トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2】疑惑

孤独と懺悔

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 フィラノス滞在、三泊分の三泊目は夜更かしをせず、全員が休んだ。
 早朝に準備をし、チェックアウトを済ませた。外に出て竜次が落胆する。財布を手に苦笑していた。
「ははは……まぁ、沙蘭に行けたら何とかなると思いますけど」
 清々しい空と朝日とは逆に、竜次だけは懐の軽さにショックを受けていた。
 実際はお金よりも得たものが多かった。
 一行は、魔法都市フィラノスを出発した。今日は晴れ澄んだ空が広がっている。                     


 平原を進むと、鬱蒼と広がる森が見えた。この森がスプリングフォレストだ。
 森の手前に人影がある。すらっとしたスタイルのいい女性だ。白いロングコートに鮮やかな青い髪、三角フレームの珍しい眼鏡をかけている。荷物も持たず、うろうろしていた。
「あの人、何をしているのかな?」
 ミティアは歩きながら女性を気にしている。
 女性は一行に気がつき、転びそうな勢いで走り寄った。履いている靴がかかとに高さのある靴だ。
 青い髪は外ハネでかなりの癖毛だ。走ると同時にバネのように揺らぐ。
「ユーたちっ!!」
 女性の第一声が胡散臭い話し方だった。
「こ、この森を抜ける冒険者サン!?」
 女性は血眼で拳を作り、震わせていた。
 見流してももいいが、一応立ち止まって話をする。
 ジェフリーが女性の目を見て言った。
「そうだけど、おばさんはこんな場所で何を?」
「ジェフ、言葉に気をつけなさい」
 ジェフリーが『おばさん』と呼んだのに対し、竜次は注意をした。だが女性は、呼び方を気にしていない様子だ。
「ギルドで募集をしても、全然捕まらなくて途方に暮れていたのデス! ワタシを一行に加えてくだサイ!!」
 女性は一行に悲願した。
 あまりにも突然だ。まず同行したい理由がわからない。
「悪いが俺たちは、冒険者って言えるような集団じゃない」
 一行を代表して、ジェフリーが冷たく突っぱねようとする。
 女性は赤いルージュを巻き込んで唇を噛みしめた。やけに悔しそうだ。そして、ポケットに手を突っ込み、何か探っている。一行は気がついたが、よく見ると女性は白いコートではなく白衣を着ている。
 女性はポケットから分厚い茶封筒を引っ張り出した。
「ギルドに依頼していた報酬金、二十万リースデス!! 返却時に掲示料金、手数料で少し引かれていますケド……」
 女性が取り出したのは金だ。約二十万リース、なかなかの額だ。あまりに分厚いため、封筒の端から札束が覗いている。
 女性がお金をちらつかせたことにより、キッドとサキが不審がった。
「なーんか、お金を出して必死で怪しいわねぇ」
「僕もそう思います」
 仲間の心配の種を増やしたくない。竜次も女性をあしらおうとする。
「あのー……お金は大変魅力的ではあるのですが、別の人を頼ってはいただけませんか?」
「そんなぁぁぁっ、ハンサムなオニーサン!!」
 女性は大袈裟に仰け反って、両手で頭を抱えている。
その様子を見たミティアが気の毒に思い、皆に提案した。
「ねぇ、このままじゃ可哀そうだと思うの。話だけでも聞いてあげたらどうかな?」
 女性はミティアの手を取って、目を輝かせた。疑いの目をかけられている女性にとって、ミティアの存在はこう見えた。
「女神サマ!!」
 かなり大袈裟な表現だ。だが、ミティアは独特の調子はずれを見せた。
「あ、あの……わ、わたし、ミティアって言います」
 この流れで自分から名乗る者がいるだろうか。皆はミティアの調子はずれを眺めていた。女性がどんな反応をするのか、楽しみだったからだ。
「おぉっ、これは失礼」
 女性は慌ててミティアの手を離した。調子はずれに面食らった様子はない。白衣の胸ポケットに手を入れている。
「ほい、どうぞデス」
 胸ポケットから何か取り出し、ミティアに手渡した。革製で手帳型のカードケースのようだ。
 受け取ったミティアの視線はなぜか竜次へ行った。その理由を言う。
「これ、お医者さんって書いてあります。先生のお知り合いですか?」
 ミティアの質問に、竜次は女性を見た。女性の格好は白衣だが、同業者というだけで面識はない。
「ブライトローズ・ラシューブラインさん? どこかで聞いたことがあるような……」
 ミティアが名前を読んで考え込んだ。
 女性の名前を耳にしたジェフリーが女性に言った。
「ラシューブライン? 学校に同じ名前の先生がいたぞ」
 女性がまた目を輝かせた。
「おぉぅ、兄を知っているのデス!?」
 驚いたのは女性だけではない。ミティアも目を丸くしていた。
「あっ、そっか。生徒指導の先生と同じ名前ですね!」
 剣術学校の先生で、ミティアとジェフリーは世話になっていた先生だ。
 やりとりを見ていたサキが妙なつながりに疑問を抱いた。
「その身分証、僕にも見せてもらえますか?」
 サキはミティアからカードケースを受け取り、凝視している。偽物ではないかと疑っているようだ。
 身分証まで出した。
 竜次は疑っている様子だ。それでも一応話を聞く姿勢を示した。
「ふーむ、ブライトローズさんはどうして森を越えたいのですか?」
「ワタシのことはお気軽にローズとお呼びくだサイ」
 女性は自分をローズと呼んでほしいと、気さくにアピールをした。癖の強い口調以外は親しみやすそうだ。
「ギルドの依頼を請けて、沙蘭へお届け物があるのデス。事情があって沙蘭行きの船は出ておらず、どうしてもこの森を抜けたいのデス。足を引っ張らないと誓いマス。どうか……」
 ローズは手を合わせ、悲願した。
 沙蘭への船が出ていないのは皆も知っている。森を越えるために金を出して、ギルドで同行者を依頼したまでは何らおかしい話ではない。だが、凄腕の冒険者が見つからなかったのはなぜだろうか。

