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第三章 悠然な鳥
悠然な鳥1
しおりを挟む白美に戦闘を学び、黒麒に人型となる訓練をしてもらっている間に、2日がすぎた。その2日は龍にとってあっという間だった。訓練の多くは白美にしてもらい、黒麒に人型になる訓練をしてもらうことが減った。
人型になるにはもう教えることもなく、姿を保つのは自分自身の意志でできるからと黒麒は答えたのだ。だが、1時間ほどは訓練をしてくれている。そのお陰かはわからないが、人型を保っていられる時間は長くなっていた。
しかし、白美の訓練で何か攻撃方法ができたわけでもない。ただ攻撃を避けるしかできない。しかも、素早く動けるわけではないので攻撃の全てが避けれるわけでもないのだ。空を飛ぼうと翼を羽ばたかせても飛ぶことは不可能だった。
体は大きく、重い。それに対して翼は小さいのだ。飛ぶことのできない翼では、羽ばたかせて砂を巻き上げて目くらましをする程度だ。ただ羽ばたきの強さによっては、攻撃を跳ね返すことも威力を弱めることもできる。それ以外の活用方法は今のところ見つけられていない。
「龍、今日は『黒龍』の姿で行きましょう」
「え……」
今日のためにも少しでも人型を長く保つことができるように訓練していたというのに、何故かエリスは人型ではなく獣型で行こうと言ったのだ。どうしてそんなことを言うのかと、龍は驚きに目を見開いた。
何か考えがあっての言葉だろうが、龍にとっては残念だった。人型を保てるようになるのは、悪いことではない。人型を保つことは、今後も必要になってくることだろうとは思っていたからだ。だが、どうして突然そんなことを言い出したのかは龍にはわからなかった。龍は口に出さずに何故と目で問いかけた。
「今から行くヴェルリオ城にはヴェルリオ王国から集められた人達が来るの。龍のことを知らない人のほうが多いし、裏切り者もいるかもしれない。人型で行って突然『黒龍』になったら騒ぎになるわ」
「『黒龍』のままで行くことには納得いかないし、気になる言葉もあったけど……人型から突然『黒龍』になって、不吉だって騒がれるより先に騒ぎを起こしておくってことか?」
言葉を聞いたエリスは小さく頷く。騒ぎが起こるかはわからないが、突然『黒龍』になれば騒ぎは起こる。だから、はじめから『黒龍』になっておくのだ。そうすれば、騒ぎが起こったとしても最小限ですむだろう。裏切り者とはいったい何に対してのことなのかを聞いても答えてくれないだろうことは龍にはわかっていたようで、聞こうとはしなかった。エリスがこの国にもしかすると裏切り者がいるかもしれないと思っているだけで、いない可能性もある。だから答えてはくれないのだ。
だが、裏切り者がいる可能性が高いから言ったのかもしれない。それに、戦力になる人間を召喚しようとした理由はそこにあるのかもしれない。裏切り者によって、戦力が必要となる時がくる。そう考えての召喚だったのかもしれない。
せっかく人型になったが、外に出たら『黒龍』の姿に戻らなければいけないと考えた龍は外を見た。天気は晴天。いつもより騒がしい街の音が聞こえてくる。どんなに騒がしくとも、坂の上に建っている図書館まで聞こえてきたことは一度もない。
騒がしい理由はヴェルリオ王国から集められた人達が来ているからなのか、それとも関係なく今日は活気がいいだけなのか。どちらかは龍にはわからないが、ユキが騒がしい音に耳を動かしている。
「じゃあ、行きましょう」
いつもと変わらない白いローブ姿。エリスのあとについて全員が図書館を出る。坂を下りながら『黒龍』になった龍の背中に、ユキと白美が乗る。1人と1匹が乗ってもまだ数人乗ることができる。しかし、今は乗ろうという考えはエリス達にはなかった。
多くの人が歩いている街の中へと入ると、人々は道を開ける。道を開けてもらわなければ、龍は進むことができないのだ。だが、全員龍が通るから避けるというわけではないのだ。不吉な存在である黒い魔物が通れば、関わりたくないのだ。だから、道をあけるのだ。龍が歩いても他の人が横を歩いて通ることができるほど道は広い。2匹の『ドラゴン』が横に並んでも歩けるだろうほど広い。メインの通りであり、馬車も通るからなのか、とても広い作りなのだ。
龍を見上げる者が多い中、黒麒を見ている者もいた。ヴェルリオ王国にはじめて来たのか、黒麒を見たことも話に聞いたこともない様子だった。それは会話からわかることだった。
「不吉が2匹もいるじゃないか」
「何を言っているの!? あのお方は神聖な『黒麒麟』よ。不吉なんかじゃないわ。不吉なのは『黒龍』とそれの背中に乗っている『九尾の狐』よ」
黒麒のことを知らない男性に、そばにいる女性が龍と白美を指差した。すると、他にも黒麒のことを知らない人がいたようで、男性と同じように指差された白美へと視線を向けた。龍は視線を向けずとも、大きいため視界に入るのだ。しかし、白美は龍の背中にいるため見えにくい。だから、あえて白美へ視線を向けるのだ。
見られていることに気がつき、白美は龍の背中で小さくなったが、龍は何も気にすることなく前を歩くエリスと黒麒について行く。前を歩く2人は気にしていない様子だが、いつものことで何を言っても無駄だと思い、あえて無視をしているのだろう。たしかに言われていることに対して文句を言っても意味が無いことはわかる。ここにいる者達だけでも人数が多いのだ。言ってもきりがないし、他の者達が何かを言ってくるだろうし、ここにいる者達も陰口は叩くだろう。だから、エリスも言うことを諦めているのだろう。
背中にいる白美は何も言わない。黙ったまま、なるべく見られないようにと伏せて姿を隠している。何も言わないのは、2人と考えは一緒だからなのだろう。けれど、できればその視線を向けてほしくはないようだった。
進むにつれて聞こえてくる言葉。龍と白美に対しての畏怖する言葉や、時々黒麒に対しての言葉も聞こえてくる。だが、黒麒を見て不吉だと言う人達には周りの人達が説明をしている。どうやら、黒麒が不吉だと言うことは許せないようだ。
気にしていないとはいえ心配なのか、エリスが何度か振り返り龍達の様子を窺う。その都度心配ないと言うように、龍は小さく頷いた。白美は姿が見えないため大丈夫なのかわからないが、諦めている部分もあるのだろう。大人しく、背中で小さくなっていることが龍には感じられた。
ヴェルリオ城に近づくにつれて、街に住んでいるであろう住民達の姿は疎らになってくる。代わりに召喚士や剣士などの姿が目立つようになってきた。それらは、今回任意の召集に応じた者達なのだろう。
城門の前で立ち止まると、エリスは門番にアレースに渡された手紙を見せた。門番はぐしゃぐしゃになった手紙を受け取り、一度龍を睨みつけるように見ると、無言で門の前から移動した。
それを入っていいと解釈したエリスは、渡された手紙をポケットに仕舞い門の先へと進む。龍も中へと入るが門番はもう睨みつけてくることはなかった。門番はたとえ使い魔が黒かろうと大きかろうと、気にはならないようだ。彼らはただ、召集された者かそうでないかの判断をしているだけのようだ。
開かれたままの扉をくぐり、ざわつく城内へと入ると、1人の男性が近づいてくる。案内人と名乗る彼は、エリスと黒麒にだけ話しかけると歩き出した。彼ははじめて見る龍に興味を示すこともない。姿を見たことがあるか、話には聞いているのだろう。不吉な存在である白美と龍はいない存在として扱っているようだ。
階段を上っていく姿を見て、龍は歩幅の関係で数段飛ばしながらゆっくりと上る。『黒龍』の姿では階段が小さく上りにくいが、体をぶつけることなく上ることができるほど広い。廊下も広く、翼を広げなければぶつかることはない。2人の人間と擦れ違うこともできるほどだ。
「こちらの部屋です」
男性が立ち止まった部屋は玉座の間だった。龍には読むことができなかったが、プレートに書かれている文字を見てエリスは驚いていた。もしかすると、普段はこの部屋に案内することはないのかもしれない。だから、エリスは驚いたのだろうと龍は思ったようだ。
エリスの様子を気にすることなく男性は扉を開く。大きな扉は見た目よりも軽いのか、難無く開いた。入室を促し、全員が室内へ入ったことを確認すると静かに扉を閉めた。
中へ入ると数十人の人が集まっていた。エリスは『黒龍』は体が大きいため邪魔にならないようにと考え、黒麒達をつれて壁側へと向かった。入ってきた龍を見て驚く者、何かを隣の人と話す者など様々だ。龍を見たことのある者もない者も関係ない。龍を見た途端、騒がしくなる室内。だが、突然静かになった。
それは、スカジと共にベネチアンマスクをつけた男性が部屋へと入って来たからだ。姿を見ると跪く者が多く、何もしないのはエリス達だけ。玉座に男性が座るのを確認すると、横に立っていたスカジが睨みつけてきたがエリスは気にしていない。エリスは逆に睨みつけるかのような目つきでスカジを見ていた。
ベネチアンマスクをつけた男性も、エリスが跪かなかったことを気にしていないのか、口元は不機嫌そうに歪められているわけでもなく寧ろ楽しそうに微笑んでいる。何故そんな2人を見て楽しそうにしているのかは龍にはわからなかった。
「皆様、どうぞ楽にしてください」
スカジのその言葉に全員がゆっくりと立ち上がった。伸びをするような人はいなかったが、楽にしろと言われても背筋を伸ばして姿勢よく立っていた。
「ではこれから、国王様からのお言葉を読み上げます」
「あら、国王様はそこにいらっしゃるのに、ご本人は何も話さず、貴方が国王様のお言葉を読むのですか?」
部屋にいた誰かが言った。女性のような声だが、男性の声のようにも聞こえた龍は声のした方向を見た。だが、人が多く誰が発した言葉だったのかはわからなかった。フードを被っている人が多く、男女の区別もつかない。いったい誰が発した言葉だったのだろうか。男性なのか女性なのか気になったのだが、誰かを突き止めることはできないので龍は諦めることにしたようだ。
声の主の言葉により龍は玉座に座っている男性が国王だと知ったのだが、あの時跪かなくてよかったのだろうかと思っていた。玉座に座っているのだから、国王だと考えればわかることではある。だが、龍は僅かに残っている記憶の中では国王に会ったことが無いのだ。わからなくても仕方がないことだろう。スカジが睨みつけてきた理由もこれでわかった。相手は国王なのだから、跪かなければいけなかったのだろう。龍には跪くことができなくとも、頭を下げることくらいはできたのだ。だが、なぜエリスは跪こうとしなかったのか疑問に思った。
エリスは国王が嫌いなのか。もしくはもっと別の理由があり、跪くことをしなかったのか。本人ではないので、わかりはしない。その理由を知ることができるのだが、今は知ることはできない。先の話。それに、知りたいとも今の龍は思いもしないのだ。もしもその理由が知りたければ、今すぐにでもエリスに聞いてみるだろう。しかし、聞いたとしてもエリスは理由を教えてはくれないだろう。
玉座に座ったのを見て国王だと気づけなかった龍だが、一度も国王という存在や玉座を見たことがないのだから豪華なイスに座る変わった男性としか思わなかったというのもある。龍にとってはその程度だったのだ。
「はい。ですが、こちらのお言葉は国王様自らが書いたものです。私に読めとお渡しになったものです。それでも、私ではなく国王様に読んでいただきますか?」
「いいえ、貴方で構いません」
――国王は話せないのか? それとも、話せない理由でもあるのか?
国王のことを知らない龍にとっては、何故国王自らが話さないのか理解することはできなかった。しかし龍は、スカジが話す声を聞くたびに背中で震える白美には悪いが、本人が書いたものなら他の人が読んでも構わないと思っていた。それは、国王の言葉でもあるのだから。
「それでは、読ませていただきます」
持っていた紙を開くと、スカジの声で国王の言葉が読まれる。
『皆様、お集まりいただきありがとうございます。召集しました理由は隣国クロイズが国境付近にて、我が国に攻め込む準備をしているという情報を入手したからです。偵察を得意とする者も多く、皆様には是非偵察を願います。これは強制ではありません。中には剣士のような戦いを得意とする者もおりますが、もしものことがあった時のためにと声をおかけさせていただきました。もし、協力してくださる方がおりましたら、明日正午までに国境付近へお越しください。その際、クロイズ王国側には気づかれぬようお願いします』
読み終わったスカジは顔を上げ、国王を見た。何も言わない国王にスカジは頷くと、口を開いた。
「要件はこれだけとなります。皆様、今聞いたことは他言無用です。もし、話してしまいましたら命の保証はできません。それでは、明日現地でお会いできるのを楽しみにしています」
笑顔でそう言うと、国王は玉座から立ち上がりスカジと共に部屋から出て行ってしまった。その際、エリス達以外は跪いていた。結局、玉座の間に来てから国王は一度も口を開くことはなかった。
残された者達は明日、国境へ行くのかを周りにいる者達に聞いている。知り合いが行かなければ自分も行かないという者も多いのだろう。そういう考えでいいのかとも思わないでもない龍だったが、実際そのような考えで判断する者は多いのだ。
「行くわよ」
それだけを言って、エリスは誰よりも早く部屋から出た。ざわつく部屋を出ると、何も言わずに出口へと向かって行った。擦れ違うのは城のメイドや執事だけで、他にはいない。メイドや執事の中には、龍を見て驚く者はいたが、軽く頭を下げる者が多くいた。誰に対しても頭を下げるのかはわからないが、立ち止まり頭を下げるのを見ているとそう教えられているのかもしれない。他の人達はまだ明日どうするかを話しているため、エリス達以外に部屋から出た城で働いてはいない者はいないのだ。ついてくる者もいない。
城内から出て門へと近づくと、腕を組んで背中を門に預けている1人の男がいた。龍はその男には見覚えがあった。何故ここにいるのかはわからない。しかし、彼は呼ばれていないため城内へ入ることはできなかったのだろう。だが、エリスがここにいると知っているのは門番にでも聞いたのか。そこにいたのはエリスの実兄、アレースだ。
「明日、行くのか?」
「どうかしらね」
それだけ言ってエリスは通り過ぎた。アレースは何も言わない。言わないが、龍を見て口を開いたが閉じてしまった。何かを言いたかったのだろうが、通り過ぎても言うことはなかった。いったい、何を言おうとしたのか。それをアレースに訪ねる勇気は、龍にはなかった。そして、アレースは何故明日のことを知っているのか。もしかすると、気がつかないような場所にいたのか。エリス達よりも早く部屋を出たのか。話を聞いている時に入室し、聞き終わってすぐに出たのであれば気がつかなかったかもしれない。
龍は門を通りすぎる時門番を見たが、門番は何も反応を返さなかった。また睨みつけてくるのではと思っていたが、見向きすらされなかったのだ。睨まれなかったのはいいのだが、何も反応しないというのは警戒していないということなのか。それとも、この場にいない存在としているのか。城を出て行くから気にしないのか。
他言無用。それを守るためだったのか、エリスは図書館につくまで何も話さなかった。機嫌が悪いというわけでもないので、何かを言っている者達のそばから早く離れて図書館に戻りたいと思ってのことかもしれない。
龍は人型になることもせずに図書館の裏へと回り鼻先で窓を押して開くと窓から頭を入れ、エリス達は図書館の中へと入っていった。部屋へと入り、イスに座るとエリスは小さく息を吐いて黒麒へと向かって口を開いた。
「何か温かいものが飲みたいわ」
「では、今淹れてまいりますね」
「ありがとう」
部屋から出ていく黒麒の背中へ向けて言うと、もう一度小さく息を吐いてエリスは龍を見た。何も言わず、続いて白美とユキを見たが、やはり何も言わない。いったいなんだと言うのだろうか。
暫くして黒麒が戻ってきた。手には一つのコーヒーカップを持っている。エリスの前にカップを置いた。エリスは何かをしているわけではないのだが、テーブルに置く際にぶつけて溢さないであろう場所に黒麒はカップを置いたのだ。エリスはそれをすぐに手に取ると、湯気が立つそれを飲み干した。そして、静かにカップを置くと黒麒を見た。
黒麒はエリスの言いたいことがわかったのか、目を合わせたまま頷いた。それに対してエリスも頷き返すと龍を見て口を開いた。
「龍はどうしたい?」
「どうって?」
「明日、行きたいか、行きたくないか」
正直に言ってしまうと龍は行きたくなかった。明日行って、何が起こるかわからないからだ。もしかすると、突然戦闘がはじまらないとも限らない。だが、これは1人で考えて決めることではないと思い黒麒を見た。
「私は主に従うだけです」
何を聞かれるのかわかっていた黒麒は、そう答えて微笑んだ。他にもユキと白美に聞こうとしたが、先に答えが返ってきてしまう。
「私は戦いには関わることがないから答えないわ」
「あたしに聞いたら、行きたくないとしか言わないよ」
黒麒の言葉に続いて、ユキと白美も答えた。ただのユキヒョウであるユキは戦いには出ない。たとえ、戦うことが目的ではないとしても、戦う可能性がある場所にはつれてはいけない。魔法などが使えないだけではなく、ユキは普通の動物なので、危険な場所につれて行こうという考えは元からない。それに、エリスがつれて行こうとは考えないだろう。
戦うことが嫌いな白美は、できれば戦うようなところには行きたがらない。もし戦うことになれば、嫌でも参加しなければいけないからだ。戦えないわけではない。必要であれば戦う。ただ、戦いが嫌いなだけだ。だから、行きたくないのだ。戦うことが嫌いであっても、戦い方を教えるのは好きだ。それは、生き残るための力を身につけさせることができるからだ。
聞く前に答えはわかっていたようなものだ。たとえエリスに聞いても、龍に尋ねているので答えてはくれない。答えてくれたとしても、面倒だから行かないという回答が返ってきそうだ。
明日行くのか、行かないのかを決めるのは龍だ。その答えによっては、ユキ以外の全員で行くことになる。龍は小さく息を吐いて、エリスの目を見て答えた。龍の中には、すでに答えがあったのだ。
「行くか、行かないかのどちらかなら……行く」
「どうして?」
「相手が攻め込む準備をしているとは言っていたけど、本当かわからないだろ? もしかすると裏切り者が流した嘘かもしれない。自分の目で確かめたいんだ」
「……もしかしたら、危険な目に遭うかもしれないのに?」
微笑みながら言うエリスは、もうどうするか決めているのだろう。それでも龍に問いかけているのだ。どうしたいのかを。本当にエリスが言うように、裏切り者がいるかはわからない。だが、いないとも限らないのはたしかだ。
「俺は危険な目に遭っても構わない。黒麒と白美は自分を守る術はあるだろうし、エリスのことは俺が守れなくても2人が必ず守ってくれるだろう?」
それは確信だった。だが一応2人に尋ねるように聞けば、2人は強く頷いた。2人とも当たり前だと言いたげな顔をしている。まだまともに戦うことのできない龍では、エリスを守ることはできない。もしかすると、自分自身を守ることもできないかもしれないのだ。
「まぁ、私は戦う術なんてありませんけどね」
「えー」
笑いながら言う黒麒に白美も笑っている。戦う術がないとは知っているのだろうが、笑ってしまえるだけエリスを守れることを知っているのだろう。どのようにして守るのか。もしかすると、僅かながらでも魔法を使うことができるのかもしれない。
「そう。それなら決まりね。明日は行くことにしましょう。ユキはお留守番よろしくね」
足元へやってきたユキの頭を撫でながらエリスが言うと、ユキは頷いた。いつも留守番を任されているから慣れているのだろう。留守番することにも文句を言わない。
明日はエリス達と国境付近へ行くことに決まった。尋ねなくても今のエリスの様子からわかる。エリスは元々行くつもりだったのだ。白美が行くことに反対したとしても行くのだ。それは、もしかしたら裏切り者がいるかもしれないからだ。
たとえ情報が嘘だろうと、本当だろうと、もし裏切り者がいたら何かが起こる可能性がある。できれば、裏切り者がいないことを信じたい。エリスは興味がなさそうなふりをしているが、この国のことを心配しているのだ。だから、『裏切り者』なんて言葉が出たのだろう。
「それでは、本日は食事にして早めにお休みいたしましょうか」
「さんせ! ご飯食べて……あれ? 誰かくるよ」
白美の言葉のすぐあとに扉がノックされた。足音は聞こえなかった。だから、白美が気づくのも遅かったのだろう。ユキも気がつかなかったようで、ノックの音で扉を見た。エリスが入室を促すと1人の獣よりの獣人が入ってきた。獣人は龍を見て驚いたようで一度立ち止まったが、エリスの元へと向かう。
「久しぶりね、アルト」
「ああ、久しぶり。驚いたよ、城にエリスがいたこともだけど、『黒龍』を使い魔にしてるなんて」
笑いながら「今も驚いたけど」と、言う獣人を見ながら龍は首を傾げた。あるべきものがどこにもないのだ。それは見える場所にあるべきものなのだ。何故彼には、それが無いのか。
話が弾む2人に申し訳ない気持ちになったようだが、龍は口を挟むことにした。気になってしまったら、聞くのが一番。自分で考えてもわからないのだから。
「あんたは、誰の使い魔なんだ?」
「え?」
龍の言葉に話していた2人は同時に顔を上げた。何を言っているのかわからないという顔をするエリスと、納得したように頷いている獣人。獣人は龍の言葉を聞いて、僅かに笑っている。もしかすると、よく言われることなのかもしれない。
「いや、僕は使い魔じゃない。こんな姿をしているが、これでも人間なんだ」
そう言った獣人は内ポケットから小さな赤い手帳を取り出した。それを開き、中を見せるようにして龍の顔へと近づけた。近づけすぎてぼやけて見えてしまい、何も確認ができない。見えないことに気がついたのか、獣人は少し離して見えやすいようにしてくれた。龍はそれを見て、数度瞬きをする。
「左のページの顔写真、それが僕」
左のページに貼ってある顔写真。それは人間だった。だが、右のページに貼ってある顔写真は目の前にいる獣人だった。目の前にいる、チーターであろう獣人の顔。人間の顔写真と、目の前の獣人が同一人物なのだという。
「……元は人間だったってこと?」
「そう。僕はアルト・スピーディム。郵便配達員をしているんだ」
「郵便配達員をしていて出会った誰かの使い魔になりたくて、そんな姿にしてもらったのか?」
「違う」
笑いながらきっぱりと言う獣人――アルトはエリスのそばにあった空いているイスに座った。立ったまま話すのも疲れると思ったから座ったのだろう。どうして彼は、獣人になったのか。
「これ、僕の身分証明書なんだ。国王に作ってもらった、僕が郵便配達員として働くために必要なものなんだよ」
そう言って赤い手帳――身分証明書を閉じると、それを内ポケットに仕舞う。どうやら、獣人になった経緯は話すつもりが無いようだ。身分証明書を仕舞うのを待っていたかのように、エリスは口を開いた。
「それで、何故アルトは城にいたの?」
郵便配達員が何故呼ばれたのか、エリスですらわからないからでた質問なのだろう。他言無用の内容に郵便配達員はまったく関係なかった。それなのに彼はあの場所にいたのだ。いたことに気がつきはしなかったのだが、彼の言葉からいたことがわかる。
たとえ郵便配達員であっても、戦うことができるのだろうか。戦力になるのであの場所に呼ばれたのだろうか。それとも、偶然あの場所にいたのだろうか。
「あの場所にいた人達に手紙を渡したのは僕だからね。他言無用さえ守れば話を聞いていてもいいって言われたからあそこにいたんだよ」
「参加はするのか?」
「いいえ。僕は郵便配達員ですから、参加しません。剣の腕はまったくですし、魔法も初級魔法程度しか使えませんので」
そう言ったと同時にいつの間にか部屋から出ていた黒麒が部屋に入ってきた。黒麒はアルトのほうへと近づいた。近づいてきた黒麒にアルトは頭を下げて挨拶をする。挨拶を返してテーブルにアルトに淹れてきたアイスコーヒーを置いて、エリスに新しく淹れてきたコーヒーの入ったカップを近くに置いた。空いたカップを手に取り離れていく黒麒の後ろを白美がついて行く。
何かを催促しているようで図書室から出ていく黒麒について行った。白美が部屋から出るまで扉は閉めず、出たことを確認すると黒麒は扉から手を離した。
「ところで、初級魔法ってなんだ?」
「あれ、知らないの?」
「……話してなかったわね」
今気がついたのか、一口コーヒーを飲んで小さく呟いた。初級魔法どころか、魔法に関する話は一度もされた記憶は龍にはなかったのだ。
龍がヴェルリオ王国へ召喚されて数日がたっていたが、この世界のことは何も知らないと言ってもいい程度の知識しかない。国旗には鳥が描かれていることや、この街はヴェルリオ王国の中心であるヴェルオウル。南にはスフィルノーという街があり、そこはウルル山脈に近いため寒いということ。その程度くらいだ。
「ファイア・ボルト、ライトニング・ボルト、アイス・ボルトのボルト系が初級魔法。この国に住んでいる人の多くが使える魔法なの」
中には幼少期の頃から使うことのできる人もいるらしく、その人達の多くは召喚士や魔導士の道へと進む。数少ないが、魔導剣士の道へ進む者もいるとのことだ。多くの者達は少年期の頃から魔法を使うことができるようになるのだ。少年期以前に使える者は、才能があるということなのだ。
エリスも幼少期の頃にそれらを使うことができ、召喚士となったのだ。しかし、たとえ幼少期の頃にそれらを使うことができなかったとしてもエリスの道は変わらなかっただろう。昔から召喚士になりたかったのだから。
だが、召喚士といっても召喚術はもちろんだが、初級魔法以外も使うことができる。ただエリスは、召喚術以外は得意ではないためあまり使用しない。得意ではないというだけで、全く使えないわけでもないのだ。どうしても使わなくてはいけない時は使用する。
「アルトは火炎弾は使えるんだっけ?」
「使えるけど得意ではないね。まあ、ボルト系が使えれば自分の身は守れるから充分だけどね」
アイスコーヒーを飲み干すと、イスから立ち上がりアルトは外を見た。日が沈みはじめており、外は夕焼け色になっていた。外を見るアルトは、まだ仕事が残っているのだろう。
「それじゃ、僕はそろそろお暇するよ」
「帰られるのですか?」
アルトの言葉と同時に扉が開かれる。戻ってきた黒麒が立ち上がっているアルトに尋ねると、アルトは頷いて黒麒が開いたままの扉から手を振り出て行った。もしかすると、まだ郵便配達員としての仕事が残っていたのかもしれないと手を振るアルトに龍は頭を下げながら思ったようだ。
廊下にいる白美と話し、離れていくアルトに手を振る白美の左手にはアイスクリームの入ったカップが握られていた。どうやら、アイスクリームを催促していたようだ。
「黒麒、これからご飯なのに白美にアイスクリームはいかがなものかしら」
「すみません。丁度アイスクリーム売りの方がこちらへ来たようでして、白美さんが食べたいと言うものですから」
わざわざ坂の上までアイスクリーム売りが来ることに驚いた龍だったが、ノックをされてもいないのに来たことに気がついた白美に龍は感心してしまう。耳がいいのはわかるのだが、いったいどの程度離れているものの音を聞きとれるのだろうか。
今まで黙っていたユキが、冷たい眼差しをして言うと苦笑いをしながら黒麒は謝った。年上であるユキには逆らえないようだ。
だが、黒麒の性格からして誰かに逆らうようなことはしないだろう。しかし、それは時と場合にもよるのだろう。逆らわなければいけないという時も、存在はしているのだから。それにもしも、エリスが関わっていれば尚更のことだ。「ここまで来るなんて珍しいわね」と呟くエリスに黒麒は小さく頷いた。アイスクリーム売りがここまで来ることはないのだろう。
「アイスクリームっていう甘い冷たい食べ物を専門に売っているお店があるのよ」
そう言うエリスに、龍は「そうなのか」と小さく頷いた。
「食事の準備もできましたので、食堂へ行きましょう。窓は開けておきましたので龍さんは先に行って構いませんよ」
黒麒のことだからアルトの分も食事を用意していたのだろうと思いながら、龍はエリス達より先に食堂へと向った。
黒麒が言っていた通り、頭を図書室から出すと三つ先の食堂の窓が開いていた。ゆっくりとそこへ向かい窓から顔を入れ、他のメンバーが来るのを待つ。思っていた通り、アルトの分も用意されていたが、それはきっと見た目以上に食べる白美のお腹の中へと消えるのだろうと龍は思ったようだ。
部屋に充満する料理のいい匂い。その匂いにお腹が鳴る龍だったが、全員が揃うまで大人しく待っている。複数の足音が近づき、全員が食堂に揃ったのは龍が食堂に来てから5分後のことだった。1分もかからないのに、いったい何をしていたのか。それを問いかけることはしなかった。もしかすると、本を片づけていたかもしれないからだ。
漸く全員が揃い、龍用に用意された食事が乗ったテーブルを黒麒が移動させる。龍が届く距離にまで移動すると、自分もエリス達と同じようにイスに座った。そうして、全員が同時に食事をはじめたのだった。
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ファンタジー
現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。
第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。
そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。
斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
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〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
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