彩色スーツケース

榛葉 涼

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真っ白の異分子ー⑤

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 栗毛の少女は読書が好きだった。

 ジャンルはあまり問わなくて、色々と読んでいた。純文学、SF、歴史、エッセイ、図鑑までも。紙を捲るのと新しいことを知るのが好きなのだという。気持ちは分からないでもなかった。

 少女の影響で私も日常的に本を読むことが習慣になりつつあった。……とは言っても、読み始めてから1週間も経っていない位ではあるけれど。

「……読み終わった」
「ど、どうだった?」
「ちょっと難しい表現とかあって、あとは……ストーリー? も理解が追いつかない時があったかな。でも、良かったとは思う。登場人物の心の動きとか」

 私が本を読み終える度に、栗毛の少女は感想を求めてきた。なので私は予め感想を用意していた。

 どこか緊張した面持ちだった栗毛の少女の表情がパーっと明るくなる。

「だ、だよね! 葛藤とか苦悩がよく現れていたよね! わ、わたしも最初読んだときにすごくそこに惹かれて!」

 両手を組み合わせ、まるでお祈りをしているかのようなポーズをとった栗毛の少女。満面の笑みの彼女を見て、人に好かれる子だろう……なんて思った。

 私は口元に笑みを浮かべて言う。

「また面白い作品を紹介して」
「う、うん!」

 仲良くなった私と栗毛の少女は、仕事が終わってから消灯時間までの1時間半を読書に費やした。本舎には「図書置き場」と呼ばれる空間があって、そこには様々なジャンルの本があった。先生に許可を取れば持ち出し可能な本がたくさんあり、栗毛の少女は普段から利用しているらしい。

 私は過去に栗毛の少女が読んだという本の中で、特にオススメできるものを自室で黙々と読んだ。その隣には栗毛の少女もいて、新たな本の開拓を続けていた。 ……それがここ3~4日の私たちの習慣(になりつつある行動)である。

「ふん……」

 鼻で息を浅く、長く吐き床に横たわった。読書後特有の虚脱感が私を襲ったが、むしろ心地よかった。

「ちょ、ちょっと眠い?」
「んーん、大丈夫だよ」
「そ、そっか」

 栗毛の少女がペラペラと紙を捲る音だけが部屋の中に響く。私はそれを聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。

 ───いいな、こういうの。

 口に出すのは照れ臭すぎたから、私は心の中で言った。そうやって心境を言語化してみると、ちゃんと自分の本心だなんて自覚出来て……それって良い時も悪い時もあると思うのだけれど、今回は良い方かな。なんて思ってみたり。

 ここ数日間はけっこう充実感があった。楽しかったり、嬉しかったり、みたいに感じることが多かった気がする。そんなの私の柄に合わない。なんて思わなくもないけれど、でも楽しいに越したことはないか。

「カ、カリュちゃん」
「ん?」

 名前が呼ばれて、私はゆっくりと眼を開ける。天井の白色の灯りが私の視界に飛び込んできた。

「あ、あのね。一つ質問なんだけど……」
「うん」

 質問? ちょっと新しいパターンで、私は上体を起こした。

「えっと、その……カリュちゃんって、“外”には興味あるのかなって」
「外……孤児院の外ってこと?」
「そ、そう! それ」

 見ると、栗毛の少女が読んでいた本のタイトルには旅行記という文字が入っていた。

「わ、わたしずっと“外の世界”にあ、憧れてて。ま、街もそうなんだけど、街の外にはもっと色んな地形が広がっててて……えっと、砂漠とか火山とか海とか。たくさんの人が生活をしてて、たくさんの考え方があって……そういうのってすごいことだなってお、思ってて」

 辿々しく語る栗毛の少女。辿々しいけど、強い思いなんだろうなと直感的に思った。

 外の世界に憧れる……やっぱりそれは孤児院の子供たちにとって、結構当たり前の感情だったりするのだろうかと思った。思い出したのは、吹き抜け廊下から街を眺めたこと。ちょうど私がそうだったように、栗毛の少女だってそうなのだ。

 私は一つ頷いた。そして口を開こうとする。

「うん、私も───」

 ………………。

 あれ。

「カ、カリュちゃん?」

 栗毛の少女が「どうしたの?」と言いたげな表情で私を覗き込んでくる。私もそう思った。 ……どうしたんだ、私は?