「僕はその人が同行するのに賛成します」
 サキが口を開いた。彼はカードケースをぱらぱらとめくっている。
「医師、科学者、考古学者、機械整備士、戦術アドバイザー、これは地理と歴史の教員免許、メディカルハーブマイスター、あとはギルドの会員証……」
 サキは苦笑いをしながら、ようやく顔を上げた。
「勝手に中を拝見してすみません。でも、僕はこんなにすごい人、知らないです……」
 彼の隣にいたキッドが首を傾げた。
「ん? そんなにすごいの?」
「少なくとも、僕や先生に、これだけの知識やライセンスが身につくとは思いません」
 キッドは難しい顔をしたまま、竜次とサキを交互に見た。
「あたしにはよくわからないけど、先生やあんたよりもすごいのね……」
 疑い深いサキが賛成と言ったのだから、話の流れが変わる。
 ジェフリーが竜次に最後の確認を取った。
「だって。どうする兄貴」
「私に聞かれましても……もうここまで話し込んでしまったのですから」
 疑いを持っていた竜次も、渋々賛成した。
 ローズはとんでもなくハイスペックな人だ。だが、武器を持っていない。丸腰で目立った持ち物もなく、むしろ手ぶらだった。
「変な真似をしたら、その場に置いて行くからな?」
 ジェフリーがローズに強めに言った。
 ローズは信用がないと知って顔をしかめた。赤いルージュのせいで、表情がわかりやすい。
 一同は、前に進むことを優先した。ローズが同行することには賛成したが、まだ疑いは晴れていない。
 

 スプリングフォレスト。
 森は薄暗く、地面は溜まり込んだ湿気と雨水でぬかるんでいる。空気は悪く、植物と泥の臭いが立ちこめる。地図によると樹海だ。実際はそれ以上に茂っている。太陽が出ているというのに、日光は気まぐれにしか射し込まない。
 視界はぼんやりと靄がかかっている。ランタンを焚いてやっと先が見渡せる視界だ。
 木々が茂っているせいで背の低い草木は育ちが悪く、どこか元気がない。蝶が舞っているわけでも、小鳥のさえずりが聞こえるわけでもない。
 一般的な森のイメージとはかけ離れていた。

 ローズも加わったので、歩きながら軽く自己紹介をした。お互いまだ信用に足りる材料は少ない。だが、兄弟は名前を知られている可能性がある。少なくとも、竜次のことは知っているかもしれない。
 それでもローズは余計なことを口にしなかった。知り合って間もないのだから、なれなれしい接し方はしない。
「視界が悪いですね。足元に気をつけてください」
 先頭で注意を払うのは竜次だ。
「そ、そうだ、そのバネ草って、実物は? わからないと注意ができないわ」
 キッドが質問をする。だが、前を歩く兄弟は答える余裕がないようだ。
「コレがそうデス」
 代わりにローズが指をさした。道の脇に大きな葉が見えた。横からはくるくると蔓が縮まっている。
「葉っぱを刺激すると、横の蔓がバシーンとなるデス。当たると痛いデス……」
 実物を見てキッドが身震いを起こした。蔦には棘のようなものが生えている。見るからに痛そうだ。
 ローズはキッドの手元が気になっていた。大きな弓を手にしている。腰からは矢筒が下がっていた。
「それはキッドちゃんのデス?」
 森に入る前、キッドは荷物から弓矢を引っ張り出していた。昨日、フィラノスで調達したものだ。
「まぁ、視界が悪かったら何となくしか当たらないですけど……」
「弓をお使いでしたら、中後衛が適度デス」
「どうしてですか? 狙いを定めるのに位置は関係ないような気がしますけど」
「そんなことはないデス。適正な距離というものはありますヨ?」
「そ、そうなの?」
「前衛のアシストにつながる重要な役割になるかもしれませんネ」
 戦術アドバイザーのスキルだろうか。ローズがおせっかいを焼いている。だが、聞くことが新鮮だったため、キッドとは歩きながら話がはずんでいた。

 道中で世間話を交わすのは悪いことではない。むしろ、口数が少なくなってしまうと気持ちが沈み、仲間との空気も悪くなる。
「そのくるくるした光、可愛らしくていいですね」
 好意を抱くミティアに話しかけられ、サキはにこやかに答えた。
「これはフェアリーライトという光の魔法です。」
「魔法ってたくさん種類があるんですか?」
「一般的に抱くイメージと同じです。誰だって、絵本やおとぎ話は触れる機会があると思います。ただ、使う人によって良し悪しは変わるかと」
 警戒してばかりよりは、明るい話をした方がいい。緊張感のない会話だと思いながら、誰も注意しなかった。
「魔法が使えるなんて、かっこいいですね!!」
「かっ、かっこいい!? 僕が!? も、もっと褒めてもいいんですよ!!」
 にこにこと微笑むミティア。その純粋な言葉に、サキはだらしない表情をしていた。

