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彼女の罪と罰、その末路とは
慧 side 3
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それから病院を転院して、しばらく入院した後、私は父と二人で暮らすようになった。人間不信になってしまった私を支えるため、父はクリニックを畳んだ。金銭的に余裕はあるものの、クリニックは父の生きがいだった。苦渋の決断だったと思う。
誠さんも時折、様子を見に来てくれていたらしいが、私が彼くらいの歳の男性を目にするだけでパニックを起こし、酷く暴れてしまうため、やがて来ることはなくなった。
父はそんな私を支えると同時に、酒に溺れていった。私の前では決して飲まず、隠れて飲む。それを繰り返していくうちに、彼はアルコール依存症になった。
数年後、私は父のおかげで日常生活を送れるようになり、再び学校にも通い出した。事件のことは、ほとんど忘れてしまったが、私も志半ばで死んでしまった美香ちゃんと同じケースワーカーになろうと、資格を取るための勉強を始めた。
しばらくして、孝治君が私の様子を見にきてくれた。彼は看護師になっていた。私のことを心配するとともに、自分の母親とたった一人の双子の弟が行方不明になっていることを語ってくれた。私や美香ちゃんと同じで、兄弟仲は良好だったらしく、心配していると彼は話した。
詳しく聞くと、二人が行方不明となる数日前、何かに怯える弟から、孝治君は相談を受けたという。恐ろしいものを見てしまったと話す弟は、以来学校へ通うことができず、心配した母親が彼を病院へ連れていくと話したという。また、弟は警察も恐れていた。数日前に出来心で犯してしまった万引きの発覚を恐れて、警察署へ行くことができないと孝治君に言った。
孝治君は弟が万引きをしていた事実にショックを受け、怒って電話を切った。それからしばらく経った後、弟へ連絡をするも繋がらず、母親とともに行方不明になったことを知ったという。加えて、同じく行方不明となっていた私が数日後に発見され、後に事件を知ったことで、何かしら関係があるのではないかと、ずっと一人で調べていたらしい。
私は孝治君から、母親と弟の写真を見せてもらった。私は驚愕した。そこに写る彼らは、私と一緒に監禁され、殺された二人だったからだ。
おぼろげながらも、当時を少しだけ思い出した私は、孝治君に伝えた。孝治君は黙ってそれを聞き、数日経ってから私に言った。
美香ちゃんに付きまとっていた男は、かつて美香ちゃんが勤めていた精神病院にかかっていた。ならば、その精神病院に自分も勤めれば、何かしらの情報が掴めるかもしれないと。
復讐する。孝治君ははっきりとそう言った。精神疾患を抱える患者であれば、法的に裁くことはできないかもしれない。きっとそれをわかっていて、決意したのだと思う。
私もまた、自然と答えていた。一緒に復讐する、と。
死者にこちらの想いは届かない。それでも、いまだに骨すら見つからない美香ちゃんのために、何かせずにはいられなかった。
そんな私たちに、天は味方してくれたのか。運命の……いや、因縁の相手との出会いはすぐに訪れた。私は実習先の病院で、ある男と出会った。
「美香っ」
白衣を着る私のことを美香と呼ぶ四十代の男性。彼は病院で入院している患者の一人だったが、その男性の声を聞いたことで、私の中で封じ込められていた記憶が一気に蘇った。
ああ、この男だ。この男が美香ちゃんを傷つけ、死に追いやった男だ、と。当の本人は私や美香ちゃんにしたことを、綺麗さっぱりと忘れていたようだった。
しかし声だけでは、何の証拠にもならない。私は実習中、病院でこっそりとカルテを漁り、その男の名前が「佐藤真」であることを知った。保険証はどこかの株式会社に勤めていることになっていたが、カルテを見る限り働いてはいない。おそらく親族の経営する会社に役員として在籍をしているだけで、実際には何もしていないのだろう。カルテに記録されている情報は、他の患者と比べるとかなり少なかった。
私は私のことを「美香」と思い込んでいるその男に、実習生としてあえて近づいた。男は自身が三十代の医者であること、そして私と恋人同士であることを語った。私が佐藤さん、と呼ぶと、下の名前で呼んでくれと言った。美香ちゃんの恋人と同じ呼び名の名前を呼ぶことが、とてつもなく苦痛だった。
実習はその後、滞りなく終えることができたが、私は国家試験を受けなかった。美香ちゃんと同じ、ケースワーカーになることを諦めた。これから私は人として、決してしてはいけないことをしようとしている。そんな私が、医療従事者になれるはずもない。美香ちゃんが誇りを持っていた職業に、泥を塗るわけにはいかなかった。
私はまず、孝治君に相談した。孝治君はすぐに勤務先の病院でカルテを探し、過去の記録をすべて調べてくれた。当時の男の診断されていた疾患名をはじめ、家族構成や受診歴など、孝治君は要点を絞って私に伝えた。その中で、どうして美香ちゃんがあの男に狙われたのかということも、記録から推測することができた。
幼少期より、医者になるよう厳しく育てられてきた佐藤真は、過度の期待からくるプレッシャーに耐え切れず大学受験に失敗、以後は引きこもりの生活を送り、現実逃避をするようになった。家庭内では、幼い頃に出て行った母親が再び家に戻るも母として認められず、家政婦として扱い、受験に失敗してからは頻繁に暴れて彼女にも暴力を振るっていたという。
見かねた彼の父親が、彼を精神病院へ入院させた。そこで出会った担当のケースワーカーが早瀬美香。自分に積極的に関わる彼女のことを、彼は自身に気があるものだと思い込み、そこから自分が医者であるという設定で妄想が始まるようになる。
自分は医者で、美香ちゃんは同じ職場で働くケースワーカー。そこからどうやって、あの男の中で二人が恋人になったのかはわからないが、おそらく美香ちゃんが本当の恋人を、“まことさん”と呼んでいることを、どこかで知ったからだと思う。
やがて美香ちゃんが退職し、クリニックへ転職したという情報を得た佐藤真は、自分の仕事が終わったら恋人の美香ちゃんを迎えに行くという設定で新しく妄想が始まる。おまけに、美香ちゃんの勤務先が彼の父親が代診で入るクリニックだと知り、さらに妄想が膨らんだ。私と美香ちゃんの父が開いていたクリニックは、あの男の中で自分の父親が開業し、経営しているものとなっていた。
そうして佐藤真は、自分が恋する美香ちゃんで妄想を大切に育てていった。後に、美香ちゃんが本当の恋人である神谷誠と一緒にいるところを目撃してしまい、勝手に裏切られたと思い込んだ彼は、自分の母親であり彼の中では家政婦となっている女……祥子を使って、拉致、監禁という凶行に及んだ。土曜日を狙ったのは、美香ちゃんがいつも土曜日に一人で残業していることを知ったからだろう。そして私は、たまたま居合わせてしまっただけの運の悪い女だった。
しかしなぜ、私と美香ちゃんだけでなく、孝治君の弟と母親が拉致、監禁されたのか。この時はまだ、わからなかった。
誠さんも時折、様子を見に来てくれていたらしいが、私が彼くらいの歳の男性を目にするだけでパニックを起こし、酷く暴れてしまうため、やがて来ることはなくなった。
父はそんな私を支えると同時に、酒に溺れていった。私の前では決して飲まず、隠れて飲む。それを繰り返していくうちに、彼はアルコール依存症になった。
数年後、私は父のおかげで日常生活を送れるようになり、再び学校にも通い出した。事件のことは、ほとんど忘れてしまったが、私も志半ばで死んでしまった美香ちゃんと同じケースワーカーになろうと、資格を取るための勉強を始めた。
しばらくして、孝治君が私の様子を見にきてくれた。彼は看護師になっていた。私のことを心配するとともに、自分の母親とたった一人の双子の弟が行方不明になっていることを語ってくれた。私や美香ちゃんと同じで、兄弟仲は良好だったらしく、心配していると彼は話した。
詳しく聞くと、二人が行方不明となる数日前、何かに怯える弟から、孝治君は相談を受けたという。恐ろしいものを見てしまったと話す弟は、以来学校へ通うことができず、心配した母親が彼を病院へ連れていくと話したという。また、弟は警察も恐れていた。数日前に出来心で犯してしまった万引きの発覚を恐れて、警察署へ行くことができないと孝治君に言った。
孝治君は弟が万引きをしていた事実にショックを受け、怒って電話を切った。それからしばらく経った後、弟へ連絡をするも繋がらず、母親とともに行方不明になったことを知ったという。加えて、同じく行方不明となっていた私が数日後に発見され、後に事件を知ったことで、何かしら関係があるのではないかと、ずっと一人で調べていたらしい。
私は孝治君から、母親と弟の写真を見せてもらった。私は驚愕した。そこに写る彼らは、私と一緒に監禁され、殺された二人だったからだ。
おぼろげながらも、当時を少しだけ思い出した私は、孝治君に伝えた。孝治君は黙ってそれを聞き、数日経ってから私に言った。
