推しの悪役令息があまりにも不憫すぎるので、現代日本で俺が幸せにします!

愛錵 芽久郎

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第2話:「手の温かい、優しい声のひと」

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 くらい、暗い場所にいる。
 寒くて、とにかく悲しい気持ちでいっぱいで、そんな私を誰も抱きしめてはくれない。

 誰も愛してはくれない────。

 思い出す。
 誰にも私の言葉を信じてもらえず、冷たい目を向けられたことを。両親にさえ見放されたことを。

 置き去りにされた森の中で、魔物に追いかけられ、死を覚悟したことを。

 嗚呼、そうか。私は死んだのか。
 死んだら、もっと温かい場所に行けると思っていたのにな。

 ここは寒くて、暗くて、今までの人生を思わせる場所だ。

 もしかして、地獄だったりするのだろうか。そこまで、私は愚かだったのだろうか。

 神にまで許されなかったのだろうか。


「いやだよ…!私は、私だって!誰かに愛されたかった……ッ!」


 こんなことを言うつもりはなかったのに、いろんな感情が渦巻いて、何もない空間へと虚しい私の叫びが消えていく。


「もう…もう……嫌だ。消えてしまいたい、いなくなってしまいたい」


 その場へとへたり込み、両手で顔を覆う。

 その時だった。


【ヴェリキュス】


 私の名前を呼ぶ、優しい声がした。


【もう大丈夫だよ、俺がそばにいる。もう誰も君を傷つけないから】


「ほんとう…?ぼくのそばに、いてくれる……?」


 幼い頃の一人称に戻ってしまったことにも気がつかないまま、私は声と共に突如、指した光へと手を伸ばした。

 その瞬間。手を伸ばした指の先、真っ暗だった空間が一瞬で美しい花畑へと変わった。

 青空の下、紫色の美しい花が柔らかく吹いた風で、そよいで優しく揺れている。

 今までの人生で一度も見たことがない、美しい花。
 きっと、この死後の世界にしか存在しない花なのだろう。


「美しい…」


 私を励ますかのように、名もわからない美しい花は真っ直ぐとこちらを向いていた。

 花を見ているうちに、様々な出来事が頭の中で走馬灯のように流れていく。

 ずっと、辛くて悲しい人生だった。
 でも、この景色を見て何だか心が穏やかになっていく気がする。そして、一つの願いが私の中で芽生えた。


「こんな愚かな私でも、最後くらい願ってもいいだろうか」


 私の言葉に反応するかのように、強く風が吹いたと思うと沢山の花びらが舞い、花びらたちがゆっくりと私の周りをぐるぐると回り出した。

 こんな愚かな身でも、どうか最後に願わせて。


「お願い。私をあの優しい声のひとのもとへ、どうか。連れて行って─────」


 舞い上がる花びらの姿を最後に私の意識はぷつりと途絶えた。




+++



 頭を撫でられている感覚がする。
 その優しい手つきがその人物の穏やかな人柄を表している気がした。

 ゆっくりと目を開ける。頭がぼんやりとして、意識を覚醒させるのに少し時間がかかった。
 そして、目の前に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 黒色の髪。

 私も公爵令息という立場上、様々な人物に会ってきたつもりだが、私の人生では一度もお目にかかったことがない。黒色の髪をした男性が目の前にいた。

 短く整えられた髪に形の整った眉。ぱっちりとした大きな瞳をしていながらも凛々しく男らしい目元。スッと通った鼻筋に少し厚めで柔らかそうな唇。

 物思いに耽る横顔からでもわかるほど整った顔立ちをしていた。今まで、どんな着飾った人間を見てもこんな風に目を奪われることなんてなかったのに。

……どうして。私は、こんなにも彼から目が離せないのだろう。

 目を逸らせずにいると、やがて彼と目が合った。


「…ッダァッッ!???」


 私が起きていることに、ものすごく驚いた彼が何事かを叫んだ。物静かな横顔からは想像できない表情豊かな様子に何だか拍子抜けして、状況を把握しようと頭が動き出す。


「………こ、こは。死後の世界ですか」


 先に思いついたのは、それだ。
 あんな怪我をした状態の自分が魔物から逃れられるわけがない。私が死んでいることは確実のはず。

 それに、目の前には生きてきた人生の中で一度も見たことのない、黒髪の美しい男性。加えて、男性の後ろの方に見える室内の様子も私が過ごしてきた屋敷、王宮や学園とも違っていて、まるで現実味がない。

