71 / 74
番外編
熱情 3
しおりを挟む なにか、とてつもなく冷えた物が首筋に触れた感触がして飛び起きる。首に手を当てながら辺りを見渡したシュウは、目を見開いて後ずさった。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
「おはよう、シュウ」
そこには、予想通り優しげな微笑みを浮かべた親友と恋人を兼任している男がいた。夜を過ごした後、夜警に行ったはずだというのに。一体いつ帰ってきたのか、すでにベッドの中に熱が戻っている。
「相変わらずのお寝坊さんだな、お前は」
シュウの髪を一撫でして、柔らかくもない頬にキスを……なにをしているんだコイツは、と眉間に皺が寄った。
「お前は人が寝てる間になにしてんだ」
「キスマークの一つや二つ、つけてやろうかと」
まあ、つかなかったが……と残念そうに唇に手を当てる親友に頭がキリキリと痛む。
「俺は肌が焼けているし厚いだろ。つきにくいのは当たり前だ」
そう言うと、シルベリアは笑みを浮かべた。
「だったらシュウ、お前が俺につけてみないか?」
俺の肌なら白いからすぐにつくだろう? と言ってくるシルベリアに、シュウは心底呆れ果てた。開いた口が塞がらない。
「何でお前はそう朝っぱらから濃いんだよ……!」
「ん? まあ、俺も男だからな」
わははと笑うシルベリアに、これだからお貴族様はと言いながらベッドを出た。昨夜すっかり脱がされてしまった服を拾い上げて洗濯カゴに放り入れておく。
歯磨きをしながら歩いていき、新聞受けに刺さっている束を引き抜く。その瞬間ぴゅうと隙間から入ってきた風に身をすくめた。
いくら部屋を温めていたとしても、外から入ってきては意味がない。適当にクローゼットから出した服を着て、シルベリアの背中に身を預ける。
ごく僅かにシルベリアの方が高いが、ほとんど同じ体温に背丈。こうしてくっついていると馴染んで、溶け合いそうになる。
エディスだとこうはいかない。アイツは体温が低いからと考えながら新聞を開いたシュウは、
「……なんだこれ」
愕然として呟いた。
その日、イーザックに選んでもらった書庫の魔法書を読み耽っていたエディスは、突然の訪問者を告げるチャイムの音に起き上がる。
どこでも好きな本を読んでくれていいと許可を得たエディスは、来る日も来る日も魔法書を周りに積み上げてはイーザックやレウと議論を繰り返している。
そこにやって来たのがシルベリアと知ると、昨年カーグラック大学院で発表された文献について意見を聞こうと嬉々として彼を出迎えた。
「レイヴェンたちが……!?」
だが、彼が持ってきた新聞の一面の見出しを見た途端、今の今まで浮かべていた花のような笑顔はどこに捨てたのかというしかめっ面へと変えてしまう。
そこに書かれていた罪状は、殺人未遂――城に戻ってきたキシウと口論になり、激昂した彼女がティーセットを薙ぎ倒して廊下にいた兵士から剣を奪って追いかけてきたのだという。
「姫じゃなくなっても命を狙われるのか!」
憤り、拳を膝に叩きつけるシルベリアに、一同は同意を示した。
「十中八九、あのクズ女の嘘だろ」
これでレイアーラが国庫を無駄に浪費させる悪女であれば出てこなかった反応だろう。だが、彼女は献身的に各地の孤児院や修道院を通っており、災害があれば直接向かって人々の手を取り励ましの言葉を掛けた。それは積極的に情報を集めていないエディスの耳にさえ入ってきていた。
慈悲深く慎ましい彼女が、華美な装束を纏うことはない。宝石ではなく花や職人のレースで身を飾る彼女独自のスタイルは女性の圧倒的な支持を得ており、今年の社交界の一大ブームにさえなっているというのが、イーザックの見識だった。
「いやぁ~……これは、これは」とイーザックが言葉を詰まらせる。
「ブラッド家は一手を打ってくるでしょうねぇ」
その通りで、翌日の新聞にはハイデが皇太子エドワードとして名乗り出たと書かれてあった。
それを握り締めてきたシュウが「あれは俺の兄だ、地毛は俺と同じ緑だ」と髪を引っ張りながら言うのを聞き、やはりと目を伏せる。
ハイデは自分の兄などではなかった。エドワードを捜して監視下に置こうとしていたか、母親であるキシウを追っていたかのどちらかだろう。
落胆はしない。奴の目的など分かりきっていたからだ。最初から怪しかった。けれど「人の屑」くらいは言ってもいいだろう。兄の皮膚を、声を顔に貼りつけて、他人に誘いかけていたなんて考えるだに怖気が走る。
だが、ふと顔を上げると凍り付いた顔の一同と目が合い、エディスは「ごめん」と口にした。
イーザックが持ち出した酒を呑んだシュウは、それはもう酔っ払った。一緒に呑んでいたレウが言うには北部の酒は度数が強いかららしい。
エディスがいるならと、戦闘科に移動になったシルベリアは酔った素振りもなく呼び出しに応じていった。
宛がわれたソファーにシュウを促し、自分もその隣に座る。だが、なにを聞いても話そうとしないので、エディスはふーっと長く息を吐いた。
彼にしては珍しい行動だが、余程父か兄とそりが合わないのか、呑まないとやっていられないのだろう。
「ちょっと待ってろ」
ポンポンとシュウの背中を叩いてから部屋を出ていく。自由に出入りをしていいと許可をもらっている厨房から必要な物を取って引き返す。
「ほら、飲め」
白く丸みを帯びた、取っ手のないカップを相手の手に握らせる。
「酒じゃなくて悪い……けど、甘くしといたから」
ごくりと喉を鳴らし、一口飲んだ青年は苦笑した。
「甘めとも言わねえよ」
それを聞き、エディスは少しだけ顔を安堵で綻ばせる。飲み終わった後、受け取ったカップを目の前のテーブルに置く。
「もう、今日は寝ろよ。シルベリアじゃなくて悪いけど、代わりに俺がいてやるからさ」
相手が頷いたのを見、エディスはカップと一緒に持ってきていた毛布を手に取った。
「ほら、来いよ」
苦笑して膝をポンポンと叩くと、シュウは遠慮なく膝に頭を乗せ、目を閉じた。
「おやすみ」と言うのに同じ言葉を返し、シュウの肩まで毛布を掛ける。それから、会議が終わったシルベリアが迎えに来るまでの間、頭を撫で、膝を貸していた。
「本当に、能力者ってのは厄介だな」
まるで運命の相手みたいに大事にするとレウに言われたエディスは首を傾げた。
だが、睡魔の囁きに敗北を喫していたエディスは「そうかもな……」と呟いて瞼を閉じた。ベッドにはレウが運んでくれるだろうと、信じて。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる