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28 「あのときから君は、僕の憧れになった」
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「わからない、わよ」
ヤスミンカは唇をかみしめた。涙を流すまいと、食いしばっていた。それでも目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭ってやりながら、ヴェルナーはいった。
「君は、本気で宇宙を目指していたじゃないか。
僕は知っているんだ。多分、先輩も。工場長も、リガルドオーナーも。君にかかわったひとは皆、知っている。君が、誰よりも情熱を傾けてロケットを飛ばそうとしていたことを。
そうでなければ、ロケットなんて作れるもんか。
屋根を吹き飛ばしてまでも、新しい可能性を探ったりなんてするもんか。
君は違う、というかもしれない。
そうだというなら、君は間違っている。
君は、君自身の行動が、僕にとってどういう影響を与え、心を動かした人間であるかについて、考えを巡らせてみるべきだ。
君は、やりかたがわからないで途方にくれる僕たちを、不敵に勝気に笑いながら、蹴り飛ばしてくれたんだ。
君は僕に、夢をみせてくれた。
夢をみようと誘ってくれて、夢の見方を教えてくれた。
君にとっては何気ない日常だったかもしれないけれど、僕にとっては驚きの連続だったんだ。
赤い夕焼けを背にして、君がいってくれた言葉を、僕はよく覚えている。
君はあのとき、こう言って僕たちを焚きつけたんだ。
わたしと一緒に、宇宙を目指してみないって。
あのときから君は、僕の憧れになった。
僕にとって君は、ずっと先を歩いている格好いい女の子で、後ろ姿を追いかけ続ける、目標だった。
いつか追いつければいいな、というくらいの軽い気持ちだったけれど。
けれど、これは僕のまちがいだった。僕は君の隣を歩いていないといけなかったんだ」
ヴェルナーはそういって、ヤスミンカを見つめた。彼女は、泣きはらした目で、必死にヴェルナーの意図を探ろうとした。
「わたし、失敗したのよ?」
「なにに?」
「開発に」
「失敗したんなら、やり直せばいいじゃないか」
「もうお金がないの」
「どれくらい?」
ヤスミンカが消え入りそうな声でいう。ヴェルナーは少なからず動揺した。たしかに、冷却エンジンの特注品が一○○マルクかそこらでできる訳がないのだ。それこそ、豪邸を売り払ったお金の全てを注ぎ込まなければならないほどに。
だからこそ、ヴェルナーはきっぱりと想いを告げる。
「その金額を僕が準備できるかはわからないけれど。
でも、少なくとも君自身より、はるかに安い」
「そんなわけないわ」
「そんなわけがあるんだよ。僕ひとりの人生を変えてくれた女の子なんだ。
君の存在は僕にとって値千金以上の意味がある」
ヤスミンカは、胸に手を当てた。震えながら、自分の中のあらん限りの勇気を奮い立たせて、言葉をつむぐ。
「もう少し、そばにいてくれるの? もう一度、わたしにチャンスをくれるの?」
合理性のゆがんだ世界からの問いかけを、ヴェルナーは両断する。
「君は諦めるのかい? ロケットを飛ばすって壮大な夢を」
ヤスミンカは首をふった。
「なら、これからは僕が君の隣を歩こう。
僕が、君をずっと、みていよう。だから、僕が遅れ気味になったら、少しだけ、手を差し伸べて欲しい。
そうしてくれれば、きっと僕たちは、うまくやれると思うんだ
だから、もう少し、だなんて寂しいこと、言わないでほしい」
ヴェルナーは言い切った。
ヤスミンカは、彼の言葉の意味に想いを巡らせた。
ヴェルナーは、自分には理解できない理屈で動いている。
これまで自分が理解していた、利害関係の範疇にない、奇妙な判断基準だった。
しかも、彼は常に、行動で示しているのだ。途方にくれる自分に、手を差し伸べてくれるのだ。
ヴェルナーのことが、よくわからなかった。
理解できなかった。
いつもの自分なら、理解できないことが嫌で仕方がないはずなのに、不思議と嫌な感覚にはならなかった。
むしろ、胸の奥が暖かくなってくる。
ヴェルナーは、黙り込む自分に、手を差し出した。
帰ろう、と静かにいった。
ためらうことなく、ヤスミンカは手を握った。
その瞬間、ヤスミンカは、薄いベールの向こう側を垣間見た。
いまはまだ、理解できない光景を。
一生理解できないかもしれないと思えるほどの難問を。
それは方程式では記述できない代わりに、自分と、ひょっとしたらヴェルナーにだけは理解できる。
そんな、言葉にはできない直感が、ヤスミンカの脳裏を駆け巡る。
これまでたくさん、間違えてきた。
けれど、どんな失敗があったとしても、これだけは間違えてはならない。
この手の暖かさを、手放してはならない。
ヤスミンカは彼を見つめながら、強い意思を込めていった。
「わたし、あなたのことを信じるわ。一○○パーセント。理屈でなく、そうするわ。わたしには、あなたが必要だって、はっきりとわかったから」
ヴェルナーは重々しくうなずいてみせた。わかっているよ、というように。
けれど、ヤスミンカの心は晴れなかった。もっとうまく感謝を示したかったのだが、どうすればそれが伝わるかわからない。
「ヴェルナー」
「なんだい、ヤースナ」
