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【3】明かされた真実
そこにある太陽
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シェルター内の空気の入れ替えを兼ねてスライド扉より外へ出た。兄弟五人、外での会話だ。見張りにもなってちょうどいい。
実は兄弟五人が揃って会話を交わすのはこれが初めてだ。これまで一度もなかった、貴重な機会に思わず緊張の空気が漂う。
「俺はガキのころに出て行ってそれっきりだ。変な感じだな」
ジェフリーが照れ臭そうに頬を指で擦った。
「そもそも俺は六つまでしかここにいなかったし、マナカや光介も自我が芽生えてなかったから会話ができなかったしなぁ」
ジェフリーが沙蘭を出てフィラノスで暮らすことになった時、マナカと光介は赤子だった。子どものころは両親が不在なのに家族が増えたのか、理解ができなかった。
「魔導士狩りがあったと聞いて、どうなるかと思ったぞ。それが、今や……」
正姫が含みのある笑いをする。悪い意味ではないようだ。
「お前も辛かったろうに。お兄様の有事に、よくわたくしの手紙を読んでくれたな」
「超速達、国の印が押してあったら、そりゃあ読むだろ?」
ジェフリーが堪えていたものをぶちまけるように笑った。姉が権力を存分に使った、助けの手紙だ。
「姫子ったらそんなことしたんですか⁉ 恥ずかしい……」
竜次が顔を真っ赤にする。横でマナカがご立腹の様子だ。
「勝手に沙蘭の印を乱用なさったのですか⁉」
額を押さえるマナカの横で下品に笑っていたのが光介だ。
「まー、もう終わったんだし、いいじゃないっスか。一番上の兄貴、立ち直ってくれたんだし?」
光介に品格はないが、ふざけた口調で一番まともなことを言う。
「死んだらそこで終わり。そこまで落ちたってことは、それ以下はないってことでこれから上がるだけじゃないっスか?」
光介の言葉に、竜次まで笑った。
「光ちゃんはいいなぁ。私もそれくらい明るくなりたいです」
光介に悪気はない。むしろ、話を明るくしてくれている。
「この状況だが、とにもかくにも、二人に会えてうれしいぞ。もうこんな機会はないかと思ったくらいだ。帰って来てくれてありがとう」
正姫だけではなく、皆も再会をうれしいと思っていた。
「ジェフ、お兄様がここまで立ち直ってくれたのは、お前のおかげだろうな?」
正姫の質問は確認を求めるものだった。ジェフリーは視線を伏せた。
「いや……違うんだ。俺だけだったら兄貴はこんなに明るく笑ったり、自分のことを進んで話したりできるようにならなかったと思う」
ジェフリーは続きを言うのが辛そうに一度、唇を噛みしめた。
「一緒にいた人たちがそうしたのかもしれない。俺だって例外じゃない」
この先、正姫から何を言われるのか、だいたいの想像はつく。それでも、きちんと言わなくてはいけない。ジェフリーは先手を打った。
「姫姉、こんな状況で悪いが俺は長居できないし、ここに残れない……」
聞いた正姫は腕を組んだ。先読みをされたことは予想外だったが、この展開は予想していたようだ。
正姫ではなく、マナカが憤慨した。
「ジェフ兄さん、正気ですか⁉ この状況で、我々を見捨てるのですか⁉」
「まぁ待て、マナカ」
「しかし、姫姉様!」
マナカが憤慨するのも無理はない。この有事よりも自身の旅を優先すると言うのだ。普通はこの判断を非情だと思うだろう。
正姫は息をついて首を横に振った。
「ジェフもお兄様と同じか……それは困ったな」
正姫は理由を汲み取ってくれそうだ。いや待て。正姫は『お兄様』、つまり竜次も同じと言った。ジェフリーは竜次の顔を見るが、目が合っても表情を変える様子はない。先に話し込んでいたところを察すると、ある程度は旅の事情や経緯が話されていた可能性がある。
「つーか、国より大切な友だちがいるって、すごくないっスか?」
口を挟んだのは光介だ。真剣な話は苦手なのだろうか? 退屈そうにあくびまでしている。
「今、頭ごなしに怒ってもどうかと思うっスよ。話しぐらい聞いてあげてもいいじゃないっスか。あれもダメ、これもダメって厳しいから、他国にもマークされるんじゃないっスかねぇ?」
口調はともかく、光介は一定の理解があるようだ。
この空気にいたたまれなくなり、竜次が謝罪の言葉を述べる。
「私、わがままがすぎますよね。好きな人と生きたくて国を捨てたと同然なのに、今度はあなた方を見捨ててしまう。ごめんなさい……」
竜次が首を横に振りながらもの悲しい表情を浮かべる。
「それでも、別れる方が今は辛い。あの方たちは大切な存在です。今は守れるだけ私も強くない。でも、失い続けて、やっと築けたものです。一緒に歩んで私は変われた。手放したら私は後悔します……」
震えかすれる声、竜次の中のわがままだ。
「本当にごめんなさい……」
誰よりも子どもに見えるほど、その声は弱々しかった。
正姫は呆れ顔でジェフリーを見る。
「本当に似ているな。困るくらいに」
「姫姉様、お叱りされないのですか⁉」
「しても無駄だと思うぞ」
正姫は笑みを浮かべた。それでもマナカは納得をしていない。
「では、旅の目的くらいは聞いてもいいかの」
正姫が聞き手に回った。ほつれた髪を指と風でとかしながら答えを待った。
ジェフリーが旅の理由を話した。
「仲間の中に不思議な力を持った子がいる。俺たちはそれが何なのかを探しているんだ」
こんなものでは伝わってくれないだろう。ことの重大性を訴えた。
「禁忌の魔法って呼ばれている危険な力だ。下手をすれば人の命にかかわる。何でもいいんだ。姫姉たちは何か知らないか?」
正姫は難しそうな顔をしながら、マナカと光介の顔を見る。二人も首を横に振った。
「残念だが心当たりがない。して、ほかには理由はないのかの?」
禁忌の魔法に関しては知らないようだ。受け答えに不自然さはない。知っているのなら、もう少し反応するだろうとジェフリーは思った。
「じゃあ、親父やおふくろがどこにいるのか知らないか?」
遠回しだが、これも旅の理由だ。もっと言えば、禁忌の魔法に関係しているかもしれない。ジェフリーは再び反応をうかがった。
「うーむ、確実にわかっておればいいのだが。きちんと会って話がしたいな」
正姫は難しい反応をした。もしかしたら、以前から捜索願を出しているのかもしれない。
話が詰まりそうだったが、マナカが心当たりを口にした。
「最近ですが、お手紙が来ませんでしたか?」
「おぉ、そうだったな」
正姫は思い出したように頷いた。
「一週間ほど前か、お父様がギルドに何か届け出をしたらしい。住所確認の文章は来たが、内容が怪文章だったので処分してしまったな」
「怪文章……?」
竜次が眉をひそめる。せっかくの手がかりだが、どうも胡散臭い。
「ギルドからってことは、お父様本人ではないですよね? いたずらの可能性もあるってことですか」
マナカが記憶を掘り出している。
「いえ、海を渡って来たせいかもしれませんが、文字もお写真も傷んでしまったデキの悪い写しが添えられていました。どんなライセンスなのかは覚えがありません。ただ、白衣のようなものをお召しになった写真だった気がします。これで届け出の許可と言われましても、時間が経てば自動的に掲載されてしまうのに」
マナカはライセンスや写真よりも、ギルドの管理がずさんなことを嘆いていた。
しかし白衣とは妙だ。もう少し確かな情報はないものだろうか。
「白衣って、医者とか学者っスかね。あるいは科学者だったりして」
光介も話に加わる。彼の言葉に引っかかりを感じる。心当たりがないわけではない。ローズは学者な上に兄弟の父親を知っている。ここで何かつながりそうだとジェフリーは思った。
「その手紙ってどこから来たんだ?」
ジェフリーがさらに質問をする。
正姫が答えようとしたが戸惑っていた。何か説明をしたいようだ。
「マナカ、世界地図はないかの?」
マナカは腰に下げている袋を探り、綺麗に折りたたまれた紙を取り出した。求めているものがすぐに用意できるいい側近だ。
正姫が地図を覗き、わかるように見せながら指でとある街を示した。
「炭鉱の町ノックスと書いてあったの……ここだ」
驚くほど遠かった。もっと北東だ。陸路で行くにも街を二つ越えなくてはならないし、未踏の地だ。山々に囲まれ、ほぼ地図の隅を示していた。
「世界の果てかと疑うな」
ジェフリーが苦笑いをする。正姫は涼しい顔をしていた。
「近くに天山があるからその表現は間違ってはないな。わざわざ行くことはないだろうがのう……」
一通り情報を出し終わったところで、正姫が質問をした。
「お父様とお母様も探しているのかの?」
「ついでみたいなもんさ」
余計な心配をさせないように、ミティアと関係があるかもしれない部分は伏せた。
ジェフリーの答えに、正姫は小さく何度か頷いた。そして荒れた街を眺めた。いつの間にか日は傾き、夕暮れ時だ。
「これからわたくしたちだけで沙蘭をどうしていくか」
正姫はこれから沙蘭を立て直すことに自信がなさそうだった。だが、ジェフリーと竜次は残らないと言ってしまった。
「とりあえず、明日には街中の安全確認と片付けに取り掛かろう。いくら避難をして助かっても、いつまでも狭い地下にいるのは精神的によくないからな」
正姫は荒れてしまった街を眺めてから振り返った。
「いつまでも落ち込んではいられまい。これから二人が沙蘭に居座りたくなるようにせねばいかんな」
正姫はジェフリーと竜次を見て微笑んだ。
ジェフリーにも考えがある。
「すぐにこの街を出発するわけじゃない。滞在中に何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってくれ。それくらいのことはしたい」
「それは頼もしいな……」
聞いた正姫は顎に手を当て、何かを思いついたようだ。
「ふむ。ならば、ギルドは使えないから、各国とおばさまに親書をお願いするか。急がないでいいが、沙蘭にこんなことが起きたのを知ってもらわねば」
正姫は言ってからマナカに確認を取る。
「フィラノス以外に、だったかの?」
「そうですね。情勢が悪いと思います」
フィラノスは沙蘭に対してよく思っていないのだろうか。孤立してしまった時に、黒い龍と女の子があらわれた。考えすぎではないといいのだが、どうも引っかかる。ジェフリーは話を整理する場を設けたいと思った。仲間にギルドの情報や、世界の情勢に詳しい人でもいればいいのだが。
ジェフリーと竜次は仲間と合流した。何を話すわけでもなく、まずは体を休ませる。
「んー…………気持ちいい」
温かいタオルを顔に乗せたサキが悶絶して畳に仰向けになった。
「明日、安全が確認出来たら城のお風呂も開放します。皆様も是非ご利用ください」
マナカが皆に温かいタオルを配っていた。タオルといっても手ぬぐいのようなものだ。ほのかに柑橘系のさわやかな香りがする。これが緊張の続いた神経の疲れまで癒す。サキが悶絶してしまうのも無理はない。
