トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2】疑惑

錯綜する思惑

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 沼地を越え、林道になった。
 ローズが悲鳴を上げた。
「も、もうしんどいデス……ちょっとでいいから休みたいデス……」
 戦ってもいないのにこの調子だ。だが、皆も言いたくても、なかなか言い出せなくて歩き続けていた。
「わたしも、背中がちょっと痛くて……」
 ミティアも弱音を吐いた。彼女は先ほど木に打ちつけている。痛がって当然。むしろ、今までなぜ痩せ我慢をしていたのか。
「キッド、ちょっと力を貸してもらえるか?」
 ジェフリーがキッドに振った。キッドが周囲を見渡した。
「そうね、悪くない場所だし」
 茂みがないし、見晴らしも悪くない。少し岩があるくらいだ。
「はぁ、実は私も休みたかったです……」
 竜次が大きく息をついて地面に腰を下ろした。インドアの医者には酷道だ。
 キッドが弓を構えながら、小高い岩に登ろうとする。
「うっ……わっ!!」
 キッドが足を滑らせ両手を着いた。気まずそうに停止している。
「キッドさん!!」
 サキが駆け寄った。ジェフリーも手を貸す。
「無理を言ってすまない。疲れてるよな……ここは俺が見てるから休んでくれ」
 キッドは黙ったまま俯いた。サキがそっと声をかける。
「あの、足……」
 キッドの右足、ふくらはぎからかかとにかけて擦り傷になっている。血は出ていないが赤くなっていた。
「だ、大丈夫よ。かすっただけ。別に捻ってないもの」
 キッドは強がって笑い飛ばしていた。余計な心配をさせまいと身を引いた。
サキはキッドが強がっていると見抜いた。しゃがみ込んでまじまじと足を見て頷く。
「これくらいなら……」
 サキがキッドの右足に向かって、祈るように手を合わせた。その手を傷に沿うようにゆっくりと広げる。
「フェアリーヒール!」
 ふわっと心許ない光が螺旋を描きながら広がった。
 脚の傷が消えている。赤みも引いて、何事もなかったかのようだ。
「えええ……あんた、こんな魔法もできるの!?」
 驚くのも無理はない。大した傷ではないが、ヒリヒリとしていた。
 サキは褒められたのに、申し訳なさそうな顔をしながら答える。
「地味に厄介な火傷とか、転んだとか、ちょっと切ったとか、基本的には軽傷しか治せません。大きな怪我とか病気は治せません。もちろん、腕がちぎれ飛んだとか、首が吹っ飛んだとかも無理なので」
 サキはそう言って立ち上がった。やけに説明が詳細だったが、要するに倫理を無視する力はないということらしい。
「もし痛かったら、優秀なお医者さんがお二人もいますので……」
 サキはお得意のはにかみ笑いを見せた。
 さり気なく出しゃばりすぎず、竜次とローズを称えている。
「あー……ありがと。もう全然痛くないわ。すごいのね。こういう魔法があるなんて見直したわ」
 キッドが医者の二人にも目をやりながら礼を言った。戦力とは違う形で助けられたので、驚きと困惑を交えている。
「便利だな、魔法って……」
 ジェフリーが岩の上からサキを見下ろして、声をかけた。
「使い続けるのも有限ですので……いくら便利でも、いつか限界が来ます」
「限界って?」
「僕の体力がゼロになるとか……?」
 キッドとジェフリーが顔を見合わせる。
「少しでもいいから休んでおきなさい」
「それと、今日は絶対休め! 昼間にうたた寝するくらいには体力がないんだから、配分を考えろ」
 普段仲の悪い二人の間で、いきなり同盟が結ばれた。変なところで気が合った。
 サキは急な展開に対し、不満そうに口を尖らせた。

