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44 「ロケットエンジンの真価はそこにあるのでしょう?」

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 ヤスミンカたちには、宇宙へ行くロケット開発には、莫大な資金が必要であることを実感していた。
 自前の資金で運用していたときに悟り、陸軍で一年間の嘱託研究者として開発を行い、確信に変わった。

 一方、当然のことながら軍は、宇宙飛行などには微塵も興味がない。
 あるのは、ドーバー海峡を越え、三百二十キロははなれた敵地に爆弾を落とすことのできる兵器を開発し、戦術、戦略の幅を広げること。そのためには、必要なだけの資金を投入するだけの準備があった。

 興味深いことに、軍の求める兵器は、ヤスミンカたちが没頭するロケットの技術を使えば、実現できてしまうのである。

 ロケットを作りたいヤスミンカと、ロケット技術で敵国より強力な秘密兵器を持ちたい軍。
 両者の利害は、完全に一致していた。

「でも、良かったのかい?戦争の道具にされるかもしれないんだよ」

 ヴェルナーは事実を控えめに表現する。
 いくら科学者としての才能があり、自ら希望しているとはいえ、十二歳の女の子を戦争の兵器開発に巻き込むことに引目を感じての事だった。
 もちろん、ヴェルナー自身も十七歳になったばかりであり、戦争に協力することの危険性を認識しているとは言い難いけれど。

「わたしは宇宙を目指すことに人生を賭けているのよ。だから、結果さえ手にできるのなら、その過程の技術がどう使われようと、ささいな問題なのよ」

 ヤスミンカはロケット開発のために大学を去り、資金調達のために家を売り、春を売ろうとしたほどである。
 ヤスミンカの心からの発言であることは、疑いようがない。本格的な軍への勧誘をうける前から、ヤスミンカの目的が揺らぐことはない。

「ヴェルナー。わたし、やるわ。マッハ三で飛行する、航空機や砲弾を持ってしても迎撃不能な兵器の開発が、わたしの糧になるのなら、いくらでも」

 かくして、蜂蜜色の頭髪をもつ、軍服をまとったちいさな女の子と、黒いぼさぼさの髪を無理やりなでつけた青年の二人は、白い荒波が押し寄せる海岸線に降り立つことになった。

 二人の胸元には、新しい階級章がきらきらと輝いている。
 ヤスミンカの階級は大尉である。
 ヤスミンカの博士の称号が、軍の階級に反映される形になっていた。

 ヴェルナーは少尉。開発に困らない程度に機密に触れられる、最低限の階級とのことだった。
 しかし、希望に胸を高鳴らせた二人がいる海岸線には、人工物と呼べるものは一切みあたらない。

 左をみても右をみても、延々と続く海岸線。視線をわずかに内陸にむけることで、わずかに高くなった丘あたりに、かろうじて、ひとの手による平屋の倉庫を二つばかりみつけることができる程度。

 技術局から首都ベルリンまでの移動で二時間、ベルリンからさらに車で四時間ばかり移動した末にたどり着くのが、二人のたたずむ海岸線。
 地理的にいえば、ドクツ最北端にある、島流しにも等しい、さびしい漁村。
 端的に表現するなら、どがつくほどの田舎である。
 ヴェルナーは、どこか緊張した面持ちでいう。

「ねえ、ヤースナ。ひとつ聞いても?」

「なにかしら」

 ヤスミンカは軽く相槌をうつ。
 彼女は潮風で髪がなびくのがわずらわしいらしく、先ほどからずっと、耳もとで髪を押さえていた。
 時々垣間見える彼女のシミひとつないうなじに、どぎまぎする奇妙な自分を押し殺しながら、ヴェルナーは不安げにいった。