スプリングフォレストを越え、戦い抜いた汗と血と泥の臭いがタオルに染み込む。顔を拭けば泥や埃で瞬く間に汚れた。この限られた空間では体までは拭けないが、明日に風呂を開放すると聞いた。
キッドが仕事の早さに驚いた。
「復旧作業、早いんですね」
「街の人にも早く立ち直っていただきたいので」
マナカはにこやかに会釈しながら、編まれた竹籠を差し出した。中にはお菓子やちょっとしたおにぎりも入っている。
「こういったものは避難した方々に配ってあげなさい」
竜次が籠を突き返そうとするが、マナカはこれを拒否した。
「こちらは街の方々のご厚意です。こういう時は助け合っているのですよ」
マナカが籠の中を見せた。お菓子に隠れて手紙やメモが入っているのが見えた。
「姫姉様が生き残った方にお話ししていました。あの災厄から救ってくれた。そのお礼を言いたい方々の声です。それでもお断りしますか?」
竜次は渋りながら受け取った。これを拒否する方が失礼だろうと判断した。
「街の人なら大丈夫です。先ほど光介が炊き出しを振る舞ったので」
マナカは礼をして部屋を出て行った。ぱたりと戸が閉じる。
「差し入れです。どうぞ」
竜次がみんなの前に籠を出した。
食べ物と聞いてミティアが目を輝かせている。綺麗な飴玉の袋を見ていた。
「兄貴、それは何だ?」
ジェフリーが大判の煎餅を割りながら竜次の手元を見た。メモのような小さい紙を何枚か手にしている。
「街の人の声ですよ」
竜次が一枚の紙を差し出して見せた。ジェフリーは受け取って食べる手を止めた。その紙には『ジェフリーお坊ちゃんおかえりなさい』と、書かれている。
「マジ……か。こいつは泣かせてくれる」
「でしょ? 本当にみんないい人たちばかりで困ります」
沙蘭がいい国だというのはよくわかった。気さくでいい人たちばかりというのを言った気がする。ジェフリーは自分を覚えていてくれた人たちに感謝をした。竜次や正姫ばかりが表立っているので、忘れられていると思っていたのに……
このメモ書きをくれた誰かに深い感謝をした。
「さて、これからの計画と話の整理をしましょうか」
竜次が皆に集合を呼びかけた。
疲労で今すぐに休みたいかもしれないが、きちんと決めておかないといけない。
「まず、私とジェフはここに残る選択をしませんでした」
竜次が話の先陣を切った。ジェフリーも頷いて言葉を添える。
「当然、反対はされた。だけど、俺たちはそのためにここに来たんじゃない」
「ミティアさんの不思議な力の情報を得るために、ここまで来たのです」
兄弟は揃って、心の内を打ち明けた。
「すごくわがままだが、もっと一緒に旅がしたい」
「私もジェフも皆さんがいたから今があるといっても過言ではありません」
二人の言葉に、キッドとサキは目を合わせて含み笑いをした。部屋の隅でローズはこの雰囲気を羨ましく思った。
ミティアだけは今にも泣き出しそうだ。声を震わせた。
「せ、先生もジェフリーさんも、もっと一緒にいてくれるんですか?」
「嫌か?」
ジェフリーが意地悪に聞き返した。ミティアは激しく首を横に振って受け答える。
「で、でも、そんな……故郷が大変なのに」
「いや、俺が邪魔ならここに残ってもいいんだが」
「邪魔だなんてそんな……」
ミティアはからかわれていることに困惑している。そんな彼女が泣き出してしまう前に、ジェフリーは笑い飛ばした。
「冗談だ。そんな顔をするな」
親しくなったので許されるが、ジェフリーも人が悪い。ミティアは冗談にしてはやけに強めだと頬を膨らませ、口を窄めた。タツノオトシゴのようだ。ただ、今回は話の流れでえらく涙目だった。
竜次がミティアをフォローする。
「泣かないでください。短い間ですが、私もジェフもこの期間で、たくさんのことを学ばせていただきました。お別れする方がつらいと気づいてしまった。だからこの道を選びました」
ジェフリーも口では意地悪を言ったが同じ気持ちだ。
「きっかけはミティアの不思議な力だった。最初は面倒だった。だけど、俺にとっては得るものが多かった。誰かと協力をして、命のやり取りもした。だけど、悪くないと思った。それから一生懸命になっていた。適当に生きていた俺が、こんなに頑張ろうと思ったことはない」
兄弟は頷いた。改めて挨拶をする。
「これからもよろしくお願いしますね」
「まぁ、そうだな……一応まだ護衛だし」
ミティアは泣き崩れてしまった。うれしいのだろうが、こんなに泣かれると悪いことしている気分にもなる。
キッドは涼しい顔をしていた。だが、それもどこかうれしそうである。
「ま、あたしは簡単にさようならなんて無理だと思っていたわ」
歓迎の雰囲気かと思いきや、サキは口を尖らせた。
「僕は一応ジェフリーさんの友人ですし。でも、ミティアさんを中心にみんなで頑張っているのは、すぐにわかりました」
サキははにかんで続ける。
「成り行きだった点もあると思いますが、僕にはこの関係がいくらほしくても簡単には手に入らないものだと思います」
今まで会話に入らなかったローズが、急に頬を赤らめる。
「羨ましいものデス」
少し込んだ事情はあるが、ミティアを中心に皆が奮起している。
「皆さんは会ってから一週間ほどと聞きましたデス。それでこんなに団結なんてできますかネ……」
ローズが指摘したのは、時間だった。一週間、サキはまだ数日だと言っていた。こんなに強い絆で結ばれようとは、誰が想像しただろう。
それまでの日常ではないこの大きな渦に身を投じて、何かを得ようともがく。
「俺は、ミティアが普通の女の子として生きられる道を探したい」
「そうですね、言いたいことジェフに言われっぱなしですが」
この兄弟は、この旅路で大きく成長したのをお互いに実感していた。だからこそ、言うのが少し照れくさい。
意外と面と向かっては言いづらいものだ。
「そのためにはこれからの動き方も考えないといけないな」
ジェフリーが座って菓子袋を摘んでいる。気を遣ったわけではないが、心の内を話すのに疲れてしまったようだ。
「あんた、よく喋るようになったわね」
キッドに指摘をされるも、ジェフリーはそっぽを向いた。いつもとは逆の立場だ。
そんな微笑ましいやり取りを見ながら、竜次は地図を広げた。
「明日、マナカが大図書館を開けてくれるそうです。その次はどちらに向かいましょうか?」
先の目的はない。沙蘭で何も得られなかったら、また別の大図書館がある都市を目指すか、別の目的を模索しないといけない。いったん、目的地は落ち着いたが、先を考えてもいてもいいかもしれない。
ジェフリーはローズがどこかへ行きたがっていたのを思い出した。
「博士、行きたい場所があっただろ。幻獣の森だっけ?」
出会った当初、ローズは森を越えた沙蘭の向こうにある幻獣の森に用があると言っていた。
「その森の幻獣サンと知り合いデス。空を飛ぶための知恵をお借りしたく、立ち寄りを考えていましたデス。もしかしたらあの黒い龍の倒し方もご存じかも……?」
キッドがぴくりと反応する。黒い龍と戦ったのだから、気になって当然だ。
「やっぱりあの黒い龍、完全には倒せなかったのね。また湧いて出る感じかしら」
ため息にも思えるほど、落胆した息をついている。正直、『あんなもの』を何度も相手にしたくはない。
ジェフリーも、この話にはもどかしい気分だ。何か手を打ちたいところではある。
竜次が首を傾げていた。当然その森を知っている。
「幻獣の森にはウサギのお化けが出るので、近寄るなと周りから言われていました。沙蘭の皆さんも深くまでは入ったりしません。幻獣とはそのウサギのお化けでしょうか?」
ローズが深く頷いて詳しく話した。
「そうなりますネ。正しくはティアマラントという幻獣デス。太古の昔、種族を越えて人間の友人が契約し、この現世に留めたと本人から聞きましたヨ」
ローズの話にサキが食らいついた。血走ってしまいそうなほど目を見開き、やけにうれしそうだ。
「幻獣ティアマラント!! 本で読んだことがあります!!」
サキは皆に向かって訴えた。
「この世界の知識だけに限らない、幅広い知識を持っています。そんな賢人にお会いできるなら、僕からお願いしたいです!」
手を合わせて悲願している。サキも賢いとは思うが、それを凌ぐなど想像がつかない。
「まぁ、何か情報が得られるなら行ってみてもいいかもしれないな」
サキのお願いとは別の意味で、ジェフリーが賛成した。自分たちだけで得られる情報にはどうしても限界がある。
「まずは明日、大図書館には俺も同行する。何か情報を見つけないと」
「そうですね、ここでも何かが見つかるといいのですが……」
サキはともかく、ジェフリーもやる気があるようだ。
「あの、さぁ……」
キッドが泣いているミティアを慰めつつ、兄弟に話しかける。
「その大図書館に行ってる間だけでもいいから、街のことを手伝ってもいいかしら?」
竜次が思わぬ申し出に驚いている。
「そ、そんなっ! 黒い龍もそうでしたが、申し訳ないですよ。旅の疲れもあるでしょうし、ゆっくり休んでくださいな」
少し困った様子だ。これ以上沙蘭に気を遣ってもらうのは申し訳ない。
「わたしも……わたしもいいですか?」
ミティアが目尻を擦り、顔を上げる。
「ジェフリーさんに、沙蘭はいいところだって聞きました。さっきのお菓子もそうですが、お姉さんたちもとっても優しくて、あたたかい街だとこれだけでわかりました。わたしはほとんど見ているだけだった。だから、せめて自分ができることはお手伝いさせてください!」
必死さが伝わった。ミティアは深く頭を下げ、お願いしますと加えた。拭いきれなかった涙が畳に落ちる。
「ミティアさんまで……」
竜次は困っていた。正姫の代理で返事をしていいものか。
「お礼し切れません……」
もちろんうれしいのだが、首を横に振った。
「じゃあ、お風呂いただきたいです。それで……ね、ミティア?」
ミティアがニッコリしてキッドと頷いた。
森で野営までしている。お風呂くらいの贅沢は望んでもいいだろう。
「あぁのぉ……」
発言権を求めるように、ローズが挙手をしている。この仕草は何度見ても面白い。
「電気系統とか、あとは怪我人の手当てとかも、少し手伝えるはずデス。ワタシも手伝わせてほしいデス」
今まで何事にも消極的だったローズが、積極的に手伝いを申し出ている。彼女も行動を共にした数日で何か影響されたのだろうか。
「私がこんなになってなかったら……」
竜次は左手を三角巾でつった状態だ。ため息も出る。
「わたし、先生の分までお手伝いします」
ミティアが竜次の右手を握った。両手でしかも顔まで覗かせて。
うれしいが直視できない。気持ちは十分過ぎるほどに伝わる。
ただでさえ美人で可愛い。純粋すぎて眩しい。存在が眩しすぎる。そこにいてくれるだけでも気持ちが明るくなるのに、こんなにミティアは一生懸命だ。竜次は彼女と目が合って、視線を逸らした。その先がジェフリーだが、彼もまた気まずそうに顔ごと逸らした。
ジェフリーは応援しているとは言っていたが、本当にこのままのつもりなのだろうか?
