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最初の犠牲者
真 side 2
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「俺に罪があるのだとしたら、自殺願望を抱いていることか。はっ。ここへ閉じ込めたやつが誰かは知らんが、殺してくれるなら願ったり叶ったりだ」
「なぜ……そこまで?」
武藤は喉が痛いのか、もう片方の手で首元を押さえつつ、ゆっくりと語った。
「よくある話だ。飲んだくれの俺にも、家族があった。嫁に娘二人の、ごく普通の四人家族だった。はじめは好きでついた仕事だったが、家庭を築いてからは家族を養うため、がむしゃらに働いた。金を稼ぐために、職場に入り浸りの生活を送っていたんだよ。その間、嫁には娘たちの世話を任せていた。家庭を守ってくれていると信じていた。だが、そうした生活を十何年と続けているとな……壊れていくんだ。守りたいと思っていた家庭が、壊れていくんだよ。嫁はよそで男を作り、家を出て行った。後に娘たちもな。どうだ? よくある話だったろう?」
武藤はククッと笑った。
私は患者の脇田を思い出した。彼は自身が招いた行動によって家庭を壊してしまったが、武藤の場合は違う。家族のために働いてきたというのに、信じていた妻に裏切られたんだ。
「娘さんたちと、その後は?」
武藤は二回ほど咳払いをしてから、
「下の娘は最近、結婚をしたって連絡を寄越してきたよ。関わりはその程度だ。上の娘とはもう十年以上も連絡をとっていない。とろうとも思わない」
と、言った。
半分開いた彼の瞼は、何かを思い出しているように見えた。
「……どうしてやったら、よかったんだろうな」
武藤はポツリと呟くと、
「なあ、アンタ。教えてくれよ。医者なんだろ? 俺は何を間違えた? どうしていたら、よかったんだ? どうすりゃ、守りたいもんを守れたんだ?」
私に向かって正解を求めた。
ここで私が、武藤の望む答えを持っていれば、彼はほんの僅かでも救われたのかもしれない。
しかし、医者は神ではない。私は首を振った。
「わかりません」
武藤は小馬鹿にするように笑った。
「お医者様でも、わからねえのか」
「はい。わかりません。私も武藤さんのように、自分がやってきたことを正しいと思いながら、生きてきました。大切なものもできて、自分なりに守ってきたつもりでした。ですが私も……守れませんでした」
私は語りながら、十二年前のことを思い出した。美香が行方不明になる数日前、私と彼女は喧嘩をした。今にして思えば、些細な理由だったが、当時の私は彼女から裏切られたと思い激怒した。あんなに大きな喧嘩は初めてだった。
彼女はなかなか非を認めなかったが、やがて隠すことができなくなったのか、私に何度も謝った。私はなかなか許すことができなくて、喧嘩をしたまま終わってしまった。
ずっと後悔していた。彼女が謝った時、私がすぐに許していたら、拉致を未然に防ぐことができたかもしれないのに、と。暗い夜道を一人で歩かせることもなかったのかもしれない、と。
あんなに大切だったのに、私は守れなかった。その後の生活は、酷いものだった。
「あなたと同じように、私も酒に溺れました。恥ずかしながら、体を壊して救急車で運ばれたこともあります。家の中で、暴れたことも。周りも相当、気を遣ったと思います。ですが、私は医師ですから。それまで築いてきた医師としての人生を、無駄にしたくありませんでした。そう思い直すことができたのは、周りの人間が支えてくれたからです」
特に感謝しているのは父だ。私が苦しんでいる時、最も近くで支えてくれた人だった。最近はお互い忙しくて、なかなか会うことができないでいるが、いつかは私も父の跡を継ぎたいと思っている。それが私にできる、精一杯の親孝行だ。
私は武藤に、照れ笑いをした。
「なんとか医師として戻ることができましたが、普段は看護師からしょっちゅう叱られています。ですが、戻れたということは、もしかしたら私の大切なものは武藤さんよりも想いが少なかったのかもしれませんね」
そう言うと武藤は、「さあな」と私から顔を逸らした。
「アンタの大切なものが何だったのかは知らんが、立ち直れたからといって、大切じゃなかったというわけじゃないんだろう。アンタは立ち直れた人間。俺は立ち直れなかった人間。それだけさ」
「それでも生きている限り、この先がどうなるかなんて、誰にもわかりません」
「お綺麗ごとだな。それで医者がやれんのか」
「返す言葉もありません」
「ったく……嫌にならないのかよ。こんな面相臭いジジイの戯言を聞いて、憎まれ口も叩かれてよ」
