【完結】歪の檻にて囚われた美しき彼女の罪と罰、その末路とは

天代智

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暗闇の中で、彼は目を覚ます

真 side 4

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 あれこれと思考を張り巡らせながら、出入り口と思しき扉へ到着する。上には薄明るく辺りを照らす誘導灯が設置されていた。一応、電気は通っているのか。

 構造を見たところ、それは一般的な両開きタイプの扉で、おかしなところは特にない。

 触れてみるとヒヤリと冷たい。材質は重たいスチール製のもので、握り玉のドアノブを回してみるもガチャガチャと音がするだけで扉はびくともしない。まるで扉の形をした壁のようだ。まさか溶接されている? 内側からはわからないが、これが本当に監禁なのだとしたらあり得る話だ。

「落ち着け……」

 自身に言い聞かせるように瞼を閉じて頤に触れると、じゃりっとした髭を指でなぞった。冷静さを欠いてはいけない。今は未知の恐怖に当てられているだけだ。

 はっきりとわかるのは、この状況が人為的に作られたものであるということ。一見して廃墟を連想させるような閉鎖空間へ、生きた人間を閉じ込めるという悪趣味な演出を用意した犯人には、明確な悪意がある。

 だが、悪意を持って行ったものにしては、閉じ込めるだけで一人ひとりを拘束しないことや探索用の懐中電灯を置いておくなど、妙な点が多いのもまた事実。彼らが防寒具代わりにしている白衣にしてもそうだ。あれは元からこの施設にあったものなのか、それとも犯人が用意したものなのか。

「調べるしかないか……」

 誰にも聞こえないほどの声量で呟くと、私は向かって左側に懐中電灯を向けた。そこには受付のようなカウンターがあり、奥には外れかかったカーテンが垂れ下がっていた。中がどうなっているのか、ここからでは見えない。

 また、このカウンターのスペースだけが二メートルほど前に出ているが、このカウンターから階段の方に向かって、壁側にほぼ等間隔で一枚扉が四つもついている。カウンターの左隣の扉から順に「3」、「2」、「1」と数字が表記されたプレートがかかっていた。左最奥の部屋だけが「処置室」とあった。

 鈴木は中に人がいないと言っていたから、さほど用心する必要はないだろうが、犯人が上手く息を潜めて隠れているという可能性も捨てきれない。慎重に調べなければ。

 私は照明を当てながら、まずは近くのカウンターへ近づいた。このカウンターにはどうやって入るのだろうと思っていたが、出っ張った左側の側面にもう一枚、扉があった。形状は横に並ぶ個室と同じ一枚扉で、ドアレバー周りには特に何もない。鍵もないのだな、と思いながら私はドアレバーを押し開け、中をそっと覗き込んだ。

 サッと懐中電灯を向けると、光に照らされ空気中に舞う白い埃が一瞬、星屑のように輝いて見えたが、息を吸い込んだ瞬間に大きな咳が出た。

 鼻と口を袖で覆い隠し、ゆっくりと入室する。それでも鼻がむず痒く目が痛い。こんな環境ではたとえ逃亡犯であったとしても住めたものじゃないだろう。

 早々に立ち去りたいのを堪えながら、私は部屋の中を調べ始めた。さぞ埃が積もっているのだろうと床を照らすと、下はさほど汚れていなかった。

 向かって右側が、カウンター外から見えていたカーテンだ。カウンターの裏側も見たいが、まずはこの部屋の中の方だ。

 カーテンを背にした状態で、向かって右側の壁に沿って木製の机が二台並び、反対側の壁に同様のものが一台あった。パイプ椅子がいくつか机とセットで並んでいる。真正面にはスチール製の本棚が二台、横になって陳列されていた。図書室のようにも見える立派なスチール製の本棚だが、中身がないためどのような本が収納されていたのかわからない。

 さらに奥まで進むものの、間もなく突き当たる。壁には細長いロッカーが六台ほど開いて並んでいた。人の気配は感じられない。カウンターからおおよその想像はついていたが、ここは事務室だ。