 先程までいた真っ暗な空間は死後の世界ではなく魂の待機場のようなところで、きっとここが死んだ自分が導かれた死後の世界ではないのかと思ったのだ。


「え、えっと。違うよ、うん。違うんだ。ここは死後の世界ではなく現実で、君は助かったんだよ」


 少し動揺した姿を見せながらも黒髪の男性は私にそう教えてくれた。

 あの状況で生還できたなんて、とても信じられないが、ちゃんと死後の世界ではなく現実だと訂正してくれた。

 ということは、彼は私が死後の世界に来たと勘違いしてしまうほどに、死にそうな状態に陥っていたことを知っているということだろう。

 そこから導き出される答えは、ただ一つ。


「私を助けてくださったのですか」

「…そう、なるのかな?」


 やはりだ。彼はおそらく、あのBランク級モンスターから私を救ってくれた。命の恩人だ。
 この方が一人で戦ったのか、この方を含めた複数人で戦ったのか、定かではないが相当な手練れだろう。

 だが、常識として罪人である私を助けてくれる者などいるのだろうか。


「私は罪人として追放されたはず。あの魔物が蔓延る森に来てまで私を助けて連れ帰るなんて一体…もし他国に辿り着くにしても、あの位置からでは相当な距離がある。ということは、私は国に戻ったのか?でも、一度追放された者が戻されるなんて、聞いたことがないし、そんなこと有り得るわけが────」

「はい、ちょっと落ち着こうか」


 自分でも気がつかないうちに、独り言をこぼしていたようだ。

 黒髪の男性は私の頬を優しくつついて、私の思考を中断させた。頬をつつかれるなど初めての経験で、驚く私に彼はこう続けた。


「これから話すことは、君を驚かせるかもしれない。いや、確実に驚かせることになると思う。信じられなくても、どうか最後まで聴いてほしい」


 彼のあまりにも真剣な表情に、この現状には何かしらの理由ワケがあるのだと悟った。

 私は強く頷き、話の続きを諭す。
 そして、彼が話してくれた内容に驚かざるを得なかった。

 黒髪の男性がやっていた"ゲーム"という名の娯楽品に出てくる物語の中に私が登場していたということ。

 そのゲームの中の物語は実際にあった出来事のもので、それはまさしく私の話であったこと。

 なぜ、私の人生の物語がゲームに存在していたかといえば、にわかに信じ難いが死んでしまった私を救いたいと願った神が私の魂が苦しみの末に自我と共に消えないよう、私が生きていた現実の世界を再現したものをゲームの中に造り、私の魂を閉じ込めたのだという。

 そして、彼は懸命に生きる私を見て、助けたいと思ってくれたのだそうだ。

 重ねて、黒髪の男性は教えてくれた。ここが私の生きていた世界とは違う世界、つまり異世界であること。そして。

────神から、私を託されたこと。

 神は、私を見捨ててなどいなかったのだ。
 こんな愚かな私に慈悲をお与えくださったのだ。


「神が、私を………」


 彼の言葉に嘘偽りがないことは瞳を見ていればわかった。
 貴族という立場で生きた私は善悪の判断、そして人が嘘をついているかどうか、ある程度わかるようになっていたからだ。

 そして、こんなにも異世界というものを私がすんなりと受け入れられたのには理由ワケがある。それは、王宮の書物に異世界人の記述があるものを読んだことがあったのだ。

 ある日、とある国の王宮の神殿にけたたましい雷の音と共に男の子が倒れていたと。そして、その男の子は聖女のような力を持ち、異世界の技術を伝え、国を栄えさせたと。神殿には象が存在していて見たことがあったのだ。

…てっきり、おとぎ話だと思っていたのだが、実際に自分がそういう状態におちいると本当だったのだろうと納得してしまう。

 その伝承があったからだけでない。自分の視界に見える、私が寝かされている部屋にあるもの一つ一つが、全くもって見たことがないものばかりというのもこの嘘のような話が現実味を帯びている要因としてある。どれだけ考えても、これらの物の使い方が全く想像できない。本当に異世界なのだろう。

 それに、やはりあのどう考えてみてもBランク級モンスターが目の前にいた、明らかに助からない状況だった私が怪我をしているとはいえ、助かっているという状態から信じざるを得なかったのだ。

 しかし、話は信じられても、一つだけ信じ難いことがあった。


「そうだよね、なかなか信じられないよね…」


 私の信じられないという表情をどうやら黒髪の男性は違う風に捉えたようだ。


「…あ、いえ。そうではないんです。貴方の言葉を信じられないというわけではなくて、ただこんな誰にも信じてもらえないような愚かな私を…神様ともあろう尊い御方から慈悲をいただけたというのがにわかに信じられなくて────」


