彩色スーツケース

榛葉 涼

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星空の魔法ー②

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 「適当に座っておいてもらっていいから! ちょっと待っててねー」

 そう言うとソルエは機嫌良く鼻唄を歌いながら部屋の奥へと消えていった。取り残された私は、喉の奥に詰まっていた息をいっぺんに吐き出した。

 部屋の真ん中に置かれた丸テーブル。それと組になっている椅子に腰掛ける私は、突っ伏すことも出来ずにただ時間が過ぎるのを待つばかりだった。カチカチカチ…と鳴る柱時計の秒針音だけが妙に耳につく。

「ついて来ちゃった……」

 呟く私の声は尻すぼみに消えていった。何ともまぁ、簡単に招かれてしまったもので。

『そのスーツケースについて詳しく聞かせてくれないかな?』

 私がスーツケースに魔法がかかっていることを認めた後、ソルエはそう頼みこんできた。……それはもう、物凄い勢いで。

「ごめんなさい」と断る私に対してソルエは「そこを何とか!」と拝み倒した。それでも私が認めないでいると、なんと彼女は地面に頭を擦りつけたのだ。そして彼女は大声で叫び始める。

『ほんとマジでお願いします! 一生のお願いです身体でもなんでも売るんで……いやちょっとそれは出来ないけども気持ちはそんくらい強いと言うか何というかそんな感じなのでその辺りを汲み取ってくれないでしょうか!!!』

 ……えぇ、負けましたとも。誰に? ソルエにではありません。周りからの視線に。

「羞恥心ないのかな……あの人。あぁ、思い返したら……」

 たぶん、私の顔は今真っ赤に染まっているだろう。あの時の恥ずかしさといったら形容できやしない。……まさか、私を動揺させる為の作戦? ……いやないないない。流石に。

「素がああいう人なんだろうなぁ、きっと」

 私がまんまとソルエの家に来てしまったのは、言葉に気圧されてしまっただけではない。一連のやりとりを通じて彼女がそんなに悪い人だとは思えなかったのだ……まぁ、あれを見ると……うん。無論、完全に信頼しきったわけではないけれど。

「それに……」
「やーお待たせお待たせー。紅茶とクッキーお食べなー」

(紅茶だけに)茶化した口調のソルエ。その手にはお盆が握られている。

「あ、りがとうございます」
「市販のものだから味は保証されているよ、はは。美味しいんだよねーここのクッキー」

 そう言うと、ソルエはクッキーを3枚摘みいっぺんに口の中に放り込んだ。そして紅茶を一気に飲み干してしまう。……忙しない人だなぁ、なんて思う。私も倣ってクッキーを食べた。……あ、これ美味しい。

「……さて。そろそろ話をしよっか」

 ポリポリとクッキーを食べ始めてから数分程度した後、ソルエは自身の胸をポンと叩き、その場に立ち上がった。

「改めて自己紹介をしよっか。あたしはソルエ。最近この街に越して来て趣味で魔法の研究をしているんだ。よろしくねー」

 腕を素早くクロスさせるソルエ。……なんだ、それは。 決めポーズのつもりなのだろうか。

 そんなことより、私の中で引っかかる言葉があった。

「趣味なんですか? 魔法の研究って」
「ん? うん。だって魔法でご飯は食べられないもの。翻訳の仕事してるんだあたし」

 ソルエが指差したのは大きな本棚。そこそこの量の本が収められている。

「全然関係ない、お気にの小説とかも紛れているんだけどね。大体はあたしが訳したものだよ」
「へぇ……あ、私も翻訳はちょっとだけ噛んだことありますよ」
「あ、そうなの!? 知的だねー」

 したり顔で言うソルエはいかにも馬鹿っぽいけれど。という言葉はもちろん心の中に留めておく。

「ま、翻訳の話はいいや。そっち広げても面白そうだけどねー……あたしがしたいのはさ、魔法の話」
「そうですよね……」

 弛緩しかけていた調子を正す。掌てのひらに爪を軽く立てると少し身体が強張った。

「あたしは今20歳なんだけどね? 15の時から魔法の研究をしているんだ。研究の内容は、過去の文献の調査と後は魔法の実験。この小屋には地下室があってね、そこで色々とやってるんだよね」
「文献については分かります。実験って……」
「民族史とか歴史書みたいな文献の中には、魔法を実際に使用した記録が残されているんだよね。大抵はやり方まで記載されてないんだけど、たまーにあるんだよ。書かれてるの。あたしはそれを再現しようとしているんだ」
「何か……理由があるんですか? その、再現しようとする」
「理由、ね」

