トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【2】疑惑

背徳のあしおと

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 フィラノス滞在の三泊のうち二泊が明けた。
 今日は王都祭当日だ。街中は賑わっている。締め切った部屋だというのに窓からは人の声が聞こえてくる。
 外出は夜を待とうと判断し、一同は揃ってこれから先のことを話し合う。一筋縄ではいかない旅路になりそうだからだ。
 起きた者から身支度や準備を整え、全員が揃ったのは昼前だった。
「うぅ、筋肉痛だ……」
 最後に起きたミティアが毛布に包まったまま、絨毯の床を這った。
「筋肉痛って、昨日は何をしたのよ?」
 キッドがチョコレートのクロワッサンを、頬張りながら呆れている。竜次が売店で食べ物を調達してくれたようだ。テーブルの上に袋に入ったパンがいくつかある。菓子パンから総菜パンまでよく見つけて来たものだ。
「一緒に剣術の稽古をした。変な勘繰りをしなくても、サキも一緒だった」
 ジェフリーは誤解を生まないように、目撃者という保険を主張した。キッドは悪態もつかず、言い返しはなかったが、何か考えているようだ。
「おや、ミティアさんが剣術を?」
 お茶を差し出ながら、竜次が首を傾げる。だが、その表情は明るい。
「心強いですね……これから挑むのは、危険な場所ですので」
「ふぁい、とりあえず顔を洗いまぁす」
 ミティアが目を擦りながら、離席した。朝方に帰って来て、それから仮眠なのだから眠かろう。
 竜次とサキがテーブルの地図を眺めている。地方の地図であって、全国の地図ではない。それでも想像の膨らむ言葉を交わした。
「サキ君は、フィラノス以外の街へは?」
「行ったことがありません。でも、大きくなったら街に限らず、探検してみたいと思っていました」
「おっと、それは見上げた探求心ですねぇ。そのためでしたら、まずは体力をつけないと」
「うぅっ、それは頑張ります……」
 くだらない話をしていると、ミティアが手櫛で髪を解かしながら戻った。くせ毛が気になっているが、そのくせ毛を巻き込んでうしろで摘まむと、きゅっと結んだ。
「これ、いただきます。今は何の話をしていますか?」
 キッドと同じクロワッサンを手にしながら、テーブルの上を見る。
「ん、いえ、これからさらに北に向かいますが、どう対策しましょうかね……って」
 竜次は世間話を避けて、本題を振っていた。世間話をしてもいいのだが、それはいつでもできる。
 サキも話の流れに乗って、地図を指で叩いた。
「沙蘭へ向かうにはこの森、スプリングフォレストを抜けないといけません。学校の実習で行きましたが、クラスの中で三人行方不明になりました」
 サキがしれっと恐ろしい体験を口にした。地図を見ると森が広がっている。この森がどんなに恐ろしいのか、兄弟も話し出した。
「俺もガキのころに兄貴とやんちゃしてたな。沙蘭側から入って二日迷った」
「あれは姫子が探しに来なかったら、二人とも死んでいましたね」
「兄貴がもっと奥まで行こうって誘ったせいだろ?」
「ジェフだって楽しんでいたくせに……」
 森について話してはいたが、兄弟喧嘩へ脱線した。二人は咳払いをし、話を戻す。今度は森の広さを指摘した。
「広いんですよね、川も沼地もありますし。それに……」
「なぁ、『あれ』ってまだいるのか?」
「どうでしょう……あの泥まみれの、タコのようなイカのような沼の主ですよね? さすがにもういませんよ。私たちが子どものころの話ですよ?」
「そうだといいな」
 ミティアとキッドは話について行けていないが、怖い森を越えようとしているのは把握した。これは作戦を考えないといけない。
「危険な森って言っていましたが、スプリングって穏やかそうな名前ですね?」
 ミティアが緊張感のない質問をした。
 おそらく勘違いをしている。ジェフリーがないないと首を激しく振って答えた。
「そのスプリングじゃない。森のあちこちに、バネ草が生えてるんだ」
「バネって、あのびょんびょんするバネですか?」
 ミティアが両手の人差し指で、もみあげをくるくると巻いてみせる。彼女が思っていたスプリングは『春』。つまり、温暖で緑豊かで歩きやすく、小鳥などの小動物がのぞく森を想像していたのだろう。
 実際はそんなものではないと物知りが黙っていない。
「うかつに触ると鞭打ちくらいの怪我をしますよ。踏みつけると、バネの要領で飛べるらしいです」
「結構痛いぞ、ひどいとみみず腫れになる」
 サキの解説にジェフリーも加えた。
 キッドが腕を抱えて身震いした。想像しただけでもう痛い。
「植物が多いので虫やナメクジもいます。虫除けのお香をランタンに混ぜないといけませんね。これは絶対に備えておかないと」
 竜次が買い物リストに追加している。
「ひっ、虫ですか!? あんまり足が多いのは苦手です」
 ミティアまで身震いしている。苦手なものも女の子らしい。
「虫が多いんなら、動物もいるんでしょうね」
 キッドが顔をしかめる。
 サキが森の特徴で不安なことを加えた。
「霧で湿気が多く、火の魔法がほとんど使えなかった記憶があります。魔石を使って魔力を増せば、少しは違うかもしれませんけど、基本は使えないものとして考えないと」
 スプリングフォレストの情報を整理する。

 ・子どもが入ると迷う。
 ・魔法学校の実習で行方不明者が出る。
 ・危険な植物が生えている。
 ・虫が多い、加えて動物もいると予想される。
 ・湿気が多く、火の魔法がかかりにくい。
 