「外の世界を見てみたい」なんて言葉を続けるつもりでいた。しかし何故だろう? 声が出なかった。それ以上言葉を紡げないのだ。

 代わりに思い出したのは、学校の生徒たち。孤児院の子供に価値観を押しつけた彼らだ。 ……脳裏にチラついたその記憶は、チラつくだけじゃ終わらなくて、滲み広がっていった。
 
 ───怖い。

 すぐに私の中をそんな感情が支配した。外の世界が、怖い。否定されることが、怖い。異なる価値観が、怖い。ただただ怖い。 そう思ってしまうから、肯定的でなんかいられない。

「……」

 なぜだ。2回目の合唱練習ではこんな感情に囚われなかったのに、今はもう。 ……まるでおどろおどろしいいばらにでも縛られたようだった。そう思ってしまったのなら、もうダメで。

 乾ききった口が発した音は。外面を繕いに、繕いに、繕った私が発した言葉は───

「私は……そんなに興味を持てないかな」

 私ですら嘘か真か知らない、戯言ざれごとよりも酷い言葉だった。

 栗毛の少女は一呼吸を置き、答えた。その眉をひそめながら。

「……そっか」

 少女の姿はどことなく寂しげに映った。私は、彼女のことを直視できなかった。

 ───その日の深夜、私は悲鳴を上げながら目を覚ました。夢を見たのだ。

 誰かよく分からない、人物たち。きっと私なんかとは仲良くない人物たちだ。彼らから否定される夢。囲まれて、何か言葉を浴びせられたのだ。内容はどうだったろう? 覚えていない。ただひたすらに怖かった。

 汗でベトベトになってしまった身体を引き摺り、私は起き上がった。短く荒い動悸は次第にマシになっていった。

 窓の外からが欠け始めた月が見えた。満月か、半月かと訊かれると満月に近い。それを見上げ、涙を流した。

 …………私はずっと立ち止まり続けていることを今知ったのだ。何も変わらずにいたことを突きつけられたのだ。



 ─────────



 合唱練習はずっと公民館で行うかと言われれば、そういう訳ではなくて孤児院の子供達のみで行うこともあった。今日はそういう日で、私たちは本舎の中にあるピアノ室で練習をした。

 栗毛の少女は私と少し離れたところに立っていて、彼女の周りには大人しめのグループの女子が集まっていた。彼女らが談笑をしているところを、私は少し離れたところから見ていた。

 休憩時間になりトイレに行こうとしたところで、私は後ろから声をかけられた。振り返るとそこにいたのは栗毛の少女と数人の女子たちだった。

「カ、カリュちゃん……あの、相談があって」
「……相談?」
「うん。 ……その、私たち仲直りをしようと思うの」

 誰と?

 そう言いはしなかったが、後ろの女子が補足してくれた。

「この前、生徒たちと喧嘩しちゃったでしょ? 仲直りってそういうこと」
「仲直り……」

 私が反芻すると、栗毛の少女はコクコクと頷いた。

「え、えっと……ずっとこんな空気のまま練習するのも、ちょ、ちょっと大変だから……あ、あの時はお、お互いに言い過ぎた部分もあ、あると思うの…………だから、カ、カリュちゃんも一緒にどうかなって…………」

 だから、仲直りか。……確かにあの時は孤児院の子供も学校の生徒も会話がヒートアップしてしまっていた。お互いに煽るようなことを言ってしまったし、必要以上に大声を上げた。今になればもう少し冷静に話し合えるかもしれないとは思う。彼女が言っていることは正しいのだろうなとは思えた。

 ……でも。

 私の性格が悪いからだろうか? 思ってしまうのだ。 ……何故その話を“私に”持ち出したのだろうって。

 私は別に……仲直りしたいだなんて思わない。これ以上に深く関わりたいとも思えない。放っておいて欲しかった。

 栗毛の少女を見る。身長の低い彼女は私の顔を下から覗き込むように見ていた。……彼女は何を思って私にこの話を持ちかけたのだろうか? 私のこの気持ちを知っているはずなのに……それなのに。

 私は小さく首を横に振った。

「ごめん」

 自分でも驚くほどに、酷く冷めた言い方だったなんて思う。私はその場から逃げるように……いや、逃げるためにトイレへと大股で向かう。

「……気持ち悪い」

 誰にも聞かれないように小さく呟いた。

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