーの青いジャケットに血が滲んでいる。ミティアはポーチからハンカチを取り出した。
ジェフリーはミティアの手を振り払う。
「何をしに来たんだ。あんな無茶をして……」
「えっ……」
ハンカチを握ったまま、ミティアは涙目になる。
「だ、だって、二人ともなかなか帰って来ないから心配になって……」
「あいつはミティアをさらおうとしていた!! 自分の立場をわかってるのか」
二人が心配になって探しに来たら、襲われてしまった。怒られても仕方がない。それでもミティアは納得していなかった。涙声で手を震わせる。
「わたしは、ジェフリーさんが殺されちゃうかもしれないと思ったら、黙っていられなかった!! わたしのせいで……」
ミティアは振り絞るように言うと、俯いて大粒の涙を零した。これにはジェフリーも動揺する。
緊張は去ったはずなのに、仲間の間で溝が深くなる。ミティアはこの短時間で多くの感情が入り混じるのを見てしまった。心が軋むように痛むのを涙ながらに堪える。
「まーまぁ、アツくなってちゃあ話もできやしないよ。お姉ちゃんが来なかったら、二人とも危なかったんじゃないの? 別に誰が死んでもかまわないけど、謎の解明をしないまま死んじゃうのは未練がいっぱいだよねぇ?」
重苦しい空気を払ったのは圭馬だった。客観的だが煽る発言は、本来の目的を思い出させる。
キッドは呆れながらため息をついた。
「確かにそうね。こいつ、真っ先に腕を潰されたのよ」
その言葉にミティアは俯いていた顔を上げる。
「えっ、ジェフリーさん、怪我をしているんですか?」
「痺れただけだ、そのうち治る」
ジェフリーは反射的に両手を引いた。動くがむやみに触られると痛い。
キッドは腕を組んで首を振った。
「潰されたのが、まだあんたでよかったわ」
信じられない。親友がジェフリーを追いやるような発言をした。ミティアは残っていた涙をすべて出し切るように目を見開いた。
「キッド、そういうことを言わないで!!」
ミティアがキッドに真正面からぶつかる。そのぶつかりに対し、ジェフリーがキッドを庇うように間に入った。
「いや、確かにキッドの言うとおりだ。油断した俺が悪い」
ここでも意見がぶつかって、ミティアの心はさらに苦しくなった。
「そんな、こんな……」
コーディの件もそうだったが、こう立て続けに感情の入り乱れを見ると混乱する。どうして仲良く出来ないのか。そう言わんとばかりに、ミティアが首を振って暗い影を落とした。
「わたしのせいで、みんなが仲良くなれないの?」
いつもならミティアがこの空気を乱すくらいだが、その様子はない。
「うーん、まだ知り合って日の浅いボクが言うのもナンだけど、この二人は仲がいいからこういう冗談とか憎まれ口を叩けるんじゃないかな?」
圭馬からフォローらしくないフォローが入った。貴重な第三者の視点からの意見だが、どうも煽る言い方だ。
「何でも自分のせいだって思わない方がいいと思うよ? お姉ちゃんを大切に思っている人がそれこそ迷惑じゃないかい?」
本当に仲が悪いなら、とっくに仲違いをしている。ミティアはわかっていながら、些細な綻びも気になってしまった。
「とにかく、向こうと合流しようよ。一体あいつ何者だったのか、みんなにも話した方がいいんじゃないかい?」
今度は圭馬に移動を促される。立て直しもできていないのに追撃でもあれば、今度こそ誰かが命を落としかねない。
「行きましょ? ね?」
キッドはミティアの手からハンカチを取り上げ、首と頬を拭った。今は彼女がミティアを引っ張るしかない。
戻りながらジェフリーは違和感を覚えた。ミティアに対して後ろめたい気持ちが強く、どうしても真っすぐに向き合えない。彼女は急にどうしてしまったのだろう。劇的な心境の変化に考え込んだ。ミティアの変化も気になるが、クディフという剣士以外の襲撃に驚いた。シフという男もミティアをさらおうとしていた。シフの言葉が本当なら、自分の父親が絡んでいる。ミティアを『生贄』と認識していた。自分たちよりも多い情報を抱えている。
フィラノスを出発してから危険が続く。命の危機も増えた。それに伴って、ミティアを手にしようとする魔の手も増えた。
クディフはミティアに対し、自分の目で自分を知れと言っていた。フィラノスで宣戦布告とも取れる発言を残している。捉えようによっては、答えに辿り着くのを急かすようだった。
もしかしたら、自分たちには時間がないのかもしれない。
恵子が見送りに顔を出したが、圭白は姿を見せなかった。何か事情がありそうだったが、結局わからずじまいだった。もちろん、ジェフリーは仲間の心配を増やさないために、余計なことを言わなかった。
今日の空は曇っている。これから雨が降りそうな天気だ。道中は空模様にも注意を払いたい。
圭馬は森を出ると、ウサギの姿になってしまった。キッドが摘まみ上げながら歩く。
「可愛いけど、ちょっと大きいわね」
長い耳はあるし、フサフサとした尻尾はあるし、立派な小動物だ。キッドが指摘するように、全体的にモフモフしているので大きく感じる。