 一番気になったのは、沼にいる主の存在だ。もういないかもしれないと竜次は言っていたが、頭の片隅には置いておこうと意見がまとまる。

「一応、森の地図があるのですが、五年も前のものです。あまりアテにはできませんが、休憩ポイントが多いので、はぐれなければ、二日……くらいでしょうか」
 竜次が違う地図を取り出した。今度の地図は白黒の印刷物だ。観光案内かギルドでもらったものだろう。地図に赤ペンでマークがある。横に予定時刻が書いてあるが、どうせこれもアテにはならない。
「やっぱり我々だけで挑むんですよね?」
 サキが今一度確認する。この様子だと、不安要素は多い。自分たちだけで挑む懸念はまだある。
「野営は実習でやったけど、どこまで覚えてるかな……」
 ジェフリーが最大の不安要素を口にした。女性もいるのだから、野営は避けたいのだがやむを得ない。
「わぁっ、野営って、つまりキャンプをするんですか? 楽しみです!!」
 ミティアの表情も声も明るくなった。どうも彼女は緊張感がなく、発言が浮いている。
 皆が言いにくそうにしているので、ジェフリーが説明した。
「あ、あのだな。テントを張ったり、キャンプファイヤーをしたり、そんなことはしないぞ」
「えっ!? そ、そんなぁ……」
「今の話を聞いて、そんな大道具を持って行けると思うか? 肉食の動物に遭遇して逃げられるか?」
「じゃあ、どこで寝るんですか?」
 ミティアの質問は調子はずれを通り越している。厳しいと予想される森に、遊びにでも行くつもりだったのだろうか。外の世界に期待を馳せるのはかまわないが、どうも緊張感がない。
「そのあたりよ。やわらかそうな草むらとか切株とか。座って寝るのがいいかもね」
 キッドが人差し指を立て、話に加わった。
「あたしも経験があるけど、虫が多かったら休めもしないんじゃないかしら? それに、動物が出るようだと、交代で見張りを回さないといけないわね」
「キッドはそういうの、詳しいのか?」
「まぁね……」
 ジェフリーの質問に対し、キッドは嫌な顔をせずに答えている。彼女が話に参加するのは珍しい。今までは黙って聞いていることが多かった。話に参加してくれるのは心強いとジェフリーは思った。
 ジェフリーも野営の経験がある。だが、キッドの方が詳しいようだ。
「慣れないうちは、水場の近くで休むといいわ。木の多い場所だと何かあったらはぐれたり、逃げ損ねたりするのが怖いから。うまく組めるといいんだけど……」
 キッドが地図を見てアドバイスをした。意外なところで彼女の知識が役に立った。竜次と地図をにらめっこしながら、進み方を書き加えている。キッドからの歩み寄りを感じた一面だ。
 作戦会議は夕方まで続いた。この話し合いでどこまで危険が回避できて、心構えが整うのかはわからない。

 竜次がお金とメモをジェフリーに渡した。
「はい。ジェフは、キッドさんと仲良く買い物をしてくださいね?」
 彼は満面の笑みで凍りつきそうなことを言った。これにはジェフリーも黙ってはいられない。
「はぁ? 兄貴、何を言って……」
「えっ、ちょっと先生!?」
 言われてキッドまで驚いている。表情が嫌そうだ。それでも竜次は笑顔を崩さない。
「経験者でしたら、詳しいでしょ? お金は多めに入っていますので、必要な物があったら相談なく買い足していいです。でも、くれぐれも無駄遣いはしないでくださいよ?」
 野営用の道具が書いてある。火を起こせる道具、ランタンの油、虫除けのお香。ほかにも細々したものが書いてある。足してもいいと言っていたが、逆にここから要らないと判断したものは削っていいようだ。
 ジェフリーはメモを見て、食料がないと気がついた。一応確認をとる。
「兄貴はどうするつもりだ? この内容だと手分けして買い物をするんだろう?」
 竜次はにこやかに、そして見せつけるようにミティアの手を取った。
「食べ物とお薬です。ミティアさんにお手伝いをしてもらいます」
 意図を感じたが、変な買い物をされるよりはいいだろう。ジェフリーは渋々納得した。
 ジェフリーはサキに視線をおくる。
「で、お前はどうする?」
「んー……」
 サキは少し考えてからキッドの顔を見た。
「な、何よ?」
「僕もご一緒していいですか?」
 あざとい上目遣いをしている。キッドはじっと見ることなく、そっぽを向いた。
「勝手にしなさい。そいつが無駄遣いしないように、よく見張ってなさいよ」
 サキはキッドとも仲良くなりたいのかもしれない。ジェフリーは、キッドと二人だったら、いちいち言い争いになりそうで気が重かった。サキが加わってくれて助かったと思った。
 分担が決定したところで竜次がまとめる。
「外食は無理でしょうから、ご飯は買って来ますね。買い物が終わったらここに集合です」
 確認を終え、皆は街へ出発した。

 パレードがあるらしく、表通りは通行の制限がされていた。途中までサキが道案内をする。
「もう少し先に行くとワッフル屋さんがあって、直進すると大きな薬屋さんがあります」
 大図書館とは違う方角を指して案内した。竜次とミティアは別行動だ。いったん離脱した。

 残った三人は繁華街に足を運んだ。パレードがあるせいか、飲食店が賑わっている以外の混雑はない。
「さっき、ワッフル屋さんがあるって言ってたわね? 前、表通りにあったあのおいしいところ?」
 キッドは歩きながらサキに質問をした。フィラノスの話ならサキの反応もいい。
「そうですよ。甘い食べ物のお店は女性に人気ですよね」
「場所が変わっただけで、まだあったのね。よかったぁ……」
 意外な話で距離が縮んだ。聞いていたジェフリーは、『食べた』と余計なことは言わない。
 キッドもフィラノスに思い出があったはずだ。サキが言葉の地雷を踏まなければいいのだが、立ち回りがうまい。この街には詳しいのだから、店の勝手は知っている。詳しく話さなくても、サキはキッドが口にした『場所が変わった』から心情を汲み取った。
「僕もいい思い出ばかりではないですが、感傷に浸っても仕方ないので……」
「まぁね、過去は過去よ」
「僕もそういう考えは好きです」
「へぇ……」
 思っていたより、仲良くなるのが早いかもしれない。ジェフリーは黙って会話を耳にしていた。忘れていたが、一度は突き放すのもキッドだった。
「でもあたし、まだあんたを信用してないから」
 油断したが最後、キッドが本性を見せる。だが、サキもここでめげない。
「そうですね。今の僕には、信用に値する材料は何もないです。はじめから信用してもらえないのは、当然だと思います」
 キッドは熱意に負けたのか、黙って聞いていた。喧嘩腰にならない彼女が珍しい。
「当事、その場所にいた人たちには、恨まれて当然だと思います。そういう人のもとに僕はいたのですから。だから、何かを築く努力をしないといけないと思います」
 サキが熱弁すると、キッドが足を止めた。
「あんたみたいな子、珍しいわね……」
 キッドは小難しい表情をしているが、口元は微笑を浮かべている。反応は悪くない。
「せいぜい頑張りなさい」
 サキは無邪気な笑いを浮かべ、大きく頷いた。
「はいっ!! よろしくお願いします」
 サキがここまで自分を奮い立たせるのは、『拾った母親』に認めてもらいたいと努力をした経緯があるからだ。キッドは現時点でこれを知らない。それでも、キッドは優しい。ジェフリーは、自分とは明らかに接し方が違うのを不思議に思っていた。


