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番外編

動揺 2

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 とある日の、自習時間。

 教科担任の急な用事でまるまる自習となったその時間は、配られたプリントをマジメにこなす生徒など数える程度で、残りは当然、各々好き勝手なことをして過ごすのが殆どだ。

 とは言え、あまりに騒げば他のクラスで授業をしている教師がやって来る為に、一定の節度は暗黙の了解として守られてはいるのだが、やはりマジメにプリントをこなしている春夜にとっては少々、煩わしい時間である。

 目の前に座る玲央も、おとなしくプリントをやっていたかと思えば突然此方に身体ごと向き直り、


「なあ、春ちゃん。やっぱ悠って、すげーよな」


 突然の話のフリに意味が解らないと眉を顰めていれば、周りを見てみろよと促され、渋々問題を解く手を休めてあたりを見回してみる。


 ……何だ、この奇妙な空気は。


 女子も男子も変わらず席に座ってはいるが、彼らはプリントには目もくれず、けれど、先ほどまで煩わしいと思っていた話し声はいつの間にか消えていて、そろいもそろって皆が同じ方向を、しかも蕩けるような顔で見つめているのだから、奇妙としか言い様がない。

 思わず彼らの視線の先を辿って見れば、そこには、彼方 悠の姿。

 ただそこに座り、頬杖をつきながらぼんやりと手元のプリントを眺め、時折愁いを帯びた顔で溜息を零しているその姿に、食い入るような視線が集められていた。

 しかし彼方本人はと言えば、遠巻きから見蕩れる人間の視線さえも気にならないのか(モデルなのだから慣れているだけなのかも知れない)、何度目かの溜息を吐き出した後、止まっていた手を何事もなかったかのように動かしプリントの空白を埋め始める。

 普段から、あまり感情の起伏を見せない彼方にしては珍しく、何かあったのかと思っていれば、


「悠ってば、また最近元気ねーのよ。何があったか知んねーけど、ああ言う顔されちゃ、気になる上にほっとけねーよな」


 まるで自分の考えを読み取り代弁するかのように玲央が言葉を重ねた事に、若干の苛立ちを感じながらも、確かにその通りであると特に否定もせずにいると、


「次の部活休みって、金曜日だっけ? 丁度用事もあるし、こりゃ、悠誘って気分転換しに行くのもアリかもな」


 春ちゃんも一緒に行く?

 良い案が思いついたと言わんばかりの玲央の顔を一瞥し、もう一度彼方を見やれば不意に視線が合い、驚いてすぐに逸らすと、ズレた眼鏡のフレームを押し上げ「二人で勝手に行けば良いだろう」と玲央に告げ、止まっていた手を動かした。

 自分が一緒に行ったところで、彼方にとっては、いてもいなくても同じだろう。

 むしろ、いない方が彼にとっても気が楽なのではないか。

 興味のない人間同士、共にいたところでその時間が有意義になるとは思えない。

 玲央のようにコミュニケーション能力に長けているわけでもないのだ、一体、彼方に何をしてやれると言うのか。

 再び彼方へ視線を向けて見たけれど、春夜のそれと交わることはなかった。




 不透明な感情が心に僅かなシミを落としたその日から、時間は巡って金曜日。


「悠、デートしようぜ!」


 一日の授業も終わり、各々がどのようにして今日の残された時間を過ごそうかとざわめいていた教室が、玲央の発したその一言でしんと静まり返り、発生源を見やれば、彼の発言に頭を悩ませている彼方の姿が見えた。

 玲央が彼方と親交を深めようと躍起になって以来、すでに珍しくもなくなったこの光景は、今ではある意味密かなクラスの名物にもなっていて、二人の動向を固唾を呑んで見守る視線が集中する中で、恥ずかしげも無く第二声を発しようとした玲央の口を慌てて塞いだ彼方は、玲央の身体を引きずるように教室を出て行ってしまった。

