彩色スーツケース

榛葉 涼

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真っ白の異分子ー①

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 物心がつく以前より私は孤児院に居た。

 孤児院……育ててくれる人間がいない子供たちが集まる施設。私の場合、まだ赤ん坊だった私を両親が預けていったのだという。でも、別にそれを気にしたことはなかった。周りにいる孤児院の子供たちだってみんな同じような境遇だったのだから。無論、世間一般から見れば私たちは奇異の対象でしかない。しかしながら、当時の私にとって、私が過ごす日々は当たり前に過ぎなかった。孤児院の中こそが私の中の世界、全てだったのだから。

 だから、11歳になるまで私は外の世界というものに興味を抱けなかった。宿舎へとつながる廊下…そこから見える街の風景には漠然と目をやることしか出来なかった。ただ朝に起き、ご飯を食べ、掃除をし、授業を受け、与えられた仕事をこなす日々……それを何の疑問もなく享受し続けていた。

 しかし、そんな私が孤児院の外へと興味を向けるようになる出来事があった。その頃から周りの子供たちもそわそわとしていたような気がする。きっかけはある日の文学の授業だった。

「では、このページから書かれている作品を読み、その感想を共有しましょう」

 先生がそう言うと、私たちは机上の本に目を走らせた。文学の授業では著名な作品を読み、感じたことと思ったことをみんなに発表した。いつものようにパラパラとページを捲る中で、しかしながら、私の中で疑問符が積もっていった。

 本の具体的な内容は覚えていない。タイトルも、著者も。ただその題材だけは色濃く記憶にこびり付いている。それは『家族』。家族愛について書かれたものだった。本を読み終え、机の上に置いたところで先生が言った。

「では、何が印象に残ったのかを共有しましょう。誰か発言する人はいますか?」

 彼女の声ははっきりと耳に届いたはずなのに、その日はなかなか手が挙がらなかった。内気な私は普段から手を挙げないが、その日はいつもと異なる理由で。周りの子供たちもきっと同じだった。

「……何でもいいですよ。発言をしてみてください」

 無機質な声で先生が言う。その先生は常時そういう声色だったが、その時だけは心なしか普段より高圧的だったかのように思えた。まもなくして、一人の女子が手を挙げた。いつもは聡い女の子だった。

「作中に出てきたアップルパイが美味しそうでした」

 ……それは紛れもなく、沈黙に耐え兼ねた一言だった。

 私はその日1日を『家族』について考えた。突然に突きつけられた『家族』。当たり前かのように書かれていたその存在に、困惑せざるを得なかった。共感というか、没入というか……そんなことが微塵もできなかった自分に、何よりも驚いたのだ。知りたい……私は素直にそう思った。 

 でも出来なかった。それを知るには孤児院という環境はあまりにも都合が悪かったから。代わりに積もっていったのが、外を知りたいという欲。街の人たちはそのような家族を当たり前のように知っていて、当たり前のように生活しているのだろうか? ……彼らは、私たちと何かが違うのではないだろうか? そう思うと気になって仕方がなくなった。

 かと言って、その「知りたい」ですら叶えるには難しい環境なのが実際のところだった。原則的に私たちは外に出ることが禁止されていた。しかし、それを“監禁”と言い換えてしまうと悪意があるだろう。別に、一歩たりとも孤児院の外に足跡をつけたことが無いわけではない。年に一度、街で行われる式典の時には、私たちも参加した。領主が行う演説を聴くのだ。正直苦痛が大きな時間だったが……。

 よって、私に出来た精一杯のことは遠くの方に見える街へ目を向けることだけだった。宿舎へと向かう吹き抜けの廊下からは視界が開けているおかげで、少し遠くにある街の様子が明瞭に見えた。晴れており、空気が乾いている日には特に。何となく……ではなく、ちゃんと見ようとしたことは案外初めてかもしれない。

 大小様々な大きさの建物が並ぶあの街の中には、たくさんの人たちが生活をしているのだ。孤児院とは数えきれないほどの人数がいる。きっと彼らは私たちとは異なる生活様式を持っている。私たちとは異なる“普通”の。……?