 ロッカーの左隣に引き違いの窓を見つけた。鈴木が言っていた例の窓か。近づいて目を凝らすと、鍵の部分が有刺鉄線で雁字搦めに固定されていた。光をよく当てると、尖った部分には微量の赤い液体が付着していた。鈴木の血か。不用意に触れたせいで彼は傷を負ったのだろう。

 試しに、棘のようなそれにそっと指先で触れると、予想通りの鋭痛が走った。指先でこれだ。手のひら全体で感じようものなら、獣のような咆哮を上げてしまうことだろう。破傷風すら負いかねないこんな廃墟では、ほんの少しの怪我が命取りになってしまう。

 ともかく、この窓を素手で開けることは不可能。軍手を何枚も重ねて装着すれば、外すことができるかもしれないが、曇りガラス越しにうっすらと映る外の格子状の何かが私達を外には出すまいと静かに物語っていた。犯人は何が何でも私達を外へと出したくはないらしい。

 外の様子は中からは窺えないものの、一切の灯りがないようだ。

 それから窓のさらに左側には等間隔でもう二つ、同様の窓があり、長い廊下となっていた。

 突き当りにはまたもカーテンがぶら下がっていた。近づかないと見えないが、あとの二つの窓も同様、鍵に有刺鉄線が巻かれているだろう。

 窓の下には廊下に沿って、備え付けの台と引き出し、横に長いシンクがあった。狭くはあるが、何かの作業スペースのようだ。

 また、反対側には引き戸が取りつけられていた。それも三つ。なるほど。だいたい間取りが把握できた。この引き戸のついた部屋はカウンター横に並んでいたあの三部屋だ。手前から「3」、「2」、「1」の部屋だ。そして最奥の階段側にある「処置室」が、突き当りにあるカーテンの奥にあたる。

 一応、事務室の机の上、ロッカーの中を確認したが、蜘蛛の巣がびっしりと張られているだけだった。以前、ここを使用していただろう人間は持ち出すのが大変な調度品だけを残して、中身だけを持ち出したのだろう。運送費用や処分費用も馬鹿にならないし、土地や建物の買い手が見つからないのであればそのままになってしまうケースはある。

 ロビーからはわからなかったが、この「処置室」を含めた四つの個室は裏側からも入れるようになっていた。つまり、わざわざロビーに出なくとも、事務室から廊下を介して隣の個室へ移動することができる。

 もう一度、事務室内を懐中電灯で照らした。何か、この窓の有刺鉄線を破るのに使えそうなものはないかと目を凝らすも、目ぼしいものは何もなかった。靴の代わりとなるものも。

 ああ、駄目だ。目が痒くて痛い。アレルギー反応だ。両目は入った異物を吐き出したくて、零れんばかりの涙が溜まっている。そろそろ限界だ。ここを出よう。私はロビーへと続くカウンターに向かった。

 カーテンを横に流して、カウンターの裏側に出る。手前にある机に両手をつくなり、私はくしゃみと咳の両方に襲われた。

 ロビーにいた鈴木がそれに気づき、またしても「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。決して「大丈夫」ではないものの、こんな時に日本人はどうして「大丈夫」と答えてしまうのだろうか。私も例に漏れず、首を縦に振ってしまった。

 ハウスダストアレルギーはないと思っていたが、これは無理だ。換気ができないのであれば、防護服だ。全身に纏わないと長居できない。それがないならせめてマスクが欲しい。最近じゃ様々な種類のものが、薬局にはごまんと売られているというのに、残念ながらここにはない。

 ないものを願いつつ、溢れる涙を袖で拭いながら、私は周囲を見回した。カウンター裏には事務用の机が設置されていた。およそ二人分。その上にはモジュラーケーブルが切られた固定電話にA4サイズの白いノートのような物、そして小さなレジがあった。肝心の筆記用具が見当たらないが、ここは受付で間違いない。