 二人が教室を出て行った後、当然囁かれるのは「デート」と言う言葉と「最近仲良すぎじゃね?」などと言う、関係を勘繰る言葉で、全く何をしているのだと、相変わらずの玲央に心の中で毒づきながら鞄に勉強道具を詰め込み始めた所でふと、鞄に押し込めてあったカエルのパペットと目が合った。

 毎朝、妹が欠かさず視聴する情報番組の占いを、柄にもなく間に受けて持って来てしまったものだ。

 窮屈そうに身体を縮め、此方を見上げるその視線は何だか物悲しそうで、狭い鞄から救出すべくパペットを取り出すと、先ほど彼方に連れて行かれた玲央がものすごい勢いで教室へ駆け込んで来る。

 全く騒々しいにも程があると視線を寄越せば、此方の視線に気がついた玲央が不思議そうな顔をして、春夜の左手に鎮座しているパペットを見ながら、


「春ちゃん、なにそのカエルのパペット。そう言う趣味あったの?」
「そんな訳ないだろう……、今、巷で流行っているらしいな……」
「で? どうしてそんなもの持ってるわけ?」


 ニヤニヤしながら、あざとく首を傾げている玲央は、朝の情報番組の占いを見ていたに違いない。

 玲央は解っていて聞いているのだ。

 このパペットが今日の彼方の星座のラッキーアイテムと言う事を……、そしてそれを渡せないままこうして放課後まで鞄の奥底へ押し込めていた事を。

 解っているのなら聞くなと言いたいところではあったけれど、それを口に出すと負けたような気がして、



「偶然鞄の中に入っていて、処分に困っていた所だ」
「ふぅん……、じゃあ捨てちゃえば?」



 思わぬ所で発揮された玲央のスルースキルに、どうしてそうなるんだと思わず声を張り上げれば、今度は盛大に噴出し大笑いする玲央の顔が見え、完全に遊ばれた事に苛立ちながら、乱暴にパペットを押し付けた。


「彼方にくれてやる。偶然にも、今日の彼方のラッキーアイテムらしいからな」
「心配してんなら自分で渡せばいーのに」
「何の事だ。心配などしていないし、偶然だと言ったはずだ」


 素直じゃないなと、受け取ったパペットで遊ぶ玲央を睨みつけ、必ず彼方へ渡すようにと付け足せば、彼はわかってますよと軽い返事を残し、二人分つの鞄を持って教室を出て行った。



 ……別に、心配などしていない。



 玲央の言葉を頭の中で復唱しながら、そうではないと改めて否定する。

 彼方の事を気にしているのは、あくまでも匂坂から任されているからであって、個人的に彼がどうであろうと興味もなく、心配する筋合いもない。

 任されているから、何か少しでも彼におかしな事が起こっては困るのだ。

 それだけの理由に他ならない。

 勉強道具を鞄に詰め終え、重たくなったそれを持って廊下に出ると窓の外に丁度玲央と彼方が並んで歩く姿が目に映り、ちゃんと玲央はパペットを渡したのだろうかと、窓の端へ身を寄せじっと様子を窺ってみれば、彼方の左手には律儀にもパペットが嵌められており、手を動かしたりお辞儀をさせているのが見え、一先ず目的は達成されたと安堵の溜息を洩らした。


 玲央のように、彼方を楽しませてやることは不可能でも、こうして少しでも気の持ちようが変わるような事をしたって不自然ではないだろう。

 興味はないと言えど、傍で元気のない人間を見ているのは、あまり気分の良いものではないのだから。


 そう自分に言い聞かせていれば、ふと、振り返った彼方と目が合い、何を思ったのか彼は左手にはめたままのカエルのパペットの頬に口付けると、此方にそれを小さく振って見せた。

 まるで、自分の頬に口付けられたかのような感覚に陥り、けれど、すぐにそれを打ち消すかの如く自分を叱咤した春夜は、眼鏡のフレーム押し上げ、動揺する気持ちを落ち着かせる為に、予定外の自主練習へと赴いたのだった。
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