サイバーパンクの日常

いのうえもろ

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ランナーズ・ハイ

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「あれ? ない! ない! お金がなーい!」

 昼下がりの事務所、気怠い午後の雰囲気をぶっ壊すように少女の悲鳴が響き渡る。
 鮮やかなオレンジの髪を頭の後ろでお団子にまとめ、スカイブルーの作業着つなぎを着た赤い眼鏡の少女が、金庫の中を漁っている。

「なんで? どうしようここのテナント料家賃

 壁には少女の写真。
 下のネームプレートにはハル=クローリーと書かれている。

 若干十四歳ながら、この事務所の実質的な経営者となっている。
 従業員はたったの二人だが。
 ハルの脳裏に大家の四角いシルエットが浮かび上がる。

「ハルちゃん、今回滞納したら退去」

 優しい言い方だが一切の滞納を許さない大家。
 何故かテレビの被り物をしている大家。
 支払期限は今日。事務所閉鎖の危機である。




「はっはっはー!」

 昼なお薄暗い部屋に大きな笑い声が響く。
  長い腰まで伸びたオレンジの髪、露出の多い服に赤いジャケット、大きく張り出した胸にピンクや赤のライトがあたり、扇情的な雰囲気を女に与えていた。
 となりには黒髪を肩で切りそろえた清楚な雰囲気の女性。
 肩を組むようにして女の右手が女性の胸を弄んでいた。

「あのぅ、お客様ぁ、こまりますぅ……」

「良いではないか、良いではないか」

 女性は何故か力が入らず抵抗できないまま困っている。
 客の横暴を見かねたのか、いかつい黒服が女に声をかけた。

「ネルさん、当店はおさわり厳禁です」

「いいじゃねーか、どうせロボットだろ」

「違います、我々は……」

「「アンドロイド」ですぅ」

 女性と黒服の声が重なる。

「うるせーお前らなんかロボットだ」

「っ……」

「えーん」

 ここはサイバー競馬場。
 場内中央のホログラムには、小さな馬たちがゲートに並んでいる。間もなくスタートのようだ。
  一応合法だが、賄賂と献金と策略で骨抜きになった政府に力などなく、経営者のやりたい放題。
 ボロ負けした客が消息不明になるなど日常茶飯事。黒い噂も山ほどある。
 金庫のテナント料おかねを見つけたネルは寄り道などせず、まっすぐここに来ていた。
 ロボット差別用語で罵られた黒服がジャケットの裏の銃に手を伸ばす。
 額には青筋。表情も良く出来ている。
 その肩に手が置かれ、黒服が動きを止める。

「困りますね、ネル様。いくらお得意様でもルールは守っていただかないと」

  手の主はよく響く声でやんわりと忠告した。
 長身の優男、濃い紫の長髪を後ろに束ね、白いスーツに濃い赤のベストというキザな格好がよく似合っている。顔も良い。
 彼がこの競馬場の雇われ店長責任者だ。

「うっせぇリオウ。つげ」

 ネルが空になったウイスキーグラスをリオウに突きつける。
 リオウの眉が一瞬ぴくっと反応した。
 女性がすかさずウイスキーボトルを取ろうとして小さく悲鳴をあげた。
 ネルが胸を握りつぶす勢いで掴んだからだ。

 「あたしはリオウ、てめぇに言ったんだ」

 数秒の長い間。リオウがウイスキーボトルをつかむ。

「私にも立場がある。これ以上はあなたと言えど……」

「……言えど、なんだ? あ?」

 ニヤニヤと笑うネルの左手に見えない力が収束していく。
 リオウの手がぶれて霞む。

「いーい加減にしなさぁぁぁぁぁい!!!」

 スパァァァァァァァン!!

 店内に小気味の良い音が響き、高周波ハリセンがネルの頭をふっとばす!
 音を聞いた他の客が何事かとこっちを見て、ネルを見て、スッと目をそらした。

「あぁ、ハルさん助かりました」

「いつもいつも、うちの姉がすいません」

 走ってきた勢いそのままにネルをぶっ叩いたハルは、ハリセンを背中に隠しながらくるりと振り向きリオウに頭を下げた。
 リオウはいつの間にか抜いた銃をハルに見えないようそっとしまう。
 アンドロイドの女性と黒服は安堵の表情で泣きながら喜んだ。
 複雑な表情なのに素晴らしい出来だった。

「いえいえ、助かりました。お礼はいつもの口座に」

「身内のことなのにすいません」

「いえ、ネルさんを安全に止められるのは、世界でハルさんしかいませんから」

 リオウはそう笑いながら、ディスプレイに浮かぶネルの膨大な金額を横目でみる。
 今日もネルは一度も負けなかった。リオウが思いつくあらゆるイカサマを仕掛けても。
 ネルが何かをやっているのは間違いないが証拠がない。
 暴力ではどうやっても勝てない以上、リオウには手がなかった。
 そこでハルに報酬を出してネルを止めてもらっている。
 ハルとしてはイカサマは良くないことなので、報酬をもらうのは気が引ける。
 だが、そこはリオウが押し切った。金を払ってもハルに恩を売った方が得という算段だ。
 なにより、イカサマで賭場を潰されたなんてことが起きたらリオウの面子が丸つぶれになる。
 ハルにとっては大きな収入だろうが、損害に比べれば微々たる金額。
 今日もネルが来た時点でハルに連絡が行っている。