 そこまで考えた時、モヤモヤとした気持ちが私のなかを渦巻いた。こんな感情は初めてだったから戸惑ったことをよく覚えている。胸の中にふつふつと湧いたソレは、それ以上の私の思考を阻害した。……漠然とした不快感が押し寄せてきたのだ。当時の私にはそれが何だか分からなかった。

 街の方へ興味を向け始めたのは私だけではなかった。他の孤児院の子供たちも同じように、会話の中で街のことを話題に出すのが増えていた。……少しずつ変わり始めていたのだ。私たちは。そんな彼らを横目に見ながら私はそう思った。

 とは言っても、子供の力だけで外に出ることは現実的ではない。出ようと思えばきっと出られてしまう。でも、そんな勇気とかそういうものは私に無かった。結局のところ、もどかしさに悶える今に落ち着く他なかった。……何とか、ならないものだろうか。

 しかし、私の些細な苦悩は思いがけず解消されることとなる。

 その日も私はいつも通りの一日を過ごしていた。朝に起き、ご飯を食べ、掃除をし、授業を受け、与えられた仕事をこなす……最後の服を縫いきったところで、終業の鐘が鳴った。

「皆さん、今日は話があります」

 手を叩き、私たちを呼ぶ先生。 ……先生とは、孤児院に居る私たちの「管理者」の人々だ。私たちは彼らのことを“先生”と呼んでいた。勉学だけではなく、食事の作法や宿舎の中の規則、掃除の出来の確認に至るまで、先生は「先生」をしていた。特に、痩せぎすで鼻が高い先生のことは今となってもよく覚えている。中年の彼女のことを私たちは“ヘレン先生”と呼んでいた。

 ゴホン、とわざとらしく咳払いをしたヘレン先生。次に続いた言葉に私は耳を疑った。

「来月に建国を祝した盛大なセレモニーが行われます。プログラムの一環として、あなた達は学院に通う生徒達と一緒に合唱を行ってもらいます。数日後からは街にある公民館で練習が始まるので、そのつもりで」

「以上」と締めくくったヘレン先生は、私たちを残して退出した。

「……街で、合唱練習」

 一人の男子がそう呟いた。その声に呼応するように、他の皆も話し出した。女子の一人が、その場にいた女の子を全て集めた。輪になった彼女たちは、何を聞いてみたいか、当日の身嗜みはどうするか、髪型は? 化粧道具を貸してもらえるか聞いてみないか? などと話を膨らませた。私はその様子をほんの少し離れたところから聞いていた。

「カリュちゃんはどうする?」

 一人の女子がそうやって私に聞いた。しどろもどろになるのを必死に抑えて、

「……皆が言ってることしようかな」

 と答えた。

 それからの数日間……“こうみんかん”での練習が始まるまで、私たちは孤児院の子供だけで合唱を行った。先生の伴奏と共に声を出す。当時の男子はやんちゃな子が多かったが、この時ばかりは大人しく練習をしていたことを覚えている。彼らの真意は不明だったが、もし私と同じ気持ちなのであれば、そんな彼らの立ち居振る舞いも頷けた。

 一日、また一日と経過をする度に私の中で期待が膨らんでいった。就寝時間になってもなかなか寝付けなくなったりだとか、吹き抜け廊下の真ん中でいつもより立ち止まってみたりだとか、日常の一片に些細な変化が訪れた。先生に欠伸を指摘されたのもこの時が初めてだったと思う。

「何が聞きたいか…か」

 あの時は適当に同調してみたものだが、確かに具体的な案は出しておいた方がいいかもしれない。真っ暗な天井を見上げながら、私は思考を走らせた。美味しい食べ物とか、綺麗な場所とか、流行ってる本とか……ありきたりなものがいくつか浮かんだ。でも、本当に聞きたいことかと言われれば、私には自信が無かった。他に何か…………ないものか。

「……家族?」

 それは街に興味を向けるきっかけとなった概念だ。街に住む人々は「家族」をどう捉えているのだろうか? ……うん、これだろうか? 機会があれば……いや、勇気を出して聞いてみよう。シーツを強く握りしめながら私はそう決意した。