 ミティアと竜次は裏通りを進み、サキが言っていた大きな薬屋に入った。品揃えがいいお店だ。ほかにも買う物があるので、あまりゆっくり滞在はできない。
「先生、どんなお薬を買うんですか?」
「うーむ、無難な薬……かな」
 竜次は、虫刺され用のかゆみ止めや炎症を抑える塗り薬を見て、渋い反応をしていた。
 ミティアは純粋に買い物が楽しそうだ。見慣れない物ばかりではしゃいでいた。
 竜次は医者だが、いくつか手に持ってため息をついた。ライセンスを提示して強めの薬がほしいと言えないのが、どうにももどかしい。なぜライセンスを出せないのかは、書かれている名前だ。鎖国をしているとギルドで出回っている。スパイかと疑われてしまうかもしれない。立ち回りが難しく、竜次は頭を抱えていた。
 ミティアが店の隅っこの棚で首を傾げているのに気がつき、竜次は顔を上げた。
「こぉら、うろうろしないの」
 店の端にミティアが立っている。彼女は棚に陳列されている箱に見入っていた。カラフルなパッケージとハートが描かれたその箱の中身がどんな物か、興味津々だったようだ。家族を叱るような口調で止められたのに疑問を抱き、ミティアはさらに首を傾げた。
 ミティアはちょっと目を離すとどこかへ行ってしまう。フィラノスでは迷子になったこともあった。外歩きに慣れていないようだ。
 お店の人の視線に気まずくなった。咳払いをしながら竜次はさっさと会計をする。ただの買い物なのに、こんなに気疲れするのはなぜなのか。
「先生、元気ないですね……」
 会計を済ませ、二人は退店した。
 竜次は、ミティアに同情された。元気がない理由の半分は彼女のせいだ。
「強いお薬は手に入りませんからね、名前を出しにくいですから……」
 竜次はもう半分の違う理由を答えた。
「さて、食料は繁華街ですね。戻りますか」
 気持ちを切り替えて、次の買い物を提案する。
「先生、荷物、持ちますよ?」
 薬の入った紙袋に触れようとして、ミティアがずっこけた。
「わぶっ!!」
 竜次も紙袋を持つ手を引いたのがいけなかった。ミティアが竜次に抱き着いた状態になってしまった。
「うーん……?」
「はははっ、よくできたラブコメ、ですね……」
 ミティアが持っているポプリのせいだろう。彼女はいい香りをまとっている。まだ出会ってから数日というのに、この急接近には竜次も戸惑ってしまった。
 邪な思いが芽生える前に、メインストリートから空砲が鳴った。これからパレードが始まるらしい。通りが急に明るくなり、賑やかになった。見慣れないものに好奇心を抱くミティアはそっと離れ、メインストリートへ視線を向ける。
「遠くからなら見ていいですよ?」
 竜次の厚意に、ミティアはぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そんな、いいです。って、先生!?」
「見たいって顔をしてますよ」
 竜次はミティアの手を引いて歩き出した。
ミティアから見た竜次の横顔は、子どもっぽい笑い方だった。知らない一面だ。普段は落ち着いた『大人』なのに、意外に思った。
 パレードが通過する通りから離れていたが、二人の前にはすでに見物客がいた。かろうじて、人の隙間から少し覗き見ることができた。
 松明を持った者が道を照らす。次いで鼓笛隊が通過した。綺麗な衣装に身を包んだ人、お城の人らしき正装した男性、子どもも見られた。関係者や催し物担当の人だろう。
 王都祭の真意は知らない。だが、こんなに明るく楽しい催し物を見られたら、一瞬だけでも『理不尽』を忘れられそうだ。
「わぁ、楽しそうですね。こういうの、はじめて見ました」
 ミティアがやけに目を輝かせている。あまりに純粋な反応に竜次は見とれてしまった。ひと区間だけ見て、パレードを追う人たちにかまわず彼女は向き直った。
「ありがとうございました。見られて、ちょっとラッキーだったかも?」
 ミティアが可愛らしく、含みのある笑いをする。
 竜次はあえてかぶりを振って気を引き締めた。ここで気を許すと、彼女のペースに陥りそうだ。年下なのに甘えてしまいたくなる。
「ジェフと見たかったくせに……」
「ふぇっ!? わわっ……」
 竜次はミティアの頭を撫でながら言う。
「あまり私を期待させないでください」
 ミティアの行為には下心がない。あまりこのままの調子だと、いつか悪い人に騙されないかと心配になる。教え込んでもいいのだが、彼女の純粋さを汚すようで竜次の良心が痛んだ。

 繁華街に戻る道で、ミティアが竜次に質問をする。
「先生は、どうしてわたしに親切にしてくれるのですか?」
 純粋な質問だった。あまりに真っすぐで、ちゃんと答えないといけないと竜次も返事を考える。考えながら前を向いたが、今度は緊張が走った。さすがに冷静ではいられない。
 二人の視線の先には、銀髪で黒マントの男が立っていた。周辺に人はいない。街の人は、パレードを追って夢中だ。
「あっ、あの人……」
 ミティアが声を震わせ、縋るように竜次の左腕をつかむ。怯えるのは当然だ。この男に連れて行かれそうになったことがあるのだから。
 以前と違って男の怪我が癒えている。完治とまではいかないだろうができれば戦いたくはない。なぜなら、ミティアも竜次も丸腰だからだ。だが、街中で一方的にねじ伏せに来るだろうか。竜次は疑問に思いながら、男の腰から下がっている二本の刀を確認した。考えが正しければ、戦わずに済むかもしれない。
 銀髪黒マントがゆっくりと歩み寄って質問をした。
「悠長に遊んでいたようだな。念のため進捗を聞こう」
 何とか、自分がミティアを守らないといけない。竜次はそう思い、ミティアを背中に隠れさせた。
 幸いにも、話だけで済みそうだ。向こうも武器を抜いて来る様子はない。
「進捗ですか?  ゼロからイチになった程度ですが、何も得られなかったわけではありません」
 普段は物腰柔らかく話す竜次だが、それなりに強めに言った。
「ご希望でしたら、武器をお持ちします。それとも、無理矢理人さらいをするつもりですか?」
 竜次はそのつもりなら勝負しろと持ち込んだ。刀を持っているのだから、流儀は同じ、もしくは似ていると考えている。一方的に振っては来ないはずと踏んでいた。
 銀髪の男は微かに首を振った。
「いや、顔を見ればわかる。話が進んだのならそれでいい」
 男の黒いマントが夜風になびいた。腕を組んでミティアに視線を向けている。
「どうせ、俺と来る気はないだろう」
 やはりそうだ。一方的に剣を抜いては来ない、沙蘭の剣術の心得を持っている。竜次は
「私もおそらく同じ剣術を使います。優れた剣豪とお見受けしますが、お名前をお聞きしてもいいですか?」
 わずかに緊張が解けたところで、竜次は名を訊ねた。
 男は鼻で笑っていたがついに名乗った。
「クディフ・プラキアット・シルバーリデンス。俺の名を知ってどうする?」
 竜次が軽く一礼した。名前をもらったのだから、礼儀として当然だ。
「私は、竜次・ルーノウス・セーノルズです。同流儀の剣豪でしたらお名前くらい、耳にしたいと思いませんか?」
 涼しい表情だったクディフが顔をしかめた。話に食らいついた。
「沙蘭の剣神? いや、亡霊か」
「亡霊は初耳です。私にはそんな通り名もあったのですね」
 竜次は毅然とした態度で受け応えている。通り名など、迷惑に思っている。それよりも、取り乱して隙を見せてはいけない。
「これは面白い」
 クディフは竜次を知っているようだ。まるで嘲笑うように口角を上げる。
 意味深な会話に入らないまま、ミティアは黙って聞いていた。いつもなら人の会話に口を挟み、調和を乱すくらいなのに。竜次はしがみつくミティアに目をやると、大丈夫と目でサインする。彼女も今はほかに頼れる人がいない。
「仲間にも言っておくといい。次に会うときは貴殿の敵だ」
 クディフが『仲間にも』と言うのだから、わざとこの局面を選んだのだ。竜次もミティアも、偶然ではなかったことに恐怖を感じていた。もしかしたら姿を見せなかっただけで、ずっと監視をしていたのかもしれない。
なぜ、そこまでするのか、この男の目的が知りたい。
「ではなぜわかっていて、私との対話をお選びになったのでしょう?」
「あの若造や気の強い娘に口を挟まれ、噛みつかれては落ち着いて話もできまい」
 これだけは納得した。クディフの判断は正しいかもしれない。話だけで済ませたいのならば、なおのことだ。
「お前たちが個々の正義を振りかざすのは大いにかまわない。だが今、彼女に死なれてはこちらも困る。手放したくないのなら死守することだ。絶対に……」
「言われなくても!」
 竜次は鋭くクディフを睨んだ。
「関わった以上、最後まで責任を取れ。彼女が死ねば世界は破滅する」
 話の流れが妙だ。縁起でもない言い回しが気になった。皆が意識的に触れないようにしていた『世界の生贄』の話だろうか。
「責任を取るのはまだしも、世界の破滅はチープなファンタジーの言い回しですよ?」
 呆れ半分で話を続けるも、本当に彼女が生贄なら『破滅』の意味が通じない。
 もしかしたら自分たちが見えているものは小さく、もっと大きな何かがあるのかもしれない。
だとしたら、この男が何を知っていて妙なことを言うのだろうか。
「賢いと思ったが理解が難しいようだな。では言い直そう……」
 クディフの煽りに竜次は表情を険しくする。
「ケーシス・レイヴィノ・セーノルズの思い通りになってはいけない」
 行方が分からない父親の名前だ。なぜここで、この男から父親の名前が出て来るのか。竜次は動揺したが、左腕にしがみつき震える彼女を見ると不思議にも押し殺せた。
「ま、まるで私が関与したのは、偶然ではないと言いたいようですね」
 本当なのか、嘘なのかわからない。セーノルズとしての名前が知れ渡っているのは仕方がないが、ミティアと何の関係があるのだろうか。現状で考えても、明るい答えどころかまともな判断ができない。
 クディフは竜次が知らないと読んで、追い打ちをかけるように嘲笑をする。
「知らぬなら、それも罪だ。親が親なら子も子だな」
「なっ……」
 冷静さを欠くのはまずいと思いながらも、こればかりは感情的にならざるを得ない。隣の区間でパレードが通過したのか、バタバタと足音が聞こえた。クディフが人の気配を気にしながら去ろうとする。
「あ、あなたは黒い龍と……あの女の子と戦っているのですか?」
 ジェフリーのように、強めに待てと言えなかった。できるだけ情報がほしいが、この様子では待ってはくれないだろう。わかっていたが焦りを感じた。
 クディフが一瞬だけ顔を上げる。
「何の巡り合わせかは知らんが、お前たちもいずれはそうなる」
 一言だけの答え。詳細は謎のままだった。
 カラスが飛び立つように黒いマントが翻り、一瞬で夜の闇に消えた。緊迫した空気が解かれ、竜次が息をするのを忘れていたように深呼吸し脱力する。
 本当にやり過ごせるとは思わなかった。
 冷や汗が玉粒になっていた。ミティアに向き直って、こめかみから頬を伝う。
 向き直って竜次は動揺した。彼女は震えながら大粒の涙を零していた。
「せ、せん……せ?」
 引き離される恐怖に怯え切っている。
「ははは、困りましたね……責任を取れ、ですって」
 うれしいことがあったわけでもないが、笑みがこぼれる。緊張の反動でおかしくなったのかもしれない。意味のない空っぽの笑みを噛み殺す。
「これでは私が悪いことをしたみたいです」
 竜次がミティアから左腕を引き抜いた。そのまま背中に手を回す。
「繁華街に行く前に泣き止んでくださいね」
「わっ、ふぇぅ!? うぶっ……」
 ミティアは驚いたが抵抗はしなかった。竜次は抱き寄せて顔を埋めさせる。泣き顔を目撃されては、誤解を招く。
「私も怖かったです」
 千切れそうなつり橋を渡り切った気分だ。
 意外にもミティアはすぐに泣き止んだ。鼻をすすりながら見上げる。
 目にした竜次は、背徳感に襲われ、手を離した。
「気の利いたことができなくてすみません。私とでは不安だったでしょうに」
 竜次はミティアを解放してから苦笑する。明るい話題に切り替えようとして、ミティアに質問をされていたのを思い出した。
「そ、そうだ。なぜミティアさんに親切なのか、でしたっけ?」
「も、もうそれはいいです。先生が優しいのはわかったので……」
 解放したのに、ミティアは離れないまま俯いていた。暗くて正確にはわからないが、竜次には恥ずかしがっているように見えた。彼女の思いが知りたい。その欲求は押し殺すしかなかった。今は目的が違う。
 落ち着いたところで、買い物を再開した。とても長い時間、一緒にいた錯覚を起こしていた。

 大きめの紙袋を抱えて宿に戻ると、三人が部屋でお茶を飲みながら寛いでいた。
「遅かったじゃないか! 探しに行こうか話してたんだ」
 ジェフリーが入り口で袋を受け取って、二人に声をかけた。
「どうかしたのか?」
 竜次もミティアも、せっかく帰って来たのに浮かない顔をしている。
 キッドもミティアに駆け寄り、覗き込んで質問していた。
「もしかして泣いた? どうしたの?」
 ミティアは顔を上げて、正直に答えた。
「あの人に会ったの……銀色の髪をした人に」
 聞いてキッドとジェフリーの表情が険しくなった。ミティアは続けた。
「先生が、うまく話してくれて……大丈夫だったけど」
 サキには初耳だ。少し距離を取って黙って聞いていた。大図書館でジェフリーにぼかされた言い方をされたのを思い出し納得していた。言ってしまえばサキは『新参』だ。情報を追うにはどうしたらいいものかと探っていた。できれば迷惑にならない程度に収拾し、整理して馴染みたい。自分が日常を抜け出したのは、誰かの役に立つためなのだから。
「あの銀髪黒マント野郎か!!」
 顔も声も、嫌悪感むき出しにジェフリーが確認する。
「お名前、いただきましたよ。クディフ・プラキアット・シルバーリデンスさんです」
 思い出してもいい気はしない。だが、話しておかなければ。
「とても重い話をされました。どうも私たち、他人では済まないみたいです」
「えっ、どういうことですか?」
 キッドが疑問に思って質問した。他人だったかもしれないが、今は行動を共にする仲間だ。
「その人が言うには、どうやら、行方が分からないお父様が何か絡んでいるようです」
「はぁっ!? 親父がどうして」
 ジェフリーが声を裏返した。この反応は竜次の中では、想定範囲内だ。
 兄弟の間では、親の話をしないように避けていた。自分たちはミティアの不思議な力の正体を追っている。それなのに、自分たちの父親が何の関与をしているのだろうかと疑問に思った。
 竜次は眉をひそめ、ジェフリーに質問をする。
「知らないなら罪と言われました。お父様とミティアさんに何の関係があるのか、ジェフは心当たりありませんか?」
 ジェフリーが何か知っているとは考えにくいが、念のためだ。
「俺が知るはずないだろ? 姫姉の方が何か知っているんじゃないか?」
 セーノルズ兄弟の上から二番目。ジェフリーが『姫姉』と呼ぶ人物が鍵を握っている可能性がある。国が外との交流を取らないで、まるで守りを固めているようだ。ギルドで出回っている情報が確かなら、何かあるのかもしれない。
 話が行き詰まった。
 ここでサキが声を上げた。
「すみません。僕、ちょっと出てきます」
 話を聞いて、理解を諦めたのかと思ったがそうではなさそうだ。サキは詳細を伏せ、考えながら出て行った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?」
 キッドが誰も止めないのかと、三人を振り返ったが重い話に誰も反応がない。キッドはサキを追って行った。
 三人が部屋に残される。気まずい空気が流れるも、話し込んでしまったせいで後を追わない。