「キッドとサキさん、最近ずっと仲良しで、キッドが取られちゃってからちょっと悔しいなー……いいなぁ」
 ぺたんと座って足を延ばし、ばたつかせているミティア。親友が急にかまってくれなくなったのが不満らしい。
 竜次は休憩しつつミティアの様子をじっと見ていた。彼女の親友であるキッドがサキと仲良し。つまりは、彼女のガードが手薄になった。だが、淡い思いを抱き続けているものの、竜次はずっと踏み込めないままでいた。うしろめたさが消えない。それに加えて、自分が意外にもひ弱なのを痛感している。落ち込む要素が多かった。ミティアをどうやったら守れるのだろうか。考えると頭痛が悪化する。
 ただ見ているだけなのに、可愛く見えて仕方ない。こんなに近いのに遠い存在。手が届きそうで届かない。今は目の前のことで手一杯だが、これもミティアがいるから頑張れるのだ。そんな彼女を絶対に守りたい。
 強くなりたいと思う者が、ここにもいた。

 休憩をしたのにも限らず、相変わらずローズはしんどそうに歩いていた。沼地をピークに虫も少なくなったが、今度は早い夜が訪れようとしている。
 皆は蓄積された疲労のせいで口数が少なくなった。進むペースも遅くなった。
 それも仕方ない。慣れない野営、緩まない警戒、足場の悪い中での戦闘。あたたかくておいしいご飯もないし、満足な睡眠もとれない。足を伸ばして熱い湯船にも浸かりたいところだ。泥や汗のニオイを纏っていることくらいわかっていても、贅沢はできない。
「あとどれくらいでしょうか?」
 暗くなったのにフェアリーライトを放たないサキがため息をつく。
「地図と立てていた予定が合っていれば、あと二割か…三割ほどです。今日夜通しで抜けてしまってもいいのですけど、お疲れでしょう?」
 うしろで竜次が地図とコンパスを手に、周辺を見ながら言った。それが本当に合っていればだが。
「ん? あれ何かしら?」
 キッドが目を凝らしながら、前方を指さした。
「キッドは目がいいね、わたしには何にも見えないよー」
 ミティアが彼女の指さすほうをじっと見るが、何も見えないらしくため息をついた。
「何か光ったのよ」
 キッドは足を止めて首を傾げた。
「何か聞こえる……」
 ジェフリーも耳を澄ました。草を踏む足音だ。こちらに向かってくる。ぼんやりとした影のような状態だったが、これは間違いなく人だ。
「こんな場所に、どちら様でしょう?」
 女性の声がした。少しずつ姿が明らかになっていく。ランタンと長刀、腰からも小太刀を下げている。
 年はミティアと同じくらいか、少し下だろうか。凛として、落ち着いた雰囲気の少女だ。
 金髪でお団子の髪型をしている。服装も見慣れない。
「誰だ、あんた」
 ジェフリーが警戒をして剣の柄に手をかける。少女は突然向けられた敵意に動じずに答えた。
「お待ちください。冒険者? それとも、この人数で密入国?」
 お団子の少女は一行へ探りを入れた。
 そのまま一同に目を通して、竜次でぴたりと視線が止まった。
「えっ、何でしょう?」
 目が合ったままの竜次が苦笑いをする。お団子の少女はにっこりと笑った。
「そこの殿方、わたくしと勝負していただけませんか?」
 少女からまさかの指名だ。一同は驚きながら道を開けた。
「わっ、私ですか!?」
 竜次が顔をしかめる。これは沙蘭流の勝負に挑み方だ。勝負をする際、お互い同意での挑み方は礼儀を感じる。仲間の反応をうかがっていたが、竜次は覚悟を決めて前に出た。
「受けるのか?」
 ジェフリーが確認の質問をする。竜次は渋りながら頷いた。
「まぁ、せっかくのお誘いですので……」
 先ほど一戦あったが、冗談を言うくらいには余裕があるようだ。お団子の少女が言うには真剣勝負。つまり、木刀を使わない文字通りの勝負だ。
 