「キッドぉ、わたしも抱っこしたい」
最初だけだろうが、かわいいマスコットの取り合いが発生していた。奪うようにミティアが圭馬を抱っこしてはにかんだ。彼女が持つと、絵になって可愛いらしい。
マスコットキャラクターの取り合いもいいが、これから北の山道に挑むのだからある程度の緊張感を持ってもらいたい。ジェフリーは圭馬に訊ねた。
「なぁ、北の山道について、何か知っていることはないか?」
「北の山道? この辺りは寒暖差が激しいから霧が出やすいって聞いたことがあるよ。ボク、あの森に引きこもりだったから、地理に詳しくないんだ。ただ、貿易都市があるのなら、沙蘭へは船より陸路の方が早いだろうね。でも、この物騒なご時世だったら行商人が利用する程度じゃない? 道のりは可もなく不可もなく……みたいな?」
狂暴化した野生動物や植物がはびこるのなら、馬車は危険だ。通っても身軽な行商人がいいところだろう。期待はしていなかったが、圭馬が持っていた情報は有益ではなかった。ただ、視界が悪いなら警戒しようと誰もが思った。
幻獣の森を抜け、平原を抜けた先に生い茂った森林が見えた。その先は緩やかな坂道が見える。
「いかにも……という感じですね」
昼間だが、竜次はランタンを取り出した。曇っている上に森に入るのなら覚悟はしなくてはいけない。
森の中は薄暗い。湿った草木に土、雨が通った後のようだ。
道は荒れてもいないが、しばらく人や馬車が通った痕跡もない。草木が道を塞がないように柵が設けられている。整備はされているが、ほとんど利用がなかったと見ていい。通る者がいなければ、地図もなくて当たり前だ。情報が少ない理由の予想がついた。
「さて、物資も限られています。気をつけて進みましょう」
フィラノス以降、物資の補給はない。竜次は無駄遣いをしないように今一度、皆に念を押した。
「そんなに広くはないでしょうけど、一泊はどこかで野営ですね。情報もないし、地形もわかりません。慎重に進みましょう」
無駄遣いをしなければ、一泊は何とかなるだろう。
草木は伸びっぱなしで自然豊かな場所だ。珍しい植物があるわけでもなく、見るものが少ない。青々とした草木も、時折見える灰色の岩肌も、湿気を帯びた地面も、見慣れてしまうと退屈な山道のはずだった。
道の隅に大きなトランクを見つけるまでは。
革製で使い込まれたものだ。どこかで見覚えがある。
「きゃあっ!!」
ミティアが抱きかかえていた圭馬を放り出して、駆け出した。彼女の先に誰かが倒れている。
「コーディちゃん!!」
ミティアが抱き上げたのは金髪の女の子、赤いチョッキにワンピース。翼を生やしたコーデリア・イーグルサントだ。
頭に怪我をしている。血を流していた。
その様子に竜次が駆け寄った。
「大丈夫です、生きていますよ」
竜次が確認をして、腰のカバンを漁り始めた。
少し離れてローズとサキが警戒をしている。
「その子。ドラグニー神族じゃ? 危険デス。何をされるかわからないデス」
ローズは危険だと主張した。
「翼が大きいということは、純血に近い。ドラグニー神族は、優れた身体能力を持っています。とても好戦的で危険な種族ですよ。助けてどうするのですか?」
サキも顔をこわばらせている。彼は論文で種族について触れていた経緯がある。
竜次は左手を庇いながら、救急キットを取り出した。二人に言い返すわけでもなく、睨むわけでもなく、医者としての顔をしていた。
「ごめんなさいミティアさん、これ、開けて出してもらえますか?」
竜次はガーゼ瓶のふたが開けられず。ミティアに渡していた。スプリングフォレストと沙蘭で蓄積されたダメージによって、左手をずっと故障している。
「おっもっ!!」
キッドはトランクの回収をし、ジェフリーは他に何か落ちてないか確認をしていた。普通は役割が逆だ。
「っと、まずいものを落としてるじゃないか」
ジェフリーが草の陰にメモ帳とギルドのライセンスを見つけ、拾い上げて土を払った。払っている途中でずっと距離を置いているローズとサキを気にかけた。
「どうしたんだ?」
サキもローズも警戒を解こうとしない。
ミティアの腕の中でコーディが目を覚ました。
「えっ、何してるの……?」
「コーディちゃん!! よかった……」
ミティアはコーディの頭の血を拭いながら喜んでいた。だがコーディはその手を払って体を起こした。竜次の手も払い除ける。
「怪我しているのですよ?」
「いい……ここまでで」
よろめきながら自力で立とうとして、今度はジェフリーに支えられた。
「馬鹿、無理するな!」
「やめて、そういうの……」
コーディはジェフリーを睨みつけた。どうしても手を借りたくないように見える。
「ふざけるな。怪我をしてるんだぞ」
コーディは再び気を失ってしまった。ジェフリーは抱えながら周囲を見渡した。
「どこかで休ませよう……」
十歳ほどの小さな体、翼こそあるが何でもない女の子だ。