「ちょっとあんた、どこへ行くつもり?」
 キッドが質問をしても、サキは足を止めなかった。
「すぐそこの古本屋さんです」
 サキが話について行けないのは当然だ。だが、彼は聞きかじった話をもとに、自ら追いつこうと試みていた。どうやらその状況を楽しんでいるようだ。足取りは軽かった。
「えっ、お店、閉まっちゃうわよ?」
 キッドが止めようとする。だがサキは、お店を閉めようとしている古本屋に駆け込んだ。ほんの数分で、小さめの本を二冊持って退店した。そのうちの一冊をポーチにしまった。
 サキは腕を組んで呆れているキッドに気がつき、声をかけた。どうも夢中になると視野が狭くなるようだ。
「あれ、待っていてくれたんですか?」
「あんた、何の本を買ったのよ?」
 サキは余裕の笑みを浮かべる。
「今しまったのは、ちょっと目ぼしかった簡易魔導書です」
 手にしている方の本には何かが挟まれている。栞を挟む要領で、ポストカードでも挟んだのだろうか。数枚、はみ出していた。
「こっちは魔法学校の古い歴史の教科書です」
 サキは教科書を見せびらかすように掲げ、キッドに言う。
「さっき先生が話していた、シルバーリデンスさんの正体がわかりました」
「は、はぁぁぁぁぁっ!?」
 追いつくどころの話ではない。サキが仕入れた情報は一行の疑問を解消するものだった。キッドは彼の行動力に唖然とした。
 サキははにかんで一礼した。
「勝手な行動をしてすみません。このことを皆さんにも教えてあげたいので、戻りましょう」
 サキが帰り道に向き直るが足を止めた。あれだけ余裕のあった表情が、強張っている。
 どうしたのかと思ったキッドが、サキの視線を追った。視線の先には黒い服装の女性が立っている。髪は茶色で胸のあたりまで。フードを目深く被っている。顔はわからないが、体系は女性だ。
 宿まではさほど距離がない。ただならぬ空気に、キッドがサキの手を引こうとする。だが、サキは動かない。
「どうしたのよ?」
 キッドはサキを見る。だが、彼は視線を合わせない。
 女性が話しかけて来た。
「サキ、帰らないので探した……」
 焼けた喉なのだろうか、やけにしわがれた声だ。
 キッドはこの人はサキを『拾った親』だと予想した。いや、間違いないだろうと判断した。
「帰ろう」
 女性が手を差し出した。サキが答える前にキッドが庇いに入った。
「帰る必要なんてないから!!」
「キッドさん……?」
 サキは教科書を持ったまま、キッドを見上げている。彼女はそのまま前に出た。
「あなた、この子の親なんでしょ? 悪い方の!!」
 女性はうっすらと笑みを浮かべている。正確な表情は読み取れないが、何がおかしいのだろうか。
「キッドさん、僕に話をさせてください」
 サキはキッドの脇から前に出た。怯えている様子だ。それでもこの関係はきちんと区切りをつけなくてはならない。
「僕はもうラーニャ母さんのところには帰りません。この街を出ます」
 この女性の名前はラーニャ。フードのせいか、暗闇のせいなのか、年老いて見える。
「私に逆らうのか?」
「遅い反抗期です。そう思ってください」
 はっきりと、力強く言った。
「拾った恩を忘れたか」
「拾ってくれたことには感謝をしています。でも、僕を本当の家族と引き裂いたのはラーニャ母さんです」
 サキを拾った母親、ラーニャはそれに関しては言い返さなかった。これだけは事実だからだ。
「僕はもうあなたの言いなりにはならない! この場で、縁を切らせてください!!」
 静かな空気の中、キッドが大きく息を吸って頭を下げた。
「お願い、この子を自由にしてやって! この子はあたしや友だちを助けないといけないの」
 キッドはサキの後頭部に手を回し、頭を下げさせた。
「(馬鹿ね、あんた、こういうときは素直に頭を下げておきなさい!)」
 耳元でキッドは言う。しばらくの沈黙のうち、ラーニャのしわがれた声は諦めを帯びた。
「アイラも、お前も私から離れていくのか。私がした罪はこんなにも重かったのだな。こんなに愛してやまないというのに」
 二人は頭を下げたまま、遠ざかる足音を耳にした。顔を上げるとラーニャの姿はすでに遠く、小さかった。
「あっ……」
 手荒なこともなく、関係の解消ができた。奇跡だとサキは思った。
 キッドがこんなに自分のために体を張っているのに疑問に思った。サキは不思議に思った。キッドは魔法使いを毛嫌いし、サキを信用していないと言っていた。ただの偏見かもしれないが、そう主張していたのは記憶に新しい。
「キッドさん、ありがとうございました! でも、どうして僕を庇ってくれたのですか? 頭を下げてお願いまでしてくれるなんて……」
 キッドは自身でもわかっていない様子だ。腕を組んで、微かに笑う。
「さぁ、どうしてかしらねぇ? あんたが弟みたいだから? それとも、あいつの馬鹿が伝染ったのかもしれないわね」
 キッドが指す『あいつ』とは、ジェフリーだ。だがこれは、彼女にとっては些細なことのようだ。
「あんた、言うじゃない。物事をはっきり言う人は嫌いじゃないわよ」
 キッドは言ってから、お決まりのように突き放した。
「まっ、これからもっと頑張りなさい。いくら背伸びしようとしても、あんたが子どもなのは変わらないんだから」
 サキはキッドと親しくなる道のりが長そうだと感じた。だが、感じたのはそれだけではない。
「手厳しいですね。でも、今のことは絶対に忘れません。本当にありがとうございました」
 サキは純粋にうれしかった。『弟みたいだから』と言われたせいかもしれない。育ての親であるアイラから、姉がいたと聞いた覚えがある。詳しくは知らないが、気にはなっていた。ただ、拾った親のラーニャは自分の親を殺した。これもアイラから聞いただけだ。
 何が真実なのか、サキはまだ全貌を理解していない。


 サキとキッドが不在の部屋では、話が続いていた。
「ミティアさんは、私たちの名前を聞いても知らなかったのですよね?」
 竜次の質問に、ミティアは小さく頷いた。クディフから、兄弟は関係があるような言い方をされたのが妙に引っかかった。だが、彼女はセーノルズの名前を知らなかった。
「俺たち、誰かに仕組まれて一緒に行動をしているのか?」
 ジェフリーが疑問を口にする。竜次もその予感を否定しなかった。
「嫌ですね、こういうの。誰かに踊らされているみたいで……」
 ミティアが話の中心なのは間違いないが、この兄弟も関係がありそうだ。
「あの剣士さん、関わった以上、最後まで責任を取れと言っていました」
 竜次の言葉に、ジェフリーが苛立った。
「当たり前だ! フィラノスまで来て、こんなに苦労したのに途中で放り出せるか!!」
 ジェフリーは吐き捨ててミティアを見る。
「絶対突き止めてやる! 親父も、ミティアの力の正体も」
 鋭い視線に驚いたのか、ミティアがびくっとした。和ませようと、竜次はミティアの顔を覗き込んだ。
「そういうことです。末永くお願いしますね」
 驚くミティアを尻目に、ジェフリーは竜次を注意する。
「兄貴、言い方を考えろ……」
 とても冷ややかな視線だ。間違いなく嫉妬の意味が込められている。
「ジェフは血の気が多いですねぇ。そんなにあの剣士さんと戦いたかったのですか?」
 竜次がわざとらしく的外れな質問をした。
 ジェフリーは眉間のしわを深めた。機嫌の悪さが増しているのが目に見えてわかる。
「心配しなくても、言っていましたよ。次に会うときは敵だと」
「そうだろうな!!」
 ジェフリーは嫌悪感をむき出しにする。
 竜次はクディフの話が出たことで、思い出した。
「あぁ、そうだ。ジェフ、ちょっといいですか?」
 竜次はジェフリーを呼び出し、部屋の外に出た。