「わぁ、先生の真剣勝負だ……」
 ミティアが固唾を飲んで見守っている。
「こんなの滅多に見れませんからネ……」
 疲労がどこかに行ってしまったかのように、ローズも観戦に胸躍らせている。
 勝負を挑まれるなど、これまでになかった。少女は長刀と下げていた荷袋、ランタンも置いた。左手に手袋をはめて、右手で小太刀を構える。
「お名前をいただいてもよろしいですか?」
 竜次が一礼する。だが、少女はにっこりと笑ったまま首を横に振った。
「わたくしに勝ったらお教えします」
「面白いですね……」
「いざ、参ります!」
 仕掛けたのは少女からだ。低い体勢で竜次の脇に入り込もうとする。
「おっと……」
 寸で回避するが、竜次はまだ抜いていない。目で追って相手の動きを読む。
「その大きなお荷物、置かなくていいのですか?」
 一閃が前髪をかすめた。かなり癖のある動きだ。
「そうですねぇ……置きます」
 竜次が言うと、少女はぱったりと動きを止めた。そのまま後退して距離を取っている。
律義に支度を待っているのだ。どちらかというと、剣の腕前を楽しむのだからお互いいい状態で挑みたい。
「俺相手で置かない。いいハンデだって言ってたのに……」
 ジェフリーは腕を組んで見ている。その横でミティアも息を飲んでいた。
「あの人、強いのかな?」
「もしくは本当は兄貴が弱いか」
「えっ、じゃあ先生、負けちゃうの?」
 ミティアの言葉に竜次が過敏に反応した。
「ぜ……絶対負けません!!」
 奮い立たせていたのは明白だった。荷物を置いて軽く背筋を伸ばし、柄に手をかけている。
「お待たせしてすみません、今度はこちらから失礼しますね!」
 女の子が小太刀の鞘に手を添えた。
 竜次が踏み込み、刃が重なる。激しい鍔迫り合いだ。刃こぼれしそうな勢いに、少女は力で押されている。
「さすが、お強い。ですが、技が鈍りましたね……」
 ここからが沙蘭流の怖いところだ。捻る動き、予想がしにくい返し、すべてを予測した防御は縦に構えた。
 予想通り十字に刃が混じった。女の子がそれでも踏み込んで力押しを試みる。次の瞬間、竜次の視界が回った。
「ひぅぁ!?」
 左足を内股からすくい払われている。足元を崩された。必然的に次の一手で左手を添えるしかなかった。
 片刃なのでこれができるが、長い剣では不利を現す。
 そして抉るように内側に刃が入り、剣を押し出されるとともに竜次の体は巴投げをされた。
「どぅわぁっ!  えぇ…………」
 困惑の声。受け身こそ取ったが、竜次が押されている。
「剣神と名を馳せたのに、地に堕ちましたね……」
 少女は勝ち誇ったようにすました表情をしている。
「誰かわかった……」
 ジェフリーは楽しそうに笑っている。
「たぶん、今の沙蘭で一番強いんじゃないか?」
 意味深な言葉だ。いっそう面白くも楽しませてくれる。少女の挑発は確信へと迫っていた。
「品格に加えて、剣の腕も落ちぶれましたか?」
「言ってくれますね……」
「わたくしは、剣神と戦いたいのではありません。剣鬼と戦ってみたいのです」
 少女はうっすらと嫌らしい笑みを浮かべる。
 ここでジェフリーが口を挟んだ。
「この勝負に意味はあるのか?」
 ジェフリーが少女に問いかけると、彼女ははにかんで答えた。
「人の苦労も知らないで、よく言えますね」
 その体勢のまま、仰け反った。バク転をして竜次との間合いを広く取った。軽快な身のこなしはまるで曲芸のようだ。見る者を魅了する。
「誰かわかりました。これは分が悪い……」
「おや? ではこの勝負、なかったことにしますか?」
 少女は構え直すも、すぐに下げた。竜次の顔色をうかがっている。
「これをナシにしたら私がカッコ悪いままなのでは!?」
「それでは、姫姉様の日頃の恨みも込めさせてもらいます!!」
 少女は再び構え、地を蹴った。火花が散るような剣戟。激しいぶつかり合いが繰り広げられた。

