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10.彼
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前期試験が始まっていた。俺はすでにいくつかの試験を逃していた。授業の出席だけはきっちりしていたから、試験さえ受ければ単位を落とすことはないし、どのみち卒業には影響ない。俺は追試の手続きと、卒論のことで担当教授に質問するために久々に学校に出た。
事務手続きを一通り終えると、昼過ぎだった。事務室を出て、学食の前を通り抜けた。知り合いを探す気はなかった。遇えば、顔の怪我のことを説明しなきゃならなくなるだろうから。誰かに遇う前に家に帰ろう。
「昌樹!」
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえた。ちょっと懐かしくもある、聞き覚えのある声だった。振り返ると、彼が走り寄ってきた。
「入院してたんだって?大丈夫?」
そう言いながら俺を見て『ぅわ…痛そう…』と呟いた。
「…入院?」
聞き返すと彼は察したらしく、目を丸くしたまま、ぱっと笑顔を作った。
「けっこう前?メッセージ入れといたんだけど『既読』つかないから。電話したら、お家の人が出て…それで、クリーム、大丈夫だった?」
そう言えば、このところ端末をちゃんと見ていなかった。誰もが忙しい時期だとはいえ、半月近く学校の誰とも連絡をとらなくても、まったく気に掛からない自分の社交性のなさに、我ながら呆れた。
ここ数ヶ月、学校で誰かと話したことがあったっけ?誰とも口をきいていなくても気にならなかった。部屋に帰れば水音がいたし、水音はよく喋る奴だったから、それだけで充分だった。そんな状態でも俺は寂しさすら感じてなかったんだ。
「ぁあ、猫のこと、言ってくれたんだ。ありがとう。元気だよ、おかげさまで。すごく助かった」
「大きくなった?」
「うん、多分、知ってる時の3倍くらいになってるよ」
「そうなんだ。まだけっこう暴れる?」
「んー…そうでもない。最近はいい子だよ?」
彼をあらためて見た。背が俺より少し低くて、確か水音もこれくらいだった。どことなく水音に似ている気がする。細身で、小さく纏まった顔の輪郭、ぱっちりとした大きな目。どこか甘い感じのする、子犬のような可愛い顔つき。
だけど正反対にも見える。水音は綺麗な黒い髪に黒い瞳。それと比べると、彼は瞳も髪の色も明るかった。
そうか、俺はこういう顔つきが好みなのかと、ぼんやりと思った。いや、そもそも俺に”好み”なんてものがあるのかどうか。大体、彼との事は成り行きだった。水音の時もそうだ。
「それで用って?」
「え?」
彼が驚いたように目を上げた。
「あ、ゴメン。端末、家に置いてきたの。全然見てなかったから。電話くれたってさっき…」
「 ああ!ちょっと聞きたいことがあって。公務員、受けるんでしょ?いろいろ教えてもらおうと思ったんだけど」
彼は態とらしく、にこっと微笑んだ。ただ整ってるだけじゃない、愛嬌のある誰からも好かれる笑顔だ。そういえば、彼の新しい恋人って奴を、結局俺は知らないままだった。
「それでね、今度、部屋行っていい?」
彼はそう言って、俺の手に軽く触れた。互いの手の甲を合わせるように。まるで思いがけずぶつかったみたいに。付き合ってた頃は、人目のある所だと、彼はよくこんな触れ方をしたっけ。その度に俺達は目配せし、笑いあった。こっそり同じ悪巧みをする仲間のように。そんな触れ方だった。でも今日のはちょっとわざとらしい。
自信に満ちた笑み。
俺が笑い返すのを待っている。なんとなく、彼の顔を見た瞬間から予感はしていた。
告白は彼からだった。高校に入学してからずっと同じクラスで部活も同じ。友達だった。たまたま家も近くて、そのせいか、いつも一緒だった。それまで俺は恋愛にはとことん疎かったから、ゲイだとかヘテロだとか、自覚できるほどの経験もアイデンティティも持っていなかった。男子校だったから、大っぴらではないにしても、漠然と、そんなこともあるだろう、くらいの軽い気持ちで付き合い始めた。
いつも彼が主導で、彼の言い成りなことの方が多かったけれど、彼から受ける愛は、あの時の俺には心地よかった。一緒にいた時は好きだった。だけど、こいつは誰からも好かれるだろうに、なんで男なんか、しかも俺みたいな男がいいんだろうとも思っていた。顔が好きだとはよく言われたけれど、それだって誰が見ても特別に良いってわけじゃない。
以前も、そして今も、お世辞にも俺は彼のように人間的な魅力に溢れる人物じゃない。クラスでも、ゼミでも部活でも、疎外もされなければ注目されるでもない、地味な存在。高校時代も大学でも、他の友達とは当たり障りのない、浅い付き合いしかしてこなかった。だから一年前までの彼は俺の世界の中心で、俺は彼のいない生活を殆ど知らなかったんだ。そして、それを彼は知っている。
新しい彼氏はどうしたんだろう?そういえば、もう内定決まったのかな?でなきゃ、今、俺に構ってる余裕なんてない筈だよな。
なんとなく急に、彼の家の事情があったとはいえ、結果的には同棲しなくて良かった、と思った。
「やめといた方がいいと思うよ。散らかってるし」
彼が少し驚いた顔をした。俺の返答が予想外だとでも言うようだった。
「昌樹?どうしたの?大丈夫?」
心配そうに訊いてくる彼の言葉にも、まったく靡かない錘のような心を自覚した。胸の奥で沈んでいる。彼への気持ちも、もうとっくに沈んでしまったみたいだ。なんていうか、ジャマだった。
『そうか。もう俺は、彼に優しくされても少しも心地良くないんだ』
我ながら自分の心の変化が意外だった。その事実がなぜだか可笑しくて、笑ってしまった。冗談じゃない。俺は今、それどころじゃないんだ。
「うん、大丈夫」
彼が差し出した手を避け、数歩後退りながら、俺は最後の台詞を飲み込んだ。
『それに、もう誰とも付き合う気、ないし』
俺は笑っていた。
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