トレジャーキッズ

著:剣 恵真/絵・編集:猫宮 りぃ

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【1】変わるきっかけ

光と闇の魔導士

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 魔法都市・フィラノス。一行が辿り着いたときは昼をすぎていた。
 人の流れが激しく、よく整備された石畳の街並みだ。少し歩けば何かしらのお店に遭遇する。魔法学校が有名だが、大きな城も見えた。レストの街とは規模が違う。
 銀髪で黒マントの男に言われた場所、一行の目的地だ。ミティアが持つ不思議な力について、ここで知らなければならない。

「うっわ、賑やかすぎて目が回りそう……」
「人がいっぱいですごく賑やかだね。わたしこういう場所、初めて!! わくわくするね!」
 キッドはさっそく人酔いを起こしそうだ。隣のミティアは、初めて見る都会の景観に目を輝かせていた。田舎暮らしで縁のない都会は、さぞ輝いて見えただろう。気分が上がったまま、どこかに行ってしまいそうだ。
 二人とは違い、竜次は街を眺めながら先のことを考えていた。だが、街の構造が読めなくて混乱している。地図もなければ、街案内の看板も見あたらない。
「先に宿を押さえておきたいですね。どこかいい宿は……」
「噴水広場から近いところ。変わっていなければ、大きい宿がある」
 ジェフリーが前に出て先導した。土地勘のない者にとって、こういう情報はありがたい。この街を知っているキッドも反応した。
「噴水広場と言ったら、おいしいワッフル屋さんがあったわね。まだあるのかしら?」
 キッドはマーチンを出る際、フィラノスに住んでいたと言っていた。ジェフリーもこの話には興味を抱く。
「でも十年って変わっちゃうわよね。このあたりのお店、まだ年季が入っていないもの」
「十年……まぁ、あんなことがあって何も変わらないはずがないよな」
 ジェフリーも感傷に浸った。綺麗で、整って、賑やかだが、そのぶんの闇もこの街には存在する。
「さ、荷物を置いて散策しましょう。武器を持ったままふらふらしていると、お役人さんに呼び止められてしまいそうです」
 竜次が言うように、街の人たちは腰に武器を下げていない。平和な街なのだから、武器を持ち歩くのは普通ではないのだろう。
 ジェフリーが記憶を頼りに案内すると、観光客向けの大きな宿があった。
 よくある寸胴で外壁にヒビもなく綺麗だが、空室はあるだろうか。
 フロントで手続きを終え、鍵を持った竜次が女性二人に詫びる。
「すみません。また、大部屋しか用意がないって言われちゃいました……」
 彼は落胆していたが、一行の宿代を工面している。別部屋で取ると費用もかかり、情報も共有しづらい。
「フロントで王都祭が近いと聞きましたし、部屋が取れただけでも運がよかったのかもしれません。一応三泊で取りました。それよりも早く解決するのでしたら、それに越したことはないでしょうね」
 鍵に記された部屋は気を遣うどころではなく、宴会場の規模だった。十人横になってもまだ空きがありそうだ。広すぎて、仕切り用のパーテーションまである。心配したプライベートも、ある程度は確保できる。
 竜次が部屋の入り口に刀を立て掛け、部屋を見渡しながら言う。
「結構広いですね……」
 そう思っていたのは彼だけではなかった。ジェフリーも剣を下ろしながら、部屋の設備を確認し、疑問を口にした。
「なぁ、兄貴、絶対に高いだろ。この部屋……」
 絨毯の床、よく光の入る窓。折り畳みのベッドがいくつも用意され、押し入れには敷布団や肉厚の座布団もある。テーブルも椅子も、部屋の隅に積まれていた。棚にはカップ、備え付けのお茶もあり、宿泊するにしては贅沢な設備だ。
「王都祭が近いって言っていましたからね。三泊、いいお値段です」
 竜次は答えてから、女性二人にも笑って話した。
「これでも結構稼いでいるつもりだったのですけど」
 これは上辺だけの笑いだ。一気に財政が厳しくなったと焦っているようだった。
「え、もしかして先生、全財産……」
 キッドの指摘に、竜次は余裕の表情を見せた。これも上辺だけだが、口調を乱さない。
「いえ、不安に思わせてすみません。ジェフが持っている生活費をかき集めたらもう一泊できるかもしれませんが、私たちにも今後、身を転がすお金くらいは残させてくださいな」
 眉を下げ、陳謝した。竜次は終わりがあると示した。
「必要な情報が集まってしまえば、私たちはここでお別れです……」
 ミティアが持つ『不思議な力』について知ることができたら解決。銀髪で黒マントの男性に関わることもなくなる。皆はそれぞれの日常に戻るか、新しい日常を探す。
 キッドもミティアも物悲しげに顔を合わせる。終わりが近いと実感し、急に寂しくなった。
「そ、そういえば、そうでしたね……」
「せっかく、先生やジェフリーさんとも仲良くなれたのに……」
 空気が沈んだ。この空気の中、急にジェフリーが背中を向けた。
「街の散策に出るなら先にしていてくれ。ちょっと用事があるから……」
 ジェフリーは返事を待たず、勝手に出て行った。
 竜次から見ると、弟のこの態度は珍しい。明らかに感情的になっていると思った。
「まぁ、土地勘があるので、心配しなくても大丈夫でしょう」
 竜次はため息をついて腕を組んだ。道に迷う心配はしていないが、ジェフリーの精神面が心配だ。思い出のある街なのだから、ある程度は仕方ない。だが、歩調を乱し続けるのなら注意しようと考えていた。
「用事って何かな?」
 ミティアの素直な疑問に、竜次はさらりと答える。
「きっと墓参りです。あの子が逃げた罪ですよ」
 ジェフリーは魔導士狩りの被害者と話していた。何となくの察しはつくものの、ミティアは魔導士狩りをよく知らない。
 魔導士狩りをよく知るキッドは、この場にいないジェフリーの気持ちを汲み取った。
「まだ、お墓があるだけいいじゃない。あいつ、意外と真面目なところもあるのね」
 気持ちはわかる。自分もできるならそうする。などとでも言いたそうだ。ところが、キッドの言葉は竜次に思わぬ勘違いをさせてしまった。
「弟のいいところを見つけてくれて光栄です。どうです? お付き合いをしますか?」
「えっ、ないです。あんな奴、絶対に無理!!」
 竜次が今まで言った冗談の中で、一番冗談に聞こえないものだった。柔らかい口調で自然に言うものだから、キッドの慌て方も尋常ではない。
 少しだが空気が和んだ。冗談で気が軽くなり、竜次が鍵を手に先導する。
「さ、日数が限られているので街に出ましょうか。情報収集までできるといいですね」
 三人は支度を整え、部屋を出た。

 宿のロビーには掲示板があった。その中から街案内を見て頼りにする。初見には厳しい街の構造だ。噴水広場が街の中心で、ほかは入り組んだ構造をしている。網羅するためには、どうしても地図が必要だ。ほかにも何枚か貼り出されており、ぎっしりと文字の詰まったものや、街の買い物情報らしきものも見受けられる。
 掲示板を見て、キッドは深いため息をついて肩を落とした。
「あたし、全然文字が読めないのよねぇ……」
 その彼女をミティアが優しく支える。
「困ったら遠慮しないで言ってね?」
 二人はお互いを親友と言っていたが、足りないところをうまく助け合っている。
 竜次はじっと掲示板を見ていた。最近のニュースも張り出されている。コマ割りがされ、なかなか読み応えのある記事だ。ギルド発行と小さく書いてあるが、その施設に行ったらもらえるのだろうか。道中で会ったコーディがギルドのハンターだと言っていた。こういった情報が手に入るのなら、思い切って利用してみてもいいかもしれない。竜次は小さく頷いて記事に目を通した。そう時間も経たぬうちに、気になる記事を見つける。
「先生?」
 ミティアに声をかけられ、竜次は悩ましげな顔を上げる。
「これは困りましたね……」
「これって、先生たちの国じゃないですか? 大丈夫なんですか!?」
 竜次が周囲を気にしながら、人差し指を口に立てた。声のボリュームをぐっと下げ、小声でミティアとの会話を続ける。
「(しーっ……)」
「あっ、すみません。でも『事実上鎖国』って書いてあるので……」
「うーむ、これは最悪、兄弟とも揃って路頭に迷うかもしれないですねぇ」
 竜次は頬を掻いた。この小難しい顔と仕草から、本当に困っている様子だ。
 記事には、竜次とジェフリーの故郷である沙蘭は『事実上鎖国』と書いてある。外部との接触、交流を制限している。このままでは、頼りにしても取り合ってもらえる可能性は低い。
「この記事が本当なら、資金援助も身内の権力を使うのも難しいですね。そうなると、この先は自力で何とかするしかありません。場合によってはもう少し、お二人にお付き合いをするかも?」
 沙蘭の情勢を素直には喜べないが、この街で別れとはならないかもしれない。
「ま、お金がなくなったら、みんなで身体を使って稼げばいいんですよ」
 竜次は冗談を交えながら、陽気に笑った。
 ミティアもキッドも顔を見合わせ、「いいのかな?」と思いながら苦笑した。
「さて、お酒がおいしいお店はないかな……」
 意外にも竜次は逆境を楽しむように捉えていた。なぜそんなに楽観的なのか。それは、もっと一緒に行動できる可能性が出て来たせいかもしれない。
 フロントに鍵を預け、宿をあとにする。

 街に繰り出し、探索を開始する。宿のロビーで話し込んでしまったせいもあり、すっかり斜陽だ。裏通りはすでに薄暗い。三人はまず、一番賑やかな噴水広場に出た。この街のメインストリートだ。ここから何本もの道が放射状になっており、お店にも宿にも、街のシンボルでもある魔法学校に行くことも可能だ。
「うわぁ、ワッフル屋さんがなくなってる!!」
 広場を見渡していたキッドが、あまりのショックに悲鳴を上げた。
 思い出のある場所で劇的な変化があると誰でも驚くが、この驚愕ぶりはお気に入りのお店だったに違いない。
「私、そこの観光案内で地図を見て来ます。買えたらいいのですけれど……」
 竜次が噴水広場脇の案内所に足を運んだ。
 ミティアは田舎者が初めて都会を見たときのように、キョロキョロとしていた。街に来たばかりのときもそうだったが、彼女の目に映るのはどれも見慣れないものばかりだ。目を輝かせ、落ち着きがない。
 キッドはミティアにかまわず、ぼんやりと噴水を眺めていた。
「この噴水は変わってないくせに……」
 覗き込んで水面を見つめる。誰が始めたのか知らないが、コインが何枚も沈んでいた。
 裕福ではなかったがここで暮らしていた日々を思い出す。魔法に秀でていた両親や弟とは違い、なぜか自分はその才能には恵まれなかった。それでも楽しかった日常を思い返し、キッドは感傷に浸っていた。いい思い出と、悪い思い出が交差する。
「どうしてあたしだけ生き残っちゃったのよ……」
 呟いて噴水の手すりから手を伸ばし、水と戯(たわむ)れた。キッドはどこに向けるわけでもない憂鬱なため息をついていた。
 夜の訪れを、徐々に灯りゆく街灯が知らせる。その光が噴水の水面に滲むのが、実に物悲しい。
「キッドさん!!」
 竜次に腕をつかまれ、キッドは我に返った。彼の慌てている様子を見て、すぐに異常を察知した。
「遅くなってすみません。万が一と思って、先の地図も買っていたのですが……」
 竜次は謝りつつ周囲に目を向ける。キッドも周囲を確認した。
「えっ、うっそ!! ミティア!?」
 ミティアの姿がない。噴水広場に来たときまでは一緒だったはずだ。
 すでに空は夜の闇。まずい、非常にまずい。竜次は買ったばかりの地図を片手に、キッドはミティアが行きそうな場所を考えながら探しにかかった。


 ――完全に迷った。
 赤毛の美人は暗くなった裏通りで一人、佇んでいた。
 可愛らしい子猫を追って、何本か細い道を歩いた覚えはある。子猫も見失ったが、噴水広場から遠ざかってしまった。土地勘もないのに、勝手な行動をしたせいで迷子だ。
 ミティアは後悔と焦燥感に襲われていた。街灯はあるが、それでも裏通りは暗い。
「どうしよう……」
 普通なら人を探して道を尋ねるが、ミティアは一人歩きに慣れていない。自分でどうにかしようと試みていた。それがどんどん解決から遠ざかる手段だと、考えがいたらない世間知らずだ。焦る気持ちから小走りになっていた。角を曲がった先でぼんやりと見えていた明かりが遮られ、視界が真っ暗になった。そして仰け反ったまま臀部に衝撃を受ける。この感覚は、真正面から何かにぶつかって派手に転んだ。間違いないとミティアは思った。
 カラカラと金属の音がした。見えた明かりが尾を引くので、これはランタンだ。
「うぐっ、いったたたたた……」
 ぶつかった相手の声がする。顔を押さえているのか、声がこもっていた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」
 ミティアは謝りながら、明かりを頼りに壁を伝って立ち上がる。まず見たのは、羽根のついた帽子だった。服装は暗くて正確な色はわからないが、赤っぽいコートかローブ。黒っぽい髪の男の子が尻もちを着いて鼻を押さえていた。怖い人が相手ではなくて、ひとまず安心した。だが、きちんと謝らなくてはいけない。
「わあぁっ、大変! 大丈夫ですか!? 本当にごめんなさい!!」
「ちょっと強くぶつかっただけですが、今のは真正面からでしたよ? 気をつけてくださいよ……ね?」
 男の子は怒って顔を上げる。だが、慌てふためくミティアに見とれていた。
「うわっ、美人さんだ……」
 男の子はミティアを見て、褒め言葉を口に出した。だが、言われた本人はぶつかったことに慌てふためき、耳には一切届いていない。

 この男の子にとって、ミティアは楚々とした雰囲気の女性に見えた。突然目の前に女神があらわれた。それくらいの衝撃を受けていた。夢見がちな人ならば、運命の出会いと思うかもしれない。残念なことに、この男の子も頭の中はお花畑だった。

 ミティアはそんな印象を抱かれているとは微塵も思っていなかった。周囲を見渡して大声を上げた。
「わわわっ……何かいっぱい綺麗な石が落ちていますけど、そうですよね!?」
 石畳にはキラキラした宝石のようなものが散乱している。少し大きい飴玉くらいのものだ。ランタンの音が大きかったのか、ぶつかった衝撃のせいか、気がつかなかった。
 男の子が飛んで行ったランタンを拾って持ち直した。戻るころには美人が品もなくスカートを広げ、膝を着いて地面を這っていた。綺麗な石を必死に拾い集めていた。
「こ、これで全部ですか?」
 男の子は美人があまりに必死だったので、完全に怒る気が失せてしまったようだ。渡された石と、腰のポーチの中を見て男の子が言う。
「魔石……まぁ、落としたらまた買えばいいです。こちらこそすみません」
「あの、お怪我はありませんか?」
「怪我はしていませんが……」
 美人がぶつかって、本当に申し訳なさそうにしている。男の子は、これはラッキーだったと前向きになれた。だが、ミティアの剣と左腕の腕輪が気になりじっと見ている。
「一般の人が、街中で武器を下げているのはあまり感心しませんね。お役人さんですか? それとも騎士団の人?」
「えっ、うわぁっ!! 外すの、忘れちゃった……」
 男の子に指摘を受け、ミティアは自分の腰の剣を見た。さらに慌てている。
「そうでもなかったらギルドの人か、組織の人かな?」
「そしきのひと……?」
 男の子はこの反応を見て小難しい顔を解き、脱力した。
「そんなわけないか。こんなお綺麗な方が……」
「ああぁっ!!」
 やはりこの美人には、褒める言葉が届かなかった。狙ったかのように遮られた。思い出したように大声を上げ、おろおろしている。男の子は、彼女のペースに飲まれてしまいそうになった。
「あの……わたし、道がわからなくなってしまって」
 男の子は肩を落とし、さらに脱力した。だが、道に迷っているなら助けようと、気を取り直して案内をする。
「この先は街外れに出てしまうので、廃墟と墓地しかありません。表通りは……」
 男の子がランタンを片手に先導する。少し歩くとほんのり明るく、開けた場所に出た。
 曲がり角で見通しがいい。ランタンの光が広がったところで声がかかった。

「何をしているんだ?」
 聞き覚えのある声を耳にし、ミティアは声をはずませた。
「ジェフリーさんっ!!」
 道の先から青ジャケットに金髪の男性、ジェフリーが姿をあらわした。暗がりで見えづらいが、さっそく眉間にしわが寄っている。姿を見た男の子も眉間にしわを寄せた。
「えっ、彼氏……?」
「違う!」
 ジェフリーは男の子の顔も確認しないまま反射的に即答した。
 まだジェフリーが何も言っていないのに、ミティアは叱られた子犬のようにしょげている。竜次もキッドもこの場にいない。見知らぬ男の子と一緒だ。そして彼女は申し訳なさそうに縮こまっている。判断材料が揃い、ジェフリーは事情を察した。今怒ってもいいが、男の子が気になり声をかける。
「迷惑をかけたみたいですまなかった」
「いえ、お連れ様ですか? 彼女、道に迷ってしまったらしく、街外れに行きそうだったので」
「そしたら、ぶつかっちゃって……」
 ジェフリーが男の子と話している最中に、ミティアが口を挟んだ。
 お前は黙っていろと言わんばかりの視線と威圧をジェフリーから受け、ミティアは一層縮こまった。だが、彼女もこの男の子に興味があるようだ。
 男の子もこれには苦笑いだ。
「うーん……彼女、ちょっとそそっかしいみたいですね」
「わ、わたし、ミティアって言います」
 今度はジェフリーが話す前に口を挟んだ。興をそがれ、調子を狂わされる。
「ちょっと黙っててくれないか……」
 ただでさえ口が悪い上に人相も悪いというのに、眉間のしわに加えて肩が震えている。血圧計をつないだら、すぐにでも爆発してしまいそうだ。
 男の子は呆れてしまった。二人のやり取りが、痴話喧嘩に見えてしまったからだ。ほんの数分、儚い夢を見たと割り切っていた。
「本当にすまない」
 ジェフリーはミティアの愚行と発言を詫びた。一緒に行動をしている『仲間』なのだから、責任は感じている。
 男の子は迷惑とは思っておらず、微笑ましいと思っていた。
「いえ、お迎えが来たのでしたら、僕はこのあたりで失礼します」
「ちょっと待て。お前、もしかして魔法使いか?」
 このまま別れるのもいいが、ジェフリーも男の子に興味を持った。年はちょっと離れている。ミティアよりも下だろう。ランタンでわかる範囲だが、顔立ちは幼くて可愛らしい。
 男の子は興味を持たれて気分がいいのか、ふんぞり返るような態度で自慢を始める。
「僕はこう見えて、魔導士です。未来の大魔導士候補ですよ」
「魔導士ってことは、就学は終わっているのか。ずいぶん若いな」
「ふっふーん、もっと褒めてもいいんですよ!!」
 男の子は鼻につく独特の話し方をした。だが、ジェフリーは嫌な気持ちを抱かず、なぜか親近感を持った。男の子が明らかに年下で、幼い顔立ちをしているせいかもしれない。褒めたことを素直に受け止める姿勢も好感が持てた。
 突然、男の子は何か思い出したのか慌て出した。
「あっ、すみません。僕、お師匠様からのおつかいがあるのを忘れていました!」
 その足は、繁華街に向いていた。
「道、わかりますか?」
 男の子は振り返り、確認をした。
「何となく。こっちの心配はしなくていい」
 ジェフリーが返すと、男の子は会釈をして走って行った。ランタンの光が遠くなり、あたりには心許ない街灯の明かりだけが残る。
 ただの一期一会にしてはやけに印象深かった。ジェフリーは名残惜しく思った。

「あの人の名前を聞くの、忘れちゃったなぁ……」
 この一言で、ジェフリーが思い出したようにミティアを睨んだ。
「ぶつかって道案内されて、名前を聞く……立派なラブコメだな」
 彼女の悪気のない調子はずれをまたも味わった。完全に怒る機会を損ねてしまい、ジェフリーはため息をついた。
「あんまり一人でふらふらされるとこっちも困る。何かあったらどうするんだ。今度こそ本当に誘拐されるぞ」
 ジェフリーがやっと叱るも、厳しめの注意だけだった。なぜなら、ミティアが申し訳なさそうにしながら上目遣いをするからだ。これがずるい可愛さをしているので、何でも許してしまいそうになる。
「きっと兄貴たちが心配してるぞ、戻ろう」
 ほどほどにしておかないと泣かれては面倒だとジェフリーは思った。
 表通りに向き直ると、ミティアが質問をした。
「あの、ジェフリーさんの用事は……お墓参りはもう済んだのですか?」
 ジェフリーにとっては、ただの無知では済まされない質問だった。多少の失礼な質問や言葉には目を瞑っていたが、これは別問題だ。彼女は心の闇に触れてしまった。
 ジェフリーは強く睨みつけ、歯を軋ませた。
「あ、あの……」
 今まで見たことのない鬼の形相に驚倒してしまい、ミティアは一歩下がった。だが、ジェフリーはこれにかまわず強く手を引いて歩き出す。
「ご、ごめんなさ……い、痛いです、ジェフリーさん……」
 彼女が喚くのを気にしないまま、明るい通りを目指した。
 すれ違う人が不審な目で見ていたが、ジェフリーには些細なことだった。それほど頭の中は怒りに満ちていた。

 噴水広場の手前、街灯の下で竜次とキッドが地図を見ていた。ジェフリーがそう変な場所には行かないと読んでいたせいもあって、あっさり見つかった。
「あっ、先生、見てください。二人とも一緒ですよ!」
 先に気がついたのはキッドだ。
 一同は合流した。ジェフリーは鬼の形相のまま、乱暴にミティアを突き放した。
 ミティアはキッドに抱きついてすすり泣いている。
「えっ、あんたってここまで最低な奴だったの!?」
 怒ったのはキッドからだった。泣いている親友の背中をさすって、落ち着かせようとしている。
 これを見た竜次も黙ってはいない。
「何のつもりですか? これではジェフが誘拐したみたいですよ」
 広場には人が集まり、騒がしくなった。竜次は周囲を気にしながらジェフリーにさらに言う。
「ジェフ……あなた、今、自分がどんな顔をしているか、わかっています?」
「誰のせいだと思ってるんだ!? 他人に余計なこと喋りやがって!!」
 公共の場であるにも関わらず、ジェフリーは大声で怒鳴り散らした。
 こんなに感情をむき出しにしている弟を初めて見た。この様子だと、原因は自分にある。『余計なこと』とは、おそらく墓参りだ。見当がつき、竜次は納得した。だが、一歩も引かない。怒りで我を忘れそうになった弟の暴走に向き合っていた。
「私はあなたの今後を思って……」
「この偽善者野郎!!」
 ジェフリーが吐き捨てると同時に、パンッと乾いた音が響く。竜次は右手を振り上げていた。
 ジェフリーは左頬を打たれてよろめいた。この痛みで、やっと冷静を取り戻した。
「いつまでも過去に縛られて、そんなの本当のジェフじゃない!!」
 竜次の叱咤を受け、ジェフリーは左の頬を押さえながら鋭く睨み返している。
「立ち直りなさい。逃げないで向き合いなさい。ずっと過去を引きずって、心を閉ざしているつもりですか」
 いずれは知られてしまうこと。それでもジェフリーは、勝手に話されたことに納得がいかず、意地になった。だがこれ以上は抑え込み、キッドとミティアに詫びた。
「ごめん……」
 数歩あとずさり、ジェフリーはこの場から逃げるように走り去った。

「はぁっ!? あいつ、どこに行くつもり!?」
 キッドはひどく憤慨していた。走り去ったジェフリーを追うはずもない。彼女にとって、ジェフリーは親友を泣かせた人でなしだ。もちろん連れ戻して、竜次との仲を取り持つ義理もない。
 竜次は肩をすぼめ、ため息をついた。
「少し、頭を冷やせばいいんです」
 言葉とは裏腹に、小さく首を振って自分がしてしまったことを後悔した。騒ぎを大きくしてしまったせいで、これから動きにくくなるかもしれないと感じていた。
 一連の騒動を見た野次馬が、ぞろぞろと集まって騒ぎ始めた。
「お役人さんが来る前に宿に戻りましょう」
 竜次はこの場を離れるよう、キッドに促す。
 落ち着きを取り戻したミティアが、キッドの胸から顔を上げた。
「違うんです。悪いのはわたしなんです……」
 ミティアが何をもって自分が悪いと主張するのか。竜次には汲み取れなかった。ただ、彼女はジェフリーが気になっているらしく、走り去った方角に潤んだ目を向けていた。
 三人はもたついてしまい、離脱の機会を損ねてしまった。
「う、うーん、これはちょっとまずいかもしれませんね……」
 竜次の声が低くなった。
 野次馬たちが一定の方角を見てざわざわと騒ぎ立てている。緊張が走った。
「二人とも、他人を装いながら宿に戻りなさい!」
「せ、先生?」
「キッドさん、今までの苦労を水の泡にしないために早くっ!!」
 竜次は強めに言い、背中を押していた。今まで皆の前で出したことのない、危機感を持った声だ。
 キッドは困惑しているミティアを引っ張り、賑やかな噴水広場に向かった。人が多ければ、こちらにまで手を出して来ないだろうという彼女なりの考えだ。その考えは正しく、野次馬に紛れることに成功していた。

 ミティアとキッドを逃げさせた。その直後、竜次へ歩み寄って来る者たちがいた。その数は五人。しかも話を聞いてくれる役人ではなさそうだ。
「うぅむ……フィラノスの騎士団ですか」
 宿で見かけた情報が確かなら、身分がばれたらその時点で旅の終わりを意味する。地図を買った。腰のカバンに入れた。そう、カバンの中には財布や医療器具のほかに、医者のライセンスも入っている。言い逃れが難しい身分証だ。スパイか工作員、持っている道具から暗殺者だと思われるかもしれない。
 この状況で大きくごまかしようがないが、竜次は俯き、わずかに頭を下げた。
「これはいよいよ外交問題に発展してしまいますねぇ……」
 鎧などの類はないが腰から剣帯は見えた。一応の武装はしている。だが、竜次は向かい合って違和感を覚えた。距離が縮まるほどその違和感は増し、やがて確信になった。
「酒気帯び…何とかならないかなぁ……」
 竜次は恨めしそうに小声で独り言を呟いた。匂いには敏感だが、かなりの量の酒を飲んでいる点は把握した。宿で聞いた王都祭の話を思い出したが、騎士団も浮かれているのだろうか。
 声をかけられる手前、騎士団の背後から女性があらわれた。空に漂う煙とともに、華麗なステップを踏んでいる。
「ちょいと邪魔するよ」
 歯切れのいい声だ。騎士団の者ではないようだ。竜次に用があるのかとも取れる登場だ。一瞬だけ竜次と目が合うが、庇うように割り込み、騎士団の前に立ち塞がった。
「あんたら、さっきのお店でお金を払ってないだろう?」
 女性は長いキセルを吹かしながら、仁王立ちしている。可愛らしくおしゃれな帽子、緩くふんわりとした栗毛を大きなリボンで結んでおり、腰に大きなカバンを下げていた。カバンには、なぜか『人情』と達筆な文字が書いてある。
 カバンの隙間から左右双方に柄が見えた。目立たぬように武器を仕込んでいる。長さからして双剣使いだろうか。竜次はそう思いながら、黙って様子をうかがっていた。
 騎士団の男たちがにたにたと下品に笑う。
「俺たちは城の人間だから払わなくてもいいのさァ?」
「王都祭のために街でも働いているんだから、酒くらいはいいだろうが」
 竜次は周りを見た。自分が騒ぎを起こした際に集まっていた野次馬がいない。この女性が言っている金の踏み倒しが気になった。
 騎士団は街の人たちによく思われていないのだろう。騒ぎは気になるが、素行の悪い騎士団から変なとばっちりを受けたくないと逃げる。あくまでも推測だが、竜次は小さく頷き一人で納得していた。
「ふぅむ……」
 思わぬ好機が回って来た。もう少し様子を見てみようと、静観する。黙って逃げると、この女性に悪い。一応、顔を見られてしまった。
 女性はキセルを口から離し、右手で持って向かい合った。
「さぁて、どうしたもんかね……」
 言ってから左手をカバンに入れ、綺麗に光る赤い石を摘み出した。右手のキセルが弾かれ、くるくると回転しながら空に舞う。そのまま右手を前にかざした。
「スリープ、スプラッシュ……」
 何かの呪文だろうか。ぶつぶつと何かを言っている。次に左手の赤い石を弾いた。
「フレイムブリッド!!」
 赤い閃光が走った。男たちの頭上を煙が立ちこめ、覆うように広がる。
「よっとっと……」
 女性は前を向いたままに左足をうしろに蹴り上げ、右手でキセルを受け止めた。あまりに器用な動きだ。不思議な手品は起こすし、芸事に長けた人だろうか。竜次は見入ってしまった。
 煙が晴れて見えたのは、だらしなく地面に眠りこける騎士団だ。
「まーーーったく、馬鹿弟子は帰って来ないし、こんなのに酒をまずくされるし、今日は最悪だねぇ……」
 女性はキセルを弄(もてあそ)びながら、竜次に振り返る。
「でも、沙蘭の剣神に会えたから、ラッキーにはなるかねぇ……」
「…………」
「今何をしたのか、説明しようか?」
 竜次は周囲を警戒し、誰もいないと確認した。それから小さく頷いた。
「合成魔法で眠りの煙をぶちかました。煙なら広範囲だし、酔っぱらっているなら絶対に吸ってくれるでしょ? そんだけだよ」
 女性は説明をしながら、一番だらしなくいびきをかいていた男の腰から銭袋を奪い取った。やけに手慣れている。
竜次は気になって声をかけた。
「あの……」
「こいつらが踏み倒したお店に持って行くのさ。そうじゃないのかい?」
 女性は袋を持ってうしろに飛んだ。魔法を使う人がする身のこなしではない。盗賊のようだ。いや、もしかしたら、暗殺者の類かもしれない。竜次はそう思いながら女性を警戒した。
「さぁて、どうしたもんかね……一戦交えるかい?」
「丸腰なもので、それは遠慮しておきます……」
 女性はニッと歯を見せ、笑った。そのつもりはないようだ。これには竜次も安心した。
「早く女の子たちのところへ行っておやり」
「恐縮です、人情のマダム……」
 竜次の表現が正しかったのかはわからない。だが、女性は髪を耳にかけながら上品な微笑を浮かべていた。悪い気はしていないようだ。
「剣神……竜ちゃん、立派になったね」
 女性はそう言うと、体勢を低く構えた。
「え、あなたは!?」
「どうせ覚えてないだろうさ。んじゃね」
 女性は騎士団を跨ぐように飛び、着地で整える足踏みをした。その次の足は速く、女性の姿はすぐに遠くなった。あまりに足早で、呼び止める時間はなかった。
「えぇ……何ですか、このモヤモヤ」
 愛称で呼ばれた。肉親か親戚かと考え込んでしまう。竜次は眠っている騎士団たちが起きる前にこの場を離れることを優先し、切り替えた。本当は気になって仕方がない。
 本当に誰だったのだろう? ただの一期一会にしては、印象に深く残った。


 ジェフリーはフィラノスの街中を徘徊していた。
 威厳ある兄に叩かれた。言われたことは至極正しい。
 竜次はジェフリーに立ち直ってほしい、逃げないで向き合ってほしい、過去を引きずって心を閉ざしていないでほしいと言っていた。
 過去を進んで話さなかったのは、ジェフリーの中で汚点だと思っていたからだ。自分への改善点を受け入たくない意地が芽生え、どうしても素直になれなかった。
 心の闇に触れられ、ついカッとなって怒鳴り散らした。険悪な空気になってしまったし、これからどうしようかと考える。
 石段の道を登り、何となく繁華街を抜ける。預かっているお金で酒に溺れてしまってもいいが、それで解決するわけではない。むしろ、もっと帰りづらくなってしまう。
 時間が経過してから、どうしようもない罪悪感が押し寄せた。

 キッドをひどく怒らせてしまった。せっかく世間話を交わせるようになったのに。
 ミティアには八つ当たりをしてしまった。泣いていたし、本当に悪いことをした。
 兄には、竜次には……どう接したらいいだろうか。

 ジェフリーは徘徊の足を止め、思い耽った。
 ――なぜ自分はこの街へ来た?
 変わるきっかけがほしかった。日常から抜け出したかった。
それだけのはずが、遭遇してしまった理不尽を見すごせなかった。本当は護衛など建前だ。命のやり取りだってした。助けるだけではなく、助けられた。この数日、まだ見えない『何か』が築かれて行くのが楽しみで、充実していた。
 限られた時間と日数で、不思議な力の手がかりを探さなくてはいけなかったはずだ。何も得られなかったら、ミティアは銀髪黒マントの男に連れて行かれてしまう。防げるはずの理不尽から守らなくては。
 これ以上、頭を冷やすのは限界だ。戻って謝ろう。そうでもしないと、一生この焦燥に苦しむ。ジェフリーはやっと腹を決めた。

 繁華街へ戻ろうとする。すると、酒場の裏で不審な動きをしている人物を見つけた。ただの他人なら見流したが、格好に見覚えがある。ジェフリーがもしやと思って声をかけた。
「あれ、お前……」
 先ほど裏通りで遭遇した魔導士だ。赤いローブを引きずり、もぞもぞと芋虫のように地面を這っている。軒下まで見ていたが、ジェフリーの声に気がついて顔を上げた。必死だったのか、頬が砂だらけだ。
「あっ、さっきの美人さんの?」
「何してんだ?」
「あっはは……探し物です……」
 男の子はジェフリーの質問に恥ずかしそうに答え、頬の砂を払った。誰かに遭遇して身形を整える。それだけ夢中になっていたと察せる。
「何を探しているんだ?」
「えっ?」
「時間があるから付き合ってやるよ」
「ほ、本当ですか?」
 ジェフリーが手伝うと言うと、男の子はうれしそうに立ち上がった。ランタンを脇に抱え、両手で身振り手振りを交えながら説明する。
「えっと、これくらいの大きさで、八角形で金色の懐中時計です。チェーンがこれくらいの長さで……」
「もしかして、鈴蘭の金属透かしの蓋のか?」
「よく知っていますね」
 ジェフリーには心当たりがあった。魔法に長けていた母親が銀色の時計を持っていた。古い写真でしか見た記憶はないが、それで正解らしい。さらに、その懐中時計を持つ意味を知っていた。
「お、お前って本当に頭がよかったのか……」
 疑われていたと知り、男の子は急に頬を膨らませた。
「僕の名前はサキです。サキ・ローレンシア。これでも、今年で十六歳です」
 男の子は『お前』と呼ばれ続けるのが嫌だったらしく、自分から名乗った。ジェフリーも遅い自己紹介をした。
「……ジェフリーだ。まぁ、そう何回も会うことはないだろうと思っていたけど……」
「ジェフリーさん……偉い人とか、学者さんみたいな名前ですね」
「名乗ってそういう反応をされたのは、初めてだなぁ」
 サキは小さく笑った。すぐに懐中時計の話に戻す。
「あれがないと、この街で優待が受けられないですし、大魔導士の試験も受けられないんです。このままじゃ大図書館にも入れません……」
「大図書館……」
 突然サキの口から『大図書館』という言葉が飛び出し、ジェフリーは反応した。だが、それよりも先に驚くことがある。この年であの時計を持っている。しかも金、それが意味するのは。
「金って、首席で卒業か?」
 あどけなさの残る顔から、満面の笑みがこぼれる。
「えへへ、驚きました? すごいでしょう?」
「卒業試験を終えた時点で成績が上位。懐中時計は三人しかもらえないんだろ? 首席ってすごいな……」
「ふっふーん……」
 サキは鼻を鳴らし、自慢げに胸を張る。
「次席の人の二倍近く出しています。三年も飛び級していますからね!」
 ジェフリーは驚嘆(きょうたん)のあまりぽかんとしていた。天才か秀才か、あるいはとんでもない努力家だろうか。彼がこれほど驚くのには理由があった。若くて口が達者、態度が大きい点から実は信じていなかった。魔法使いらしい格好から、話半分だった。子どもが背伸びをするのと同じで、虚言だと思い込んでいた。
「それで、時計は見ませんでしたか?」
 サキは話が脱線し続けないように意識していた。それほど懐中時計は大切な物、魔法使いにとっては誇りのはず。
 ジェフリーは記憶を掘り出していた。考え事をしながら徘徊していたが、金色の懐中時計が落ちていたらさすがに気がつく。
「繁華街を抜けて来たが、見なかった。結構やばくないか? 悪用されるんじゃ?」
 サキは深めに頭を垂れ唸った。
「名前と年号が刻まれているので、そう簡単に悪用はできません。ただ、このままだと僕が一生困ります……」
 たかが探し物だと馬鹿にするのは簡単だが、大きな街でしかも夜だ。ジェフリーは軽い気持ちで手伝うと言ったが、サキがここまで落ち込んでいると放ってもおけない。一度は首を突っ込んでしまったし、ミティアが世話になった借りもある。
 ジェフリーは『らしくないこと』をしている自覚を持っていた。これは喧嘩をした反動でもある。自己満足かもしれないが、少しでもいいことをしたいと思っていた。
「いつも、どうやって持ち歩いているんだ?」
 懐中時計なのだから、身につけるだろう。ジェフリーは手がかりを探ろうとする。
「左に引っかけてポーチに魔石と一緒に入れて……あっ!!」
 サキは説明の過程で肝心なことを思い出し、飛び上がった。慌てた様子で心当たりを口にした。
「さっき、あの美人さんにぶつかったとき、ポーチの中身をぶちまけちゃって……もしかしたら」
 これを聞いたジェフリーは舌打ちをした。身内の不注意を謝らなくては。
「本当に迷惑ばかりかけてすまない!! 本人によく言っておく!」
「そういえば、あの美人さんはご一緒ではないんですか?」
 サキはミティアが気になっているらしく、なぜ同行していないのかと質問をした。ジェフリーは自分がしたことを思い出し、精神的なダメージを受けた。
 答えにくそうにしている点から、サキは察した。
「まぁいいです。どうせ、僕とは縁がない人ですので」
 生意気で自慢が多い。鼻につく話し方だがどうも憎めない。空気は読めるし、話しやすい。ジェフリーは普段から口数も少なく、あまり自分から喋らない。それなのに、こんなにも会話を交わしている。不思議な気分だった。
 二人はランタンで足元を照らしながら道を戻るが、それらしきものは見あたらない。
「ここで彼女とぶつかりました」
 ミティアとぶつかった場所まで戻った。サキは地面を這って探索する。
「あれ、これは……?」
 懐中時計ではなかったが、黄色いリボンのついたピンクの可愛い小袋を摘まんでいた。
「いい香りがしますね、ポプリかな?」
 サキはランタンの明かりで照らして観察していた。ジェフリーは見覚えがあった。
「それ、あいつの……」
 レストの街を出発する際に、ミティアは荷物を整理していた。彼女がこの小袋をポーチに入れていたのを見た記憶がある。調子はずれな彼女らしく、やけに可愛かったので印象に残っていた。
 サキは小袋を摘まんでジェフリーに差し出した。
「じゃあ、ジェフリーさんが届けてください」
 手渡され、受け取ったがジェフリーは黙っている。サキは心配し、顔を覗き込んだ。
「もしかして、喧嘩でもしたんですか? 僕が届けに行ってもいいですけど?」
 喧嘩……そうだったかもしれない。なぜかこのポプリを見て、ジェフリーは苦笑いをしていた。受け取ったポプリを握ってジャケットのポケットにしまう。納得するように小さく、何度も頷いた。
「ど、どうしました?」
「いや、ありがとう……」
 ジェフリーが言ったお礼にはミティアに対して謝るきっかけをくれた意味が含まれている。
 表情が明るくなり、サキも気を取り直した。
「いえいえ、何があったかは知りませんが、ちゃんと仲直りしてくださいね」
 二人は再び地面に目を配らせる。石畳の隙間も、建物の影にも目を凝らした。たまに光ったかと思えば小銭だったりと、見つかる気配はない。
「ないなぁ……ここじゃないのかなぁ……」
 これだけ探しても、それらしきものは見あたらない。サキは大きくため息をついて肩を落とした。
「はぁ……困ったなぁ」
 ひどく落ち込んでいる。自慢をして、自信に満ちていた彼とはまったく違う。自分が成し遂げた証なのだから、落胆も大きいはずだ。
 地面を探し歩く二人のもとに声がかかった。
「おんやぁ? 何してるんだい?」
 歯切れのいい女性の声だ。足音と、独特の臭いと煙たさが近くなる。ランタンと街灯で姿が確認できた。
「あっ……お師匠様!」
 帽子をかぶっていて栗色の髪の毛、紫煙の上がっているキセルを持った女性だ。煙たさの正体はこれだった。
 先ほどまでひどく落ち込んでいたサキの表情が明るくなった。そのまま縋るように駆け寄った。
「こぉれ、おつかいもしないで何してるんだい」
 女性はサキの頭をキセルで軽く叩いた。
 サキはおつかいを思い出し、小さく飛び跳ねた。深く頭を下げて声を震わせている。
「あっ、うわぁ、忘れてた。ごめんなさい……」
 女性は叱っていたが、さほど怒っていないようだ。
「忘れるほどのことがあったんだね? いいよ、外で適当に済ませたから」
 おつかいと言っていたが、この様子だと食べ物でも頼んだのだろう。ジェフリーはこのやり取りを見て、師弟の関係よりも親子に近いと思った。
 女性はジェフリーの存在に気がついた。さっそく興味を持っている。
「あぁ、そういうこと……?」
 女性は小さく頷いて、顔を覗き見た。
 ジェフリーはぎこちなく笑う。不審者と思われないか、警戒をした。
「ど、どうも……」
「あいよ」
 軽く会釈するも、女性はキセルを持ったままじっと見続けていた。
「あんた……もしかしてジェフリー?」
 女性はジェフリーの名前を呼んだ。てっきり、初対面だと思っていたジェフリーは驚いた。それはサキも同じだった。
「お師匠様、お知合いですか?」
 女性はサキの質問に答えず、キセルを持ったまま腕を組んだ。そのままジェフリーの答えを待っていた。
「そうだけど……おばさん、誰だ? 兄貴ならともかく、俺は有名人じゃない……」
「口の利き方がなってないね」
「認めるが、俺の質問に答えてくれ」
 女性も強気だが、ジェフリーもぶっきらぼうな性格だ。いがみ合うような形になってしまった。
 見ていられなくなったサキが、二人を交互に見ながら口を挟む。
「僕が不注意で懐中時計を落としてしまいました。それを、ジェフリーさんが一緒に探してくれていたのです。お師匠様、あんまり厳しくしないでいただけますか?」
 サキは事情を話した。それを聞いた女性は、向かい合ったまま考えていた。
「そうさなぁ……」
 女性がサキの肩を叩いた。そのまま身を寄せ、ジェフリーへ向き直る。
「この子と友だちになってくれるなら、あたしが何者なのか、どうしてお前さんを知ってるのかを教えてやってもいいよ」
「お、お師匠様ぁっ!?」
 サキは持っていたランタンを大きく揺らし、激しく動揺した。
 突然出された条件に、ジェフリーも驚いた。
「お前と?」
 ジェフリーが眉間にしわを寄せる。
「お師匠様、だって僕は……」
「で、どうなんだい?」
 サキが何か言いかけて、女性が遮った。
 まともな返事をしないと話が先に進まないだろう。ジェフリーは面倒に思い、頭を掻きながら渋々答えた。
「友だちかどうかはさておき、時計が見つかるまでは付き合うつもりだ。俺も用事があるから、そう長くは友だちごっこができないと思うけど……」
 サキは一瞬だけ喜んだあとに、少し寂しそうな顔を覗かせた。友だちという言葉に反応したのだろうか。
「ほーん、まぁいいか。ついてらっしゃい」
 女性は一人で納得すると、つかつかと歩き出した。ジェフリーを先導しようとする。
「お前さんは姉さんのところに帰りなさい」
 女性はサキを言葉で突き放した。だが彼は、怯えた様子で激しく首を振っている。
「あそこには帰りたくないです。お師匠様のところに置いてほしい……」
「そうは言ってもねぇ……場所がないし」
「……」
 サキは俯いたまま黙り込んだ。意外と頑固なのかもしれない。
 女性は本当に困っているらしく、ジェフリーに助けを求める視線をおくっていた。
 今はこの女性の正体が気になって仕方がない。ジェフリーは協力することにした。
「明日、昼に噴水の前で落ち合おう。一度は協力したんだし、見つかるまでは手伝うさ。明るくなってからの方が探しやすいだろ?」
「……わかりました。今日はそうします」
 サキは渋りながら了解した。それでも恨めしそうにジェフリーを見上げている。
「絶対ですよ? 約束ですからねっ!!」
「わかったってば、そんな顔するな」
 ジェフリーが目を合わせて言う。サキは頷いて少しずつあとずさり距離を取った。このあどけない顔に、不安と悲しみが見え隠れしている。

 女性に先導されて気がついたが、『人情』と書かれた腰のカバンが気になって仕方がない。
 サキは追って来ない。話しても大丈夫だろうと、ジェフリーが女性に質問をした。
「普通、弟子ってのは身近に置かないか?」
 本当はカバンに指摘を入れたいが、ジェフリーはこれを抑えた。
 女性はため息を交えて答えた。キセルを咥えていないところ、この話に対して真剣のようだ。
「置けるなら、置いてあげるさ。寮に突っ込んじゃったけど、これでも卒業まで面倒を見てあげたしね……」
 街の外れまで足を運んだ。うしろを振り返るが、サキの姿はない。
 奇妙な場所に案内された。崩れかけの大きな建物が見え、簡易的な鉄柵で立ち入りが禁止されている。ジェフリーはこの場所を知っていた。
「ちょっと待ってくれ、ここは……」
「あんたなら、よーく知ってるだろう? ここは元・孤児院だよ?」
 鉄柵の一部からこっそり入れるようになっていた。このひっそりとした空気が異様に感じる。廃屋(はいおく)と化した建物の一部が間借りされていた。違法ではないかと心配になる。
ここはセーノルズ家の親戚、もっと詳しく掘り下げると、母の妹夫婦が経営していた孤児院の跡だ。幼いころに遊びに来た記憶がある。魔導士狩りより少し前に叔父も亡くなって場所を移したが、建物が解体されていなかったことにジェフリーは驚いた。
「あたしゃ、ここに住んでるのさ。ちっさい場所だろう?」
 中を案内されたが、二畳ほどの部屋に椅子とテーブル、多少の家具というか、魔法の道具らしきもの、壺などのインテリアと本がひしめいていた。換金したら高いものと予想がつくが、溜め込んでしまったのだろう。まるで倉庫のようだ。こんな場所に人が住んでいるのが驚く。
 この広さだと、二人は窮屈すぎる。一人でも狭苦しい生活空間だと思える。少なくとも寝る場所がない。頑張れば椅子で休めるくらいだ。
 この場所がどんな部屋だったのか。ジェフリーは覚えていない。壁には無数のヒビも見受けられ、裸電球がぶら下がっているだけの粗末な部屋だ。廃屋になってもう十年は経過している。少ない明かりでは確認できないが、使える部屋はほとんどないだろう。
「おばさんの知り合いなのか?」
「まぁね。多少は手伝ってたよ。孤児院はずいぶん前に引っ越したらしいけど」
「おじさんは亡くなったぞ」
「もちろん知ってるさ」
 自己紹介よりも先に身内の話が進んだ。女性はその次に衝撃的なことを口にした。
「病死……に見立てて殺したのは姉さんだもの」
 ジェフリーが身構える。一瞬殺気を感じた。これを警戒しないわけにはいかない。
「あんた……俺をどうするつもりだ?」
 女性はキセルを部屋の隅にある長い壺に突っ込み火を消した。ここからは真剣な話だと示す。
「あたしゃ、アイラ。アイラ・ローレンシア。サキの『育ての親』で師匠だよ」
 女性はアイラと名乗って、適当に積まれている本の上に座った。椅子にも本が積まれているので、猫の額もいいところだ。生活空間が限られている。
「あの子には親が三人いるのさ。『本当の親』、『育ての親』、『拾った親』がね……」
 アイラは足を組んだ。この狭い所で争う気はないようだ。
「別にお前さんをどうともしないよ。間接的に知り合いだし、頼みごとをしようかなって思ったんだけど」
「頼みごと? 俺に?」
 ジェフリーだって、この街に遊びに来たわけではない。それよりも、アイラが信用できない。
「話が読めないし、そんなに暇じゃない」
「まぁ、それもそうさな……話が前後してるから混乱させてすまないね」
 確かに話が散らかっている。疑問は次々と湧き出るし、これ以上収拾がつかなくなるのは困るところだ。
「あたしゃ、少しばかり顔が利くのでね、多少厄介な仕事も片付けられる。タダで頼みなんてしないよ。こちらが出せるものは今から言うものの中から一つ……」
 アイラが腕を組んで提案をする。
「この街にいるってことは、わけありなんだろう? 何かほしい情報を渡そう。お前さんの家族、この世界、何ならあたしやサキの素性でもいい。それとも……」
 急に目つきが鋭くなった。口角を上げ、嘲笑(あざわら)うかのようだ。
「黒い龍か、銀髪黒マントのキザ野郎か、お連れの女の子の不思議な力のヒントがいいかね?」
 ジェフリーは思わず苦笑した。緊張から額に汗が滲んでいる。アイラから提示されたものが、喉から手が出るほどほしいものばかりだ。
 アイラは何者だろう。なぜこんな話をするのだろうか、なぜ連れがいることを知っているのか、なぜ黒い龍や銀髪の男を知っているのか、ジェフリーは疑問に思った。
「ここまで来て、まだあたしを何者かって聞くなら、それを交換条件に教えようか?」
「いや……」
 返事を急かされた。ここは神様がいると思って縋るべきだろうか。ほしい情報が揃えば、彼女たちともお別れだ。本当にそれでいいのか、ジェフリーの中で迷いもあった。
「……条件って何だ? 俺に頼みがあるんだろ?」
 ジェフリーは条件をのむ決意を示した。アイラがどこまで知っているのかはわからない。情報を持って来ても、それが本当なのかを疑う警戒もした。それでも一応この話に乗ってみようと思った。
「意外だねぇ、乗ると思わなかった」
「いまさら、ナシなんて言わないだろうな?」
「そうさねぇ……」
 アイラは腕を組んだまま、ジェフリーの顔を覗き込んだ。
「うちの馬鹿弟子に『生きる意味』を教えてやってはくれないかい?」
 重い……重すぎる。ジェフリーは何かの間違いではないかと困惑した。思わず文句も言いたくなる。
「友だちの次はそれかよ……」
 アイラはジェフリーをじっと見たまま動じない。
 黙っているアイラの視線に威圧を感じる。何か裏があるか、複雑な事情でもあるのかと気になった。適当な返事をしてごまかせる相手ではないのは、ジェフリーもわかっていた。
「俺は自分で精いっぱいだし、ましてや今はほかの用事があって……」
「竜ちゃんじゃ、できないからさ」
 ジェフリーは呼び方に違和感を覚え、眉をひそめた。アイラは間違いなく自分たち家族を知っている。自分を知っているなら竜次も知っている推測はできる。昔会ったことでもあるのだろうか。
「だって、竜ちゃんを立ち直らせたのはお前さんじゃないか」
 アイラは名前だけではなく、兄弟に何があったのかも知っていた。
 ジェフリーは視線を落とす。抉られる兄弟の記憶の中に、心当たりがあった。もしかしたら、自分を一番献身的に思ってくれているのは兄かもしれない。だから叱ってくれた。謝りたい気持ちがさらに増した。
 まずはこの話を片付けなくてはいけない。ジェフリーは話を進めようとする。
「俺にできるか、わからない。それでもいいなら……時間はあまりないけど」
「あい、決まった。じゃあ、お前さんが知りたいものは何だい? 難しい情報でも、明日の夜までに紙で揃えてあげるよ」
 アイラが交渉成立に気をよくした。軽く手を叩き、にやりといやらしく笑う。
「よくいるだろう? こういうお助け情報屋さん。存分に甘えていいんだよ?」
 こんな素性の知れない情報屋が果たしてどこにいるのやら。ジェフリーは言い方に迷いながら、ほしい情報を話し始めた。

 宿に戻るとすでに日付を跨いでいた。きっと皆は先に休んでいる。あれだけのことをして、心配などされないとジェフリーは思っていた。
 部屋の扉を開けると、明かりがついたままだった。テーブルを囲って座る三人が一斉に振り返る。
「あ、あんた……」
 真っ先に声を上げたのはキッドだった。
「ジェフリーさん!」
「あぁ、帰って来ないのかと心配しました……」
 ミティアと竜次も迎え入れた。
 女性二人は風呂でも入ったのか、軽装で首にタオルをかけていた。先に休むこともできたはずなのに、わざわざ待っていたのだろうか。テーブルを囲っていた様子から、会議をしていたようにも思える。
 テーブルの上には小物が見えた。地図にメモ帳にペンにルーペ、そして金の……
「それ、どうしたんだよ」
 ジェフリーが注目をしたのは、八角形で金色をした懐中時計だ。
「あんたさぁ、まず先に言うことがあるんじゃない?」
 キッドが唖然とする。ジェフリーは勝手に離脱して、勝手に帰って来て、ただいまの挨拶もしていない。
 竜次は立ち上がってジェフリーに駆け寄った。そのまま両腕に縋るようにつかみかかる。
「ジェフ、さっきはごめんなさい。痛かったですよね……」
 整った顔立ちを情けなく崩し、叩いたことを謝った。弟が相手でも律義な性格だ。
「俺もカッとなって悪かった……」
 ジェフリーも素直に頭を下げた。面倒臭いとは思っていたが、ちゃんと謝ることができてよかった。都合のいい解釈だが、起きていてくれて感謝した。心のつかえがとれて、一気に軽くなった。
「兄貴が俺を心配してるのはわかってる。だけど、できたら自分の足で立ちたいんだ。本当にごめん……」
 あの不愛想で、口数の少ないジェフリーが、心の内を話している。頭を下げて謝っている。竜次は面食らいながら不審に思った。
「ジェフ……何かあったんですか?」
 ジェフリーは竜次の手を払い、そのまま女性二人に向かい合った。キッドがミティアを庇って前に出る。まずはキッドに向かって言った。
「気を遣うのをやめたい」
「はぁ?」
 突然何を言い出すのか。キッドは困惑しつつ、ミティアにも視線をおくった。
 ミティアは驚きのあまり、猫のように目を真ん丸に見開いている。
「ちょっと、どういうことか説明してもらえる?」
 キッドは引きつった笑みを浮かべ、説明を求めた。ジェフリーはこれにかまわず、一歩前に出た。彼女にいちいち噛みつかれては話が進まない。
「キッド、悪いがミティアとも話をさせてくれ」
 キッドが蔑んだ目を向ける。名前を呼ばれたせいで悪寒でもしたのか、身を縮めた。
「えっ、名前……」
「気を遣うのをやめたいと言ったはずだけど」
 これには黙って見ていた竜次も苦笑いだ。
 ジェフリーから話がしたいと言われ、ミティアは大きな目をぱちぱちとさせている。向かい合って言葉を待っていた。
「さっきは八つ当たりして悪かった。泣かせたのは謝りたい」
 ジェフリーは深く頭を下げた。その光景に、竜次とキッドが驚愕した。
「あ、あの、その、わたしも余計なことを言って悪かったので……」
 ミティアは急な深謝に困惑し、慌てふためいている。ジェフリーはそんな彼女の目の前に、リボンのついた小袋を摘まんで突き出した。
「えっ、あれっ、それってわたしの……ありがとうございます!」
「俺は持ってきただけだ。ぶつかったときに落としていたらしいぞ。あの人が拾ってくれてた」
 ポプリだ。リボンが可愛くて、ジェフリーが持っているのが似合わない。
 ミティアは受け取って俯きながら、テーブルの上の懐中時計に目を向けた。
 キッドがジェフリーに質問をする。
「あのあと、誰かに会っていたの?」
「たまたまその懐中時計の持ち主に会った。ミティアがぶつかった相手だ」
 ジェフリーは懐中時計を指さしながら答えた。それを聞いて、ミティアが控えめに言葉を添える。
「その懐中時計、わたしのポーチの内側に、引っかかっていました……」
 入浴時にでも気がついたのだろうとジェフリーは想像をした。二人は風呂上がりで軽装だ。あまりこの件に触れるとまたキッドに変態扱いでもされそうだと思い、追究を控えた。
「この懐中時計、偽物かと思いましたが、本物ですね」
 竜次が詳しく見たようだ。テーブルの上にルーペもあった。竜次はさらに言う。
「ご本人と親しかったら、ジェフが言っていた、大図書館に付き添いで入れるかもしれませんね……」
 それだけのために友人のフリをして、『利用』するのもどうだろうか。ジェフリーは少し考えてから、せっかくならと話してみる。
「あまりにがっかりしていたから一緒に探したんだが、ここにあるんだ。そりゃあ見つかるはずがない。昼に、一緒に探す約束をした。どうせだから、渡すときに話してみようと思う」
 ジェフリーの話を聞いて竜次は深いため息をつき、大きく肩を落とした。
「そうですか。ジェフは情報収集に力を入れようとしているのに、私ときたら……」
 額を抱えて小さく唸っている。竜次たちは別れてから何をしていたのだろうか。ジェフリーは疑問に思った。
「何かあったのか?」
「さっきはジェフと公共の場で騒いじゃったでしょ? フィラノスの騎士団に目をつけられてしまって、ね……」
「そっか、手を上げちまったしな」
 何も知らない人がその一部始終を見たら、事件だ喧嘩だと騒ぐだろう。大声も上げてしまった。
「ん? 騎士団って、国の直属だろ? 役人よりも厄介じゃないか」
 ミティアもキッドもなぜ『厄介』なのかを理解した。あの場では、ただ逃げろと言われただけだった。その場を離れたあとは知らない。
「あ、そっか。先生も国の人だから、フィラノスの人に捕まったら大変ですよね」
「だから、あたしたちに逃げろって言ったのね……」
 これが役人だったら、一応の話は聞いてくれる。役人の仕事は街の警備なのだから、お酒に酔っていましたと適当な理由で謝って、罰金でも払えば済んだかもしれない。
 騎士団は主に国のために働く。基本は役人と変わらないが、普段は街の騒ぎには介入しない。それでも気まぐれに目に留まってしまえば、厳しく問い詰められるだろう。あれこれと憶測をしたところでどうしようもないが、何をされるかわからない。
 竜次は座って頭をテーブルに沈めた。三人とも拘束されていたら情報収集も何もできない。それは回避したが、問題がある。
「騎士団の方々は酔っぱらっていましたが、一応顔も見られちゃったし、このままじゃ外を歩けません……」
 頭を抱え込む竜次を見て、キッドは軽くため息をついた。
「先生、かっこいいからただでさえ目立つのにねぇ……」
 キッドとミティアは少なくとも竜次を『かっこいい』と思っている。彼女たちの反応を見ればわかることだ。それなりの長身で整った顔立ちはどうしても目立つし、印象に残りやすい。
 顔を含め、見た目はいいとジェフリーも思っていた。あくまでも『見た目』だけは。
「私だって情報収集したいです。せっかくこんな大きな街なのに!!  探索して、楽しい買い物をして、おいしいお酒なんか飲みに行きたい!!」
 子どものようなわがままも添えられた。だが、ひどく落ち込んでいる。竜次はテーブルに伏せたまま、足をばたつかせた。立っていたら地団駄を踏んでいそうだ。
 落ち込んだ空気の中で、ミティアは竜次に声をかけた。
「あの……」
 微妙な空気を変えるのが彼女だ。何を言うのか、楽しみになって来た。この中毒性が憎らしいと一同はわかっていて言葉を待った。
「変装はしないんですか?」
「あっ!!」
 竜次は両手をテーブルについて、勢いよく立ち上がった。
「そ、それです! ミティアさん、すごいかもっ!?」
 深夜なのに、妙に話が盛り上がった。打開策をミティアからもらえるとは、誰も予想しなかった。
「でも兄貴に変装って、何をしたらこの顔が誤魔化せるんだろうな……」
 ジェフリーの言葉をきっかけに、ミティアもキッドも竜次を見る。案は上がったが、解決にはならない。
 竜次は情けない顔をしながら、皆の意見を耳にする。
「そのクソ長い髪の毛を切るとか?」
「ないです!! お手入れは大変ですが、気に入っていますので!!」
 ジェフリーの提案が即却下された。なぜか竜次は反撃を開始する。
「ジェフこそ髪の毛を切ったらどうです? 私と微妙にキャラがかぶりますし」
「キャラがかぶるって何だよ。そもそも顔が似てないだろ」
「あっ、ジェフリーさん、短い方が絶対似合います!」
 兄弟で言い合いをしている中、ミティアからとんだ不意打ちを食らった。
「お、俺の話じゃないだろ……」
 急に話が逸れて、ジェフリーは動揺した。言っていながら内心では気にしているらしく、前髪を摘まんで弄(いじ)った。それを見たキッドは、呆れて首を振っている。
 ミティアは再び竜次を見て考えている。
「うーん……先生、このままでもかっこいいからなぁ……」
「ミティアさんがそこまでおっしゃるのでしたら、このままでもいいんですけどねぇ」
「「よくない!!」」
 突如、キッドとジェフリーが声を合わせる偶然が起きた。お互い顔を見合わせ、嫌悪感をむき出しにしている。
「はぁ? あんた、何!? 気色悪いんだけど!!」
「クソが。何だ、この茶番は……」
 気を遣わなくなった途端にこの調子だ。ずいぶんと和やかになったものだとジェフリーは思った。