 観戦していたキッドがジェフリーに質問をした。
「あの子、知り合いなの?」
 ジェフリーは楽しそうに眺めながら答えた。
「年が離れた義理の妹だ」
 一同は唖然とし、固まっている。その中でサキが苦笑いをしながらジェフリーに訊ねた。
「えっと……じゃあ、あれは……」
「くだらない兄妹喧嘩だな」
 わかってしまうと不思議なことに、呆れが先立つ。なぜなら、意地を張って喧嘩を買い続ける竜次が子どものようだからだ。
「あいつはマナカ。縁があって、俺の四つ下の義妹だ。今は俺の姉貴の側近と言うか、親衛と言うか、とにかく沙蘭で一番強いと思う」
 目を戻すと、竜次が回し蹴りを首もとで受けていた。
 押されているのに一向に引くつもりがないようだ。本当に大人気ない。本当にくだらない兄妹喧嘩だ。
 ジェフリーは見るのをやめて、キッドを手招きした。彼女は驚きの声を上げる。
「うえっ? ちょっと、先生の勝負、最後まで見ないの?」
「見なくても勝負はついてる。このあたりで陣が取れそうな場所を探そう。手伝ってほしい」
 そう言って周囲の探索に出て行った。
「僕にはあの動きが目で追えません。確かに捻りのある動きは、知恵の輪に似ているかもしれませんけれど……」
 サキは顎に手を添えて見つめつつ、小さく唸っている。剣術の勉強は難しいようだ。