「兄貴、手が震えているけど大丈夫か?」
 先頭を歩くジェフリーと竜次。邪魔な草木を切り崩しているジェフリーが、隣の竜次を気にかけた。ランタンを持つ手がカタカタと震えている。
 竜次の表情を見て、ジェフリーは深いため息をついた。口を尖らせ、うしろを気にしている。サキとミティアが仲良く会話を交わしているのが気に食わないらしい。
「い、今なら、会心の一撃が出せるかも……」
「そのやる気は別のところで発揮してくれ」
 人数が多いとその分、私情が発生する。悪いことではないのだろうが、危険がつきまとう現状ではできるだけ控えてもらいたい。ジェフリーはそう思っていた。だが、もしかしたら自分も心を乱しているかもしれない。ミティアがサキと親しくなることに葛藤を抱いた。

「ねぇ、あれは何かしら?」
 キッドが指さす先に、ピンクと黄色のまだら模様をしたヘビが見える。距離はまだあるが、自然の中で異色が目を引いた。のそのそとこちらに向かっている。
 全員が足を止めて警戒する。動物との遭遇は想定していた。
「おやおや、私たちは爬虫類に縁があるのでしょうかねぇ……」
 意識はヘビに集中していた。竜次がランタンを持ち直し、刀の鞘でヘビを払おうと試みる。一歩踏み出した彼の真横の茂みから、黒く大きな影が飛び出した。影の正体は大きなクマだ。
「兄貴!!」
 ジェフリーが声を上げたときはすでにクマが手を振り上げていた。
 抜刀の構えではない竜次はぬかるんだ足元を滑らせた。ミティアが大声で叫んだ。
「先生っ!!」
 一撃は逃れられない。クマは雄叫びを上げ襲いかかろうとしていた。
 覚悟し、身を伏せる竜次。直後に何かが砕ける音がした。覚悟していた痛みはない。静けさが広がる。
 竜次が目を開けると、クマは手を振り上げたまま氷漬けになっていた。
「……えっ?」
 体勢を立て直し、仲間を確認した。
 もっとも手が早そうなキッドが肩から弓を下ろして持ち直していた。彼女ではない。そもそも氷漬けだ。サキの魔法だったのだろうか。いや、それも違っていた。サキは怯えたまま何もしていない。
「兄貴、立てるか?」
「先生、大丈夫ですか?」
 ジェフリーが竜次のランタンと荷物を引き上げ、ミティアが体を支えていた。攻撃はこの二人でもない。
 竜次が膝の泥を気にしながら周囲を見渡す。後方でローズが身を縮めながら前方を指さしている。
「あ、あの、逃げマス」
 ローズが指さす先では、まだら模様のヘビが茂みに逃亡していた。さすがにクマには驚いたようだ。危機は去った。だが、この氷漬けは誰がやったのか。答えは意外にもすぐに出た。声を上げたのはサキだった。
「えっと、ローズさん、先ほどの技は無詠唱魔法ですか?」
 サキの質問はローズと氷漬けのクマに向いていた。
 正解のようだ。ローズはにっこりとしながら竜次に投げキッスしている。手には細長いガラスの容器が見えた。試験管だろうか。
「ちょっとした科学のチカラ……デス。ワタシ、武器は持てないので」
 ローズは小声で話しながら照れ臭そうに笑っている。
「恐縮です。と、とりあえず進みましょう」
 竜次がローズに向かって疑いの眼差しを向けた。彼女が一体何をしたのか気になった。
 話すよりもこの場から離れることを優先した。

 進みながら、ぎこちない会話を交わす。
「そ、そうだ兄貴、荷物重いだろう? 俺が持とうか?」
「えぇ!? 大丈夫ですよ?」
 ジェフリーに心配され、竜次は動揺した。弟が急に優しくなったので驚きもある。
先ほどの場所から離れた場所でいったん立ち止まり、状況を整理する。
ランタンと野営の荷物を持っているのは竜次だ。本人が引き受けたとはいえ、これでは素早く動けない。
「ワタシ、荷物いただきますヨ? 雑用はお任せください」
 ローズも申し出た。だが、竜次は気が進まない様子だ。
「話し合いをするの? あたし、周囲を警戒しに行くわ」
 状況を判断し、キッドが見張りをしに離れた。目の行き届く範囲で茂みや樹木に注意を払う。実はキッドの立ち位置は事前に相談がない。これは彼女が独断でしていることだ。
 道中で立ち止まって話し込みなど、安全の保障がない。

