【R18/BL】激情コンプレックス

姫嶋ヤシコ

文字の大きさ
上 下
73 / 74
番外編

容受 2

しおりを挟む
 中学を卒業してから久しぶりに会った悠だったが、その表情はどこか憑き物が落ちたかのように清々しく穏やかで、ある意味で別人のようだと思わず蓮が口にすれば、悠は「そうかも知れない」と、僅かに微笑んで見せる。

 久世の存在が全てだったあの頃の悠からは想像もできなかったその表情は、彼がしがらみから解放され、本当に今が幸せである事を物語っているようで、ここまで悠を変えた"あの男"に感心すると共に、少しだけ罪悪感を持たずにはいられなかった。

 試合とは言え、挨拶代わりに"あの男"(とチーム諸共)を完膚なきまでに叩きのめしたのだ、それを見ていた悠もあまり自分に対しては良い感情を持っていないだろう。

 それに、本来であれば今頃悠は自分の学校の控え室にいても(もしくは"あの男"と共に帰路についていても)おかしくない時間帯だ。

 にも関わらず、こんな所で無防備にも取材陣に囲まれている事は不自然で、やはり何か彼なりに意図があっての行動ではないのだろうかと訝しげに窺っていれば、


「そう言えば試合、すごかったな。俺、剣道の試合って生で見たの初めてだったけど、みんな真剣で圧倒されたよ」
「全て、見ていたのか」


 触れる事は避けた方が良いと思っていた試合の話を振られ、柄にもなく虚をつかれた蓮の独り言とも取れない問いかけに頷いた悠は、


「勿論、その為に来たんだし。素人目で申し訳ないけど、すごく良い試合だった。勝敗にすべてを賭けてる姿って、本当にカッコイイよな」


 ……勝敗の結果はどうあれね。


 そう答えると、蓮に明日の試合も楽しみだと小さく笑って見せた。

 一言文句でも言われると思っていた蓮だったが、素直に試合に対する賞賛を述べた悠に拍子抜けすると、


「その言葉、俺にではなく、もっとかけてやるべき人間が悠にはいるはずだろう?」


 諭すように言えば、今度は何とも歯切れの悪い煮え切らない態度を示す悠に、思わず首を傾げてしまう。

 良い試合だったと、次も楽しみにしていると、そう思ったことを素直に"あの男"へ伝えに行けば良いだけだろうと続ければ、悠はますます困ったように眉を下げて笑うだけで、それの一体何が難しいのだと問えば、


「……そう思って、一度控え室には行って見たんだけど……、声をかけるタイミングって言うか……、空気が掴めなくて」


 もう少しだけ彼らが落ち着いた頃にしようと考え直し、会場内を歩いている内に、先ほどの取材陣に見つかり騒動となって、そこから抜け出せずに困っていたのだと続けた悠に、蓮は思わず小さな笑い声を漏らしてしまい、それに気がついた悠は、当然抗議の声を上げるのだが、助けてもらった手前強く言うことも出来ず、僅かに頬を赤らめながらバツが悪そうにキャップを深く被り直してしまった。


 相変わらず、肝心なところで要領が悪い男だ。

 何でもソツなくこなすくせに、悠が大切にしている人間が絡んでくると、彼はいつもその場で二の足を踏み、しなくても良い遠回りをする事になってしまうのだ。
(そのおかげで、久世と大きなすれ違いを起こし、和解するまでに随分と時間がかかってしまったのだが)

 恐らく今回の件に関しては、敗者となり悔しさに項垂れた人間に、第一声をどうかけてやれば良いのかが解らなかったのだろう。


「相手の事を考えすぎてしまう所は、相変わらずだな、悠。優しすぎるのも、問題だぞ」


 彼のこう言う所が放っておけない理由なのかも知れないと、未だ心の奥底にこびりついたままの奇妙な感情の名を、無理矢理それに当てはめる様に呟くと、悠の着ているジャケットの襟元を強引に引き寄せ、その吐息を感じられるまでに身長差が縮んだところで、彼の薄いくちびるを食むように重ね合わせた。

 辺りを漂う冬の冷たい空気とは裏腹に、重ねられたくちびるは温かく、その心地良さに一瞬の名残惜しさを感じてしまい、それを振り切るように掴んでいた襟元を押し返し手放すと、