一方ジェフリーは、さまざまなものを切り出すタイミングを見計らっていた。特にローズには聞きたいことが山ほどある。両親の話。ミティアがあの魔女のようになってしまうかもしれない話。それ以外にも何か情報を握っているのではないかと疑った。
ミティアがどうにかなってしまうとなると、途端に胸が苦しくなった。胸の奥で刺すような痛みがする。この痛みは何だろうかとジェフリーは思い耽った。
ミティアを世界の生贄と呼ばれていた。世界の生贄……嫌な響きだ。彼女がいつか笑えなくなる日が来るのだろうか。そこにある陽だまりのような暖かい存在。それがいつか、消えてしまうのだろうか。想像したら正気ではいられない。
ミティアは本当に普通の女の子になれるのだろうか。
ジェフリーはかぶりを振った。先を見据えるのはいいが、ここまで考えると妙な想像力が掻き立てられてしまう。それでも今はもっと一緒にいたい。都合のいいわがままだ。
赤の他人だった人の幸せを、こんなにも願ったことはない。
ジェフリーは燻っている気持ちを、抑え込もうとしていた。
畳に雑魚寝だったが、野営よりは休むことができた。
本来なら男女が入混ざって雑魚寝もどうかと思うが、そろそろ慣れているのも感じていた。まったく抵抗がないわけではないが、少しでも休みたい気持ちが勝る。
久しぶりに警戒しないで休めた……はずだった。
ぼんやりと見覚えのある街だ。石畳が美しい。すぐに夢だとわかった。
フィラノスの噴水広場から少し繁華街に出たところ。
「ねぇ、ジェフ君、課題やった?」
背後から忘れもしない女の子が話しかけてきた。年は四つも上の女の子。ブロンドの髪を耳の下で切り揃え、鼻も高く、整った顔立ちで気品に溢れる美しい子だ。
沙蘭を離れて魔法学校に通いながら、彼女と暮らしていた。婚約者になってほしいと言われた。彼女と、彼女の家族に気に入られて。
好きだとか愛だとか、そんなのは子どもだからわからなかった。十二歳で何がわかるというのだ。
大人たちの都合と両親のコネもあって、魔法学校に通えた。
上達などしない。何もしなくても、成績が悪くても、彼女の親の権力で難なく進級できた。すべてが適当だ。
そう、適当。いい加減に過ごしていた。
最初はつまらなかったが、彼女の世話焼きは何も不自由しなかった。
フィラノスで名の通った令嬢。もしかしたら、周りからはいい腰巾着に思われていたかもしれない。
「課題? そんなのやらなくても、大丈夫だからやらない」
口癖のようだった。いい加減で、ただ楽をしているだけ。
「賢くになってもらわないと、お父様に叱られてしまいます」
「知らねぇよ、そんなの大人の都合だろ?」
「合唱会が終わったらきっちりやっていただきますからね」
「合唱会?」
「これからじゃない。もうお忘れなの?」
「面倒だなぁ。早く帰って昼寝でもしたい」
「だーめ、早く帰ったら課題があるの。そのあとは習いごとがあるでしょう」
お説教のような小言。揺れるショートカットにフィラノスの制服姿。お姉さんにも近かったかもしれない。甘えたら甘えただけ愛情が返ってきた。
そんな日常を奪ったのは、魔導士狩りだった。
フィラノスの綺麗な街並みは戦火になった。
人より強大な力を持った者を求める。邪魔をする者は殺す。
そう言われた。通りかかった黒装束の女の人に。
強大な力を持つ者は、いずれ人々の脅威になる。そんな宗教じみたことを耳にしたかもしれない。
学校から帰る途中だった。殺されていく人々を見ながら怯えていた。
「ジェフ君、逃げよう!」
手を引かれた。だが、子どもが逃げられるはずがなかった。
そして彼女は暴漢に捕まった。混乱に託けて、狂った人間も現れたのだ。
人は追い込まれたら、とんでもない行動をするのもこの時知った。
その代償は彼女だった。
犯されながら泣き叫ぶ彼女を目の前にして、足が竦んだ。
「逃げ…………て!」
首に手を掛けられながら、彼女はジェフリーに向かって叫んだ。
たくさんの涙を流しながら。
何も出来なかった。
助けようとしなかった。
「ジェフ……く…………」
服を乱されても、名前を呼びながら抵抗をしていた。
怖い。殺される。次は自分がそうなるかもしれない。
逃げた。自分は逃げたのだ。
立ち向かう勇気がなかった。いい加減で、適当な自分が何もできるはずがないと諦めていた。
自分も怪我をした。その時の記憶は曖昧で、正確には覚えていない。
ジェフリーは逃げたが命だけは助かった。
助かった。自分だけ助かってしまった。思い返すと虫唾が走る。
人間の汚い部分を知った。
自分だけが助かる道を選んだ。
逃げた罪。見捨てた罪。一斉に闇が押し寄せる。
どうして、逃げたのか?
また、逃げるのだろうか?
忘れたかった。この理不尽を。
今度は何を見捨ててしまうのか。
今度? 今度は……何を?
落ちるような感覚と暗闇に恐怖した。自分が犯した罪の分、落ちている気がした。息が苦しい。責められているような耳鳴りがする。
「ジェフリーさん!」
体を揺すられ、慌てて目を開けた。現実だ。この恐怖は夢だった。
目の前でミティアが心配し、顔を覗き込んでいる。ジェフリーは自分の姿を捉えた目は潤んでいたのに気がついた。
「気がついてよかった。大丈夫ですか?」
ミティアがハンカチを差し出した。だが、ジェフリーはこれを拒否した。体を起こすと、両目から涙が零れ落ちた。
「あ、あの……」
「すまない。大丈夫だから……」
ジェフリーは目を覆った。体が熱く、息も苦しい。悪夢を見たせいで、うなされたのだろう。変なことを口走ったかもしれない。
ミティアは悲しげな表情をしながら肩を落とした。
部屋の扉が開いた。髪が整っていない竜次が立っていた。
「ジェフ、大丈夫ですか?」
手には濡れたタオルを持っている。わざわざ調達してくれたようだ。
ジェフリーが振り返ると、皆は熟睡していた。どうやら真夜中のようだ。久しぶりに襲撃の警戒をしなくていいのだ。少し騒いだ程度では起きない。
「ジェフはうなされていて、ミティアさんが知らせてくれたのです」
竜次は濡れタオルを差し出した。ジェフリーは受け取って顔を埋める。冷たくて気持ちいい。それだけではなく、冷静さを引き戻してくれるようだった。
心配のあまり、ミティアが涙声で声をかける。
「ジェフリーさん、何か怖い夢でも見たのですか?」
ジェフリーは無言だった。怖いどころではない。辛くて苦しかった夢だ。
「顔色が悪いですよ」
竜次も心配していた。たかがうなされた程度で、この心配されようだ。二人ともじっと見るものだから、ジェフリーはこの場にいたたまれなくなった。
「二人ともすまない。大丈夫だ。でも、ちょっと一人になりたい……」
ジェフリーは返事を待たずに靴に足を通すと、部屋から出て行った。
寂しい背中を見送ったミティアは、物悲しげに俯いた。
竜次はミティアに声をかけた。
「ミティアさんはジェフを助けたいですか?」
竜次は整わない髪を気にしながら腰を下ろした。ミティアを見ると、泣いてはいなかった。俯き、悲しんでいた彼女ではない。強い意志を秘めた目をしていた。
ミティアはそこにいる人を和ませ、不穏な空気を打ち払ってくれる陽だまりのような存在だ。だが時折、何よりも誰よりも力強く見える顔を持っている。
「やれやれ、質問した私が馬鹿でしたね」
竜次はため息をついた。弟のジェフリーを心配し、わざわざ自分を起こして異常を知らせた。いや、もっと前からミティアはジェフリーを慕っている。そんな彼女にわかりきった質問をするのは愚かだ。
「私は怪我や病気なら治せるかもしれませんが、心の傷は治せないみたいです」
ミティアは察しがついたらしく身構えた。
「今は大丈夫ですが、このままではいつかジェフは壊れてしまいます」
「壊れる……?」
心が壊れてしまうとでも言いたいのだろうか。竜次の言葉にミティアは息を飲んだ。
「ジェフの心の支えはミティアさんです。口では言わないですが、信頼を寄せています。だからこそ、弱みを見せないようにしているのかも……」
ミティアは胸の前で手を組み、心を痛めていた。
竜次はジェフリーの心配はしていたが、実はこんなことを頼みたくなかった。自分の足で立ちたい、大丈夫だとジェフリー自身は言っていた。だが、最近は影を落とす機会が増えた。どうも気になる。
「わたし、何度もジェフリーさんに助けてもらいました。だから、わたしにできるなら助けたい。何をしたらいいですか?」
「ミティアさんが歩み寄って話せば、心を開いてくれる、かも……」
「お話? わたし、ジェフリーさんとちゃんと話したことない気が……」
フィラノスで稽古をつけてもらったことはある。だが、その時はサキも一緒だった。込み入った話は実はしたことがない。
何が好きだとか、どんな特技があるのかとか、実はジェフリー自身の情報は少ない。なかなか二人きりになるのは難しいかもしれない。
ミティア自身も興味はあった。機会には恵まれなかったからだ。このお願いを受けることにした。
竜次は少し嫉妬をした。ミティアの顔からは力強さが消え、誰かを思う優しさに満ちている。それが自分には絶対に向くことはないと、この時悟った。
喉はカラカラだった。ひどい顔をしていたに違いない。
ジェフリーは個室を出て、通路を適当に歩いた。避難していた街の人たちも休んでいるのか、静かで部屋に明かりも少ない。冷たい空気が身に沁みる。それでも瞼の裏に悪夢はちらついた。この状況をどうにかしたい。
何でもいい、気が紛れるなら……。
「あっれぇ、兄貴様?」
通路の奥から光介が顔を覗かせた。
「あれ、お前……」
マナカだったら、戻ることを考えた。詮索しない彼が話し相手なら、気が紛れそうだとジェフリーは思った。
「どうしたんスか? まさか、幽霊でも見たとか?」
そんなにひどい顔をしているようだ。ジェフリーは一応隠そうと冷静を装った。
「いや、ちょっと目が覚めたから、気晴らしがしたくなっただけだ」