美香ちゃんに付きまとっていた男は、かつて美香ちゃんが勤めていた精神病院にかかっていた。ならば、その精神病院に自分も勤めれば、何かしらの情報が掴めるかもしれないと。
復讐する。孝治君ははっきりとそう言った。精神疾患を抱える患者であれば、法的に裁くことはできないかもしれない。きっとそれをわかっていて、決意したのだと思う。
私もまた、自然と答えていた。一緒に復讐する、と。
死者にこちらの想いは届かない。それでも、いまだに骨すら見つからない美香ちゃんのために、何かせずにはいられなかった。
そんな私たちに、天は味方してくれたのか。運命の……いや、因縁の相手との出会いはすぐに訪れた。私は実習先の病院で、ある男と出会った。
「美香っ」
白衣を着る私のことを美香と呼ぶ四十代の男性。彼は病院で入院している患者の一人だったが、その男性の声を聞いたことで、私の中で封じ込められていた記憶が一気に蘇った。
ああ、この男だ。この男が美香ちゃんを傷つけ、死に追いやった男だ、と。当の本人は私や美香ちゃんにしたことを、綺麗さっぱりと忘れていたようだった。
しかし声だけでは、何の証拠にもならない。私は実習中、病院でこっそりとカルテを漁り、その男の名前が「佐藤真」であることを知った。保険証はどこかの株式会社に勤めていることになっていたが、カルテを見る限り働いてはいない。おそらく親族の経営する会社に役員として在籍をしているだけで、実際には何もしていないのだろう。カルテに記録されている情報は、他の患者と比べるとかなり少なかった。
私は私のことを「美香」と思い込んでいるその男に、実習生としてあえて近づいた。男は自身が三十代の医者であること、そして私と恋人同士であることを語った。私が佐藤さん、と呼ぶと、下の名前で呼んでくれと言った。美香ちゃんの恋人と同じ呼び名の名前を呼ぶことが、とてつもなく苦痛だった。
実習はその後、滞りなく終えることができたが、私は国家試験を受けなかった。美香ちゃんと同じ、ケースワーカーになることを諦めた。これから私は人として、決してしてはいけないことをしようとしている。そんな私が、医療従事者になれるはずもない。美香ちゃんが誇りを持っていた職業に、泥を塗るわけにはいかなかった。
私はまず、孝治君に相談した。孝治君はすぐに勤務先の病院でカルテを探し、過去の記録をすべて調べてくれた。当時の男の診断されていた疾患名をはじめ、家族構成や受診歴など、孝治君は要点を絞って私に伝えた。その中で、どうして美香ちゃんがあの男に狙われたのかということも、記録から推測することができた。
幼少期より、医者になるよう厳しく育てられてきた佐藤真は、過度の期待からくるプレッシャーに耐え切れず大学受験に失敗、以後は引きこもりの生活を送り、現実逃避をするようになった。家庭内では、幼い頃に出て行った母親が再び家に戻るも母として認められず、家政婦として扱い、受験に失敗してからは頻繁に暴れて彼女にも暴力を振るっていたという。
見かねた彼の父親が、彼を精神病院へ入院させた。そこで出会った担当のケースワーカーが早瀬美香。自分に積極的に関わる彼女のことを、彼は自身に気があるものだと思い込み、そこから自分が医者であるという設定で妄想が始まるようになる。
自分は医者で、美香ちゃんは同じ職場で働くケースワーカー。そこからどうやって、あの男の中で二人が恋人になったのかはわからないが、おそらく美香ちゃんが本当の恋人を、“まことさん”と呼んでいることを、どこかで知ったからだと思う。
やがて美香ちゃんが退職し、クリニックへ転職したという情報を得た佐藤真は、自分の仕事が終わったら恋人の美香ちゃんを迎えに行くという設定で新しく妄想が始まる。おまけに、美香ちゃんの勤務先が彼の父親が代診で入るクリニックだと知り、さらに妄想が膨らんだ。私と美香ちゃんの父が開いていたクリニックは、あの男の中で自分の父親が開業し、経営しているものとなっていた。
そうして佐藤真は、自分が恋する美香ちゃんで妄想を大切に育てていった。後に、美香ちゃんが本当の恋人である神谷誠と一緒にいるところを目撃してしまい、勝手に裏切られたと思い込んだ彼は、自分の母親であり彼の中では家政婦となっている女……祥子を使って、拉致、監禁という凶行に及んだ。土曜日を狙ったのは、美香ちゃんがいつも土曜日に一人で残業していることを知ったからだろう。そして私は、たまたま居合わせてしまっただけの運の悪い女だった。
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