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番外編
憧憬 3
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遠くから聞こえる話し声と頬をつつかれるような刺激を感じ、沈んでいた意識をゆっくり引き上げるように閉じていた瞼を開くと、視界に飛び込んで来た思わぬ人物の顔に瞠目し、
「……誰?」
最初に口をついて出た言葉はその一言で、更に、それの一体何がおかしかったのかと思える程に腹を抱えて笑い転げる人物にドン引きしていれば、
「どんだけ肝据わってんだよ……っ、普通っ、もっと、驚かねぇ?」
「こら、玲央! 起こすなって言っただろ!」
キッチンで作業をしていたらしい悠がマグカップを片手にリビングへ戻り、起きたまことの傍で笑っている男を窘めた。
「ごめん、まこと。気持ちよさそうだったから、もうちょっとそのまま寝かせてあげようと思ってたんだけど、予想外の来客が……」
「大丈夫だよ。いつの間にか、眠ってたんだね」
「あ、俺、橘 玲央って言うの。よろしくなっ!」
「……絢瀬 まこと……。よろしく」
軽く自己紹介をし、かけられていたブランケットからもぞもぞと這い出て、横になっていたソファに座り直し視線を上げれば、漸く笑いの収まった橘が悠の座るソファの横へ何の躊躇もなく自然な流れで腰掛け、悠の手からコーヒーの入ったカップを受け取っている姿が見え、けれど、いつもと何かが違ったのか僅かに首を傾げた橘は、
「あっれ、いつもの俺のカップどうしちゃったの?」
「ごめん、俺の不注意で割っちゃって……」
知らずとは言え、まことの心臓が大きく脈打つような質問をし、咄嗟に悠がそう答えると、一瞬此方へ視線を寄越した橘だったが、すぐに理解を示したような一言を呟くと、そのまま何事もなかったかのようにカップへ口をつけた。
どうやらあのカップの持ち主は目の前にいる橘で、ともすれば、必然的に悠の「大事にしたい人」と言うのは、紛れもなく彼の事だろう。
こうなるまでの間、二人に何があったのかは解らないけれど、同じ高校へ通っているのだからあり得ないこともない。
けれど、思っても見ない人物であった事に驚きと僅かな嫉妬が隠せないのも事実で、
「悠くんは橘くんと、とても仲が良いんだね」
この場では答えにくいだろう質問をわざわざ破れかけたオブラートに包み選ぶ自分は、本当に意地悪だと心に刺さる小さな棘の痛みを振り切り呟けば、
「当然っ! 俺たち、チョー仲良しだから!」
やっぱ見る人が見ればわかっちゃうもんなんだな、と悠の肩をばしばし叩きながらさらりと答える橘と、心に沁みる何とも言えない敗北感に苦笑してしまった。
素直で迷いのない強い橘の言葉と行動は、決して自分には真似する事ができないだろう。
きっと、彼のそんな所にも悠は惹かれているのかも知れない。
心の中で認めつつも、しつこく沸き出ようとする嫉妬心を、冷め切ってしまったコーヒー諸共喉の奥へ流し込むと、まことは身支度を整えてソファから立ち上がる。
「それじゃあ、そろそろぼくは帰るよ。思いの外長居して、ごめんね」
「途中まで送るよ。ここら辺、あまり詳しくないだろ?」
「大丈夫。本屋さんがすぐ傍だし、そこまで行けば、もと来た道を戻るだけだから」
玄関で靴を履きながらやんわりと悠の申し出を断り、先ほどから此方へ向けられている少し棘の含まれた視線を振り切るようにドアを開ければ、外はすっかり夕陽に染まりきっていて、随分と居座っていたことを再認識すると共に、一緒に玄関を出た悠へ向き直り、
「誘ってくれて、ありがとう。それから……、橘くんのカップ……、ごめんね」
「まこととまた、こうして会えて嬉しかったよ。カップのことは、気にしなくて良いから」
カップについての事実を知り、けれど本人には直接謝罪する事は、様子を見る限り難しそうだと改めて悠に伝えれば、悠はどうとでもなるから平気だよと、リビングにいるだろう噂の本人へちらりと視線を送り苦笑して見せた。
そろそろ本当にいとまをしなければ余計に悠との別れが名残惜しくなると、後ろ髪を引かれる思いを断ち切り背を向けた所で不意に腕をとられ、何事かと振り返れば、ポケットから小さなメモを取り出して、まことの手に握らせる悠の姿を捉え、
「もし、まことが嫌じゃなかったら……、また前みたいに、時々、連絡取り合えないかな」
思っても見ない悠からの申し出は、確かにまことの心を喜ばせたはずなのに、何故か素直に嬉しい喜んでと頷き答える事ができず、少しの間を置いてようやく搾り出せた言葉は、
「どうして……、」
そのたった一言だけで、けれど、まことの愛想の無い返答を気にも留めていないのか、悠から返って来た答えは、
「だって、俺にとってまことも、伊織と同じくらい大事な友達、……親友だと思ってるから」
……なんて、ちょっと図々しいかな?