 些細なことかもしれないが、荷物の会議が始まった。
「先生、わたしが半分持ちます!!」
「僕がお持ちします」
 純粋な優しさを向けるミティアと、いいところを見せたいサキが申し出る。理由はどうあれ、協力する意志を持っていた。
「いや、あの、重いですよ?」
 竜次が荷物を背にやる。大きいスクエアバッグだ。彼はランタンも手にしている。医者カバンも腰にある。そして、大きい武器をも腰に下げている。
「剣神サンが動けなくてどうするデス?」
「で、ですがこんな重いもの……」
 ローズが竜次の眼前に迫る。ローズは竜次を『剣神』と呼んでいた。つまり、竜次が何者なのかを知っている。知っていて気を遣っているのだろうかとも捉えられる。
 竜次は渋々荷を下ろした。ぬかるんだ地面の泥が跳ねる。その様子から、ずしりと重いことがうかがえた。中身はランタンの油、予備のランタン、五人分の外套、携帯食料と缶詰、細々とした道具も入っている。主に重たい原因は水と食料だ。
「この人数だ。組んだばかりでどこまで動けるのかまだわからない。勝手のわからないメンバーで進むのも無理がある。荷物もそうだが、陣形も考えた方がいいな」
 ジェフリーがもっともな提案をする。もちろん荷物の会議も含まれている。ちらりとキッドに視線をおくるも彼女は警戒を緩めない。耳だけは傾けているように見えた。
「そこで、俺の意見と戦術アドバイザーとやらの意見を擦り合わせていい状態を組みたい。どうだ?」
 話の流れをジェフリーが作った。これにはミティアもサキも頷いて目を輝かせた。ローズは自分が頼りにされていると知り、驚いている様子だ。
「ちょ、ちょっとジェフ、出会ったばかりの人を信用するのですか?」
 ついに口にしてしまった。竜次はそう思いながら異議を唱える。場の空気が険悪になるが、これもきちんと話し合わなくてはいけない。
「疑いを持ってすみません。ですが、私たちは冒険のプロではありません。新たに人を招き入れたことによって、仲間を危険にさらしたくはないだけで……」
 人を簡単に信用するな。竜次はそう言いたいらしい。目でもジェフリーに訴えかけた。それでもジェフリーは意見を曲げようとしない。
「疑う必要はない」
「ジェフ、これだけ言ってもわかってもらえないのですか!?」
 ただの兄弟喧嘩ではない。このままでは仲間の命が危険にさらされるのではないかと危惧していた。
 ジェフリーは竜次が必要以上に心配をしていると判断した。ミティアもサキも落ち着いて聞いている。取り乱しているのは竜次だけだ。
 ジェフリーはローズの目を見て言う。
「クマから助けてくれたのはおばさんだ。それにさっき、兄貴を『剣神』と呼んでいた。俺たちの正体を知っている。少なくとも、森を抜ける目的が一致しているうちは変なことをしないだろう。どう考えても野戦向きの格好をしていないし、自分の生存率が下がる行為をするとは思えない」
 客観的だが、ジェフリーの意見は説得力がある。私情は挟まない。この意見を淡々と述べられるのは、学校でのサバイバル経験が生きているからだ。
「おばさんが、俺たちを陥れたい理由がわからない。心当たりがあるのなら、兄貴の意見を聞きたい」
「そ、それは……」
「俺が何らかの目的があって潜伏している人間だとしたら、森を抜けるまではおとなしくする」
 ジェフリーは持論を述べた。これが決め手となり、竜次はこれ以上食い下がらなかった。
 すっかり元気のなくなってしまった竜次を、ミティアが励ましていた。
「先生、大丈夫ですよ。初めてのことばかりで、不安なのはみんな一緒ですから」
 ミティアの支えがあるから立ち直れる。そう言っても過言ではない。竜次は必要以上に落ち込まず、荷物を整理しながら耳を傾けていた。

 ジェフリーがローズと話をまとめている。荷物を分散させる流れになりそうだ。
 荷物は竜次のカバン、ミティアのポーチ、サキの本を入れているポーチに食料を分散させた。かさばる外套やランタンの予備、多少の食料はローズが持つと申し出た。キッドとジェフリーは荷物を持たない状態だ。
 ジェフリーはランタン持ちを代わり、先頭で邪魔な草木を切り開く役割を担う。キッドは敵襲がないか、周囲を警戒する。この二人の役割は重要だ。
 キッドは野戦で技術も感覚も人一倍、もしくは、それ以上の鋭さを発揮している。彼女いわく、身体が勝手に動くらしい。同じ村で過ごしていたミティアが言うには、よく狩猟に出ていたようだ。今は弓矢を持ち、右脚には鉈を隠し持っているのだから遠近両方で攻撃手段がある。
 先頭をジェフリーが歩き、サキがランタンでは乏しい部分を明かりで補助をする。ローズが荷物を抱え込み、その横ではキッドが警戒をしている。はぐれないように竜次が最後尾を引き受けた。その竜次をミティアが気にかけて隣を歩いた。
 ミティアの存在は大きい。彼女は仲間の気持ちが沈まないように気を配ってくれる貴重な存在だった。話すことによって、気持ちが上向く。それが何でもない日常会話でも。
 意外とこういったところで『人を知る』のかもしれない。
 皆はそう思いながら森を進んだ。