「先生、大丈夫ですか?」
 あたりが完全に真っ暗になり、打ち合いは終わった。
 竜次は髪の毛を乱し、息が上がっている。ミティアは彼の背中をさすっていた。
「私って、ここ最近全然いいところがないですね……」
 竜次は呼吸を整えながら情けない声を出す。この旅路で体力のなさが浮き彫りになった。最近は痛感する機会が増え、足手まといではないかと焦っていた。
 疲労の色が出ている竜次とは異なり、マナカはまったく疲れていない様子だ。背筋を伸ばし、ジェフリーと遅い挨拶を交わしている。
「ジェフ兄さん、ご無沙汰しております。お元気そうでよかったです」
「ほとんど手紙でしか知らないよな、俺が出て行ったころって、自我が芽生えはじめた子どもだっただろ?」
 ジェフリーが昔話に花を咲かせる。身内との再会に思わず笑顔がこぼれた。
 マナカは深く頷き笑顔を見せる。だが、それも一瞬で消え、横目で竜次を睨みつけた。
「竜兄さんには覚えていてもらいたかったですね。何年も同じ屋根の下で暮らしていたというのに……」
 嫌味を言い、彼女はひどく落胆した。
 竜次は黙って口を窄めた。この場で言い争っても、先程の兄妹喧嘩の延長戦になるだけだ。これ以上、皆の前で醜態をさらしたくはない。
 マナカは皆に向かって一礼し、自己紹介をした。
「デキの悪い兄がお世話になっております。わたくしは沙蘭の闘士、マナカと申します。ご一家には不自由のない生活をさせていただき、ご恩をお返ししたく、お仕えしております。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
 とても礼儀が正しく、好感が持てる挨拶だ。だが、竜次にだけは棘のある言い方と対応をしていた。自分が誰なのか、気がついてもらえなかった。もしくは竜次が国から離れたせいで、苦労した恨みがあるのだろうか。
 ジェフリーが皆の紹介をしていった。マナカは律義にも一人一人に一礼していく。
「ここで何をしているんだ? この森が危ないのは知っているだろ?」
「それはこちらのセリフです。ご一行を組まれてどうされましたか?」
 兄妹で質問がぶつかった。竜次が口を挟んだ。
「私たちは、フィラノスから陸路で来たのです。沙蘭に立ち寄りたく思いまして……」
 マナカはまたも棘のある返しをする。
「いまさら姫姉様を労いに、でしょうか?」
 竜次にだけは当たりが厳しい。どうも、国を離れた理由が彼女の中では大きいようだ。
「あー……俺たち、ちょっとわけがあって、旅をしているんだが……」
 ジェフリーが竜次をフォローしようとするも、墓穴を掘った。この言葉がマナカを憤慨させる。
「ジェフ兄さん!! 姫姉様がせっかく学費を出してくださったのに、剣術学校を卒業してもまともなお仕事もなさらず、ギルドのハンターのような真似事を? 自由すぎやしませんか?」
 痛い指摘を受ける。容赦ないが、マナカがしっかりしすぎているのか、この兄弟がいけないのだろうか。
「ずいぶんしっかりとしていますね。いいお役人さんの模範みたい」
「でも、仲良くはないのかな?」
 しっかりとした義理の妹、だが笑顔で話しているほうが今のところ少ない。
 サキもミティアも微笑ましくとは見られないようだ。
「あのー……」
 気まずい雰囲気の中、ローズが発言権を求めて挙手をした。この特徴的な主張は、どうやら癖のようだ。
「ワタシ、沙蘭に行く船に乗りたかったのデス。実質鎖国状態とお聞きして、この方たちと森を越える道を選んできましたヨ……」
 ローズの言葉に、マナカが声量を上げた。
「鎖国などしておりません! 話の出どころはどこですか? フィラノスですか?」
 ローズは細かく首を縦に振った。その反応にマナカが憤慨した。
「おかしいと思ったら、やっぱりはめられたようですね……」
「はめられたって……?」
 ジェフリーが疑問の声を上げると、キャンプに加わろうとしたマナカが立った。
「数日前、悪天候の日に定期便を出せず、フィラノスの国の者がこの森を越えて来たそうです。ですが、親書を落としたと申しており、人を雇って探しもしました。親書がこちらに届かったのを一方的に沙蘭のせいにされました」
 天候が悪かった日……覚えがあった。山道を越えた日だ。
 マナカが首を振って悔しがった。彼女もじわりじわりと事情を把握したようだ。
「もちろんこちらが謝罪しました。船を運休させたこちらも悪いです。話し合いがしたく、連絡を試みましたが、王都祭があると申して取り合ってはいただけず。時間が経過するとともに、なぜか沙蘭が全部悪いという噂まで立っていたそうです」
「はぁ、完全に陥れられていますね……」
 竜次がため息をついた。この危険な森を国の人間が簡単に越えられるだろうか。そのような痕跡もなかった。
「で、マナカが捜索に来たと……」
 ジェフリーがやっと理由がわかって頷いた。
「探しても見つかるはずがありません。こうしてお会いしましたが、わたくしはこのまま急いで戻ります。一刻も早く報告しないと。今から走れば、夜明けには着けるでしょう」
 マナカがジェフリーに地図を渡した。更新日が半年前だ、新しい。
「こちらをどうぞ。森の沙蘭側、半分しかございませんが、わたくしがお作りしたものです」
「苦労ばっかりしてるな……」
「拾われた恩返しができる仕事です。誇りですよ」
 マナカが一礼し、長刀を持ち上げた。
「沙蘭でお待ちしております。ぜひとも皆様をご案内させてください」
 竜次にも笑顔で声をかけた。彼女だけで行く流れだったかに思えた。
「お手合わせ、ありがとうございました」
 マナカの礼を聞き、竜次は立ち上がった。仲間の方へ振り返る。歩き出して、マナカの隣に立った。
「ジェフ、皆さんをお願いします」
「兄貴……?」
「先に行って叱られておきます。ここはもう安全圏でしょう?」
「まぁ、あと川を一本越えるだけだけど……」
 マナカから受け取った地図を見て、ジェフリーは頷いた。
「先生、先に行っちゃうの?」
 ミティアが見上げている。それを見て竜次はジェフリーの肩を叩いた。
「私は必然的に長話をさせられてしまいます。もしかしたら皆さんが到着しても、まだ終わっていないかもしれないですし、面倒なお説教は先に済ませておきたいので……ね?」
 皆にまでは知ってほしくない過去だ。同席していれば、知られてしまう。
 
 愛する人のために国を離れたことも。
 多くのものを犠牲にしたのに失ったことも。
 自ら命を絶とうとしたことも。
 
 先に向かって謝りたいという姿勢に、ジェフリーは反対しなかった。
「姫姉によろしく言ってくれ」
「ジェフ……」
 竜次はジェフリーの耳もとで小さく呟いた。
「(ミティアさんをお願いしますね)」
 言われなくてもそのつもりだと、ジェフリーは眉をひそめた。任される心境は複雑だった。
 竜次はマナカに向き直り、深く頷いた。
「行きましょう」
「よくわかりませんが、足を引っ張るのだけはご勘弁くださいね」
 二人は夜道を走り出した。

