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31.生理的嫌悪実験
しおりを挟む俺は先輩の綺麗な寝顔を前にジリジリと距離を詰めていった。
俺のベッドは三週間前に解体した。以来、床に敷いた布団で寝ている。当然だが布団は二組だ。
それまでは敷きっぱなしに出来るという理由でベッドにしていたが、先輩が部屋に来るようになって毎回ベッドメイクするようになり、もうこんなことなら普通に布団を敷く手間と大して変わらないということに気付いた。
この方が部屋を広く使えるし、夜だって布団に入ってから寝付くまでの間、ダラダラとくだらない話だってできる。先輩は申し訳無さそうにしていたが、俺はちょっとした合宿気分だった。
そんな状態の俺のここ最近の朝は、実験で始まる。
『生理的嫌悪実験』だ。
二週間ほど前のことだった。
たまたま予定よりも早い時間に目が覚めた。目を開けた先に先輩の顔があった。まだ眠っている先輩の顔は、目を瞑ったマネキンの様に綺麗で全く寝乱れた感じがなかった。俺は不思議に思いながら、先輩の顔をしばらくぼんやりと眺めていた。
俺は寝ぼけた頭で考えた。
ヘテロとゲイの境目はどこだろうと。
俺は少なくとも二年前まではヘテロだった。普通に彼女がいて、元彼女とはカレカノとして当然のそれなりのこともしていた。男と付き合うなんてことを考えたことは1ミクロンだってなかったし、男とイチャつく皓季を目にした時なんかは、実際ゾッとした。
だが、これは差別ではない。
生理的嫌悪だと俺は思っている。生物的に近寄るべきではないと俺の体が判断したものに対して、倫理や道徳が必要だろうか?答えはノーだ。ゲイがゲイ同士で仲良くやるのは別に構わない、好きにすればいい。だが俺は関係ない。ただそれだけのこと。偶にゲイでなくても男同士でのスキンシップが多い奴もいるが、俺はそういうのとは違う。フザケてでも男と顔を寄せ合ったり、ケツを叩いたりなんて真っ平だし、どちらかというと潔癖な方だと思う。だけど、それは俺の理性や倫理観とは別のものなのだ。
そんな俺が今は先輩と付き合ってる。だけど俺は多分ゲイになったわけじゃない。男を性的対象にしているかといえば、全く違うからだ。単純に先輩が相手だから成立している関係であって、男をどうこうしたいと考えているわけじゃない。男が相手じゃ発情しないのはわかってる。
だけど嫌悪感はどうだ?
例えば男の体を触ることや、男に顔を近付けることに俺は一体どこまで耐えられるだろう?多分、今、目の前三十センチの距離に皓季の顔があったなら、俺は飛び退いているだろう。それが専務だったり、清二の顔だったら?勿論それが異性だったとしても、好きな相手と嫌いな相手では反応が全然違うだろうことはわかる。母や姉ならどうだ?やっぱりキモいかも。
元彼女だったら、今なら飛び退くだけでは足りずに三キロ先まで全力ダッシュで逃亡だ。
じゃあ、先輩ならどうだろう?
どれくらいまでの距離なら大丈夫だろう?
どれくらいの距離まで近づけば、俺の体は警鐘を鳴らすのか?
今、先輩までの距離は、とりあえずは1メートル?否、80センチくらいだ。
80センチ。起き抜けに目の前に顔があってもビビらない距離。
60センチ。全然平気。っていうか、普段仕事ではこのくらいの距離でいることが多いと気付く。
50センチ。段々近付いてきた。ちょっと緊張してきた。
30センチ。いきなり目の前にあったら『うわっ近いっ!!』って感じだ。
20センチ。社長と話す時は大体この距離だな。社長は喋りながら距離を詰めて来るから、壁に追い詰められたりすると、これくらいを保つのが精一杯だ。社長は大概なオッサンだが、社長なら20センチでも平気なのか。慣れって怖いな。。
こうして先輩が泊まりに来る度に、俺はほんのちょっと早起きをして少しづつ先輩に顔を近付ける実験を続けてきた。途中からどこまで近付いたら先輩が目覚めるんだろうなんていう、スリルと可笑しさが加わって、現段階で俺の好奇心は留まる所を知らなかった。
そして今日は10センチまで。
俺は、そろそろと先輩の顔に自分の顔を近づけた。先輩の小さい穏やかな寝息が聞こえてくる。…というか、俺の息がかかりそうだ。俺は先輩の顔に鼻息を浴びせないように細心の注意を払わなければならなかった。もはや息を止める以外に術がない。だが、俺は既に震えていた。どうしても断続的に空気が漏れる。駄目だ。笑いが今にも噴出しそうだ。一旦退却した。
馬鹿馬鹿しいことをしているとは自分でも思うが、俺はやめる気はなかった。顔を10センチの距離まで近づけたところで、俺と先輩の『清い関係』は変わらない。そう、先輩に気付かれなければいいのだ。
そぉっと10センチまで距離を詰める。
まだ大丈夫だ。一旦引いて、深呼吸した。目一杯息を吸って、細く吐き出す。
肺が普通の大きさに戻るのを待って、再びそろそろと先輩に顔を近づけた。
10センチ。全然大丈夫だ。ちょっと目の焦点の合わせどころに困るが、まだ何も湧き上がってこない。
ヨシ、5センチまで行こう。
俺は更にゆっくりと顔を近づけた。大丈夫だ。
更に鼻と鼻がぶつかりそうな距離。まだ行ける。行けるけど、息が続かない。
先輩はまだ気付かない。
その時、俺の頭の中で、『行け。行ってしまえ』と声が響いた。
『えっ?!行く?何を??』
一瞬戸惑った。一体どこからの呼び声なんだよ?だが、その呼び声の主は確実に俺の中にいて、そいつが俺の背中を押した。
俺は先輩の鼻先にキスした。
『やった。やってやたぜ!!』
すぐさま顔を上げて、俺は天井を仰いでガッツポーズをしながらミッション成功の後の新鮮な空気を思いっきり吸い込んだ。ほんの一瞬の接触だったが、俺は達成感でいっぱいだった。ふと視線を感じて目を落とすと、先輩と目が合った。目覚めたばかりだというのに先輩は大きな目を見開いて、俺を見上げていた。
「…ユキちゃん、何してるの?」
俺は凝固した。
顔が変な形状で固まった所為で、そのまま話すのが難しかった。俺は無意識の内に笑ってしまっていたんだと思う。気付いた途端、体の血が一気に遡って顔が火照った。
先輩はなんとも言えない顔つきで俺を見上げ、俺は固まったまま。俺達はしばらく見つめ合った。
漸く絞り出した声は、馬鹿正直に頭の中をそのまま読み上げてしまっていた。
「…生理的嫌悪実…験?」
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