 道中にはイノシシの足跡、木の幹には引っ掻き傷、動物の骨もあった。
 サキが懐中時計を確認し、声を上げた。
「もう暗いですね。まだ夕方にもなってないのに」
 生い茂っているせいなのか、日光が射し込まないせいなのだろうか、やけに暗い。
 霧も濃くなり視界が悪くなった。水辺が近い可能性がある。
 ジェフリーは持っていたランタンの明かりを小さくした。霧が濃いときに強い光では乱反射して見えづらくなるからだ。
 警戒しながら歩いたお陰か、小動物を見かけることはあったが大きな襲撃はなかった。
「結構来たと思うんですが、これでもまだ全然ですよね……」
 サキが疲れてきたのか、ため息をついた。
「休みたいのはわかるけど、道の真ん中でキャンプなんておすすめしないわ」
 キッドは厳しい意見を言いながら、サキに右手を差し出していた。
「ほらっ、しょうがないわね」
 何かの間違いかとも思う優しさだ。
 サキは疲労感を引きずりながらキッドの手を握った。変に強がらず、甘えるべきだと判断したようだ。
「助かります。すみません……」
「こういうときはありがとう、でしょ?」
 キッドは吐き捨てて手を引いた。
 先頭でやり取りを聞いていたジェフリーが苦笑いで振り返る。
「お前たち、いつ仲良しになったんだ?」
 ジェフリーの質問にキッドは嫌悪感を向けた。
「何よ、嫉妬? 悪いけど、あんたよりはまともな子だと思ってるわよ?」
 聞いたジェフリーは舌打ちをしながら再び前を向いた。どうやっても、ジェフリーとは仲良くしたくないらしい。
「あんたも、へらへら笑わないの。ちゃんと前を向いて歩きなさい」
 キッドはサキにも厳しく当たった。だが、その厳しさの中には優しさが含まれている。
 その微笑ましい光景に、ミティアが小さく笑う。
「カップルみたいだね……」
「あー……どっちかというと、姉弟に見えるデス」
 ローズも話に加わった。意外と打ち解けるのが早いかもしれない。
 笑い話をしているうちに、川のせせらぎが聞こえた。休める地点まであと少しだ。
 あたりはすでに真っ暗。相変わらず視界がぼんやりとして見通しが悪い。まだ先だが、川の周辺だけ少し開けていて明かりがほんのり反射する。それでも上から明かりは射し込まなかった。
 もう少しというところで、一行の進む右側から引きずるような音とともに、長く大きい黒い影が伸びた。
「何だこの音?」
 ランタンを掲げ、確認しようとジェフリーが前に出た。『何か』が不気味な音を立てている。その音は、引きずるような、振り上げるような……
「いけない!!」
 竜次が咄嗟にローズとミティアを庇いに入った。抜刀よりも早く、そのまま強い打撃を受ける。弾く音、響いたと思ったら、周辺のぬかるんだ地面を何かが跳ねていた。
「ひゃあぁぁぁ!!」
 ミティアの叫び声がした。視界が悪くて何が起きたのか、すぐには把握できない。
 乱した歩調でランタンの明かりが極端に小さくなった。サキの掲げていたフェアリーライトも、怯んだせいで小さくなった。
「痛いデスネ!!」
 ローズの声がした。その声は小さく遠い。
「ローズさん、何が起きたのですか?」
 サキが声をかけるが、すぐにジェフリーの声がした。
「何か来るぞ!!」
「わかりました!! 守りは任せてください」
 サキはポーチから白い魔石を取り出し、弾きながら右手を上に振り上げた。
「光の障壁!!」
 早い判断の防御魔法だ。うっすらと白い壁が展開された。
 触れた強い光でキッドが正体を暴いた。
「蔓よ、正体は植物だわ!!」
「キッドさん、目、いいですね!」
 キッドは暗闇から放たれた攻撃の正体を暴いた。
「どうする……?」
 ジェフリーは、ランタンを持ち直しながら策を考えていた。視界は最悪の状況。あたりに満ちている湿気で魔法も限られる。
「燃やせないなら氷デス!!」
 ローズがアドバイスを叫んだ。それでも声が遠い。かなりの距離を飛ばされたようだ。
「ワタシも援護するデス!」
 息を切らせてローズが合流した。
 ジェフリーは仲間を確認する。ミティアと竜次の姿がなく、声も確認していない。嫌な予感がした。だが、今は目の前のことで手いっぱいだ。
「くそっ……」
「感情的になるのはあとにして。あんたがみんなに指示を出してちょうだい!!」
 ジェフリーはキッドに注意を受けた。それでもすぐに切り替えできない。
「この状況を打開しないといけないのよ。わかってる!?」
「ジェフリーさん、ガードを解きますよ。どうしたらいいですか」
 二打目、三打目と追撃が障壁を打つ。サキが右手を上げたままつらそうだ。キッドが言うように、この危機を打開しなくてはいけない。ジェフリーは自身を奮い立たせた。この場の仲間に呼びかける。
「おばさんはできるだけ蔦を凍らせてくれ」
「りょーかいデス」
 ジェフリーの呼びかけに、ローズは白衣のポケットから試験管を取り出した。
「動きが止まったらキッドがそれを砕いて追撃を阻止。俺も援護する」
「わかったわ。でもあんたの出番はないかもね」
 キッドは弓矢を置き、右足から狩猟用の鉈を引き抜いた。
「隙を見て俺が本体に攻撃する。サキは特大の魔法を頼む」
「わかりました。氷……ですね」
 サキもジェフリーの作戦に同意した。

「解きます! 詠唱、いきますよ……」
 サキの合図でローズが両ポケットから試験管の媒体を構える。反撃の合図だ。
「信用いただけて光栄デス!! 働きマス!」
 ローズが媒体を投げ、蔦を凍らせた。
 キッドが前に出る。ランタンとフェアリーライトの光の反射を頼りに、凍りついた蔦を叩き砕いた。ジェフリーより動きが早い。蔦の攻撃は止んだ。相手の無力化に成功したようだ。
 サキが大きく息を吸った。手には青くて大きな魔石を持っている。
「行きます!! お二人はさがってください!」
 サキの合図でキッドとローズが後退した。
「アイシクル・カラミティーッ!!」
 放たれた魔石が青い粒子に変化する。魔石の光で植物の姿が明らかになった。
太く大きな茎には触手のような短い蔦が見えた。本当に巨大植物だったが無残な姿だ。それでも、危機が去ったわけではない。
 粒子は漂い、周囲の水分を含んで氷の刃になった。植物を針のむしろにし、氷漬けにした。
「ジェフリーさん!!」
 サキが合図をおくり、同時にフェアリーライトをジェフリーに移動させた。
 ジェフリーが氷漬けになっている植物に剣を振り下ろした。
 ガシャンとガラスが砕けるような音が響く。バラバラと氷が散った。
「よかった、うまくできて……」
 サキが大きく息をついた。だが、すぐに切り替える。
「せ、先生とミティアさんは!?」
 サキがフェアリーライトを泳がせたが、氷の欠片と湿った草木しか見えない。
「先生!! ミティア!!」
 キッドが大声で呼んでみるも、応答がない。
「おばさん、どっちに飛ばされたか覚えてないか!?」
 ジェフリーが焦りながらローズに方角の確認をするが、ローズは首を横に振った。
「戦ったせいで入り乱れてしまったのでわからないデス……ただ、かなり飛んだと思いマス……」
 ローズの白衣に泥が跳ねている。よく見れば膝は泥だらけ。そこから追えるかと思ったが、地面を見るもどこも粘土状にぬかるんでいる。
「何か手はないか?」
 ジェフリーが皆を頼るが、手詰まりだ。知恵を絞る。
「こういうときは固まって動いた方がいいわ。あたしたちも安全とは言い切れないでしょ」
 キッドが低い声で言う。彼女は野営の経験者な上、皆より慣れている。先程の有事でも、大きく取り乱さなかった。
「この視界なら、明るくなってから探すのが一番いいと思う」
 本当は取り乱したいほど、心配しているはずだ。
「川を目指していたのなら、キャンプを張りながら火を起こすのはどうデス?」
 ローズも提案した。今すぐにでも二人を捜索したいジェフリーは、この提案に迷いを見せる。
「火の煙で場所が分かってもらえるかもしれない……か……」
 サキに視線を向けると、かなり疲弊していた。疲労の色があったのに、魔法を任せてしまった。連れ回すのも悪いし、彼が倒れては困る。
「川を目指しましょう。このお化け植物は進行方向に対して右からだったはずだから、たぶんこっちだと思う」
 苦渋の選択だった。だが、キッドもわかっていた。地図がないのに冴えている。無言でサキの手をつないで引いた。
「……僕のせいですね、すみません」
 サキは体力がないと自覚している。ゆえに、皆の探したい気持ちを諦めさせたのだと責任を感じていた。
 ジェフリーは最悪の想定をしていた。もし、ミティアも竜次と合流していないなら最悪だ。竜次は何とでもなるだろうが、ミティアが一人ではぐれた想像をしたくはない。