「それが私の仕事ですからね」
実際、私はタイムスリップをして美香と再び、出会うことができた。それは今日まで諦めず、生きてきたから起こったことだ。同じことが武藤に怒るかは定かではないが、人間は生きてさえいれば、きっと何度でもやり直すことができるんだ。
武藤は再び咳払いをすると、
「病院に行こうって気はさらさら起きないが、最近の医者は昔と違って頭が低いってことだけは、よくわかったよ」
「中には変わった医師もいますが、だいたいこんなものですよ」
武藤は「そうかい」とその顔に微笑を浮かべた。そして独り言のように、
「もう少し早くに、アンタと出会っていたらなあ……」
と言って、私を見つめた。
悔やんでも悔やみきれないことはある。それでも、何だって遅すぎるということはない。
「私がいる病院を後で教えます。岐阜からだと少し距離がありますが、ここから脱出したら、ぜひ来てください。遊びに来る感覚で構いませんよ」
そう言うと、武藤は「脱出できたらな」と目を伏せながら笑った。
そんな私たちのもとへ、むすっとした声が飛んできた。
「さっきからずっと楽しくお話をされているようですが、ちゃんと調べていますか?」
一人、この中を調べていた鈴木が、私と武藤を交互に睨んだ。必要なことだったとはいえ、彼一人に任せてしまったのは素直に悪いと思っている。
私は立ち上がりながら、「すまない。真剣に調べるよ」と謝った。
「そうしてください。気味の悪い人形ばかりを見ていると、頭が狂いそうです」
鈴木はげんなりした顔で、吊るされた人形を照らした。床に散乱している人形も不気味だが、誰が見ても異彩を放っているのはあの人形だ。
「何かわかったか?」
鈴木に尋ねると、「私の感想で終わらせていいんですか?」と、挑発気味に返された。
「わかった。わかった。私も一緒に見るよ」
「武藤さんは体調が悪そうですね」
鈴木が心配そうに武藤の様子を窺った。武藤は「いや、動くよ」と立ち上がろうとしたものの、足に力が入らないのか、ストン、と座面に尻を落とした。
武藤は思った以上に、こちらに協力的な人間だった。だがこれ以上は、弱っている人間に無理をさせるわけにはいかないな。
「武藤さんはここで待っていてください。私と鈴木君で、中を調べます。鈴木君も、それでいいか?」
異論はない、と鈴木は頷いた。
武藤は私たちに向かって、
「気をつけろよ。どんな罠が仕掛けられているのか、わからんからな」
と言ってから、懐中電灯のスイッチを入れたまま、それを床に置いた。
「なぜ……そこまで?」
武藤は喉が痛いのか、もう片方の手で首元を押さえつつ、ゆっくりと語った。
「よくある話だ。飲んだくれの俺にも、家族があった。嫁に娘二人の、ごく普通の四人家族だった。はじめは好きでついた仕事だったが、家庭を築いてからは家族を養うため、がむしゃらに働いた。金を稼ぐために、職場に入り浸りの生活を送っていたんだよ。その間、嫁には娘たちの世話を任せていた。家庭を守ってくれていると信じていた。だが、そうした生活を十何年と続けているとな……壊れていくんだ。守りたいと思っていた家庭が、壊れていくんだよ。嫁はよそで男を作り、家を出て行った。後に娘たちもな。どうだ? よくある話だったろう?」
武藤はククッと笑った。
私は患者の脇田を思い出した。彼は自身が招いた行動によって家庭を壊してしまったが、武藤の場合は違う。家族のために働いてきたというのに、信じていた妻に裏切られたんだ。
「娘さんたちと、その後は?」
武藤は二回ほど咳払いをしてから、
「下の娘は最近、結婚をしたって連絡を寄越してきたよ。関わりはその程度だ。上の娘とはもう十年以上も連絡をとっていない。とろうとも思わない」
と、言った。
半分開いた彼の瞼は、何かを思い出しているように見えた。
「……どうしてやったら、よかったんだろうな」
武藤はポツリと呟くと、
「なあ、アンタ。教えてくれよ。医者なんだろ? 俺は何を間違えた? どうしていたら、よかったんだ? どうすりゃ、守りたいもんを守れたんだ?」
私に向かって正解を求めた。
ここで私が、武藤の望む答えを持っていれば、彼はほんの僅かでも救われたのかもしれない。
しかし、医者は神ではない。私は首を振った。
「わかりません」
武藤は小馬鹿にするように笑った。
「お医者様でも、わからねえのか」
「はい。わかりません。私も武藤さんのように、自分がやってきたことを正しいと思いながら、生きてきました。大切なものもできて、自分なりに守ってきたつもりでした。ですが私も……守れませんでした」