休むことに重点を置いた探索をする。すると、伸びっぱなしの草に隠れた横穴を見つけた。焚火の跡や、汚れ錆びていた携帯用の食器が見受けられた。荷馬車でも引いたのか、地面には細く長い溝がある。古そうだが、休むにはいいだろう。皆で相談したがここで陣を取って休むことに決めた。
竜次はランタンを寄せ、コーディに再び手当てをする。頭の裂傷は、ガーゼとテープで処置を施した。
「そこに怪我をしている人がいたら、誰でも助けるのが医者だと思うのですが……」
やっと一息ついた竜次はローズに対し、棘のある言葉を投げた。だが、ローズは言い返さずに黙っていた。
「あんたもどうしたの? そんなに離れて……」
キッドがサキに質問をする。いつもの彼とは態度が違うのを不審がった。
「あの、怖くないんですか? ドラグニーですよ?」
「怖いって? 別にこの子、普通じゃない」
質問に質問で返されるも、キッドは即答している。
「まーまぁ、無理もないと思うよ」
ミティアの横からぴょんぴょん圭馬が跳ねて前に出る。そのまま話に加わった。
「ちゃんと知ってる人は、ドラグニー神族の恐ろしさを知っているからね」
「恐ろしい? こいつは自分の本を書きたいって熱弁していた、ギルド所属のハンターだぞ」
ジェフリーがコーディを擁護した。この反応は普通ではないのかと疑問のようだ。
「あの、ジェフリーさんたちは、その子のお知り合いですか?」
サキからの質問だ。彼が一番距離を置いて警戒している。
「フィラノスを目指す前に会った。数十分だけしか話していなかったけど、こいつは自分の目的をしっかりと持ったすごい奴だと思う。確かに普通じゃないって言われたが、翼があるだけで普通の女の子じゃないか」
ジェフリーに説かれたサキは、頷くもまだ不満そうだ。
「つーかさぁ、ローズちゃんだってアリューン神族の混血でしょ? 同じようなものじゃないのぉ?」
圭馬に指摘をされ、ローズは不満そうにしている。
「ま、別にいいけど。人間ってちょっと違う人を見るといじめたり仲間外れにしたりするんでしょ? ボクには直接関係ないけど、醜いよね」
いじめたり仲間外れにしたり、という部分に過敏になったのか、サキがむきになって言い返した。
「そ、そういうつもりではないです!! まだ、何も知らないですし、確かに見た目で判断したのはすみませんでした」
サキはようやく歩み寄りを見せた。それでもまだ怖がっている。
不穏な空気になりつつある中、圭馬はさらに煽るような言い方をする。
「あーあ、だから種族戦争なんて起きちゃったんだよ。人間って汚いよね、ホントに」
ジェフリーは圭馬に対して疑念を抱いた。どうも彼の発言は棘が多い。
「すまないが、あんたはどっちの味方だ?」
「ボクぅ? 誰の味方でもない、第三者だよ。この世界には存在しないはずの幻獣だよ。ま、今はウサギさんだけどねぇ」
客観的な意見だ。確かに人間の汚い部分を指摘している。鬼畜とは謳われていたが、案外言い方が悪いだけで足りない部分を指摘してくれるのかもしれない。
「助ける命に、種族なんて関係ない……」
「先生……?」
ミティアに呼ばれて竜次は顔を上げる。むきになっているのはこの医者も同じだ。
「すみません、何でもないです……」
竜次がいつになく感情を露にするものだから、ミティアも怖くなった。
しかしなぜ、コーディが怪我を負ってこの山道にいたのだろう。彼女は飛べるはずだ。襲われたのかもしれない。これから先へ行くには、警戒しなければいけないとジェフリーは思っていた。だが、意外にもそう思っていたのは彼だけではない。
「あたし、ちょっと外を見て来るわ」
キッドが手袋を取り出して弓を背負った。
「俺も行こう」
ジェフリーも寄りかかっていた石壁から身を乗り出した。
キッドは一瞬足を止めたが、この場の様子を見て妥協した。すぐに動けそうな人が限られている。
二人は陣を離れ、横穴から外に出た。
キッドは偵察に行くつもりだった。まさかジェフリーがついて来るとは思わず、不機嫌であった。
「どうしてついて来たの?」
キッドはずいずいと歩きながら質問をする。ジェフリーが何を考えているのか知りたい気持ちがあったからだ。
「コーディは空を飛べるんだぞ。どうしてあんな怪我をしたのか、おかしいと思った」
ジェフリーの返答に、キッドは上を指さした。
「あんたは高い木を注視してもらえる? 断言はできないけど、コーディちゃんのあの様子だと、襲って来たのは『人』かもしれないわ」
「俺たちの顔を見ても、強引に振り払おうとした。もしかしたら、俺たちの誰かが怪我をさせたと勘違いをしているのかもしれない……」
キッドの考えに、ジェフリーも心当たりがあると話す。誤解をされている可能性があると不安な要素を挙げる。
キッドは足を止め、振り返った。眉間にしわが寄っている。
「誤解なら、ミティアや先生が解いてくれるわ。もっと『仲間』を信じたら?」
周囲を警戒していたはずだが、重い話になって二人は目を合わせた。
「し、信じているさ!! もちろん、キッドのことだって!!」