 竜次は、ほぼ暗闇の視界で目が覚めた。顎がひどく傷む。強打したようだ。
 後頭部にも鈍い痛みが走った。脳震盪を起こして一時的に気絶していたと判断する。さらに、起き上がろうとして左の手首に電気が走ったような痛みを感じた。
 脳震盪を起こすほどだ、もしかしたら手首も負傷している可能性がある。
 泥の付着が少なく、腕に擦り傷が多い。植物独特の青臭さを鼻に感じた。
「何だか、今日の私、ツイていないみたいですね……」
 虚しい独り言だ。冷たい返しも、突っ込みをする人もいない。まずは一人であると確認できた。
 覚えている限り、庇ったのは、ミティアとローズだ。彼女たちは大丈夫なのだろうか。
 まずは暗闇から解消しようとポケットを探った。ランタンはジェフリーに渡してしまったので、持っていない。胸ポケットから、ペンライトを取り出した。
 頼りにならない光だが、ないよりは絶対にいい。ペンライトを捻るが、ほんの少ししか先が見えない。
 襲いかかる虚無感と孤独に絶望する。状況は最悪。体も、置かれている状況も。
 孤独とちらつく死に、今まで抑え込んでいた自分が崩れてしまいそうだった。いつも冷静で、落ち着いた口調で、誰にでもにこやかに接している。そんな偽りの自分が壊れそうで手が震えた。

