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16.別れ話は手短に
しおりを挟むライヴは大盛況だった。CDも豆腐も馬鹿みたいに売れた。ライヴハウスに来て、何故わざわざ帰り間際に豆腐を買うのかは、さっぱりわからないがそれでも何故か売れてしまうのだ。だがそんなことはこの際どうでもいい。
俺はベースを担ぎながら、一団に続いてダラダラと歩いていた。目の前では、清二が小柄な金髪モヒカンにウザ絡みしている。あれが前に先輩が言ってた『清二の同じ学校の隣のクラスの子』か。金髪モヒカンは、なんだか熱心に先輩に話している所だった。それに清二が横からせっせとチョッカイを出している。
『バカ、やめろ清二…』
俺は腹の中で呟いた。ずっと不登校だったという清二は、明らかに人との距離の取り方がオカシイ。顔とドラムの腕前だけは良いんだが挙動が不審だ。
『不憫なやつ…』
俺は、ため息を吐いた。
専務は俺達の遥か前を、例のパンクバンドのリーダーらしき人とヘルプのPAさん、別のスタッフの誰かさんと歩いている。その後を知り合いだかなんだかの時々見かける数人が続き、続いて例のバカップル。やっぱり小さい方をデカイ方が小脇に抱えてる。二人分の楽器にエフェクターボックスに相方に…荷物を満載に積んだ二足歩行の牛みたいだ。
パンクバンドのリーダーと専務が『蒸らした孝蔵』の話題で意気投合。何故だか俺達は、対バンの面子込みで打ち上げに行く羽目になってしまった。
俺は先輩の後ろを歩きながら考えていた。
『どのタイミングで話そう』
行き先は知り合いのレゲエバーだとか言ってたが、今日は高校生も居ることだし先輩が飲むことはまずないだろう。だが万が一飲んでしまったら?先輩は酒が入ると可笑しなテンションになるし、朝になると大抵のことは忘れてるから全く話にならない。今日は多分、先輩は専務宅に帰る筈だから、次に先輩と顔を合わすのは明日か明後日。だが” 後日改めて話し合い ”なんてことはしたくない。二人っきりだと間違いなく先輩に言い包められてしまうからだ。
今後の話し合いで、“先輩を如何に集中させないか”が、この交渉の鍵だ。その点、今なら先輩の周りは” 気を遣わなきゃならない人 ”だらけだ。このタイミングなら俺の話になんかに全力を注いでいられない筈だ。俺はライヴの最中に練りに練った台詞を用意していた。このドサクサに紛れて先輩に言うべきことを言い、そのまま速やかに戦線を離脱。そして俺はアパートに帰って寝る。そうだ、それがいい。完璧な作戦だ。店に辿り着くまでに決行だ。
俺は、先輩の背中を追っていた。先輩は時折俺を振り返って何か言いたそうにしていたが、清二と金髪モヒカンにぶら下がられて俺の所にまでは来れないでいた。そして清二達が僅かに離れたタイミングを俺は見逃さなかった。俺は先輩の背後に忍び寄って声を潜めて言った。
「先輩、やっぱり俺、先輩とは付き合えません」
次の瞬間、先輩が勢いよく俺を振り返り、驚きの速さで飛び退った。
…って、そんなに驚かなくても。
「…ぇ?ユキちゃんどうしたの?」
先輩はそのまま立ち止まり、デッカイ目を見開いてしげしげと俺を見た。
「どうもしてませんけど、いろいろ考えてみたら、やっぱり無理かなと思って…」
「…でも、指切りげんまん、しちゃったし…」
先輩は驚きの顔のまま、さも重大な事態であるかのように呟いた。『指切りげんまん』なんてものにどんな効力があるのか知らないが、それにしたって先輩が俺に一万発の鉄拳制裁をくらわせるとは思えない。だが、そこをあえて突っ込むもの面倒なのでとりあえず話を合わせておく。
「そうですね。じゃあ、とりあえず付き合ってたということにして、別れましょう、というか、別れて下さい」
「ユキちゃん、どうしたの?!」
「どうもしません、ただ、やっぱり無理だと思っただけです」
「いや、ちょっと待って…落ち着いて…ここじゃなんだから、どこか静かなところで話そう?」
先輩は何故だか目に見えて狼狽えていた。多分、先輩のことだから、きっと誰かに振られたことも拒まれた経験もそんなにないんだろうな。ちょっと驚き方が大袈裟だ。
「話すことはないです。安心して下さい。これからも俺は先輩の忠実は部下ですし、俺達の関係は何も変わりません。今まで通りです。週末に俺んちで飯を食うのも、朝までバイオハザード2をやるのも構いません。冷蔵庫も風呂も好きに使っていいです。でも付き合うのは無理です」
「何?エーちゃん?ユッキーどうしたの?」
何故か遥か最前列にいた筈の専務が、俺達の間に割って入ってきた。この人はいつも神出鬼没だ。俺はこの場の勢いに任せ専務に向かって、ずっと言いたかった事を言った。
「専務、俺の名前はユウキです。伸ばすトコ間違えてます。ユッキーって言うのは、ユキオとか、ユキヒコとか、そういう名前の人が現れた時に呼んであげて下さい」
今度は専務が驚いた顔をした。
「そうだったんだ?!ごめんよユッキー!!気付かなくって」
専務が、ちょっと笑ってウインクした。
全然反省の色が見えない。そして、一々ポーズを取らなくていい。
「判って貰えればいいんです」
「ユウキ君!」
先輩が専務を押しのけるようにして俺に詰め寄って来た。
「先輩は、そのままでいいんです!」
俺は後退りながら、逃走の為にベースを担ぎ直した。
「ちょっと待って、待って?ユキちゃん!!」
「ユッキー…じゃない、ユキちゃん、落ち着いて話そう?」
何故だか先輩と専務が、先を競って揉み合いになっている。
なんで先輩じゃなく専務が追って来る勢いなんだ?