 遠くなっていく背中に寂しさも感じたが、追える元気がある者もいない。
 これ以上離脱するわけにもいかない。事情を察すると竜次の判断はやむを得ない。本当はジェフリーも一緒に行きたかったが、仲間を置いては行けない。
「先生の白衣、借りっぱなしでよかったのかな」
 ミティアは別の心配をしていた。彼女の抜けているところは話の流れを変える。
「その格好は目立つから、あたしは見つけやすくて助かるわ。少なくとも、この森では羽織っていなさい」
 キッドに笑われていた。白衣を着ているローズが詳しく解説した。
「暗所で明るい色は少しの光で認識がしやすいデス。洞窟や山道でも有効ですヨ。白もそうですが、黄色やオレンジも有効デス」
 ローズは白衣をばたつかせ、ミティアの心配を紛らわそうと気さくに接していた。
 キッドはジェフリーに質問をする。
「先生、行かせちゃってよかったの?」
「まぁ、兄貴は俺と違って立場があるから、本当に長話があるだろうさ。俺たちのために先に行った」
「ふぅん、よくわからないけど、先生は偉い人なんだから大変よね」
 よくわからないと言いながら勘は鋭い。キッドはランタンの明かりに寄って地図を確認する。
「それにしても、あんたとは大違いね。仲が悪いの?」
「十年以上も会ってなかったから、仲いいとか悪い以前に、あんまり知らないというか……複雑な家庭環境だから。もう一人、下に弟もいるし」
 聞いてキッドがぽかんとしている。
「何か、その、ごめん……」
「明らかに俺んとこがおかしいから気にするな」
 確かに普通ではない。この上、両親は行方不明。酒のつまみにもならない。
 肉親でいい話がないのはキッドもそうだった。複雑な家庭環境には笑えない。
 雑談をしながら体を休めた。
 夜が深くなる。