ジェフリーから信頼を寄せられていると知り、キッドは目を丸くした。口をへの字にして、呆れているようにも見える。
「意見をはっきり言ってくれる人は大切だと思う。俺は自分に何が足りていないか、よくわかっていないから、キッドの存在は助かっている」
「ど、どうしたのよ。突然……」
「いや、単に助かっていると言っただけだけど」
ジェフリーの相手をすると調子が狂う。今までキッドは、わざと会話を避けていた。これからもそのつもりだったのに、気持ちの面で歩み寄られると、どう対処していいのかわからない。返しに困りながら視線を向けると、ジェフリーは立ち止まって耳を澄ませていた。
「何よ?」
キッドが訊ねると、ジェフリーは右手人差し指を立て、静かにするようにサインした。何かに気がついたのか、キッドに駆け寄った。
「えっ、だから何なの!?」
ジェフリーがキッドを後退させる。直後に目の前に閃光が瞬いた。
今まで立っていた地面が抉れ、燻ぶっている。土と焦げた草の臭いが鼻を刺激する。
「ま、魔法!?」
キッドが声を荒げた。
周囲を警戒するが、その正体はすぐに姿を現した。
「残念、ネーチャンには当たらなかったか」
コーディのトランクが落ちていた近くの木から男が姿を現した。
年は二人と同じくらいだ。くすんだ水色の髪に頭にはターバンのようなものを巻いており、耳にはじゃらじゃらとピアスがたくさんついている。どこかの民族衣装だろうか、見慣れない服装だ。短剣を左手に握っている。右手には指輪が光っていた。魔力媒体だろう。先ほどの閃光は魔法だ。向かい合っただけなのに、圧を感じた。
「何、あんた」
キッドは右脚に手をかけた。いつでも剣が引き抜けるように警戒する。
男は下品な笑いを浮かべ、答えた。
「俺はこっちの野郎に用があるんでね? ネーチャンは邪魔ってワケ」
にたにたと品がない笑いだ。
ジェフリーがキッドを庇うように前に出た。ここでキッドは彼の様子がおかしいと気がついた。小声で男に悟られないように声をかける。
「(あ、あんた、まさかさっき……)」
「気にするな。それよりも、キッドはまだ動けるよな」
微かに震える声、やせ我慢をしているジェフリーの様子をキッドは見逃さない。
「どうして……」
状況を遡ると、ジェフリーは庇って魔法をかすめたのだろう。左腕に赤く腫れた線が見えた。それでも引く気はないようだ。キッドは自分を庇ってジェフリーが負傷したことに対し、罪悪感を抱いた。
「コーディはお前がやったのか?」
「コーディ? あぁ、さっき飛んでいた奴か。邪魔だったから落としてやった。お前たち兄弟が来るのを知っていたからな?」
わかりやすい回答だった。男はジェフリーに刃先を向ける。
「踏み込みすぎたな、ジェフリー・アーノルド・セーノルズ。ここで死んでもらおう」
ジェフリーがキッドに逃げるように言う前に答えが返って来た。
「あたし、逃げないから」
「言うと思ったが、あれは厄介そうな奴だぞ」
「あんたよりは、まともに見えるわ」
ここで退いたら、怪我をしているコーディや皆のところに行ってしまう。混乱するだろう。主力の竜次は左腕を痛めている。ここで阻止したい。
単純に考えて、一人対二人だ。しかも、ジェフリーとキッド。相性は悪いだろうが、個々は強い。
「名前と目的を言え」
ジェフリーは剣の柄に手をかけながら威圧した。
男はニタニタと下品な笑みを浮かべている。このねっとりとした下品な笑い方がどうしても目に焼きついてしまう。
「俺の名前はシフ。お前たちを始末してケーシスの前に突き出してやる。生贄を手土産にしてな。それが俺の目的だ」
疑惑が確信になった。この男は敵だ。これだけは間違いない。
「今は感情的にならないでもらえる?」
ジェフリーの乱れそうな気持ちをキッドが一掃した。普通は逆撫でをされてイラつく言葉だ。だが、戦場で常に冷静であろうとする彼女の言葉は的確だった。
「指示をお願いしようかしら?」
「絶対みんなのところには行かせるな! こいつに親父の場所へ案内させる!!」
「りょーかい!」
キッドは弓ではなく、足の剣を抜いて地面を蹴った。彼女は速い、切込みも。
一撃目はかわされたが、追撃でシフの刃をとらえた。
「チッ、ネーチャン、強いな……」
「もっと褒めてもいいんですよ、だったかしら」
力押ししたかったが、右手が向けられたためいったん退いた。
「させない!!」
入れ違いでジェフリーが間合いを詰めた。
今まで距離を置いていたローズが、歩み寄ってコーディを診察している。
ローズは言いにくそうにしながら、竜次に指摘をした。
「あの、この子、首の後ろが赤いデス……」
ミティアが覗き込み、起こさないようにゆっくりと髪を寄せる。
「あっ、本当だ……打ったのかな?」
赤く腫れた部分は熱を持っていた。これではいつまでも苦しいはずだ。
頭を怪我していたのだから、もっとよく見ればよかったと、竜次は肩を落とした。
すぐにタオルを水で湿らせて首の後ろに回した。はじめは痛がったが、ひんやりするのが気持ちいのか、コーディの表情が和らいだ。