聞いた光介は、大間よりさらに奥を指さした。
「奥、行きます? 見張りの交代して来たんで、俺っちは一休みするとこっスよ」
「悪くないな……」
ジェフリーが返事をすると、光介は小さい水筒を差し出した。
「よかったらどうぞ。俺にはアチアチなんで飲めねぇっス」
ジェフリーは受け取って蓋を開けた。もわんと白い湯気が出た。湯気を払うと中には緑茶が入っていた。沙蘭のお茶だ。爽やかでいい香りがする。
「兄貴様ご案内っと」
光介はこの性格だが、根はしっかりしているのだと察した。気遣いはできるし、思いやりもある。
ジェフリーは案内されながらお茶を口に含んだ。乾いた喉を潤して、いい香りが鼻に抜けた。これはおいしい。舌先が痺れる熱さだが今は助かる。
「俺っちはぬるいのでじっくり蒸らした、甘い方が好きっスよ。それはマナカ姉がくれたので文句言えねぇっスがね……」
マナカとも血のつながりはない。光介はこの性格に相当助けられているはずだ。
案内されたのは、ランタンがあり、簡単に御座が敷いてあるだけの場所だった。マナカと交代で見張りをしているらしい。空気が冷たいと思ったら、上は金網だった。
「あぁ、上は井戸っスよ。ここ空気が抜けるんで」
説明からすると、通気口の一つのようだ。だから熱いお茶をよこしたのだろう。
光介はあぐらをかいて座り、品のないやんちゃな笑みを浮かべている。
「兄貴様と話せるとかラッキーっス」
「あっちの兄貴の間違いだろ」
ジェフリーはお茶を持ったまま隣に座った。あっちの兄貴とは竜次を指す。
「いやぁ、俺っちがここに来てすぐ、兄貴様がいなくなっちゃったじゃないっスか。俺っちは兄貴様のことも、知りたいっスよ?」
いい気なものだ。まず、抵抗がないのはジェフリーも驚く。かしこまらず、オープンで壁がないのは話しやすい。
「はじめて会ったのは、ほぼ赤ん坊だったよなお前……」
「何だかんだ、上の兄貴様とはご成人までは一緒でしたからね」
光介がにんまりと笑った。ジェフリーは昔話に華が咲いて上機嫌だった。上機嫌なのに、光介は左の耳を気にしている。そういえばクリップのようなものが見当たらない。
「どうした?」
「あ、いえ。補聴器を見張り場所に置いてきちゃったかなと。兄貴様と話せるならちゃんと持っておけばよかったっス」
「補聴器……?」
ジェフリーには聞きなれないものだった。耳にしていたクリップを指すのだろうか。
「俺っち、小さいころから左の耳が難聴で聞き取りがちょっと不便なんっスよ」
「なるほどな。気づいてやれなくてすまなかった」
「いやいやそんな、とんでもないっス」
ジェフリーは配慮が足りなかったと詫びた。先ほど言ったように、光介が赤子も同然のころに、ジェフリーは故郷を離れた。ハンディを背負って生きているとは知らなかった。それでも明るい性格であること、仕事をしているとは見上げたものだ。
「こんな俺っちをここに引っ張って来たのは、父さんなんスよね」
昔話のはずが、ジェフリーの表情が曇った。
「それって……親父か?」
「そそ。ケーシス父さん」
「それは知らなかった。てっきりおばさんを通して引き取ったのかと思った。親父に会ったことあるのか?」
「いや、デカくなってからはないっス。俺っちもマナカ姉も書類だけの関係かもしれないっスがね」
ジェフリーはまだ子どもだった。ただ、家族が増えたということだけしか、理解していなかった。養子の意味など、わからなくて当然だ。
「いやぁ、ちゃんとしてますよーって言ってやりたいっスけどね」
マナカ同様、光介もケーシスに恩を感じているようだ。
「便りがないのはいい知らせってことは、母さんよくなったんスかね?」
光介が漏らした他愛のない言葉に、ジェフリーのお茶を飲む手が止まった。
「ん? おふくろ、何かあったのか?」
光介は気まずそうに口を覆った。ジェフリーはその『うっかり』を逃さない。
「教えてくれ!」
ジェフリーが迫るも、光介は首を横に振った。
「俺は知らないんだ、おふくろに何があったんだ? 知る権利は俺にもあるはずだ」
やり方がまずいかもしれないが、ジェフリーも必死だ。胸倉をつかんでしまった。光介が観念したように首を垂れ、小声になった。
「これ、みんなで秘密にしていたんス。絶対……兄貴や姉貴を責めないなら話しやす!
約束してくださいっス!」
約束まで求められた。自分が知らない家族の事情を握っている。ジェフリーはやりすぎだと思い、解放して首元を直した。
「ごめん、悪かった」
光介が周辺を気にしながら話し出す。誰かに聞かれて困るようなことなのだろうか。
「言うなと口止めされていたっス。兄貴様が産まれた時、母さんはしばらく昏睡状態だったらしいです。具合を悪くされ、治療のためにやむなく離れて暮らすとなったそうですが具体的な場所も言わず……」
光介はジェフリーの顔色をうかがっていた。
ジェフリーは黙ったまま考え込んでいた。知らなかった。両親が行方不明の理由がまさか、自分にあったなど、想像もしなかった。ずっと行方不明だと思っていた。周りからそう思わされていたことになる。
「俺のせいで……俺が生まれたせいで、おふくろが?」
今まで秘密にしていた周りの人や兄弟より、自分自身に苛立った。
「兄貴のせいじゃないっス。絶対に自分責めたりしちゃいけない!」
責められずにはいられなかった。知らなかった罪だ。そこまで言っていい。
光介は口止めをされていたと言っていた。ならば、竜次は知っていて長年黙っていたことになる。だが、竜次を責める権利はない。なぜなら悪いのは自分だからだ。ジェフリーは自身を責めずにはいられなかった。
「俺、孤児院に入れなくて、次に行き着くのはよくない場所だったらしいです。マナカ姉に聞きました。マナカ姉もそうだったらしいっス……」
「よくない場所って……奴隷にでもなるのか?」
話題が逸れた。だが、光介なりの話に今は身を任せた。感情的になるのはあとにしようと思ったからだ。ジェフリーは雑念を押し潰した。
光介は物悲しくも笑っていた。
「もっとヤバイ場所らしいです。兄貴様は闇の世界を知らないんスね……」
光介やマナカがここに来たのは、運がよかったからだと言いたいようだ。父親のケーシスに救われたと思って、今を尽くしているのだろう。聞こうか迷ったが、一応話を聞こう。ジェフリーは空気が軽くなるように冗談を交えながら質問をした。
「闇の世界って何だよ。はやりの異世界か?」
「だとよかったスね」
光介は儚く笑い口角を上げた。
「兄貴様は犬や猫などの動物が保護され、誰も引き取り手がいなかったらどうなるか知ってるっスか?」
光介の言葉を聞き、ジェフリーはぞわりと鳥肌が立った。そんなまさかと思った。
「ただ何もわからないまま死ねるなら、まだいいと思います。どうでもいい命なんて、最高の実験材料じゃないっスかね」
「そんなのが実在するなら、間違っていると思う」
ジェフリーははっきりと言い切った。だが、ここで終わらなかった。光介は続けた。
「世の中にはどうしようもない病気を持った人がいるのを兄貴は知ってるっスか。その治療薬は、動物で治験をしていても世の中に出回るころには手遅れになるなんての、あるのも知っていますよね?」
光介は淡々と話していた。己の運命を受け入れるように。
「正直、自分がそうならなくてよかったと汚い人間だって思ってます。だから、父さんには感謝しかないっス」
光介の話はわかった。だが、嫌な話だった。この複雑怪奇なつながりは何だろうか。仕組まれたのだろうか。ジェフリーの雑念がぶり返した。自分が産まれたせいで具合を悪くした母親、光介とマナカを家に招き入れた父親。光介とマナカが行くはずだった闇の世界。すべてにつながりがあるとしたら、気持ちが悪かった。父親は治療をしたくて、その世界に足を踏み入れたのだと想像がついた。そうでなかったら、光介とマナカはここにはいない。
今ごろは沙蘭も壊滅していたかもしれない。
考えたら気持ちが悪いのを通り越して、怖くもなった。
いったん忘れよう。頭の片隅に置く程度にしよう。自分のせいであったことも。
きっとこれは、自分が都合のいいように解釈をして、逃げているのだ。
実は兄弟五人が揃って会話を交わすのはこれが初めてだ。これまで一度もなかった、貴重な機会に思わず緊張の空気が漂う。
「俺はガキのころに出て行ってそれっきりだ。変な感じだな」
ジェフリーが照れ臭そうに頬を指で擦った。
「そもそも俺は六つまでしかここにいなかったし、マナカや光介も自我が芽生えてなかったから会話ができなかったしなぁ」
ジェフリーが沙蘭を出てフィラノスで暮らすことになった時、マナカと光介は赤子だった。子どものころは両親が不在なのに家族が増えたのか、理解ができなかった。
「魔導士狩りがあったと聞いて、どうなるかと思ったぞ。それが、今や……」
正姫が含みのある笑いをする。悪い意味ではないようだ。
「お前も辛かったろうに。お兄様の有事に、よくわたくしの手紙を読んでくれたな」
「超速達、国の印が押してあったら、そりゃあ読むだろ?」
ジェフリーが堪えていたものをぶちまけるように笑った。姉が権力を存分に使った、助けの手紙だ。
「姫子ったらそんなことしたんですか⁉ 恥ずかしい……」
竜次が顔を真っ赤にする。横でマナカがご立腹の様子だ。
「勝手に沙蘭の印を乱用なさったのですか⁉」
額を押さえるマナカの横で下品に笑っていたのが光介だ。
「まー、もう終わったんだし、いいじゃないっスか。一番上の兄貴、立ち直ってくれたんだし?」
光介に品格はないが、ふざけた口調で一番まともなことを言う。
「死んだらそこで終わり。そこまで落ちたってことは、それ以下はないってことでこれから上がるだけじゃないっスか?」
光介の言葉に、竜次まで笑った。
「光ちゃんはいいなぁ。私もそれくらい明るくなりたいです」
光介に悪気はない。むしろ、話を明るくしてくれている。