「俺、帰ります!今日はもういいです…っていうか、専務はちょっと向こう行ってて下さい!あと、仕事は辞めませんから!!それと俺の家では、これからは豆乳禁止です。もう豆乳持ちこまないで下さい」
「ユキちゃん!なんで急に?どうして?!」
「先輩、豆乳飲み過ぎなんですよ。一日200ml以上は…」
「違うよ!そうじゃなくて!!」
その時、例のバカップルの小さい方が、俺と先輩の間にフラフラと入って来て、俺の手にガムを握らせ、そのままフラフラと去っていった。俺はそれを噛みながら!!…鼻の奥を、クミンとカルダモンの香りがツーンと突き抜けた。不味い。あまりの不味さに目が覚めた。唾液腺が弾けて、俺は一気に咽せた。
『クッソ!!あのガガンボ小僧!』
俺は怒りを漲らせて辺りを見渡した。視界の彼方では、俺の怒りを知ってか知らずか、ガガンボがフラフラと打ち上げメンバーの間を彷徨いながら呑気に”何か”を配り歩いてる。保護者の牛は何処に行ったんだ?!
「ユッキー何味?僕、ラプサンスーチョンwwもろ正露丸って感じだよwwwあははー!!」
専務が上機嫌で笑いながら俺の肩を叩いた。この人は本当に何にも滅気ない人だ。俺は無視することにした。
「ユキちゃん大丈夫?」
先輩が心配そうに聞いてきた。手にはガガンボ小僧が渡していった包が握られていた。さすがは先輩だ。用心深い。確認せずにすぐに口に入れてしまった俺は阿呆だ。
「大丈夫です」
俺は唾液に咽ながら口元を拭った。だがコイツのお陰で少し落ち着いてきた。
「先輩、なんで『付き合おう』なんて言ったんですか?」
俺は手近なガードレールに寄りかかって、荷物を下ろした。
「ユキちゃんのことが好きだからだよ」
先輩は躊躇うことなく言った。
「…そぅですか」
何故こんな事を訊いてしまったのか、自分でもわからない。先輩の答えを聞いても俺は驚かなかった。
『そう言うと思ってた』
ただ、それだけだ。
「俺には先輩は勿体無いです。先輩、俺はこのまま先輩と”お付き合い”を続けていても…」
「え?何?エーちゃんとユッキーって、今、付き合ってんの?!俺、何も聞いてないんだけど?何々?なんか最近、この辺、ホモだらけじゃんwwwうっはーwwやべーわww」
突然、清二が俺と先輩の間に割って入って来た。ブラコンホモのお前に言われたくない。俺は無視することにした。
「清二、専務が何か…向こうで大事な話があるってよ?」
俺が嘘情報を流すと、清二はまんまと専務の方へと移動していった。俺は話を続けた。
「なんていうか、気付いたんです。俺、このまま先輩と付き合い続けても、多分前みたいに喜べない…」
「ユキちゃん、そんな悲しいこと言わないで」
先輩は困ったような顔で少し笑った。その顔を見ていると、ちょっと惜しいような、悲しいような、なんとも言えない気分になったが、見た目に惑わされてはいけない。
『先輩の特別になりたい』
不意に湧き上がっってきた言葉に揺さぶられながら、俺は頭を巡らせた。
だが、よくよく考えてみれば、俺は” 特別 ”なんかじゃない。周りを見てみろ、先輩だって、専務だって、あのフワフワガガンボ小僧だって、なんだかわからないけど傍目にもわかる垂れ流しのプレミアム感がある。いわゆる、主役っぽいオーラ的な何かだ。だが俺はどうだ。平凡、あまりにも平凡だ。ドラマで言うならモブクラス。バンドで言うならベーシスト。誰も俺の音なんて拾ってない。
別に自分を卑下するつもりなわけじゃない。だけど、俺が望むものと、今の俺の状態には、開きがありすぎて『無理』って言葉しか出てこない。人間なんて、早々簡単に格上げなんか出来ないだろう。もう自分でも、どうしたらいいのかわからなくなってしまったんだ。だけど元の状態になら戻れる。今の状態も、俺の感情も、全てリセットしてやり直す。だから俺は先輩の可哀相カワイイうるうる顔なんかに惑わされてる場合じゃないんだ。