ヤスミンカはヴェルナーの瞳を見つめた。
それから、彼の頬に手を伸ばすと、少しだけ背伸びをして――。
ヤスミンカは唇をかみしめた。涙を流すまいと、食いしばっていた。それでも目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭ってやりながら、ヴェルナーはいった。
「君は、本気で宇宙を目指していたじゃないか。
僕は知っているんだ。多分、先輩も。工場長も、リガルドオーナーも。君にかかわったひとは皆、知っている。君が、誰よりも情熱を傾けてロケットを飛ばそうとしていたことを。
そうでなければ、ロケットなんて作れるもんか。
屋根を吹き飛ばしてまでも、新しい可能性を探ったりなんてするもんか。
君は違う、というかもしれない。
そうだというなら、君は間違っている。
君は、君自身の行動が、僕にとってどういう影響を与え、心を動かした人間であるかについて、考えを巡らせてみるべきだ。
君は、やりかたがわからないで途方にくれる僕たちを、不敵に勝気に笑いながら、蹴り飛ばしてくれたんだ。
君は僕に、夢をみせてくれた。
夢をみようと誘ってくれて、夢の見方を教えてくれた。
君にとっては何気ない日常だったかもしれないけれど、僕にとっては驚きの連続だったんだ。
赤い夕焼けを背にして、君がいってくれた言葉を、僕はよく覚えている。
君はあのとき、こう言って僕たちを焚きつけたんだ。
わたしと一緒に、宇宙を目指してみないって。
あのときから君は、僕の憧れになった。
僕にとって君は、ずっと先を歩いている格好いい女の子で、後ろ姿を追いかけ続ける、目標だった。
いつか追いつければいいな、というくらいの軽い気持ちだったけれど。
けれど、これは僕のまちがいだった。僕は君の隣を歩いていないといけなかったんだ」
ヴェルナーはそういって、ヤスミンカを見つめた。彼女は、泣きはらした目で、必死にヴェルナーの意図を探ろうとした。
「わたし、失敗したのよ?」
「なにに?」
「開発に」
「失敗したんなら、やり直せばいいじゃないか」
「もうお金がないの」
「どれくらい?」
ヤスミンカが消え入りそうな声でいう。ヴェルナーは少なからず動揺した。たしかに、冷却エンジンの特注品が一○○マルクかそこらでできる訳がないのだ。それこそ、豪邸を売り払ったお金の全てを注ぎ込まなければならないほどに。
だからこそ、ヴェルナーはきっぱりと想いを告げる。
「その金額を僕が準備できるかはわからないけれど。
でも、少なくとも君自身より、はるかに安い」
「そんなわけないわ」
「そんなわけがあるんだよ。僕ひとりの人生を変えてくれた女の子なんだ。
君の存在は僕にとって値千金以上の意味がある」
ヤスミンカは、胸に手を当てた。震えながら、自分の中のあらん限りの勇気を奮い立たせて、言葉をつむぐ。
「もう少し、そばにいてくれるの? もう一度、わたしにチャンスをくれるの?」
合理性のゆがんだ世界からの問いかけを、ヴェルナーは両断する。
「君は諦めるのかい? ロケットを飛ばすって壮大な夢を」
ヤスミンカは首をふった。
「なら、これからは僕が君の隣を歩こう。
僕が、君をずっと、みていよう。だから、僕が遅れ気味になったら、少しだけ、手を差し伸べて欲しい。
そうしてくれれば、きっと僕たちは、うまくやれると思うんだ
だから、もう少し、だなんて寂しいこと、言わないでほしい」
ヴェルナーは言い切った。
ヤスミンカは、彼の言葉の意味に想いを巡らせた。
ヴェルナーは、自分には理解できない理屈で動いている。
これまで自分が理解していた、利害関係の範疇にない、奇妙な判断基準だった。
しかも、彼は常に、行動で示しているのだ。途方にくれる自分に、手を差し伸べてくれるのだ。
ヴェルナーのことが、よくわからなかった。
理解できなかった。
いつもの自分なら、理解できないことが嫌で仕方がないはずなのに、不思議と嫌な感覚にはならなかった。
むしろ、胸の奥が暖かくなってくる。
ヴェルナーは、黙り込む自分に、手を差し出した。
帰ろう、と静かにいった。
ためらうことなく、ヤスミンカは手を握った。
その瞬間、ヤスミンカは、薄いベールの向こう側を垣間見た。
いまはまだ、理解できない光景を。
一生理解できないかもしれないと思えるほどの難問を。
それは方程式では記述できない代わりに、自分と、ひょっとしたらヴェルナーにだけは理解できる。
そんな、言葉にはできない直感が、ヤスミンカの脳裏を駆け巡る。
これまでたくさん、間違えてきた。
けれど、どんな失敗があったとしても、これだけは間違えてはならない。
この手の暖かさを、手放してはならない。
ヤスミンカは彼を見つめながら、強い意思を込めていった。
「わたし、あなたのことを信じるわ。一○○パーセント。理屈でなく、そうするわ。わたしには、あなたが必要だって、はっきりとわかったから」
ヴェルナーは重々しくうなずいてみせた。わかっているよ、というように。
けれど、ヤスミンカの心は晴れなかった。もっとうまく感謝を示したかったのだが、どうすればそれが伝わるかわからない。
「ヴェルナー」
「なんだい、ヤースナ」
ヤスミンカはヴェルナーの瞳を見つめた。
それから、彼の頬に手を伸ばすと、少しだけ背伸びをして――。
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