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48 「成長なさいましたな」

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「おひさしぶりです、工場長」

「たしか、ヴェルナーくん、だったね」

 名前を呼ばれた青年は、喜んでうなずいた。
 椅子を勧められて、相対する形で着席する。
 商談の席にもかかわらず工場長はソファーに深く腰掛け、すべてを吐き出してしまうほどの、長いため息をついた。

「まさか、君たちが、あれを」

 絞り出すように、工場長がいう。

「歓迎の意味も込めまして」

 ヴェルナーが控えめにいった。

「どう、すごいでしょう?」

 おもちゃを自慢する子どもさながらに、ヤスミンカはいう。

「凄い、というか、なんというか。まるで夢でもみているようだ」

 ロケットもそうだが、君たちがここにいることそのものが、なにかの冗談のようにも思える。

 そう言いたいのを、ぐっと堪えたのは、目の前の二人が、すごく誇らしそうな顔をしていたからだ。

 この子たちは、本当に夢を目指していたのだと気づいたからだ。
 以前の商談とまったく同じように、ヤスミンカ博士が抱えた図面を机に広げる。
 以前とかわらず、一切の迷いのない線。
 一息に書かれていたことが良くわかる。
 開発も、思い切り良く行うのだろうという、性格がにじみ出ている。
 だが、要求していることは、かつての内容からさほど成長してはいないように見受けられた。
 工場長は、探るように尋ねる。

「これのどこを基準に造れば」

「ここです」

 ヤスミンカ博士がすっと基準面を指し示す。

「位置決めに対して、相当公差が乗ってしまう設計にみえますが」

「そこを○・一五以下に抑えていただきたく」

「どうやって測定するんですか」

「計測基準はこの抜き穴を中心にしていただければ」

 彼女は身を乗り出しながら、すらすらと要求事項を述べる。
 工場長もプロである。
 相手がなにかの思想をもって設計しているのなら、それを読み取ることが不可欠だったし、相手に足りないものがあれば指摘することが義務でもある。
 
 だが、彼の経験を持ってしても、ヤスミンカ博士の要求は難解だった。
 おそらく、部品一つで解決する類の問題でもないのだろう。
 工場長は意を決してたずねた。

「他の部品の図面と機能について、ご教授ねがいたく。はめあい等々、背景をご教授いただければ代案を提案できるかもしれません」

 博士と青年は顔を見合わせた。
 それから、にっこりと笑っていう。

「ええ。お願いするわ。三十分ほどいただけるかしら?」

 五時間か、六時間か、あるいは後日という線も考えていた工場長としては苦笑を浮かべるしかない。
 一時間やそこらで、人に見せられる図面ができるわけがないのだから。

「待たせてもらえるのであれば」

「じゃあ、ついてきてくださる? 他にもやってもらいたいことがあるの」

 二人の後をついて、所内を進む。
 ガラス戸で仕切られた各々の部屋ごとに研究員の特色がよく反映されていた。

 一つ目の部屋では、流水試験槽が設置され、水のなかに着色した液体を流し込み、流れを可視化していた。
 二つ目の部屋では、金属の試験と顕微鏡と格闘しているが学者がいた。
 三つ目の部屋で青年が呼び止められて離脱し、四つ目の部屋で博士が呼び止められた。

「主任。加振試験の結果、だいぶ良くなってますよ」

 博士は工場長に黙礼すると、立ち止まる。
 呼び止めたのは、お腹が大きくて、髪がまだら色の研究者だった。

「想定外の共振モードはある?」

「ある。嘘はいえないからね。でも、とくに悪い影響はないんじゃないかな」

「機体の振動パターンで振ってみても?」

「正弦波だけなんだな、これが」

「そう。それで、どうするつもりかしら?」

「実測がしたいのだけれど、今日の機体も水の中だろう?
 密封を試みているけれど、データに関しては望み薄なんだ。なにかいい手はないだろうか?」

「これはまだ、わたしの予想なんだけれど」

 そう前置きして彼女はいった。

「ボリスが、次回の係留噴射試験を十六時からだと言っていたわ。エンジン周りは実機と相違ないはずだから、振動ノイズを記録することができるはずよ」

「それでいこう」

「ついでに増幅器を通して、限界値も一緒に見極めてくれると嬉しいわ」

「了解だ」

 研究者は器用に指をならすと、まだらにそまった髪をなでつけながら、自室に引っ込んでいく。
 工場長のみたところ、彼の部屋が一番変わっていたが、どう表現してよいかわからなかった。

 その後もひっきりなしに声をかけられ、そのたびにヤスミンカ博士は、的確に指示をこなしていく。
 階段を二度登り、廊下の一番奥の部屋の扉をあける。
 
 大きな窓のある、見晴らしのいい窓が印象的だった。
 この建屋でも、一等地であろう場所である。
 
 ヤスミンカ博士は椅子を指し示し、自分は反対側に腰掛けた。
 図面を広げながら、博士はいう。

「ここでは、わたしはあらゆる要求をするの」

 横に長い、独特の図面だった。エンジン排気系の製品外観図が示され、それらに関連する部品が上下対称に配置されている、奇妙な図面。
 けれど、線に迷いはなく、要求寸法にも無駄がなく、飄然とした記述には強い意志が感じられた。

