ゴールドレイン

小夏 つきひ

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東京

東京①

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コンクリート壁の小さな部屋に午後の光が差している。存在感のあるダークブラウンのヴィンテージソファで仰向けに寝転んだモデルはアンニュイな視線をカメラに向けた。シャッターを切る音が響くのは物が少ない空間だからだ。
東京都内にあるスタジオにて撮影が行われている。今回の撮影は雑貨店巡りをテーマにした内容となっており、最後にモデルのインタビュー記事に必要なカットを撮る流れとなっている。外で移動しながらの撮影からようやくこのスタジオに入り、全てのカットを撮り終えて一同は互いに声を掛け合った。
暫くしてフリーモデルの瑠香るかは私服に着替え再び部屋に戻った。カメラマンの森河晴喜もかわはるきを見つけると瑠香は声を掛けた。
「今日アシスタントの人来なかったんですね」
「ああ、あいつは今出掛けてるんだ」
「出掛けてる?」
晴喜は返し方が不自然になったことに気が付いた。なんでもないという顔で笑ってみせると撮影で使用したパソコンと周辺機器の片付けを始めた。
瑠香は周りに聞こえない程度の音量で言った。
「次の撮影のときにアシスタントさんも一緒にご飯行きたいな~」
晴喜はそのセリフの意図を理解した。
「はいはい、次の撮影でね」
「楽しみにしてまーす」
各担当のスタッフが順次挨拶をしてスタジオを出ていった。残った晴喜はスタジオの隅々をチェックしてから戸締りをし、持ち込んだ複数の重い機材を外へ運び出した。
駐車場に辿り着くと慣れた様子で手際よく後部座席に機材を丁寧に置いていった。運転席へ乗り込み携帯電話を取り出して、まずは心配していた相手にメッセージを打った。

疲れてたら無理に来なくていいからな。ゆっくり休め。

エンジンを掛けて車を発進させた。駐車場を出て国道を走りだしたとき携帯電話の通知音が鳴った。早い返信だなと思った。内容が気になりながら運転を続け、信号待ちになるとすぐに携帯電話を手に取った。

ありがとうございます、いま新幹線です。時間は間に合いそうなのでよろしくお願いします。

その返信にほっとした。もしかすると文字を打つ余裕がないほど傷心しているのではないかと思っていたからだ。こんなに気掛かりになるほど近い存在になったのかと感慨深くなった。あの夏の日、汗をかきながらカメラを握り目の前の風景と真剣に向き合う小さな背中を見て自分が大切にしたかったものが何だったのかを思い出した。少年が彩斗あやとの面影と重なっていたのもただの偶然ではなく、不思議な縁があったからなのかもしれないと思った。そしてまた胸にじんわりとあの感情が込み上げた。


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