花びらは掌に宿る

小夏 つきひ

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花絵

花絵⑪

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圭太さんが電話で話してる間、ソファの前に膝をついて仔猫に触れた。忙しなく短い息を繰り返しながら瞼の下に時々つぶらな瞳を覗かせている。生きて欲しい、そう願っているのは仔猫の為だけじゃない。誰かの悲しむ顔が浮かんでくるのを頭の中から必死に掻き消そうとして俺は小さな体を撫で続けた。圭太さんが声をかけてくれなかったら今頃どうなっていただろう…… 

外から車のドアを勢いよく閉める音が聞こえて、電話を切ろうとしている圭太さんの顔を見た。叔父さん、という人が到着したのだと思った。受話器を置くと圭太さんは仔猫を連れてくるように言って玄関へ向かった。
チャイムと同時に玄関のドアを開くと目の前に眉を顰めた叔父さんが立っていた。クリーム色のシャツとベージュのズボンを穿いている、カールした白髪交じりの頭にふっくらした体つき。圭太さんの後ろに立つ俺を見ると少し口角を上げた。
「ありがとう叔父さん」
「いいんだよ、仔猫を見せてくれるかな」
俺は仔猫を差し出した。叔父さんは眉をより一層顰めて言った。
「すぐに治療しよう、車に乗って」


診療室の電気をつけると叔父さんは手洗いをしてから白衣に袖を通した。機械のスイッチを次々と入れていく。
「タオルを外してここの台に乗せて」
眠りかけている仔猫を柔らかく掴み上げると小さな爪がタオルの繊維に引っかかり啓太さんが慌てて外してくれた。
「君達は待合室で待っていていいよ。圭太、給湯室に行って何か飲み物を入れてあげなさい」
待合室の長椅子に座って床を見つめた。花絵がどうなったか気になる、あの腕の傷は跡が残らないだろうか。やっぱりあの時腕を振り払われても止めて俺が土手を降りるべきだった。普段は物静かな花絵が突き動かされるように仔猫を守ろうとしているのを見て、情けなくも俺は感心しながら見守ってしまった。だからあんな事が起きた。
「カフェオレだけど飲める?」
マグカップを二つ手に持ち啓太さんが受付のドアから出てきた。返事をしようとすると喉が詰まって咳が出た。声がでなかったので頷いた。
「疲れただろ、診察が終わったら家まで送るよ」
隣に腰掛けるとカフェオレの入った冷たいマグカップを渡してくれた。
「色々とありがとうございます」そう言ったときに大事なことを思い出した。
「あの、言いにくいんですけど、何も考えずに病院に来たのでお金持ってないんです」
「ああ、多分大丈夫だよ」
「え、なんでですか?」
「僕が決める事じゃないけどね」
圭太さんは笑って言った。
「花絵の事、まだ連絡来てないですか」
「さっきメールがあって、順番待ってるところだけど顔色が戻ってきてるから少し安心だって言ってたよ」
「よかった……」
カフェオレを一口飲んでマグカップを手にしたまま診療室から聞こえる音に耳を澄ました。




「ねえ、花絵の怪我ひどいの?」
鹿児島から帰って来た夕夏が家まで土産を持ってきてくれた。俺の母さんが駅前で偶然会った夕夏に話したらしい。あれから2日経った、花絵は家で安静にしているみたいだ。それぞれ病院から家に帰ったあと、連絡をとっていない。次の日の朝、花絵の家に電話すると花絵のお母さんからお礼を言われた。だけど花絵はしばらく1人でいたいと言っているらしく、強引に押し掛ける訳にもいかなかった。
「頭を打ったのと、腕の擦り傷が大きいからまだすぐには動かない方がいいんだと思う」
「そうなんだ、夏休みももうすぐ終わっちゃうし早く治るといいね」
「うん」
あの日の事はあまり話したくない。視線を逸らせると夕夏はまた来ると言って手を振った。
「隆平、あんた夕夏ちゃん帰らせちゃったの?」
台所で洗い物をしていた母さんが訊いた。
「お土産持ってきてくれただけだったから」
「なんでよー、わざわざ持ってきてくれたんだからちょっと上がってもらったら良かったのに」
「用事あるって言ってたから」
「そうなの?あ、あの湯浅ってお兄ちゃんからさっき電話があって、もう仔猫に面会行って大丈夫だって言ってくれてたわよ」
「わかった」
お土産の菓子箱をテーブルに置いて自分の部屋に戻ろうと背を向けた。
「花絵ちゃんにも隆平から電話してあげなさいよ」
「うん」
ドアを閉めてベッドに突っ伏した。まだ2日しか経っていないのに随分前の事に思える。花絵は今何を思っているんだろう、いつか愛犬のクッキーを迎えた日のような笑顔を取り戻すには、仔猫の回復を待つしかない。こんな時夕夏だったら何かしら励ます言葉を掛けるのかもしれない、だけど俺には花絵にしてやれる事が思い浮かばない。頭の中であの日の事ばかり反復して、ベッドの枕を握り締めた。

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