「この状況だが、とにもかくにも、二人に会えてうれしいぞ。もうこんな機会はないかと思ったくらいだ。帰って来てくれてありがとう」
正姫だけではなく、皆も再会をうれしいと思っていた。
「ジェフ、お兄様がここまで立ち直ってくれたのは、お前のおかげだろうな?」
正姫の質問は確認を求めるものだった。ジェフリーは視線を伏せた。
「いや……違うんだ。俺だけだったら兄貴はこんなに明るく笑ったり、自分のことを進んで話したりできるようにならなかったと思う」
ジェフリーは続きを言うのが辛そうに一度、唇を噛みしめた。
「一緒にいた人たちがそうしたのかもしれない。俺だって例外じゃない」
この先、正姫から何を言われるのか、だいたいの想像はつく。それでも、きちんと言わなくてはいけない。ジェフリーは先手を打った。
「姫姉、こんな状況で悪いが俺は長居できないし、ここに残れない……」
聞いた正姫は腕を組んだ。先読みをされたことは予想外だったが、この展開は予想していたようだ。
正姫ではなく、マナカが憤慨した。
「ジェフ兄さん、正気ですか⁉ この状況で、我々を見捨てるのですか⁉」
「まぁ待て、マナカ」
「しかし、姫姉様!」
マナカが憤慨するのも無理はない。この有事よりも自身の旅を優先すると言うのだ。普通はこの判断を非情だと思うだろう。
正姫は息をついて首を横に振った。
「ジェフもお兄様と同じか……それは困ったな」
正姫は理由を汲み取ってくれそうだ。いや待て。正姫は『お兄様』、つまり竜次も同じと言った。ジェフリーは竜次の顔を見るが、目が合っても表情を変える様子はない。先に話し込んでいたところを察すると、ある程度は旅の事情や経緯が話されていた可能性がある。
「つーか、国より大切な友だちがいるって、すごくないっスか?」
口を挟んだのは光介だ。真剣な話は苦手なのだろうか? 退屈そうにあくびまでしている。
「今、頭ごなしに怒ってもどうかと思うっスよ。話しぐらい聞いてあげてもいいじゃないっスか。あれもダメ、これもダメって厳しいから、他国にもマークされるんじゃないっスかねぇ?」
口調はともかく、光介は一定の理解があるようだ。
この空気にいたたまれなくなり、竜次が謝罪の言葉を述べる。
「私、わがままがすぎますよね。好きな人と生きたくて国を捨てたと同然なのに、今度はあなた方を見捨ててしまう。ごめんなさい……」
竜次が首を横に振りながらもの悲しい表情を浮かべる。
「それでも、別れる方が今は辛い。あの方たちは大切な存在です。今は守れるだけ私も強くない。でも、失い続けて、やっと築けたものです。一緒に歩んで私は変われた。手放したら私は後悔します……」
震えかすれる声、竜次の中のわがままだ。
「本当にごめんなさい……」
誰よりも子どもに見えるほど、その声は弱々しかった。
正姫は呆れ顔でジェフリーを見る。
「本当に似ているな。困るくらいに」
「姫姉様、お叱りされないのですか⁉」
「しても無駄だと思うぞ」
正姫は笑みを浮かべた。それでもマナカは納得をしていない。
「では、旅の目的くらいは聞いてもいいかの」
正姫が聞き手に回った。ほつれた髪を指と風でとかしながら答えを待った。
ジェフリーが旅の理由を話した。
「仲間の中に不思議な力を持った子がいる。俺たちはそれが何なのかを探しているんだ」
こんなものでは伝わってくれないだろう。ことの重大性を訴えた。
「禁忌の魔法って呼ばれている危険な力だ。下手をすれば人の命にかかわる。何でもいいんだ。姫姉たちは何か知らないか?」
正姫は難しそうな顔をしながら、マナカと光介の顔を見る。二人も首を横に振った。
「残念だが心当たりがない。して、ほかには理由はないのかの?」
禁忌の魔法に関しては知らないようだ。受け答えに不自然さはない。知っているのなら、もう少し反応するだろうとジェフリーは思った。
「じゃあ、親父やおふくろがどこにいるのか知らないか?」
遠回しだが、これも旅の理由だ。もっと言えば、禁忌の魔法に関係しているかもしれない。ジェフリーは再び反応をうかがった。
「うーむ、確実にわかっておればいいのだが。きちんと会って話がしたいな」
正姫は難しい反応をした。もしかしたら、以前から捜索願を出しているのかもしれない。
話が詰まりそうだったが、マナカが心当たりを口にした。
「最近ですが、お手紙が来ませんでしたか?」
「おぉ、そうだったな」
正姫は思い出したように頷いた。
「一週間ほど前か、お父様がギルドに何か届け出をしたらしい。住所確認の文章は来たが、内容が怪文章だったので処分してしまったな」
「怪文章……?」
竜次が眉をひそめる。せっかくの手がかりだが、どうも胡散臭い。
「ギルドからってことは、お父様本人ではないですよね? いたずらの可能性もあるってことですか」
マナカが記憶を掘り出している。
「いえ、海を渡って来たせいかもしれませんが、文字もお写真も傷んでしまったデキの悪い写しが添えられていました。どんなライセンスなのかは覚えがありません。ただ、白衣のようなものをお召しになった写真だった気がします。これで届け出の許可と言われましても、時間が経てば自動的に掲載されてしまうのに」
マナカはライセンスや写真よりも、ギルドの管理がずさんなことを嘆いていた。
しかし白衣とは妙だ。もう少し確かな情報はないものだろうか。
「白衣って、医者とか学者っスかね。あるいは科学者だったりして」
光介も話に加わる。彼の言葉に引っかかりを感じる。心当たりがないわけではない。ローズは学者な上に兄弟の父親を知っている。ここで何かつながりそうだとジェフリーは思った。
「その手紙ってどこから来たんだ?」
ジェフリーがさらに質問をする。
正姫が答えようとしたが戸惑っていた。何か説明をしたいようだ。
「マナカ、世界地図はないかの?」
マナカは腰に下げている袋を探り、綺麗に折りたたまれた紙を取り出した。求めているものがすぐに用意できるいい側近だ。
正姫が地図を覗き、わかるように見せながら指でとある街を示した。
「炭鉱の町ノックスと書いてあったの……ここだ」
驚くほど遠かった。もっと北東だ。陸路で行くにも街を二つ越えなくてはならないし、未踏の地だ。山々に囲まれ、ほぼ地図の隅を示していた。
「世界の果てかと疑うな」
ジェフリーが苦笑いをする。正姫は涼しい顔をしていた。
「近くに天山があるからその表現は間違ってはないな。わざわざ行くことはないだろうがのう……」
一通り情報を出し終わったところで、正姫が質問をした。
「お父様とお母様も探しているのかの?」
「ついでみたいなもんさ」
余計な心配をさせないように、ミティアと関係があるかもしれない部分は伏せた。
ジェフリーの答えに、正姫は小さく何度か頷いた。そして荒れた街を眺めた。いつの間にか日は傾き、夕暮れ時だ。
「これからわたくしたちだけで沙蘭をどうしていくか」
正姫はこれから沙蘭を立て直すことに自信がなさそうだった。だが、ジェフリーと竜次は残らないと言ってしまった。
「とりあえず、明日には街中の安全確認と片付けに取り掛かろう。いくら避難をして助かっても、いつまでも狭い地下にいるのは精神的によくないからな」
正姫は荒れてしまった街を眺めてから振り返った。
「いつまでも落ち込んではいられまい。これから二人が沙蘭に居座りたくなるようにせねばいかんな」
正姫はジェフリーと竜次を見て微笑んだ。
ジェフリーにも考えがある。
「すぐにこの街を出発するわけじゃない。滞在中に何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってくれ。それくらいのことはしたい」
「それは頼もしいな……」
聞いた正姫は顎に手を当て、何かを思いついたようだ。
「ふむ。ならば、ギルドは使えないから、各国とおばさまに親書をお願いするか。急がないでいいが、沙蘭にこんなことが起きたのを知ってもらわねば」
正姫は言ってからマナカに確認を取る。
「フィラノス以外に、だったかの?」
「そうですね。情勢が悪いと思います」
フィラノスは沙蘭に対してよく思っていないのだろうか。孤立してしまった時に、黒い龍と女の子があらわれた。考えすぎではないといいのだが、どうも引っかかる。ジェフリーは話を整理する場を設けたいと思った。仲間にギルドの情報や、世界の情勢に詳しい人でもいればいいのだが。
ジェフリーと竜次は仲間と合流した。何を話すわけでもなく、まずは体を休ませる。
「んー…………気持ちいい」
温かいタオルを顔に乗せたサキが悶絶して畳に仰向けになった。
「明日、安全が確認出来たら城のお風呂も開放します。皆様も是非ご利用ください」
マナカが皆に温かいタオルを配っていた。タオルといっても手ぬぐいのようなものだ。ほのかに柑橘系のさわやかな香りがする。これが緊張の続いた神経の疲れまで癒す。サキが悶絶してしまうのも無理はない。
スプリングフォレストを越え、戦い抜いた汗と血と泥の臭いがタオルに染み込む。顔を拭けば泥や埃で瞬く間に汚れた。この限られた空間では体までは拭けないが、明日に風呂を開放すると聞いた。
キッドが仕事の早さに驚いた。
「復旧作業、早いんですね」
「街の人にも早く立ち直っていただきたいので」
マナカはにこやかに会釈しながら、編まれた竹籠を差し出した。中にはお菓子やちょっとしたおにぎりも入っている。
「こういったものは避難した方々に配ってあげなさい」
竜次が籠を突き返そうとするが、マナカはこれを拒否した。
「こちらは街の方々のご厚意です。こういう時は助け合っているのですよ」
マナカが籠の中を見せた。お菓子に隠れて手紙やメモが入っているのが見えた。
「姫姉様が生き残った方にお話ししていました。あの災厄から救ってくれた。そのお礼を言いたい方々の声です。それでもお断りしますか?」
竜次は渋りながら受け取った。これを拒否する方が失礼だろうと判断した。
「街の人なら大丈夫です。先ほど光介が炊き出しを振る舞ったので」