「設計部品については、起こりうる事象について未知な部分は一切なくす必要があり、それが叶わない場合には、その原因と起きうる事態に対処する手段について考察する必要があるの。

 そして、出来上がった製品について、共通の認識を通じて、つまり、互いに既知である自然法則や工学的原理を忠実に遵守しながら、他者に説明する義務があるし、わたしは一点の妥協もない説明を要求する。

 それが、エンジニアとしてのあるべき姿であると、わたしが信じているから。

 そのかわり、彼らエンジニアは、あらゆる設備を活用する権利を与えられ、可能な限りの予算も提供されるのよ」

 広げた図面には、各部品ごとの設計者のサインがあった。
 そして、その全ての部品を統括する設計主任のサインは、ヤスミンカ・べオラヴィッチ。

「厳しい職場よ。
 わたしを納得させなければ、ロケットに搭載できず、結果を作ることができず、結果を出せないエンジニアに、設計者たる資格はない。
 事あるごとにそう言っているし、実際そうしているのだけれど。
 不思議なことに、まだ、誰も辞めていないのよ」

 工場長はうなづいた。
 当然だと思う。
 彼女の課す義務は、同時に、彼女個人から積極的な支援が与えられるという意味も付随している。
 その力強さは、研究所内をすこし歩いただけで十二分に理解できた。

 彼女と数分歩いただけでも、あちこちから呼び止められる。
 そして彼女は、真摯に進捗に耳をかたむけ、トラブルや失敗の報告をうければ、共に悩み、改善策を提案していた。
 方針が決まれば、次につまづくまで一切口出しすることはないのだろう。

 無理だ、とは絶対にいわない。
 だったらこうしてみたら、というのだ。
 だから、問題が解決する。だから、頼られる。

 しかも、彼女との議論は、必ず、具体的な行動がともなう。
 これはヤスミンカ自身が、解決できるという見込みがつくまで、彼らを手放さなかったせいでもあるし、解決する手段のすべてが、実行可能な理論の上に組み立てられていたからだった。

「あなたたちは、理想的なチームのようだ。
 自分のチームメンバーへの支援を惜しまないリーダーと、リーダーの的確な支援を信頼しているメンバーたちとの」

「ありがとう。でもきっと、みんな背が大きいだけの子どもなのよ」

 この研究所で一番の子どもが、そういって肩をすくめてみせる。

「わたしと同じ夢をみてくれてるの」

 ヤスミンカは、己の行動が宇宙へ通じることを信じていたし、メンバーは彼女の夢への支援を惜しまなかった。
 皆が信じていたのである。自分たちの手が、宇宙へ届くということを。

 ヤスミンカは、皆で同じ夢をみる方法をみつけたのだった。

「それで、わたしの仕事は」

「機体を仕上げてもらいたいの。
 わたしのロケットには、あなたの職人としての腕が必要不可欠なんです。わたしはこの国で、あなた以上の腕の職人を知りません」

「軍であれば、いくらでも」

 彼女はかぶりを振る。

「わたしと同じ夢を見てくれる、本当に腕のいい職人を、わたしは知らないのよ」

 はじめから、巻き込むつもりだったのだろう。
 出会い頭に機密のロケットをかまし、ノウハウをしこたま詰め込んだ廊下を通り、門外不出の図面が、目下に広がっている。
 あきらかに外堀を埋められていたし、客観的にみて、断れば国家反逆罪で銃殺も覚悟しなければならない事態だった。

 どうみても、はめられたわけだが、悔しいことに、ちっとも嫌だと感じていない。

 それどころか、自分の手で、あの力強いロケットを作り出せるのだと思うと、武者震いがした。
 ヤスミンカは、人好きのする柔らかい笑みを浮かべている。

 十四、五の女の子ににあわぬ、人を惹きつける大人びた微笑である。
 あのとき、泣きべそをかいていた少女の面影は、もはやどこにもなかった。
 自信にみちていて、断られることを微塵も考えていない、不敵な微笑。

「成長なさいましたな」

「百五十九になりました」

 背丈でないことは重々承知しているであろう彼女は、からからと笑う。
 すると、雰囲気が子どものそれに近くなり、より親近感が湧いてくる。

「アドラー工場長。わたしと同じ夢をみてはくださいませんか」

 殺し文句だった。
 悩むことなど一つもない。
 いますぐにでも皆を呼んで作業に取り掛かりたいくらいである。
 だが、素直に認めるのは癪だった工場長は、一言だけ苦言を口にする。

「外堀を埋められては、お断りできんでしょう」

 ヤスミンカ博士は悪戯っぽい笑みを浮かべていう。

「少しだけ、大人になったんです」

 ちょうどその時、扉をノックし、青年が顔を出した。
 彼女に耳打ちする。トラブルらしく、ヤスミンカはすぐに立ち上がり、慌ただしく退出する。
 だが、二人とも、断りをいれていくことを忘れない。

 成長した博士の背中を頼もしく思いながら、工場長は転居の段取りについて検討するのだった。
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