「私、未熟ですね……」
竜次は嘆くように呟いた。大きな怪我に目が行って、ほかを疎かにしてしまった。落ち度を認め、落胆する。
「お医者さんにミスは許されないデス。でも、出しゃばって申し訳ない……」
ローズは余計なことをしたと謝った。
そのやり取りに、圭馬が思いもしなかったことを言い出した。
「お医者さんって所詮は、自己再生力を助けるだけだもんね。あーあ、醜いプライドのぶつかりだ」
圭馬が煽ったせいで、ミティアが俯いた。
「わたしが禁忌な魔法を使ったら、仲良くしてくれますか?」
勢いに飲まれて、ミティアまで突拍子もないことを言い始めた。
「ミティアさん! それをしちゃったら、僕たちはここにいる意味がないです」
勢いに流されてしまいそうなミティアに、サキは厳しい注意をする。
竜次とローズが頭を下げ合った。
「つまらない意地を張ってすみませんでした」
「そ、そんな先生サン、ワタシこそ……」
「ミティアさん、私たち、喧嘩をしているつもりではないのです。そんな顔をしないください」
お互いに譲れない正義を持っている。ただ、ぶつかり方が汚く見えたかもしれない。
ミティアは物悲しい表情を浮かべていた。
「みんなに仲良くしてほしいだけなのに……」
こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。ミティアはやるせなくなって、塞ぎ込んだ。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
圭馬がミティアを呼び出した。
膝枕をそのままローズに渡し、呼び出しに応じたミティアはその場を離れた。ローズがここまで抵抗を無くしたのは、大進歩だ。
圭馬はぴょんぴょんと跳ねて誘導する。そのまま横穴から出て外に出た。ここなら話しても皆には筒抜けにならない。
「あのね、お姉ちゃん。自分を粗末にするのはやめなよ」
圭馬は向かい合ってすっぱりと言う。お得意の説教だ。だが、ただの説教ではない。
ミティアにも譲れない正義がある。真っ向からぶつかる形になった。
「みんなが仲良くしてくれるなら、わたしはそれでいい……それだけなのに」
「お姉ちゃんは人の汚い部分を知らなさすぎるんじゃない?」
圭馬に指摘を受け、ミティアは黙り込んだ。
「キミ、人間として未熟なままだね。誰も憎めない性格みたいだし。でも、このまま知らないと後悔をすると思うよ」
圭馬は顔色をうかがいながら続けた。
「それがお姉ちゃんのいいところなのかもしれないけど、その抱え込んだものはどこで発散するの? いつか壊れちゃうよ? その反動、ちょっと怖いよね。少しずつでもいいから、人の悪いところも理解しないと」
「でも、わたしは誰も争ってほしくないです」
「だからって、自分が犠牲になれば済む考えは、それこそ生贄だよね?」
言っていることが中立なのはわかる。だが、どちらなのだろう。考えようによっては中立ではない。ミティアはもどかしくなって質問をした。
「圭馬さんは、わたしに生贄になってほしいですか?」
今一度、仲間なのかを確かめるような質問だ。圭馬は呆れながら答えた。
「キミで最後の生贄ならそれを望む。だけど、それで済むはずがない。足掻きたいのなら、人を知る努力をしないといけないと思うよ。ましてや、普通の女の子になりたいならね?」
遠回しだが、圭馬はミティアのためを思っている。
ミティアはその優しさに、涙が出そうになった。
「圭馬さん、優しいですね……」
「そう? ボクは毒舌だと思うよ。醜い争いなんて、見るのだけは大好きだし」
圭馬は一言も、『仲間』を悪く言っていない。あくまでも、人の汚い部分を理解しろと言っている。ミティアにとって、今までで一番ためになる説教だった。
納得して戻ろうとしたが、圭馬が耳を立てている。その仕草が少し可愛い。だが、何か聞こえるようだ。
そういえば、偵察に行ったキッドとジェフリーがまだ戻らない。
もうすぐ空が暗くなる。ミティアは今にも泣き出しそうな空を見上げた。
霧による湿気が、入り乱れた足場を悪くする。
ジェフリーとキッドは対峙したシフと戦っていた。シフは左利き。二人にとっては戦い慣れない。ましてや対人など、これまでにはなかった。
長期戦に慣れないキッドが小休止を挟んでいる間、ジェフリーがシフと刃を交える。
「へぇ……」
刃の向こうのシフは、焦っているようだ。あれだけの大きな口を叩いておいて、これは油断させるためのものだろうか。一瞬押し切れるかもしれないとジェフリーは思った。だが、その期待はすぐに砕かれた。
シフがにやりと笑うと、剣に向けって魔法を放った。
「一回は耐えたが、今度はどうだろうなぁ? ライトニングキャノン!!」
眩い視界、持っていた剣を通じて痛みが走った。名前のとおり、強烈な雷が走ったようだ。両腕が痺れ、感覚がない。ジェフリーはたまらなくなって剣を落とした。こんな失態、剣士にあってはならない。