 さまざまな意見がメモにまとめられた。主に変装用の小物が多い。
 朝まで議論が続き、疲れた女性二人はそのままテーブルで眠ってしまった。
 兄弟は呆れながら寝顔を眺めている。
「やれやれですね……楽しかったですけど」
「そもそも兄貴が騎士団なんかに、ふぁ……」
 ジェフリーは言いかけてあくびをした。それと同時に疑問が湧き出る。
「ん? 騎士団に顔を見られて、どうして助かったんだ?」
「あぁ、それでしたら、親切なご婦人に助けていただきました」
 親切なご婦人……誰だろう?
 ジェフリーは小難しい顔をしながら考える。竜次は具体的な特徴を話した。
「私は身につけていた物の特徴から、人情マダムって一方的に思っていますが……」
「人情!? もしかして」
 ジェフリーは心当たりがあり、大声を上げそうになった。
「うぅん……えへへ……」
 ミティアが寝言を言いながら笑っている。この幸せそうな寝顔を見ると、起こしたくはない。ジェフリーは黙ってミティアを眺めていた。
 竜次がテーブルの上の散乱していたものを端に寄せて、目を覚まさないように気を配った。このままでは寒かろうと、二人の肩に毛布をかける。
 落ち着いたところで、竜次はジェフリーに声をかけた。
「さて、今の時間なら誰もいないでしょうから、宿の大浴場に行きませんか? 話の続き、したいでしょう?」
 眠気はあるが、ジェフリーにとってはいい誘いだ。疲労の清算をして、次の行動に備えたい。
 
 風呂場には下履きが一足もなかった。竜次の読みは当たっていたようだ。貸し切り状態で脱衣所が広く感じられた。
 ジェフリーが服を脱いでいると、背後から竜次が声をかけた。
「ジェフ、ちょっとそのまま、動かないでくださいな」
 ゴミでもついているのかと、軽く考えていた。竜次に結んでいる髪を摘ままれた。疑問に思っていると、ジリジリと髪に何かが走っている。
「はぁぁぁぁぁっ!?」
 誰もいない脱衣所でジェフリーは大声を上げ、左から振り向いた。竜次は右手に剃刀、左手で髪の毛の束を摘まんでいた。
「なっ、何して……」
 ジェフリーが首のうしろに手を回すと、髪がない。短い髪の毛が散った。
 竜次は悪びれる様子もなく、口を尖らせる。
「もう、動いたから右が長く残ってますよ?」
 髪の毛を切られたと徐々に実感が湧き、ジェフリーは苦笑いをする。
「兄貴、やっていいことと悪いことがないか?」
 完全に油断をしていた。怒るにも、疲労から調子が出ない。
 竜次はにっこりと笑っていた。
「気を遣っていたジェフはもういません。これで、ミティアさんが喜びますね」
「そ、そうじゃなくて!!」
 言い争うのが馬鹿馬鹿しい。しかも今は素っ裸だ。
 ジェフリーは肩を落とし、ため息をつきながら右手を突き出した。
「前髪、自分でやる……」
「ふふっ、悪くないじゃないですか。振り向いてもらえるかもしれませんよ?」
「誰があんな……」
 吐き捨てて、鏡の前で頬が赤くなっている自分を見つめる。容姿にコンプレックスを抱いているが、髪型一つで印象が変わるものだろうか。ジェフリーはぼんやりと考えていた。
 実は前から、剣を振る際に邪魔だと思っていた。ただ不意ではなく、きちんと了承を得てやってほしかった。もう済んでしまったので、切り替えるしかない。
 
「えぇっ!? ジェフが人情マダムとお知り合いなんですか!?」
 竜次が大浴場で大声を上げた。兄弟以外、客の姿がないのが幸いだ。
「知り合いっていうか、さっき会った魔導士の師匠だった……」
 髪を上げ、湯船に浸かる竜次は怪訝な表情だ。
「その人、私のことを知っていましたよ?」
「俺もそうだった。おばさんの孤児院を手伝っていた人らしい」
 どこまで話したらいいだろうか。話が複雑化し、ややこしくならないかとジェフリーは心配した。
「おばさまの孤児院は、財源のほとんどが寄付です。融資もあったりと、よくない噂もたくさんありますが……」
「よくない噂って何だよ……」
 竜次は黙り込んだ。答えに困っているわけではなさそうだが、何か言いたそうな顔はしている。じれったくなり、ジェフリーから話を進めようとする。
「親父とおふくろが行方不明なのと関係があるとか……?」
「確証がない状態では何とも言えませんね。そもそも行方不明じゃなければ、私たちも、今こうしていませんし」
 竜次も話す範囲を考えていた。兄弟同士で腹の探り合いなど、気分がいいものではない。ここは違う話題を振ろうと試みた。
「そういえば、ジェフは約束があるんでしたっけ? あの懐中時計の持ち主さん、どんな人ですか?」
「今年、十六歳って言っていた。賢そうな魔導士だ」
「で、そのお師匠様が私たちを知っていると……」
「何か言いたそうだな」
 竜次が浅めに息をついて、厳しい表情をした。
「ミティアさんとキッドさんは例外として、外の世界には悪い人がたくさんいます。だから、ジェフも親しくする人は、よく選びなさいね」
「友人を作るなと?」
「そうではないです。ただ、人は見た目だけでは判断できませんよ」
 ジェフリーは道中で出会った、空を飛んでいたコーディを思い出した。確かに見た目だけで判断をしてはいけない。彼女は幼い外見だが、自分の信念を貫こうと力強かった。彼女はフィラノスでは人の話は簡単に信じちゃダメ、自分の目で見て信じたものを情報として受け止めろと言っていた。
 信じることは簡単だ。何でも信じればいい。ただ、その先にあるものが違うだけ。
 湯気の向こうに見える実の兄だって、どこまで信じていいのだろうか。
 本当に保護者としてついて来ただけなのだろうか。
 そろそろ疑わなくてはいけない気がしていた。
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