小さく呟いたソルエ。その表情は彼女に似つかわしくなく寂しげだった。

「ごめんなさい。あの、無理にお話ししてほしい訳じゃ……」
「ううん、ノープロブレム。……再現できる魔法は全部再現したいんだけどね。特に一つあってね……その名も『星空の魔法』」
「星空、ですか」

文面だけ聞いて、私は夜空に浮かぶ星々を想像した。

「うん。……すっごい綺麗なんだ、その魔法」
「……え?」

 綺麗なんだよ、って……

「実際に見たことがあるんですか?」
「うん。見たことあるよ。そしてあたしが魔法を研究し始めたきっかけでもある」
「きっかけ……?」
「……ちょっとだけ重い話になるけど、いい?」

薄く微笑むソルエ。その瞳には柔和な印象を抱いたが、私ではなくもっと遠いところを見ているように感じた。



 ─────────



 カチカチカチ……と柱時計の秒針音だけが部屋中に響き渡る。どこか不気味とも思える静寂の中、ソルエが口を開いた。

「あたしね、小さい頃に父と母を亡くしたんだ……流行病のせいでね」

 ティーカップをかき混ぜるソルエ。スプーンがカップにあたりカンカンと金属音がする。

「あたし一人っ子でさ、両親死んじゃったら家族が居なくなっちゃったんだよね。親戚が引き取ってくれたから生活には困らなかったけど……でも、寂しさ? なんて全然埋まらなかったんだよねーはは」
「……」
「でさ。まぁ、心を閉ざしたわけ。何やっても楽しくなんかなくてさ……なんかずっと、心にぽっかり穴が空いたみたいだったんだ」
「ソルエさん……」
「でもね、結構救われる出来事があった」

ピンと人差し指を立ててソルエが言った。

「ある日、あたしの前に誰かが現れたの。……10年も前の記憶だから名前も顔も、性別すら覚えてないんだけどね。でも、言われた言葉だけはちゃんと覚えてる。その人は自分のことを『魔法使い』って名乗ったんだ」
「魔法……使い」
「初めはこの人やばいじゃんって幼いながらに思ったんだけどね……あたしと色々話をしてくれたんだ。別に両親のことだけじゃないよ? 好きな小説とか、食べ物とかそういうのね。不思議と喋りやすい人だったなー」
「カウンセラー? みたいな人なんですか?」
「んーどうだろ? 思い返したらそうだったのかな……あーーそうだったかも」

顎に手を当て考える素振りを見せるソルエ。私は左右に手を振り、彼女の注目を集めた。

「えっと……すみません、話の腰を折ってしまって」
「ん? あぁ、うん。続きだね……しばらくそうやって雑談をしたあとにその人はこう言ったの。『落ち込んでいる君に、一つ魔法を見せてあげよう』って」

ガタン、と音を鳴らす椅子。見ると目の前のソルエがその場に立ち上がった。

「落ち込んでいる君に、一つ魔法を見せてあげよう」

妙に作り込んだ声を出すソルエ。私は一瞬首を傾げたが、

(……あ、再現か)

とすぐに察した。それから彼女が始めたのは不思議な動作だった。それは奇行の類とは似て非なる、儀式めいた動きだった。

右手を自身の顎元へと添えるソルエ。ゆっくりと目を閉じた彼女は何かを唱え始める。それは口語とも文語とも異なる、妙に堅苦しい言い回しだ。

「カノコユリ 彩りの夜光 魅せ給え」

………………特に変化はない。ソルエの言葉は無慈悲にも静寂の中に消えていった。しかし、彼女は気にする素振りを見せない。

「ってな感じでね、その人唱えたら辺り一面に星空が浮かんだ。……あたしはそれに救われたんだよ。満たされた、っていうのかな? そして、追いかけるようになった」
「追いかける?」
「再現ってこと。要はさ」

ソルエは自身の頬にピッと人差し指を添えた。

「あたしはさ、魔法使いになりたいんだ……あたしに魔法を見せてくれたあの人みたいな。そしたら昔のあたしみたいな心ぽっかりちゃんを救えるかもじゃん? 綺麗事みたいだけどさ、でもあたしの本心だよ」

