彼女は噂を持ってくる

さおり(緑楊彰浩)

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キリヒト様

キリヒト様1

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「ねえ、奏ちゃんは『キリヒト様』って知ってる?」

 そう問いかけてきたのは私の後ろの席に座る親友の多々良郁たたらふみだった。彼女とはいつ友達になったのかははっきりと覚えていない。
 幼稚園に通っている時だった気もするし、小学生の時だった気もする。中学生の時に知り合った気もするけれど、他のどんな友達よりもなんでも話せる友達は彼女しかいなかった。だからいつ友達になったのかなんて気にすることはなかった。
 郁は噂話が好きで、私に怪談話を聞かせて怯える私を見て面白がっているようにも見える。

「誰、それ? また怪談?」
「そうだよ。『キリヒト様』は、綺麗になりたい人の味方なんだって」

 笑顔で言う郁の言葉通り、周りでは『キリヒト様』の話をしているクラスメイトが数人いた。その誰もが女子なのは、綺麗になりたい人の多くは女性ということだからなのだろう。
 私も綺麗になりたい1人でもある。だから、その噂話には興味があった。

「どうして綺麗になりたい人の味方なの?」
「『キリヒト様』はね、綺麗になりたいっていう願いを叶えてくれるんだよ」

 郁の話によると『キリヒト様』は人間ではないらしい。元々は人間で、美容整形師の男性だったという。腕のいい美容整形師だったのだけれど、交通事故で亡くなってしまった。
 それからは、午後10時に姿を見せるようになったらしい。
 何故その時間に姿を見せるのか。それは、交通事故で亡くなった時間だからだと郁は答えた。本当にその時間に交通事故にあったのかは分からないけれど、私は午後10時に姿を見せるのならそうなのだろうと納得した。
 亡くなってからも美容整形師として綺麗になりたいと思っている人の願いを叶えたくて出てくるのだという。

「でも、願いを叶えるってどうやって?」
「『キリヒト様』はいつもハサミを持っているの」
「ハサミ?」
「生前使っていた道具なんだって。それを使って綺麗にしてくれるみたいだよ」

 ハサミを使ってどのように綺麗にしてくれるのかは分からないけれど、『キリヒト様』は幽霊だから幽霊の力を使って綺麗にしてくれるんだよ、と言う郁に、彼女も分からないということがなんとなく分かってしまった。
 郁は綺麗になるということに興味がない。化粧もしなければ、アクセサリーも持っていないという。だから彼女は『キリヒト様』に願っていないのだろう。

「奏ちゃんは、『キリヒト様』にお願いしてみる?」
「興味はあるかな。本当に願いがかなうのなら、お願いしたい」
「それじゃあ、教えてあげるね」

 そう言って郁が教えてくれた方法はとても簡単なものだった。
 夜の10時までに自分がいる部屋の電気をすべて消して、カーテンを閉める。その時、窓の鍵も閉めなくてはいけない。そして、窓にカーテンがなければハンカチなどを使って光が入らないようにする。
 そして、10時に目を閉じて心の中でお願い事を言うのだという。願い事は複数でも構わない。どんなに短いお願い事でも1分間目を閉じていなくてはいけない。
 1分がたつと目を開いて電気をつける。

「それだけだよ」
「詳しいね」
「そう? 奏ちゃんが知らないだけだよ」

 郁の言う通り、私は周りの人達がしている噂を知らない。他の友達は私が怖いものが嫌い、苦手ということを知っているからその話をしない。もしも話す場合は私がいない場所でするか、今みたいに他の人と離れた場所で話をする。
 だから私にこんな話をするのは郁だけ。
 今回の『キリヒト様』は聞いていて怖いとは思わなかったから良かったけれど、郁が持ってくる噂は怖いものが多いから困ってしまう。
 本当は怖いとかはないのだろうか。周りでも楽しそうに『キリヒト様』の話をしているから大丈夫だろうとは思うけれど、多くの人は怖い話も楽しそうにしているからよく分からない。

