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5話 ガルフレッド
しおりを挟む翌日、騎士が来たのはお昼を過ぎてからだった。持って行っても問題のない薬草や薬、道具などは朝トランクに入れているためすぐに出発することができる。王都の近くに生えている薬草がよく分からず、スエルトの近くに生えているものだけは少なめにトランクに入れて、他は少し多めに持って行くことにした。
突然現れた獣人に驚く客もいたが、騎士服を着ているため問題はないだろうと気にせずに話をしている。
「準備は、出来ていますか?」
「ええ、大丈夫よ。すぐに出発できます」
カウンターの奥の扉を開いて置いていたトランクを手にしてネスティが近づいてくる。心配そうな顔をするネスティに「大丈夫」と答えるとトランクを受け取った。
「あら、ホミカちゃんどこか行くの?」
「仕事で暫く留守にします。でも、お店はネスティがいるので安心してください」
常連客に話しかけられて、ホミカは笑顔で答えた。店は閉めないと意味を込めて伝えると、常連客は安堵したように息を吐いた。薬が無くなれば貰いに来なければいけない。閉まっていれば貰うこともできない。けれど、ネスティがいれば別だ。薬も十分あり心配はない。
どこに行くのか、何をしに行くのかをネスティと母親以外に伝えることはない。まだ病のことは知られていないのだから、不安にさせるわけにはいかないのだ。
最悪ホミカは処刑されて、二度とここに戻って来ることはない。
「荷物を持ちますよ」
「大丈夫よ。気持ちだけ頂いておくわ。それじゃあ、行ってくるわね」
荷物を持とうとする獣人に断ってから、外に出るとネスティを振り返り声をかけた。
「はい。お店は任せてください」
見送るために後ろについて来ていたネスティが、心配しなくても大丈夫だと言うように頷いた。
足元に近づいてきたレニーへと視線を向けてから、獣人へ「行きましょう」と声をかける。レニーを見て目を細めたが、獣人はホミカの前を歩きククリの森へと向かって歩く。
彼の話によると、ククリの森に馬車を待たせているようだ。馬車は少し大きいもののため、邪魔にならないように、あえてそこで待たせているのだという。
「その猫も連れて行くのですか?」
「ええ。何か不都合でもありますか?」
「いいえ。ありません」
そう言うが、その顔は何か言いたそうに見える。しかし、彼は何も言うことはなかった。もしかすると、レニーが猫ではなく悪魔だということに気がついているのではないか。片目が赤いだけとしても、騎士は知っているだろう。赤い瞳は悪魔しかいないということを。何も言わないのは、確信がないからか、そういう生き物もいるかもしれないと思ったからか。
もしくは、猫が苦手だという可能性もなくはない。
暫く歩いていると、馬車が見えてきた。しかし、見えた馬車にホミカは立ち止まってしまう。立ち止まったことに気がついた獣人が振り返り不思議そうに僅かに首を傾げて見てくる。足元にいるレニーが、まるでどうしたのかと問いかけるように鳴いた。
「馬車って、あれですか?」
「ああ。他にはないだろう? いや、ないでしょう?」
言い直す獣人に、ホミカはくすりと笑った。笑われたことに、眉間に皺を寄せた獣人。
「笑ってしまってごめんなさい。ただ、私と話す時は畏まらなくてもいいですよ」
「そうか。それなら、俺と話す時も畏まらなくて構わない。落ち着かない」
畏まった話し方は、話しづらいのだろう。時々言い直す彼にそう言うと、安心したように息を吐いた。畏まらなくていいと言われ、嬉しそうに尻尾が揺れた。
ホミカも畏まった口調で話すと疲れる。最低でも王都までは彼と一緒なのだから、たどりつく前に疲れてしまうのは勘弁したいものだ。
止めていた足を動かして、馬車へと向かう。白馬と黒馬が、気配を感じたのか嘶いた。馬車にトランクを載せると、ホミカは初めて馬車に乗り込んだ。続いてレニーが乗り、座席に座ったホミカの膝の上に丸くなる。獣人が乗り込み、馭者と何かを話すと扉が閉められた。
馬車を見て、ホミカが立ち止まったのは見た目が理由だった。内装を見ても、見惚れてしまうほどのものだった。