 ニッと笑うソルエ。やはり彼女には快活な笑みが似合うと思った。

「でも魔法ってそもそも存在しているって認識が無いわけじゃん? 文献とかもぜんっぜんなくてね……苦労したんだよ? 探すの」
「見つかったんですか?」
「生活の場で使われていた記録がいくつかあったんだ。さっきあたしが唱えた『詠唱』も当時用いられていたんだ」

『カノコユリ 彩りの夜空 魅せ給え』

先ほどソルエが呟いた言葉、もとい詠唱。これが『星空の魔法』の詠唱に当たるのだろうか? ……詠唱。物語に出てくる魔法には常々登場した言葉の羅列だ。

「詠唱……必要なんですね。魔法を使うのに」
「うん…………ん?」

私の言葉に一度は頷いたものの、ソルエはすぐに首を傾げた。

「あーえっと……カリュちゃんは魔法が使えるんじゃ」
「わ、たしが?」
「だって、そのスーツケースには、魔法がかかってるんだよね?」

 ソルエはスーツケースを指差した。次に私を。そこで私はようやく気づいたのだ。私がどう見られていたかを。盲点というか、鈍感というか……とにかく私は視野が狭かったのだ。

下唇を噛み、私はおそるおそる口を開く。

「私、謝らないといけないことがあって……その、このスーツケースは魔法がかかっているんですけど、私の魔法じゃないんです」
「カリュちゃんの魔法じゃない……えっと、魔法はかかってるんだよね?」
「はい。えっと、それは確かで、ただ別の人の魔法なんです」
「そのスーツケースは……貰い物ってこと?」
「……そう、なのですかね? ごめんなさい、誰がくれたのかは知らなくて」
「ふーん。カリュちゃんは魔法使えるの?」

 私はぎこちなく首を横に振った。

「……ごめんなさい。その、ずっと黙ってて」

 スカートを握り締めて私は俯いた。嘘をついたつもりはないが、結果として私はソルエを騙していたのだ。彼女は……どうだろう。 怒るだろうか? だって、彼女が私を招き入れた理由は私が魔法を使えると思ったからで。だったらきっとソルエは幻滅して…………

「……カリュちゃん、顔を上げて」

 ソルエの声。声色からは……どういう感情なのか分からない。 ……私は意を決して顔を上げにゅあ!?

「むにーーーーー」
「にゃ……にゃに!?」

 左右から引っ張られた私のほっぺた。犯人は……ソルエだ。突然のことすぎて私は何も抵抗ができない。

「あはは! やーらかいなー。発酵させたパン生地みたい! ほれほれ、むにーーーーー」
「にゃ……にゃんでこんやこと」
「カリュちゃん猫みたいになってるよ? にゃんだってさー。んー? 可愛いなぁ」
「いい加減にしてください」
「あ、ごめん」

 パッと離されたほっぺたがジンジンする。絶対赤くなってる。これ。

「やぁ、ほんとごめんね? 代わりにあたしの頬もつねっていいよ」
「別にいいです。 ……その、怒らないんですか? 私が魔法使えないこと」
「ん? なんで?」
「だってソルエさんは、私が魔法を使えると思って呼んだんじゃ……」
「んーんそれは違うよ」

 即答するソルエに私は目を丸くした。

「魔法を使えるって思っていたのはほんとだけどね。でも、カリュちゃんが魔法好きって知った時点で、もっと話してみたいと思ってた」
「たったそれだけで、ですか?」
「ん? んー何と言えばいいかな。好きなものを好きなだけ話せる間柄って、案外いないものじゃない? だからそれだけで嬉しいんだよね、あたしは」
「好きなものを好きなだけ……」
「ま、いいじゃん。それは」

 その場で大きく背伸びをするソルエ。彼女の口から艶やかな声が漏れた。

「あとこれはフォローのつもりで言ってる訳じゃないけどさ? カリュちゃんは魔法がかかっているスーツケースと行動を一緒にしているんだから、何かと参考になりそうだしね……あ、そうだ」

 そう言ったソルエが椅子から勢いよく立ち、そそくさと歩き出したと思うと何もない床にしゃがんだ。

「よいしょっと」

 しかし、ソルエのそんな掛け声と共に床が開いた。


「ここ、地下室」
「ソルエさんが魔法の実験をしているところ……ですよね?」
「うん。そこに文献とかもろもろ仕舞ってる。カリュちゃんもさ、ちょっと来て欲しい」
「でも……」
「あ、遠慮するようなら頬っぺたつねるからね」
「……」

 ふっふっふと不適に笑うソルエ。私は一つ溜め息を漏らした。

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