「ねえ、本当は『キリヒト様』が怖い噂ってことはないよね?」
「え? 願い事を叶えてくれるのに怖いはずないじゃない」
「そう……だよね」

 笑う郁に、私も笑った。今回の噂は怖くないと自分に言い聞かせて、私は『キリヒト様』にお願い事をしてみようと思っていた。
 願い事は決まっている。
 足を細く綺麗にしてほしい。それが私の願い。太いわけではないけれど、もう少し細くてきれいな足が欲しかった。お金をかければ細く綺麗にすることもできるけれど、学生の私にはそんなお金はない。
 だから、『キリヒト様』という願い事を叶えてくれる存在は私にとってとても嬉しい存在だった。

「お願いした次の日の午後10時に、叶えに来てくれるんだって」

 人差し指を立てて言う郁に、本当に詳しいなと思った。

*****

 授業が終わると、教室の掃除を終わらせて玄関へと向かった。
 郁はすでに帰宅している。いつも誰よりも早く教室を出ている彼女は習い事でもしているのかもしれない。私に挨拶をして足早に帰宅する姿は見慣れた光景だった。
 習い事は何をしているのかを私は一度も聞いたことがない。郁が習い事について話さないのだから聞かなかった。
 玄関について上履きから外履きに履き替えて、校舎を出る。
 私の家があるのは校門を出て左側。20分ほどの距離だ。

「そう言えば、郁の家ってどこにあるんだろう?」

 一度も家に行ったこともなければ、校門を出てどっちへ向かっているのかも知らない。いつか行く機会もあるだろうと思うから家の場所を聞いたこともなかった。
 私の家は山の近く。近くに同級生は住んでいない。同級生の多くは校門を出て右側へと向かって歩いて行く。だから私はいつも1人で帰宅する。
 家までの道に、お店は何もない。道路を挟んだ右側には住宅街があるけれど、お店は住宅街のさらに先にしかない。
 そして左側は森林。それ以外には何もない。学校が建てられている場所から先には建物はあっても、私の家側には建物が建っていない。
 けれど、歩いて15分。家から5分ほどの距離の場所にだけ建物がある。30段の石階段を上がった先にある小さな神社。私が生まれる前から建っているらしいその神社には小学校低学年の頃に何度か遊びに行ったことがある。
 お参りをしている人は見たことはなかったけれど、子供が遊ぶには広くて安全な場所だった。

「『キリヒト様』にお願いするなら、上手くいくようにお願いしに行ってもいいよね?」

 見えてきた石階段に、そう呟いて私は階段を1段上った。
 その時だった。小さな声が私の耳に届いた。それは足元から聞こえ、先ほどは何もいなかったはずだと足元に視線を落とした。

「あら、猫ちゃん」

 そこにいたのは真っ黒な猫だった。その毛はとても艶が良く、飼い猫のように見えた。けれど、首輪をしていなかった。
 野良猫だとしても見覚えのない猫で、もしかすると他の猫に追われてここまで来たのかもしれないと思った。
 黒猫は私の足に体をこすりつけると、顔を上げて一声鳴いた。

「初めまして。貴方はどこから来たの?」

 しゃがんで黒猫の頭を撫でると、金色の目を閉じて手に頭をこすりつけてきた。
 人懐っこいので、もしかすると首輪をしていなくても飼い猫なのかもしれない。
 ネコから答えを貰えないと分かっていたので、ひとしきり撫でて満足すると私は立ち上がった。
 すると黒猫は階段を下りて、まるで誘導するように私の家がある方向へ歩き始めた。私を振り返りながら進む黒猫に、この先に行ってはいけないと言われているような気がしたけれど石階段を下りることはしなかった。

「ごめんね。私、この先に用事があるの」

 そう言うと私は石階段を上り始めた。クロネコがまるで私を呼び止めるように鳴いたけれど、足を止めることはしなかった。
 石階段を上りきってから振り返ると、黒猫の姿はなかった。どうやら何処かへ行ってしまったらしい。それにしても、まるでここへ来ないようにしていたのはどうしてなのだろうか。
 黒猫の行動の意味も、言葉も分からない私には分かるはずもなかった。
 私は目の前にある鳥居の左側を歩いてくぐった。神社の敷地には人の気配はない。ただ、拝殿の右側に落ち葉が集められていたので先ほどまで人がいたのかもしれない。
 拝殿の前まで行くと立ち止まり、軽くお辞儀をした。そして右ポケットから、お昼を購買で買った時のお釣りの5円玉を取り出して賽銭箱に入れた。
 ガラガラの鈴緒を揺らして本坪鈴を3回鳴らして、拝殿に深く2礼をして2回拍手をした。
 どうか『キリヒト様』へのお願い事が叶いますようにと、心の中でお願いをして、深く1礼をした。『キリヒト様』へのお願い事が上手くいくのかは分からない。それに、その願いが上手くいくようにと神社でお願いするのはおかしいのではないかと今になって思った。
 くすりと笑い声が零れてしまうけれど、ここには私しかいないのだから構わないだろう。そう思ったのに、突然私以外の声が聞こえた。

「あれ? ここにお参りに人が来ているなんて珍しい」

 その声に驚いて、私はゆっくりと右側を向いた。
 そこには箒を持った、巫女服を着た女性がいた。境内に落ちていた葉っぱを集めていたのは彼女のようだ。先ほどまで姿が見えなかったのは、拝殿の陰にいたからだろう。

「こんにちは」
「あら。こんにちは」

 私が挨拶をすると、女性は少し驚いた顔をしながらも挨拶を返し得くれた。どうして驚いたのかは私に分かるはずもなかった。
 箒を手にしたまま私に近づいてくる女性は、思ったよりも若く見える。20代前半か、10代後半。私よりは年上だろうことが分かる。

「貴方はここの管理をしている方なんですか?」
「ええ。今は私が管理をしているようなものね。それにしても、貴方は何をお願いしたのかしら?」
「気になりますか?」
「ええ。気になるわ。差支えなければお教えくださる?」

 右手を頬の当てて尋ねる女性に、嫌な気持ちはしない。この神社の管理をしている人なら、別に話しても構わないかもしれない。
 それに、ここに来ることはあまりないのだから、今話したとしても女性とはもう会う機会はないだろう。だから話したとして何かが変わるわけでもない。話してはいけない内容でもないのだから話してもいいと思った。

「実は今日『キリヒト様』にお願いをするつもりなので、願い事が叶いますようにと……」
「え? 今『キリヒト様』って言った?」
「はい。言いましたけど……何か?」
「その噂、まだあったのね」
「え?」

 女性が何かを言ったようだったけれど、その言葉は声が小さくて私には聞こえなかった。けれど、女性は神妙な顔をしている。
 私が言った『キリヒト様』に反応したようだったけれど、もしかすると何かを知っているのかもしれない。最近噂になっているのだから耳にしていてもおかしくはない。

「貴方、『キリヒト様』にお願いするつもりならやめなさい」
「どうしてですか?」

 疑問に思って尋ねたのだけれど、彼女はすぐには答えなかった。少し悩むように顎に手を当ててから私についてくるようにと声をかけると拝殿の後ろへと向かって歩いて行った。
 言われた通りに私は黙ってついて行く。
 拝殿の裏には森林が広がっている。しかし、1ヶ所だけ道ができている。道と言っても、それはけもの道のようだった。
 女性はその道へと迷わずに進んで行く。
 このままついて行くことに不安を覚えたけれど、その先に何があるのかが気になってしまえば大人しくついて行く選択肢以外はなかった。
 時々私の様子を確認するように振り返る女性は、この道に歩き慣れているようでスムーズに進んで行く。けれど私は、凸凹した道に躓いて何度も転びそうになっていた。


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