 ミティア抜きで、立ち話をする。
 わざわざ呼び出して何を話したいのだろうか。ジェフリーが眉間にしわを寄せる。
「色恋話なら勝手にやってくれ」
「いえ、まぁ、それもいいのですが、そうではなくて」
 ジェフリーはまだ嫌悪感を引きずっている。竜次はかまわず話した。
「サキ君も言っていましたが、ミティアさんの力は危険です。あの剣士さんに忠告を受けました。彼女を死なせてはいけないと。禁忌の魔法とやらが使えるなら、彼女はそのリスクを背負っています」
「それはわかってる。そう言われても、襲って来る災いからは守れるかもしれないが……」
 竜次は難しい反応をされたと、深いため息をついた。
「剣士さんは、彼女が死ねば世界が破滅すると言っていましたよ」
「そりゃ、何かの見すぎじゃないか? そいつ、頭大丈夫か?」
 ジェフリーが疑問を口にする。クディフが言っていた内容が嘘の可能性だってある。もちろん現状ではそうとも言い切れない。
 ジェフリーの反応には危機感がない。竜次は強めに訴えた。
「私だって疑いました。ですが、私たちは偶然この場にいるのでしょうか?」
 偶然では済まされない。はじめは偶然だったかもしれないが、今は必然になりつつある。これを人は『運命』と呼ぶのかもしれない。
「何としてもミティアさんを守らないといけません。それが最優先。ジェフが言ったように、襲いかかって来る災いからも、剣士さんからも、あの黒い龍からも……」
 ジェフリーは顔をしかめながら腕を組んだ。置かれている状況と話を整理する。
「それを主軸に、親父や禁忌の魔法の調査を続けるのか……」
 現状はかなり厳しいと悩ましく続けて言う。
「弱気なことは言いたくないが、正直、俺には自信がない」
 ジェフリーの言葉を聞いて、竜次は小さく首を振って同調した。
「残念ですが、私にもありません。これから森を越えるのだって自信がないのですから」
 二人は揃ってため息をついた。
 ジェフリーはあえて口にしなかったが、別の心配をしていた。これから沙蘭に向かう。道中で竜次の心の闇が発作のようにぶり返さないのかを警戒した。可能なら、もう大丈夫だと信じたい、。

 サキとキッドが小走りになって宿に戻った。サキが部屋の前のジェフリーと竜次に声をかける。
「勝手に出て行ってすみません。戻りました」
 サキが一礼する。キッドが同行しながら、仲違いはなかったようだ。ジェフリーが質問をした。
「何をして来たんだ? お前のことだから、ただ何も考えずに散歩じゃないよな?」
「僕は旅の途中参戦です。話に追いつけません。ある程度、聞いた内容を推理してつなぐ程度しかできませんが……」
 サキは言ってから、古びた本を両手で出した。
「先ほど先生とミティアさんがお会いしたというシルバーリデンスさん、この本に載っていたのでお持ちしました」
 にっこりと笑った。キッドは呆れながら息をついた。
「その本は古本屋に駆け込んで探して来たわ。大したものね」
 キッドは余計なことは話さなかった。『拾った親』に会った件にも触れなかった。
「おぉ、サキ君はやっぱり違いますねぇ……」
 竜次もサキの行動の速さに驚いた。
「望む情報かはわかりませんが、ミティアさんにも聞いてもらいたいです」
 サキが言ったことをきっかけで、兄弟はミティアを置き去りにしているのを思い出した。
 部屋であらためて話の場を設ける。

 サキは本の表紙を見せた。ジェフリーは見覚えがあり、腕を組んで小難しい顔をした。
「それ、下級生が学ぶ歴史の教科書じゃないか?」
 サキは小さく頷いて教科書を開いた。
「そうです。クレリックの後輩が、銀髪で黒マントのかっこいい人がいると言っていた記憶があったので」
 クレリックとは、聖職者を指す。魔法学校の専門クラスにもある卒業しても教会ぐらいしか就職先がなく、あまり人気がない。
 サキは教科書のとあるページを開いて皆に見せた。
「お話にあったのはこちらの人ですか?」
 間に合わせに挟んだポストカードを外し、モノクロの挿絵を指した。
「あっ!!」
 ミティアが息を飲んだ。横からキッドが覗き込み、露骨に嫌な顔をする。
「こ、こいつで間違いないわ!」
 サキは含み笑いをしていた。いい反応をされると気持ちがいいものだ。
 竜次がじっと本を見つめたまま顔をしかめる。
「少し若い気がしますが、そうですね。ですが、なぜ教科書に?」
 写真ほどの鮮明なものではないが、とても綺麗に描かれている。絵画のようだ。サキがそのまま一枚めくってさらに見せた。
「クディフ・プラキアット・シルバーリデンスさんは、魔法都市フィラノスの前、神族がこの地を治めていた時代に、その国の王女の護衛をしていた人のようですね」
 サキが文章に目を通し、軽く朗読した。
「その功績は、アリューン神族の小隊を一人で殲滅したとあります」
 ジェフリーと竜次が顔を見合わせた。
「これ、教材だぞ……」
「まともに戦っても、私たちに勝機はなさそうですね……」
 竜次は唇を噛みしめる。教材が示すのだから、こちらが束になっても適う相手ではない。
 キッドが別の指摘をした。
「ね、ねぇ、それって何年前の話?」
 そもそも歴史の教科書という時点で疑うべきだった。。
「今から約千年前……ですね」
 サキが答えてから、顎に手を添えた。
「この人、アリューン神族と人間のハーフのようです。普通に生きたら千年以上生きるらしいですよ。これは意外なところからすごい情報ですね……」
「あーっと……待ってちょうだい。非現実的すぎて、頭がこんがらがって来たわ……」
 キッドが額を押さえている。敵対するのは昨日話した神族。人間よりもはるかに長寿だ。話が複雑になって追いつけないがここで諦めてはいけない。
「要するに、そいつは普通の人間じゃないってこと?」
 キッドは絞るように言って、話題に追いつこうとした。
 教材を持って来たサキも疑問に思っていた。どうもきな臭い。
「そうなりますね。まぁ、その、クラスメイトにも混血者はいましたが、見た目はごく普通でした」
「この先、多少の普通の人間じゃないパターンは慣れて来るんだろうな……」
 ジェフリーも混乱から諦めに変わろうとしていた。
 サキはずっと考え込んでいた。
「サキさん?」
 ミティアに声をかけられ、サキはようやく小難しい表情を解いた。
「うーむ、この人の行動は妙ですね。普通は同種族に味方をすると思います。よほどこの王女に恩があるのか、国に恩があるのか……んっ?」
 独り言のように呟いて、次の疑問を見つけたようだ。ミティアの方に向き直って左手を凝視している。
「あー……なるほど」
 頭がいい分、話に追いつくのも追い越すのも早い。サキは一人で納得して頷いた。
「サキ君? 置き去りは困ります。私もよくわからないので……」
 竜次に注意され、サキは本を開いて見せて来た。
「すみません、気になっていました。この人が王女ですが、何か気がつきませんか?」
 サキは一同に問いかけた。ミティアが一番早く答えた。
「あっ、わたしと同じ腕輪をしています」
 左手を差し出して見比べている。実際には、ミティアがしている物の方が細かい亀裂や傷がある。皆はこの腕輪をただのファッションだと思っていた。
 もう少し鮮明なものがあればいいのだが、これが印刷された絵なので残念だ。
 残念の理由は写真ではないのもそうだが、白黒印刷だからでもある。
「これ、ずっと外れないんです。くっついているみたいで」
「僕がミティアさんとぶつかったとき、どこかで見たような気がしたと思いました。これで合っていそうですね」
 サキは淡々と話し、納得していた。『外れない』というのが気になったが、サキが言うには、腕輪の構造の問題や、強い術者の魔法、信じがたい呪いの可能性もあるようだ。