 異様に長い一日が終わり、翌日が今日になる。それを5回繰り返し、ついにその日はやってきた。

 朝食後、集められた私たちに先生が1つずつ手渡しで何かを寄越した。先生に促され、包みを開けると中から出てきたのは小綺麗な服だった。チェックが印象的なブレザーとスカート。更に女子にはベレー帽のおまけ付きだ。当然のように場は一気に湧き上がった。主に女子が。年柄もなく、その場で飛び上がるものさえ出る始末だ。私はこういう時大抵冷めた目で見るタイプだったが、この時ばかりはギュッと胸に抱き精一杯に歯を噛んだ。本の中でしか見ないモノが…可愛らしい服を着られることがあまりにも嬉しかった。

「ゲェ、これネクタイってやつかよ…」
「締め方分かる?」
「堅苦しいよなぁ、別に今のままでいいじゃん」

 ……男子の方とはかなり温度差があったけれど。当然あちらには冷たい目をくれてやった。

 一通り盛り上がったあと、私たちは先生から貰った服に袖を通した。自室の姿見に写った自分を見て、私は思わず口元を両手で覆った。

「……可愛い」

 ……服が。服がね? 服が可愛い。……そう思い込もうとしても、でもやっぱり自身の顔もいつもの倍くらいは整って見えてしまった。ベレー帽がいい働きをしているのかもしれない。枝毛が多い髪を隠してくれるのだから。「容姿を良くすれば自信が持てるようになる」なんて言葉をどこがで聞いたものだが、存外に眉唾でもないとこの時の私は強く感じた。

 舞い上がる女子とどこか透かし顔の男子。アンバランスな私達はヘレン先生に連れられて孤児院を出た。孤児院はちょっとした丘の上にある。15分程度丘を下ると、大きな建物群が私達を出迎えた……街である。約一年振りの街の景色に私は首を回した。向こうの方に中年の男性が見えた。私たちが横を通ると彼は簡単に会釈をしてみせた。私も辿々しくだが頭を下げた。

 一歩一歩足を進めるごとに、服で舞い上がっていた気持ちは徐々に落ち着いていった。……落ち着くというより、上書きされたという方が正しいかもしれない……今から、念願の『街の人』と交流をするのだと。初めての出来事だ。それが近づいてきていると思うと、どうしても身体が強ばった。期待と不安で胸の中がいっぱいいっぱいだ。

「き、緊張するね……」

 横を見ると、孤児院仲間の女の子が居た。どうしても一人だと耐えられなくて、私に話しかけたのだろうか? 上擦った声がその緊張を物語っていた。

「……うん、そうだね」

 自分よりも緊張した子を見ると、意外と冷静になることが出来た。いい傾向だ。この子には申し訳ないけれど。

 やがて「公民館」と呼ばれる建物に着いた。生活や文化に関する事業を行う教育機関だということは、昨日辞書を引いて知った。……引いてもよく分からなかったものだが。

 そこは他の建物と比べて一回り大きかった。外見上の装飾はパッとしないが、孤児院よりはしっかり整備されている印象を受ける。私たちは縦一列になりながら、公民館の中に入った。すぐに人が出てきて私たちは大きな扉の中に通された。清潔な印象を受ける白を基調とした部屋だ。見慣れない景色が続くため、なかなかに落ち着かない。

「ではここで大人しく待っていてください。先生は大人の方々と話があるので……」

 私たちが「はい」と返事をすると先生は縦に一度頷き、部屋を出ていってしまった。……部屋の中は一瞬間だけ静寂に包まれた。

「……どんなやつだろーな」
「お前ビビってるのかよ」
「んなんじゃねーよ!」

 やはりここでも静寂を破ったのは男子だった。普段なら耳障りでしかないものだが、この場ではある種のありがたみを感じた。私達は……正確にいうと女子達は街に住む人々とはどんな感じなのだろうかと話し合った。そして何を聞きたいのかも。前回の続きみたいなものだった。その時の私はどうだったろう? 珍しく輪の中で笑っていた気がする。それくらいには期待に胸を膨らませていたのだ。

 ……だから。

 そうやって楽しい時間を過ごしていたものだから、私は……カリュはそれからのことを苦痛に染まったものと記憶しているのだ。息苦しさに喘ぐ、毒を呑んだかのような記憶。
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