おもいでにかわるまで

名波美奈

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第三章

第百六十七話

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明人は水樹をできるだけ自転車で送り、決して軽い気持ちじゃない、あなたを大切に想う、の意味を込めて別れ際にもう1度キスをした。

これは男である明人の身勝手な憶測だけれども、明人と水樹はそうしたくてお互いに引き寄せられている。水樹に触れると明人の頭の中は真っ白になった後空っぽになり、味わった事のない愛情が溢れてきた。

でもそれだけだった。これがいわゆるハッピーエンドと言うやつなのだろうか。順番が違う明人と水樹ではあるが、どうしたら良いのか明人にはわからなかった。

‘好き、付き合おう。’それを口にしたらどうなるのだろう。もし付き合う事になれば、明人はあの真っ直ぐな水樹と真正面から向き合えるのだろうか。

それとも、もしうっかり付き合おうなんて口を滑らせれば水樹にふられて、その瞬間に二人の関係も終わりを迎えるのだろうか。明日会えなくなるくらいなら、敢えて何も言葉にしない方が幸せだ。明人は別れたばかりなのにもう水樹に会いたかった。

水樹も帰宅するとバタバタと部屋に駆け込み、その体は溶けてしまいそうな程に熱かった。胸のドキドキも一向に治まらず、振り払おうと目を閉じてみても明人の感覚が鮮明に残っている。水樹は、明人ともっと一緒にいたいと思った。触れたいと思った。触れて欲しいと思った。

見ているだけの恋とも想像の中の恋物語とも違って、そこには現実があって形があって温度があって生身の明人がいて自分がいて、またすぐに会いたくて頭の中は明人でいっぱいで、そして思う。自分達は両思いなんだろうか、と。

あの無表情だった明人が自分を好きなのかわからない。そして自分も明人を・・・?と想像してみる。でももし好きだとしたら好きと言うだろうし、とても明人が恋愛をするタイプに見えない。彼女なんて面倒くさい、と明人なら思っていそうだとも思う。だから、もし水樹から何か伝えたら、そんなんじゃないから、と冷たく言われ跳ね除けられるかもしれない。

それに、明人が自分を好きとは思えないのには理由がある。だって、だって明人は水樹が勇利を好きだと知っているのだ。でもそれなのに何故かキスをした。そしてキスをして、幸せ以上の苦しみを抱えた。水樹は明人を失うのではないかと怖くて、大切な事をはっきりと言葉にする事から逃げた。

ただ、水樹が逃げている理由はそれだけではない。勇利が引退したら告白をすると、水樹はそれを支えに長い間片思いを頑張ってきたのだ。だから急には自分の気持ちを昇華させる方法もわからず、ぐるぐるしてぐらぐらして、それは、いつものこんがらがった駄目な水樹だった。
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