 サキがぱらぱらと教科書をめくるも、すぐに口を尖らせた。
「しかし、神族の国が滅ぶ前の話はフィラノスにとって都合が悪いですから、細部まで触れていませんね。歴史マニアが見たら、教材じゃないって言いますよ」
 サキは言ってから、教科書を閉じて腕を組んだ。
「今のフィラノスは人間が治めていますからね」
 ここまで話すのだから、まるで専門の先生のようだ。
「謎を加えるようになってしまってすみません。僕が追っても、手がかりはここまでのようです」
 サキは中途半端になってしまったと詫びた。だが、どちらかというと、短時間でその情報を探して来たのを評価したい。これは皆が心の中で思っていた。
「お前ってやっぱりすごいな」
 皆が言いたかったことを、ジェフリーが代弁した。
「もっと褒めてもいいんですよ……っと、言いたいのですが、僕もこんなに知らないことがたくさんあると、謎の究明をしたくなります。情報収集は任せてください!」
 サキは『情報収集』と強調した。だが実際はそれ以外でも、頼りになりそうなものだ。

 竜次とミティアが買って来たお弁当を食べる。今のうちに堪能しておかないと、野宿で味の濃いものが恋しくなるかもしれない。
 食事を終えるとミティアとキッドは大浴場へ向かった。その間に男性陣は荷物の整理をする。
 旅道具は細々とした巾着袋にまとまられている。ジェフリーと竜次が確認をしながら大きなスクエアバッグに詰めていた。しっかりとした生地をしており、よく旅人が手にしているイメージのあるバッグだ。ほかにも、水筒や油を入れていない予備のランタン、タオルや外套などもある。
 まだまだ中身の余裕がありそうだ。じっと見ていたサキが疑問に思い、質問をする。
「意外と少ない荷物ですね」
 その質問にジェフリーが右手の人差し指を立て、自慢げに答えた。
「こういうのはあると便利より、ないと困るものを優先すべきなんだよ」
 ジェフリーの言葉に対してではないが、サキは気を落としているようだ。
「僕は体力がないし、運動も得意ではありません。だから、頑張らないと……」
 本当にスプリングフォレストに挑むと実感が湧き、不安そうだ。
 荷物がまとめ終わった。竜次が俯いているサキを励まそうとする。
「力仕事はジェフと私に任せてくださいな。頭脳は頼りにしていますから、フォローをお願いしますね」
 人によって得て不得手がある。問題はどれくらいフォローが行き届くか。

 女性二人が入浴から戻った。キッドは帰って来るなり、竜次のベストを拾い上げて無言のまま離れた。何をするのかと目で追っていたらジェフリーのジャケットも拾っている。一応サキのローブにも目を通した。
 疑問に思い、ジェフリーが声をかけた。
「キッド、上着なんてどうするんだ?」
「別に……」
 ジェフリーが質問したせいなのか、キッドの答えは素っ気ない。彼女は部屋の隅に置いてあるミティアのポーチから、ソーイングセットを引っ張り出した。
「あ、あの……」
 竜次も申し訳なさそうに声をかける。だが、キッドは無言のまま針と糸を取り出していた。
「あーん、キッドぉ……」
 ミティアが情けない声を出しながら手元を気にしている。彼女の手にはシワだらけになったハンカチやタオルが何枚も握られていた。
「あっ、すみません。ジェフリーさんたちもお風呂どうぞ……」
 ミティアは顔を上げて笑みかけた。
「ミティアまで何をしているんだ?」
 彼女なら答えてくれるだろうと予想し、ジェフリーは質問をした。
「わたしたちもできることは協力しようって、さっきキッドと背中を流しながら話して……」
 背中を流し合うほどの仲良しなのは想像できる。だが、その話から、ミティアは何を手にしているのだろう。ジェフリーは疑問に思い、さらに質問をした。
「協力って……気持ちはありがたいが、それは何だ?」
「せ、洗濯……だよ!! 森って聞いたから汚れるだろうし、怪我をしたら使うと思って」
 気持ちは伝わった。だが、手にしている布はしわまみれだ。見て技量がわかる程度には不器用のようだ。ジェフリーは呆れながら、ミティアが握っているハンカチを奪い取る。
「水切りまでは適当でもいいが、干すときに叩いて、ちゃんとシワを伸ばせ。だけど、絶対に引っ張りすぎるなよ。摘まめる干し方なら、いっそ畳んだまま干した方が乾きは早い」
 ジェフリーはわかりやすく実演して言い聞かせた。それを目の前で見たミティアもそうだが、キッドとサキもぽかんとしている。あまりに意外だったのか、三人は黙ってしまった。
 様子を見た竜次が笑いながら言う。
「ふふふっ、意外でしょうね。同居していたときはいろいろと家事をやってくれましたよ。見てくれはこんな子ですけど、料理もうまいですし……」
 竜次はジェフリーの意外な一面を紹介した。

 サキが、一歩離れた視点から言った。
「お互いの足りないところを補おう、支え合おう、協力し合おうって、いいですね」

 つけ焼刃で偶然、もしかしたら必然の『仲間』だ。皆は助け合う意識が生まれた。
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