 では何を目的とした施設なのか。近くのA4サイズの白いノートを手にして、表紙を確認した後、中を開いた。そこは白紙のままだったが、表紙でおおよその見当はついた。

「役に立ちそうなものは見つかりました?」

 私と向かい合うよう、カウンターに腕を置きながら、ニコニコと鈴木が尋ねてくる。彼はなぜ、こんな状況で笑うことができるのだろう。まるで私自身を試しているかのようだ。

 敵か、味方か……。今はまだ、彼を信用することができない。

 私は鈴木から逃げるようにして、再び事務室へと戻り、そこを駆け抜けるようにしてすぐ隣の「3」の部屋へと移った。引き戸を開けると、中は意外にも事務室よりは呼吸がしやすかった。

 なぜだろうと視線を泳がすと、ロビーへと繋がる扉が開けられていた。もしや換気をしてくれたのか? だとしたら、それは鈴木かウルミのどちらかだろう。何にせよ助かった。私は気を取り直して、部屋の中を調べ始めた。

 狭い部屋の中にはスチール製の机が一台と、丸椅子が二脚あった。壁紙はボロボロだが、事務室とはまた違う、シンプルな内装だ。

 とりわけ、机の上にある木製の棚に収納されている書物に目がいった。ああ、これである程度の特定ができそうだと、私はその中の一冊を手にした。そこには「統合失調症」、「うつ病」についての記述が見られた。

 他、数冊を手にしてざっくりと中を確認すると、私は手にした書物を置いて机の横にあるロッカーを開いた。中には白衣が一着、ハンガーにかけられ入っていた。質感を確かめると、意外にも汚れていない。

 私は白衣を一着手にして、服の上からそれを纏った。さらりとした生地が日常を想起させる。サイズは驚くほどぴったりだった。

 白衣があるならば、と他を探すも、残念ながら靴のような物はこの部屋でも見つからなかった。

 続いて裏側から、廊下を渡ってさらに隣の「2」の部屋へと移動する。そこは先ほどの「3」の部屋と同じ造りだった。

 異なる点は机の上に何部もの新聞紙が乱雑に置いてあったことだ。床を照らすと、引き千切られたような新聞紙と書物が足の踏み場もないほどに散らばっていた。「3」の部屋と比べて荒れ様が凄まじい。

 足元に注意しつつも、私は机の方に向かった。ごわごわとした新聞紙を靴下越しに感じる。虫よりはマシだな、そう自身に言い聞かせながら一歩ずつ近づき、机の上の新聞紙へ手を伸ばす。古い建物だ。今日の日付はわからずとも、ここがどれほど古い建物なのかはわかるかもしれない。無数にある中から適当に選び、一部を手に取った。

 指で触れると、その新聞紙の面は埃っぽさを感じなかった。二つ先の事務室はどこを触れても手の表面に綿のようなそれがこびりついたというのに。それとも埃に触れすぎて脂がなくなり、指の感覚が麻痺しているのだろうか。

 そんなことを考えつつ、新聞欄の枠外へ視線を落とした。

「二〇一〇年五月二十三日……」

 口に出して記事の日付を確認する。今が二〇二二年の五月。拉致されたのが前日だとしたら、今日は二十四日になる。この新聞は、十二年前のものか。

 二〇一〇年五月。その年月を目にして、私の心臓が激しく波打った。

 十二年前の今頃は何をしていたのかと聞かれてすぐに答えられる人間は、はたしてどのくらい存在するのか。まずは十二年前の自分自身の年齢を確認してから、仕事やライフステージを思い浮かべることだろう。だが、私はこの時何をしていたのか、そして何があったのかを、考えなくとも答えらえる自信がある。正確には、その翌日のことを、だ。

 胸の内で苦笑した。こんな自信に何の意味もないというのに。要は特別な年月だということだ。

 十二年前。まだ夏も始まる前の頃、私は将来を誓い合った恋人を失った。

「そうだ。昨日も……」

 監禁される前の記憶を思い出した。それが実際に昨日なのか、一昨日なのかは不明だが、この時も私は、彼女のことを考えていた。
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