今まで自分が位置づけられる事のなかったそれは、中学時代に羨んでいた久世と同じもので、けれど手に入れた今、本当に欲しかったのはもっと別のものである事を鮮明に浮き上がらせると共に、二度と手にする事の出来ないものでもある事を、強くまことの心に刻み付ける。
「……ううん、図々しくなんてないよ。嬉しい。悠くんにそう言ってもらえて」
刻まれた傷の痛みに声が震えてしまわないよう必死で腹に力を込め僅かに微笑むと、甚く嬉しそうに笑う悠の顔が見え、悠が喜んでくれたのだから、自分の言葉と彼への気持ちの選択は間違っていなかったと言い聞かせ、長らく止まっていた足を踏み出した。
とても残酷、けれどそれが悠の自分へ抱いている素直な気持ちだと言うのなら甘んじて受け入れ、そして、刻まれたこの傷が癒えた時こそ、心の底から悠の親友であると胸を張る事が出来るのだろうと、今は強く痛みを訴える胸を手で押さえ込んだ。
だから、それまでは……。
メモに書かれた新しい連絡先をスマホに入れる事無くポケットの奥深くへ捩じ込み、最後にもう一度だけ、悠の姿を目に焼き付けるべく振り返る。
「悠くん……、」
まことが振り返った先に見えた、自分ではない存在に向けられているのだろう悠の幸せそうな笑顔は、一生忘れる事はないだろう。
「ぼくは……、」
ぼくは、キミのことが……、好きでした。
【END】
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遠くから聞こえる話し声と頬をつつかれるような刺激を感じ、沈んでいた意識をゆっくり引き上げるように閉じていた瞼を開くと、視界に飛び込んで来た思わぬ人物の顔に瞠目し、
「……誰?」
最初に口をついて出た言葉はその一言で、更に、それの一体何がおかしかったのかと思える程に腹を抱えて笑い転げる人物にドン引きしていれば、
「どんだけ肝据わってんだよ……っ、普通っ、もっと、驚かねぇ?」
「こら、玲央! 起こすなって言っただろ!」
キッチンで作業をしていたらしい悠がマグカップを片手にリビングへ戻り、起きたまことの傍で笑っている男を窘めた。
「ごめん、まこと。気持ちよさそうだったから、もうちょっとそのまま寝かせてあげようと思ってたんだけど、予想外の来客が……」
「大丈夫だよ。いつの間にか、眠ってたんだね」
「あ、俺、橘 玲央って言うの。よろしくなっ!」
「……絢瀬 まこと……。よろしく」
軽く自己紹介をし、かけられていたブランケットからもぞもぞと這い出て、横になっていたソファに座り直し視線を上げれば、漸く笑いの収まった橘が悠の座るソファの横へ何の躊躇もなく自然な流れで腰掛け、悠の手からコーヒーの入ったカップを受け取っている姿が見え、けれど、いつもと何かが違ったのか僅かに首を傾げた橘は、
「あっれ、いつもの俺のカップどうしちゃったの?」
「ごめん、俺の不注意で割っちゃって……」
知らずとは言え、まことの心臓が大きく脈打つような質問をし、咄嗟に悠がそう答えると、一瞬此方へ視線を寄越した橘だったが、すぐに理解を示したような一言を呟くと、そのまま何事もなかったかのようにカップへ口をつけた。
どうやらあのカップの持ち主は目の前にいる橘で、ともすれば、必然的に悠の「大事にしたい人」と言うのは、紛れもなく彼の事だろう。
こうなるまでの間、二人に何があったのかは解らないけれど、同じ高校へ通っているのだからあり得ないこともない。
けれど、思っても見ない人物であった事に驚きと僅かな嫉妬が隠せないのも事実で、
「悠くんは橘くんと、とても仲が良いんだね」
この場では答えにくいだろう質問をわざわざ破れかけたオブラートに包み選ぶ自分は、本当に意地悪だと心に刺さる小さな棘の痛みを振り切り呟けば、
「当然っ! 俺たち、チョー仲良しだから!」
