薬師ホミカは幸せになれるのか

さおり(緑楊彰浩)

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3話 レニー・シングヘルリオ

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 店に戻り、交代でネスティは昼食をとりに商店街へ向かって行った。しかし、午後は客が誰も訪れることはなかった。
 そのため、買った商品を保管庫に置いてから、椅子に座り本を読んでいた。ネスティが戻ってくると、テーブルを挟んで座り薬師になるための勉強をする。客がいない時だけするのだが、ネスティは覚えが良く薬草の本を見なくても多くは効果を覚えている。
 閉店時間まで勉強をしてから、店の掃除に入る。朝と同じように掃除をして、ホミカは保管庫と研究室の掃除をした。研究室を使った時は念入りに掃除をしている。道具は使う薬草によって分けているため、同じものが多い。
 店内全ての掃除が終わると、戸締りをネスティに任せてホミカはカバンを持って家へと向かう。今日は作らなくてはいけない薬はない。
 いつもより足早に家へ向かうのは、母親の無事を確かめたいからだ。時刻は午後7時を過ぎており、薄暗い。通りすぎる商店街には仕事帰りの人が買い物をしている姿がある程度で、昼時のような騒がしさはない。
 坂を上り、住宅街に入ると夕飯の匂いが漂ってくる。子供の声や楽しそうに親子で遊ぶ声も聞こえてくる。この街に住んでいる人の多くは、商店街で働いている。中には自分の畑を持っている人もおり、野菜を作り出荷している人もいる。
 住宅街を進むと、自宅が見えてきた。花屋は電気が消えているが、自宅の電気はついている。カレーの匂いも漂ってきていることから、どうやら母親は無事のようだ。店にいて馬車の事故があったという話しもなかったことから、未来が変わったことは分かっていた。
 玄関の前に立つと、ホミカは一度深呼吸をした。電気がついているので、母親が無事だということは分かっている。それでも、姿を確認するまでは安心できないでいた。

「ただいま」

 扉を開いてリビングに向かう。するとキッチンから「おかえり」という母親の声が聞こえてきた。キッチンを見ると、丁度カレーを盛り付けている母親の姿が見えた。
 一度カバンを部屋へ置きに行き、それから手を洗ってリビングに戻ると母親が椅子に座って待っていた。ホミカが椅子に座ると、2人で手を合わせてカレーを食べ始める。
 ホミカにとっては、この日に母親と晩御飯を食べられるということが嬉しかった。以前体験した時は、晩御飯も食べられず1人で泣いていたのだ。けれど、目の前には母親がいる。今のホミカはそれだけで幸せだった。
 カレーを食べながら、今日レニーに会ったことを話した。どうやら母親はレニーのことに気がついていたようだったが、話すのを待っていたようだ。
 人の言葉を話せることと、悪魔であることは話さなかった。目の色を珍しがってはいたが、しっかりと面倒を見ることを条件に、飼うことを許可してもらった。母親がレニーに話しかけると小さく鳴いた。
 カレーを食べ終わると、母親に促されてホミカはお風呂に入った。レニーはリビングのソファに丸くなり、眠っている。
 湯船に入りながらホミカは考えた。母親の運命は、無事変えることができた。次はホミカ自身の番。病を治す薬を作るか、関わらないかのどちらかでなければ処刑されてしまう。
 けれど、関わらないという選択はなかった。関わらなければ、この街の人達にまで病が感染し、見殺しにすることになる。結果的に関わることにはなるけれど、感染するまで待つことになるのだ。そんなことはホミカにはできなかった。

「できるかは分からないけれど、原因を突き止めて薬を作ってみせる。そうすれば、みんなが助かる」

 記憶の中で亡くなった人達の顔が浮かんでは消えていく。その中には、店に来る常連客もいた。

(今度は助けてみせる)

 王都で病に苦しんでいる人もいる。その人達のことも考え、ホミカは決意した。



 お風呂から上がると、交代するように母親がお風呂へと向かった。ホミカは、調べ物をするために水を飲んでから部屋へ向かう。本棚の何処にあったかを思い出しながら階段を上ると、足元にレニーが近づいてきた。家の中でもできるだけ近くにいるようで、ホミカの少し後ろを歩く。
 部屋に入るとレニーは一目散にベッドへ上がり、丸くなった。こうしているとただの猫にしか見えない。丸くなったレニーを横目に、本棚へ向かったホミカは目的の本を探す。その本はグレーの背表紙をしているため、すぐに見つかった。表紙には黒髪の綺麗な女性が描かれている。長い髪に、閉じた瞳。絵本なのだが、内容は幼い子供が読むようなものではない。本を手にレニーの横に座ると、ページを捲る。
 本のタイトルは『悪魔になった魔女』。
 この物語は500年前に実際にあったと言われており、『魔女』と呼ばれていた薬師である表紙の女性の物語だ。
 舞台は小さな村で、原因不明の病が流行してしまったという始まりだった。村から離れた別の村で最初の感染者が出た。噂程度だったものが、半年後には村で同じ症状の人が出てきたのだ。
 村で唯一薬を作れる『魔女』と呼ばれていた女性。彼女の名前がレニー・シングヘルリオ。村の人達に頼まれて、彼女は寝る間も惜しんで薬を作り続けた。
 何が原因かも分からず、できた薬を症状が出た人に飲んでもらい効果を確かめた。しかし、治る人はいない。何度も失敗を繰り返し、青い瞳からは涙を何度も流した。
 最初は信じてくれていた村の人達も、彼女を信じることができなくなっていた。どうして治せないのか。本当は薬を作れないのではないのか。今まで飲まされていた薬は、病を治すものではない。自分達を実験体にして何かを企んでいるのではないか。
 そんな言葉が耳に届いていたが、彼女は薬を作り続けた。大切な村の人達を助けるために。しかし、村の人達は彼女が作った薬を口にすることがなくなった。治らない病。亡くなる人が多く、彼女を最後まで信じていた人でさえも信じることを止めてしまった。中には、薬を飲んでから症状が酷くなったと言う人もいた。
 誰が言い出したのか、村の人達は彼女が病をばらまいたのだと言うようになった。彼女を殺せば、この病は治るのだと誰もが信じるようになった。
 信じてもらえなくても、彼女は薬を作り続けた。そして、薬を飲んでもらおうと病で寝込んでいる人がいる家へと向かう途中で彼女は村の人に囲まれた。手にはロープや鍬など様々なものを持っている。

「私は、病を治したいだけなの!」
「嘘をつくな! お前の薬では治らないではないか!」
「貴方が病をばらまいているのよ!」

 誰も彼女の言葉を聞こうとはしなかった。逃げようとしても、彼女の味方はいないのだから捕まってしまう。
 ロープで縛られ、病を治せと口々に言うが薬ができていないのだから治すことができない。薬ができていたとしても、誰も飲んではくれないのだから効果さえ分からないのだ。
 涙を流す彼女の言葉を聞かない村の人達は、治すにはやはり殺すしかないと結論を出した。
 棒に縛りつけられ、足元には藁を置かれる。それに火をつけられ彼女は火あぶりにされた。

(誰も、私を信じない。私は助けようと頑張ったのに! 私のやったことは全て無駄だった!)

 助けを求める彼女を、誰も助けようとはしない。中にはこれで病が治るのだと本気で信じ、安堵の笑みを浮かべている人までいる。
 そんな人達のために寝る間も惜しんで頑張ってきたのかと、彼女は笑う人達を睨みつけた。足元から燃えていく体。煙で苦しくなる呼吸。

(許さない。絶対に許さない!)

 憎しみを込めて睨みつける彼女はもう何も言わなかった。全員の顔を忘れないように、脳裏に焼き付けるかのように睨みつける。
 そうして、彼女は強く恨みを抱いたまま息絶えた。焼け焦げた遺体は、村から離れた岩場に放置された。
 これで村に平和が訪れる。誰もがそう思っていた。
 しかし、その日の夜。岩場が、まるで燃えているように明るくなった。村では数人がそれを目撃し、5人の男性が岩場へと向かった。
 すると、そこには1匹の黒い獣がいた。まるで獅子のような姿をした赤い瞳の獣の体が僅かに赤く光っていたのだ。

「許さない」

 獣が呟いた言葉に、急いで村へと走って行く。その声は、レニー・シングヘルリオのものだった。ゆっくりと村へ向かって歩き出す。獣が歩いた場所には、炎が揺らめいていた。
 村へつくと、彼女が悪魔になったのだと騒ぎが起きていた。武器になりそうなものを持って、男性が震えながらも獣へと向かって行く。しかし、誰も手が届かずに燃えていく。
 中には逃げだす人もいたが、途中で体に火がついて倒れてしまう。女性であろうと子供であろうと、建物でも家畜でも村の全てが獣が近づくだけで燃えていく。
 そして明け方。村には燃えた建物しか残されていなかった。それから悪魔となったレニー・シングヘルリオは姿を消した。今も彼女は黒い獣として何処かに姿を隠しているのだろう。
 そう書かれた最後のページには、両目が赤い黒い獅子が描かれていた。
 この物語はスエルトが建設される500年前、この地にあったと言われている村での出来事なのだ。幼い子供以外の多くは知っている話。だから、レニーという名前に聞き覚えがあったのだ。

「レニーって、レニー・シングヘルリオなの?」
「それを私が答えるとでも思っているの?」

 静かに首を横に振った。レニーは尋ねたとしても教えてはくれないだろう。話したい時は自分から話す。
 けれどホミカは、この物語の女性と悪魔である黒猫のレニーが同一人物だと思っていた。薬師であったレニー・シングヘルリオ。偶然にもホミカと同じ職業。そして、同じように原因不明の病を治すために薬を作っていた。ホミカはこれから作ることになるのだが、レニーと契約していたという理由と関係があるのかもしれない。
 ネスティがレニーの名前を聞いた時の反応も、この本のことを知っていたからなのだろう。母親は何も言わなかったが、悪魔になった女性と同じ名前は嫌なのかもしれない。
 それでもホミカは気にならなかった。本当にレニー・シングヘルリオであれば、昔の薬のことを聞けるかもしれないのだ。薬師として昔はどのように薬を作っていたのか、効果はどうだったのかが気になるものだ。
 今は話したくはないのかもしれないが、いつか聞ければいいと思いながら丸くなるレニーを撫でた。
 寝るまでにはまだ時間がある。ホミカは本を手に立ち上がると机に置いて、本棚から別の本を取り出した。レニーの名前が記載されている本はこれ以上ない。だから、寝る前に薬師の勉強をするのだ。
 いくら一人前だとしても、勉強は続けなくてはいけない。新しい薬の作り方が発表されれば、本を購入して自分でも作る。ホミカの知らない場所で新しい病は多く発生しているのだ。それだけ必死になり薬を作ろうとする薬師がいる。少ないと言われているが、1つの国に最低でも10人の薬師がおり、日々新薬の開発を進めている。
 1年に10個近くの新薬が発表になることもあり、出来栄えはあまり良くなくてもホミカ自身も作れるように練習をするのだ。いつかその薬を必要とする人が現れるかもしれない。
 本を手にもう一度ベッドに座り、真剣に読むホミカの姿をレニーは横目で黙って見つめた。


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