マナカは礼をして部屋を出て行った。ぱたりと戸が閉じる。
「差し入れです。どうぞ」
竜次がみんなの前に籠を出した。
食べ物と聞いてミティアが目を輝かせている。綺麗な飴玉の袋を見ていた。
「兄貴、それは何だ?」
ジェフリーが大判の煎餅を割りながら竜次の手元を見た。メモのような小さい紙を何枚か手にしている。
「街の人の声ですよ」
竜次が一枚の紙を差し出して見せた。ジェフリーは受け取って食べる手を止めた。その紙には『ジェフリーお坊ちゃんおかえりなさい』と、書かれている。
「マジ……か。こいつは泣かせてくれる」
「でしょ? 本当にみんないい人たちばかりで困ります」
沙蘭がいい国だというのはよくわかった。気さくでいい人たちばかりというのを言った気がする。ジェフリーは自分を覚えていてくれた人たちに感謝をした。竜次や正姫ばかりが表立っているので、忘れられていると思っていたのに……
このメモ書きをくれた誰かに深い感謝をした。
「さて、これからの計画と話の整理をしましょうか」
竜次が皆に集合を呼びかけた。
疲労で今すぐに休みたいかもしれないが、きちんと決めておかないといけない。
「まず、私とジェフはここに残る選択をしませんでした」
竜次が話の先陣を切った。ジェフリーも頷いて言葉を添える。
「当然、反対はされた。だけど、俺たちはそのためにここに来たんじゃない」
「ミティアさんの不思議な力の情報を得るために、ここまで来たのです」
兄弟は揃って、心の内を打ち明けた。
「すごくわがままだが、もっと一緒に旅がしたい」
「私もジェフも皆さんがいたから今があるといっても過言ではありません」
二人の言葉に、キッドとサキは目を合わせて含み笑いをした。部屋の隅でローズはこの雰囲気を羨ましく思った。
ミティアだけは今にも泣き出しそうだ。声を震わせた。
「せ、先生もジェフリーさんも、もっと一緒にいてくれるんですか?」
「嫌か?」
ジェフリーが意地悪に聞き返した。ミティアは激しく首を横に振って受け答える。
「で、でも、そんな……故郷が大変なのに」
「いや、俺が邪魔ならここに残ってもいいんだが」
「邪魔だなんてそんな……」
ミティアはからかわれていることに困惑している。そんな彼女が泣き出してしまう前に、ジェフリーは笑い飛ばした。
「冗談だ。そんな顔をするな」
親しくなったので許されるが、ジェフリーも人が悪い。ミティアは冗談にしてはやけに強めだと頬を膨らませ、口を窄めた。タツノオトシゴのようだ。ただ、今回は話の流れでえらく涙目だった。
竜次がミティアをフォローする。
「泣かないでください。短い間ですが、私もジェフもこの期間で、たくさんのことを学ばせていただきました。お別れする方がつらいと気づいてしまった。だからこの道を選びました」
ジェフリーも口では意地悪を言ったが同じ気持ちだ。
「きっかけはミティアの不思議な力だった。最初は面倒だった。だけど、俺にとっては得るものが多かった。誰かと協力をして、命のやり取りもした。だけど、悪くないと思った。それから一生懸命になっていた。適当に生きていた俺が、こんなに頑張ろうと思ったことはない」
兄弟は頷いた。改めて挨拶をする。
「これからもよろしくお願いしますね」
「まぁ、そうだな……一応まだ護衛だし」
ミティアは泣き崩れてしまった。うれしいのだろうが、こんなに泣かれると悪いことしている気分にもなる。
キッドは涼しい顔をしていた。だが、それもどこかうれしそうである。
「ま、あたしは簡単にさようならなんて無理だと思っていたわ」
歓迎の雰囲気かと思いきや、サキは口を尖らせた。
「僕は一応ジェフリーさんの友人ですし。でも、ミティアさんを中心にみんなで頑張っているのは、すぐにわかりました」
サキははにかんで続ける。
「成り行きだった点もあると思いますが、僕にはこの関係がいくらほしくても簡単には手に入らないものだと思います」
今まで会話に入らなかったローズが、急に頬を赤らめる。
「羨ましいものデス」
少し込んだ事情はあるが、ミティアを中心に皆が奮起している。
「皆さんは会ってから一週間ほどと聞きましたデス。それでこんなに団結なんてできますかネ……」
ローズが指摘したのは、時間だった。一週間、サキはまだ数日だと言っていた。こんなに強い絆で結ばれようとは、誰が想像しただろう。
それまでの日常ではないこの大きな渦に身を投じて、何かを得ようともがく。
「俺は、ミティアが普通の女の子として生きられる道を探したい」
「そうですね、言いたいことジェフに言われっぱなしですが」
この兄弟は、この旅路で大きく成長したのをお互いに実感していた。だからこそ、言うのが少し照れくさい。
意外と面と向かっては言いづらいものだ。
「そのためにはこれからの動き方も考えないといけないな」
ジェフリーが座って菓子袋を摘んでいる。気を遣ったわけではないが、心の内を話すのに疲れてしまったようだ。
「あんた、よく喋るようになったわね」
キッドに指摘をされるも、ジェフリーはそっぽを向いた。いつもとは逆の立場だ。
そんな微笑ましいやり取りを見ながら、竜次は地図を広げた。
「明日、マナカが大図書館を開けてくれるそうです。その次はどちらに向かいましょうか?」
先の目的はない。沙蘭で何も得られなかったら、また別の大図書館がある都市を目指すか、別の目的を模索しないといけない。いったん、目的地は落ち着いたが、先を考えてもいてもいいかもしれない。
ジェフリーはローズがどこかへ行きたがっていたのを思い出した。
「博士、行きたい場所があっただろ。幻獣の森だっけ?」
出会った当初、ローズは森を越えた沙蘭の向こうにある幻獣の森に用があると言っていた。
「その森の幻獣サンと知り合いデス。空を飛ぶための知恵をお借りしたく、立ち寄りを考えていましたデス。もしかしたらあの黒い龍の倒し方もご存じかも……?」
キッドがぴくりと反応する。黒い龍と戦ったのだから、気になって当然だ。
「やっぱりあの黒い龍、完全には倒せなかったのね。また湧いて出る感じかしら」
ため息にも思えるほど、落胆した息をついている。正直、『あんなもの』を何度も相手にしたくはない。
ジェフリーも、この話にはもどかしい気分だ。何か手を打ちたいところではある。
竜次が首を傾げていた。当然その森を知っている。
「幻獣の森にはウサギのお化けが出るので、近寄るなと周りから言われていました。沙蘭の皆さんも深くまでは入ったりしません。幻獣とはそのウサギのお化けでしょうか?」
ローズが深く頷いて詳しく話した。
「そうなりますネ。正しくはティアマラントという幻獣デス。太古の昔、種族を越えて人間の友人が契約し、この現世に留めたと本人から聞きましたヨ」
ローズの話にサキが食らいついた。血走ってしまいそうなほど目を見開き、やけにうれしそうだ。
「幻獣ティアマラント!! 本で読んだことがあります!!」
サキは皆に向かって訴えた。
「この世界の知識だけに限らない、幅広い知識を持っています。そんな賢人にお会いできるなら、僕からお願いしたいです!」
手を合わせて悲願している。サキも賢いとは思うが、それを凌ぐなど想像がつかない。
「まぁ、何か情報が得られるなら行ってみてもいいかもしれないな」
サキのお願いとは別の意味で、ジェフリーが賛成した。自分たちだけで得られる情報にはどうしても限界がある。
「まずは明日、大図書館には俺も同行する。何か情報を見つけないと」
「そうですね、ここでも何かが見つかるといいのですが……」
サキはともかく、ジェフリーもやる気があるようだ。
「あの、さぁ……」
キッドが泣いているミティアを慰めつつ、兄弟に話しかける。
「その大図書館に行ってる間だけでもいいから、街のことを手伝ってもいいかしら?」
竜次が思わぬ申し出に驚いている。
「そ、そんなっ! 黒い龍もそうでしたが、申し訳ないですよ。旅の疲れもあるでしょうし、ゆっくり休んでくださいな」
少し困った様子だ。これ以上沙蘭に気を遣ってもらうのは申し訳ない。
「わたしも……わたしもいいですか?」
ミティアが目尻を擦り、顔を上げる。
「ジェフリーさんに、沙蘭はいいところだって聞きました。さっきのお菓子もそうですが、お姉さんたちもとっても優しくて、あたたかい街だとこれだけでわかりました。わたしはほとんど見ているだけだった。だから、せめて自分ができることはお手伝いさせてください!」
必死さが伝わった。ミティアは深く頭を下げ、お願いしますと加えた。拭いきれなかった涙が畳に落ちる。
「ミティアさんまで……」
竜次は困っていた。正姫の代理で返事をしていいものか。
「お礼し切れません……」
もちろんうれしいのだが、首を横に振った。
「じゃあ、お風呂いただきたいです。それで……ね、ミティア?」
ミティアがニッコリしてキッドと頷いた。
森で野営までしている。お風呂くらいの贅沢は望んでもいいだろう。
「あぁのぉ……」
発言権を求めるように、ローズが挙手をしている。この仕草は何度見ても面白い。
「電気系統とか、あとは怪我人の手当てとかも、少し手伝えるはずデス。ワタシも手伝わせてほしいデス」
今まで何事にも消極的だったローズが、積極的に手伝いを申し出ている。彼女も行動を共にした数日で何か影響されたのだろうか。
「私がこんなになってなかったら……」
竜次は左手を三角巾でつった状態だ。ため息も出る。
「わたし、先生の分までお手伝いします」
ミティアが竜次の右手を握った。両手でしかも顔まで覗かせて。
うれしいが直視できない。気持ちは十分過ぎるほどに伝わる。
ただでさえ美人で可愛い。純粋すぎて眩しい。存在が眩しすぎる。そこにいてくれるだけでも気持ちが明るくなるのに、こんなにミティアは一生懸命だ。竜次は彼女と目が合って、視線を逸らした。その先がジェフリーだが、彼もまた気まずそうに顔ごと逸らした。
ジェフリーは応援しているとは言っていたが、本当にこのままのつもりなのだろうか?
一方ジェフリーは、さまざまなものを切り出すタイミングを見計らっていた。特にローズには聞きたいことが山ほどある。両親の話。ミティアがあの魔女のようになってしまうかもしれない話。それ以外にも何か情報を握っているのではないかと疑った。
ミティアがどうにかなってしまうとなると、途端に胸が苦しくなった。胸の奥で刺すような痛みがする。この痛みは何だろうかとジェフリーは思い耽った。
ミティアを世界の生贄と呼ばれていた。世界の生贄……嫌な響きだ。彼女がいつか笑えなくなる日が来るのだろうか。そこにある陽だまりのような暖かい存在。それがいつか、消えてしまうのだろうか。想像したら正気ではいられない。
ミティアは本当に普通の女の子になれるのだろうか。
ジェフリーはかぶりを振った。先を見据えるのはいいが、ここまで考えると妙な想像力が掻き立てられてしまう。それでも今はもっと一緒にいたい。都合のいいわがままだ。
赤の他人だった人の幸せを、こんなにも願ったことはない。
ジェフリーは燻っている気持ちを、抑え込もうとしていた。
畳に雑魚寝だったが、野営よりは休むことができた。
本来なら男女が入混ざって雑魚寝もどうかと思うが、そろそろ慣れているのも感じていた。まったく抵抗がないわけではないが、少しでも休みたい気持ちが勝る。
久しぶりに警戒しないで休めた……はずだった。
ぼんやりと見覚えのある街だ。石畳が美しい。すぐに夢だとわかった。
フィラノスの噴水広場から少し繁華街に出たところ。
「ねぇ、ジェフ君、課題やった?」
背後から忘れもしない女の子が話しかけてきた。年は四つも上の女の子。ブロンドの髪を耳の下で切り揃え、鼻も高く、整った顔立ちで気品に溢れる美しい子だ。
沙蘭を離れて魔法学校に通いながら、彼女と暮らしていた。婚約者になってほしいと言われた。彼女と、彼女の家族に気に入られて。
好きだとか愛だとか、そんなのは子どもだからわからなかった。十二歳で何がわかるというのだ。
大人たちの都合と両親のコネもあって、魔法学校に通えた。
上達などしない。何もしなくても、成績が悪くても、彼女の親の権力で難なく進級できた。すべてが適当だ。
そう、適当。いい加減に過ごしていた。
最初はつまらなかったが、彼女の世話焼きは何も不自由しなかった。
フィラノスで名の通った令嬢。もしかしたら、周りからはいい腰巾着に思われていたかもしれない。
「課題? そんなのやらなくても、大丈夫だからやらない」
口癖のようだった。いい加減で、ただ楽をしているだけ。
「賢くになってもらわないと、お父様に叱られてしまいます」
「知らねぇよ、そんなの大人の都合だろ?」
「合唱会が終わったらきっちりやっていただきますからね」
「合唱会?」
「これからじゃない。もうお忘れなの?」
「面倒だなぁ。早く帰って昼寝でもしたい」
「だーめ、早く帰ったら課題があるの。そのあとは習いごとがあるでしょう」
お説教のような小言。揺れるショートカットにフィラノスの制服姿。お姉さんにも近かったかもしれない。甘えたら甘えただけ愛情が返ってきた。
そんな日常を奪ったのは、魔導士狩りだった。
フィラノスの綺麗な街並みは戦火になった。
人より強大な力を持った者を求める。邪魔をする者は殺す。
そう言われた。通りかかった黒装束の女の人に。
強大な力を持つ者は、いずれ人々の脅威になる。そんな宗教じみたことを耳にしたかもしれない。
学校から帰る途中だった。殺されていく人々を見ながら怯えていた。
「ジェフ君、逃げよう!」
手を引かれた。だが、子どもが逃げられるはずがなかった。
そして彼女は暴漢に捕まった。混乱に託けて、狂った人間も現れたのだ。
人は追い込まれたら、とんでもない行動をするのもこの時知った。
その代償は彼女だった。
犯されながら泣き叫ぶ彼女を目の前にして、足が竦んだ。
「逃げ…………て!」
首に手を掛けられながら、彼女はジェフリーに向かって叫んだ。
たくさんの涙を流しながら。
何も出来なかった。
助けようとしなかった。
「ジェフ……く…………」
服を乱されても、名前を呼びながら抵抗をしていた。
怖い。殺される。次は自分がそうなるかもしれない。
逃げた。自分は逃げたのだ。
立ち向かう勇気がなかった。いい加減で、適当な自分が何もできるはずがないと諦めていた。
自分も怪我をした。その時の記憶は曖昧で、正確には覚えていない。
ジェフリーは逃げたが命だけは助かった。
助かった。自分だけ助かってしまった。思い返すと虫唾が走る。
人間の汚い部分を知った。
自分だけが助かる道を選んだ。
逃げた罪。見捨てた罪。一斉に闇が押し寄せる。
どうして、逃げたのか?
また、逃げるのだろうか?
忘れたかった。この理不尽を。
今度は何を見捨ててしまうのか。
今度? 今度は……何を?
落ちるような感覚と暗闇に恐怖した。自分が犯した罪の分、落ちている気がした。息が苦しい。責められているような耳鳴りがする。
「ジェフリーさん!」
体を揺すられ、慌てて目を開けた。現実だ。この恐怖は夢だった。
目の前でミティアが心配し、顔を覗き込んでいる。ジェフリーは自分の姿を捉えた目は潤んでいたのに気がついた。
「気がついてよかった。大丈夫ですか?」
ミティアがハンカチを差し出した。だが、ジェフリーはこれを拒否した。体を起こすと、両目から涙が零れ落ちた。
「あ、あの……」
「すまない。大丈夫だから……」
ジェフリーは目を覆った。体が熱く、息も苦しい。悪夢を見たせいで、うなされたのだろう。変なことを口走ったかもしれない。
ミティアは悲しげな表情をしながら肩を落とした。
部屋の扉が開いた。髪が整っていない竜次が立っていた。
「ジェフ、大丈夫ですか?」
手には濡れたタオルを持っている。わざわざ調達してくれたようだ。
ジェフリーが振り返ると、皆は熟睡していた。どうやら真夜中のようだ。久しぶりに襲撃の警戒をしなくていいのだ。少し騒いだ程度では起きない。
「ジェフはうなされていて、ミティアさんが知らせてくれたのです」
竜次は濡れタオルを差し出した。ジェフリーは受け取って顔を埋める。冷たくて気持ちいい。それだけではなく、冷静さを引き戻してくれるようだった。
心配のあまり、ミティアが涙声で声をかける。
「ジェフリーさん、何か怖い夢でも見たのですか?」
ジェフリーは無言だった。怖いどころではない。辛くて苦しかった夢だ。
「顔色が悪いですよ」
竜次も心配していた。たかがうなされた程度で、この心配されようだ。二人ともじっと見るものだから、ジェフリーはこの場にいたたまれなくなった。
「二人ともすまない。大丈夫だ。でも、ちょっと一人になりたい……」
ジェフリーは返事を待たずに靴に足を通すと、部屋から出て行った。
寂しい背中を見送ったミティアは、物悲しげに俯いた。
竜次はミティアに声をかけた。
「ミティアさんはジェフを助けたいですか?」
竜次は整わない髪を気にしながら腰を下ろした。ミティアを見ると、泣いてはいなかった。俯き、悲しんでいた彼女ではない。強い意志を秘めた目をしていた。
ミティアはそこにいる人を和ませ、不穏な空気を打ち払ってくれる陽だまりのような存在だ。だが時折、何よりも誰よりも力強く見える顔を持っている。
「やれやれ、質問した私が馬鹿でしたね」
竜次はため息をついた。弟のジェフリーを心配し、わざわざ自分を起こして異常を知らせた。いや、もっと前からミティアはジェフリーを慕っている。そんな彼女にわかりきった質問をするのは愚かだ。
「私は怪我や病気なら治せるかもしれませんが、心の傷は治せないみたいです」
ミティアは察しがついたらしく身構えた。
「今は大丈夫ですが、このままではいつかジェフは壊れてしまいます」
「壊れる……?」
心が壊れてしまうとでも言いたいのだろうか。竜次の言葉にミティアは息を飲んだ。
「ジェフの心の支えはミティアさんです。口では言わないですが、信頼を寄せています。だからこそ、弱みを見せないようにしているのかも……」
ミティアは胸の前で手を組み、心を痛めていた。
竜次はジェフリーの心配はしていたが、実はこんなことを頼みたくなかった。自分の足で立ちたい、大丈夫だとジェフリー自身は言っていた。だが、最近は影を落とす機会が増えた。どうも気になる。
「わたし、何度もジェフリーさんに助けてもらいました。だから、わたしにできるなら助けたい。何をしたらいいですか?」
「ミティアさんが歩み寄って話せば、心を開いてくれる、かも……」
「お話? わたし、ジェフリーさんとちゃんと話したことない気が……」
フィラノスで稽古をつけてもらったことはある。だが、その時はサキも一緒だった。込み入った話は実はしたことがない。
何が好きだとか、どんな特技があるのかとか、実はジェフリー自身の情報は少ない。なかなか二人きりになるのは難しいかもしれない。
ミティア自身も興味はあった。機会には恵まれなかったからだ。このお願いを受けることにした。
竜次は少し嫉妬をした。ミティアの顔からは力強さが消え、誰かを思う優しさに満ちている。それが自分には絶対に向くことはないと、この時悟った。