やっぱ見る人が見ればわかっちゃうもんなんだな、と悠の肩をばしばし叩きながらさらりと答える橘と、心に沁みる何とも言えない敗北感に苦笑してしまった。
素直で迷いのない強い橘の言葉と行動は、決して自分には真似する事ができないだろう。
きっと、彼のそんな所にも悠は惹かれているのかも知れない。
心の中で認めつつも、しつこく沸き出ようとする嫉妬心を、冷め切ってしまったコーヒー諸共喉の奥へ流し込むと、まことは身支度を整えてソファから立ち上がる。
「それじゃあ、そろそろぼくは帰るよ。思いの外長居して、ごめんね」
「途中まで送るよ。ここら辺、あまり詳しくないだろ?」
「大丈夫。本屋さんがすぐ傍だし、そこまで行けば、もと来た道を戻るだけだから」
玄関で靴を履きながらやんわりと悠の申し出を断り、先ほどから此方へ向けられている少し棘の含まれた視線を振り切るようにドアを開ければ、外はすっかり夕陽に染まりきっていて、随分と居座っていたことを再認識すると共に、一緒に玄関を出た悠へ向き直り、
「誘ってくれて、ありがとう。それから……、橘くんのカップ……、ごめんね」
「まこととまた、こうして会えて嬉しかったよ。カップのことは、気にしなくて良いから」
カップについての事実を知り、けれど本人には直接謝罪する事は、様子を見る限り難しそうだと改めて悠に伝えれば、悠はどうとでもなるから平気だよと、リビングにいるだろう噂の本人へちらりと視線を送り苦笑して見せた。
そろそろ本当にいとまをしなければ余計に悠との別れが名残惜しくなると、後ろ髪を引かれる思いを断ち切り背を向けた所で不意に腕をとられ、何事かと振り返れば、ポケットから小さなメモを取り出して、まことの手に握らせる悠の姿を捉え、
「もし、まことが嫌じゃなかったら……、また前みたいに、時々、連絡取り合えないかな」
思っても見ない悠からの申し出は、確かにまことの心を喜ばせたはずなのに、何故か素直に嬉しい喜んでと頷き答える事ができず、少しの間を置いてようやく搾り出せた言葉は、
「どうして……、」
そのたった一言だけで、けれど、まことの愛想の無い返答を気にも留めていないのか、悠から返って来た答えは、
「だって、俺にとってまことも、伊織と同じくらい大事な友達、……親友だと思ってるから」
……なんて、ちょっと図々しいかな?
今まで自分が位置づけられる事のなかったそれは、中学時代に羨んでいた久世と同じもので、けれど手に入れた今、本当に欲しかったのはもっと別のものである事を鮮明に浮き上がらせると共に、二度と手にする事の出来ないものでもある事を、強くまことの心に刻み付ける。
「……ううん、図々しくなんてないよ。嬉しい。悠くんにそう言ってもらえて」
刻まれた傷の痛みに声が震えてしまわないよう必死で腹に力を込め僅かに微笑むと、甚く嬉しそうに笑う悠の顔が見え、悠が喜んでくれたのだから、自分の言葉と彼への気持ちの選択は間違っていなかったと言い聞かせ、長らく止まっていた足を踏み出した。
とても残酷、けれどそれが悠の自分へ抱いている素直な気持ちだと言うのなら甘んじて受け入れ、そして、刻まれたこの傷が癒えた時こそ、心の底から悠の親友であると胸を張る事が出来るのだろうと、今は強く痛みを訴える胸を手で押さえ込んだ。
だから、それまでは……。
メモに書かれた新しい連絡先をスマホに入れる事無くポケットの奥深くへ捩じ込み、最後にもう一度だけ、悠の姿を目に焼き付けるべく振り返る。
「悠くん……、」
まことが振り返った先に見えた、自分ではない存在に向けられているのだろう悠の幸せそうな笑顔は、一生忘れる事はないだろう。
「ぼくは……、」
ぼくは、キミのことが……、好きでした。
【END】
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