私は語りながら、十二年前のことを思い出した。美香が行方不明になる数日前、私と彼女は喧嘩をした。今にして思えば、些細な理由だったが、当時の私は彼女から裏切られたと思い激怒した。あんなに大きな喧嘩は初めてだった。
彼女はなかなか非を認めなかったが、やがて隠すことができなくなったのか、私に何度も謝った。私はなかなか許すことができなくて、喧嘩をしたまま終わってしまった。
ずっと後悔していた。彼女が謝った時、私がすぐに許していたら、拉致を未然に防ぐことができたかもしれないのに、と。暗い夜道を一人で歩かせることもなかったのかもしれない、と。
あんなに大切だったのに、私は守れなかった。その後の生活は、酷いものだった。
「あなたと同じように、私も酒に溺れました。恥ずかしながら、体を壊して救急車で運ばれたこともあります。家の中で、暴れたことも。周りも相当、気を遣ったと思います。ですが、私は医師ですから。それまで築いてきた医師としての人生を、無駄にしたくありませんでした。そう思い直すことができたのは、周りの人間が支えてくれたからです」
特に感謝しているのは父だ。私が苦しんでいる時、最も近くで支えてくれた人だった。最近はお互い忙しくて、なかなか会うことができないでいるが、いつかは私も父の跡を継ぎたいと思っている。それが私にできる、精一杯の親孝行だ。
私は武藤に、照れ笑いをした。
「なんとか医師として戻ることができましたが、普段は看護師からしょっちゅう叱られています。ですが、戻れたということは、もしかしたら私の大切なものは武藤さんよりも想いが少なかったのかもしれませんね」
そう言うと武藤は、「さあな」と私から顔を逸らした。
「アンタの大切なものが何だったのかは知らんが、立ち直れたからといって、大切じゃなかったというわけじゃないんだろう。アンタは立ち直れた人間。俺は立ち直れなかった人間。それだけさ」
「それでも生きている限り、この先がどうなるかなんて、誰にもわかりません」
「お綺麗ごとだな。それで医者がやれんのか」
「返す言葉もありません」
「ったく……嫌にならないのかよ。こんな面相臭いジジイの戯言を聞いて、憎まれ口も叩かれてよ」
「それが私の仕事ですからね」
実際、私はタイムスリップをして美香と再び、出会うことができた。それは今日まで諦めず、生きてきたから起こったことだ。同じことが武藤に怒るかは定かではないが、人間は生きてさえいれば、きっと何度でもやり直すことができるんだ。
武藤は再び咳払いをすると、
「病院に行こうって気はさらさら起きないが、最近の医者は昔と違って頭が低いってことだけは、よくわかったよ」
「中には変わった医師もいますが、だいたいこんなものですよ」
武藤は「そうかい」とその顔に微笑を浮かべた。そして独り言のように、
「もう少し早くに、アンタと出会っていたらなあ……」
と言って、私を見つめた。
悔やんでも悔やみきれないことはある。それでも、何だって遅すぎるということはない。
「私がいる病院を後で教えます。岐阜からだと少し距離がありますが、ここから脱出したら、ぜひ来てください。遊びに来る感覚で構いませんよ」
そう言うと、武藤は「脱出できたらな」と目を伏せながら笑った。
そんな私たちのもとへ、むすっとした声が飛んできた。
「さっきからずっと楽しくお話をされているようですが、ちゃんと調べていますか?」
一人、この中を調べていた鈴木が、私と武藤を交互に睨んだ。必要なことだったとはいえ、彼一人に任せてしまったのは素直に悪いと思っている。
私は立ち上がりながら、「すまない。真剣に調べるよ」と謝った。
「そうしてください。気味の悪い人形ばかりを見ていると、頭が狂いそうです」
鈴木はげんなりした顔で、吊るされた人形を照らした。床に散乱している人形も不気味だが、誰が見ても異彩を放っているのはあの人形だ。
「何かわかったか?」
鈴木に尋ねると、「私の感想で終わらせていいんですか?」と、挑発気味に返された。
「わかった。わかった。私も一緒に見るよ」
「武藤さんは体調が悪そうですね」
鈴木が心配そうに武藤の様子を窺った。武藤は「いや、動くよ」と立ち上がろうとしたものの、足に力が入らないのか、ストン、と座面に尻を落とした。
武藤は思った以上に、こちらに協力的な人間だった。だがこれ以上は、弱っている人間に無理をさせるわけにはいかないな。
「武藤さんはここで待っていてください。私と鈴木君で、中を調べます。鈴木君も、それでいいか?」
異論はない、と鈴木は頷いた。
武藤は私たちに向かって、
「気をつけろよ。どんな罠が仕掛けられているのか、わからんからな」
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