シフが容赦なく追撃を仕掛けるが、キッドが割って入った。
軋む金属の音。割って入ったために足の踏ん張りが利かず、キッドは足元が崩れそうになっている。
キッドはジェフリーに言った。
「足が動くなら、あんたは逃げなさいよ」
キッドは押されているのになぜか笑っている。このままジェフリーを庇って戦い続けると、勝機は遠ざかる。先を見越した提案でもあった。キッドはさらに強く剣を振った。彼女が持つ剣は狩猟用の鉈に近いものだ。対人には有効ではない。限られた手の中でベストを尽くそうとする。だが、キッドの息が乱れた。それだけシフが手強い。
ジェフリーが潰されたのが、手こずらせる要因だった。本当は足の一本もかすめ取りたいが、体力の消耗戦になっている。
「ネーチャン、俺と組まないか? 強い女は歓迎するぜ」
キッドは間合いを取って息を整えた。
「残念だけど、気色悪い人は嫌いなの」
シフも息を乱している。独特の不快を感じる笑みは相変わらずだが、余裕はなくなっていた。
キッドがやや劣勢の状態だ。向かい合って緊張が続く空気の中、草を踏む足音を耳にした。
脇道から、圭馬を抱えたミティアが姿を現した。
ジェフリーもキッドも声を荒げた。
「来るなッ!」
「ミティア、来ちゃダメ!!」
武器を持った二人に静止され、ミティアは足を止める。ミティアは理解が追いつかずに驚いた。
「えっ、な……に?」
シフのくすんだ青い目がミティアを捉えた。
「見つけた」
シフが剣に力を込めた。手が早いキッドに先制する。
「邪魔だ!」
「な、なんっ……」
まだそんな力が残っていたのかと思う怪力だった。キッドの剣が弾かれ、宙を舞った。手段を奪われたキッドは、肩から弓を滑らせ、矢を抜いて構えた。だが、遅かった。
「ひゃあぁぁッ!」
ミティアがシフに引っ張られ、首筋に剣が向けられた。典型的な人質の立ち位置だ。
「おっと、動くなよ」
ミティアは圭馬を抱えたまま恐怖に震えた。
キッドが弓を引いて構える。その様子を見て、シフは嘲笑った。
「撃てるか? 俺がちょっと動けば生贄ちゃんが死ぬかもしれないぞ?」
「キッド、よせ……」
ジェフリーはキッドにやめるように声をかけた。キッドは不本意に思いながら、構えを緩めた。
ミティアはキッドとジェフリーを見て、それから首の剣を見た。やっと状況を把握した。ジェフリーは剣を落としたまま握っていない。苦しそうな表情から、何らかの理由で負傷をしているのだろう。この男が誰なのかはわからないが、『生贄』と呼んだ。自分を狙っている敵に違いない。
この最悪な状況を招いたのは自分のせいだと、ミティアは自己嫌悪に陥った。
「さーて、どうすっか。先に野郎をぶっ殺すか。ネーチャンを潰すか……」
自己嫌悪の中で殺意の言葉を耳にする。自分が人質になったせいで、これ以上ジェフリーとキッドに危害が及ぶのはどうしても回避したい。ミティアは、自分が『生贄』という立場で人質になっていることに違和感を覚えた。
ミティアは落ち着かせるように息を吸って、覚悟を決める。
「わたしが死んだら……困りますよね」
ミティアは抱えていた圭馬を放した。
「わっ、お姉ちゃんやめなよ!」
ミティアはあえてシフの腕につかみかかった。剣の刃が首に触れる。
「な、何しやがる! おとなしく……」
シフの体勢が崩れた。ミティアの頬と首筋に血が流れる。ミティアなりに考えがあっての行動だが、無茶が過ぎる。これではただのやけくそだ。
今のシフは隙が多い。捕らえたはずのミティアが暴れるのは想定外だ。
「クソアマが!!」
しがみつかれては身動きが取れない。キッドをいたぶり、ジェフリーを殺すという目的は、さらうつもりだったミティアによって崩された。シフはミティアを振り払った。
「手足の一本もへし折ってやらぁ‼」
シフも一度は手放したが、ミティアを捕らえようとする。そのためには傷つけるのをためらわなくなったようだ。剣を振り上げ、襲い掛かった。
解放されたミティアは振り返り、短い詠唱と共に両手を突き出した。
「イグニッション!!」
へっぴり腰だったが爆風波を放った。覚えたての火の魔法だ。乱したシフを爆風が大きく突き放した。
「こ、こんなの、聞いてねぇぞ……」
燻る炎と煙を払っているシフに、キッドは攻撃を仕掛けた。
シフの左肩に矢が貫通し、右腕にも突き刺さった。キッドはもう一撃と構えたが、シフは大きく後退した。
「やってらんねぇ……」
シフは右手を引きずりながら白い魔石を弾いた。大きな爆発音とともに、大きな光が広がった。目をくらませる魔法だ。
「わぶっ!! まぶしっ……」
ミティアが声を上げた。声を頼りに、ジェフリーは彼女を抱え込む。この隙に連れて行かれては困るからだ。
白い視界がようやく晴れ、目を開けられるようになった。追撃を覚悟していたが、シフの姿はなかった。ただ、一定の距離を保った血跡が点々と見受けられた。痕跡は遠ざかっていた。
キッドが弓を担いで二人に駆け寄った。
「逃がしたわね……」
生け捕りに失敗したキッドは悔しそうだった。ただ、目の前の光景も気になる。