 サキは本を枕にして寝息を立てていた。今日はきちんと休んでいるようだ。
 ミティアはキッドの膝枕で休んでいた。そのキッドも目を閉じて座ったまま眠っている。案外寝ながら警戒しているのかもしれない。
「ジェフ君も休んでくださいデス」
 ローズはジェフリーに休息をとるように声をかけた。ジェフリーから見たローズは、体力がないのに一睡もしないのが不思議でならない。
「博士こそ寝ないのか?」
 ローズは乳鉢でガリガリと音を立てて作業をしている。ジェフリーは気になってはいた。彼女は寝ずに何かしらの作業をしている。
 ローズは向けられた視線に気がつき、作業工程を持ってジェフリーの隣に座り直した。ポケットからビーフジャーキーを取り出して口にくわえている。
「あっ、食べマス?」
 もう一本取り出してジェフリーに差し出した。
 眠っている仲間に悪いとは思いながら、ジェフリーは口に含む。一口で、想像とは違う味だと動作を止める。
「んんっ、これ唐辛子が入ってるだろ」
 乾燥肉の臭いに騙された。ピリッとした辛さを舌に覚え、表情を歪める。実はジェフリー、辛い物が苦手だ。
 反応を見たローズは、今度は乳鉢の中の擦り潰されたものを嗅がせた。
「じゃあ、これはどうデス?」
「ふぐっ……何だこれっ、けほっ……」
 ジェフリーは咳き込んでしまった。涙も出た。豪快なくしゃみが出てしまいそうだ。よく言えばスパイシー、悪く言えば刺激が強くて体に悪そうな匂いが鼻を刺激する。
「獣除けデス……」
「俺で試すな!」
「この中で一番獣っぽいデス……」
 ローズは悪びれる様子もなく、不織布の小袋に詰め替えようとしていた。お手製の獣除けになるらしい。
「ジェフ君、くだらない質問をしてもいいデス?」
 ローズは銀の匙を乳鉢に滑らせながら断りを入れた。
「嫌だって言っても聞いて来るんだろ?」
 ジェフリーは嫌悪感を抱きつつ、ほかにすることもないので付き合うことにした。
 ローズのルージュを引いた口がニッとつり上がった。まるで悪巧みでもするような表情だ。作業を止めて、ジェフリーをじっと見つめる。
「ジェフ君は、ケーシスから何か預かっていません?」
 ふざけた語尾がなくなり、声が低い。ジェフリーは警戒し、ローズを睨みつけた。
「何のつもりだ。まさか兄貴がいないのをいいことに、俺を陥れようってのか?」
 信じようとしていたのに、やはり敵なのかもしれない。ジェフリーは睨みつけたまま、剣を取ろうとした。
「ジェフ君!! 違うの。ただ、知りたいだけ……」
 ローズは激しく首を振って否定した。これをすんなり信じるほど、ジェフリーは甘くはない。
「ん……」
 外套に包まったサキが、もぞもぞと寝返りをした。これを見たジェフリーは怒りを抑える。感情的になって怒鳴ってしまえば、今度は仲間に亀裂が生じるだけでは済まされない。ローズから新しい情報が得られる可能性がある。それに、今はスプリングフォレストを抜けることが先だ。
 ジェフリーはローズとの対話を続けた。質問をされたのだから、答えなくては。
「俺は何も知らない。親父とは、一度も会ったことがないんだ」
「えっ……?」
 ローズは怪訝そうにジェフリーをじっと見ていた。
「そんな、はずは……」
「嘘じゃない。俺は、親父から何も受け取っていない」
 ジェフリーの視線が泳いだ。
 心の闇がそっと足音を立てる。自分は父親どころか、母親にも会った記憶がない。ローズが言った『何か』が具体的に何なのかはわからない。だが、『モノ』だけではない。両親との『思い出』もない。
 竜次や正姫は両親を知っている。ぬくもりも思い出も、自分より多くを持っているはずだ。
 血のつながった家族なのに、どうして自分だけ……
「ケーシスは……あんなに楽しそうに子どもの話をしていたのに……」
 ローズの言葉に、ジェフリーは疑問を持った。
「博士は、俺の親父やおふくろが行方不明の理由を知っているのか?」
「……」
 ローズは沈黙の後に首を横に振った。どうも腑に落ちない様子だ。ジェフリーが問い詰める前に、ローズの言葉で疑問が深まった。
「奥様まで? それじゃああれは……」
「博士は何か知っているんだな?」
「まだ確実なことは言えませんが、もしかしたらケーシスはとんでもないことをしようとしているのかもしれません。沙蘭にもギルドがあったはず。だったら、この話はご兄弟を交えてすべきだと思うのです」
 ジェフリーが個人的に握ってもいい情報ではない。遠回しだが、ローズはそう諭した。
 始めは質問の意図がわからなかったが、ローズは父親のケーシスを探しているようだ。同行していれば、自分の親を知るきっかけになるかもしれないとジェフリーは考えた。悪く言えば、ローズを利用するのかもしれない。
「……わかった。俺じゃわからないことがまだまだある。だから沙蘭で話す機会を設けさせてほしい」
 ジェフリーは一度納得したが、これだけでは信用できない。
「けど、博士がほしい情報を得たら、さっさと逃げちまうんじゃないか?」
 疑われていると知ったローズは目を見開き驚いた。
「えっ、ワタシ……がデス?」
 ローズのふざけた口調が戻っていた。彼女は眼鏡のふちを摘まみ上げ、笑っている。
「しばらくは同行するお約束を交わしましたよネ? それに、まだ報酬も払っていませんヨ。ワタシが沙蘭に用事があるのは本当デス」
 彼女はひらひらと両手を振った。座って作業に戻った。
 お金の話をしていたのはジェフリーも覚えている。これは直感だが、それだけではないだろう。ローズにとってはそれ以外の理由があるのかもしれない。
 ローズは種族戦争について調べている学者だと言っていた。

 もしかしたら、『禁忌の魔法』が狙いなのかもしれない。

 ジェフリーは眠っている仲間を見て、周囲への警戒を強めた。
 夜の静寂が、乱れた心を鎮めてくれる。
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天才ピアニストでヴァイオリニストの二刀流の俺が死んだと思ったら異世界に飛ばされたので,世界最高の音楽を異世界で奏でてみた結果

yuraaaaaaa
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