「何を言って良いのかわからないのなら、こうして態度で示してやるのも一つの手だ」


 これも大切な相手とあらば十分な労いになるだろうと、一連の出来事に固まっている悠へ僅かに口端を上げて見せ、それから騒がしさの近づいて来る方向へちらりと視線を動かせば、見知った色のジャージを纏う二人組みが此方に向かって歩いて来るのが見えた。

 勿論、ここで彼らと顔を合わせるのは得策ではない事を承知の蓮は、すぐに悠から離れると、彼らの元へ行ってやれと指示を出し、けれど、未だこの状況に頭がついてまわらない悠がその場を動き出す気配はなく、仕方なしに自らがその場を離れるべく足を踏み出せば、今度は引き止められるかのように腕を掴まれる。

 普段であれば、不愉快だとすぐに腕を振り払う所ではあるのだけれど、何故か相手が悠だとそんな気にもなれず、漸くさっきの今で文句のひとつでも言う気になったのかと彼を振り返れば、


「……匂坂くん。ずっと、俺の事気にかけてくれてありがとう。匂坂くんがいてくれて、良かったよ」


 そう言って、瞠目する蓮の僅かな隙をついて額に口付けを落した悠は、さっきのお返しだと言わんばかりに悪戯な笑みを浮かべ、明日の試合も頑張れと言い残して、迎えの二人の元へと走り去って行ったのである。


 ……もう、大丈夫なようだな。


 久世と悠が決別したあの日から今日まで、陰ながら悠を見守り続けてきた自分の役目はこの瞬間に終わったのだと、奇妙な余韻を残す彼の言葉を胸に止まっていた足を動かせば、前方から此方に手を振りながら近づいてくる人物の顔が見え、わざわざ迎えに来たのかと、軽やかな足取りで近づいて来る人物の呼びかけに応えるように顔を上げると、


「何だよ匂坂、複雑そうな表情してんな」


 一体この短時間の間に何があったのだと問いたげな表情をする津田の言葉に首を傾げれば、彼は小さく唸った後、ひらめいたとばかりに両手をぽんと叩き、



「そうだ、アレだ! 父親が、大事に育てた娘を嫁に出した時みたいな顔に似てるんだ! ドラマで見た、そう言う表情!」



 飛び出した彼の言葉は何ともリアクションに困る例えではあったものの、どことなく、燻り続けていた名もない奇妙な感情にそれがしっくり当てはまるような気がして、納得してしまう。
(実際、父親になった事もなければ娘もいないのだが、例えとしては絶妙だと思う)

 妙な切っ掛けから今まで見守って来た悠は最早、自分にとって"特別"な存在になっていた。

 けれど彼に対する感情は、"恋"と言うには些か遠く、そうかと言って"愛"が無かったわけではない。
(その"愛"が単なる庇護欲を掻き立てられて生まれたものなのかまでは定かではないが)

 そうでなければ、あの頃の、頑なで今にも壊れてしまいそうな危うい生き方をしていた悠を、久世との約束とは言え見守るなど、ましてや、自らの意思でその効力が切れた後もそれを続ける事などなかったはずだ。

 そして今日、悠自身の口から述べられた自分への感謝の言葉は、彼が漸く幸せを掴んだ事実とそれに対する喜びを与えてくれた半面、己の手の内から新たな彼の居場所へ巣立って行く現実と、僅かな寂しさを残して行った。


 それこそ、津田が発した言葉宛らに。


 足を止め、後ろを振り返れば、その先には小さくなった三人の仲睦まじい姿が見え(殊に"あの男"は、見ている此方が恥ずかしくなる程悠にべったりで、けれど、悠も春夜も特に気にしている様子はなかった為、最早あれは彼らにとって日常的な光景なのかも知れない)、悠の悩みは思いの外早く解決した事に安堵の溜息と僅かな笑みを漏らすと、



「仮に俺が父親なら、出戻りは許さないが、泣かされる事があれば相手にはそれなりの覚悟をしてもらわなければならないな」
「……匂坂に娘が出来たら、大変だなぁ」



 苦笑する津田の言葉に「当然だろう」と頷き、今後も悠が幸せでいられる事を、今、初めて心から願ったのだった。

【END】
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

営業活動

むちむちボディ
BL
取引先の社長と秘密の関係になる話です。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...