「あっ、明かり……?」
 弱々しい女性の声だ。幻聴だろうか。追い込まれてしまったあまり、竜次は耳を疑った。
「幻聴……か」
 感覚を研ぎ澄ますが、物音がしない。やはり独り言のようだ。
 今は茂みの中にいるのだと把握した。足が引きずられ、ガサガサと音が立つ。
「もしかして、そこにいるのは先生?」
『先生』と呼ばれ、声のする方へ明かりを向ける。ぼんやりとした靄の中に、赤い異色が見えた。心当たりがある。
「まさか、ミティアさん?」
「せ、せんせ……ぐすっ……」
 竜次の呼びかけに対して、すすり泣く声がした。
「そこを動かないで。今、行きますから」
 足元にライトをかざしながら道を戻った。茂みの中で座り込んでいるミティアを発見した。彼女もまた、底知れない恐怖と孤独に襲われて泣いていた。
「大丈夫ですか? お怪我は……」
 しゃがんでミティアを確認する。彼女の右手肘から先が真っ赤に腫れていた。
「こんなに腫れて……冷やさないと」
「せ、ん……せ……」
 消えるような声だった。ミティアが竜次に飛びついた。胸の中で縮こまって震えている。
「わ、わたし、怖くて……」
 いつものような軽口をたたく余裕はないが、竜次は彼女を宥める。
「だ、大丈夫です、私も一緒なので……」
 竜次がミティアの髪を撫でる。大丈夫と言いながら、手は震えていた。
「わ、私がしっかりしないと……」
 責任の大きさに耐えられなくなり、奥歯がカチカチと音を立てた。
 ミティアは竜次の様子を見て、明らかにおかしいと心配をする。
「先生は、大丈夫ですか?」
 竜次は大きく息を吐いた。ここでミティアに余計な心配をかえてはいけないと、かぶりを振って答える。
「私は大丈夫です。まず、茂みを抜けましょう。身動きが取れませんし、視界が悪すぎます」
 竜次が立ち上がろうとした。すると、ミティアは縋るように腕にしがみついた。
「あの、わたし、足も怪我をして、立てなくて……」
 竜次がペンライトで足を照らした。ミティアの右足は蚯蚓腫れになっていた。こちらは新しそうだ。
「バネ草を踏んでしまったのですね。痛かったでしょうに……」
 怪我をして、明かりもなく、誰もいなかった。怖かったに違いない。
 竜次は腕で抱え上げようと試みた。だが左の手首が痛さを訴える。ズキズキと走る苦痛に竜次の表情が歪んだ。
「せ、先生……?」
「すみません、お背中どうぞ」
 腰のカバンを前に移動させ、刀の鞘も動かした。ミティアがおぶさったのを甘い香りが知らせる。彼女が持っているポプリの香りだ。確認し、立って振り返った。進行方向を確認する。
「ライト、持っていただけませんか?」
 竜次はミティアにペンライトを持たせた。
 羽虫が寄って来たが、大きな遭遇はなく茂みを抜けた。開けた場所だ。お互いの姿を確認できた。
 少し小高くなった丘の岸壁で休憩を取ることにした。ミティアを下ろし、気を遣って少し距離を取って竜次も腰を下ろす。だが、ミティアは這うように寄った。彼女は震えながら、猫のように身を寄せる。
「ミティアさん、それ……」
 竜次は彼女からペンライトを受け取った。ペンライトなので電池は長く持たない。節電を意識していた。
 月明かりなのか、何の光かもわからないがあたりはぼんやりと明るい。視界明瞭までいかないが、ここなら処置が施せそうだ。
「もう少し川に近づきたかったのですが、ここで手当てをしましょう」
 竜次はカバンの中を探ってタオルを水筒の水で濡らした。
「右腕はこれで押さえて冷やしてください」
 ミティアは頷いて従った。
「足は……広範囲ですが、水膨れにはなっていなくてよかった。これなら、跡も残らずに済みそうです。ちょっと待っていてくださいね」
 カバンの中を探る彼を見てミティアは竜次の違和感に気がついた。彼の手を止めさせる。
「先生、左手を庇ってる」
 ほかに見るものがないせいかもしれない。ミティアが鋭い指摘をする。
「私はいいから」
「だめっ!!」
 竜次はミティアから強い反発を受けた。出会ってからこんな彼女を見た記憶がない。
 ミティアはすぐにしゅんと縮こまった。
「す、すみません……生意気を言って」
「……あとでします」
 ジェフリーに小言を言われることはある。だが、他人に強く言われることは滅多にない。久しくも懐かしい感覚だった。
 ミティアの足に軟膏が塗られた。竜次は馴染むまであまり動いてはいけないと言う。彼女は素直にじっとしていた。しないつもりだったが、竜次は自分の手首に湿布と包帯を巻く。緩まないように手袋まではめた。
 竜次は処置が終わって、肩から深いため息をついた。緊張と疲労が重なる。
 深呼吸をして落ち着こうとする竜次の横では、ミティアが膝を抱えて涙ぐんだ。
「どうしました? まだどこか痛いところがありますか?」
 ミティアは小さく首を振った。口にしないが、皆の心配をしているのだろう。不安が見え隠れしている。残念ながら、竜次にはその不安を拭うことができない。皮肉を口にした。
「私とでは退屈でしょうね。ジェフだったら、面白い話をしてくれるかもしれませんけれど……」
 竜次は気の利いた話はないと言い張った。だが、ミティアは竜次にくっついたままずっと見上げている。
「じゃあ、薬が乾くまで、先生の話が聞きたいです……」
 竜次は気まずそうに髪を搔き上げる。
「私の話……か、そうですね。そろそろお話してもいいかもしれませんね……」
 疲労で眠たそうなミティアの視線を気にしながら、竜次は息をついて話し始めた。