「あんたたち、いつまでくっついてんのよ」
キッドは鼻で笑う。ミティアはその言葉の意味を知って驚いた。
「わわっ、ごめんなさい!」
目の前にジェフリーの顔があった。ミティアは慌てながら離れた。だが、彼女の慌てはここで終わらなかった。
「ち、血が……ごめんなさい!!」
ジェフリーの青いジャケットに血が滲んでいる。ミティアはポーチからハンカチを取り出した。
ジェフリーはミティアの手を振り払う。
「何をしに来たんだ。あんな無茶をして……」
「えっ……」
ハンカチを握ったまま、ミティアは涙目になる。
「だ、だって、二人ともなかなか帰って来ないから心配になって……」
「あいつはミティアをさらおうとしていた!! 自分の立場をわかってるのか」
二人が心配になって探しに来たら、襲われてしまった。怒られても仕方がない。それでもミティアは納得していなかった。涙声で手を震わせる。
「わたしは、ジェフリーさんが殺されちゃうかもしれないと思ったら、黙っていられなかった!! わたしのせいで……」
ミティアは振り絞るように言うと、俯いて大粒の涙を零した。これにはジェフリーも動揺する。
緊張は去ったはずなのに、仲間の間で溝が深くなる。ミティアはこの短時間で多くの感情が入り混じるのを見てしまった。心が軋むように痛むのを涙ながらに堪える。
「まーまぁ、アツくなってちゃあ話もできやしないよ。お姉ちゃんが来なかったら、二人とも危なかったんじゃないの? 別に誰が死んでもかまわないけど、謎の解明をしないまま死んじゃうのは未練がいっぱいだよねぇ?」
重苦しい空気を払ったのは圭馬だった。客観的だが煽る発言は、本来の目的を思い出させる。
キッドは呆れながらため息をついた。
「確かにそうね。こいつ、真っ先に腕を潰されたのよ」
その言葉にミティアは俯いていた顔を上げる。
「えっ、ジェフリーさん、怪我をしているんですか?」
「痺れただけだ、そのうち治る」
ジェフリーは反射的に両手を引いた。動くがむやみに触られると痛い。
キッドは腕を組んで首を振った。
「潰されたのが、まだあんたでよかったわ」
信じられない。親友がジェフリーを追いやるような発言をした。ミティアは残っていた涙をすべて出し切るように目を見開いた。
「キッド、そういうことを言わないで!!」
ミティアがキッドに真正面からぶつかる。そのぶつかりに対し、ジェフリーがキッドを庇うように間に入った。
「いや、確かにキッドの言うとおりだ。油断した俺が悪い」
ここでも意見がぶつかって、ミティアの心はさらに苦しくなった。
「そんな、こんな……」
コーディの件もそうだったが、こう立て続けに感情の入り乱れを見ると混乱する。どうして仲良く出来ないのか。そう言わんとばかりに、ミティアが首を振って暗い影を落とした。
「わたしのせいで、みんなが仲良くなれないの?」
いつもならミティアがこの空気を乱すくらいだが、その様子はない。
「うーん、まだ知り合って日の浅いボクが言うのもナンだけど、この二人は仲がいいからこういう冗談とか憎まれ口を叩けるんじゃないかな?」
圭馬からフォローらしくないフォローが入った。貴重な第三者の視点からの意見だが、どうも煽る言い方だ。
「何でも自分のせいだって思わない方がいいと思うよ? お姉ちゃんを大切に思っている人がそれこそ迷惑じゃないかい?」
本当に仲が悪いなら、とっくに仲違いをしている。ミティアはわかっていながら、些細な綻びも気になってしまった。
「とにかく、向こうと合流しようよ。一体あいつ何者だったのか、みんなにも話した方がいいんじゃないかい?」
今度は圭馬に移動を促される。立て直しもできていないのに追撃でもあれば、今度こそ誰かが命を落としかねない。
「行きましょ? ね?」
キッドはミティアの手からハンカチを取り上げ、首と頬を拭った。今は彼女がミティアを引っ張るしかない。
戻りながらジェフリーは違和感を覚えた。ミティアに対して後ろめたい気持ちが強く、どうしても真っすぐに向き合えない。彼女は急にどうしてしまったのだろう。劇的な心境の変化に考え込んだ。ミティアの変化も気になるが、クディフという剣士以外の襲撃に驚いた。シフという男もミティアをさらおうとしていた。シフの言葉が本当なら、自分の父親が絡んでいる。ミティアを『生贄』と認識していた。自分たちよりも多い情報を抱えている。
フィラノスを出発してから危険が続く。命の危機も増えた。それに伴って、ミティアを手にしようとする魔の手も増えた。
クディフはミティアに対し、自分の目で自分を知れと言っていた。フィラノスで宣戦布告とも取れる発言を残している。捉えようによっては、答えに辿り着くのを急かすようだった。
もしかしたら、自分たちには時間がないのかもしれない。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

ジミート チート神を探して神々の森へ 追放されし三人の勇者故郷を救え!
