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アトリエから 02
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娘の明莉に押し切られる形で、休みの日に街へ出掛けることになった。若作りの友作と少し大人びて見える明莉とが並ぶと、あるいは恋人同士に見えなくもない。明莉は楽しげに友作の腕に絡み付きながら歩くが、それが友作にとっては少々面映ゆい感じである。
新宿で映画を見た後、友作は思い出して近くの大きな画材店に寄ることにした。店の中でも相変わらず明莉は父親と腕を組んだままである。そうやって店内を見て歩いていると、友作は向こうに見知った姿を認めた。西尾美鈴である。美鈴は友作らを見て明らかに困惑した表情を浮かべていた。
「あ、これは····」
友作がそう言うと、明莉は振り向いて訊く。
「お父さん、この方はどなた?」
「お父さん?」
明莉の言葉に、今度は美鈴が訊き返した。友作は照れながら互いを紹介した。それから三人で喫茶店に行くことにした。
テーブルに着くと美鈴が言う。
「ごめんなさい、見てはいけないものを見てしまったのかなと、勘違いしちゃって」
友作はそれに答えて言う。
「こちらこそ勘違いさせて、申し訳ない。父娘で腕を組んで歩くことがそもそもの間違いだよ」
すると明莉が返す。
「あら、かまわないじゃない、父娘が仲良くしていたって。私、お父さんのような彼氏が欲しかったんだから」
美鈴は笑いながら言う。
「明莉さんが羨ましいわ、こんな素敵なお父様をお持ちで。私もそんなふうに父娘で腕を組んで歩いてみたいものだわ」
「だったら二人で両脇から腕を組んで歩きましょうか?」
明莉の言葉に皆は笑った。
美鈴と別れた後に明莉が言う。
「これは女の勘だけど、あの美鈴さんていう方、きっとお父さんに気があるわね。でも駄目よ浮気なんかしちゃ」
「馬鹿を言うのも大概になさい」
友作の言葉に明莉は舌を出して笑った。しかしそう言われて友作も悪い気はしない。自分とは年齢こそ離れているものの、西尾美鈴が確かに魅力的な女性であると友作は思うのであった。
目白美術研究所は一般人向けに平日は夜の八時まで開放されていたが、友作が通う土日の週末は夕方の六時で閉めることになっている。そこのところを頼み込み、友作が戸締まりをして帰ることを条件にして夜まで使わせてもらうことにした。昼間はデッサンの講師として生徒を教え、夜は自分の制作をしようというのである。
すると西尾美鈴も、それでは自分も一緒に制作をするという。こうして週末は二人が居残って、それぞれが自分の画面に向かうようになった。二人ともほとんどの時間を黙々と制作に励むのだが、それでも一息入れるために手を休めると、どちらからというわけでもなく、話をすることもある。その多くは他愛のない世間話だが、芸術論や恋愛論に話が飛ぶこともある。その時もまたそうであった。美鈴が友作に問う。
「どうしてこの二十年は筆を置いてらしたんですか?」
「それは絵よりも家庭を選んだということさ」
「でも趣味程度にだったら筆を持ってもよかったのでは?」
「半端に筆を持つと、また以前の情熱が甦ってしまうと思ってね、できるだけ絵画を自分から遠避けていたんだ」
「それがなぜ今になって?」
「それは、なぜだろう。娘の進学も決まったし、心の中で一区切りついたのかな。でも晃司から声をかけられなかったら、たぶんそのままだったろうな」
「栗塚先生が運命だったってことね」
「ああ、人生の節目にはあいつが関わってくるのかも知れないね」
それから二人はまた制作に戻り、画面を滑るの微かな筆の音ばかりがいつまでも続いた。それは二人にとって、これ以上はない幸福な時間でもあった。
新宿で映画を見た後、友作は思い出して近くの大きな画材店に寄ることにした。店の中でも相変わらず明莉は父親と腕を組んだままである。そうやって店内を見て歩いていると、友作は向こうに見知った姿を認めた。西尾美鈴である。美鈴は友作らを見て明らかに困惑した表情を浮かべていた。
「あ、これは····」
友作がそう言うと、明莉は振り向いて訊く。
「お父さん、この方はどなた?」
「お父さん?」
明莉の言葉に、今度は美鈴が訊き返した。友作は照れながら互いを紹介した。それから三人で喫茶店に行くことにした。
テーブルに着くと美鈴が言う。
「ごめんなさい、見てはいけないものを見てしまったのかなと、勘違いしちゃって」
友作はそれに答えて言う。
「こちらこそ勘違いさせて、申し訳ない。父娘で腕を組んで歩くことがそもそもの間違いだよ」
すると明莉が返す。
「あら、かまわないじゃない、父娘が仲良くしていたって。私、お父さんのような彼氏が欲しかったんだから」
美鈴は笑いながら言う。
「明莉さんが羨ましいわ、こんな素敵なお父様をお持ちで。私もそんなふうに父娘で腕を組んで歩いてみたいものだわ」
「だったら二人で両脇から腕を組んで歩きましょうか?」
明莉の言葉に皆は笑った。
美鈴と別れた後に明莉が言う。
「これは女の勘だけど、あの美鈴さんていう方、きっとお父さんに気があるわね。でも駄目よ浮気なんかしちゃ」
「馬鹿を言うのも大概になさい」
友作の言葉に明莉は舌を出して笑った。しかしそう言われて友作も悪い気はしない。自分とは年齢こそ離れているものの、西尾美鈴が確かに魅力的な女性であると友作は思うのであった。
目白美術研究所は一般人向けに平日は夜の八時まで開放されていたが、友作が通う土日の週末は夕方の六時で閉めることになっている。そこのところを頼み込み、友作が戸締まりをして帰ることを条件にして夜まで使わせてもらうことにした。昼間はデッサンの講師として生徒を教え、夜は自分の制作をしようというのである。
すると西尾美鈴も、それでは自分も一緒に制作をするという。こうして週末は二人が居残って、それぞれが自分の画面に向かうようになった。二人ともほとんどの時間を黙々と制作に励むのだが、それでも一息入れるために手を休めると、どちらからというわけでもなく、話をすることもある。その多くは他愛のない世間話だが、芸術論や恋愛論に話が飛ぶこともある。その時もまたそうであった。美鈴が友作に問う。
「どうしてこの二十年は筆を置いてらしたんですか?」
「それは絵よりも家庭を選んだということさ」
「でも趣味程度にだったら筆を持ってもよかったのでは?」
「半端に筆を持つと、また以前の情熱が甦ってしまうと思ってね、できるだけ絵画を自分から遠避けていたんだ」
「それがなぜ今になって?」
「それは、なぜだろう。娘の進学も決まったし、心の中で一区切りついたのかな。でも晃司から声をかけられなかったら、たぶんそのままだったろうな」
「栗塚先生が運命だったってことね」
「ああ、人生の節目にはあいつが関わってくるのかも知れないね」
それから二人はまた制作に戻り、画面を滑るの微かな筆の音ばかりがいつまでも続いた。それは二人にとって、これ以上はない幸福な時間でもあった。
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