トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2】疑惑

一握の時間

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 夜が明けた。マナカによると森を抜けるまであと少しだ。まだ夜明けだというのによく光が射し、眩しく感じる。今まで鬱蒼と茂っていたのに、視界は明瞭だ。
 予定より時間がかかったが、木々の生い茂りが浅くなった。
 遅れを取り戻すように、早めに足を進めている。
「竜兄さん、もう少しで沙蘭です」
「夜が明けてしまいましたね。申し訳ないです」
「いえ、オオカミの群れに遭遇すると思いませんでしたね」
 道のりは大したことなかった。道のり『だけ』は。
 マナカが律義にもバネ草の多い道を切り開いてくれた跡があり、進むのは楽だった。
 茂りの浅いところでオオカミの群れに襲われるとは思わなかったが、マナカと二人なら、難なくは突破が可能だった。彼女だって沙蘭の闘士なのだから。
 なぜ怪我もしていないのに群れに襲われたのか、このときはまだわからなかった。
 血の臭いでもまとっていたのなら、襲われる理由にでもなるだろうが。

 やっと森を抜け、整備が行き届いた街道に入った。足を止め、二人は立ち尽くす。
「マナカ、これは……」
「きちんと整備がされていたはずです」
街道の木々が、なぎ倒されている。マナカが眉をひそめた。感じた異変はこれだけではない。
「この鼻を突く異臭は……」
「これは血……ですね……」
 乾いた風に混じって血の臭いがする。竜次は仕事柄、血に慣れていたので反応が淡々としていた。砂でも舞ったのか、やけに埃っぽい空気だ。よく慣らされた地面に、まだ新しい痕跡。
 嫌な予感がし、マナカが拳を握った。
「まさか、他国に攻め込まれて……」
 今にも走り出そうとするマナカを、竜次が手をつかみ、引き止めた。
「だとしたら、伏兵がいるかもしれません。慎重になさい」
「……はい」
 焦る気持ちは竜次も一緒だった。夜通しで走り抜け、オオカミの群れを斬り伏せている。疲弊した状態で奇襲を受ければ分が悪い。ここで冷静を欠き、判断を誤れば死がちらつく。
 二人はできるだけ大きな足音を立てないよう、警戒しながら街道を進んだ。
 なぎ倒された木々の先に石の柱がある。この先が沙蘭であることを示す石碑だ。大きな亀裂が走っていた。
「門番が……いない……?」
 マナカが門を通って街中に踏み入れた。そこで目にした光景に声を震わせる。
「あ……ぁ…………」
 街の外壁は血が飛び散り、激しく走っている。数えられるものではなかった。
「い、一体、何が……」
 マナカは取り乱し、過呼吸になった。腕を抱え、震えている。竜次は人差し指を立てて言う。
「しっ、声を立ててはいけません」
「だ、誰がこんなことを!?」
「これは、人のすることではない……」
 意外にも竜次は冷静だった。
 歯をカチカチと鳴らし、震えるマナカを背に、竜次は一番大きな血だまりを指で触って擦った。
「冷たい……淵も変色している。時間が経っている」
 悲惨な状況に感情的になれない。耳を澄ませるも、何も聞こえない。静寂という言葉以外、思い浮かんではこなかった。探索をする竜次に、マナカは疑問を投げかける。
「竜兄さん? な、何で、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか」
「言い方は悪いですが、血だけしかないからです。知っている人の遺体でもあれば、こうはいかない……」
 竜次が答えてから足を進めた。
「竜兄さん、ど、どこへ行くのですか?」
「血がこっちに続いています」
 竜次は先立って走り出した。嫌な予感がした。だが、直接見て確認したわけではない。人がやったなら、何も残らないことはないはず。遺体を引きずった跡があってもおかしくない。だが、血だけしか残らないなんて不可解だ。
「マナカ、姫子はどこです? 城ですか?」
「ひ、姫姉様は城で仕事をしません。いるとしたら……」
 マナカが言いかかたところで、前方で大きな音がした。
 竜次が手を引き、建物の影に隠れた。遅れて来た風で街路樹がざわめく。音のした方角を警戒する。
「こ、今度は何が……」
 少し強引だが、竜次はマナカの口を塞いだ。騒がれては、見つめる先に黒く大きな影。
 まだ遠いが、見覚えがある。
「まさかと思っていましたが、やはりそうですか……」
 マーチンで遭遇した人食いの黒い龍だ。
 マナカが震える手で竜次の手を握った。
「あ、あ……あそこは、姫姉様が普段、政務をされる東殿……!」
 それを聞いて、竜次は歯軋りをした。拳はすでに震えている。
「マナカ、あなたも沙蘭の闘士なら取り乱してはいけないはずです!!」
 言ってから踵を返した。駆ける足が血だまりを跳ねる。
 
 森の中で迎える朝は最悪だった。
 ランタンに入れたローズ特製の獣除けが、刺激臭を放っていた。
 予定より早い目覚めになったのだが、咳きやくしゃみがひどい。
 皆の眠気はどこかへ消えている。
「せっかくだし、支度をして進もう」
 ジェフリーが声をかけるも、皆の士気は低い。
「ランタンは消すぞ。博士特製の獣除けは要改良だな」
 袋に入れて荷物にしまった。服にも染みていそうだ。
「これがメディカルハーブマイスターですか……」
 直接ライセンスを見たサキが、恨めしそうにローズを見ていた。魔法ではないが、改良すれば便利になるかもしれない。
「今日は大した距離じゃないから、昼前には到着すると思うけどな」 
 先頭のジェフリーが地図を取り出す。
「ミティアは俺のうしろを歩け」
「そっか。先生いないもんね……」
 ここで陣形の直しを試みる。
 ミティアが前に出るのを把握して、白衣を脱ぎ始めた。もしも何かあったら、動けるようにしておきたいからだ。
「キッドはうしろを任せていいか?」
 睨むわけでも頷くわけでもなく、キッドがうしろに下がった。正直なところ、彼女は一人でも強い。この森に入ってから、感覚の鋭さに驚かされた。
「しかし、金を積んでもこの森を越えるために凄腕を雇う依頼をするのがわかる気がする」
 ジェフリーが足を進ませながらぼやいた。言ったところで、結局は困難を乗り越えてここまで来たのは違いない。身体的にも精神的にも、こんなに試されるとは思ってもいなかったが。
「ですが、ギルドの人はあまり信用できないですよね。僕たちだけで何とかなったなら、それはそれでよかったと思います」
 サキはやはり、ギルドにはあまりいいイメージがないようだ。彼の場合は、フィラノスで負の名前を泳がされていたせいもあるかもしれない。
「確かに報酬の持ち逃げとか、たまにいますヨ」
 話の流れが物騒になった。確かに外の世界には悪い人もいると、竜次に口酸っぱく言われた気がする。
 途中の小さい川を越えて進んでいくと、バネ草を切り崩した跡もあって、進む道が分かりやすかった。
「ねえ、この先ってもう街なの?」
 茂りが少なくなってきて、うしろを歩くキッドが先頭のジェフリーに質問を投げた。
「街に出られる街道がある。その先の門をくぐれば……」
 途中で途絶えた。同時に足も止めた。
「うっ……な、何これ!?」
 ミティアが声に出して身構える。
 オオカミの死骸が二十、いや三十近いか。刃物で切り崩した跡だ。地面には大きさの違う足跡が二種類。これは、先に行った竜次とマナカのものだと推測する。
「ここにいないなら、無事だろうけど」
 ジェフリーが少し前を歩いて周囲に警戒した。
「この数は異常ですよ? よく抜けられましたね」
「そうね。でも先生なら大丈夫よ。通過してから時間が経っているみたいだし」
 サキとキッドも惨状に驚きを隠せないようだ。
「は、早く抜けたいデス。気分が……」
 ローズの言う通り、この場での長居は気分が悪い。これが世界で多発している、野生動物の狂暴化のせいなのだろうか。周囲を警戒するも、特にこれといった動物は見受けられない。ここで足を止めて追撃される前に抜けてしまうなら今が好機だ。
「今なら何も遭遇しないでここを抜けられそうだな。行こう」
 静かすぎるのが気がかりだったが、一同は森を抜けた。
 整備され、よく慣らされた道だ。だが、ここもおかしい。街道に出たのだ。平和に小鳥や小動物くらいいてもおかしくないが。
 少し進んで木々の一部が薙ぎ倒されているのを見つけ、足を止めた。
 同時に鉄のような強い臭いが鼻を刺激した。
「これって血の臭い……?」
 キッドが警戒を強めた。矢筒から矢を引いて持っている。
「せっかく森を抜けられたのデス。もう、沙蘭のフッカフカのお布団でお休みしたいデスヨ……」
 ローズが震えながら疲労を訴えた。できたら、今すぐにでもそうしたい。
「この先はもう沙蘭のはずだ。二人が先に行っているんだし、大丈夫だろ」
 ジェフリーが苦笑いをしながら足を歩めた。
「あの木、雷でも落ちたのでしょうか」
 サキが倒木を眺めて疑問を口にした。臭いに気を取られてしまって、こちらは流れてしまったが、重要ではないのだろうかと首を傾げた。
 だが、どちらもこれからの出来事の前には霞んでいた。
 
 沙蘭に到着した。
 そう、到着はした。
 崩れた街並み、壁も、独特の草木も、池も、小さな橋も
 血だまりが、血しぶきが散った跡が、そこらじゅうにある。石畳を広がっている。
 惨状だ。皆は言葉を失った。あまりの状況に、言わずとも足が止まった、
 何も音がしない、静かすぎて気味が悪かった。
 金縛りにあったように動けない。臭いのせいで気分が悪くなった。
「ねぇ、どうするの?」
 キッドの声でジェフリーが我に返った。彼女だけは現実を見据えている。険しい表情だ。
「俺に期待されても困る……」
 逃げるように吐いた。兄とは……竜次とは違うと言わんばかりに。
 ミティアとサキの怯えた視線が刺さる。キッドがさらに睨みつけた。
「先生たちも、あたしたちも……見捨てるの? 逃げるの?」
 森の中で言われた言葉だ。
 逃げると言われて、過去を思い出す。かぶりを振って恐怖を押し殺す。
「いや、探そう……できるだけ注意しながら。キッドはサキと組んでくれ。博士は好きについてくれていい。絶対に一人になるなよ」
 逃げてはいけない。ジェフリーは強めに言ってミティアの手を取った。
 キッドはサキに言葉をかける。
「何か気がついたら言いなさいよ?」
「……はい」
 ローズが小走りになって、ミティアとジェフリーについた。どちらにしろ、彼女は戦力として考えないほうがいい。いいアドバイスはもらえるが、その程度だ。
「あの、ジェフリーさん……?」
 ミティアが声を震わせている。
「先生は……先生は大丈夫ですよね……?」
「それを確かめるために探すんだ!」
 返しが強くなってしまい、ミティアが怯えを増した。
「嫌ならキッドたちについてもいい……」
 ミティアが小さく首を横に振った。
「ジェフリーさんが無茶をする気がします。わたしは命を粗末にしてほしくないです」
 意外な指摘をされた。彼女はわかって言っているのだろうか?
「ジェフ君、これだけの血があってご遺体が見つかりませんデス……おそらく……」
 ローズが言いたいことは、大体の想像がついた。
「念のため聞いておくが、博士は倒し方を知っているのか?」
 ローズは即首を横に振った。これは嘘の反応ではない。
「あれは、人の憎悪の塊デス。この世界で絶対に消えない存在」
 きゅっと赤いルージュが窄んだ。
「ねぇ、この街、詳しくないの?」
 キッドがジェフリーに質問をした。だが、いい返事はできない。
「俺は六つでここを離れた。それから変わっている」
「そう。なら、あのお城に続く道は?」
「確か、こっちだ」
 ジェフリーが一番大きな通りに続く道を指さした。
「キッドさん、これ……」
 サキがキッドの手を引いた。
「血の進み方に法則性がある気がするんですが……」
 言われて皆で地面に目を落とす。
「こっち……?」
 ミティアが指で方向を示した。その先は道が二つに分かれている。
「お城にはあんたのお姉さんがいるんじゃないの?」
「それはわからない……」
 答えられなかった。本当に知らないからだ。
「どうするの?」
 キッドが判断を煽った。
「俺たちはこの血の跡を追う。キッドたちは念のため城を見てもらえるか?」
「ひっ、これ、追うデス……?」
 ジェフリーの提案に、ローズが震えはじめた。理由は追うだけではなく、別行動の意も込められている。
「いいけど……そっちの方が危険なルートじゃない?」
 キッドが一応確認を取る。サキがミティアに寄った。
「でしたら、こちらを念のため」
 ミティアに向かって、フェアリーライトを放った。一応見えるが、明るいためこの魔法の意図が分からない。
「それ、暗いところで役に立つ魔法じゃないのか?」
 ジェフリーが疑問を投げかけると、サキは物悲しげに返した。
「こちらに何かあったら、その魔法を消します」
「褒められた使い方じゃないな」
「判断はお任せします。僕たちを信用してくださるのでしたら」
 上目遣いにジェフリーを見ている。
 その目線を気にしながら、落ち着かせるように息をついた。
「信用してるさ。絶対に無理するな」
 サキが大きく頷いた。森を越えて来たのだから、無理をするにしても限界はあると踏んでいる。
「ざっと見たら合流するわ。わかっているとは思うけど、ミティアに何かあったら許さないから」
 キッドが城へ続く大きな橋に向けて走り出した。サキが小走りながらその後を追う。
 その背中を見て、血が滲む道に足を向ける。

 綺麗な石畳、大きな橋が見えた。
 こちらは荒らされた形跡がない。『信用してる』とジェフリーは言っていた。赤の他人ではあったがキッドも本当は信用してる。いつか本人に言ってやりたい。そんな顔をしながら街中を走り抜けた。
 少しうしろをサキが頑張って追いつこうと走っている。キッドは走る速度を落とした。
「別にいいのよ? 無理して追いつこうとしなくても」
 声をかけたが、サキは無言でいた。必死なのか、感覚を研ぎ澄ませているのか。あるいは警戒しているのかもしれない。
 大きな橋を駆け上がる。綺麗な橋だ。
 木製のトントンという足音が心地良い。
 下を小川が流れ、手入れの行き届いた木々が見える。寒い時期に差し掛かろうとしているのだから葉は少ない。だが、整った綺麗な景色だ。本当ならゆっくり見たい。景色を見る余裕は瞬時になくなった。
 キッドが足を止める。サキも彼女の背中にぶつかる形で止まった。
 橋の向こうに誰かいる。キッドには、見覚えがあった。
 幼い女の子だ。マーチンで人食いの黒い龍を撫でていた。
 細身で人間であるのかを疑いたくなる。
 以前は夜に見た。黒い瘴気を帯びながら冷たく笑っていた。顔は忘れない。白かと思ったが、ほのかに青を帯びた銀の髪。
 定かではないが、『何か』を探している様子だった。
「あれ? 生存者じゃ……」
 サキが前に出た。キッドがそのサキを押し退ける。
「えっ……?」
 キッドの行動に困惑している。
「あれは、生存者なんかじゃないわ!!」
 キッドの言葉にサキが焦りだした。
 今の行動とやりとりで、女の子はこちらに気づいた。
 振り返ってキッドとサキに向き合った。冷たい笑みと凍るような視線が恐怖を誘う。
「あぁ、こんにちは……」
 顔を割くような笑み。遭遇にうれしそうだ。
「こういう展開は、普通はもっと後で起きるんじゃないのかしら……」
 珍しくキッドの声が震える。今まで気丈だった彼女が息を乱しているのだ。
 サキがキッドの様子を見て、これは普通ではないと察した。
 女の子がキッドを見て豹変した。裂けてしまいそうな笑みを浮かべる
「お姉ちゃんはあのとき『世界の生贄』と一緒にいた人だよね? ふふふ……そうか、そうなんだぁ……?」
 黙ってこの空気に飲まれれば、本当に凍りつきそうだ。ここで動けなくなってはならない。緊張を持たねば。
「いるんでしょう? 未来のわたし……どこかなぁ?」
 キッドが弓と矢筒を外して橋の上に置いた。スカートのスリットを翻す。
「どうしても怖かったら、逃げてもいいわよ?」
 サキに向けてだった。だが、引く気はないようだ。
「僕がそんな真似すると思いますか?」
「誰に似たのよ、その根性……」
 キッドが女の子に向かって投てき用の短く小さい、剣を投げつける。その腕前はまるでダーツの的を射るようだ。抵抗なく胸と足に刺さった。瞬時に間合いを詰める。
「お姉ちゃん、いいことを教えてあげようか?」
 視線が合う。冷たい視線と熱い闘志の視線が。
「わたしが死んだら、次のわたしはあの人なんだよ?」
 振り上げた剣が止まった。
「えっ……!?」
 キッドの思考が停止した。女の子が右手をキッドにかざす。
「させない! サンダーニードルッ!!」
 サキが瞬時に魔法を放つ。弱いが、スピードを重視した結果、放たれた雷の針が女の子の右手を崩した。
 キッドの前を鮮血が飛んだが、女の子の手からは白い魔石が零れ落ちている。
 女の子がサキを睨んだ。左の手がサキに向かって振り上げられる。
「邪魔よ、消えて! カオスブレイド!!」
 サキの真横を黒い風が通り抜けた。この魔法は背後からだ。
 空気が歪む。空間に紫色の真空の刃。
 どんな魔法なのか、サキだって知っていた。
「くっ!!」
 咄嗟に障壁を構えたが、完全には防げなかった。木製の橋に大きな亀裂が走る。
 飛ばされてキッドに打ちつけられた。思わぬ巻き沿いを食った。
 二人は城の壁際まで飛ばされて止まった。物凄い風圧……だけで済んだようだ。
 きっと、彼のガードがうまかったせいだと思われる。
 だが、サキは気を失っていた。意識が落ちていると気がついたキッドは、慌てて彼の体を揺すった。
「ちょっとあんた、返事しなさいよ!!」
 怪我はしていないが、彼が打たれ弱そうなのはこの細くて軽い体で予想がつく。度重なる疲労で彼は弱り切っていた。もっと俊敏に動けたら、迷いがなかったら、この子は倒れなかったかもしれないと後悔する。
 追撃を警戒して先ほどの場所に目を戻す。血こそあったが姿はない。この血は女の子の血だ。二人のものではない。
 女の子の言葉を信じていいなら、きっとミティアを探している。
 キッドはサキの頬を軽く叩いた。目を覚まさせないと。
 いくら何でも、彼を置いて行くわけにはいかない。

「俺じゃ頼りないよな」
 ミティアに対しての言葉だった。言われた彼女はジェフリーの機嫌が悪いのかと、つないでいた手を離した。
「心強いですよ。でもジェフリーさん、先生が危ないかもしれないのに全然取り乱さないので、心配です」
 彼女なりの気遣いとフォローのつもりなのだろうが、言っている内容はどちらかというと頼りにはしていない。心配とまで来た。
 言い返すにも、現状を見ると吐いてはいけない言葉まで飛び出しそうだ。正直ジェフリーは気が立っていた。
 慎重に言葉を選んだ。彼女の不安を増幅させないために。
「沙蘭は綺麗でいい場所なんだ。街の人も明るく気さくな人が多い。俺はまだ、これが悪い夢だと思っている」
 向き合えない。本当は逃げたい気持ちでいっぱいだった。
 重い足を歩ませる。進んでも、死体がない。
 荒らされた街並み。血を引きずった跡もあった。
 地面には鉈や小太刀も見えた。役人は立派に立ち向かったのだろう。その持ち主も発見できなかった。
「ジェフリーさん、あの壁際……」
 ミティアが声を上げた。彼女の視線の先には、血を跳ねてついた足跡がある。
 ローズが腕を抱えながら寄って観察した。
「まだ新しい……」
 余裕がないのか、ローズの口調が崩れはじめた。
 足跡は数歩だが、向かっている方向は把握できた。疑ってはいたが、この様子で判断するにローズは敵ではない。先ほどの反応もそうだが、今だって奇襲を仕掛けるなら好機であろう。
 むしろ、協力してくれている。誰もが見てわかる非常事態に怖がりながら、ついて来ている。
 ほかに手掛かりがないか周辺を見ていると、ミティアが遠くの空を見上げて両腕を抱えているのに気がついた。
 その視線の先に、マーチンで見た人食いの黒い龍が見える。
 何をするわけでもない。見えるだけ。物音は聞こえない。
「あ……ぁ……」
 予想が当たれば、竜次とマナカはあそこにいる。
 ジェフリーがローズに叫んだ。
「博士! 兄貴たちはきっとあそこで戦っている!!」
 ローズがびくっと反応して頷いた。
「博士がどこまで知っているのかわからないが、最悪ミティアと逃げてくれ」
 ローズを信じての判断だった。直後にジェフリーが駆け出した。
「ジェフリーさんっ!!」
 ミティアが追おうとしたが、ローズがそれを遮った。
 抱きかかえられたが、ミティアは抵抗した。
「いやっ、放してっ!! 行かせて! ジェフリーさんが……」
 ローズは首を振った。
「残念ですが、あれは今の人間が倒せるものではないのデス!!」
 ミティアが目を見開いて脱力した。
「そ、そんな……じゃあ……」
「負け戦に挑むのは、賢い判断とは思えません。ワタシは、あの龍を討てる方法を探していたの……デス」
 ローズの胸から滑り落ち、座り込んで茫然としている。
 段々と言葉が理解できて来たのか、浅い呼吸繰り返しながらもうひとつ気がついた。
「ミティアちゃん……?」
 両手を眺める。自分の体も。
「サキさんの魔法が……解けてる……」
 自分にかけられていたはずの、光の魔法がまったく見えなくなっていた。
 状況から、いい考えは一切浮かばなかった。
「ローズさん、ローズさんはどうして大丈夫なんですか?」
 ローズは唇を噛み締めた。
「あなただけは守らないといけない人だから、本当は震えてマス……」
 ミティアはローズを見上げた。この人は、味方だ。

 街中を走り抜ける。ただ、あの黒い龍の場所を目指して。
 人の手や足、または内臓なのだろうか。
 人食いの食い残しがあらわれ始めたのだ。
 彼女たちを置いて来て正解だったのかもしれない。
 そう思ったのは、人の頭らしきものが血の海に沈んでいたのを見たからだ。
 進むに連れ、その数は増えた。
 見ないから実感がないと思っていたが、とうとう死体が見えた。
 また見えた。子ども、役人らしき人。不本意でありながら、見てしまった死体が知っている人ではないのを安心している。この中に肉親や知り合いでもいようものなら正確な判断は何ひとつできないだろう。
 増え続けた死体は不思議と血が少ない。
 思い出したが、生き血をすするのを目の前で見た記憶がある。
 荒らされた街並み、沙蘭はもうだめかもしれない。
 いや、きっと姉の正姫が生きていたら……竜次が、マナカが生きていたら。
 
 大丈夫だ、きっと。
 きっと…………
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