二廻歩
ファンタジー
冒険・旅・RPG・レトロ・ただの女・好きな人集まれ!
火遊びで村を追い出されたカンはチートを授かろうと当てもなくさまよう。
道中二人の仲間と出会い行動を共にする。
神が住まいし地、神々の森を目指し三人は旅を開始する。
少女プラスティ―の不気味な予言。
三人は強大な敵の恐ろしい陰謀に巻き込まれてしまう。
果たして村は世界はどうなってしまうのか?
終わりなきサイクルの果てに訪れる世界の秘密に迫る新たな夜明け。
村に残してきた幼馴染のアル―とちょっぴり嫉妬深いヒロインのプラスティ―。
絶望の中で迷いに迷いついに答えを出すカン。どちらの愛が勝つのか?
物語は最終目的地である伝説の地イスラへ。
イスラ・オブ・ドリーム

スライムすら倒せない底辺冒険者の俺、レベルアップしてハーレムを築く(予定)〜ユニークスキル[レベルアップ]を手に入れた俺は最弱魔法で無双する
カツラノエース
ファンタジー
ろくでもない人生を送っていた俺、海乃 哲也は、
23歳にして交通事故で死に、異世界転生をする。
急に異世界に飛ばされた俺、もちろん金は無い。何とか超初級クエストで金を集め武器を買ったが、俺に戦いの才能は無かったらしく、スライムすら倒せずに返り討ちにあってしまう。
完全に戦うということを諦めた俺は危険の無い薬草集めで、何とか金を稼ぎ、ひもじい思いをしながらも生き繋いでいた。
そんな日々を過ごしていると、突然ユニークスキル[レベルアップ]とやらを獲得する。
最初はこの胡散臭過ぎるユニークスキルを疑ったが、薬草集めでレベルが2に上がった俺は、好奇心に負け、ダメ元で再びスライムと戦う。
すると、前までは歯が立たなかったスライムをすんなり倒せてしまう。
どうやら本当にレベルアップしている模様。
「ちょっと待てよ?これなら最強になれるんじゃね?」
最弱魔法しか使う事の出来ない底辺冒険者である俺が、レベルアップで高みを目指す物語。
他サイトにも掲載しています。


ぽっちゃりおっさん異世界ひとり旅〜目指せSランク冒険者〜
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
酒好きなぽっちゃりおっさん。
魔物が跋扈する異世界で転生する。
頭で思い浮かべた事を具現化する魔法《創造魔法》の加護を貰う。
《創造魔法》を駆使して異世界でSランク冒険者を目指す物語。
※以前完結した作品を修正、加筆しております。
完結した内容を変更して、続編を連載する予定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その狂犬戦士はお義兄様ですが、何か?
行枝ローザ
ファンタジー
美しき侯爵令嬢の側には、強面・高背・剛腕と揃った『狂犬戦士』と恐れられる偉丈夫がいる。
貧乏男爵家の五人兄弟末子が養子に入った魔力を誇る伯爵家で彼を待ち受けていたのは、五歳下の義妹と二歳上の義兄、そして王都随一の魔術後方支援警護兵たち。
元・家族の誰からも愛されなかった少年は、新しい家族から愛されることと癒されることを知って強くなる。
これは不遇な微魔力持ち魔剣士が凄惨な乳幼児期から幸福な少年期を経て、成長していく物語。
※見切り発車で書いていきます(通常運転。笑)
※エブリスタでも同時連載。2021/6/5よりカクヨムでも後追い連載しています。
※2021/9/15けっこう前に追いついて、カクヨムでも現在は同時掲載です。

天才ピアニストでヴァイオリニストの二刀流の俺が死んだと思ったら異世界に飛ばされたので,世界最高の音楽を異世界で奏でてみた結果
yuraaaaaaa
ファンタジー
国際ショパンコンクール日本人初優勝。若手ピアニストの頂点に立った斎藤奏。世界中でリサイタルに呼ばれ,ワールドツアーの移動中の飛行機で突如事故に遭い墜落し死亡した。はずだった。目覚めるとそこは知らない場所で知らない土地だった。夢なのか? 現実なのか? 右手には相棒のヴァイオリンケースとヴァイオリンが……
知らない生物に追いかけられ見たこともない人に助けられた。命の恩人達に俺はお礼として音楽を奏でた。この世界では俺が奏でる楽器も音楽も知らないようだった。俺の音楽に引き寄せられ現れたのは伝説の生物黒竜。俺は突然黒竜と契約を交わす事に。黒竜と行動を共にし,街へと到着する。
街のとある酒場の端っこになんと,ピアノを見つける。聞くと伝説の冒険者が残した遺物だという。俺はピアノの存在を知らない世界でピアノを演奏をする。久々に弾いたピアノの音に俺は魂が震えた。異世界✖クラシック音楽という異色の冒険物語が今始まる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この作品は,小説家になろう,カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる