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恭也
恭也③
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「立派な大企業に就職出来て他に必要なものなんてあるの?これまで築いてきたあなたの人生を恋愛なんかで壊すつもり?」
母親は裏切り者を見るような目で俺を睨んで叫ぶ。
「自分の人生に何が必要か決めるのは俺じゃないのかよ」
「正しい道を歩めるようにと願ってここまで必死に育ててきたの」
「正しい道?人の話もまともに聞こうとしないで、これが間違いだってか?」
これまでこんなふうに本音をぶつけた事はない。母親は衝撃を受けて言葉を失っている。
「もうやめろ。恭也、お前の考えは馬鹿げてる」
父親がそう言い捨てて俺は部屋に戻った。
麗華がイギリスへ留学に行っていることがせめてもの救いだ。あいつがここに居たらきっと母親に同調して怒り狂っていただろう。
幼い頃から勉強漬けの毎日だった。家でゲームができないのは勿論、友達と公園で遊ぶことすら許されなかった。小遣いだけはしっかり渡されていた、でも時間を管理されていると使い道など知れている。模型やプラモデルを買い、苛立ちが消化できないときはひたすらパーツに色を塗った。私立に通い名門大学合格まで順調に進んだ。妹は周りに俺の事を自慢の兄だと言いふらし、甘え、慕ってきた。
反抗期はなく両親の期待に応え続けてきた。感情的になる事はデメリットでしかないと知っていたからだ。父親は冷酷な人間だ、でも、平常心を保って坦々と生きていれば大きな問題は起きないというメリットをそっけない背中で教えてくれた。
ベンチャー系の企業に就職して5年経った頃、俺の価値観は変わることになる。
川崎 真由那(かわさき まゆな)と出会ったきっかけは東京で開催されていた絵画展だった。絵に興味がある方ではなかったが、入口に飾られていたポスターの絵になんとなく惹かれ、入場料も必要なかった為ふらりと立ち寄った。人が少なく作品を流すように眺めて足を進めると、車椅子に乗った女性が1枚の絵を見上げていた。絵はひとつずつ小さな照明が当てられていて、独特の存在感を放っている。照明のせいか、絵を眺める車椅子の女性までもが一体となってまるでひとつの作品を見ているかのように感じられた。
柔らかそうで真っ直ぐな長い髪、ゆっくりと瞬きをするその瞳は優しさを帯びていた。茫然と見ていた俺に気付き、目を合わせると人見知りもせず微笑みながら話しかけてきた。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないです。この絵のファンなんですか?」
「はい」
ひと言交わしただけでは物足りず、絵に視線を移して次の質問を考えた。
「どこから来たんですか?」
「長野県です」
「わざわざそんな遠くから?」
「ちょっと事情があって…」
頬をほころばせたまま話す印象的なその人の事をもっと知りたくなった。鞄から革のケースを取り出して会社の名刺を渡した。
「良かったら連絡してもらえませんか?」
その人は首を傾げた。
「あ、営業ではなく個人的に… ここの携帯電話の番号にショートメッセージを送ってもらえたらアドレス送るので」
名刺を受け取ると何も言わず会釈をした。
会ったばかりの女性に対してこんな行動に出た自分に動揺した。
「まゆな」
後ろから母親らしき人が来て車椅子の横に立った。俺の顔と名刺を交互に見て少し困惑した表情を見せた。
「まだもうちょっと見ていく?」
「ううん。新幹線の時間もうすぐだよね、もういいから」
母親は俺に会釈すると車椅子を切り返して出口の方へと向かった。
連絡が来る事はないだろうと半ば諦めていた、それから1か月経ってショートメッセージが送られてきた。
こんにちは、先月東京の絵画展でお会いしたものです。
川崎真由那といいます。もし良ければメールアドレスを送っていただけませんか?
まさか本当に連絡してくるとは思わなかった。心踊らせながら何度かメールでやり取りし、気になっていた事を質問した。何故東京まで絵を見に来ていたのか。
返って来た内容を見て困惑した。肝臓に先天性の機能障害があり重大な手術を受けるため暫く東京に滞在していた、とあった。ちょうどその時期、好きな作家の絵画展が近くで開催される事を知り帰る前に立ち寄っていたらしい。真由那と連絡を取るようになり、日常に楽しみが増えた。でも、時々送られてくる入院の知らせには肩を落とした。健康体の俺には真由那がこれまで過ごしてきた日々がどんなものなのか想像がつかなかった。入院中は連絡が取れない事が多く心配が募り、出逢ってから1年が経ってようやく俺は真由那に会いに長野まで見舞いに行った。
ベッドで眠る真由那の姿を見て足が竦んだ。唇は紫色に染まり、透き通るような白さだった肌はやけにくすんでいて体力がない事を証明していた。明らかに状態が良くないようだった。
「恭也…」
突然目を覚ました真由那は、まだ夢の中といった微睡みで名を呼んだ。悲しくなるほど力なく笑う真由那を見て、俺は決心した。
母親は裏切り者を見るような目で俺を睨んで叫ぶ。
「自分の人生に何が必要か決めるのは俺じゃないのかよ」
「正しい道を歩めるようにと願ってここまで必死に育ててきたの」
「正しい道?人の話もまともに聞こうとしないで、これが間違いだってか?」
これまでこんなふうに本音をぶつけた事はない。母親は衝撃を受けて言葉を失っている。
「もうやめろ。恭也、お前の考えは馬鹿げてる」
父親がそう言い捨てて俺は部屋に戻った。
麗華がイギリスへ留学に行っていることがせめてもの救いだ。あいつがここに居たらきっと母親に同調して怒り狂っていただろう。
幼い頃から勉強漬けの毎日だった。家でゲームができないのは勿論、友達と公園で遊ぶことすら許されなかった。小遣いだけはしっかり渡されていた、でも時間を管理されていると使い道など知れている。模型やプラモデルを買い、苛立ちが消化できないときはひたすらパーツに色を塗った。私立に通い名門大学合格まで順調に進んだ。妹は周りに俺の事を自慢の兄だと言いふらし、甘え、慕ってきた。
反抗期はなく両親の期待に応え続けてきた。感情的になる事はデメリットでしかないと知っていたからだ。父親は冷酷な人間だ、でも、平常心を保って坦々と生きていれば大きな問題は起きないというメリットをそっけない背中で教えてくれた。
ベンチャー系の企業に就職して5年経った頃、俺の価値観は変わることになる。
川崎 真由那(かわさき まゆな)と出会ったきっかけは東京で開催されていた絵画展だった。絵に興味がある方ではなかったが、入口に飾られていたポスターの絵になんとなく惹かれ、入場料も必要なかった為ふらりと立ち寄った。人が少なく作品を流すように眺めて足を進めると、車椅子に乗った女性が1枚の絵を見上げていた。絵はひとつずつ小さな照明が当てられていて、独特の存在感を放っている。照明のせいか、絵を眺める車椅子の女性までもが一体となってまるでひとつの作品を見ているかのように感じられた。
柔らかそうで真っ直ぐな長い髪、ゆっくりと瞬きをするその瞳は優しさを帯びていた。茫然と見ていた俺に気付き、目を合わせると人見知りもせず微笑みながら話しかけてきた。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないです。この絵のファンなんですか?」
「はい」
ひと言交わしただけでは物足りず、絵に視線を移して次の質問を考えた。
「どこから来たんですか?」
「長野県です」
「わざわざそんな遠くから?」
「ちょっと事情があって…」
頬をほころばせたまま話す印象的なその人の事をもっと知りたくなった。鞄から革のケースを取り出して会社の名刺を渡した。
「良かったら連絡してもらえませんか?」
その人は首を傾げた。
「あ、営業ではなく個人的に… ここの携帯電話の番号にショートメッセージを送ってもらえたらアドレス送るので」
名刺を受け取ると何も言わず会釈をした。
会ったばかりの女性に対してこんな行動に出た自分に動揺した。
「まゆな」
後ろから母親らしき人が来て車椅子の横に立った。俺の顔と名刺を交互に見て少し困惑した表情を見せた。
「まだもうちょっと見ていく?」
「ううん。新幹線の時間もうすぐだよね、もういいから」
母親は俺に会釈すると車椅子を切り返して出口の方へと向かった。
連絡が来る事はないだろうと半ば諦めていた、それから1か月経ってショートメッセージが送られてきた。
こんにちは、先月東京の絵画展でお会いしたものです。
川崎真由那といいます。もし良ければメールアドレスを送っていただけませんか?
まさか本当に連絡してくるとは思わなかった。心踊らせながら何度かメールでやり取りし、気になっていた事を質問した。何故東京まで絵を見に来ていたのか。
返って来た内容を見て困惑した。肝臓に先天性の機能障害があり重大な手術を受けるため暫く東京に滞在していた、とあった。ちょうどその時期、好きな作家の絵画展が近くで開催される事を知り帰る前に立ち寄っていたらしい。真由那と連絡を取るようになり、日常に楽しみが増えた。でも、時々送られてくる入院の知らせには肩を落とした。健康体の俺には真由那がこれまで過ごしてきた日々がどんなものなのか想像がつかなかった。入院中は連絡が取れない事が多く心配が募り、出逢ってから1年が経ってようやく俺は真由那に会いに長野まで見舞いに行った。
ベッドで眠る真由那の姿を見て足が竦んだ。唇は紫色に染まり、透き通るような白さだった肌はやけにくすんでいて体力がない事を証明していた。明らかに状態が良くないようだった。
「恭也…」
突然目を覚ました真由那は、まだ夢の中といった微睡みで名を呼んだ。悲しくなるほど力なく笑う真由那を見て、俺は決心した。
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