「ひょっとして、ばれちゃったかな?」

 ヤスミンカが細めた目で、横に立たずむヴェルナーを見上げた。

「奇遇ね。わたしもその可能性について検討していたところなのよ」

 彼女は右から左に続く海岸線をもう一度目にしてから、ぼやくように不満を口にした。

「ヴェルナー。わたしたち、陸だけでなく空からも資金をぶんどった、自他共に認める軍の秘蔵っ子よね?」

「そのつもりだったんだけどなあ」

 ヴェルナーは、すでに癖になりつつある動作で目元を抑えながらいう。
 そこへ、続いてジープから降りてきたカミナギ大佐が声が口をはさんだ。

「今後も甘い対応をしてもらえるとは思わない方がいいと思うわ。
 もちろん、大人に後片付けをまかせて好き勝手に遊びまわるのが、子どもの特権ではあるのだけれど」

 長旅で縮こまった身体をほぐすべく伸びをする大佐。
 懐から葉巻を取り出して、ジープにもたれながら、火をつける。

 ヴェルナーはどんな表情をすればよいかわからず、結局あいまいな笑みを浮かべる。
 カミナギ大佐のいう甘い対応というのは、今まさに話題にしていた、ヴェルナーの情報漏洩についてである。
 
 カミナギ大佐は、物事を結びつけて考えるのが得意なタイプだった。
 議会で発言することになった状況をつぶさにみきわめ、いつのまにか、ヴェルナーが事の発端であることを突き止めていた。そして、ヴェルナーは、大人の事情をこんこんと説明された。

 曰く。
 佐官相当の鉤十字の台頭は、軍指揮系統の混乱を招きつつあり、悩みの種になっているのだから、余計なことはしないでほしい。
 お前が権謀術数に興味があるのであれば、これくらい知っておくべきだ。
 結果さえよければすべて正当化されるような今回のケーズは、運が良かっただけだ。
 等々。
 厳しく忠告したカミナギ大佐であるが、一方で、カミナギ大佐が可能な限り、便宜をはかろうとしてくれている。
 
 きっと、人間的にいい人なのだろう、とヴェルナーは考えている。
 だからこそ、利害の一致のみで軍に所属することを決めた彼は、少なからず後ろめたさを感じていた。

「なにが欲しいかな」

 カミナギ大佐が紫煙を吐きながら問う。
 ヴェルナーは答えにためらったが、ヤスミンカは即答した。

「とにかく、風洞が欲しいわ。超音速がでるやつ。超音速の資料を、早急にそろえてなければならないの」

 ヤスミンカは、使えるものは使う主義であり、遠慮という言葉は彼女の辞書にはない。

「音速の壁を突破すると?」

「ロケットエンジンの真価はそこにあるのでしょう?」

「検討してみよう。こころあたりは?」

「ミュンヘン工科大学に、それらしい先生がいたはずよ」

「わかった。他には」

「すぐ試作に取り掛かれる工場は必要だし、発射台なんかも整備してくれるとありがたいわね。
 でも、とにかく、優秀な人間が欲しいわ」

 研究しなければならないことは大量に存在した。
 燃焼室や冷却機構がヤスミンカの得意分野だったが、本格的なロケット噴射ノズルの形状には未着手だったし、大出力の実現には、燃料噴霧ノズルの並列同時駆動が不可欠である。
 それに伴う配管および冷却装置の改良と、点火プラグの抜本的な見直しは、単純に大きくするだけでは燃焼の安定が得られない事実から鑑みると、わかりやすい課題だった。

 さらに、想像するだけで、超音速流体力学に対応した筐体の設計、姿勢制御に伴う加速度計測機の改良に、大気圏再突入を考慮した弾道軌道の研究など、課題は山積である。
 さすがのヤスミンカでも、自分一人で手に終えない事業になりつつあることは、自覚していた。

「人間については、さっき資料を渡したでしょう?」

「あれが?」

 ヤスミンカが苦言を呈するのも無理はなかった。
 資料によると、ヤスミンカの部下になる研究者らは、名実ともにヨーロッパ大陸最良の頭脳集団として軍から重宝されていた、らしい。

 先の大戦では戦車や航空機の開発陣として、敏腕を奮っていたと書類には記載されている。ほかにも、懐中時計、水筒、双眼鏡に電信通話機、果てはコンドームまでが彼らの発明だときいている。

 ところが、敗戦後、兵器開発の需要が一気に途絶えたあたりからの記述が、どうにも奇妙なのである。

 究極の兵器を造る、という目標がとっぱらわれた彼らが、国民の血税を使って取り組んだ開発が想像を絶していた。
 水で溶ける水着だとか、女性の胸部弾力を忠実に再現した男性用胸当てだとか、ごくごく一部の性癖をこじらせた輩を喜ばせるだけの代物だというのだ。

 加えて彼らは、戦勝国側の偉いさんを中核とした軍法会議で、いけしゃあしゃあと言い放ったらしい。

 これが、この国の最先端です、と。
 
 よくて変わり者、悪い意味では推して知るべしを地で行く変態集団。
 頭脳的にも、性癖的にも。
 それがたとえ、逆境をきりぬけるための方便だったと好意的に解釈する手段が残されていたとしても、十二の女の子には受け入れがたい内容だったらしい。
 資料に目を通したあとのヤスミンカは、資料それ自体を汚いもののように扱うようになってしまっているのだから。

 ヴェルナー個人としては、彼らの人間性よりも、ああいう連中を女の子に押し付けようとする軍の在り方に、複雑な想いを抱いていた。
 合理的な在り方を突きつめると、人間らしさを失う良い例を目の当たりにした気分である。
 俺の仕事は、ヤースナが襲われないように気を配ることなのではないだろうかと、ヴェルナー自身も半ば本気で信じはじめている。

「まあまあ。実際に会えばわかるわよ。きっと気にいるわ」

 いなすようにカミナギ大佐はいうが、彼女の言葉には、交渉の余地はない。
 カミナギ大佐にもどうにもならない人事なのだろうと、ヴェルナーは察する。
 さっそく、軍属になったことを後悔しつつ、変えられないことを嘆いても仕方がない。
 ヴェルナーは当たり障りのないことをいう。

「ずいぶんと大所帯になりそうだね」

 カミナギ大佐が首肯した。

「一年以内に、三千人体制を予定しているわ」

「ヤースナが、三千人のトップかあ」

「研究員の家族も含まれるから、多くても千人くらいよ。けど、将来的には二万人の予定だから、三千人じゃ足りないんじゃないかしら」

「ずいぶんと大げさな話ですね」

「だから、こんなど田舎なのよね、きっと」

 ヤスミンカがいう。

「ロケット開発の一大拠点、ペーネミュンデ。まあ、悪くない響きね。
 わたしとしては、長い海岸線があれば、何人いたって変わらないとはおもうけれど。
 軍としては、難しい判断だったんじゃないかしら。ひと目に触れないところなんて、空から観察できるこのご時世、そうそうないものね。こういう時、国を知らないって痛いわねえ」

 カミナギ大佐は、曖昧な笑みを浮かべたが、肯定も否定もしなかった。

「これが、僕たちみたいな子どものやんちゃから始まったと思うと、震えてくるよ」

「いいこと、ヴェルナー。
 わたしたちは軍に買収された、いち研究者にすぎないし、わたしたちの基地とはなんの繋がりもないことになっているの。
 そのつもりでいてね。だから、大人の前で、そういうことを言ってはダメよ」

「建前はね」

 ヴェルナーがいった。大人の前でいけしゃあしゃあと語る二人の会話に、カミナギ大佐が声をあげて笑った。

 それから懐中時計に視線をおとし、パチンと閉じると、火をつけたばかりの葉巻を靴底でもみ消し、二人にいう。

「残念ながら、時間は有限なのよ。そろそろ向かっていいかしら」

「向かうって、どこへ?」

 大佐が指差した。示したのは、倉庫にしか見えない建屋である。
 それが、海千山千の変態集団の住う、研究所である。

 ヤスミンカが、ほとんど無意識のうちにヴェルナーの袖を掴んだ。

「君たちがくるという連絡は、すでに届いているはずよ。軍は時間に厳しいのよ」

 カミナギ大佐が、冷ややかな笑みを浮かべていった。
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