「ぇえ、だからです。だって先輩には、顔を見ただけで泣いて喜んでくれる客だっているじゃないですか。だから先輩は、そういう人達に提供してあげて下さい。俺は先輩と一緒にいても、多分、今以上に嬉しいと思うことはないです」
「…そんな!それじゃあ、僕の気持ちはどうなるの?!」
先輩は何故だか酷く動揺して見えた。素面の時は常時冷静で取り乱すことなんかない人なのに珍しいこともあるもんだな、と俺は思った。
「先輩の気持ちは先輩の中でなんとかして下さい。俺は俺の中でなんとかしますから」
「何か悪いところがあったんだね?でも、あまりにも急だし少し話し合えない?」
こう言う時もやっぱり先輩は、先輩だ。
『悪いところがあるなら言って?直すから…』なんて、キラキラうるうるした顔で、恐ろしく殊勝なことを言う。
「何もないんです、本当に俺の問題なんで」
言い切った、と思った途端、どっと両肩に疲労感が覆い被さってきた。俺は兎に角、早く帰りたかった。眠い、そうだ、早く帰って寝たい。なんとなくパーカーのポケットの中に手を突っ込むと、じゃらりと硬い物に当たった。
『ああ、そうだ、これを渡そうと思ってたんだ』
「…あ、先輩、これ…」
俺はそれをポケットから掴み出して、先輩に差し出した。先輩はそれを受け取り、困った顔で、俺とそれを見比べた。前に先輩が気に入っていたピックを加工したキーホルダーだ。
「鍵?」
「はい、俺のアパートの。ずっと渡そうと思ってたんですけど…」
「……?」
先輩はなんともいえない微妙な顔のまま、手の中の鍵を見詰めた。
「ぅっはwwマジかよwwユッキーツンデレじゃねwwwwww」
清二がいつの間にか俺の足元にしゃがみ込み、俺を見上げて笑っていた。その隣には専務…ああ、専務が戻ってきたから清二も居るのか。だがどうでもいい。俺は再度無視することにした。
「兎に角、今日は俺、帰ります!お疲れさまです。お休みなさい!!」
俺は素早く荷物を担ぐと、軽く会釈した。
「待って。ユキちゃん、まだ話…終わってないよ」
遮る先輩の手を躱して、俺は専務を見た。さすが専務、いつだって専務は丁度良いところに居る。
「専務!!エージさんをお願いします!!」
誰かがこう言えば、それがどんなことだって、専務は、必ずこう答えるんだ。
「オッケーだよ!任せて!!」
俺は、踵を返して、目についた駅の入り口に走り込んだ。先輩が追ってこないことを確認して、俺は溜めていた息を吐き出した。話している時は落ち着いていたのに、終わってからの今の方が何故だかドキドキしている。だけどスッキリした。
『リセット完了』
俺は、可笑しくなって笑いを噛み締めた。言うべきことは言った。ちょっとした迷走はあったが、これで完全に今まで通り。たった二週間、しかも手を繋ぐ以外、実質上、”何もしてない”2週間だ。すぐに無かったことになるだろう。
俺はアパートに帰り着き、シャワーを浴びるとさっさとベッドに潜り込んだ。スマホがチカチカ点滅しているのは判っていたが、あえて見なかった。これはまた明日なんとかする。スマホの画面を伏せて、その上にスコアを何冊か置いておく。クッションに顔を埋め布団に包まると、猛烈な眠気が襲ってきて、俺はそのまま眠りについた。
その夜、俺は夢を見た。
ふと、何かの気配を感じて重い瞼を上げると、先輩が枕元に立って俺を見下ろしていた。まるでマネキンか何かのように突っ立って、少しも動かない。俺は眠気が勝って、起き上がることも、体を動かすことも出来なかった。しばらく俺達は動かないまま、ただ見つめ合っていた。
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