喉はカラカラだった。ひどい顔をしていたに違いない。
ジェフリーは個室を出て、通路を適当に歩いた。避難していた街の人たちも休んでいるのか、静かで部屋に明かりも少ない。冷たい空気が身に沁みる。それでも瞼の裏に悪夢はちらついた。この状況をどうにかしたい。
何でもいい、気が紛れるなら……。
「あっれぇ、兄貴様?」
通路の奥から光介が顔を覗かせた。
「あれ、お前……」
マナカだったら、戻ることを考えた。詮索しない彼が話し相手なら、気が紛れそうだとジェフリーは思った。
「どうしたんスか? まさか、幽霊でも見たとか?」
そんなにひどい顔をしているようだ。ジェフリーは一応隠そうと冷静を装った。
「いや、ちょっと目が覚めたから、気晴らしがしたくなっただけだ」
聞いた光介は、大間よりさらに奥を指さした。
「奥、行きます? 見張りの交代して来たんで、俺っちは一休みするとこっスよ」
「悪くないな……」
ジェフリーが返事をすると、光介は小さい水筒を差し出した。
「よかったらどうぞ。俺にはアチアチなんで飲めねぇっス」
ジェフリーは受け取って蓋を開けた。もわんと白い湯気が出た。湯気を払うと中には緑茶が入っていた。沙蘭のお茶だ。爽やかでいい香りがする。
「兄貴様ご案内っと」
光介はこの性格だが、根はしっかりしているのだと察した。気遣いはできるし、思いやりもある。
ジェフリーは案内されながらお茶を口に含んだ。乾いた喉を潤して、いい香りが鼻に抜けた。これはおいしい。舌先が痺れる熱さだが今は助かる。
「俺っちはぬるいのでじっくり蒸らした、甘い方が好きっスよ。それはマナカ姉がくれたので文句言えねぇっスがね……」
マナカとも血のつながりはない。光介はこの性格に相当助けられているはずだ。
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「あぁ、上は井戸っスよ。ここ空気が抜けるんで」
説明からすると、通気口の一つのようだ。だから熱いお茶をよこしたのだろう。
光介はあぐらをかいて座り、品のないやんちゃな笑みを浮かべている。
「兄貴様と話せるとかラッキーっス」
「あっちの兄貴の間違いだろ」
ジェフリーはお茶を持ったまま隣に座った。あっちの兄貴とは竜次を指す。
「いやぁ、俺っちがここに来てすぐ、兄貴様がいなくなっちゃったじゃないっスか。俺っちは兄貴様のことも、知りたいっスよ?」
いい気なものだ。まず、抵抗がないのはジェフリーも驚く。かしこまらず、オープンで壁がないのは話しやすい。
「はじめて会ったのは、ほぼ赤ん坊だったよなお前……」
「何だかんだ、上の兄貴様とはご成人までは一緒でしたからね」
光介がにんまりと笑った。ジェフリーは昔話に華が咲いて上機嫌だった。上機嫌なのに、光介は左の耳を気にしている。そういえばクリップのようなものが見当たらない。
「どうした?」
「あ、いえ。補聴器を見張り場所に置いてきちゃったかなと。兄貴様と話せるならちゃんと持っておけばよかったっス」
「補聴器……?」
ジェフリーには聞きなれないものだった。耳にしていたクリップを指すのだろうか。
「俺っち、小さいころから左の耳が難聴で聞き取りがちょっと不便なんっスよ」
「なるほどな。気づいてやれなくてすまなかった」
「いやいやそんな、とんでもないっス」
ジェフリーは配慮が足りなかったと詫びた。先ほど言ったように、光介が赤子も同然のころに、ジェフリーは故郷を離れた。ハンディを背負って生きているとは知らなかった。それでも明るい性格であること、仕事をしているとは見上げたものだ。
「こんな俺っちをここに引っ張って来たのは、父さんなんスよね」
昔話のはずが、ジェフリーの表情が曇った。
「それって……親父か?」
「そそ。ケーシス父さん」
「それは知らなかった。てっきりおばさんを通して引き取ったのかと思った。親父に会ったことあるのか?」
「いや、デカくなってからはないっス。俺っちもマナカ姉も書類だけの関係かもしれないっスがね」
ジェフリーはまだ子どもだった。ただ、家族が増えたということだけしか、理解していなかった。養子の意味など、わからなくて当然だ。
「いやぁ、ちゃんとしてますよーって言ってやりたいっスけどね」
マナカ同様、光介もケーシスに恩を感じているようだ。
「便りがないのはいい知らせってことは、母さんよくなったんスかね?」
光介が漏らした他愛のない言葉に、ジェフリーのお茶を飲む手が止まった。
「ん? おふくろ、何かあったのか?」
光介は気まずそうに口を覆った。ジェフリーはその『うっかり』を逃さない。
「教えてくれ!」
ジェフリーが迫るも、光介は首を横に振った。
「俺は知らないんだ、おふくろに何があったんだ? 知る権利は俺にもあるはずだ」
やり方がまずいかもしれないが、ジェフリーも必死だ。胸倉をつかんでしまった。光介が観念したように首を垂れ、小声になった。
「これ、みんなで秘密にしていたんス。絶対……兄貴や姉貴を責めないなら話しやす!
約束してくださいっス!」
約束まで求められた。自分が知らない家族の事情を握っている。ジェフリーはやりすぎだと思い、解放して首元を直した。
「ごめん、悪かった」
光介が周辺を気にしながら話し出す。誰かに聞かれて困るようなことなのだろうか。
「言うなと口止めされていたっス。兄貴様が産まれた時、母さんはしばらく昏睡状態だったらしいです。具合を悪くされ、治療のためにやむなく離れて暮らすとなったそうですが具体的な場所も言わず……」
光介はジェフリーの顔色をうかがっていた。
ジェフリーは黙ったまま考え込んでいた。知らなかった。両親が行方不明の理由がまさか、自分にあったなど、想像もしなかった。ずっと行方不明だと思っていた。周りからそう思わされていたことになる。
「俺のせいで……俺が生まれたせいで、おふくろが?」
今まで秘密にしていた周りの人や兄弟より、自分自身に苛立った。
「兄貴のせいじゃないっス。絶対に自分責めたりしちゃいけない!」
責められずにはいられなかった。知らなかった罪だ。そこまで言っていい。
光介は口止めをされていたと言っていた。ならば、竜次は知っていて長年黙っていたことになる。だが、竜次を責める権利はない。なぜなら悪いのは自分だからだ。ジェフリーは自身を責めずにはいられなかった。
「俺、孤児院に入れなくて、次に行き着くのはよくない場所だったらしいです。マナカ姉に聞きました。マナカ姉もそうだったらしいっス……」
「よくない場所って……奴隷にでもなるのか?」
話題が逸れた。だが、光介なりの話に今は身を任せた。感情的になるのはあとにしようと思ったからだ。ジェフリーは雑念を押し潰した。
光介は物悲しくも笑っていた。
「もっとヤバイ場所らしいです。兄貴様は闇の世界を知らないんスね……」
光介やマナカがここに来たのは、運がよかったからだと言いたいようだ。父親のケーシスに救われたと思って、今を尽くしているのだろう。聞こうか迷ったが、一応話を聞こう。ジェフリーは空気が軽くなるように冗談を交えながら質問をした。
「闇の世界って何だよ。はやりの異世界か?」
「だとよかったスね」
光介は儚く笑い口角を上げた。
「兄貴様は犬や猫などの動物が保護され、誰も引き取り手がいなかったらどうなるか知ってるっスか?」
光介の言葉を聞き、ジェフリーはぞわりと鳥肌が立った。そんなまさかと思った。
「ただ何もわからないまま死ねるなら、まだいいと思います。どうでもいい命なんて、最高の実験材料じゃないっスかね」
「そんなのが実在するなら、間違っていると思う」
ジェフリーははっきりと言い切った。だが、ここで終わらなかった。光介は続けた。
「世の中にはどうしようもない病気を持った人がいるのを兄貴は知ってるっスか。その治療薬は、動物で治験をしていても世の中に出回るころには手遅れになるなんての、あるのも知っていますよね?」
光介は淡々と話していた。己の運命を受け入れるように。
「正直、自分がそうならなくてよかったと汚い人間だって思ってます。だから、父さんには感謝しかないっス」
光介の話はわかった。だが、嫌な話だった。この複雑怪奇なつながりは何だろうか。仕組まれたのだろうか。ジェフリーの雑念がぶり返した。自分が産まれたせいで具合を悪くした母親、光介とマナカを家に招き入れた父親。光介とマナカが行くはずだった闇の世界。すべてにつながりがあるとしたら、気持ちが悪かった。父親は治療をしたくて、その世界に足を踏み入れたのだと想像がついた。そうでなかったら、光介とマナカはここにはいない。
今ごろは沙蘭も壊滅していたかもしれない。
考えたら気持ちが悪いのを通り越して、怖くもなった。
いったん忘れよう。頭の片隅に置く程度にしよう。自分のせいであったことも。
きっとこれは、自分が都合のいいように解釈をして、逃げているのだ。
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