花びらは掌に宿る

小夏 つきひ

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最終章~桜~

桜⑨

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頬が濡れた感触がして目を開いた。緑の葉が広がっている。女の人が僕を覗きこんでいる。
「大丈夫ですか」
彼女は僕に訝し気な目を向けながら、どこか痛みますかと聞いてきた。
「痛む…」
言われた言葉を口にしてみた、どこも痛くない。
首を振って答えた。
体を起こし、頭のふらつきを感じながらここで何をしていたか考えた。でも、浮かんで来るものが一切ない。思うまま、自分が誰かわからないと彼女に伝えた。
困った顔をした彼女に連れられて着いたのは交番だった。着くまでの間に見たもの全てが記憶にない。警察官は質問ばかりする、どうにも答えようがなく、時々泥のついたジーンズに視線を落とした。そのうち彼女は僕を置いて交番を出ていった。


再会したのは、施設から抜け出して駅の花時計前で座っていた時だった。
病院で一度面会に来てくれた高校生の2人が僕を見つけてくれた、暫くしてあの彼女が現れた。その時の気持ちをどう言えばいいのか分からない、特別な感情を抱いたのを覚えている。唯一顔見知りの人物に会えた事でほっとしていたのかもしれない。
それから彼女、夕夏は僕の面倒を見てくれた。何をどうしていけばいいのか部屋でいつも考えていた。静かな時間は僕を苦しめた。でも、台所の電気がついて夕夏が帰って来た事がわかるとその不安は拭い去られる。
記憶を取り戻すために外へ出掛けようと連れ出してくれた場所はいつしか決まりの散歩コースとなった。
雨上がりの空気の匂いや歩く足音が心地良かった。夕夏と一緒に居ると、小さな事であっても僕にとってはひとつずつが癒しとなった。遥人君の店で働くようになってからは更に充実していった。
ただ、あの日さえ店にいなければこんなにも辛い選択を迫られる事はなかったと思うと運命を憎く感じる。


「許さない、とぼけても無駄なんだから!」
耳を劈くような金切り声が店内に響く。僕の妹だと名乗る女の子が夕夏を責め立てる。興奮しているその子を家に連れて入り僕の過去について話を聞いた。
倉前恭也、それが本当の名前らしい。実家を出て行方不明だった僕を妹の麗華は探していたと言う。じっくりとその子の顔を見ても何一つ思い出せるものがない。
翌日には僕が住んでいたという家に住む事となった。妹がそう強要した。自分の家、でもそれはひどく違和感のある空間だった。おかしな感情が胸の中で暴れては眠る、繰り返しているうちにそれが何者かわかり始めた。
ある日、閉店間際に莉奈ちゃんが入ってきた。注文した料理を食べながら遥人君と話した。
「夕夏さん今度の遊園地、結構楽しみにしてるみたいだよ!」
遥人君は厨房で仕込み用の野菜を整理している。
「夕夏さんと遊びに行くの初めてだよな」
「うん。あ、そうだ、タケルさんはもうプレゼント用意しました?」
クリスマスのイベントがあるから夕夏にプレゼントをあげたらどうかと勧められていた。でも、どこで何を買えばいいのか全く考えつかないままだ。
「迷ってる。いい案ないかな?お店もわからないし」
「そっか、タケルさんあんまり出掛けないですもんね。じゃあ私が選ぶの手伝ってあげます!」
「ありがとう。いいの?遥人君」
「俺は妬かないっすから安心してください、莉奈はセンスいいからまじ頼れますよ」
「良かった、困ってたんだ」
「なんだー、全然言ってくれたらいいのに。タケルさんいつ休みなんですか?」
莉奈ちゃんは子供のようにはしゃいでいる。
「明日、休みなんだ」
「タイミングぴったり~!じゃあ明日行きましょ」


莉奈ちゃんに案内してもらってショッピングモールの店を複数見て回った。その中に天然石の専門店があり、初めて見る石の綺麗さに感動した。
「うわー、これ可愛い!」
莉奈ちゃんが手に取ったのは、パステルカラーの丸い天然石が連なったブレスレットだった。
「色がミックスになってて可愛い~」
横に淡いピンクの石が置いてある。その石で作られた小さく平たい雫型のピアスを見て、夕夏に似合いそうだと思った。
「タケルさん、それ気に入ったんですか?」
「うん、夕夏が時々ピアス着けてるから」
「絶対夕夏さんに似合う!あ、それローズクオーツだし」
「ローズクオーツ?」
「はい、恋愛に効果あるらしいですよ。恋の願いが叶う、とか」
「へえ…」
「タケルさんって、夕夏さんの事どう思ってるんですか?」
「どうって」
「好きかどうかってことです!」
答えを考えていると莉奈ちゃんは肘で僕の腹の脇をつついた。
「ずっと聞いてみたかったんだー。どうなんですか?」
「好きだよ」
「え、今なんて!?」
ピアスを手に持ったままレジに向かった。莉奈ちゃんは甲高い声で何度も訊いてきた。でも僕は答えなかった。


最近頭痛が続いている。痛みが激しくなると動けなくなるほどだ。働いている時にそれが来ると本当に参る。
市販薬を飲んでも痛みは引かず、病院へ行く事も考えた。でも、以前に散々検査をされたトラウマから行けずにいた。
部屋でテレビを観ていると、また頭痛の大きな波がきた。起きている事が辛くなり床に転がった。幸い気は失わず数分で治った。こんな状態がいつまで続くのかと不安に思う。
テーブルを見上げると下に引き出しが付いているのを見つけた。体を起こして中を見た、ノートが入っている。開くと自分の字で日記が書かれていた。

1月12日 
マユナが笑った。俺がリンゴをうさぎ型に剥いたことがおかしかったらしい。女性だから可愛い物がいいかと思ったんだ。

書いてあることの意味がわからない。マユナって誰だ?
これは… 倉前恭也の過去だ。日記を読み進めた。

1月25日
手術後の経過があまり良くない。血液の循環機能を働かせる力が足りないと説明された。マユナは仕方ないと言って困ったように笑った。

1月29日
3月頃、東京都内の大きな病院へ移る予定だと聞いた。それまでになんとか体力を取り戻せるように食べることを頑張って欲しい。


マユナという女性は、妹が言っていた恭也をたぶらかした人物ではないかと考えた。さらに読み進めるうちにマユナという人のイメージは変わっていった。そして、日記がどこで止まっているのか探した。

4月30日
桜は散ってしまった。約束していた花見は叶えてやれなかった。病院を移れば今よりもっと治療が進むと思ったのに、容態が悪化して移ることさえままならない。東京は遠い。希望を持つことで絶望を味わうのなら、結び桜へ通うのはもうやめようと思う。


夕夏と出会ったのは5月だった。恭也はきっと諦めきれずあの場所へ足を運んだんだ。でも、僕は記憶を取り戻すというよりも感覚的にはまるで別の人格だ。
誰に真実を問いただせればいいのかわからない……
ノートを閉じた。引き出しに戻そうとした時、ノートの端に何かがはみ出ているのを見つけた。引き抜くとそれは写真だった。病室のベッドにマユナと思われる女性が恭也と並んで腰掛けている。よく似た笑顔の頬を寄せて、幸せそうだ。この僕の体が本当に恭也のものなのか疑いたくなる。
頭痛がピークに達すると気を失ってしまう。家に居たはずなのに起きると駅のベンチに座っていた事もある。その間何をしているのかずっと不思議に思っていた。これで確信した、恭也が目覚めたんだ。
ペンを探してノートにメッセージを書き込んだ。

倉前 恭也へ 

記憶を失くした君が、今こうしてメッセージを書いている。理解するのが難しいかもしれない。でも、君の体で僕は生きている。ここに返事を書いてほしい。お互い意識がある時にこのノートで情報交換をしたい。


メッセージを書いて2日後の朝、頭痛が激しくなり意識が薄れていった。目覚めると夜になっていた。
ベッドから起き上がりテーブルを見るとノートは置いたままだった。妙な気持ちでノートを手に取りあのページを探した、思った通り、恭也はメッセージを残していた。

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