以前店に馬車で来た女性は、少し値の張りそうな茶色い馬車で来ていた。しかし、この馬車は違った。白がメインの、黒で模様の描かれた馬車だったのだ。シンプルに見えるが、一般の人が乗るようなものではないと見た目だけで分かるほどだった。
この馬車は、本来王族が乗るものだ。レヴェンエーラ王国では、白は王族の色とされている。そのため、白い馬車を持っているのは王族だけ。国王に言われてホミカを迎えに来たのなら、王族専用の馬車で迎えに来てもおかしくはないのかもしれない。
(街の中に馬車で来なかったのは正解ね)
大きい馬車ではあったが、王族の馬車だと見ただけで分かるものが店の前にあれば、何処に行くのかは一目瞭然だ。そうなれば、何しに行くのかと詰め寄られてもおかしくはない。
揺れ出した馬車に、ホミカは内装を見渡した。内装は外とは違い、黒がメインだった。座背はふかふかで、置かれていたクッションも同じ手触りだった。黒と白のクッションを触りながら、汚してしまったら大変だと思いながら目の前に座る獣人へと目を向ける。
黒い座席に座り、白い騎士服を身に纏った彼は腕を組み、目を閉じている。座席に投げ出されている黒い尻尾は微動だにしない。
見られていることには気がついているのだろうが、何も言わない彼にホミカは相手の名前を聞いていないことを思い出した。彼は、国王に聞いて名前を知っている。しかし、ホミカ自身は彼のことを何も知らないのだ。
「今更なのだけれど、名前を教えてもらってもいいかしら?」
「何故だ」
目を閉じたまま短く言うローバリトンの声に、胸に小さな痛みが走った気がしてホミカは首を傾げた。声に出すほどの痛みでもなかったが、彼の声を聞いて恐ろしいと思ったわけでもないのにと、不思議に思いながらも気にすることはなかった。
「貴方は国王陛下に私の名前を聞いて知っているでしょうけど、私は貴方の名前を知らないの。少しの間しか一緒にいないとしても、名前を知らないということはとても不便なことよ」
その言葉に閉じていた目をゆっくりと開いた。まるで睨みつけるようにしてホミカを見ているが、その尻尾は激しく揺れている。
(たしか犬は、興奮すると尻尾を振るんだっけ)
揺れる尻尾の意味を考え、可能性としては威嚇しているのではないかと思える。だが、ホミカには威嚇しているとは思えなかった。感情をあまり表に出すことができないが、尻尾で表現しているのではないかと揺れる尻尾を黙って見つめるホミカに気がついたのか、彼は右手で自分の尻尾を座席に押しつけてしまった。
その顔が僅かに赤いような気がして、やはり威嚇ではなかったのだとホミカは安心した。小さく笑うホミカに、舌打ちが聞こえてきた。
「ガルフレッド・ユーレンツ」
顔を赤くして背けられながら言われたのが、彼の名前だった。
「私はホミカ・ベルリア。この子はレニー。よろしくね、ガルフレッド」
「ああ」
目を合わせないまま短く返事をされたが、右手で押えられた尻尾が僅かに揺れている。名前を聞かれたことが嬉しかったのだと理解するまでに時間はかからなかった。
もしかすると、獣人だから恐れられて名前を聞かれることが今までなかったのかもしれない。それだけではなく、普通に話しをする相手も少ないのかもしれない。
表情には出さないけれど、尻尾に感情が表れてしまうガルフレッドのことがもっと知りたいと、その時ホミカは思った。
*
ククリの森から王都までは時間がかかる。そのため、その日暗くなると馬車を停めて一夜を明かすことにした。森には明かりがない。魔物に遭遇してしまったらすぐに対応することができない。
馬車の近くに火を焚き、城を出る時に持たされたという肉を焼き、ホミカが用意していたサラダとご飯を3人で分けて、焚火を囲んで夕食を食べる。
誰も何も話さず、周りを注意しながら黙々と食事をとり、先に食べ終わった馭者が馬に水と餌を与える。食器は城から持ってきたもので、洗わなくてもいいと言われているようで、そのまま籠に仕舞ってしまう。近くに川もないのだから仕方がないのだろう。
夕食を食べ終わると、ホミカもガルフレッドも同じように籠に食器を仕舞う。その後は3人で火に当たりながら過ごす。馭者は疲れているのか、毛布を掛けて眠りについた。ガルフレッドは火が消えないように時々、馬車から薪を持ってきてくべている。そのため、夜風が吹いても暖かい。