「まず、私は半年前に死んでいます」
「……!?」
 竜次の言葉に、ミティアはビクッと反応した。予想はしていたが、こんな反応は序の口だ。竜次は自身の記憶を掘り下げ、語った。
「私は沙蘭の国を治めるように、幼いころから英才教育を受けていました。でも、出会ってしまったのです。一国の王、そんなものを捨てても寄り添いたいと思う最愛の人に……」
 竜次は言ってから、弄ぶように手を組んだ。重い話なのに、ミティアは黙って聞いている。
「強くて、美しい人でした。貧しい家の出身で、沙蘭で私に剣術の手ほどきをしてくれた家庭教師です。将来、王となる私に対して『普通の人』として接してくれた、数少ない人でした」
 どうしようもない虚しさが押し寄せる。掘り下げられた思い出は闇に覆われた。
「私は彼女と身分を越えて惹かれ合いました。ですが、彼女の体は重い病に蝕まれていました。家族への仕送りと負債で、ずっと体を粗末にしていたのです」
「えっ、そんな……」
 竜次は横目でミティアを見る。彼女は涙を浮かべていた。
「貧しかった彼女に医者はつきませんでした。今まで彼女が尽くしていた家族はお金を持って逃げてしまい、見放されてしまったのです。私は自分が持っていた知識と権力を使い、通常四年、五年かかる道を一年半で駆け上がって医者になりました。ですが……」
 竜次が両腕を抱えて震えた。自分に対して馬鹿らしいと笑う。
「私が白衣を着るころ、彼女はすでに手遅れでした。苦しまない方法で看取るしかできなかった」
 横ではすすり泣く声がする。竜次は馬鹿らしいと自身を嘲笑った。
「私は国を捨て、妹や家族にも迷惑をかけたのに何も残らなかった。失った絶望と孤独に押し潰されて自暴自棄になりました。せっかく、家族の厚意で話をもらった医者としての仕事先で、私は自殺をしたのです」
 竜次が始めに言った、半年前に死んだ。それがここに結びついた。ミティアは息を飲んだ。
 国の者ならばお金がありそうなものだが、きっと国と権利を捨てた時点で懐など知れている。いや、国のお金を使って医者になったのなら、褒められはしないだろうがもっとほかに手はあったはず。よほど、焦っていたのだろう。追い込まれた人間は視野が狭くなる。思考も鈍り、正確な判断が難しい。その典型的な例かもしれない。
「なぜ仕事先でやったのか、死に急ぐあまりに自分でもわからなかった。あとから考えたら、周りは医者なのですから、処置も早くて助かりますよね」 
 今思い返しても、この行為は馬鹿だと思っている。竜次は物悲しい表情を浮かべたまま、笑みを浮かべる。
「私の精神的な事情、患者にはしていない点から免許の剥奪はされませんでした。ですが、信用と信頼はなくなりました。面倒になったのか、私はマーチンの診療所に飛ばされ、ほとんど患者に触れない下働きをしていたのです。患者さんの案内や薬の補充をしたり、カルテの整理をしたり、先輩の論文を補助したり……」 
 医者らしい仕事をしていなかったと暴露した。行き着いた先は医者としての中身がない、ただ流されている日常。
「でも、マーチンに左遷されたときに、何年も交流していなかったジェフが、借家に転がり込んで来たのです。理由は言わなかった。口に出してくれませんが、私を支えてくれていたのかもしれません」
 思い返して、ここで優しい笑みがこぼれた。弟のジェフリーが、死んだように生きていた自分の支えになっていた。
「私は王にならなくてはいけなかった。常に周りからは期待され、『誰もが望むいい子』であり続けなくてはいけないと縛られ続けられたのです。当然、友だちなどいません。ずっと一人だった私に、光をくれたのは死んでしまった彼女です……って、ミティアさん大丈夫ですか!?」
 ミティアは疲労と緊張で眠そうにしていたのに、真剣に聞いていた。そして、泣き崩れていた。
「せ、ん……ゔっ…………ひ、ぶっ……うぅっ……」
 むせび泣くあまり、何を言っているのかわからない。ここまで泣くとは思わなかった。竜次は困惑しながらミティアの顔を覗き込む。
「そんなに泣かなくても……」
「だって先生、泣かないんだもの。どうして……どうして泣かないんですか?」
 ミティアが泣きながら質問をする。自分の悲しい過去を話して、どうして泣かないのだろうかと。
 血も涙もない人間と思われるかもしれない。竜次は理由を言うのが怖かった。弱さをさらけ出す気持ちだったが、ゆっくりと口を開く。
「泣きたくても、泣けないんです。泣いてはいけない人間だったので、ね……」
 物悲しい表情はできる。それでも、泣くまでは許されない。自分は『王の器』を背負った、『誰もが望むいい子』でなくてはいけなかった。竜次だって、本当は泣きたい。長い年月、封じていた泣く行為。それがどうやったら引き出せるのか、忘れていた。
 もう王ではない。その権利を放棄した。人として、泣いていいはずなのに。
「じゃあ……わたし、先生の代わりに、先生のために泣きます……」
 ミティアはしゃくりあげながら、顔を覆った。竜次はこの言葉に心を打たれた。
「私の、ため……?」
 自分のために泣いてくれる優しさがうれしい。竜次は抱いてはいけない『想い』を押し殺そうと必死だった。自分の中から、孤独を消し去りたい思いでミティアの肩を抱き寄せる。
「私……最低だ……」
 仲間や弟に対する裏切りだ。この行為を恥じた。恥じたところで、この虚しさを埋めるものがない。この極限の状態で小さく肩を震わせて泣く彼女が、今は愛おしくて仕方ない。
 だけど……。
「いけ、ない…………」
 竜次はかぶりを振って、ミティアの肩を叩いた。
「取り乱してごめんなさい。もう少し頑張って、川まで出ましょう」
 今は、一時の感情に流されてはいけない。
 涙を零し見上げる大きい瞳は、泣き止もうと必死だった。
「わ、わたし、自分で歩きます……」
 そう言ってミティアは自分から立ち上がった。
「足は大丈夫ですか?」
 竜次は自分の処置が適切だったのか不安だった。その質問にミティアは大きく頷いた。
「先生、いっぱい頑張ってるんだもん。わたしも頑張らないと……」
 ミティアが笑顔になった。だが、すぐに腕を抱えて震えだした。
「わわっ、寒い……先生にくっついていたせいでわからなかった」
 竜次も立ち上がって寒気を感じた。まるで冷気が流れて来たようだった。カバンの中を探った。外套はローズが持っているのでここにはない。
「これでもどうぞ。羽織るだけでも違うとは思いますよ」
 竜次が引っ張り出したのは白衣だ。ミティアは間を丸くし、驚いた。
「えっ、でもこれって……」
「ここでは使いませんし、お役に立てれば」
「で、でも、先生の……」
「いいから。お兄さんの言うことは素直に聞きなさい」
 竜次はお兄さんぶりながら白衣を広げる。ミティアの遠慮を塞いで、無理矢理羽織らせていた。
「おや、これは意外と暗闇で目立つかもしれませんねぇ」
 薄い生地だが、音が立つ。薄暗いゆえに、そこに誰がいるはともかく、白い存在があると把握が可能だ。
「先生は寒くないんですか?」
 ミティアは心配をしながら質問をした。その質問に対し、竜次は笑みを浮かべる。
「心があたたかくなったので大丈夫ですよ。私という存在を知ってもらえて、うれしかったです……」
 竜次は言ってからコンパスとペンライトを取り出した。コンパスで方角を確認すると、ペンライトの明かりで方角を指した。
「行きましょう。川に出るにはこっちです」

 ジェフリーにも話していない過去をきちんと人に話したのは初めてだった。
 成り行きだったが、ミティアに本当の自分を打ち明けてしまった。うしろから白衣をばたつかせ、妹のようについて来る彼女を、今は自分が守らないといけない。
 また、偽りの自分を演じ続けて行かねばならない鎖を感じながら、重い足を進めた。
 淡い想いとは別に抑制している思いがあった。
 
 言えない。
 言えば、信頼を寄せてくれているミティアを裏切ることになるのだから……
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