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41 「そうですね、一ヶ月もあれば」

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 ヤスミンカは、まったく政治には興味がない。
 彼女にはロケットとヴェルナーがあれば構わないのである。
 配慮する気もなければ、敬意を払う相手でもない。
 ただ、議論の土俵に立った相手であるから、向き合うのみである。

「そういうわけではありませんとも。
 ロケットに、空を翔ける自由な翼を与えるべきだと発言したまで。
 もちろん、先ほどのお話から、そもそも誘導制御するひつようがないということは理解できます。
 しかし、戦場は、とりわけ空の戦場は。もっと流動的なのですよ。
 十分な誘導制御をもつという答えにはならないのではないかと」

「つまり、航空機のあらたな推進力として、ロケットエンジンを利用させろ、と」

「ご明察です。あなた方が使いこなせないようですので、わたしどもで引き取りたく思う次第です」

 ヤスミンカは反射的に、こいつは敵だと断じた。
 ロケットは宇宙を目指すものなのだ。
 何故に、空気が邪魔になる高度三○○○メートルを飛び回らねばならないのか。

「もちろん、先立つものがご入用でしょう。我々には、すでに五○○万マルクを投資する準備があります」

 どんな罵詈雑言を口にすれば、最も効果的か考えていたヤスミンカは、しかし彼らの五○○万マルクという発言に固まった。

 開発費に苦労することはなくなる。

 金を求めて身体まで売ろうとしたヤスミンカだからこそ、お金の大切さは身に染みている。
 沸騰した心が一瞬で真っ白になるくらいには、力のある言葉だった。

 ヤスミンカの動揺は、すぐさま会場につたわった。
 
 陸軍としては、二重に面白くない。
 ナーツィの威をかる空軍に好き勝手な発言を許し、せっかく投資したロケット開発を金で買い取ろうというのだ。
 あまつさえ、当の開発者が提示された金額に動揺を示している。
 その場にいた関係者も気づいた。

 空軍が、手に塩かけた研究成果をかすめとるために、あらぬ噂を流したのだ、と。

 会議室に横たわる沈黙は、真っ黒を通りこした悲惨な色を見せている。
 だから、重苦しい空気の中、立ち上がり発言したものに、視線が集まるのはあまりに自然なことだった。

「我々のロケットは、自由に飛行できないと?」

 カミナギ大佐は立ち上がり、民衆を導く為政者さながらの口調でいう。

「わたしは、皆さまの大いなる誤解を解かねばなりません。
 我々には、ロケットを操舵する技術を形にしつつあります。そのために、燃料にアルコールを選定したのですから」

 カミナギ大佐は、一度言葉を切った。
 そして、会場が十分に鎮まるのを待って、彼女は続けた。

「燃焼が燃えて噴き出したガスを利用して、舵をきります。
 古くはツィオルコフスキー博士によって考案された方法ですが、高温環境下に舵を設ける方法が編み出されていませんでした。
 ロケットエンジンが生み出す排ガスが、あまりにも高熱すぎたためです。金属は二○○○度の環境下では融解してしまうものですから。

 しかしこれは、次のように言い換えることができるわけです。
 排ガスの温度を制御できれば、ロケットにも舵を持たせることが可能である、と。
 
 そこでヤスミンカ研究員は、舵を持たせることを必須条件として、ロケットを開発しておりました。
 その答えが、アルコールの燃焼を最大効率化するロケットエンジンの開発です。
 アルコールであれば、適度に水を混ぜ込むことで、排熱温度を制御可能となります。
 そしてこのエンジンは、すでにお見せできる状態にあります」

 カミナギ大佐は、また言葉を中断する。
 皆が、発言の意味を理解したところで、総括するように腕を振り上げる。
 皆の注目を集めた彼女の指は、黒板を指差した。
 自らの主張が、ヤスミンカが組み立てた議論と関連することを印象付けるように。

「先ほどヤスミンカ研究員が発表したとおり、そもそもの飛行経路は、弾道計算によって算出可能です。
 皆さまには、お見せできる確実な部分のみを伝えるよう、わたしから指示していたのですが、どうやらお伝えしておいたほうが良いと思いまして。
 繰り返しになりますが、我々のロケットは、排ガスの燃焼温度を自在に操作かのうです。そして、もうまもなく、自由に空を飛行することが可能になるでしょう」

「その完成には、どのくらいの時間が必要かね」

  中堅の技術局員が尋ねた。

「そうですね、一ヶ月もあれば」

 カミナギ大佐は、形のよい唇を笑みの形に曲げて、会議室を見渡した。
 せっかく育ててきた研究成果を、空軍にかすめ取られても構わないのか、と。

「よろしい。では、一ヶ月後に、自信作をみせてもらうことにしよう。
 うまくいけば、我が陸軍は六○○万マルクだす。空の方々も、それでよろしいかな」

 開発局長が重々しくいった。
 そちらさんの意見には十分お応えしただろう、というように。

「もちろんですとも。しかし、我が空軍は、試験がどのような結果であれ、五○○万マルクは提供させていただきますよ」

 老人はあくまでも穏やかに言ってのけたのである。
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