ガルフレッドの横で本を読むホミカは、周りに生えている薬草を調べている。王都に近づいてくると、スエルトの近くに生えている薬草の種類が減り、その代りあまり目にしたことのない種類が目につくようになった。
馬車を停め、夕食の準備をする前にいくつかは採取した。それでも、採取していない薬草はまだある。近くに見える薬草でも、森の中に入って取らないといけないため、安全を考えると明るくなってから採取するしかなかった。
本で見て知っていても、実際に使ってみたいと思うもの。それに、使ってみないと効能がはっきりとは分からない。どの薬草との組み合わせがいいのか、悪いのか。そこまで書いている本は少ない。そのため、自分で調べるのだ。薬草を保存するためのオイルボトルは多めに持って来ている。明日早めに起きて採取しようと考えていると、横にいるガルフレッドが話しかけてきた。
「どうして薬師になろうと思ったんだ?」
そんなことを聞かれるとは思っていなかったホミカは、視線を本からガルフレッドへ向けた。他人には興味なさそうなのに、自分のことを聞いてくるガルフレッドを不思議に思いながらも隠すことでもないからと素直に答える。
「子供の頃に父が病気で亡くなったの。魔法治療で治る病気だったのだけれど、お金が無くて。それで、魔法治療を受けなくても薬師になって薬を作れば、多くの人が助かるって思ったの。完治はできなくても、薬で症状を抑えられる病気も多いから」
「そうか」
悲しそうな表情をするガルフレッドに、「子供の頃は寂しい思いをしたけれど、今では薬師になってよかったと思うの」と微笑むと、何も言わずにガルフレッドも微笑んだ。尻尾が揺れていることに、ホミカは気がつかないふりをした。
風邪は薬で治すことができる。初めてホミカの薬を飲んだ人が、風邪が治ったとお礼を言いに来た。その時はとても嬉しく、薬師になってよかったと思ったのだ。
「私からも、質問いいかしら?」
「ああ」
自分の質問に答えたのだから構わないと短く返事をすると、何を聞こうかと考える。いくつか聞きたいことがあったため、1つに絞ることができないでいた。そんなホミカを見て、ガルフレッドは「聞きたいことがあるなら、いくつでも答える」と言った。
その言葉に甘えて、いくつか質問することにした。
「それじゃあ、貴方以外に獣人の騎士はいるの?」
「いや、俺だけだ。たぶん、王都にいる獣人も俺だけだ」
獣人はレヴェンエーラ王国から遠く離れた場所に国を作り住んでいる。交流もほとんどないため、出入りが少ないのだろう。王都で獣人を見たことがないというガルフレッドは、何故騎士として王都にいるのか。それを聞くことはできなかった。聞いたとしても、答えは返ってこないだろう。
「もう1つ。ガルフレッドは、部隊を率いているの?」
「俺はアルハイト隊の副隊長だ。部隊を小さく分けた時だけ、ガルフレッド隊として率いることにはなるが、普段は補佐をしている。どうしてそんなことを聞くんだ?」
「国王陛下に私の迎えを頼まれるほどだから、任しても問題のない人材を選んだのかと思って」
「最初は無愛想な騎士が行くと言っていたんだが、愛想が無さすぎるのと、国王陛下の命令に従うことができるアピールをしたいだけだと分かって、俺が引き受けた」
「仕事は大丈夫だったの?」
「今は暇なんだ。なんだ? 俺じゃなくて無愛想なやつが良かったのか? あいつだったら、昨日無理矢理王都に連れて行かれていたぞ」
口元に笑みを浮かべて言うガルフレッドに首を横に振った。彼も無愛想ではあるが、表情にでる。表情にでなくても、尻尾を見れば分かるのだから同じ無愛想であっても彼がいいだろう。
それに、彼が言う無愛想な騎士は、記憶の中でのホミカの人生で無理矢理王都へ連れて行った人物だろう。ガルフレッドの言う通り彼だった場合、1日も待ってはくれない。国王の前に連れて行き、笑顔で「連れてまいりました」と言う男だ。自分は仕事が早いのだと言うかのように。ガルフレッドの話を聞いているとそれは間違いないのだろう。アピールするためだけに、ホミカの都合を考えない人間なのだ。今回、ガルフレッドが来てくれてどれだけ安心したことか。
「いいえ、ガルフレッドがいいわ。それに、そんな人と一緒じゃ息が詰まるし、話をしたいとも、何かを知りたいとも思わないわ」
「それは……。俺のことを知りたいと思っているということか?」