「では、失礼します。リオウさん」

 そそくさとネルの荷物をまとめながら挨拶し、ハルがネルの腕をつかむ。
 もにゅ。
 柔らかい。
 つかんだのは白いまんまるな猫のぬいぐるみ。とてもかわいい。

「しまった!」

「ふははははははは! あたしは誰にも止められないのさ! さらば!」

 薄暗い場内の天井近く、サーチライトに照らされたネルが高笑いしながら窓の外に飛び出す。
 ここは高層ビルの三五〇階。
 当然窓は開かない仕様だし、サーチライトなんてものもない。

「逃がすかぁー!」

 ハルの大声にざわめく場内。ざわざわ。
 猛スピードで店を出て行くハルを見送りながら、リオウはとてつもない疲労感を感じていた。

「あ、あのー店長? 荷物が……」

 不意に女性が指を指す。
 見ればハルに忘れられたネルの荷物が残ってた。
 誰かが荷物を届けなければいけない。
 リオウと女性が同時に黒服を見る。
 いかつい黒服が泣きながらイヤイヤと首を振っていた。かわいくない。




 ネルを追ってきたハルは今、採石場跡にいた。
 姿は見えないがネルはここにいる。
 そう、ハルの勘が言っていた。

「出てこいバカ姉貴! 私が性根を叩き直してやる!」

 エコーで響く声。
 ……反応はない。
 砕石場に静寂が響き渡る。
 カラン、と小石が崩れた音が聞こえた。
 音に反応し身構えるハル。
 次の瞬間、真っ赤に染まる地面。見上げると上空にいくつもの火球が飛んでいた。

 「うっそ、ここまでやる!? バカ姉貴ー!」

 地面に触れた火球が大爆発を起こす。

 ネルはこの世界がまだ剣と魔法のファンタジーな時代から生き続ける魔女である。
 箒なしで空も飛べるし、光を操ってライトにするのも簡単。無詠唱で火球だって何発も撃てる。

「はーはっはっは! ぶっ飛べ妹!」

「くっそぉ……、出てこい! 卑怯者ぉ!!」

「なんとでも言えばいいさね! ほれ! ほれ!」

 声も魔法で隠匿しているらしく、あちこちからネルの声が聞こえてくる。
 ハルはさらにスピードをあげ、火球を躱し走りながらネルの場所を探す。

「くっそ! 当たれ! 落ちろ!」

「よっ! はっ! とっ! ほいっ!」

「おのれ、ちょこまかとぉー!」

 採石場に雨のごとく火球が降り注ぎ、地面が溶け赤熱しはじめた。
 いつまでも逃げてるだけでは、いずれ走れる場所がなくなってしまう。

「こうなったら……」

 覚悟を決めたハルの表情が険しく歪む。

「ネルおばさん!」

「こら! あたしのことはお姉さんって呼ぶ約束でしょ! それにまだ二七万歳なんだから!!」

「そこだぁーーー!!!」

「あ、しまったぁー!」

 スパーーーーン!!

 声の隠匿魔法も忘れて叫んだネル。
 居場所がわかった瞬間、ハルは一気にマックススピードに。
 ハルは現代科学の粋を集めた超高性能軍用義体の操者。

 踏み込んだ地面が破裂し、音を置き去りにしてハルが加速する。
 空気の壁を突破する破裂音。続いて衝撃波ソニックブームが辺りを吹き飛ばす。
 ハリセンの音が響いたのは、ネルの頭が吹っ飛んた後だった。

「虚しい……」

 気絶したネルを単分子ワイヤーでぐるぐる巻きにしたハルは、とぼとぼと家路についた。
 夕日が背中に痛い。とぼとぼ。




 夕日が沈み満月が輝く夜。
 家についたハルを待っていたのは競馬場の黒服と大家だった。

「ハルさん」

「ハルちゃん」

 同時に話しかける二人。そしてどーぞどーぞと譲り合う。

「あ、家賃!」

 戦いに夢中になってすっかり忘れていたハル。
 時刻は〇時をとっくに過ぎている。 
 支払期限が過ぎたということは、事務所を退去しなければいけない。
 胸に悲しみが広がり、涙がこみ上げてくるハル。
 さすが高性能義体。良く出来ている。

「あ、大丈夫だよハルちゃん」

「そうですぜ、ハルさん」

「へ?」

 事務所の前でハルを待つていた二人。何気なく黒服が大家に話しかけた。
 大家とどうでも良い世間話をしているうちに事務所の話になり、ハルの話になり、事の顛末を聞いた黒服が報酬を大家に預けたのだった。
 大家から差額を受け取ったハルに黒服が謝罪する。

「差し出がましいかとは思ったんですが、すいません」

「ううん、ありがとう黒服さん」

 笑顔になるハル。
 つられて笑顔になる黒服。きもい。
 大家さんもにっこり笑っている。
 今回の家賃はなんとか間に合った。
 事務所閉鎖の危機は免れたのだった。

「次はないからね。ハルちゃん」

「はい……」 


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