 私は先程から思っていた、どうにも信じられなかった点を彼に伝えた。


「愚かなんかじゃない!!」


 びくり。

 思わず身体が驚いて反応してしまった。
 何をこんなにも彼を怒らせてしまったのかが、わからない。

 訳がわからず、目を白黒させて動揺していると、黒髪の男性は悲しそうに眉をハの字にして、苦しそうに声を絞り出した。


「ヴェリきゅんは、愚かなんかじゃない。ヴェリきゅんの言葉を信じなかったのは、そいつらの目が曇っていただけだ…!聞く耳を持たなかっただけだ…!君が間違っていたわけではないよ!お願いだから、一生懸命生き抜いた自分自身を愚かだなんて言わないでくれ」


 手を握られる。

 今まで、ダンスやエスコートで握られた、どの手よりもずっと。温かくて優しい手。

 大切なものにでも触れるかのように、優しく握り込まれて。その手の熱がまるで私の心を包み込むように柔らかく温もりを伝えてくれている。

 そう、意識してしまったら、もう駄目だった。


「…っ、ふ」


 ボロボロ、ぼろぼろ。
 涙が溢れて止まらない。

 貴族である身として、決して弱みを見せてはいけない。
 泣いてはいけないのだと教育された私は幼い頃以来、泣いたことがなかった。

 泣くのだなんて、いつぶりだろうか。

─────断罪された時にだって、泣きはしなかったのに。


「な、なな!大丈夫?俺、言い過ぎた…?でも、俺はそう思って……」


 優しいひとは私の涙に慌てて、そう言い募ってくる。

 それがなんだか、少しおかしくて。
 でも、ものすごく心を揺さぶるもので。


「そ、んなこと…言ってくれるひと、今までいながっだ」


 思わず、本音で話してしまった。
 敬語も崩れてしまっているし、涙のせいで鼻声である。

 見苦しいであろう、泣き顔を彼は愛おしそうに見つめて、私に優しく言葉を紡いだ。


「…ヴェリきゅん、君は幸せになっていいんだ。もう無理しなくていいんだよ。ヴェリきゅんが元気になって余裕が出てきたら、この世界のことを教えるし、一緒にいろんなところへ行こう。きっと…楽しいよ」


 彼の優しい言葉にさらに涙は溢れ続けた。
 彼の優しい声音は胸を揺さぶるものがある。

 この声はどこかで聞いたことがある。
 初めてお会いするはずなのに。

 一体、どこで─────。

 ふと、脳裏に紫の花が浮かんだ。
 彼の仄かに紫が垣間見える黒の瞳は、ここへ導かれる前に見た花畑を思わせる。

 目が覚めて、見たことがない人物や景色に混乱したせいで、きっと忘れていたのだろう。

 目が覚める前に見た、どこまでも澄み渡る青い空と美しい紫の花畑をはっきりと思い出した。

 そこで聴いた優しい声も。

 気がついた事実に、私は我慢ができなくなって握られていない方の腕で顔を隠した。涙が止まる気がしなかったからだ。

 結局、しばらく涙は止まらなくて、やがて波が徐々に落ち着いてくると体力的に疲れてしまったからだろうか。

 段々と瞼が落ちてくる。
 眠ってしまってはいけないのに、そのまま促すように彼の温かな手は優しい手つきでゆっくりと私の頭を撫でる。

 寝てはいけない。
 彼とまだ話をしなくてはいけないのに。
 たくさん、伝えなくてはいけないことがあるのに。

 命の恩人で、手が温かくて。

………そして。

 私を暗闇の中から導いてくれた優しい声の持ち主である、この優しいひとの、名前すら聞けていないのに─────。

 私は自分のはやる気持ちとは裏腹に、疲れには抗えず、瞼を閉じてしまった。


「飲み物を飲ませたり、可能だったらお風呂に入ってもらったりとか…いろいろさせてあげないといけないことがあったけど、疲れてるもんな。ゆっくり、おやすみ。ヴェリきゅん」


 慈しむような声音が聞こえて、まだ彼の全てを信用するには判断材料が少なすぎるうえに、初めている場所でどんな危険があるか把握できていないような状況の中で眠るだなんて、普段なら絶対にあり得ないのに。

 彼の声には魔法のような力があるのかもしれないと、そんな子供じみたことを真剣に考えてしまうほど、私はこの心地の良い感覚に抗うことができずに、そのまま眠りへと落ちていったのだった。



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