「ええ、貴方のことは知りたいわ」
ホミカにとっては、今まで会ったことのない人だったから知りたいという意味を込めて答えたのだが、ガルフレッドにはその意味をくみ取ることができるはずもない。
揺れる尻尾に首を傾げるホミカは、その意味を理解することができなかった。
「冷えて来た。そろそろ寝るといい」
「でも……」
「明日は早い。馬車の中で寝ればここより暖かい。それに、何かあった時馬車の中にいた方が安全だ」
話題を変えるように言うガルフレッドの右手は、ホミカの頭を軽く撫でた。彼の顔は、今まで見た中で一番優しく微笑んでいた。予想していなかった行動に驚くホミカの顔が僅かに赤い。それが焚火の炎で赤く見えるだけなのかは誰にも分からなかった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
立ち上がり声をかけると優しく返される。本を手に、馬車に乗ると焚火にあたるガルフレッドを振り返ってから静かに扉を閉めた。
本をトランクにしまうと、丸くなり眠るレニーの邪魔にならないように、ガルフレッドが座っていた座席に座り、畳んであった毛布を手に取って体を包む。背もたれに寄りかかり目を閉じて眠ろうとするが、なかなか眠気はやって来ない。
(どうしてあの時、尻尾を振ったんだろう)
その時していた話は、無愛想な騎士よりもガルフレッドのことを知りたいということ。女性にそんなことを言われて困惑していたのかもしれないと勝手に納得をして、何も考えないようにする。すると、眠気がやって来て、いつの間にか眠りについていた。
「寒い……」
どれくらい眠っていたのか。寒さを感じてホミカは目を覚ました。空はまだ暗く、夜明けまで遠いようだ。
(そういえば、今日は新月ね)
暗くなってから一度も月を見ていないことを思いだし、ある薬草のことを考える。それは、満月の朝のみに咲く日光草。そして、満月の夜のみに咲く月光草。
2種類とも珍しく、一度も見たことのない薬草。薬草の本には載っているが、どれにも珍しく入手が困難としか書かれていない。
(満月の日に探してみようかな)
王都にも森がある。そこにならあるかもしれないと考え、宿に泊まっていれば簡単に夜を抜け出して採取しに行ける。毎日月を見ていれば忘れることはないだろう。
満月とは違い、新月に咲く珍しい花はない。見つかっていないだけで、あるのかもしれないとホミカは考えているが、スエルトからは遠くに行きたいと思っていないため見つけることはできないだろう。
寒さによって眠気が冷めてしまい、僅かに倒れていた体を起こす。レニーは体勢を変えずに眠っている。外の様子を見ると、特に変わった様子はない。
このまま馬車の中にいても寒さは変わらない。どこか暖かい場所はないかと考えて、ホミカはある場所を見つけた。
もしかすると、この時寝ぼけていたのかもしれない。
毛布を持って立ち上がり、扉を開いて外に出た。冷たい風が吹き、体を震わす。静かに扉を閉めると、焚火へと近づく。馬車からホミカが降りて来たことに気がついていたガルフレッドは、何も言わずに薪をくべていた。
体が冷えてきたから焚火に当たるだけだろう。温まればまた馬車に戻るだろうと気にしていなかったのだ。しかし、ホミカはガルフレッドの右隣に座った。離れて座っても構わないのに、隣に座られたことに驚きながらも、気にせずに周りを警戒する。もしも魔物が来ても、左に置いた刀で相手をすることができる。
左手を刀に触れた時、膝に重みを感じてガルフレッドは驚いて視線を向けた。そこには、横になったホミカがいた。隣で丸くなり、できるだけ体をガルフレッドにくっつけて暖をとっているようだ。頭を膝に乗せ、焚火の炎とガルフレッドからの温もりですぐに静かな寝息をたてはじめる。
「寝ぼけていたのか?」
その呟きに答えは返ってこない。どうすればいいのか分からないガルフレッドは、目を覚まさないように気をつけながら軽く髪に触れる。誰かとこんなにくっつくことは今までなく、誰かの髪に触れたこともなかった。
静かな寝息を立てたままのホミカの姿に小さく笑うと、もう一度薪をくべた。この日、ガルフレッドは眠りにつくことができなかった。
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